最近、色々と調べてものをして居る時に、過去に日本の外務省が今で言う中国東北部に作った、ハルピン学院と言う学校が存在して居た事を知った。しかし、日本が第二次大戦に負けた1945年に廃校となり、その後身となる学校は、今の所私が調べた限りでは存在して居ないらしい。
ところが、今こうして記事を書く為に、背景を少しでも知ろうと調べて居たら、その学校で教えて居らっしゃった染谷先生と、ポッタヴィーナ先生が上智大学ロシア語学科の教授となられて居た事が、上智大学外国語学部ロシア語学科のWebサイトにある教員のBLOGの記事、“哈爾濱学院記念祭に行ってきました。”{リンクフリーであるページかどうか解らないので、リンクは張らないでおく。}で判明し、哈爾濱学院の血脈が敗戦と共に完全に断たれて居た訳ではなかった事を知った。
時系列で並べると、
1904~1905 日露戦争
1906 日露協会、設立(東京市麹町区)
1920 日露協会学校、設立(ハルピン市)
1932 日露協会学校、ハルピン学院と改称
1940 同学院、満州国立大学ハルピン学院と改称
1945 第二次大戦敗戦に依って、同学院解散
となる。
何分にも予算が無いので相当に自由が利かないが、ハルピン学院に関する資料は或る程度ある様だ。また、ロシア語を学校で学んで居るなら、知って居る筈の学校の名前なのかもしれない。