その5.②金八先生と脱学校論

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

本論

 私が教師となったのは1985年のことである。そこでまずは1970年代、1980年代を賑わしていた学校教育に関する教師、元教師の言説を取り上げてみよう。まず数多くの著作がある村田栄一氏(1935~2012)の活躍がこの時期は目立つ。村田氏は1958年から1980年まで川崎市立小学校勤務。退職後はしばらく著述活動に励んでいたが1996年から2004年まで国学院大学講師(教職課程/教育原理)であった。組合活動に熱心な左翼系言論人として反権力の立場から盛んに学校教育について発言し、かつてフレネ教育を推奨していたことを覚えている。

現在、私が所有している村田栄一氏の本は以下の通りである。

 ・「戦後教育論~国民教育批判の思想と主体~」(社会評論社 1970)

 ・「学級通信ガリバー」(社会評論社 1973)

 ・「飛べない教室」(田畑書店 1977)

 ・「じゃんけん党教育論」(社会評論社 1978)

 ・「戦後教育の現在」(教育出版社 1981)

 ・「生きているこども共和国~ドンキホーテの末裔たち~」(風媒社 1981)

 ・「教室のドンキホーテ~ぼくの戦後教育誌~」(筑摩書房 1982)

 里見実氏との共著「もう一つの学校へ向けて」(筑摩書房 1986)や村田氏が編集に加わった「教育実践の記録1 ことば教育」(筑摩書房 1981)もある。村田氏の著作は大学時代に課題として出されたことがあったため、就職後も読み続けていた。当時は「カバゴン」こと阿部進氏(1930~2017:やはり川崎市立小学校に勤務後、教育評論を手がける。村田氏の大学での先輩)や「山びこ学校」((1956)で知られる無着成恭氏(1927~)、灰谷健次郎氏(1934~2006:「兎の眼」、「太陽の子」などで知られる児童文学者)ら、なぜか小学校教師の経歴を持つ人物がマスコミなどにもよく登場していた時代である。

 村田氏の系列の本では他に中学校教師の相川忠亮氏(1934~2011)の「きまぐれ月報学級通信上・下」(社会評論社 1975)や同じく中学校教師の川津皓二氏(1935~)の「日常と幻視~学校空間から~」(社会評論社 1975)がある。彼らの影響もあったのか、当時は学級通信を発行する教師が私の周囲にもかなり多かったような気がする。

 先行する1970年代は校内暴力が荒れ狂った時代であったため、運動部の指導に熱心な体育会系熱血教師が学校の規律回復上の観点からもてはやされていた。実際、「校内暴力事例の総合的研究」(学事出版 1984)や「校内暴力問題講演集」(学事出版 1984)によると校内暴力で荒れた中学校の多くが秩序の回復を最優先して運動部の指導に熱心で強めの生徒指導が出来る教師を他校から数多く集めるという人事方策を取っている。

 しかしその管理主義的指導への反発からか、テレビドラマ「金八先生」(1979~2011)の影響も加わり、生徒に粘り強く、優しく寄り添う非体育会系タイプの教師が世間では次第に理想化されていく。1981年のテレビドラマ「父母の誤算」(原作は若林繁太「教育は死なず」1978)も金八先生と同じく、小山内美江子氏を脚本家として用い、金八に近い教師像を描いている。村田氏らはこの金八路線にやや近い立場と言えようか。

※参考記事

   〇日曜劇場『御上先生』の学校教育監修・工藤勇一先生が語る教育問題 金八先生以後に生じた「学校

      =悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考え方」…工藤勇一校長が指摘

      する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 婦人公論.jp工藤勇一 2025.1.26

 ○金八先生以後に生じた「学校=悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考

      え方」…工藤勇一校長が指摘する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 

      婦人公論.jp 工藤勇一 によるストーリー 2024.2.19

 

 ちなみに私は大学の授業で出された夏休みの課題で灰谷健次郎氏の「兎の眼」(1974)や「太陽の子」(1978)を読み、教師の道を選ぶことになった。こうした経緯から村田氏のものに加えて就職後もしばらくは灰谷氏や上野瞭氏、山中恒氏、あるいはミハエル・エンデといった児童文学作家の作品を読み続けていた。そしてもちろん灰谷氏らも金八先生と同様、徹底して子供の目線に立ち、子供に寄り添う姿勢を重視した作家であったと言えよう。

 他方で私は他の同世代の教師と同様に國分一太郎(1911~1985)氏、斎藤喜博(1911~1981)氏、特に教育困難校での授業実践で知られる林竹二氏(1906~1985)の「教育の再生を求めて 湊川でおこったこと」(筑摩書房 1977)、「教育亡国」(筑摩書房 1983)などからも授業のあり方に関して多少とも影響を受けている。加えてベテラン教師となった段階で読んだ大村はま(1906~2005)氏による国語の授業を論じた「教えることの復権」(苅谷剛彦・夏子 ちくま新書 2003)は、大村氏による単元学習を軸とした教科書を独自の視点から徹底的に「使い倒す」独特の授業手法が非常に興味深かった。

 國分氏や斎藤氏、大村氏は無着氏、阿部氏、村田氏らの先行世代に属する先輩教師でもあり、1980年代の教師にとってはまだまだ影響力の大きな存在であった。他方、学者の林氏は当時、猛威をふるっていた校内暴力との絡みもあってか、マスコミから大きな注目を集めていた教育哲学者である。彼は学者にありがちな「机上の空論」を潔しとしない、優れた授業実践家でもあった。また大村はま氏の著作集は当時、どの学校図書館でも一際、目立つ存在であり続けていた。確かに彼らの世代の影響を無視しては1980年代の教育論を語ることが出来ないだろう。

 とは言え、特に林氏の授業実践に関しては早くから学校現場からの根強い反発があった事は事実である。私自身、教職に就いてからはこの二人の感嘆すべき実践について「金八先生」に対するのと同様の違和感も同時に抱いてきた。金八先生を含め、彼らは運動部の指導をしていないではないか…多忙な学校教師にとって明らかに実践不可能なまでに難易度の高い、準備に骨の折れる教育実践をモデルとして示されても、現場は困惑するだけであろう。

     ※さらに「金八先生」の問題点として挙げられるのが、不良生徒を立ち直らせるドラマティックな物 

  語の展開に力を入れるあまり、不良生徒の加害を受けて不登校となるような、気の弱い生徒への関

  心がイマイチ、弱い、という点だろう。イジメられている側への配慮が少し不十分だったのではあ

  るまいか。

   実際、校内暴力の後で表面化してきた学校問題としてイジメ、登校拒否、家庭内暴力、引きこも

  り、自傷行為などが注目されてくる。これらのテーマに金八シリーズがどこまで肉薄できたのか、

  かなり疑問が残るだろう。また真面目で責任感の強い教師が、妙に頑なで保守的に描かれ過ぎてい

  る点も気になった。

 難易度の高すぎる授業を普通の教師に要求することはむしろ学校のブラック化を推し進めることに他ならない。これらの希有な実践が世間で賛美されればされるほど却って教師達の無力感を深めはしないのか。そうした疑問が止めどなく湧いてくるような学校現場の過酷な労働環境が私の勤め始めた1980年代には既に広がり始めていたのである。もちろん今の学校の絶望的な状況と比べれば当時はまだまだ牧歌的レベルではあったのだが…

 もう一つ、私にとって当時、見逃せなかった論考は児童読み物作家と自称していた山中恒氏(1931~)の「ボクラ少国民シリーズ」(辺境者 全5巻、補巻1、別冊1 1974~1982)など、戦時中の学校教育を論じた著作であった。「疑問だらけの中学教科書」(森本真章・滝原俊彦 ライフ社 1981)が世情を賑わせ、中曽根内閣によって臨時教育審議会が設置されてついに戦後教育の流れが大きく変えられようとしていた1980年代当時、教育方法論、授業論以上に教育内容それ自体の是非を強く問う傾向が家永教科書裁判の経過(1965~1997)と共にしぶとく学校教育の底流に残存していたように記憶している。

 戦時中の国家総動員体制下、教育者や学者、文化人がどのように戦争に加担していたのか…そして敗戦後、彼らは戦時中の言動をどのように反省し、戦後はどのように振る舞ってきたのか、吉本隆明氏の「叙情の論理」(未来社 1963)をはじめ、数多くの研究者がこのテーマに関心を持ち、これに関連する多くの著作が発表されてきた。ある意味では「疑問だらけの中学教科書」もそうした著作の一つと言えるだろう。森本氏とは対極にあって、個人的に最も注目したのが山中氏の「ボクラ少国民シリーズ」であった。国民学校を少国民として体験した山中氏が自ら精力的に資料収集に当たり、膨大な資料を元に国民学校における教育の実相を解き明かそうとした、大変な労作である。

 他には山中氏の「子ども達の太平洋戦争」(岩波新書 1986)、中内敏夫氏の「軍国美談と教科書」(岩波新書 1988)や櫻本富雄氏の「日の丸は見ていた」(明石書店 1982)、長浜功氏の「国民学校の研究~皇民化教育の実証的解明~」(明石書店 1985)、同「教育の戦争責任」(明石書店 1984)なども同様の関心に基づいた著作であった。これらの著作を通じて文学者や教育者の多くが戦時中は熱烈に戦争を賛美しておきながら、戦後はほとんどまともに反省することなく、熱心な民主主義者、平和主義者になりすまして戦後も活躍を続けている事に気付かされた。中には公職追放を受けた人々もいたが、追放はたちまち解除され、かつての政治家、財界人、特高、右翼、暴力団も含めて多くの指導者層が戦後も同様に日本の指導的な立場に復帰しているのである。

 敗戦によって教科書自体は国定教科書から「墨塗教科書」を経て検定教科書に変わったものの、とりわけ社会科教科書の内容面での信頼性、妥当性には未だに大きな問題が残り続けていると私は感じている。

