見込みが甘いのか、Л.Н.Толстой, «Круг Чтения»の翻訳は4月1日分から4月14日分まで紙の上では完成して居るので、容易にブログで公開出来ると思って居たら、ごく一部しか公開出来ず、且つ、誤りや意味の通じない箇所を発見し、結局公開出来て居るのはごく一部と言う事になってしまった。しかし、今後も誤りや意味の通じない所を見つけたら、自分に出来る限り直していく。  

 

 春だから当たり前なのだろうが、相変わらず気候が安定しない。扇風機が必要な日、ストーヴが必要な日が、でたらめに続く。場合に依っては一日の内に扇風機とストーヴを使う時間帯があったりして、目まぐるしい。  

 

 しかし、気候に限らず、様々な順逆いずれの要因があるとしても、生きている限りは己の進むべき道を進んで行こう。つまり、敵や味方が入り乱れている中を、淡々と生きて行くと言う事でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 Л.Н.Толстой, «Круг Чтеия»の翻訳を昨日の分まで紙の上で行ったところで、日付が変わり、且つ目の疲労が限界に達してしまったので、一度睡眠をとってから4月1日の分だけを電子ファイル化して、ブログで公開する事が出来た。今後は、4月分を暦通りに公開しつつ、3月までの記事を出来るだけ速やかに公開して行く予定である。

 

 

 

 

 

 “泥”と言う言葉から、それがコロイドだったかどうかが気になり、このところどれほどの精度があるかと思い時に試しているBing Chatで幾つか質問してみた所、泥はコロイドであると言う回答を得た。そして、それだけでは答えの正しさまでは解らないので、Googleで調べてみた。結果、泥は懸濁液であると言う答えを得た。  

 

 しかし、何気ない疑問から、それこそ泥沼に嵌ってしまうのが、Web利用の特徴なのか、それとも私の性格に依るのか解らないが、この“泥”を契機に、エマルジョンとか、それ以外の、もう10年以上接触して居ない化学の知識に触れる契機になったのだから有難い。そして、私は今回の泥についての簡単な調査から、一般化学の基本的な書物を読むべきだと言う結論を得た。ロシア語の学習に入った時もそうだったが、物事の始まりは全く軽く何気ないものなのかもしれない。且つ、偶然であると言う事の様だ。翻って、物事を行わなくなる、分岐点でどちらかを選ぶ、選ばないも、何でもない事が理由なのかもしれない。情報がほぼ無いか無である、また、己に判断出来るだけの能力が無ければ、そうなるのだろう。  

 

 否、それだと、単に運に左右される人であり、他人や社会に左右されるだけの人間と変わらない。やはり私はそうではない道、信仰に依って奇跡を起こす事を目指す。即ち、虚心坦懐になった上で自らの心に問い、それに従うと言う事だ。外見的には運任せや他人任せに見える事が在ったり、我を張っているだけに見える事が在ったりするだろうが、実際はそれらの内のどれでもなく、神に従って生きると言う事だ。  

 

 ところで、分散系の分類では、相に依るものと、粒子サイズに依るものがあるのを知った。Googleで英語で訊いた時には、質問があまりに簡単で回答も単純なものが出て来てしまったのだが、コロイドと懸濁液は、実際はこう言った分類法の違いで出て来る、異なった概念であるらしい。  

 

 そして、Bing Chatはまだまだ正解を出させるのに質問する人間の側がかなり歩み寄らねばならない状態であり、Google検索もやはりそれなりに上手くクエリを立て、使用する言語も一つではなく出来るだけ多くを或る程度以上使えるようになっている必要があると言う事の様だ。

 

 

 

 

 

 

 今朝は晴れている。桜の花が満開らしく、やや冷える日々が続いて居る。花冷えなのだろう。  

 

 変化は、私がどうあろうと起きる時は起きるし、起きない時は起きない。私にとっては、理由は解らないが、2020年の2月に現実の生活で生じた危機以来、変化が今も続いて居て、何かと対応する事を強いられて居る。こうなってくると、2020年以前の、奇妙に平和だった7年程が異常だったとも言え、或いは私の認知が間違って居て、実際は変化が続いて居たのに気付けていなかっただけかもしれないとすら思えて来た。要は、異常な7年の平和など無く、生きる事即ち変化なのかもしれない。  

