(日吉大社 奥宮 牛尾宮 降臨したとされる磐座)



■表記
大山咋神(オオヤマクイノカミ)
記の記述には山末之大主神とあります。


■概要
「咋」は「杭」のこととされ、「大山」に「杭」を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神、また農耕(治水)を司る神(以上Wikiより)とされます。
◎記には大歳神と天知迦流美豆比売神(アメノチカルミヅヒメノカミ)の間に生まれた、十柱のうちの三番目の神。またの名を山末之大主神とし、近淡海国(近江国)の日枝山に坐す神(比叡山の日吉大社、あるいは奥宮の牛尾宮に坐す神)、また葛野の松尾に坐す神(松尾大社に坐す神)であると。続けて「鳴鏑」を「用つ神」(一般的に「御神体」と訳する)とあります。
◎この記述は大国主命の神話を長々と綴った後の、大歳神に関する記述内にみえます。「鳴鏑」については、矢の先に装着する「鏃(やじり)」のことかと思います。これを単なる武器の一つとみなしていただけのものでないことは、御神体とされていることから分かります。おそらく「杭」のことであり、つまりこれを(矢とともに)放ち打ち付けることで、「所有が確定する」という観念があったのではないかと思います。戦が決着し勝者は「鳴鏑」を放ち打ち付けるという儀式がなされていたと考えます。その所有を担保する神が大山咋神であったのではないでしょうか。
◎時を経て、この神を奉戴するようになったのが秦氏。山城国の賀茂社、日吉大社、松尾大社(いずれも記事未作成)という主要な三社にこの神が関わります。日吉大社、松尾大社に関しては主祭神であるため言うまでもなく、賀茂社に関しては「賀茂縁起」に、「大山咋神が丹塗矢に化して玉依姫と結ばれ賀茂別雷命を生んだ」とあります。「丹塗矢」は男性器そのものであり、「鳴鏑」はその先端を意味するのでしょうか。日吉大社 東本宮の樹下宮には、鴨玉依姫命が祀られます。秦氏が三社のこの地を開拓し、「杭」を打ち付けたということなのでしょうか。


■祀られる神社(参拝済み社のみ)
日吉大社(東本宮)
松尾大社

※配祀、合祀等(参拝済み社のみ)
貴船神社(飛騨国)


(松尾大社)