宇太水分神社 (中社)
(うだみくまりじんじゃ)


大和国宇太郡
奈良県宇陀市菟田野古市場245
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
宇太水分神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
[第一殿] 天水分神
[第二殿] 速秋津彦神
[第三殿] 国水分神


大和国四所水分社の一。飛鳥の都から東西南北それぞれに水分社が創建されました。当社はその東の水分社。
◎霊峰「高見山」を源流とする「芳野川(ほうのがわ)」流域に鎮座。「水」を「配る(くまる)」という川水の配分、ひいては祈雨などの対象とされた社ですが、陰陽道上で必要とされた地点にて奉斎されたものと思います。
◎その「芳野川」の上流から順に惣社水分神社を「上社」、古市場の当社を「中社」、下井足(しもいだに)の宇太水分神社を「下社」と称されます。また当社を「上の宮」、下社を「下の宮」と呼ぶことも。さらに当社を「本社」とし「上社」と「下社」を当社摂社に、田口水分神社を末社にといったものも。いずれにしても当社が中核的な存在であったようです。
◎ご祭神はおなじみの水分神二柱と、その父神。速秋津彦神は「水戸神(ミナトノカミ)」として「港」の神という神格も持ち合せているとされます。地名に表されているように市場として栄えた地でもあり、その守護神として奉斎されたことかと思います。一説として当社に天水分神、下社に国水分神、上社に若水分神を祀ったとも。さらに当社に男神、下社に女神、上社に童神を祀ったというものも。
◎創祀は崇神天皇の御宇、大和国四所水分社が祀られたとするもの。
*北 … 都祁水分神社
*東 … 宇太水分神社(当社)
*南 … 吉野水分神社

*西 … 葛城水分神社
この時代に社殿等が存在したとは考えられず、おそらくは神籬、磐境などの臨時の仮説祭場であったと思われます。
◎推古天皇十九年(610年)に、天皇が菟田野へ薬狩りを行った際に「薬の井」で身を清めたとされます。この時点で創建されていたのかは不明。
大同元年(806年)には神封の授与があり、この時には既に創建されていたようです。
◎社殿は美しくご本殿三棟は国宝、並ぶ末社二殿も重要文化財。末社は春日社と宗像社。春日社は春日大社領・興福寺領であったことによるもの。宗像社は不明。大和国内には宗像社は少ないものの「菟田野大澤」に宗像神社が鎮座します(現在は記事改定作業中)。こちらは城上郡外山(とび)に鎮座する式内名神大社 宗像神社からの勧請とされています。おそらく当社が何らか関わっているものと思われます。

◎当社背後の丘陵内に円墳があるとの情報も。詳細は確認できていません。
◎境内には「有霊石」と称する磐座や、「初えびす」が行われる末社 古市場恵比須神社(後ほど別に記事UPします)、源頼朝公が苗を植えたとされる「頼朝杉」などもあり、見所は豊富に。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。













「夫婦杉」


祓戸社と稲荷社。

「頼朝杉」


「有霊石」。