 

 ただ、変化の最中に合っても、自分の中に不動、不変の部分を持ちたいし、持ち続けたい。変わりつつも変わらない、激しく動きながらも全く動かない、それが理想だ。  

 

 さて、今月は、漸く以前心に決めた、ブログの更新頻度を増やし、より自らの思い描くものにして行こうと言う事を、少しは行えたかと思う。色々と邪推したり、妨害する向きもある様だが、それこそ不動心で挑んでいきたい。

 

 

 

 

 

 

 目覚めてから、新奇性を求めているのか、或いは他者への依存心からか、instagramで新たにフォローすべきアカウントの有無をExploreで調べる。暗算で出来る程度の、要するに高校の教科書で習い始めた頃の程度の積分を目にしたので、何か特記すべき事があるのかと思い、計算する。すると、代数関数の積分すら出来なくなっている自分に気付き、係数がどうなるんだっけと、頭の中であれこれ計算して、漸く辻褄の合う答えを出し、解答がその投稿にあるかと思って確認したら、アカウント運営者は解答を出して居ないものの、コメントに出ていたものが私の答えと同じだったので、そう言うものかと思って、そのアカウントはフォローせずに済ました。  

 

 しかし、投稿が発信順に時系列で表示されないSNSでは、如何にフォローするアカウントを増やしたところで、利用者が見る投稿は運営側の決めたものを決めた通りにしか見る事が叶わず、何年も前にフォローした検索の投稿を今も目にして居ないと言う事は普通にある。  

 

 陰鬱な気分を引き摺りながら、私が知る限り、今の所時系列で投稿を表示する唯一のSNSであるTwitterを見る。すると、そこにもinstagramで見た様な事をしているアカウントがあるのを目にする。今度は初等幾何だ。解かずに大体の雰囲気を考える。しばらく眺めて、自分が決めつけをして居た事に気付き、正しい方針を発見したので、それで善しとして、そのアカウントをフォローする。  

 

 無数のものが生じては消えるのを見て、自分は自分と割り切って、自分の事だけに専念して生きるのが良いのか、抑々そう言うものを見ない様にして行くべきなのか、或いは、そこに秩序があると見做して探求すべきなのか、よく解らない。屹度、善悪ではなく、気が付いたらやって居る事が自分にとって正しい事なのだろう。Web参加以来、私の眼から見てあまりに酷い状況が展開して居て、このままでは真に破滅すると思ったので、警告を発し続けて来たが、私がその状況に慣れたのか、実際にそうなのかは解らないが、危機的な状況は免れ、危険な状態に緩和している様に思える。或いは、混沌が単に一時的に様相を変えて、そう見える様になって居るだけなのかもしれない。 

 

 ただ、私自身の力量が微々たるものである事を思い、やはりこちらの方を何とかしないといけないという思いがある。恰も粘性の高い流体が流れて行く様に、非常に緩慢と物事を進めて行ってる気がするが、何も進められないよりも良いと自分に言い聞かせて、今後も努めて行くしかない。 

 

 しかし、齢を重ねても成長出来ないのか、目が覚めて聞き始めた音楽が、80年代のイギリスの、分類は私は解らないのだが、ポップロックか何かのバンドの曲と言う、単にその頃よく耳にしただけのものと言うのも、それは確かに“A面ばっかりだ!”とお叱りの言葉を受ける筈だと思うのだった。そして、全く元気が出ないので、Deep Purpleの“Burn”に変える。やっぱり何も変わらない。炎に意思があるとは思えないが、あるとすれば案外明鏡止水の境地かもしれない。只々、その様な存在であるから、素直にその義務を果たしているだけなのだろう。  

 

 今日は天気が好い。

 

 

 

 

 

 

 

