大歳神社 (橿原市石川町)


大和国高市郡
奈良県橿原市石川町宮ノ本332
(Pはあるが通行困難、社前道路がかなり広く奥は畝傍中学だけの袋小路なので社前停め置きがベターか)

■延喜式神名帳
大歳神社 二座 の論社

■旧社格
村社

■祭神
天児屋根命


応神天皇が造ったとされる「剣池」の北側に鎮座、孝元天皇 劔池嶋上陵も池の東側にあります。また近くには県内最大の丸山古墳(欽明天皇陵か)植山古墳もあり、古代遺跡が数多く点在する地域でも。
◎こんもりとした丘の上に建てられ、御神体は紙幣であるようです。「式内調査報告」によると、石川俣合の祖「楯」が保食神と大歳神を祀った社とあります。「楯」はこの地を開拓したとされる「石川楯」ではないかと。さらに天児屋根神は天保年間に合祀したと。
この「楯」という人物は式内社 治田神社の創祀にも関わっているようです。武内宿禰の曾孫とされ、石川という姓からも蘇我氏系なのでしょうか。
◎ところがこの「石川楯」、雄略天皇が宮中に入れようとしていた百済の蓋鹵王(コウロオウ)から貢進されていた池津媛と密通、ともに焼き殺されたなどというのが紀に見えます(飛鳥戸神社の記事参照)。この書以外は大歳神社は所在不明とされてはいますが、審らかな資料といえそうです。
◎ご祭神については大歳神と保食神(宇賀之御魂神と同神か)の兄弟神なのか、大歳神大山咋神の親子神なのかははっきりとはしないものの、開拓の成果と弥栄を祈った社のように思います。
◎式内社 大歳神社の比定社は、当社北東300mほどに鎮座する馬立伊勢部田中神社。そちらの社伝では、旧社地は豊浦の「小墾田宮跡」とされているところ辺りにあったらしく、「飛鳥川」の大洪水(慶長年間1596~1615)で流されたために現社地に遷されたとしています。
その旧社地というのは当社から真東。遷座前から当社との何らかの関連があったのではないかと思います。
◎鎮座している丘陵は古墳ではないかと考えています。宗教施設等が建てられ丘陵裏側がほとんど掘削済み、北側も中学校建設で削られていますが、残された形からそのように感じています。西側に前方部を向けた全長150mクラスの前方後円墳ではないかと(下部写真参照)

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。










丘陵北東に鎮座する白屋八幡神社の境内より。


植山古墳より当社丘陵を。