「本系図」巻頭 *画像はWikiより






◆ 丹後の原像【82.古代海部氏の系図 ~3】






前回の記事の最後に次回予告的な文面で、「精査して取り上げるかどうかを考えてみます」としていました。

結果、取り上げることにします。

これまで丹後について多くのことを書いてきました。それらと重複するということ。
また著者の金久与一氏の見解とは、隔たる箇所が多くあること(発刊後の考古学成果は多くありますが)。

このような理由で躊躇っていましたが、ここらで古代丹後というものの簡単なおさらいもしておこうかと。

参拝を控えている中、時間はたっぷりとあることですし。また氏の見解に対して、必要に応じて反論しつつ進めていこうかと思うに至った次第。

肝心の系図はいつから始まるねん!!!

…次回からです。


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近年は「丹後王国論」なども唱えられ、注目をあびはじめている古代丹後ですが…出雲文化圏や出雲神話に眼が向けられることが多いものの、丹後にも熱い視線がそそがれだしている…

などと金久与一氏は記しておられます。もちろん異論はなくその通りでしょう。

ところが世間一般的な認識、おそらく氏の持たれているであろう認識とは、遥かに超越して古代丹後の重要性は高いかと思います。

伊勢の外宮に鎮まるのは、丹後の大神、豊受大神なのですから。
元伊勢の一番は他を差し置き、「倭笠縫邑」より遥々運び遷した丹後吉佐宮なのですから。

少なくとも弥生末期から古墳時代にかけては、丹後のことを知らねば日本史を語ることはできません。

盛大に煽っておきます(笑)



◎丹後・但馬の縄文文化

ごく簡潔に記されているだけですが、先ず旧石器時代の遺跡から始めています。舞鶴市以西の海岸に近い辺りで遺跡があります。

挙げられているのは…
*「福井県敦賀市から国道二七号線(舞鶴街道)は、小浜市を経由して京都府の舞鶴市に入る。このあたりから旧石器時代の有舌尖頭器が発見されている」このように示しています。

おそらくは舞鶴市北部に突き出た「大浦半島」の北部にある「小橋遺跡」のことかと思われます。国道二七号線(舞鶴街道)からはずいぶんと北に外れていますが。

こちらからはサヌカイト製の有舌尖頭器が発見され、1万2千年前のものと推定されているようです。ただし現在は縄文時代を1万6~7千年前まで遡ってみるのが趨勢。厳密にいうと縄文草創期とみるべきでしょうか。

*丹後半島中部の峰山町
おそらく「途中ヶ丘遺跡」のことと思われます。こちらからも1万5千年前のサヌカイト製の有舌尖頭器が発見されています。

*熊野郡(2004年より京丹後市)久美浜町
久美浜町布袋野の「経塚古墳」から旧石器時代の黒曜岩製石器が出土しています。久美浜湾から内陸4~5kmの地。

久美浜町湊の「函石浜遺物包含地」で明治二十年に発掘調査がなされた際の報告書に、「石器時代ノ遺物ヲ始メ…」と記されています。その後は現地調査無し。
ところが現在のあらゆる資料を管見しても、旧石器時代の遺跡とは紹介されていないことから、当時と比べ縄文時代の開始時期が繰り上げられているのではないかと思われます。現在は縄文時代草創期とされています。

*上野遺跡
2020年9月に京丹後市京丹後町の「上野遺跡」で、なんと3万6千年前とされる石器群が出土しました。もちろん当書が発行された遥か後のこと。もちろん「上野遺跡」について触れられているはずもありません。

国内最古級の遺跡。152点もの石器や石器片が出土。隠岐諸島産の黒曜石が用いられているものもあるようです。
当地で作った形跡が見られないことから、氷河期の狩猟キャンプではないかという説もあるとのこと。

丹後地区では旧石器時代の遺跡が少ないとされてきましたが、見方が変わるのかもしれません。




旧石器時代の項で長くなってしまいましたが、続いて縄文時代の遺跡を。この時代以降は考古学の発掘成果が目覚ましく、すべてを網羅していると大変なことになるので、かいつまんで。

*裏陰遺跡
丹後半島中部の京丹後市大宮町の遺跡。当書では「籠神社からも近い…」と書かれていますが、目印として出すのであれば、丹後国二ノ宮 大宮賣神社の文化圏となるでしょう。籠神社からは山越えをせねばならないですし。また「竹野川」中流域であり、河口の竹野神社・齋宮神社を出すならまだしも…。

およそ7千年前、縄文早期から平安時代に至るまでの複合遺跡。縄文早期の土器等が大量に出土しています。大宮町内の縄文遺跡は多くみられますが、出土量等は突出しているとのこと。当地が中心だったのでしょう。

この大宮町については私自身が未だ把握しきれていません。どこまで探ろうとも答えの出ない大宮売神のせいでもあるのですが。

この【丹後の原像】テーマ記事内でも、第27回から計5回に渡り迫ってはみましたが、何ら結論は出ていません。海部氏が奉斎した神なのかどうかすら分からない始末。豊受大神とともに、自身の生涯をかけて挑みたい神なのですが。




*その他縄文遺跡
・加佐郡(現在の舞鶴市)「浦入遺跡(うらにゅういせき)」
・竹野郡(現在の京丹後市)丹後町
・竹野郡(現在の京丹後市)網野町
・久美浜(京丹後市久美浜町)
・与謝郡加悦町(現在の与謝野町加悦、及び周辺)(「加悦」は「かや」)
・兵庫県豊岡市
・兵庫県城崎郡日高町(現在の豊岡市日高町)、「太田集落」(神鍋高原の東麓)

縄文遺跡は次々と新発見があるので、当書に載せられたものだけに留めておきます。なお当書の発行は1999年。

丹後の沿岸部の至るところからら大なり小なり縄文遺跡が発見されていることが分かります。当たり前と言えば当たり前なのですが。

また兵庫県豊岡市などはかつて丹後国とともに丹波国であった地。丹波国の北部が丹後国と但馬国に分国したのは、奈良時代の和同六年(713年)のこと。海部氏の原郷でもあり、無視するわけにはいきません。



但馬国城崎郡 海神社(豊岡市小島、式内名神大社の比定社)
(創祀は海部直が天火明命を祀ったことによる)




今回はここまで。

何ら海部氏に関わるようなことは載せられていませんが、ぼちぼちと進めていきたいと思います。

次回は引き続き弥生時代の遺跡をみていくこととなります。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。