 昨日は天気が好かったのに、今朝は随分と曇って居る。それで春になって居た事を思い出す。物事が順当に進んで居ない時になって初めて考える様では、後れを取ると思うのだが、果たしてこの場合、正すべき性質なのかどうかまでは解らない。  

 

 既視感のある出来事をよく見る様になった。人の本質はそう変わらないと言う事なのだろう。ただ、生じる事、続いて居る事の全てが正しい訳ではない。家屋に害虫や害獣が存在する様になったり、田畑に雑草が生えたりしたら、除くだろう。北枕に関するあれこれも、調べてみたら意外な事が判ったりする。人の本質はそう変わらない、洋の東西や時代を問わないと片付けてしまうのも好いのだろうが、やはり知る事の方が大事かもしれない。  

 

 希望としては、今日は天気が好い方が良かったのだが、天候は人の気持ちで左右出来る類いのものではない。ここでも知識を優先すべきである事が判る。  

 

 そう言えば、昨日、扇風機を出した。ストーヴを使って居た日の翌日の話である。春と秋は変化が激しいと言っても、やはり春の方が激しく感じるのは何故だろうか。実際、時間的に追うと、春の方が秋よりも変化が激しいかもしれず、その辺は調べて居ないので解らない。

 

 

 

 

 

 

春分  

 寝落ちしてしまったと言う事もあるが、漫然と時間を過ごす内に、日付が変わって、春分の日となった。二十四節気の春分である。春が来たのだ。   

 

Webの利用について  

 気が付いたので書いておくが、インターネットを使う前に、NHKのテレビでインターネットについて解説した番組を視聴して居て、早晩インターネットは衰退していくと予想していた私は、その番組内で、新聞も見ずにGoogleを大変によく使って居る人物の話を聞き、ならばいずれ私がインターネットに参加出来る様になったら、Googleを利用し、更には、行う内にどこの誰であるかが閲覧した人の誰にでも解ってしまうBlogを何故行うかを知る為に、それが無駄であると思って居た私が実際に行ってみようと思ったのだった。そして、インターネットに参加して10年以上が過ぎた結果、それが衰退どころか、これまで人類が見つけたり作ったりして来た情報媒体の究極形、媒体そのものであり、それ故、必然的に隆盛し続けると考えを改めるに至った。また、ブログに関しては、東日本大震災の発生に依り、自然の一部に生きる人とは、何時命を失うか解らない儚い存在であると思い至り、ならば人が作った常識にどこまでも従う必要は無く、己が直感的に正しいと思った行動を採る、と決めて実行した事で、一つはここで行う様になった。他はBloggerを筆頭に幾つかあるが、ほぼ休眠状態である。そして、BlogなりSNSが何故存在するのかを知る為に、それらを使う内に、それらが、人の持つ本質的欲求である知識欲と表裏一体では無いかと私が思って居る、発話、より広くは表現の欲求を満たす場ではないかと思う様になった。実際、表現の欲求と言うものが既に主張されて居たり、広く人々に依って認識されているかどうかは知らないのだが、知って居る事を伝えたい、新たに知った言葉を言ってみたい、何かよく解らない自分の思いを体の動きで表現したい、等々様々な表現の欲求は、あると思う。そして、私がそのブログなり、SNSなりを使って居る内に、もう一つ気付いたのは、実際は無視されている場合が殆どであろうが、発信する私の側が存在するかどうかが解って居ない他人の視線や判断を意識して、より正しい言葉や表現を、発信する時に確認したり調べたりし、その結果、習得した後に年月と共に忘れ去られて行く一方だった諸知識を再生したり、更新して行く事になったと言う事だ。簡単だったり、初歩的であったりしても、それが10年以上に渡って行われると、或る程度威力を発揮するのかもしれない。 

 

