“泥”と言う言葉から、それがコロイドだったかどうかが気になり、このところどれほどの精度があるかと思い時に試しているBing Chatで幾つか質問してみた所、泥はコロイドであると言う回答を得た。そして、それだけでは答えの正しさまでは解らないので、Googleで調べてみた。結果、泥は懸濁液であると言う答えを得た。  

 

 しかし、何気ない疑問から、それこそ泥沼に嵌ってしまうのが、Web利用の特徴なのか、それとも私の性格に依るのか解らないが、この“泥”を契機に、エマルジョンとか、それ以外の、もう10年以上接触して居ない化学の知識に触れる契機になったのだから有難い。そして、私は今回の泥についての簡単な調査から、一般化学の基本的な書物を読むべきだと言う結論を得た。ロシア語の学習に入った時もそうだったが、物事の始まりは全く軽く何気ないものなのかもしれない。且つ、偶然であると言う事の様だ。翻って、物事を行わなくなる、分岐点でどちらかを選ぶ、選ばないも、何でもない事が理由なのかもしれない。情報がほぼ無いか無である、また、己に判断出来るだけの能力が無ければ、そうなるのだろう。  

 

 否、それだと、単に運に左右される人であり、他人や社会に左右されるだけの人間と変わらない。やはり私はそうではない道、信仰に依って奇跡を起こす事を目指す。即ち、虚心坦懐になった上で自らの心に問い、それに従うと言う事だ。外見的には運任せや他人任せに見える事が在ったり、我を張っているだけに見える事が在ったりするだろうが、実際はそれらの内のどれでもなく、神に従って生きると言う事だ。  

 

 ところで、分散系の分類では、相に依るものと、粒子サイズに依るものがあるのを知った。Googleで英語で訊いた時には、質問があまりに簡単で回答も単純なものが出て来てしまったのだが、コロイドと懸濁液は、実際はこう言った分類法の違いで出て来る、異なった概念であるらしい。  

 

 そして、Bing Chatはまだまだ正解を出させるのに質問する人間の側がかなり歩み寄らねばならない状態であり、Google検索もやはりそれなりに上手くクエリを立て、使用する言語も一つではなく出来るだけ多くを或る程度以上使えるようになっている必要があると言う事の様だ。