Movie/ 「コーダあいのうた」
Movie/ 「コーダあいのうた」
■作品メモ
Starring:エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー
Directed by: シアン・ヘダー
https://gaga.ne.jp/coda/
■曲
「Both Sides Now」
「Beyond The Shore」
■感想
マサチューセッツ州、グロスター。4人家族の中で唯一耳が聞こえる高校生のルビーは、家族のために通訳となり、家業の漁業を手伝う日々。それが合唱クラブに入部し、顧問が音楽の才能に気づき、支援。とはいえ、ビジネスが苦境を迎え、そのため家族から反対され・・・というストーリー。
ろうあ(聾唖)者の家族に生まれ、学業をしながら、仕事では中心的役割を果たす高校生の少女。相当の心理的、物理的にも重荷なのにもかかわらず、ごく自然なことのように、引き受けている姿に心が打たれる。その理由が、愛にあふれた家族がゆえなのか、好きな歌なのか、何なのか。その姿には健常者としての責任感や覚悟といったものすら感じさせる。17歳の俺はできただろうか。
歌うことが好きなのだが、憧れの男子がきっかけで合唱部に入り、その才能を認める先生との出会いが運命を変えていく。歌うことへの怖さに当初は怖気ずくも、少し個性的な先生ではあるが、優しく向き合ってくれる。
家族、先生、恋人、仕事仲間、友達・・・
泣いてしまったし、皆もそうだろう。それぞれに、様々なところに、ぐっとくるポイントがある。
ヒューマニズムにあふれた愛の物語。
才能を認める先生・・・見捨てず何度も衝突があっても寄り添う。
軽口をたたきあったりプライドを見せようと振る舞う兄・・・妹を守ろうとする。
一生懸命いきる少女・・・家族を支えないといけない問う現実と未来に苦悩する。
逃げ出したくなる現実の重さに、普通の人だったらなえてしまうだろう。けなげな少女は、周りからの偏見に負けない気丈さを見せつつも、憧れの男子に裏切られ、友人にバカにされ、ファミリー・ビジネスも官僚や政府の横やりで危機を迎えたりもするが、なんとか前を向いていく。
そして、家族を支えるか、自分の夢に進むかの葛藤は見ているこちらも心痛む。自分自身や家族含めて皆が納得できることってなかなかないだろうし、彼女の立場を考えると考えるだけでも辛くなる。そんな決断には怖気ずいてしまう。
人生にこれほどまでに決断を求められることもなく、流されるまま生きてきた身としては、意思決定の場面(それも一生後悔する決断をしてしまった場面)は2度あったが、葛藤するということはこれまで経験したことがない。いや、小さいくらいの葛藤はあったかもしれない。とはいえ、自分の中での選択にしか過ぎないので葛藤と言えるのかどうか。
あのときあの人と出会えなければ・・・少しのきっかけで人生は好転もするし、行政官がチェックをしにきたように、もろくも崩れかけてしまうこともあるだろう。ジュリアードの音楽試験で家族が応援しなかったら・・・、先生と出会わなかったら・・・、
ちょっとした1つのズレが運命を狂わしかねないし、ちょっとの出会いの差、ちょっとの心の隙・・・そんな紙一重の上でいきているのだろう。そんなことを思ってしまった。
特に、印象深いのは、ルビーが歌っている時、数秒の間、無声になる。聞こえない世界で生きているろうあ者の現実を少しの間、体感できる。その瞬間、自分たちの恵まれた立場に気づける。とってもいい演出だった。ろうあ者が役を演じるリアリティ含め、しょうがいとは何か。ともに生きることの意味を問いかける映画であった。日本にも2万人。
なんといっても、素晴らしい楽曲の数々。演技とハーモニーを奏で、詩情にあふれた名曲が銀幕を締める。
「Both Sides Now」
Bows and flows of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I’ve looked at clouds that way
<翻訳>
天使の髪、アイスクリームのお城、渓谷・・・雲を見てきた
雲を見ていた、2つの側から。
現実のなかに苦しむ少女が2つの世界、ろうあと健常者の2つの世界で生きてきた。
そんな人生を詩的な表現でなんともロマンティックに綴る。