※最近の著作では「帝国日本のプロパガンダ~戦争を煽った宣伝と報道~」(貴志俊

 彦 中公新書 2022)や「大東亜共栄圏のクールジャパン~協働する文化工作~」

 (大塚英志 集英社新書 2022)も興味深かった。

 

 大学院の授業では戦後の学校教育の歩みを辿ることをテーマにした門脇先生の授業があり、大田堯(1918~2018)編「戦後日本教育史」(岩波書店 1978)が主なテキストであった。憲法などの法制面の字面だけを見れば戦前と戦後の間には確かに大きな断絶と変化があった。しかしその変化を担った人々の顔ぶれはさほど変化していなかった。この途絶えることのなかった戦前からの人脈がアメリカ軍の占領下、戦後日本の形成期において決定的とも言えるような役割を果たしていた事の持つ意味は現在においても決して小さくあるまい。

 

 学者からの発信も見てみよう。1980年代、教育社会学における学校教育研究は日本では東大が中心的役割を果たしており、清水義弘(1917~2007)氏、天野郁夫(1936~)氏や藤田英典(1944~)氏、久冨善之氏(1946~)らが大きな存在であった。彼らの門下生である苅谷剛彦氏、耳塚寛明氏、岩見和彦氏らも盛んに研究論文を発表していた時代である。当時は社会学理論の一つの柱となってきたタルコット・パーソンズ(1902~1979)の構造機能分析を手法とする社会システム理論が批判され始め、「パラダイム転換」が世に叫ばれていた。イヴァン・イリイチらの脱学校化社会論、脱専門家社会論もそうした風潮の中で注目を集めていたのである。

 私は大学時代、教育社会学のゼミを受講しており、教育社会学で論文を書くために専ら苅谷氏らの論文が掲載されていた東大の研究紀要と自分の恩師門脇厚司先生の研究に注目していた。このため教職に就いてからもしばらくの間は、教育社会学の学会員ではないにもかかわらず東洋館出版の日本教育社会学会編「教育社会学研究」を定期的に購入し、教職の仕事に日々忙殺されながらも教育社会学の研究動向の把握に努めようとしていた。

 幸い私の初任校では社会科教員が月に一回、社会科会議の時間を割いて自分の好きなテーマを選び、社会科内で発表するという自主的研修が行われていた。その準備を兼ねて大学時代の学習を続ける事が出来ていたわけである。さらに年に一回、宿泊を伴う社会科の研修旅行が行われており、足尾銅山や東海村原子力発電所、長野の松代大本営跡などで貴重な見学が経験できるなど、若手教師の成長には欠かせない職場での自主的で有意義な取り組みが幾つか存在していた。

 ただし学校現場でこのような素晴らしい取り組みが行われていたのは残念ながらこの初任校のみであり、二校目などは社会科準備室がただの教科書や資料集等の書庫と化していて誰も常駐しておらず、研修も日帰りだけの貧弱なものに過ぎなかった。部活の指導や進路指導の仕事があった上に通勤時間も長かったため、帰り際に書店に立ち寄ることすらほとんど出来なくなり、この二校目でたちまち「教育社会学研究」の購入がほぼ途絶えてしまった。

 また三校目は教育困難校ということもあって時間的、体力的、精神的余裕が無くなり、思ったような自主研修を行えない状況が続いた。しかし毎年秋には僅かな数の有志で京都、奈良旅行を実施していたのは当時、日本史担当者としてせめてもの救いだった。また社会科有志で社会科教室を舞台に文化祭での展示を行える機会も僅かながらあった。こうした点は教師による自主的な取り組みの伝統がギリギリではあるものの辛うじて高校に生き残っていた証しではあるだろう。

 恐ろしい事に四校目以降(およそ20年前以降)、そうした教科単位での自主的試みは皆無となってしまった。これはもっぱら県教委が国の施策に基づき、初任研(1989年導入)や経験者研(2003年導入)、管理職の指導による校内研修(四校目の学校では何と年に20回以上!)などを次から次へと設置、拡充してみっちりと日程を組んでしまったことにより、現場での自主研修の機会がほとんど奪われてしまったからである。なお私の学校教育に関する読書習慣もこの四校目でほぼ完全に断たれてしまった。

 県教委や管理職が実施する校外、校内での強制的研修が授業力向上に繋がる有意義なものであるならばまだしも、その多くは現場感覚からズレまくった完全にトンチンカンな内容であり、総花的で時間の無駄と言えるものが多かった。現在の若手教師の研修はそうした官製研修ばかりとなってしまったため、特に勤務校の実情に沿った授業に関わる研修の薄さは教師の中途退職や精神疾患の増大などの問題を生み出す大きな原因の一つにさえなっていると私は考える。

 こうして生徒に寄り添う時間や楽しく分かりやすい授業を創り出すための現場での創意工夫のチャンスを教師達から根こそぎ奪い去っておきながら自らの責任を棚上げし、学校の不祥事を他人事のように騒ぎ立てて「不適格教師」のレッテル貼りに専念する、極めて冷酷無比な教育行政がこの20年余りの間に確立してきたと言えるのではないか。肝心の授業を蔑ろにして生徒指導や進路指導、部活指導に現を抜かす学校のブラックな体質は上からの的外れでお粗末な官製研修の一方的な押しつけによるところが決して小さくはないと考えるがいかがだろう。

 

 さて学者による発信の中で私が特に魅了されたのは久冨氏の著作の随所に見られた、現場の教師に寄り添うようなきめ細やかで温かい教育者の視点であった。教育社会学の立場から久冨氏(「教員文化の社会学的研究」多賀出版 1990年)は教員の置かれている、傷つきやすい不安定な立場をこう説明している。「学校という所は、少数ないし一人の教員が、多数の生徒たちを相手にし、彼らがもともと必ずしも好んでいない学習活動へと導かねばならない。その状況が教員の特別の権威と、教員の生徒に対する統制を不可避にしている。したがって、ディシプリン(統制の生徒への内面化過程)に失敗すると、教授活動においても失敗するだけでなく、父母・住民からの信頼を決定的に失う原因となる。…その意味では、教員がディシプリンに特別の関心を示すのは、その仕事の性格に起因する当然のことであり、そこに教員たちの苦心があり、苦悩もあるのだ…」

 すなわち学校現場でいたずらにマンツーマン的対応を前提とした「カウンセリング・マインド」(20数年ほど前の学校では一世を風靡した流行語だった)を唱えることは教師の依って立つ基盤を自ら突き崩す危険性を孕んでいたのである。久冨氏のこうした学校現場への深い洞察と共感的理解は教育困難校で苦悩する教師にとってまさに得がたい魅力であった。そして氏の著書の多くが実は編著であるのだが、これは若手研究者に発表の機会を出来るだけ多く与えることに尽くしてきた、優れた教育者としての久冨氏の人柄が偲ばれる証左だ…と当時の私は感嘆のまなざしで捉えていた。

 久冨氏に加え、天野氏の後継者と目された苅谷氏の広い視野から下される鋭い洞察力にも私は圧倒されていた。もちろん恩師門脇厚司先生の著作は主に高校教育を対象としていたため私にとって必要不可欠なものであった。以下、この3人が執筆された、私が所有する著書を一部だけ紹介してみる。おそらく本のテーマからだけでも一定の傾向、時代の風潮が伝わると思う。

 なお以下に紹介した著作(特に21世紀になってから出版された本)を私はすべて読了してはいない。その事情は既に記したとおりである。

久冨善之(1946~)氏

 編著「教員文化の社会学的研究<普及版>」(多賀出版 1990)」

 編著「豊かさの底辺に生きる~学校システムと弱者の再生産~」(青木書店

   1993)

 「競争の教育~なぜ受験競争はかくも激化するのか~」(労働旬報社 1993)

 編著「日本の教師文化」(稲垣忠彦氏との共編 東京大学出版会 1994)

 編著「希望をつむぐ学力」(田中孝彦氏との共編 明石書店 2005)

 編著「教師の専門性とアイデンティティ~教育改革時代の国際比較調査と国際シン

   ポジウムから~」(勁草書房 2008)

苅谷剛彦(1955~)氏

 「学校・職業・選抜の社会学~高卒就職の日本的メカニズム~」(東京大学出版会 

   1991)

 「大衆教育社会のゆくえ」(中公新書 1995)

 「学校って何だろう」(講談社 1998)

 「教育改革の幻想」(ちくま新書 2002)

 編著「学力の社会学~調査が示す学力の変化と学習の課題~」(志水宏吉氏との共

   編 岩波書店 2004)

 編著「教員評価」(諸田裕子、妹尾渉、金子真理子氏との共著 岩波ブックレット 

   2009)

 編著「教員評価の社会学」(金子真理子氏との共編 岩波書店 2010)

 「コロナ後の教育へ~オックスフォードからの提唱~」(中公新書ラクレ 2020)

 「コロナ後の教育へ・・・」で日本の教育行政に対し「…エセ演繹型思考と法治主義をセットにし

   たアプローチでは、設計段階での欠点や欠陥を見過ごし、思った成果を上げられるかどうかを不

   明にしたままでも制度改革が出来てしまう。さまざまな副作用についても思慮の外に置かれ

   (p.63)との指摘は実に鋭い。立て続けに断行されてきた教育改革の発想の根幹を揺さぶるもの

   であろう。また政治家や官僚側が常に自分達の謬見や過ちを棚に上げて学校を一方的に断罪し、

   改革と称する学校現場の破壊的政策をひたすら推進してきたこれまでの経緯の背景が見えてくる

   点で教師必読の書と考える。

門脇厚司(1940~)氏

 「現代学校論~生徒と教師の社会学~」(亜紀書房 1982)

 編著「高校教育の社会学~教育を蝕むみえざるメカニズムの解明~」(陣内靖彦氏

   との共編 東信堂 1992)

 編著「高等学校の社会史~新制高校の予期せぬ帰結~」(飯田浩之氏との共編 東

   信堂 1992)

 「子供と若者の異界」(東洋館出版 1992)

 「異界を生きる少年・少女」(東洋館出版 1995)