語学学習について  

 否、賽の河原に石を積むが如くに、ロシア語の初等文法を一通り学んだ積りになって、露文解釈を行おうと始めたЛ.Н.Толстой, «Круг Чтения»の日本語訳にしても、そこで行う翻訳があまりに酷いので、それ以前に学び始めて課題の多さに投げ出してしまったものの再び学び始めて最近学ぶのを終えたDuolingoでの学習にしても、或る程度長く続けた、また、今も続けて居るが故に、隙があると襲って来るが如くに私の心に入って来る邪悪な思念を退け続け、結果的に入れない様に出来たかもしれない。これがあったが故に、何かを行うよりも、怒りや嘆き、絶望、苦痛が何度も私を襲い、これと言って何も出来ない年月が続いたのだった。これまでも、何度か語学学習を行う事で調子を取り戻す事があったが、33年前の破滅から立ち直ろうとして最初に行った時は、新聞の抜き書きに依る日本語の学習、高校の時に既に行って居て学ぶ必要を感じて居なかったNHKの英語学習、親による刷り込みで根拠なく忌避して居たフランス語の学習だった。特にフランスに関しては、三国同盟の影響なのか、ドイツ贔屓、フランス批判の色が強く、映画が駄目だの、何だのと口を開くと言って来るので、犬が怖いと言う刷り込みと同様、私にとって乗り越えねばならない課題であった。しかし、それらが真に効果を発揮したとは言えず、やはり今回のロシア語の学習が相当に根本的な効果を発揮していると思えて来た。何より、邪念の存在を意識しない。33年前の破滅の劣化コピーの様な事が何度か起きても、‘まあ人とはそう言うものだから’、で済んでしまう。何より、判断し、発言し、行動した結果はそれを行った本人に来るので、私が関与すべき点は一つもない。確か仏が言って居たと思うのだが、人は行いに依って貴くなり、行いに依って卑しくなる。 

 

Vivaldi Snapshotについて  

 現在使用中なのは、Vivaldi Snapshot 5.8.2955.3だが、私の使い方で認識した問題点を以下に記す。 

 

1. スタートページに排列したSpeed Dialのタイルから右クリックに依ってウェブページにアクセス出来ない。  

 

 これは、動画サイトの動画をポップアップさせたり、させなかったりすると、右クリックに依ってウェブページにアクセスさせる事が出来る。しかし、その規則性は正直解らない。つまり、直すべき点であろうと認識している。 

 

2. アドレスバーにあるブックマークボタンを使ってウェブページをブックマーク出来ない。  

 

 これは、スタートページでウェブページを一旦登録して、それから自分の望むフォルダーにそのブックマークをサイドパネルのブックマークの所で移動させれば良い。ただ、アドレスバーにあるブックマークボタンが機能して居ないので、それが本来使えるボタンだと言うなら、直すべき点であろう。 

 

3. サイドパネルを開閉するボタンが、ステータスバーの左端から、アドレスバーの左端に移動した。  

 

 これは、単に使う側が慣れれば良い問題である。ただ、何年か左下端にあったものが左上端に移動すると、一旦カーソルを左下端に動かしてから、ああそうだったと左上端に動かし直すと言う事が生じる。慣れるしかない。 

 

結  

 Web参加当初は、まだかろうじて、“おつありです”等と言って居る人が居たのだが、それから数年経った頃に目にする様になった、”激おこ”と言う言葉と同様、すっかり見なくなった。今後も廃れて行くものがあるだろうし、新たに生じるものもあるだろうが、続いている時間の長さ、信じて行って居る人の多さと言ったものに惑わされる事なく、正しいものを信じ、邪悪なものを退けて行こう。

 

 

 

 

 

 

 深夜に何か物音がし始めたと思ったら、音が大きく頻繁に鳴る様になり、窓を開けて確認して、雨だと解った。それが延々と降り続け、結局、夜が明ける前2時間ほど前に止んだ。 

 

 子供の頃の粗雑で好い加減な判断力では、そう言った出来事に対して注意が向かなかったのだろうか、それとも単に年月を経る内に忘れ去ってしまったのだろうか、或いは実際に深夜に雨が降って居ても眠っていて気付けなかったか、抑々深夜に大雨など降らなかったのか、最近、そう言う感じで折に付して過去の自分自身の好い加減さ、粗雑さを思う様になった。  

 