It’s life’s illusions I recall
I really don’t know life at all
<翻訳>
人生の幻影を見ていただけだと。
人生の事なんてまったくわからない。
ほんとそう。先生は言う「17年間しか生きていないだろう」と。そして、人生には何があるかわからないわけだ。娘を愛する父、子供の才能を信じ真剣に向き合う先生、こうありたいな~という思いを抱いたまま、映画が終幕した。
社会を変える?って
そもそも社会の問題解決は、政治によって変えられる部分、たとえば、救われる人がいるなどもあるが、その歩みはなかなか難しい。
だいたい、政治的な決定は他人に価値観を押し付けるリスクもある。
だから、政治で社会を変えるという人には違和感を正直感じる。
(渋々)付き合っているが、俺らは政治家を容赦なくチェックするから覚悟しておいてほしいが、
どれだけの人がわかっているのだろうか。
政治で社会を変えるとかいう人への違和感をこの年になると特に感じる。
そもそも社会を変える=自分の理想とする価値観や考えを他人に押し付けてないか?という問題意識がないからだ。
本日、有望な若者が参議院議員選挙に出馬を表明したが、失望しか感じえなかった。悪いけど。
社会を変えるのは、法治社会であれば、政治よりも裁判所である。
法律の運用と解釈がこの民主主義社会を支えるから。
社会を変えたいのなら、法律家になって裁判で戦ってほしいものだったけどね。色々裁判を起こせばかわる確率が高まる。お友達だと捕まらない、法の下の平等がどっかにいってしまったのは、法治主義を我々が重視しなかったツケだろう。
JIPIIは社会システムの改革と個人の心理や行動誘発に焦点をあてる現実的なアプローチをとる。
言論とカウンセリングかなと。
【利他主義も大事だがほどほどにして自分の道へ】
【利他主義も大事だがほどほどにして自分の道へ】
ボランティアはやはりいつでも難しい。性格上サービス精神の塊なので、相手が求めている以上にやってしまう。それが自分にとって大事な人ならなおさらだ。
相手の事情を考えてあげないで、偉そうに振る舞って迷惑をかけることもある。感情のコントロールと距離感の測り方はとても難しい。中・長期的なアドバイスが本当にその人のためだと思っても我慢せねばならない。
求められないのなら、第一に自分のことをしよう。
俺は時にわがままだけど、相当の利他主義者だとは自覚している。相当散財しているし、騙されているし、浄財している(笑)
そもそも人に良くすると「なぜ、こんなによくしてくれるの?」と疑われ、人がいいから、悪い人には利用される(笑)
でも~それは楽しいからなのだ。
受験と就職に失敗しなかったら、人間交差点としてドラマの脚本を書いていたはずだからね(^^)/
親友に「才能が渋滞している」と言われ、ふと夜空に思ってしまった。
いつまで自分は他人のためばかりに生きているのか、と。
自分の目標はどこいった?と改めて思う。他人の支援が好きでそこにとてつもない充実感を感じる。
しかし、やることを見失ってないか?何のために生きているのか?目標を忘れてないか?と。
目標への道から逃げているんじゃないか、とすら思える。
たしかに、ボランティアをするようになって自分の人生はレールを踏み外した感はある(笑)
現代の行基はほかにいる。つうか親友の中にいる。
まずはKPIウオッチでこの20年の計画を世に問おう。
https://a-port.asahi.com/projects/kpiwatch/
今問題になっている統計、政府の数字、その意味を社会に問う、俺でしかできない活動をやらないといけないと思っています。
助けてくれる人、共感してくれる人を探しています。
【omnimediaと俺の言論活動に思うこと】
多くの人は、自分の知識と経験とイメージでものを語る。ある事実認識のフレームを持っていて、基本的に、自分のことを正しいと思いたがる。意識的かつ無意識的に。
omnimediaと俺はそこから離れないといけないし、そこから適切な距離をとらないといけない。常に自分たち自身や感情すらも疑う客観性を持たなければ、結局ポジショントークのメディアに陥る。そして、足をすくわれる。感情や利害に陥らないことこそ、omnimediaと俺の正統性なのだ。
