311あれから7年~GLAY「君にあえたら」を聞きながら | 批判・バッシング・炎上・苦情・誤解から守り、数値をファクトチェックする「オムニメディア」

311あれから7年~GLAY「君にあえたら」を聞きながら

1.311で死んでた可能性も

2011年3月11日、あの日、あの時間。俺は大船渡市にいたはずだった。


大船渡市役所で行われる研修を何か無意識的に思うところがあり、3月4日に日程を前倒したため、難を逃れた。
あの決断をしなければ多分あの時間、仙台行きのバスに乗っていて津波にさらわれ、今ここにはいなかっただろう。


3月3日(木)の夜、大船渡市街で深夜に出歩き、なぜかわらないが、何か心がざわついていた。

泊駅からずいぶんと歩いた。そして、もうこの風景を見ることはなさそうだなということを感じたことを覚えている。


そして、3月11日、俺は岐阜にいた。

恵那市役所に営業に行く途中、3時に間に合わなくなると焦り、恵那駅前のタクシー乗り場に走ったため、
揺れは体感していない。テレビの光景を大変そうだな・・・くらいのまま、打ち合わせ修了後、名古屋のホテルに帰る。

 

2.現実と自分の関心からの逃避

その後東京に戻っても、訳もなく自転車で疾走したりしていた。

 

そのころ、彼女と別れていて、最大の親友である幼馴染に心を奪われかけていたため、

自分自身の震災の不安を埋めたかったのか、女の子たちの心の不安を鎮めたかったのかわからなかったけど、

携帯メールばかりしていた。

 

従弟の選挙をサポートしてくれた枝野さんの記者会見を全く見なかった。興味もなかった。

あの時ほど政治と離れたのは今までなかったことだ。

 

福島やお世話になった大船渡市に真っ先に駆け付ける勇気も気概もなかった俺。

背を向けたとは言えないが、真剣に向き合おうとはしなかった。

 

高校2年、3年と同級生で席が隣だったRCFの藤沢烈くんの被災地での行動を横目で見ている自分。

高校時代と同じ風景。

 

利他主義者だと自負していた自分がボランティアにもいかない現実。

根っから優しい、無償の愛にあふれた慈愛の人間ではないことを悟った。

 

3.それは現場を見ても変わらない・・・

その後、チャンスがあり、ボランティアに行った。先輩の小田あきらさんに連れてってもらったおかげだ。

助けにいくというより、現場を見に行くという色が濃かった。失礼な言い方だが。

 

自分があの揺れを経験していなかっただろうか、気仙沼、石巻、女川での活動、なぜか自分事には感じられず、

なんとも言葉で表現できない気分であったことを覚えている。

被災者の立場を理解できても、いつもほど感情移入できなかった俺がそこにいた。

 

Kenneth Salvatore Nishimuraさんの写真

 

その後、アムネスティCSRチームでCSR報告書をチェックしたりして活動したつもりになり、

仕事で震災がらみの仕事をしたのだが、本当の意味で直視する、真剣に考えるのを避けた。

オウム事件や関西大震災など、あれほどニュースに飢えて行動する自分が嘘のように。

 

なぜなら、俺は色々な意味で東京電力の恵みのおかげで恵まれて育ってきたからだ。

勝手に作ったT電のお陰という呪縛から逃れられない自分。

 

でもジャーナリスト精神は心を揺さぶりはじめる。

間接的な責任は少しあるのか、ないのか、、、、、

ジャーナリストになって活動して何かする責任はあったはずだ、いや活動しても影響を与えらえれまいだろ、、。、、

 

そんなことを考えていて、答えのない問いと正しくない悩みの路地裏に迷い込み、自分を見失う。

 

ちなみに、この写真は伊達市役所前での写真。

 

写っているのは俺を育ててくれた恩人であり、元上司の星野芳昭さん。

 

 

市役所前のガイガーカウンター。

この時、伊達市内を車で動いていても、ガイガーカウンターが鳴り響いていた。

しかし、自分の中で、被災者になぜか寄り添えない自分がいた。

 

4.小出先輩の話、目が覚める

そうした中、開成の先輩、小出裕章さんに出会う。

被災して助かった同期の三森くん(福島県庁)、木口くんと一緒に。館山市での高校のOB会主催のイベントに思い切って参加。

お兄さんにもお世話になった三森さんが生きててくれた嬉しさは今でも忘れられない。

 

 

また、小出さんの話は以前ブログ記事にしたが、その内容への感動は忘れられない。

 

中高、はっきり言って居場所がなかったし、伝統の運動会にサッカーライフを奪われると、

学校をさぼってばかりだった高校生活。開成の生徒でほんと良かった、こんな先輩がいることに心から誇りに思った瞬間であった。

 

そんなことはどうでもよくて、

「本物」とはどういう人を言うのか、自分の信念に生きるということはどういうことか、

偉大な先輩を前にして思うところがあった。

 

人生において行動で体現している、

ちっぽけな見栄や肩書、そんなものよりも信念を突き通す、

そして包容力があって、優しい人に出会えた幸せ。

 

そして、同時に自分の至らなさも感じた。「本物」でなかったことも気づいた。

小出さんのような人生を生きる勇気は俺にはない。

使命感はあるけど、信念にすべてをゆだねて生きる覚悟もない、と。

 

5.そして今、一流ジャーナリストのそばで修行していて

それから何年かがたつ。

 

昨年から夢がかなって、ビデオニュースで仕事することになり、本物のジャーナリストから学んでいる。

原発について勉強する機会を得、番組作りにかかわった。

田辺文也さん

新藤宗幸さん

を招いた311企画。神保さんの企画力と情報力に圧倒される。

でも、神保さんのように現場に真っ先に行くジャーナリストにはなれないだろう。体力も気概もない。

多分俺は「責任とは何なのか」を探していくのだろうか・・・。

 

しかし、いまだ7万人の人たちが仮設住宅にいて生活している。

東京五輪は復興五輪ならば、その問題解決が先だろと思う。

 

「もし相手の立場になってみた場合、その扱いに納得するか?」と考えると、それは納得できないだろう。

たまたま災害にあった人々と切り捨てられようか。

 

6.2018年の311

今の日本政治。

 

たいして自分の思想信条もないくせに、ファッションだっただけで、ソーシャルセクターの味方ぶったお嬢さん、

頼ってきた変なおっさんを切り捨てる、ちょっと変な思想だけど、情熱はあった豊中のおっさんとおばさん。

佐川さんもかわいそうだ。彼は責任を一身に追うのだろう、すべてを心の奥底にしまっているように思える。

逮捕されるかもしれないが、それでもいいのだろうか。佐川さんの姿に哀愁を感じる。

多くの国民の侮蔑と不満を一手に引き受け、それに耐え、政治の不条理までも引き受けて、すでに国税庁を去った。

今後も財務官僚としての矜持も誇りも残したまま、静かに過ごすのだろうか。

その姿は亡くなった財務省近畿財務局職員への贖罪なのだろうか。

 

しかし、権力は責任をとらない。

 

そんな一連の行動を見ていると、政府は国民を幸せにすることはないと、今年の311、改めて感じてしまった。

国民を幸せにするつもりもないのだろう。所詮、権力に立つ人は建前では思っていても、本音でそう思っていても、

 

信じないことさ、最後にやっぱりエゴが勝つ、か。

 

PS

GLAY「君にあえたら」を犠牲者の方々と今も苦しむ被災者の方々、精神的に傷を負った皆さんに捧ぐ。