深夜に何か物音がし始めたと思ったら、音が大きく頻繁に鳴る様になり、窓を開けて確認して、雨だと解った。それが延々と降り続け、結局、夜が明ける前2時間ほど前に止んだ。 

 

 子供の頃の粗雑で好い加減な判断力では、そう言った出来事に対して注意が向かなかったのだろうか、それとも単に年月を経る内に忘れ去ってしまったのだろうか、或いは実際に深夜に雨が降って居ても眠っていて気付けなかったか、抑々深夜に大雨など降らなかったのか、最近、そう言う感じで折に付して過去の自分自身の好い加減さ、粗雑さを思う様になった。  

 

 しかし、子供の頃と言わず、20年位前の自分が録ったノートを数年前に見直した時も、よくもこんな無意味なノートを録ったなと、保存して後に確認し後追いするべくして録ったノートであるにも拘らず、残した事を後悔した。記録すべき要点が外れて居たり、もっと必要な事を書き残して居なかったり、全体の構成も含めて話にならない。  

 

 そこで考えてみて、PCとWebでの経験が私を変えたのかもしれないと思った。Web参加当初、ブログを行い始めた時は、それまで紙の上で日記を書いて居たので苦も無く文章を書けると高を括って居たのだが、実際は句読点の打ち方や段落の取り方が全くなって居なかったので、PCのモニターが眩しいからか、それとも手書きではなくなったので感覚に狂いが生じて文章が書けなくなったのかと推測して居たのだが、Web参加以前は紙の上で一人で書いて居ただけなので、自分だけに解れば良いと言う思いが心のどこかにあったのが本当の理由ではないかと思う様になったのだった。  

 

 故に、PCとWebの経験を経て漸く、紙の上だけで文章を作製して居た時代の自分が如何に好い加減で粗雑であるかに気付ける様になったのではないかと思って居る。  

 

 また、それとは別に、今の自分や他人、その他の物事に期待ばかりするのではなく、只々目の前の問題を解決したり、只管努力する方が良い様にも思う。自覚は無いのだが、Web参加当初から数年間の私と今の私と比べても、かなり違って居るかもしれない。単純な技量で言うなら、その頃はWindowsのキーボードでのキリル文字の排列を知らなかったが、今はほぼ大体を体が覚えている。  

 

 社会にはCOVID-19の流行やら、幾つかの問題があるが、私は自分に身近なものから一つ一つ解決して行こう。