 「大人の条件~社会力を問う~」(佐高信氏との対談 岩波書店 2001)

 「学校の社会力~チカラのある子どもの育て方~」(朝日新聞社 2002)

 

 以上、挙げた本の題名からだけでも1990年代以降、日本の学校がお上からの息つく暇すら与えない「~改革」の洗礼を浴び続け、徐々に疲弊していった様が個人的には思い浮かぶ。学校教育の行き詰まりの原因を不適格教師の存在と決めつけて管理職による教員評価を強化し、免許更新制を導入して不適格者の排除を図る、官製研修を増やして現場の創意工夫を根絶やしにする傍らで「教師の質向上を図る…」とのご託宣。これらすべては教育行政の失敗を現場の教師へ一方的に転嫁する傍ら、肝心の改革(教師の仕事の精選、教科書検定制度の見直し、高校教師養成教育の見直し等)をサボり続けた行政側の欺瞞と怠慢の歴史の反映であると考えるがいかがだろう。

 なお私は他に藤田英典氏、天野郁夫氏、柴野昌山氏、竹内洋氏、今津孝次郎氏、岩見和彦氏、岩木英夫氏、志水宏吉氏、広田照幸氏、古賀正義氏、柳治男氏、油布佐和子氏、本田由紀氏、教育社会学者以外では中内敏夫氏、佐藤学氏、諸冨祥彦氏、小林正幸氏などの著作も読んでみている。

 外部からの発信という点ではジャーナリストの役割も大きい。林雅行(1953~)氏の「天皇を愛する子どもたち」(青木書店 1987)、鎌田慧(1938~)氏の「生きるための学校」(岩波書店同時代ライブラリー 1995)及び「「教育工場の子どもたち」(講談社文庫 1986)、吉岡忍(1948~)氏の「ルポ 学校の力」(朝日文庫 1992)、「ルポ 教師の休日」(朝日文庫 1992)、「街の夢 学校の力」(日本書籍 1981)、日垣隆(1958~)氏の「ルポ 高校って何だ」(岩波書店1992)、最近では朝比奈なを氏の「教員という仕事~なぜブラック化したのか~」(朝日新書 2020)など、いずれも大いに参考となった。

 

 現場からの発信に戻ろう。1980年代の後半以降、都内の定時制高校教師であった佐々木賢(1933~)氏の本を読むようになる。私は初任校や二校目の高校は中堅どころの進学校であったが、実は大学時代の恩師が教育困難校の調査をしていて神奈川県の高校調査にお供したことがあり、学校改革を論文のテーマとしたことから、困難校の実態には強い関心を抱いてきた。三校目の転勤先に敢えて困難校を希望したのも恩師や佐々木氏の影響が決定的に大きい。

 1980年代は山本哲士氏らの推奨でイヴァン・イリイチの脱学校化社会論がブームとなっていて私もその系列の本をそれなりに読んでいたが、佐々木氏もイリイチの影響を受けた言説を展開していた一人である。ただし山本氏の硬直した難解な言葉遣いとは違って佐々木氏は教師としての経験を踏まえた具体的で分かりやすい内容であり、その文章はたいへん魅力的であった。

 イリイチは学校や教師の機能の肥大化を警告し、それらの機能を縮小させて国家や学校から民衆の手に学びの主権を取り戻すことを主張していた。佐々木氏も同じ主張に属し、同時にこれまで賛美されてきた体育会系熱血教師像への批判をも試みたと考える。

 以下、私が所有する佐々木賢氏の著作を列挙しておこう。

 ・「学校はもうダメなのか~学校内格差と非行問題~」(三一書房 1981)

 ・「学校を疑う~学校化社会と生徒たち~」(三一書房 1984)

 ・「当節定時制高校事情」(有斐閣 1987)

 ・「怠学の研究~新資格社会と若者たち~」(三・一書房 1991)

 ・「商品化された教育~先生も生徒も困っている~」(青土社 2009)

 他に松田博公(1945~:ジャーナリスト)氏との共著で「教育という謎~消費社会の文化変容~」(北斗出版 1992)と「果てしない教育?~教育を超える対話~」(北斗出版 1986)の二冊がある。

 

 1980年代後半から佐々木氏とは異なる、やや保守的な立場から精力的に発言してきたのが「プロ教師の会」である。中心人物は埼玉県立高校の教師だった諏訪哲二(1941~)氏と埼玉県川越市立中学校教師だった河上亮一(1943~)氏。教職員組合が学校をダメにしてきたとして左派を攻撃し、学校経営の現実的観点から秩序回復のためには厳しい指導も有り、とする主張を展開した。主に別冊宝島で「プロ教師の会」の特集が相次いで組まれ、中曽根内閣の臨時教育審議会の方針に一部沿いつつ左派の平等主義が持つ欠陥を鋭く指摘していた。

 彼らに関して、立場によってはただの保守反動であると簡単に切り捨ててしまう向きがあるかもしれない。しかし彼らの多くは校内暴力が吹き荒れた、疾風怒濤の時代を学校現場の当事者として目の当たりにしてきた。その中で生徒集団の狂騒的な集団心理の恐ろしさ、御しがたさを痛感してきたはずである。一人の教師が40人を超える生徒達を狭い教室に閉じ込め、好きでもない勉強を長時間強いることの難しさを少しでも分かっている教師ならば、彼らの主張にはそれなりに共感できる側面があったはず。とりわけ心理的に不安定となりがちな思春期の中学生集団を相手にする難しさは時に想像を絶する瞬間があるものだ。

 観念的な理想論、教条主義的なイデオロギーに寄りかかった立場からのプロ教師の会批判はまったくの見当外れであると私は考える。40人以上の集団を相手にする場合、何らかの政治的権力が発生しないわけにはいくまい。経営論的観点も必要とされるに違いない。それらをリアルに感じて「管理」を武器に秩序回復を第一と定め、普通の教師と生徒達を校内暴力の嵐から力づくでも救い出そうとした試みこそがプロ教師の会の目指したものではなかったか、と思う。

 管理主義教育が悪い事など、今は誰でも分かる。しかし一クラス40人を優に超える途上国並みの学級編成の中での校内暴力の嵐がどれほど、当時の教師たちを追い詰めていたのか…上から目線ではなく、その辛さに対する共感的理解を抜きにして当時の学校を語るわけにはいくまい。

 実際、表では管理主義教育を批判して「金八先生」を気取っていても、実際には教科準備室にこもることで生徒指導の修羅場からひたすら逃げ続け、挙句の果てに学級を崩壊させてしまった教師たちを少なからず目撃してきた。そういう教師たちの多くは表向き、人権派、民主派を装いながら、その実、荒れた学級を放置し、大人しくて真面目な生徒たちを次々とイジメの被害者にして不登校や成績不振に追い込んでいたのではなかったか。そうした教師たちが口先だけでなく、本当に生徒たちの人権を重視しようとするならば、大人しい生徒たちの人権、授業を受ける権利をもしっかりと保障してあげるべきだったに違いないのだ。

 ※ちなみに諏訪哲二氏は教育社会学研究NO.50「教育社会学のパラダイム展開」(東洋館出版

  1992)の「転換期の教師モデル」(P.421~423)で報告者の一人として発表している。

 

 組合員であった私がプロ教師の会からの発信を数多く、重く受け止めようとしてきたのは困難校に努める立場に加えて以上のような理由からである。また彼らの多くは管理の必要性を主張してはいたが、行き過ぎた管理主義には基本的に反対していたという点も決して忘れてはなるまい。

 以下、私が所有する別冊宝島の特集、諏訪氏と河上氏の著作、及びプロ教師の会の喜入克氏の著作を列挙してみる。

別冊宝島の特集

 ・78号「ザ・中学教師~プロ教師へのステップ編~」(JICC出版局 1988)

 ・95号「ザ・中学教師~親を粉砕するやり方編~」(略 1989)

 ・108号「ザ・中学教師~ダメ教師殲滅作戦編~」(略 1990)

 ・129号「ザ・中学教師~子どもが変だ!~」(略 1991)

 ・プロ教師読本Vol.2「プロ教師の学校大論争!」(略 1993)

 ・プロ教師読本vol.3「プロ教師の教育改革総点検!」(略 1995)

  他に洋泉社MOOKプロ教師・読本Vol.4「プロ教師のしつけ論」(洋泉社 

  1997)

諏訪哲二氏の著作

 ・「反動的!~学校、この民主主義パラダイス~」(JICC出版局 1990)

 ・「日の丸」(JICC出版局 1991)

 ・「学校の終わり」(宝島社 1993)

 ・「平等主義が学校を殺した」(洋泉社 1997)

 ・「ただの教師に何ができるか」(洋泉社 1998)

 ・「なぜ勉強させるのか?~教育再生を根本から考える~」(光文社 2007)

河上亮一氏の著作

 ・「プロ教師の道~豊かな管理教育をつくるために~」(JICC出版局 1991)

 ・「プロ教師の生き方~学校バッシングに負けない極意と指針」(洋泉社 1996)

 ・「学校崩壊」(草思社 1999)

喜入克(1963~都立高校教師:)氏の著作

 ・「高校が崩壊する」(草思社 1999)

 ・「教師の仕事がブラック化する本当の理由」(草思社 2021)

 ※喜入氏の「教師の仕事…」には一部見当外れと思われる指摘があり、学校が変わるべき本質的課題

  を少しばかり見誤っているように思える。教育が商品化され教師が万能ロボットの「ドラえもん」

  と化している、官僚制が肥大化し、強権的となった教育行政が「スクラップアンドビルド」の原則

  から外れて際限なく「ビルドアンドビルド」を繰り返すようになり、学校現場を極度に疲弊させて

  いる…といった指摘には大いに共感するが、従来の「学校という枠」をアプリオリに前提とする傾

  向が見られるのは残念。今、学校側が見直すべきポイントの一つは旧態依然の「学校という枠」で

  あり、知識詰め込みと一斉講義形式に偏る授業方法であると思うが、いかがか。同じプロ教師の会

  では諏訪氏、河上氏の著作の方がより説得力があると私は感じている。

参考記事

 ◎教員も実感、小学校で「暴力行為18.6%増」の深刻     東洋経済オンライン 松尾 英明 2025.11.13

 今、なぜ小学校や中学校での児童生徒による暴力行為が増加してきているのか、その原因は単純に特定できるものではないだろう。松尾氏が指摘するように大人の指導力の弱体化という側面があるのは確かに否定できない。とはいえ、「目には目を」のように暴力には力で対抗する…といった対応がはたして暴力行為の沈静化にどこまで効果があるのかは、極めて疑わしい。