だいたい「○○はこうだ」という人は多い。俺もさんざん言われてきたし、「〇〇系は違う」とか〇〇系のことを経験してもない、ちょっと聞きかじっただけの、所属すらしない外野から言われることほど腹立たしいことはない。お前、何を知っているのか??勝手に共通要素を見つけ出して括り付けて、理解したつもりで安心しやがって・・・・と思うが、そんなことは言ってあげない。知的なトレーニングや努力をしてこなかった人に対して指摘しても意味がない。
最近、その業界を経験すらしないのに外野からよういうわ、と思えることが最近あった。
しかし、皆さん(俺も含む)は深くまで理解したがらない生き物。深く理解するのはエネルギーを使うし、疲れる。俺も多少はそういうところがあるので、その人たちを悪くも言えない。つまり、度合・程度問題。
西村もサッカーは詳しいが、テニスはわからない。ラグビーの世界をどうこういえない。昨年、某フジテレビから、「ボクシング連盟について話をしてください」とオファーがあったが、分かるわけない(笑)。
ある人から失礼な発言を投げかけられ、呆れて物がいえない状態でもあったが、翻って自分もそう発言していることも多いのだろうと反省した。「〇ってだいたいこうだよね」という知ったかぶり。どこまで知った上で発言しているのだろうか。
で話を戻して、だからこそ、深さ、構造化がomnimediaの存在意義だと思うのだ、「・・・といった特徴があるかもしれないね」、よく知らないことについては発言しないというのがあるべき発言だろう。発言には責任が伴う。
多くの人が理解できるのは、前提知識や認知能力の差があるから、なかなか難しい。理解に差があるし、皆自分が思うように解釈する。
でも「自分の見方は本当にこれでいいのか?」と疑問をもって過ごす謙虚な人を応援するomnnimediaでありたい。
少しばかりの知識や経験、見聞きした範囲での情報やメディアイメージが人々の認識を左右する。俺も多少そういう傾向はあるが、政治・行政・経済・ビジネス・スポーツ・文化・教育などの社会の多様な分野を20歳から体験・勉強してきた。そして、左翼~右翼、各宗教、旧体制~ベンチャー、海外・日本、NGO・NPO・団体・・・そして各社会階層との多様な付き合いや多様な立場を持つ利点をいかさねばならない。ダイバーシティで俺らに勝てる団体はないはずだ。
ちょっとあるメディアで自分の提案が通らなかったが、それはそれ、いつか同志と出会えるはずだろうし、毎日の努力を続けよう。
https://blogs.yahoo.co.jp/abcd5963ne2/33789482.html
日本公共利益研究所(JIPII)の今年度目標について
日本公共利益研究所の今年度目標を共有します。
今まではあまり自分たちのことをオープンにしませんでしたが、オープンイノベーションをすすめる主体として、
皆さんの協力をいただきたいこともあるので、ここに宣言いたします。
◇使命
社会の医者となる
◇理念
日本国憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。(以下略)
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
の体現者たる
◇目標
【組織としての年度目標】
①KPIウオッチ:資金調達成功と活動開始(事業規模400万円)
*A-portクラウドファンディング、SVP東京 2018年 第14回 投資・協働先応募
②苦情ナレッジマネジメント:総務省IoTサービス創出支援事業 応募申請成功と事業成果創出(事業規模4000万円)
③介護関連事業:売上200万円
④執筆活動(omnimedia含):年1000万PV
【代表個人の今年度目標】
新年度の挨拶。西村は社会の医者として、社会の問題構造の見える化と公共性の模索、政治の責任を考えていきます。
上記組織としての目標達成が目標です。
また、個人的には、自分ができなかったこと、失敗してきたことに再チャレンジする年度としたいです。
これまでの挫折を乗り越える挑戦を始めます。
□サッカー(高校時代の挫折)⇒脳科学を活用し、プレーのクオリティを上げる
□ジャーナリズム(大学時代の挫折)⇒民主主義の理念を執筆にて提言する
□英語(大学院時代の挫折)⇒ケンブリッジ・アナリティカ調査
□システムインテグレーション(accenture時代の挫折)⇒pythonと人工知能のマスター・事業への応用
