海神社 (豊岡市小島)
(かいじんじゃ)


但馬国城崎郡
兵庫県豊岡市小島965
(駐車は下部写真のように停めました)

■延喜式神名帳
海神社 名神大 の論社

■旧社格
村社

■祭神
大綿津見命
[配祀] 建田勢命


城崎郡唯一の名神大社(論社)、「円山川」河口付近に鎮座する社。境内に座す磐座から、古代よりの霊地であったと推されます。
◎「式内名神大社 海神社(読みは「あまのじんじゃ」)」については論社がもう一社、「円山川」対岸に鎮座する絹巻神社が挙げられています。
◎この辺の事情は「絹巻神社縁起」や絹巻神社の社頭案内に詳しく表されています。創祀は海部直により始祖の天火明命を祀る社「清明宮」としてなされたもの。後に現在の絹巻神社の地に遷座、「海神社」と称していた。さらに絹巻神社に社名が変わっていたが、当時の国守が別々の社であると勘違いし、絹巻神社に海神社が合祀されることとなったというもの(詳細は絹巻神社の記事にて)
◎当社はおそらく「清明宮」の跡地ではないかと考えています。現在の社は明治四年に絹巻神社から仮遷座後に、当社地へ遷され復社されたもの。境内の磐座は「鰐岩」と称されるもの。全長2m余り、幅は1m足らずほど、磐座と称するに申し分のないものかと。
◎「但馬故事記」(天延二年・974年)の第四巻・城崎郡の条には、以下のように記されています。偽書説が有力ですが、詳細に記されているため掲げておきます。
━━第16代応神天皇三年夏四月 大山守命に命じ山海の政を統治させた。大山守命は多遅麻黄沼前県主 水先主命の子の海部直命を遣わし当国の海政を行わせた。海部直命は当国の海部を管掌する。
第17代仁徳天皇秋九月 水先主命の子の海部直命を城崎郡司兼海部直とした。海部直は諸田の水害を憂いて、御子の西刀宿祢命(セトノスクネノミコト)に命じて、西戸水門(せとのみなと)を浚渫させた。(中略)
第18代履中天皇は海部直命の子の西刀宿祢命を城崎郡司とした。西刀宿祢命は海部直命を気比丘に葬る(西刀神社)。海部直命は仁政であった。農人・海人等は父母が亡くなったかの如く哀泣した。遂に相謀り、国司に請い祠を建てて祀った。海神社はこれである。
この由緒を以て天災風害あれば必ず祓い、不漁の事あれば必ず祈る。ある日神霊が信者に告げて曰く、「海を守るのは黄沼前宮に坐す海童神である。船を守るのは神倉宮に坐す船魂神である。この海童神をこの地に勧請し常に斎き祀れ。風災ごとにこの神等に祈れば難船を救おう。もし社頭に不時の神火顕れば、即ち変災が起こったと思え」と。土人はこのことを黄沼前郡司の西刀宿祢命に申し上げた。西刀宿祢命は国司に請い、海童神と船魂神を遷し祀り、神人として気比義麿に奉仕させた━━