 たとえば「叱る大人がいない社会では、子どもが「悪いことをしたら叱られる」という当たり前の構造を学べません。叱られて悪いことをやめようとする子どもに暴力が横行することは、本来あり得ないのです。」という指摘は本当に正しいのであろうか。

 かつて校内暴力が吹き荒れた時代、学校は運動部顧問、体育科教師を中心にして厳しい生徒指導を行うことで事態の鎮静化を図った事は事実である。その結果、校内暴力の沈静化は実現できたと言えるが、他方で「イジメ」や登校拒否の問題が新たに浮上してきた。つまり下手な管理主義をとったとしても別の問題が浮上するようではただの「モグラたたき」に過ぎないのかもしれない。

 実際に過去の校内暴力件数や学校での暴力件数の統計を確認してみよう。

 まず校内暴力の件数は1981年がピークであることが分かる。例のテレビドラマ「金八」シリーズの第一弾が1979年10月から1980年3月まで。確かにこのテレビドラマが校内暴力を多少とも誘発した側面がある、との工藤勇一氏らの指摘もあながち間違ってはいないだろう。

 

 次に今から30年ほど前の、暴力件数が急増してきた頃の文科省の統計を見てみよう。この時代には小学校と高校での暴力件数が統計に加わってきている。また典型的な対教師暴力を中心とした「校内暴力」よりもかなり広く学校での暴力行為を捉えるようになったようで、昭和での校内暴力の発生件数と単純な比較はできないが、暴力案件の増減の動き程度はある程度、捉えることができる。この段階ではまだ中学校での件数が小学校や高校に比べて圧倒的に多い。

 最後にこの記事で取り上げている直近のデータを見てみよう。平成20年を境にして暴力件数が増大している。と同時に中学校の件数を小学校が上回り始めている。この変化をきちんと説明できる材料は今のところ不十分なものしかないと考えるので、これについてのコメントは控えたい。

 

 

 ただ言えることとして現段階を含む学校での暴力件数のピークは直近で3つ存在している。ただし、それらの内、現在の状況に関しては現在進行中の現象なのでそのピークが来年度以降になっていく可能性も十分ある。つまり現段階では今、学校での暴力事案はピークを迎えつつある、という表現にとどまるだろう。

 以上を踏まえて学校での暴力案件(校内暴力を含む)の推移を見ると、一つの仮説が思い浮かぶ。まず二番目のピークに関しては校内暴力時代の生徒らが成人して親になり、その子供たちが小学校から中学校に在籍する頃合いである点にまず注目したい。つまり二番目のピークをもたらしていたのは校内暴力世代のジュニア世代であるということ。また三番目の暴力件数急増には校内暴力世代の孫世代にあたる児童生徒が数多く関わっている可能性がある。

 私自身の経験から見ても勤務校が荒れだしたのが、二番目のピークに相当する、すなわち「校内暴力ジュニア」世代が高校生となり始めた頃とピッタリ重なるタイミングであった。そういう経験も踏まえると、現状の件数増加は親世代における反学校的文化の次世代への継承が背景に潜んでいるのかもしれない。

 なお最初のピーク、校内暴力が吹き荒れた時の世代はややズがあるものの、第二次ベビーブーム世代、すなわち「ロスジェネ」世代と一部、重なっているだろう。とすれば二番目の暴力件数の増加は、ロスジェネ世代である親世代の不遇、社会経済的な問題が生み出した可能性も否定できまい。

 以上はかなり不確かな仮説、憶測に過ぎない。実際、こうした分かりやすい世代論には落とし穴がつきものではある。しかし、ここで管理主義を強めることが問題の解決には必ずしもつながらないのでは…という小さからぬ懸念を、以上のような観点も加わえて、この記事から感じとった次第である。

     この問題においても、最も重大なのは教師の疲弊であり、これこそが暴力事案を含む教育問題の多くを生み出している土壌の一つであろう。したがってまず急ぐべきは教師の職務の大幅な削減である。暴力案件への対応を急ぐあまり、教師の職務を徒に増やす事だけは絶対に避けるべき愚策と考えるが、いかがか。

 なぜ先生は学生を「怒れなく」なっているのか 教育現場を弱体化させている1つの

  「妄想」 東洋経済オンライン 鳥羽 和久,舟津 昌平 の意見 2024.7.16

 日本の教育を縛る「金八先生・泣き虫先生」モデル ーー教師のブラック環境が消

  えない「意外な難点」 文春オンライン 永島 孝嗣 によるストーリー  2023.12.30

   

㉚「教師のバトン」の皮肉と学校のブラック化

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

「ネット出席」認知度に課題 学校側「前例ない」などと対応 不登校生徒の母「制度は絵に描いた餅」 専門家も「明確に

     家庭に伝わるように」   TBS NEWS DIG_Microsoft 2025.11.12

 これもまた学校のブラック化が新しい制度、改革の動きを受け入れる柔軟性や対応力を学校現場から完全に奪いつつある…という極めて深刻な事態を示しているのではあるまいか。私たちは文科省の通達が学校現場になかなか浸透していかない背景に潜む、教師たちの疲弊と言う事態の急速な進行にもっと注目すべきなのではあるまいか。

【年収超えの自腹】学校に貢いだ2500万円……公立学校の先生の財布が「無限の公

 費」になる瞬間 All About 福嶋尚子・栁澤靖明・古殿真大  

 「学校に貢いだ」という側面もあるだろうが、児童生徒に貢いだ側面も大きいだろう。いずれにせよ長い教員生活を通じて「貢いだ」額が巨額に上ることは間違いない。教員の方ならば、自腹を切った事例を挙げ始めるとおそらく枚挙にいとまがないはずだ。

 日本の極めて貧しく、古いままの公教育が、その貧しさにもかかわらず「やりがい」をちらつかせて無謀にも全人的な教育を教師たちに不当にも課してきた…「やりがい搾取」と呼ばれた欺瞞に満ちた歴史が必然的に生み出した現象こそ、教師による際限なき自腹なのである。こうした教師の自己犠牲的行為はかつてはほとんど問題視されることなく、いまだ学校に残存する教師聖職論によってむしろ美談化されてきた側面すらあったのだ。

 教師による自腹の総額は自腹と自己責任による出費との境が非常に曖昧であり、グレーゾーンが極めて大きいため、きちんと算出することが極めて難しいケースが少なくない。したがって2500万円程、というザックリとした数字に強い違和感を持たれる方はもしかするとかなり多いのかもしれない。

 しかし私の実感からすればこの数字、決して大げさで奇異なものではない。残業時間が厳密に把握されている企業の方ならばご理解と共感をいただけると思うが、教師には残業時間に基づくきちんとした手当は本当の意味ではほとんどと言って良いほど支払われていないのだ。仮に残業代等の総額及び教師の自腹分を「逸失利益」と見なして県や国に対し、損害賠償請求すると仮定すれば、損害賠償の総額は一体、どれほどの額になるのか…興味本位ではあるがザックリと概算してみたい。

 仮に平均的な教師一人に対して退職までに支払われてこなかった残業代などの総額(労基法で定められた残業代と休日出勤の手当を基準にした、あくまでも近似値に過ぎないが…)を算出してみれば、それがどれほどの巨額に上るものなのか、この試算で容易に想像がつくようになるだろう。もちろん、給特法による4%分を最終的にそこから差し引いて総額を出していく必要はあるのだが…

 私の某高校における月当たりの平均的な残業時間および休日出勤時間を用いて計算してみたい。さらに算出するために必要な数値として、本来ならばもらえるはずの月当たりの残業代、及び休日出勤代。これらは労基法の定める最低基準値、および現時点での公立高校教師の平均的給与さえ分かればとりあえず概算可能だろう。

 公立高校教諭の平均的給与は2023年度の文科省実態調査によると月給で35万7000円ほどだが、あくまでも概算なのでここでは36万円キッカリとしておく。この額を2025年10月のカレンダーをもとに出勤日数22日として日給を計算する。100円以下を切捨てると、日額約1万6000円となる。これを勤務時間の8時間で割ると教師の平均的時給は約2000円となる。

 労基法によれば休日労働に対する割増賃金は、通常の賃金の3割5分以上、深夜業に至らなければ残業代は一時間当たりの通常の給与額が在校時間の長さに応じて算出される。さすがに深夜業務は修学旅行や学検の採点、部活の合宿を含めても、年に数回程度なので今回の計算からは除外しておこう。

 問題は勤務日の平均的残業時間であるが、勤務校の実態によってかなりの差があるものの、平均するとかなり少なめに見積もっても2時間となるだろう。休日出勤もまたかなり少なめに見積もっても月に平均3日。月単位の総時数で言えば最低でも20時間となるはず。

 まず私の通常の残業時間は月単位でだいたい2時間(一日の平均的残業時間)×22日(2025年10月のカレンダーから特別時間割や学校行事などを度外視して単純にカウント)=44時間(月単位の平均残業時間)ほどであった。したがって当時、残業手当があったとすれば月給に上乗せされるべき額はとりあえず2000円(平均的時給)×44時間=8万8000円となる。

 ただしここから給特法に基づいて4%の一律加算分を引かなければならない。その額は一月で360000×0.04=14400円となり、100円以下を切り捨てれば、加算分はおよそ14000円となる。かなり大雑把だが88000-14000=74000円が毎月、もらえたはずの概算での残業代となる。これを単純に12か月分、すなわち1年分の残業代に換算すると74000×12=888000円。さらに教員の勤務年数を60歳定年退職として38年とすれば、かなり粗雑な計算となってはしまうが、38×888000=33744000円となる。

