須賀神社 (長浜市菅浦)


近江国浅井郡
滋賀県長浜市西浅井町439
(社前一帯が公園となっており、駐車可)

■旧社格
郷社

■祭神
淳仁天皇
大山咋神
大山祇神


淳仁天皇の「保良宮(ほらのみや)」伝承と隠棲先であったという伝承、さらに御陵とされる塚もある神社。
葛籠尾崎(つづらおざき)と呼ばれる琵琶湖に突き出た半島。そのほとんどが山であり、わずかな平地部分に小さな集落。万葉集にも記される港ですが、排他的な歴史を歩んで来たようです。
淳仁天皇は孝謙天皇の譲位を受けて即位、孝謙天皇は上皇となりました。光明皇后の後ろ楯のあった藤原仲麻呂(恵美押勝)の強い薦めで淳仁天皇が即位しています。当時は三者の親交は深かったようですが、光明皇后の崩御後にその仲は崩壊。「恵美押勝の乱」で仲麻呂は他界、まったくの後ろ楯を失います。孝謙上皇は道鏡との親交を深め、ついに淳仁天皇は皇位を奪われ流されました。その流された先は「淡路国」と記されているのですが、なぜか当地に流されたという伝承が残っています。「淡路国」は「近淡海(ちかつおうみ)」と呼ばれますが、「近江」の誤りであるというもの。
当地には義経が隠棲した洞穴も近くにあります。隠棲するには最適な地であったのでしょうか。この社を訪れて受けた印象では、公には淡路国とされているものの、実は当地に隠棲していたのではないかと感じました。あくまでも印象ですが。
境内はこの上なく清浄に保たれています。神聖な地として、手水舎より先は裸足で参拝するしきたりになっています(現在はスリッパが用意されています)。隔離された地とはいえ、氏子(住民)たちがこれほどまでに大切に守ってきた社は他に見ません。






参道は非常に長く続きます。

ここから先は土足禁止。現地の方は今も裸足で登られています。



ご本殿裏に陵墓があります。


社前に琵琶湖が広がります。