【omnimediaと俺の言論活動に思うこと】 | 批判・バッシング・炎上・苦情・誤解から守り、数値をファクトチェックする「オムニメディア」

【omnimediaと俺の言論活動に思うこと】

 

多くの人は、自分の知識と経験とイメージでものを語る。ある事実認識のフレームを持っていて、基本的に、自分のことを正しいと思いたがる。意識的かつ無意識的に。
omnimediaと俺はそこから離れないといけないし、そこから適切な距離をとらないといけない。常に自分たち自身や感情すらも疑う客観性を持たなければ、結局ポジショントークのメディアに陥る。そして、足をすくわれる。感情や利害に陥らないことこそ、omnimediaと俺の正統性なのだ。

だいたい「○○はこうだ」という人は多い。俺もさんざん言われてきたし、「〇〇系は違う」とか〇〇系のことを経験してもない、ちょっと聞きかじっただけの、所属すらしない外野から言われることほど腹立たしいことはない。お前、何を知っているのか??勝手に共通要素を見つけ出して括り付けて、理解したつもりで安心しやがって・・・・と思うが、そんなことは言ってあげない。知的なトレーニングや努力をしてこなかった人に対して指摘しても意味がない。

 

 

最近、その業界を経験すらしないのに外野からよういうわ、と思えることが最近あった。

しかし、皆さん(俺も含む)は深くまで理解したがらない生き物。深く理解するのはエネルギーを使うし、疲れる。俺も多少はそういうところがあるので、その人たちを悪くも言えない。つまり、度合・程度問題。

西村もサッカーは詳しいが、テニスはわからない。ラグビーの世界をどうこういえない。昨年、某フジテレビから、「ボクシング連盟について話をしてください」とオファーがあったが、分かるわけない(笑)。

ある人から失礼な発言を投げかけられ、呆れて物がいえない状態でもあったが、翻って自分もそう発言していることも多いのだろうと反省した。「〇ってだいたいこうだよね」という知ったかぶり。どこまで知った上で発言しているのだろうか。

で話を戻して、だからこそ、深さ、構造化がomnimediaの存在意義だと思うのだ、「・・・といった特徴があるかもしれないね」、よく知らないことについては発言しないというのがあるべき発言だろう。発言には責任が伴う。

多くの人が理解できるのは、前提知識や認知能力の差があるから、なかなか難しい。理解に差があるし、皆自分が思うように解釈する。

でも「自分の見方は本当にこれでいいのか?」と疑問をもって過ごす謙虚な人を応援するomnnimediaでありたい。

少しばかりの知識や経験、見聞きした範囲での情報やメディアイメージが人々の認識を左右する。俺も多少そういう傾向はあるが、政治・行政・経済・ビジネス・スポーツ・文化・教育などの社会の多様な分野を20歳から体験・勉強してきた。そして、左翼~右翼、各宗教、旧体制~ベンチャー、海外・日本、NGO・NPO・団体・・・そして各社会階層との多様な付き合いや多様な立場を持つ利点をいかさねばならない。ダイバーシティで俺らに勝てる団体はないはずだ。

ちょっとあるメディアで自分の提案が通らなかったが、それはそれ、いつか同志と出会えるはずだろうし、毎日の努力を続けよう。
https://blogs.yahoo.co.jp/abcd5963ne2/33789482.html