 これに休日出勤の額も加えてみる。月に平均20時間の休日出勤だとすれば2000(平均的時給)×20(平均的休日勤務時間)×1.35=54000円が一般企業ならば毎月もらえるはずである。これを年間に換算すれば648000円となる。この数字に勤務年数38年を掛ければ24624000円。残業代の総額33744000を足すと58368000円…

 実際には都道府県や年代、学校によって異なるだろうが、部活動を平日で2時間以上、休日で4時間以上指導した場合、その超過分に対して若干の金銭が支給される場合があった。ただしその金額は月にせいぜい1万円程度であったと記憶している。仮に1万円だったとすれば年に12万円、38年分で456万円となる。これも総額から引くと残りは538008000円となる。8000円は切り捨てて53800000円としておこう。

 以上の計算はかなり少なめに見積もってのものである。実際には運動部顧問時代、4月や9月は一か月間、ほぼ一日も休んでいない、修学旅行では一日平均で2~3時間程度しか寝ていない、入試の採点時や逮捕された生徒への対応では時に深夜に及ぶ…休日の試合では会場校の場合、12時間勤務が当たり前…といったような事態は一切、考慮されていない。

 53800000円に教師の自腹分を加えてみよう。この自腹分も教師の個人差は極めて大きいので平均的な総額を出すのはまず不可能であるが、敢えて自分を基準に概算を出してみよう。部活動関係の出費は、最小限に見積もっても年間で数万円は下るまい。これにクラス担任(自分の場合、文化祭での自腹が一番大きい)としての自腹分、教科担任としての自腹分(実物教材、印刷機、コンピュータ、インクなどの購入費。ただし最も高額な書籍代は除いておく)を足すと、極限まで少なく見積もっても年間でおよそ10万円は下らない。もちろん、こんなに少ない額で済むはずはないのだが、ここでは年間の自腹分をとりあえず最小値の10万円という事にしておく。

 自腹分は勤務年数の38年をかけて総額380万円となる。これに53800000円を足すと54180000円となる。退職金や年金が次々と削減されている状況を踏まえれば、公立学校の教師という仕事が経済的な観点からはいかに割に合わない、激烈なレベルの自己犠牲で成り立ってきたか、お分かりいただけたかと思う。

 もちろん、教師たちが失ってきたのは決して金銭だけではない。家族との団らんや休息、教材準備、生徒へのきめ細やかな対応…それらいずれも本来ならば最大限に尊重されるべき貴重な時間と体力、気力がことごとく失われていったのである。

 この過酷な自己犠牲を教師たちにひたすら強いてきた文科省が、現場で悪戦苦闘してきた教師に対してこれまで一切の反省を見せず、謝罪すらせず、どれほど高慢ちきで無能な存在であり続けたのか…ぜひ一人でも多くの方にご理解いただきたい。

 

1.「教師のバトン」ってどんなバトン? 

 かつて文科省が上から目線で使った「教師のバトン」というフレーズは教師の皆様方にどのように響いたのだろう。カッパはむしろ全国の教育現場に絶望的な思いを一層募らせただけだと感じている。多くの教師が激しい憤りを持って受け止めたに違いないとさえ思っている。

 「教師のバトン」という本質的に重い言葉は、悲惨な学校現場の泥水を一切浴びたことのないただの第三者、高学歴エリート役人達が脇からしゃしゃり出てきて云々するものであってはなるまい。当たり前過ぎることだが話の本筋としては学校という現場において日々行われている魅力的な教育活動を通じて当事者である教師自らが次世代の生徒達にバトンを渡していくはずのものである。とりわけ学校の教師が日常的に面白くて有益な授業をすることこそが生徒達に教職への憧れを募らせるのであり、そのことこそがバトンを次世代に渡していく行為そのものだと思うが、いかがだろう。

 

 そうであるにもかかわらず、目標申告シート(自己評価シートetc)の記入、学習指導計画の作成、朝令暮改を繰り返す大学入試改革へのネコの目対応、学習指導要領の改訂、進学用調査書や指導要録の改訂、果ては混乱ばかり招いた不備だらけの校務IT化、意味不明な校内研修のつるべ打ち・・・息つく暇も無く矢継ぎ早に文科省や県教委から下々へ、あたかも罰ゲームのように押し寄せてくる仕事の山、山…

 その多くは教育行政を熱心に「やってます」感を演出すべく仕組まれた、いざというときのためのアリバイ作りに過ぎないような、絶望的なまでに不毛感漂う雑務の塊。そして過熱する一方の部活動と噴出する学校や教師への批判、モンペアへの対応…これらに忙殺される余り、肝心の生き生きとした授業実践に手が回らなくなるどころかついには本務であるはずの授業までもが教師及び生徒達にとっても耐えがたい苦痛になってきている…

 日本の学校教育が直面している本当の危機はそこにあるはずであった。

 

 そうした学校の惨状に一切目をくれず、「定額働かせ放題」とか「やりがい搾取」という罵声が激しく飛び交い始めた学校に対して、現場で悪戦苦闘する教師の立場からすればどう見ても皮肉としか受け取りようのない「教師のバトン」という、美しすぎるほどセンチメンタルな表現を文科省の官僚は用いてしまった…

 この人たちの究極的とも言って良いほどの現場に対する理解の無さ、鈍感さがSNS上での大炎上を招いた主な原因であったはずである。当然の帰結として現在、全国的に教師のなり手が不足してしまい、いよいよ学校教育の危機が深まってきている。

 

 そんなことにすら今の今まで気付くことのできない、学校現場に恐ろしく無知な官僚や政治家が厚かましくも学校教育行政を動かしているのだから、学校現場が萎える一方となるのも致し方あるまい…などと思わず毒づいてしまうほどに学校現場のお上に対する積年の恨みが溜まりに溜まっている。これが現在の学校教師達の実情ではないのか。

 

 もちろん文科省の官僚にも言い分はあるだろう。文科省に限らず、官僚の多くが安月給で過労死ラインを遙かに超える重労働を常時強いられているという。つまりお互いの職場がブラック化しているのだから、実はお互いに被害者でもあり、今こそ鬱憤をぶつけ合っている場合ではないのだ。官僚も教師も、同じ公務員として分断と対立を乗り越え、お互いに連携し、自分たちの労働環境の劣悪さを世間にもっとアピールして労働環境改善に持ち込んでいくのが事の本筋であろう。

※参考動画

【働き方】過酷な教育現場は改善できるのか?

     精神科医・樺沢紫苑の樺チャンネル 2025/10/11 19:33

     これほど日本の学校の現状を厳しく捉えている識者も珍しい。しかしこのような認識を持たないと、もはや教師のメンタルが保てない…ということは事実だと私も思う。ただしスマホの過剰使用が脳の疲労を招く可能性はかなりあるだろうが、使用制限の問題については判断を保留したい。

公立学校教員の4割が偏差値50未満の大学出身という時代に突入

    Morite2 English Channel 2025/02/06  8:43

    大学入試における偏差値がそのまま教師の授業力に反映するわけではないので、このデータが教師の力量の低下に直結するものではあるまい。しかし教員採用試験の倍率低下も考え合わせると、若手教員の学力低下の可能性は決して低くはあるまい。とはいえ、教師の学歴、学校歴、さらには当該教科の学力ですら、教師の授業力との相関は一般に予想されるほどに高くはないと考える。

    担当する教科、科目への一定程度の理解、知識は確かに教師として全員が備えておくべき最低限の条件ではある。ただし多くの児童生徒にとっては教師の授業力、すなわち授業の魅力こそが肝心な要件であり、教師の学歴などは、ほぼどうでもよいことだろう。

 高校教師の授業力の向上を図るには第一に大学での教員養成教育の改革が必須となるはずだ。同時に教師の負担を軽減して教師が授業準備等に専念できるよう、労働環境の大幅な改善を図ることが切実に求められていると考えるが、いかがか。

「今も一気に絶望の淵に立ってしまう」 心療内科に通院する現役教員の思い 精神疾患による病気

 休職の教員が7000人超えで過去最多に 文科省調査

 TBS NEWS DIG Powered by JNN  2024/12/20  2:53

 こうした事態が生じてしまった背景には一体何があるのだろう。生徒たちに動画を視聴させ、まずはできるだけ多くの理由を考えさせたい。次に以下の参考記事をもとにして学校や教師のあり方を見直すべく、議論を深めていきたい。

※参考記事

「主体性の評価」見直し、高校教員83%が賛成教員の負担軽減へ    リシード 2025.8.22

    こんな程度の事で教師の負担軽減につながるわけはない。また生徒の主体的な学びを抑圧する画一的一斉講義形式の授業がいまだに残存している日本の現状がある。加えて職員会議の形骸化やブラック化などによって教師側の主体性がそもそも奪われ、損なわれてきた経緯もある。

    教師は自分たちの主体性が喪失してきているのに、生徒の「主体的な学び」を奨励し、評価sしなければならない…この皮肉、矛盾はどう捉えるべきなのだろう。まったくブラックジョークとしか言いようのない、珍妙な事態である。

子どもの自殺防止、教員向け新指針作成へ…学校と医療機関が連携強化

 読売新聞 2025.8.22

 …文部科学省は、学校が医療機関との連携を強めて、児童生徒の自殺を防ぐための教員向け指針を新たに作成する方針を固めた。自殺の危険性がある児童生徒を早期に把握し、適切な対応を促す狙いがある…とのこと。

 一体、文科省はどこまで間抜けなのか、厚顔無恥なのか呆れ果てるばかりである。そもそも精神科の医者ですら、自殺防止は極めて難しい。しかも専門家であるはずの医者の中には東京の滝山病院のように、唖然とするほど質の悪い医師がいたりする。

