目覚めてから、新奇性を求めているのか、或いは他者への依存心からか、instagramで新たにフォローすべきアカウントの有無をExploreで調べる。暗算で出来る程度の、要するに高校の教科書で習い始めた頃の程度の積分を目にしたので、何か特記すべき事があるのかと思い、計算する。すると、代数関数の積分すら出来なくなっている自分に気付き、係数がどうなるんだっけと、頭の中であれこれ計算して、漸く辻褄の合う答えを出し、解答がその投稿にあるかと思って確認したら、アカウント運営者は解答を出して居ないものの、コメントに出ていたものが私の答えと同じだったので、そう言うものかと思って、そのアカウントはフォローせずに済ました。
しかし、投稿が発信順に時系列で表示されないSNSでは、如何にフォローするアカウントを増やしたところで、利用者が見る投稿は運営側の決めたものを決めた通りにしか見る事が叶わず、何年も前にフォローした検索の投稿を今も目にして居ないと言う事は普通にある。
陰鬱な気分を引き摺りながら、私が知る限り、今の所時系列で投稿を表示する唯一のSNSであるTwitterを見る。すると、そこにもinstagramで見た様な事をしているアカウントがあるのを目にする。今度は初等幾何だ。解かずに大体の雰囲気を考える。しばらく眺めて、自分が決めつけをして居た事に気付き、正しい方針を発見したので、それで善しとして、そのアカウントをフォローする。
無数のものが生じては消えるのを見て、自分は自分と割り切って、自分の事だけに専念して生きるのが良いのか、抑々そう言うものを見ない様にして行くべきなのか、或いは、そこに秩序があると見做して探求すべきなのか、よく解らない。屹度、善悪ではなく、気が付いたらやって居る事が自分にとって正しい事なのだろう。Web参加以来、私の眼から見てあまりに酷い状況が展開して居て、このままでは真に破滅すると思ったので、警告を発し続けて来たが、私がその状況に慣れたのか、実際にそうなのかは解らないが、危機的な状況は免れ、危険な状態に緩和している様に思える。或いは、混沌が単に一時的に様相を変えて、そう見える様になって居るだけなのかもしれない。
ただ、私自身の力量が微々たるものである事を思い、やはりこちらの方を何とかしないといけないという思いがある。恰も粘性の高い流体が流れて行く様に、非常に緩慢と物事を進めて行ってる気がするが、何も進められないよりも良いと自分に言い聞かせて、今後も努めて行くしかない。
しかし、齢を重ねても成長出来ないのか、目が覚めて聞き始めた音楽が、80年代のイギリスの、分類は私は解らないのだが、ポップロックか何かのバンドの曲と言う、単にその頃よく耳にしただけのものと言うのも、それは確かに“A面ばっかりだ!”とお叱りの言葉を受ける筈だと思うのだった。そして、全く元気が出ないので、Deep Purpleの“Burn”に変える。やっぱり何も変わらない。炎に意思があるとは思えないが、あるとすれば案外明鏡止水の境地かもしれない。只々、その様な存在であるから、素直にその義務を果たしているだけなのだろう。
今日は天気が好い。