絹巻神社


但馬国城崎郡
兵庫県豊岡市気比字絹巻2585-1
(一の鳥居がある道路向かいに社務所と駐車場有り)

■延喜式神名帳
海神社 名神大 の論社

■旧社格
村社

■祭神
天火明命
[配祀] 海部直命(アマノアタイノミコト) 天衣織女命(アマノエオリメノミコト)


豊岡市の北端、円山川の河口に鎮座する社。「但馬五社明神」の一。背後の岩山である「絹巻山」を御神体としているかと思われます。
◎創建由緒については式内名神大社 海神社についてのものが挙げられており、兵庫県神社庁、「国司文書」等いずれも以下のように同様のもの。「応神天皇三年に大山守命に命じて山海の政を統治させた。大山守命は多遅麻黄沼前県主である水先主命の子 海部直命を使って但馬国の海政を行った。海部直命は当国の海部を掌握していた。仁徳天皇の御代、海部直命を城崎郡司に任命し海部直と成した。海部直は田の水害を憂い、御子である西刀宿祢に命じて西戸水門を浚渫させた」とあり、さらに「(海部直命が亡くなり)気比丘に葬った。人徳が厚かったため国司に請願し祠を建てた。これが海神社である」と。
◎まず海神社の読みは「あまのじんじゃ」。海部氏に因む社であると言えます。
大山守命は山川林野の管掌を任されたものの、長男でありながら天皇になれないことを恨み、異母弟の大鷦鷯命(後の仁徳天皇)の殺害を謀るが事前に発覚し水死させられています。
「多遅麻黄沼前県主」は「但馬城崎の県主」の意、「黄沼前」は「城崎」の古い呼称。海部直命は城崎郡司となり、「直」姓を授かったと記されます。
その御子の西刀宿祢命が水門を浚渫したという件は西刀神社の創建に因むもの。
「気比丘」とはおそらく「絹巻山」のことであろうと思われます。絹を巻いたように美麗な山であることから称されたようです。
◎以上の内容に補足がなされているのが社頭案内。海部直命が当国の海政を任され海部直姓を賜った際に、黄沼前県に始祖の天火明命を祀ったとしており、これが「清明宮」という社であると。そして郡司に任命された時に「絹巻山」の麓に遷座させたとしています。
この「清明宮」についてはおそらく、円山川対岸に鎮座している海神社がその社跡ではないかと思われます(後ほど記事UPします)。境内には「鰐口」という磐座が座しており、太古からの霊地とされていたように見受けられます。
◎これに対して非常に興味深い話を載せているのが「絹巻神社縁起」。要約すると海神社が名を変え絹巻神社となっていたが、後の時代に国守(国司のことか)絹巻神社と海神社を別の社であると勘違いして、海神社を絹巻神社に合祀し相殿で祀るようになったと。これについては確かめようも無く、史実とするべきでしょうか。いささか滑稽な話ではありますが。
◎ご祭神については諸説出されています。天火明命を始め海部直命、西刀宿祢命の海部一族。他に同じ海部氏の建田背命(天火明命六世孫)や海童神、船魂神、玉櫛姫命などというものも。
上記由緒を見る限り天火明命が妥当なところ。配祀神として海部直命辺りが祀られているかもしれません。





円山川を。