精神医療への疑念が消えない中で、素人に過ぎない教師に医師の技量や資質を見抜けるわけがない。

 そうした状況の下で、一体、どのような連携を学校と医療機関がとれるというのだろう?この程度の事、少し考えれば分かるはずだ。しかも文科省のおかげで加速した学校のブラック化がこうした難問への教師の対応力をひたすら削り続けている。

 あまりにも当たり前のことなのだが、どう見てもこの問題の主体となるべきは校内においてたった一人、学校カウンセラーしか見当たらないはずである。

 文科省は一体、教師に何を期待しているのだろう。仮に文科省の言う通り、教師が医療機関と好ましい連携をとるべきだとするならば、教師全員、最低でも学校カウンセラーの資格を必要とすることになる。無論、そんなことは不可能だ。

 実際のところ、当の学校カウンセラーですら、自殺防止にむけて役立つような医療機関を探し出すことは至難の業であろう。自殺予備軍が抱える問題は多様であり、千差万別である。しかも多くの場合、彼らは重いうつ状態や希死念慮だけではなく、家族の問題や身体的疾患、経済的困難、対人関係の問題、低学力、不眠などの深刻な課題をいくつも同時に抱えている。カウンセラーや精神科医ですら、単独では対応困難なケースだって決して少なくない。であるにもかかわらず、文科省のおかげで疲弊の極にある素人集団の教師如きに、一体全体、この件についてどれほどのことができるというのだ。

 学校が医療機関と連携する、ということは、医療機関との連携に対して学校や教師がそれなりの責任を負わされる、ということに他なるまい。仮に、それでも児童生徒が自殺した場合、教師側によってどのような連携がなされたのか、が問われてしまうからである。これでは教師たちまでもが深いウツと猛烈な希死念慮を抱くようになるに違いない。

 文科省が考えるべきは教師の負担を増やす事ではなく、教師の負担を大胆なレベルまで削減することであり、思い切った学校カウンセラーの増員と待遇改善である。そのための予算が確保できないのならば、文科大臣以下、教師や学校カウンセラーたちに平身低頭して謝罪し、自分たちの無力さ、無能さを深く恥じるべきだろう。

保護者からの過剰な苦情・不当要求「学校以外が担う」文科省が改訂案    リシード 2025.8.20

 この程度の業務見直しで教員の負担軽減になるとは到底思えない。そもそもが学校の事務職員自体、人数不足であり、学校カウンセラーなどの専門家も不足しているところが多いはずだ。実際、事務職員の不足によって高校入試事務や受付の仕事を一部、教師が負担するようになったのは千葉県の場合、二十数年前からだったように記憶している。カウンセラーやケースワーカーに至っては、ほとんどの場合、千葉県では一つの学校に常駐できておらず、複数校を掛け持ちするのが普通だった。しかも様々な面で待遇が悪く、学校、教育委員会に対して大きな不満を抱えている方もおられたようだ。

 既に過剰な負担にあえいでいる方々に教員の負担の一部をただ押し付けるだけ…これが文科省にとってはお手軽でとりたてて経費も要しない(財務省との勝ち目のない予算折衝を回避できる)、いかにも「賢明」な解決策なのだろうが、本来、検討すべきは教育予算の増額を前提とする事務職員の定数増加、カウンセラーらの待遇向上の方ではあるまいか。

 軽減すべき教員の負担は他にもまだまだ沢山あるはずだ。学校行事の大胆な削減、無駄な官製研修の削減等々、肝心な改革にはこれまたノータッチ…にもかかわらず本来、学校の当事者が果たすべき保護者のクレーム対応を学校外に任せる…この発想自体、おかしくないか。むしろ学校内にスクールローヤーを含む複数の専門家を配置する形にして保護者との話がこじれないようにするのと同時に、担任や学年主任が一定程度まで関われる余地を残しておくことの方が学級、学年の経営上、都合が良い場合だって少なくあるまい。

 文科省の官僚たちよ、今後は財務省と互角に戦えるレベルの予算折衝ができるよう、学校現場の生の声を少しでも直接、聞いて回る努力をしていただきたい。生の声が届いていないからこそ、この程度の下らない改訂案しか出てこないのだ。

教員採用試験、約50自治体が共同実施へ 負担軽減、面接などに注力    毎日新聞 2025.8.6

    一見すると合理的な対応に見えるが、かなり危険な方向性を感じる。確かに性犯罪に走る人物を簡単に合格させるわけにはいくまい。しかし小論文や面接で人物、特にその性癖を見抜けるとは到底思えない。一体、どのような質問をすればそれを見抜くことができるのか、じっくりと担当者に伺ってみたいものだ。

    大学入試での共通テストと同様、一次試験の足切りに利用する目的で共同実施する意図が見受けられる。だが、ただでさえ採用試験の倍率低下が深刻な状況下で、はたして合同実施の試験に「足切り」機能をどれほど期待できるだろうか。
    加えて合同実施の試験はどのような組織が、どういう内容で作成するのだろう。場合によっては大学入試での共通テストのように、受験生の学習内容への過度の統制、画一化が進んでしまう恐れもあるだろう。大学での教員養成教育内容の均一化が生じてしまい、個性や多様性が侵害されないとも限るまい。新米教師への国家による妙な思想統制だけは避けたいものだ。

 そもそも教員採用試験で厳しく問うべきは受験生の授業準備の在り方、発問の仕方など、実践的授業能力の方であろう。受験者数が多い場合、授業能力を問うことは時間的に難しいだろうが、人数の絞れてきた二次試験ならば可能ではないか。

 大して判別力が期待できそうにない面接試験や小論文を二次試験とするような時代遅れの発想ではいよいよ日本の公教育はお先真っ暗、というほかあるまい。試験の合同実施によって教育委員会の仕事を削減するよりも前に、鋭意、学校現場にいる教師の仕事削減を優先してもらいたいものである。

教育現場のリアルな実態…教員の8割が10時間以上勤務    リシード 2025.7.29

 …出勤してから退勤するまでの教員の勤務時間は平均11.17時間であることが2025年7月29日、小学館が運営する教員向けWebメディア「みんなの教育技術」の調査結果から明らかになった。8割を超える教員が10時間以上、4人に1人が12時間を超えて勤務している状況にあった。

 教員の勤務実態に関するアンケートは、5月20日から6月30日にかけて全国47都道府県の教育関係者を対象に実施。Webメディア「みんなの教育技術」でのアンケート形式で実施され、有効回答数は5,412人だった。…

 この調査は文科省や各教育委員会による同様の調査よりも、はるかに信用できる。私の実感に近い結果が出ているからだ。生徒たちには「公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26」のデータと比べて議論させると面白い授業になるだろう。

公立中35人学級、教員1万7000人増必要 400億円の予算見込む   毎日新聞 2025.6.17

 少子化が急速に進む先進国であり、いまだに経済大国の端くれであるはずなのに、何とした事か、デレダラと何十年もの間、40人学級を放置してきた国があった…この日本と言う国は少子化という、学級の定員削減に絶好の追い風が吹き続ける中で、学級定員の見直しすら、まともに取り組もうとはしてこなかった。その国力から見ても35人学級程度の事くらいとっくの昔に実現できていたはずである。マスプロ教育の弊害が叫ばれてから一体どれほどの歳月が経ったと思っているのだろう。

    にもかかわらず、21世紀に入って四半世紀が過ぎ、マスプロ教育という言葉自体がとっくの昔に死語となった今の今となってようやくにして法改正を行い、35人学級を徐々に実現させていくのだという。かねてから口では「個別最適化」を唱えて生徒の多様性に応じた丁寧な教育の実現を謳ってきたクセに、「個別最適化」の足を引っ張る張本人たる40人学級を文科省は長らく放置してきた。

    何という怠慢であろう。何という欺瞞であろう。国家百年の大計たるべき学校教育ですらこのザマである。この国の無策ぶりに呆れ果てるしかあるまい。しかも政府の無策ぶりが祟って学校のブラック化が進行し、近年は若者の教職離れが顕著となって深刻な教員不足が慢性化している。こうした状況下、一体、どうやって公立中学校の教員を17000人も増やそうというのか。文科省はこれまで通り、自らの責任は棚に上げて厚顔無恥にも各教育委員会に、ひたすら困難を極めつつある教員募集という難題を平気で丸投げするつもりなのだろうか。

 このニュース、個人的には絶望しか感じられないのだが…

「子どもを救いたい」 その思いと現実の狭間で 採用数の4割超が退職…“子どもを守り職員も守る”

   児童相談所の挑戦を密着取材【news23】 TBS NEWS DIG_Microsoft  2025.1.25

   この国の老害政治家による若者や子どもたちへの切り捨て政策が、いかに学校の荒廃と児童生徒の不登校や自殺、引きこもり、非行、親による虐待、育児放棄などの諸問題をこれまで量産してきたか、しっかりと直視したい。不足しているのは教師たちや児相職員、民生委員だけではあるまい。何のための子ども家庭庁設置だったのか、もう一度、文科省、厚生労働省の責任を含めて厳しく問い直すべきだろう。

危機的状況な高知の教育界 「学校の存在意義を考え直さねば」相次ぐ教職員不祥事

 で“緊急会議” KUTVニュース 2025.1.24

 はたして高知県教委の対応はいかがなものだろう。かなり疑問のある、トンチンカンな方向性を感じてしまうのだが…教職員の不祥事が発生する背景に何があるのか、把握しようと努力した痕跡がこの教育委員会には見られないのではあるまいか。

 もちろん、不祥事の多発が教師たちの規律の乱れに起因することも有るだろう。特に管理主義的な体質の組織ならば、なおさら服務規律の整備や罰則の強化などで教員の不祥事にゴリゴリの対応をしようとするに違いあるまい。

 昔、校内暴力が吹き荒れた際、教師たちが体罰をも辞さない覚悟で厳しい生徒指導を行い、学校の沈静化に努めたように…かつての経験から、上から目線で生徒管理と教師管理の徹底を図ろうとする、老害管理職は高知県においても少なくあるまい。

