小出裕章さん講演会 | 批判・バッシング・炎上・苦情・誤解から守り、数値をファクトチェックする「オムニメディア」

小出裕章さん講演会

高校の先輩である京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さん講演会「私たちは子供たちに何を残してしまたのか」に参画。以下、その講演録になります。お会いできて感動しましたし、
この原発問題に対しての思いを強くしました。被災した同級生とともに、今年度中にイベントを開催したいと思っています。


【講演録】
大学三年の秋に生き方を180度変えた。原子力はとんでもないし、なんとかして辞め誘うとしているのはどうかと思った。そのとき、ここに踏み込まないと決意しました。おさらばをした。

しかし去年の秋に、ジャズの同級生ライブの企画にずるずるとひきづりこまれて、足を踏み込んでしまった。今回は、私が恩を受けた人に不義理をしていたと、お詫びみたいなもの。


原子力に嫌悪を感じた理由。それは東京大空襲。町中が火の海になる。10万人が一晩で焼き殺された。軍部は負けるのはわかっていたけど、引けなかった。


原爆は秘密都市に科学者を入れて、実験。それは1945年7月16日。ポツダム会談の日、アラゴモルドにて実験に成功。太陽より明るい光だった。


1945年8月、人々が生きている街の広島、長崎で原爆がさく裂した。アメリカはどうなるかわかっていて、この爆弾を使用した。


この悲惨さは報道統制で知らされなかったが、だんだん広島、長崎において何が起きたかを知らされるようになった。それが高校の時。原爆展に東京で展覧会がしきりにおこなわれるようになった。私は地質部にいた。こんなに猛烈なエネルギーを生むものなら、平和的にいくなら役に立つと思い、地質を捨てて、原子力の道に進んだ。


1954年7月2日、毎日新聞によると「原子力はとてつもないエネルギーだ。化石燃料がなくなる」という記事があるが、その考えを信じていた。しかし、ウランは貧弱な資源。石油の数分の1、石炭の数十分の1である。それをわからなかった。


日本は被爆国なのになぜ原子力発電を受け入れるのか?


私は「被爆国だからこそ、原子力に期待した」と思った。その被害を被害だけで終わらせるのではなく、希望に転化したいと思いこんだ。傷をもっと有益なことに活用して癒したいと思ったのだろう。私もそうだった。


原子力はたんなる湯沸かし装置。蒸気でタービンを沸かすだけ。いってみれば蒸気機関。それをいまだに使っているだけ。燃やしているものが化石燃料ではなく、ウランである。そこが決定的に危険な理由。


さらに、効率が悪い。熱効率は33%。発熱したうち、100万KWは電気。200万KWは海に捨てるしかない。毎日3キログラムのウランを核分裂させられる。広島は800グラム。


1日3、4発に相当する核分裂をさせていたのにひとしい。そのうち3分の1をエネルギーにしている。

原子力を利用すると核分裂生成物などの放射性物質を作り出す。無毒化する力はない。100万年にわたって生命環境から隔離続けないといけない。いわば「トイレのないマンション」。人が住めない。いつかトイレができる・・・と信じでやっていた。膨大にたまってしまった核分裂生成物。たくさんの電気を起こしたのは事実。広島の死の灰、120万発をつくってしまった。電気がほしいということで・・・・。


90万発は私たちの世代が作った。消すことのできないゴミとして。消せなければ隔離するしかない。その方法を考えた。


そのための案は宇宙処分。ロケットに載せて発射して・・・技術的にできない。
深い海に穴を掘る案。失敗したら海はどうしようもなるので・・・ロンドン条約で禁じられた。
南極で氷床処分・・・だめ。
最後に残ったのが地層処分。法律でこれが唯一の処分方法と決めてしまった。ここに100万年置いておく。そんな荒唐無稽な話はあり得ないが、原子力関係者や国家はこれでいくと1点張り。

福島の事故が起きる前は、ゴミはかたがつくといっていた。

電気ができてから126年。手レベル放射性廃物は六ヶ所村に120万本埋め捨てる。あと300年間。
赤穂浪士の討ち入りの時の人が今の我々を想像できたか。
国家だってアメリカでも236年。

高レベルの放射性廃棄物のお守り、捨てる場所すらないのがあと100万年。
これができると言っている政治家や国家・・私が気がくるっているとしか思えない。

やめることもできないまま、事故が起きてしまった。


事故が起こらない機械はない。原発は機械で、壊れない機会はない。
原発を動かしているのは人間で誤りを犯さない人間はない。原発が絶対安全だとは絶対に言えない。

推進派も本心でいえば事故が起きると思っていた。だから、都会には作らなかった。そのために周到な準備をした。原子炉立地審査方針には、非居住、低人口、人口密集地帯から距離をおくという条件がある。


IAEAという推進団体への報告書では今回、広島の168発分を大気中にセシウムをまきちらした。

責任というより、犯罪と言える。たぶんこの2、3倍だと私は思っている。同じくらいのものが海に流れている。それくらいの規模の事故が今進行している。


「広島には草も生えたし」という人が言う。しかし、原爆はキノコ雲になって成層圏にいった。そこが福島とは違う。日本政府は風で流れていたことを知っていた。南相馬の人、飯館村に避難しろと言われた人がいる。国からの正確な情報を与えられないまま・・・。


10数万人の人が家を追われている。群馬あたりまで・・・1平方メートル6万ベクレル。

私の研究室、仕事柄「放射線管理区域」で仕事をすることになっている。そこでは水も飲めない。18歳未満は入れないという区域。すぐにはでれない。出口で測定器を測定し、それ以下にならない限りでてはいけない。私が持ち込んだ実験道具が汚れていたら捨てなければならない。


1平方メートル4万ベクレル。大地全部が汚れている。その外側でも3万ベクレルを超えている。1平方メートル60万ベクレルはさすがに人は住んではいけないとしている。「放射線管理区域」にすると、1000万人故郷を追い出さなくてはいけなくなる。


日本は法治国家か?

放射線区域からものを持ち出すときは1平方メートルあたり4万ベクレルを超えて放射能でよごれたものを管理区域外に持ち出してはならないという法律もあった。その国家を法律を守らなくなった。誰一人として責任は取らない。


・失われる土地
・強いられる被爆
・崩壊する1次産業
・崩壊する生活


311で世界が変わってしまった。人々が普通に生活する場が放射線管理区域以上に汚れてしまった。
汚れた世界でいきるしかない。そういう選択しかない。この事態を許した大人として私はどう生きるのか?を考えないといけない。電力会社は電気が足りなくなるかということではない。


なぜ執着するか。結局、電力会社の経営の問題、不良資産にしたくないということが原発をやめられない理由。