鏡作伊多神社 (田原本町保津)
大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町保津150
(P無し、いつも境内西の方に停めていますが路駐車も多く空いていない時も)
■延喜式神名帳
鏡作伊多神社の論社
■旧社格
村社
■祭神
大和盆地のほぼ真ん中、田原本町「保津」に鎮座する社。わずか2km足らずの間に「鏡作」を冠する社が5社、鏡作坐天照御魂神社に移転合祀された鏡作坐若宮神社を含めれば計6社。当地一帯は「鏡作部」一族の拠点でした。
◎元々は当地より東300mほどの「小字伊多敷」にあったものが遷座したとのこと(下部写真参照)。その旧社地においては宇麻志麻遅命を祀っていたという伝承があり、当社へ配祀したと。鏡作氏が物部系であり、これを真相とするなら当社は宮古の同名社から分祀されたとみることも可能かと思われます。
◎「保津」という地名は、物部氏系の穂積氏に通ずるという考えもできようかと思われます。「大和誌」は「穂津村」という表記に(神名帳編纂当時は城下郡であったものの、「大和誌」編纂当時は「十市郡穂津村」)。鏡作たちが物部氏との密接な関連を持ったものと思われます。
鏡作坐天照御魂神社は天火明命をご祭神としますが、「先代旧事本紀」は天火明命を物部氏の始祖、饒速日命と同神としていることにも関連するかと(本来は別神)。「天孫本紀」には━━饒速日命十一世物部鍛冶師連公 鏡作等租神宮雑事云 鏡作遠祖天香古山命━━と記されています。
◎「式内調査報告」は、「社傳では、この神は鏡の材料を板状に引き伸し鍛へられるに力のあつた方だといふ」という説を挙げています。
ところが「宮古」の同名社の項では、「一説に伊多はイユタツ(湯立)で、イタツ(伊達)が伊多(イタ)になったもので、湯の沸き立つ意味ともいふ」とと異なる説を載せています。
◎関連社
*近世には十市郡ですが、古代は城下郡に属することから、便宜上城下郡に含めます。
*写真は2018年4月と2019年7月、2022年10月撮影のものとが混在しています。