 そもそも高知県での教師たちの不祥事は本当に規律の乱れだけに起因するのであろうか。高知県の教員採用試験における倍率は全国的にもかなり低いと言われる。倍率の低下によって生ずる教員の質の低下は不祥事発生の土壌を形成する一因となるだろう。加えて教育環境のブラック化が教員不足によって一層、加速してきている現状も考慮する必要があるだろう。今、教師たちのストレスがどれほど蓄積してきているのか、県教委としてきちんと調べたうえで対応しているのならば良いのだろうが…

 学校のブラック化を招いた責任は、もっぱら教師たちの仕事と責任をひたすら増やし続けてきた文科省と教育委員会にあり、現場の教師たちはそうした愚かな教育行政の被害者側に過ぎない…そうした側面があることを教育委員会はまったく把握できていないようだ。加害者のクセに被害者面して一方的に現場の教師たちを取り締まろうとする教育委員会の、居丈高な姿勢が教育界全体の崩壊を加速させかねない、最悪、最大の危険因子となってしまわないことを祈るばかりである。

 「今の若い教師はたるんどる。実にけしからん!」とばかりに管理職らが老害風を吹かせているだけであるならば、高知県の教員採用試験の倍率は今後、さらに低下し、教員不足は一層、深刻となるだけだろう。そして教師の休職や中途退職が激増する危険性まで招いてしまうかもしれない。

 「学校の存在意義を考え直さねば」ならないのは一体、どちらさんなのか…教育行政のお偉方自身、しっかりと謙虚に考え直した方が良いのではあるまいか。

6時間授業、授業内容増で子どもも教員も疲弊 現役小学校教員が語る「詰め込みす ぎカリキュラム」

   の実態 AERA dot. 西島博之 2025.1.24

   日本のカリキュラムがあまりにも過大であり、結果的に「詰め込み教育」がいつまでも改善されないままになっていることは、とっくの昔から明らかであるのに、今も何一つ反省されることなく平然と英語教育、情報教育や金融教育などが次から次へと教師の仕事として上乗せされてくる。そして教材研究の不足、授業方法の工夫の不足を日常的に自覚しながらも、疲弊しきった教師たちと、その教師たちから矢継ぎ早に、かつ大量に教え込まれる児童生徒たちとは、結局、退屈で未消化なまま、ひたすら前へ前へと勝手に進んでしまう授業自体を苦痛そのものと感じる点で、実は一心同体なのかもしれない。

 「スクラップ・アンド・ビルド」の原則は守られることもなく、仕事量が教師たちの力の限界をとうに超えているにも関わらず、非情にも様々な課題が際限もなく学校に丸投げされてくる。教師たちの疲弊には目をつぶり、現場の悲痛な叫びに耳を貸すこともなく、淡々と学校現場の仕事を増やし続けてきた教育行政側の責任は万死に値するほど重い。

 新たな仕事を次々と快く引き受けることが官僚たちの大きな手柄とされ、文科省や教育委員会での出世を約束する構造があるのだろう。しかし、結果的に児童生徒らの不登校は増える一方であり、教員の休職者や中途退職者も増える一方。当然の事、教員志願者は減り続け、教員不足が学校をギリギリの瀬戸際まで追い詰めている。そしてこれらの問題解決もまた、学校現場にほぼ丸投げされてくる。

 何が間違っていて、誰が悪いのか、明確なのに誰も罰せられず、だから何も変えようとしない…今の自堕落な教育行政に自浄能力を期待するのはあまりにも愚かであろう。

公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26

   こういう文科省がマスコミに垂れ流したまがいものの情報を、しっかりと学校現場の実態と照らし合わせることなく鵜呑みにし、短絡的にオウム返しするマスゴミの姿勢には怒りしか覚えない。ここで数値としてもっともらしく示されている「残業時間」はあくまで学校における残業時間であり、それが教師たちの残業の実態とはまったく乖離した数字であることは私も再三、指摘してきた。

 既に10年ほど前から高校でも定時を過ぎる頃に、教頭から半強制的にしつこく帰宅を指示されるようになっていた。まだ業務を終えていない教師たちの多くは、どうしても校内でしか処理できない業務を除き、渋々、多くの仕事を抱えて帰宅している。そして自宅で採点や提出物のチェック、授業準備などの「お持ち帰り残業」を続けている。つまり文科省のいう「働き方改革」という美名はその実、学校の光熱費の節約と管理職の手柄稼ぎとしての名目的な残業時間の削減に過ぎない。実際の教師の職務はかえって家族へ転嫁され、教師たちの家計を削ることになっただけである。これはむしろ「働き方改悪」と呼ぶべき文科省側の悪辣な策略であり、ただの誤魔化し、イカサマに過ぎない。

 こんなことだからマスコミは「マスゴミ」と呼ばれ、この10年ほどの間に教員不足がかえって深刻になっているのだ。文科省もマスコミも、もういい加減にしてほしい。

まだ8割の学校で“FAX使用” 校務デジタル化の進捗は? 教員の働き方改革にも関連 文科省調査 

   TBS NEWS DIG_Microsoft 2024.12.26

   もはやどこのご家庭でも骨董品となっているはずのFAXを、いまだに学校の8割が使用していることの持つ意味を軽く見過ごすことは許されまい。すなわち日本の学校自体が骨董品と化している、と言っても良いほどに、日本の学校はあらゆる面で先進国の教育から遅れをとっているのだ。

 もちろんハード面では児童生徒一人に一台、タブレットが支給された学校もあるだろうが、タブレットを学校でどう利用していくのか、授業ではどのような利用の仕方があるのか、きちんと理解できている教師がどの程度、いるのかは疑わしい。そもそもタブレット導入の先頭に立つべき管理職自身、タブレットの利用自体が心もとない人は決して少なくあるまい。

 学校でのFAXの残存はDX化の流れに日本が取り残されているのみならず、個別最適化と自律協働型の学習導入にも完全に乗り遅れ、惨めにもガラパゴス化した日本の学校の現在を象徴していると思うのだが、いかがか。もちろん、これを打開するのはそんなに難しい事ではあるまい。DX化の推進役であるべき管理職や教育委員会のメンバーを大胆に若返らせれば良いだけである。

 多少の例外もあるだろうが、多くの場合、DX化への抵抗勢力、すなわち老害教師が実は管理職や教育委員会に数多く潜んでいることは疑いようもあるまい。もちろんメンバーの若返りは年功序列の人事に囚われている限り不可能なので、まずは文科省が率先垂範、年功序列人事を辞めてみたらいかがだろう。いや、その前に都道府県教育長を文科省官僚などから選ぶことをまず、禁止してみてはいかがか。

教職大学院、定員充足率85.6%…18校が100%以上   リシード 2024.12.27

   高校での授業内容や技術は科学技術の急速な発達、目まぐるしい世界情勢の変化などによって年々、アップデートされる必要性が増してきている。特に難易度の高い生成AIの修得が教師にとって必須になりつつある現在、その修得の機会を教師たちから奪うような、ブラック化した学校のままではかなりマズイだろう。

   仮に校務の削減がなかなかはかどらない場合には、当面、教師が己の知識、技術をしっかりとグレードアップするために、煩雑な校務を一旦離れて教職大学院に進学することがより一層奨励されるべきだろう。でなければ肝心の教師たちがIT化、DX化の流れから取り残されてしまう。ところが、そうした危機的状況であるにもかかわらず、教職大学院の定員割れが常態化している。これこそがまさに日本の未来を危うくする重大事態だと考えるが、いかがか。

 教職大学院の定員割れはなぜ生じているのか、文科省は一刻も早く、その原因を探り、具体的な打開策を提示すべきである。

給特法は枠組み維持、抜本的改正は議論なし 教職調整額は10%

   毎日新聞 によるストーリー 2024.12.25

   やはり予想通りの、最悪の結果になってしまった。全国の教師たちの多くが求めているのは際限のない仕事量と重責の積み重ねによる疲弊の軽減、解消であったはず。年1%の給与の増額など、「焼け石に水」どころか、まったくの見当はずれ。むしろ絶望感だけが深まる結果となった。これで次年度もまた全国的に教員不足が深刻化し、休職や退職に追い込まれる教師が増え続けるに違いあるまい。

 物価上昇率はその上を行くことが予想されているというのに、そもそも、年1%の給与引き上げに私たちは一体どんな魅力を感じたらいいのだろう。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい…いや、つまりそういう事なのだ。

   日本の教師たちは150年を超える近代的学校教育の歴史の中で、ひたすら馬鹿にされ続ける存在に過ぎない…先進国内における教育予算の圧倒的な低さがそれを物語ってきたはずである。教師に向けられる世間の視線の冷たさもまた、その社会的地位の低さを物語ってきたはずである。

   文科省が示す働き方改革の方向性が残業時間の削減という、ほとんど意味の無い、それでいて数値でゴマカスたぐいの詐欺的政策に集約されようとしている。そのことこそ、文科省が本当に意味のある改革を決して志向していないことをいよいよあからさまにしている。それでも教師たちは年1%の給与引き上げに狂喜乱舞する、と思われているのだから、もはや絶望するしかあるまい。

   表向き、残業時間の削減は既に相当程度進んでいるはずだ。10年近く前から、学校に遅くまで居残る教師は年々、減少しているという印象は強い。ただしその裏側では自宅への「お持ち帰り残業」が増え続けてきたはず。業務が削減されていないのだから、それは当たり前である。つまり文科省は学校での残業を減らすことで電気代や水道代などを教師たちに節約させる一方で、本来、国家や自治体が負担すべきそれら業務上の必要経費の多くを教師たちの家計に転嫁させる、というとんでもない欺瞞を力強く推進してきたに過ぎない。