 しかし、子供の頃と言わず、20年位前の自分が録ったノートを数年前に見直した時も、よくもこんな無意味なノートを録ったなと、保存して後に確認し後追いするべくして録ったノートであるにも拘らず、残した事を後悔した。記録すべき要点が外れて居たり、もっと必要な事を書き残して居なかったり、全体の構成も含めて話にならない。  

 

 そこで考えてみて、PCとWebでの経験が私を変えたのかもしれないと思った。Web参加当初、ブログを行い始めた時は、それまで紙の上で日記を書いて居たので苦も無く文章を書けると高を括って居たのだが、実際は句読点の打ち方や段落の取り方が全くなって居なかったので、PCのモニターが眩しいからか、それとも手書きではなくなったので感覚に狂いが生じて文章が書けなくなったのかと推測して居たのだが、Web参加以前は紙の上で一人で書いて居ただけなので、自分だけに解れば良いと言う思いが心のどこかにあったのが本当の理由ではないかと思う様になったのだった。  

 

 故に、PCとWebの経験を経て漸く、紙の上だけで文章を作製して居た時代の自分が如何に好い加減で粗雑であるかに気付ける様になったのではないかと思って居る。  

 

 また、それとは別に、今の自分や他人、その他の物事に期待ばかりするのではなく、只々目の前の問題を解決したり、只管努力する方が良い様にも思う。自覚は無いのだが、Web参加当初から数年間の私と今の私と比べても、かなり違って居るかもしれない。単純な技量で言うなら、その頃はWindowsのキーボードでのキリル文字の排列を知らなかったが、今はほぼ大体を体が覚えている。  

 

 社会にはCOVID-19の流行やら、幾つかの問題があるが、私は自分に身近なものから一つ一つ解決して行こう。

 

 

 

 

 

 

 最近、色々と調べてものをして居る時に、過去に日本の外務省が今で言う中国東北部に作った、ハルピン学院と言う学校が存在して居た事を知った。しかし、日本が第二次大戦に負けた1945年に廃校となり、その後身となる学校は、今の所私が調べた限りでは存在して居ないらしい。    

 

 ところが、今こうして記事を書く為に、背景を少しでも知ろうと調べて居たら、その学校で教えて居らっしゃった染谷先生と、ポッタヴィーナ先生が上智大学ロシア語学科の教授となられて居た事が、上智大学外国語学部ロシア語学科のWebサイトにある教員のBLOGの記事、“哈爾濱学院記念祭に行ってきました。”{リンクフリーであるページかどうか解らないので、リンクは張らないでおく。}で判明し、哈爾濱学院の血脈が敗戦と共に完全に断たれて居た訳ではなかった事を知った。  

 

 時系列で並べると、 

 

1904~1905  日露戦争 

1906     日露協会、設立(東京市麹町区) 

1920     日露協会学校、設立(ハルピン市) 

1932      日露協会学校、ハルピン学院と改称 

1940      同学院、満州国立大学ハルピン学院と改称 

1945      第二次大戦敗戦に依って、同学院解散 

 

となる。  

 

 何分にも予算が無いので相当に自由が利かないが、ハルピン学院に関する資料は或る程度ある様だ。また、ロシア語を学校で学んで居るなら、知って居る筈の学校の名前なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 Л.Н.Толстой, «Круг Чтения»の2月分と3月分のロシア語原文を紙の上に書き写す作業が或る程度進んだので、そろそろ日本語訳をしようと思い立ち、今朝、漸く1つだけブログに公開出来た。  

 

 今後は、ロシア語原文の2月分の残り全てと、3月分の残り、更には4月以降も可能な限り先の分を紙の上に書き写しつつ、今出来る限り正確と思える日本語訳を行って、ブログで公開していきたい。  

 

 また、ロシア語原文を紙の上に書き写して居て思ったのだが、以前よりも書くのが速くなった気がする。もしかしたら、Duolingoで散々タイピングをしたからかもしれない。  

 

 思い付いたので、記録の為に書いておく。 

 

 

朝に 

 

鳴く

 

烏 一羽