□コピーライティング(表現者での挫折)⇒仕事で力を発揮、価値を認められる
ライバル本田圭佑のように言葉を発し自分にプレッシャーをかけていくことにします。
311あれから7年~GLAY「君にあえたら」を聞きながら
1.311で死んでた可能性も
2011年3月11日、あの日、あの時間。俺は大船渡市にいたはずだった。
大船渡市役所で行われる研修を何か無意識的に思うところがあり、3月4日に日程を前倒したため、難を逃れた。
あの決断をしなければ多分あの時間、仙台行きのバスに乗っていて津波にさらわれ、今ここにはいなかっただろう。
3月3日(木)の夜、大船渡市街で深夜に出歩き、なぜかわらないが、何か心がざわついていた。
泊駅からずいぶんと歩いた。そして、もうこの風景を見ることはなさそうだなということを感じたことを覚えている。
そして、3月11日、俺は岐阜にいた。
恵那市役所に営業に行く途中、3時に間に合わなくなると焦り、恵那駅前のタクシー乗り場に走ったため、
揺れは体感していない。テレビの光景を大変そうだな・・・くらいのまま、打ち合わせ修了後、名古屋のホテルに帰る。
2.現実と自分の関心からの逃避
その後東京に戻っても、訳もなく自転車で疾走したりしていた。
そのころ、彼女と別れていて、最大の親友である幼馴染に心を奪われかけていたため、
自分自身の震災の不安を埋めたかったのか、女の子たちの心の不安を鎮めたかったのかわからなかったけど、
携帯メールばかりしていた。
従弟の選挙をサポートしてくれた枝野さんの記者会見を全く見なかった。興味もなかった。
あの時ほど政治と離れたのは今までなかったことだ。
福島やお世話になった大船渡市に真っ先に駆け付ける勇気も気概もなかった俺。
背を向けたとは言えないが、真剣に向き合おうとはしなかった。
高校2年、3年と同級生で席が隣だったRCFの藤沢烈くんの被災地での行動を横目で見ている自分。
高校時代と同じ風景。
利他主義者だと自負していた自分がボランティアにもいかない現実。
根っから優しい、無償の愛にあふれた慈愛の人間ではないことを悟った。
3.それは現場を見ても変わらない・・・
その後、チャンスがあり、ボランティアに行った。先輩の小田あきらさんに連れてってもらったおかげだ。
助けにいくというより、現場を見に行くという色が濃かった。失礼な言い方だが。
自分があの揺れを経験していなかっただろうか、気仙沼、石巻、女川での活動、なぜか自分事には感じられず、
なんとも言葉で表現できない気分であったことを覚えている。
被災者の立場を理解できても、いつもほど感情移入できなかった俺がそこにいた。
その後、アムネスティCSRチームでCSR報告書をチェックしたりして活動したつもりになり、
仕事で震災がらみの仕事をしたのだが、本当の意味で直視する、真剣に考えるのを避けた。
オウム事件や関西大震災など、あれほどニュースに飢えて行動する自分が嘘のように。
なぜなら、俺は色々な意味で東京電力の恵みのおかげで恵まれて育ってきたからだ。
勝手に作ったT電のお陰という呪縛から逃れられない自分。
でもジャーナリスト精神は心を揺さぶりはじめる。
間接的な責任は少しあるのか、ないのか、、、、、
ジャーナリストになって活動して何かする責任はあったはずだ、いや活動しても影響を与えらえれまいだろ、、。、、
そんなことを考えていて、答えのない問いと正しくない悩みの路地裏に迷い込み、自分を見失う。
ちなみに、この写真は伊達市役所前での写真。
写っているのは俺を育ててくれた恩人であり、元上司の星野芳昭さん。
市役所前のガイガーカウンター。
この時、伊達市内を車で動いていても、ガイガーカウンターが鳴り響いていた。
しかし、自分の中で、被災者になぜか寄り添えない自分がいた。
4.小出先輩の話、目が覚める
そうした中、開成の先輩、小出裕章さんに出会う。
被災して助かった同期の三森くん(福島県庁)、木口くんと一緒に。館山市での高校のOB会主催のイベントに思い切って参加。
お兄さんにもお世話になった三森さんが生きててくれた嬉しさは今でも忘れられない。
また、小出さんの話は以前ブログ記事にしたが、その内容への感動は忘れられない。
中高、はっきり言って居場所がなかったし、伝統の運動会にサッカーライフを奪われると、
