鏡作伊多神社 (田原本町宮古)


大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町大字宮古字補屋60
(いつも社前に停めています)

■延喜式神名帳
鏡作伊多神社の論社

■旧社格
村社

■祭神


「奈良のへそ」と称する大和盆地のほぼ真ん中に鎮座する社。わずか2km足らずの間に「鏡作」を冠する社が5社、鏡作坐天照御魂神社に移転合祀された鏡作坐若宮神社を含めれば計6社。鏡作部一族の拠点でした。
◎また当社から道路を挟んだ南側の田原本町「保津」に、リンク同名の鏡作伊多神社(保津)が鎮座します。「式内 鏡作伊多神社」については、当地「宮古」と「保津」の同名社、さらに北西500mほどの冨都神社がいずれも論社として挙げられています。根拠となる決め手は無いようです。
◎遷座の記録は無し。論社に挙げられる理由は「伊多の坪(現在は宮古池)」の畔に鎮座することから。この池は近世に造られたもの。
◎「式内調査報告」は、「一説に伊多はイユタツ(湯立)で、イタツ(伊達)が伊多(イタ)になったもので、湯の沸き立つ意味ともいふ」という説を挙げています。
ところが鏡作伊多神社(保津)の項では、「社傳では、この神は鏡の材料を板状に引き伸し鍛へられるに力のあつた方だといふ」と異なる説を載せています。
◎当地の郷名は「三宅郷」であり、「鏡作郷」ではありません。三宅連の拠点であったとすれば天日矛神を祀っていたと考えられます。また当社は古来「補屋明神」と称していたとのこと。境内社に布(富)屋社というのが鎮座していますが、こちらが本来の補屋明神、つまり鏡作伊多神社であったかもしれないと社頭案内板には示されています。
結局のところご祭神については、式内社でないとするなら石凝姥命ではなく、祭神不詳とするべきでしょうか。

◎関連社

*写真は2018年4月と2019年7月、2022年10月撮影のものとが混在しています。










こちらが境内社の布(富)屋社。住吉神社と水乃神社と記されています。