春分  

 寝落ちしてしまったと言う事もあるが、漫然と時間を過ごす内に、日付が変わって、春分の日となった。二十四節気の春分である。春が来たのだ。   

 

Webの利用について  

 気が付いたので書いておくが、インターネットを使う前に、NHKのテレビでインターネットについて解説した番組を視聴して居て、早晩インターネットは衰退していくと予想していた私は、その番組内で、新聞も見ずにGoogleを大変によく使って居る人物の話を聞き、ならばいずれ私がインターネットに参加出来る様になったら、Googleを利用し、更には、行う内にどこの誰であるかが閲覧した人の誰にでも解ってしまうBlogを何故行うかを知る為に、それが無駄であると思って居た私が実際に行ってみようと思ったのだった。そして、インターネットに参加して10年以上が過ぎた結果、それが衰退どころか、これまで人類が見つけたり作ったりして来た情報媒体の究極形、媒体そのものであり、それ故、必然的に隆盛し続けると考えを改めるに至った。また、ブログに関しては、東日本大震災の発生に依り、自然の一部に生きる人とは、何時命を失うか解らない儚い存在であると思い至り、ならば人が作った常識にどこまでも従う必要は無く、己が直感的に正しいと思った行動を採る、と決めて実行した事で、一つはここで行う様になった。他はBloggerを筆頭に幾つかあるが、ほぼ休眠状態である。そして、BlogなりSNSが何故存在するのかを知る為に、それらを使う内に、それらが、人の持つ本質的欲求である知識欲と表裏一体では無いかと私が思って居る、発話、より広くは表現の欲求を満たす場ではないかと思う様になった。実際、表現の欲求と言うものが既に主張されて居たり、広く人々に依って認識されているかどうかは知らないのだが、知って居る事を伝えたい、新たに知った言葉を言ってみたい、何かよく解らない自分の思いを体の動きで表現したい、等々様々な表現の欲求は、あると思う。そして、私がそのブログなり、SNSなりを使って居る内に、もう一つ気付いたのは、実際は無視されている場合が殆どであろうが、発信する私の側が存在するかどうかが解って居ない他人の視線や判断を意識して、より正しい言葉や表現を、発信する時に確認したり調べたりし、その結果、習得した後に年月と共に忘れ去られて行く一方だった諸知識を再生したり、更新して行く事になったと言う事だ。簡単だったり、初歩的であったりしても、それが10年以上に渡って行われると、或る程度威力を発揮するのかもしれない。 

 

語学学習について  

 否、賽の河原に石を積むが如くに、ロシア語の初等文法を一通り学んだ積りになって、露文解釈を行おうと始めたЛ.Н.Толстой, «Круг Чтения»の日本語訳にしても、そこで行う翻訳があまりに酷いので、それ以前に学び始めて課題の多さに投げ出してしまったものの再び学び始めて最近学ぶのを終えたDuolingoでの学習にしても、或る程度長く続けた、また、今も続けて居るが故に、隙があると襲って来るが如くに私の心に入って来る邪悪な思念を退け続け、結果的に入れない様に出来たかもしれない。これがあったが故に、何かを行うよりも、怒りや嘆き、絶望、苦痛が何度も私を襲い、これと言って何も出来ない年月が続いたのだった。これまでも、何度か語学学習を行う事で調子を取り戻す事があったが、33年前の破滅から立ち直ろうとして最初に行った時は、新聞の抜き書きに依る日本語の学習、高校の時に既に行って居て学ぶ必要を感じて居なかったNHKの英語学習、親による刷り込みで根拠なく忌避して居たフランス語の学習だった。特にフランスに関しては、三国同盟の影響なのか、ドイツ贔屓、フランス批判の色が強く、映画が駄目だの、何だのと口を開くと言って来るので、犬が怖いと言う刷り込みと同様、私にとって乗り越えねばならない課題であった。しかし、それらが真に効果を発揮したとは言えず、やはり今回のロシア語の学習が相当に根本的な効果を発揮していると思えて来た。何より、邪念の存在を意識しない。33年前の破滅の劣化コピーの様な事が何度か起きても、‘まあ人とはそう言うものだから’、で済んでしまう。何より、判断し、発言し、行動した結果はそれを行った本人に来るので、私が関与すべき点は一つもない。確か仏が言って居たと思うのだが、人は行いに依って貴くなり、行いに依って卑しくなる。 

 

Vivaldi Snapshotについて  

 現在使用中なのは、Vivaldi Snapshot 5.8.2955.3だが、私の使い方で認識した問題点を以下に記す。 

 

1. スタートページに排列したSpeed Dialのタイルから右クリックに依ってウェブページにアクセス出来ない。  

 

 これは、動画サイトの動画をポップアップさせたり、させなかったりすると、右クリックに依ってウェブページにアクセスさせる事が出来る。しかし、その規則性は正直解らない。つまり、直すべき点であろうと認識している。 

 

2. アドレスバーにあるブックマークボタンを使ってウェブページをブックマーク出来ない。  

 

 これは、スタートページでウェブページを一旦登録して、それから自分の望むフォルダーにそのブックマークをサイドパネルのブックマークの所で移動させれば良い。ただ、アドレスバーにあるブックマークボタンが機能して居ないので、それが本来使えるボタンだと言うなら、直すべき点であろう。 

 

3. サイドパネルを開閉するボタンが、ステータスバーの左端から、アドレスバーの左端に移動した。  

 

 これは、単に使う側が慣れれば良い問題である。ただ、何年か左下端にあったものが左上端に移動すると、一旦カーソルを左下端に動かしてから、ああそうだったと左上端に動かし直すと言う事が生じる。慣れるしかない。 

 

結  

 Web参加当初は、まだかろうじて、“おつありです”等と言って居る人が居たのだが、それから数年経った頃に目にする様になった、”激おこ”と言う言葉と同様、すっかり見なくなった。今後も廃れて行くものがあるだろうし、新たに生じるものもあるだろうが、続いている時間の長さ、信じて行って居る人の多さと言ったものに惑わされる事なく、正しいものを信じ、邪悪なものを退けて行こう。