飛鳥戸神社
(あすかべじんじゃ)


河内国安宿郡
大阪府羽曳野市飛鳥1023
(P無し、近隣停め置き不可、「上ノ太子駅」前コインP等利用)

■延喜式神名帳
飛鳥戸神社 名神大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
素盞嗚尊


雄略天皇の御代461年に人質として渡来した百済の昆支王(コンキオウ)と、この辺り一帯に居住したその一族(飛鳥戸氏一族)が、昆支王を祀ったものとされる社。周辺には新宮古墳群があり、一族のものだろうとされています。
◎雄略天皇二年(461年)、第21代百済王 蓋鹵王(ガイロオウ)から貢進されていた池津媛が石川盾と密通。ともに焼き殺されます。そこで男子である弟(子という説も有り)の昆支王が遣わされました。なお百済国の英雄、武寧王は蓋鹵王の子。つまり昆支王の兄の子(異説有り)。
昆支王は母国が高句麗に攻められ蓋鹵王は薨去、そして滅ぶとの急報を受け477年に帰国。第22代百済王 文周王より内臣左平に任命されています。帰国3ヶ月で没したとされます(「三國史記」より)。ただし倭国で没したという説も有り、大県郡の高井田山古墳が墓ではないかとされています。
雄略天皇二十三年(479年)には第23代百済王 三斤王が薨去。昆支王の子の未多王が母国へ向かい(倭国で出生)、天皇からは軍士500人が付けられました。そして第24代百済王 東城王に。
◎当社の創建時期は不明。477年頃に何らかの形で創祀がなされたのであろうと思います。鎮座地はいわゆる「太陽の道」のライン上。すなわち「三輪山」と「二上山」とを結び西方に延長したライン上。このライン上には聖徳太子の御廟を始め、西の先には美具久留御魂神社萩原天神(旧社地)、大鳥大社などと主要社が鎮座しています。建てられるべく地に建てられたのであろうかと。

◎安宿部(あすかべのこほり)やその周辺一帯には渡来系氏族が多く拠点としていました。昆支王を中心とする飛鳥戸氏は安宿郡の中心的な存在であったのではないかと考えられています。氏族名がそのまま郡名となっていることがその証かと。
◎式内名神大社となり得たのは、昆支王や当時の一族の活動に対してというのはもちろんですが、末裔の高野新笠が桓武天皇の母であったこと、同じく末裔の百済永継が藤原内麻呂の后となり、冬嗣等が生まれている(後に桓武天皇の女儒になった)ことも大きいかと思われます。
◎スサノオ神は江戸時代頃に祭神が変わってしまったものと推測。明治に入り近くの壺井八幡宮に合祀されたものの、分祀されて再建されたのが当社。河内ワインの葡萄畑に囲まれた中に、小さいながらも凛とした佇まいで鎮座しています。

飛鳥戸氏


*写真は2018年1月と2022年4月撮影のものとが混在しています。






何度訪れても境内には塵一つ、落葉すらもありません。本当に大切にされているお社であり、昆支王が慕われ続けていることが窺えます。


拝殿内にこちらの書が置かれています。大いに勉強させて頂きました。