鏡作坐天照御魂神社
(かがみつくりにます あまてるみたまじんじゃ)


大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町八尾816
(P有)

■延喜式神名帳
鏡作坐天照御魂神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
天照國照日子火明命
石凝姥命(イシコリドメノミコト)
天糠戸命(アメノヌカドノミコト)


当地一帯に居住した鏡作部が祖神を祀る社。日祀りを行う場所であったと考えられています。
◎第10代崇神天皇の御代、三種神器の一なる八咫鏡を皇居の内に祀るのは畏れ多いとし、まず「倭笠縫邑」に祀り(皇大神宮の起源)、さらに別の鏡を作ったとあります。
◎「大倭注進状裏書」には、「社伝によると崇神天皇六年九月三日に、この地において日御像の鏡を鋳造し天照大神の御魂となす。命の内侍所の鏡是なり。本社は其の(試鋳された)鏡像を天照國照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と云ふ」とあります。
つまり八咫鏡の「レプリカ」が鋳造されて、それが祀られるのが当社ということ。ただしこの時(八咫鏡が「倭笠縫邑」に遷される時)に、鏡が造られたとは紀には記されておらず、「古語拾遺」の記述「斎部氏をして石凝姥が裔…に鏡…を造らしめて、護の御璽(まもりのみしるし)と為す」からのものか。
◎ところがこちらにも試鋳されたとはなく、「先代旧事本紀」には試鋳の記述があるものの日前神宮にあるとしています。他にも「大倭本紀」には鏡が3面あるとして、穴師坐兵主神社の御食津神として祀られるのがうち一枚であると記されています。これら鏡については内容が錯綜しており真相は不明。
◎境内の「鏡池」からは三角縁神獣鏡が江戸時代に発見され、ご神宝としています。ご神体とは考えにくいですが。なぜか外区(外側の縁)が欠けており、意図的に欠けたものかどうかは意見が分かれるところ。同范鏡が愛知県犬山市から発見されています。ご祭神の彦火明神は尾張国の遠祖でもあり納得のできるところ。
◎この時代、まだ「皇祖 天照大神」というシステムは確率しておらず、当社のように日祀りの神社は「天照御魂(アマテルミタマ、またはアマテルミムスビ)」として彦火明神が祀られているケースが多くあります。
◎大和岩雄氏によると、立春の前日の節分に「三輪山」頂上から朝日が出、立春と立秋の夕日は「二上山」の鞍部に日が落ちるとのこと、立春と立秋の観測地であったとしています。
神名帳では一座。彦火明神なのか、石凝姥神または天糠戸神親子のいずれかなのかは不明。
◎なお旧村社であり「八尾」に鎮座していた鏡作坐若宮神社が、遷座されて境内社として祀られています。

◎関連社

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。




背後の「鏡池」より三角縁神獣鏡が出土しました。





鏡の研磨に使われたと思われる鏡石も出土しています。



現在の最高峰の名工の手により復元奉納された鏡。技術力では当時と同じレベルにまで到達したとも。この名工の作は金山媛神社籠神社、平原遺跡にも奉納されています。



鏡作坐若宮神社

同上