もちろん今日もQueenです(o^^o)

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今回と次回の2回に分けて,前回脱線してしまったフレディのソロ活動について,再びまとめてみます。
まず今回は,映画「ボヘミアン・ラプソディ」のラスト・シーンとなったライブ・エイド開催まで。


1946年9月5日木曜日,ザンジバル島の国立病院で,ファルーク・バルサラは生まれました。バルサラを産んだお母さんは,まだその時18歳。
ここでの生活は,裕福で,使用人を雇う恵まれた環境でした。
ここでの思いが,1974年作のクイーンのヒット曲 The Seven Seas Of Rhye(邦題:輝ける七つの海)に込められてるとする解釈も多いようです。

55年から63年まで,インドの寄宿学校に入り,この時期に,名前をフレディと改名します。


64年に一家はイギリスに亡命しますが,ここまでの生い立ちをフレディは人に語るのをひどく嫌がっていたようです。
寄宿学校での友だちが,ライブ後のクイーンの控室を尋ねてきても,フレディは知らないと追い返してしまったことも!


66年にアート・カレッジに入学し,ティムと出会います。

メアリー・オースティンと出会うのは,この3年後。69年のことでした。スマイルとの出会いもこの頃です。


映画でもあったように,70年にクイーンを結成した際に,姓をマーキュリーに改名します。
ただし,ジョン・ディーコンが加入するのは,その後の71年2月でした。


それから85年のライブ・エイドまでの間に,クイーンとしては,11枚のスタジオ・アルバムとライブ盤,ベスト盤を一種類ずつ出すことになります。


映画の中でフレディがソロ・アルバムを作成すると宣言し,メンバー間の諍いのあった時期は,実際にフレディがソロ・アルバムの制作を始めた83年の頃でしょうか。
このソロ・アルバムは,前にも紹介した通り85年に「Mrバッド・ガイ」として発売されます。
それでは,このアルバムからのシングルカット曲,I Was Born To Love You(ボーン・トゥ・ラヴ・ユー)をお聴き下さい。

 



映画ではこの間,クイーンが解散状態だったように描かれていましたが,84年にクイーンとして The Works(ザ・ワークス)が発売され,英国音楽特別功労賞を受賞します。
また,南アフリカでのコンサートを行うことで二つの大きな問題を抱えます。政治的な問題もありますが,何より,フレディがのどの炎症を起こし,歌えないということで幾つかの公演をキャンセルしなくてはならなくなったのです。

85年には,ブラジルで「ロック・イン・リオ」フェスティバルへの参加,ニュージーランド,オーストラリア,そして5月に最後の日本ツアーを行い,7月のライブエイドを迎えています。


こうやって,実際の出来事を追ってみると,あの映画の脚本がいかにうまく書かれていたのかよくわかります。枝葉をそぎ落として,違和感なく一つのストーリーとなるように事実をまとめ直し,なおかつただの事実の羅列にならないように物語として成功させているという。
ここに感動的な演奏シーンを加えているのですから,何度も足を運びたくなる映画です。

それでは本日の最後にもう1曲,Mrバッド・ガイ収録の美しくも力強い曲 Love Me Like There's No Tomorrow(邦題:明日なき愛)をどうぞ。