都祁水分神社
(つげみくまりじんじゃ)


大和国山邊郡
奈良市都祁友田町182
(P無し、駐車は下部写真参照)

■延喜式神名帳
都祁水分神社 大 月次新嘗 の論社

■旧社格
県社

■祭神


大和国四所水分社の一。「水分社」は用水の配分にまつわる社ですが、大和朝廷の運営に関わる東西南北の要衝に配した社とも言えるかと思います。
◎かつては小山戸の都祁山口神社に並んで鎮座していたと伝わります。背後の山には御社尾の磐座と称される古代祭祀場も座し、当地に移住してきた都祁直(ツゲノアタヒ)の重要な拠点の一つであったかと思われます。
その御社尾の磐座に元慶三年(879年)二体の白龍となって降臨。うち一体は都祁山口神社へ飛び降り、うち一体は当地へ移ったと伝わります。この時代には既に両社とも創建されており、遷座においての附会かと思われます。
◎遷座理由は、その都祁直(闘鶏国造)の衰退によるものとも考えられます。第19代允恭天皇の御代に、忍坂大中姫皇后に対して不敬があったのを機として衰退したようです(→ 神名・氏族一覧 都祁直の記事)。一般には参拝道が狭いという理由になっていますが、それなら式内大社 都祁山口神社を残して遷座したという理由が見当たりません。
◎また遷座先に当地が選ばれた理由は、聖武天皇が行幸した堀越頓宮跡(候補地の一つ)であったり、伊勢斎宮の皇女が宿った頓宮跡であったりと、聖なる地として考えられていたのかもしれません。なお遷座は天録二年(971年)のこと。
◎さらに「木津川」の源流の一、「深江川」が都祁山口神社辺りから流れ出し、当社神域の外側をぐるりと廻ってから下流へ向かいます。遷るべく地に遷ったということでしょうか。

◎明治の合祀令により4社が合祀されたようですが、うち3社は国津神社。

◎関連史跡


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



車はいつもこの向かって右すぐの所に停め置きしています。









2019年5月参拝時のもの。



ご本殿前の狛犬は鎌倉後期の秀作であるとのこと。

こちらがその白龍大神を祀る霊石。


「聖武天皇堀越頓宮跡」