宗像神社 (外山)


大和国城上郡
奈良県桜井市外山818
(P有)

■延喜式神名帳
宗像神社 三座 並名神大 月次新嘗 の論社
(名神大社ではなく「大社」とする説も)

■旧社格
村社

■祭神
多紀理毘売命
市寸嶋比売命
田寸津比売命


高市皇子が宗像氏と縁のあることで、宗像大社(記事未作成)より勧請されてきたとする社。
◎胸形徳善という宗像氏の血を引く筑紫国の豪族の娘 尼子娘が、天武天皇の後宮に入り高市皇子を生みました。高市皇子は天武天皇の長子。壬申の乱に於いては最大級の功労者であったと記されます。大津皇子、皇后(後の持統天皇)の御子である草壁皇子に次ぐ第3の皇位継承順でした。天武天皇の力添えで式内名神大社(式内大社という説もあり)になり得たかと思います。
◎城上郡(現在の桜井市が中心)の「外山(とび)」というところに鎮座。かつての「鵄村(とびむら)」。往古は「鳥見山」山頂に鎮座していました。こちらは神武天皇が即位四年に大孝を述べたとされる「鳥見山 霊畤」の聖地。中腹には等彌神社が鎮座していました(現在は麓に遷座)。この不可侵とも言える聖地に創建されたということはよっぽどのことであったと考えています。
◎中世の頃には衰退しており、高市皇子の後裔である高階氏(タカシナノウジ)が自宅で祭祀を続けていたとか。それを江戸末期に鈴木重胤(スズキシゲタネ)の尽力で再興したようです。皇学者であった鈴木重胤は各地の宗像社の再興に尽力、当社はその最たる例かと思います。

◎当社のさらに詳しい記事

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


平成21年に改築されたらしく、当社を初めて参拝したのは出来立てホヤホヤの時であったと思います。






非常に分かりやすい案内。