学校をさぼってばかりだった高校生活。開成の生徒でほんと良かった、こんな先輩がいることに心から誇りに思った瞬間であった。
そんなことはどうでもよくて、
「本物」とはどういう人を言うのか、自分の信念に生きるということはどういうことか、
偉大な先輩を前にして思うところがあった。
人生において行動で体現している、
ちっぽけな見栄や肩書、そんなものよりも信念を突き通す、
そして包容力があって、優しい人に出会えた幸せ。
そして、同時に自分の至らなさも感じた。「本物」でなかったことも気づいた。
小出さんのような人生を生きる勇気は俺にはない。
使命感はあるけど、信念にすべてをゆだねて生きる覚悟もない、と。
5.そして今、一流ジャーナリストのそばで修行していて
それから何年かがたつ。
昨年から夢がかなって、ビデオニュースで仕事することになり、本物のジャーナリストから学んでいる。
原発について勉強する機会を得、番組作りにかかわった。
を招いた311企画。神保さんの企画力と情報力に圧倒される。
でも、神保さんのように現場に真っ先に行くジャーナリストにはなれないだろう。体力も気概もない。
多分俺は「責任とは何なのか」を探していくのだろうか・・・。
しかし、いまだ7万人の人たちが仮設住宅にいて生活している。
東京五輪は復興五輪ならば、その問題解決が先だろと思う。
「もし相手の立場になってみた場合、その扱いに納得するか?」と考えると、それは納得できないだろう。
たまたま災害にあった人々と切り捨てられようか。
6.2018年の311
今の日本政治。
たいして自分の思想信条もないくせに、ファッションだっただけで、ソーシャルセクターの味方ぶったお嬢さん、
頼ってきた変なおっさんを切り捨てる、ちょっと変な思想だけど、情熱はあった豊中のおっさんとおばさん。
佐川さんもかわいそうだ。彼は責任を一身に追うのだろう、すべてを心の奥底にしまっているように思える。
逮捕されるかもしれないが、それでもいいのだろうか。佐川さんの姿に哀愁を感じる。
多くの国民の侮蔑と不満を一手に引き受け、それに耐え、政治の不条理までも引き受けて、すでに国税庁を去った。
今後も財務官僚としての矜持も誇りも残したまま、静かに過ごすのだろうか。
その姿は亡くなった財務省近畿財務局職員への贖罪なのだろうか。
しかし、権力は責任をとらない。
そんな一連の行動を見ていると、政府は国民を幸せにすることはないと、今年の311、改めて感じてしまった。
国民を幸せにするつもりもないのだろう。所詮、権力に立つ人は建前では思っていても、本音でそう思っていても、
信じないことさ、最後にやっぱりエゴが勝つ、か。
PS
GLAY「君にあえたら」を犠牲者の方々と今も苦しむ被災者の方々、精神的に傷を負った皆さんに捧ぐ。
羽生ゆづ君という人間
羽生結弦選手。本当に凄い人だ。
スケートに人生をかける決意をした9歳の時。
「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続けて全国制覇。
東北高校では図抜けたレベルゆえ、国内レベルの同級生たち(それでもトップレベルだが)の嫉妬など意にも介さず自分を貫く。
高校生の時、東北大震災に被災。
スケートを続けることを疑念を抱くも、継続。
練習拠点が使えなくてもめげずに違う場所で努力を続ける。
友達がすくなくて「嫌い」だった高校生活も両立。
高校3年生のとき、オーサーコーチに学ぶためカナダにわたる。
早稲田大学のeスクール課程でも学びつつ、ソチ五輪の代表に・・・・・
(その後の活躍は省略)
恐ろしいまでの努力の積み重ね。どれだけ集中してきたことか。
そして、多くのことを犠牲にしてスケートにかけてきたことだろう。
やはりそういう人間の一言は重みが違う。
国民栄誉賞に値する若者の2つの言葉を紹介したい。
□「北朝鮮の選手もスケートの仲間」
みなさん、同じ仲間なんだよ。敵視することはないよねということ。
今だからこそ、胸にしまいたい言葉。
□「人生で、できる時と、できない時がある。できる時には精いっぱいやる。できない時にはそれなりのできることをやる。自分自身を貫けば後悔は絶対にしない。皆さんもそういう生き方をしてほしい」
私がコメントすることもないだろう。自分を貫けるか。そもそも自分を持てるのか。これだけ言えるくらいの人間になりたいものだ。
努力の先には自分への納得がある。