   実に教師たちを馬鹿にしきった「働き方改革」である。だから、今後も淡々と日本の教師たちは絶望し続けるのだ。

精神疾患で休職の教員、過去最多に 生徒指導や人間関係が負担   毎日新聞 2024.12.20

   若い教師、とりわけ女性教師の休職件数の多さは、相も変わらずの年功序列によって男性の老害教師が幅を利かす日本の学校現場の特色が背景にありそうだ。すなわち管理職の無責任な人事による若者への仕事の集中と学校での男女平等度の低さが休職という最悪の事態を招いていることを示しているに違いない。またその結果、児童生徒に大きな悪影響が及んでいることも推察できるだろう。加えて教師不足が叫ばれている中での休職の多さは、いよいよ日本の学校教育全体が軋みだし、破綻しつつあることを物語っていると思われるが、いかがか。

   こうした事態を招いた背景には、既にポンコツと化した男中心の老害政治家が国政のみならず、地方政治にも幅を利かしている、情けない現状がありそうだ。そうした閉塞的な政治のあり方が、少子高齢化の急速な進展とともに日本社会の隅々にまでしっかりと浸透してしまったのだろう。すなわち、この問題は遅かれ早かれ学校社会を大きくはみ出していき、広く日本社会全体を機能不全に陥れていくのではあるまいか。

三重の公立校教員採用、受験者数が最少に 試験の前倒しも効果なし?    朝日新聞社 2024.12.5

   一体、いつまでこうした的外れの、泥縄式対策が続くのだろう。教育行政への不信感は募るばかりである。高知では近年、教員採用試験の合格者の7割ti近くが教職に就くことを辞退している。実際、どの都道府県でも文科省が推薦する受験日の前倒しが何らの効果も見られない理由は誰の目にも明らかなのに、なぜ文科省や教育委員会はこうした不毛な駄策、的外れの弥縫策を繰り返すのだろう。

 こうした惨めな状況を創り出し続ける教育行政側に最も欠けているのは、自分たちの過ちを認めようとしない、恥知らずなまでの頑迷さにあるのではあるまいか。企業側の採用試験が教員採用試験よりも早い日程だから、結果的に教員採用試験の受験者や教職に就く者の減少を招いている、との認識は見当外れも甚だしいのだ。

 おそらくこうした自責の念を欠いた他責的認識が文科省には広くはびこっているのだろう。間違いなく若者の教職離れの主因は学校のブラック化にある。ブラック化への対応が不十分なまま、教師たちに過重な負担を課し続けてきた教育行政側の責任は極めて重大であろう。

 ただし一番の責任を負うべきは教育改革をとなえて学校に大きな負担を課しながら、ひたすら教育予算を削り続けてきた歴代内閣である。立場からすればむしろ文科省の官僚はその被害者に過ぎないと言えるかもしれない。もちろん、おぞましいほど時代遅れで的外れな教育行政によって最も大きな被害を被っているのは児童生徒たちであり、それは教員の中途退職と教員不足の増大に比例するよう、徐々に増加してきたイジメ件数、不登校者数を見れば明らかである。

 改革を阻む老害政治家たちが実権を握る日本政治の弊害、毒素はまず年功序列の世界の住人、とりわけ官僚たちに垂れ流されるに違いない。やがて官僚たちは地方に天下り、老害政治の毒素を地方にも浸透させる。いや、地方議会もまた老害地方議員たちによって既に国政以上に酷く汚染されているかもしれぬ。その毒素は末端の公務員、とりわけ教員に浸透し、無残にも児童生徒をくまなく汚染するはずだ。まさに老害のトリクルダウンが隅々まで行き渡っているのが日本の現状ではあるまいか。

なぜ若い教師の代わりを私たちが…割を食う「氷河期世代の40代教師」の嘆き【学校現場の働き方改

   革の実情】 THE GOLD ONLINE によるストーリー 2024.7.9

   割を食っているのは40代だけではあるまい。大胆な負担の軽減と公平な職務の分担が実現出来ていない責任を教育委員会や管理職が一切負わないままで済んでしまうような人事考課システムこそ、大きな問題なのではあるまいか。思い切った職務の削減と公平な校内人事を上手にできない管理職の存在こそが学校のチームワークを崩壊させる側面を決して過小評価してはなるまい。

   当然、文科省の当てにならない調査結果も決して鵜呑みにしてはなるまい。「働き方改革」の推進が管理職のお手柄となるような、「見せかけ」の定時退勤が横行している学校現場の実態は文科省の調査結果にはまったく反映されていない。信頼に足るデータを持たないままブルシットジョブをひたすら垂れ流してくる教育行政のあり方を根本から変えていかない限り、教員不足は加速するだけであろう。

教師の過酷残業と消える ”当たり前” テレ朝news によるストーリー 2024.3.28

 日本の教師不足の現状は私からすれば予想以上に軽度と言えるだろう。個人的には日本の学校教が直面している絶望的な現状においてすら、まだ教師を志望する若者が今それなりに存在していること自体、実に不思議なことだと感じているのだ。

   内田氏が指摘しているように「半世紀遅れの教育現場」がほとんど改善されることなく、「もはや学校教育は崩壊している」と捉えるべき現状があるのに一体なぜ、一部の若者は「沈む船」に乗り込もうとするのか…どうして日本では少なからずの若者が敢えて教師を志望しているのか、その動機と原因が何としても気にかかってしかたない。つまり若者たちは「教育」というバラ色の幻想に目をくらまされ、大学の古臭い観念にとりつかれたままの教師たちによっていまだに洗脳されているのでは あるまいか。

   仮に私が大学の教職課程を教える立場ならば、現状では学生に教職を積極的には勧めないだろう。 むしろ学校現場で教師が直面する数々の問題点を講義の中で赤裸々に取り上げていき、決して教職に関してはバラ色の未来を語るまい。そしてそれでもなお問題点を克服する意欲、体力、能力のある若者に限り、教職に就くことを渋々黙認する、という立場を選ぶだろう。

 つまり私が大いに懸念しているのは大学での教員養成の中身が日本の学校の悲惨な現状をきちんと捉えたものにはなっていない、という恐るべき可能性なのである。一部の大学では相変わらず大昔の「教師聖職者論」に依拠した、教職の無限の可能性…などといった古の幻想を学生たちに無責任にもばらまき続けているのではあるまいか。その一方で学校の急速なブラック化による児童生徒及び教師の心身の不調や幸福度の低下問題をひどく矮小化してしまっているのではあるまいか。つまり今、教職を魅力あふれる聖職として大学が宣伝することは極めて罪深い、詐欺的所業ではないのか。

   若者をだまして先々精神疾患などに追い込むことは犯罪的行為に等しいと言っても過言ではない、と私は思うのだが、いかがだろう。

 「無理ゲー」の霞が関 退職官僚がつづった思いとは   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.9

  諸悪の根源は政治家の見識の低さであり、そうした政治家を選び続ける選挙民の意識の低さである。そして選挙民の意識の低さを巧妙に醸成してきたのはもっぱら日本の因循姑息にまみれた学校教育であろう。時間はかかるが、学校教育のあり方を根本から見直さないと日本の政治はいよいよ低次元の俗悪なポピュリズムに流されてしまうに違いない。

 ○日教組加入率2割切る=過去最低更新―文科省 時事通信 2024.3.1

 学校のブラック化を止められなかった原因の一つが教職員組合の衰退。組合はなぜ衰退したのか、組

合のあり方を含めて問い直さなければなるまい。

 

 …と思いつつも、「どうせお上はきれい事を並べては自分たちの手柄稼ぎのためにこれからも次から次へと現場の仕事を増やすつもりであろう。これまで通りに学校で生じた問題の責任も教師の資質の問題としてひたすら下々へ押しつけるだけであるに違いない」などとついつい愚痴ばかり並べてしまう。 

 この官僚達に対する根深い不信感とひがみ根性はもちろん健康的でも建設的でもない。それにわざわざお上から言われるまでもなく「教師のバトン」自体はしっかりと次世代へつないでいかなければならぬ教師自身の大切な使命であることに誰だって異論は無い。

 バトンをつないでいくためにはまずもって教師のゆとりを回復することが最優先されるべきであるのは現状からして当然である。そのための制度的見直しは大いに必要だ。しかし制度面の見直しに関しては現場の教師が出来ることは極めて限られている。せいぜいSNS上で学校の実情を訴えるべく、「先生、死ぬかも」といった苦痛に満ちたうめき声を上げるくらいしか出来ることはないのである。ただし折角勇気を絞り出して教師が「死ぬかも」とまでつぶやいたにも関わらず、文科省は一切聞く耳を持たないまま、例の「教師のバトン」の炎上騒ぎを引き起こしているのだから教師側としてはもう、どうしても憤懣やる方ないのだ。

2.学校のブラック化

 ※カッパの伝言板でも詳しく紹介されている。

・教師も生徒も息苦しい学校という空間

元気な小学生が中学生になると面白みのない生徒になる…「みんなも我慢している

 んだから我慢しろ」無能教師がはびこる日本の同調圧力教育

 集英社オンライン 2023.08.07

なぜ多くの日本人は昔から、同調圧力が「好き」なのか…自由を「わがまま」や

 「自分勝手」ととらえ、厳しい校則で圧をかける教師もいる

 集英社オンライン 2023.8.8

日本はなぜ幸福度が低いのか? キーワードは「寛容さ」

  世界経済フォーラム  ForbesJAPAN 2022/10/20 09:30

 人生における選択の自由度の低さ他者への寛容性の低さが日本人の主観的幸福度を先進国最低のレベルとしている原因・・・だとすればその原因に大きく関わってしてしまっているのが多様な価値観を認めようとしない日本の画一的学校教育であろう。

参考動画

【教育】日本の教育現場、問題点山積み…

 2020/02/24 たかまつななチャンネル 4:39

 日本の学校での授業の問題点が短時間で整理されている。導入時に「授業への不満、要求アンケート」をとり、その分析を行う際に利用できるだろう。

【給特法】「むしろ残業を増やすかも」定額働かせ放題?教師の仕事はどこまで?

 田村淳と議論

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】  2022/08/03  15:02

【多忙な先生】「休むのが逆に違和感あるくらい」朝から晩まで多忙な教員の1

 日...一方で府を訴えた教員は完全勝訴「自主性の一言で片付けていいものなのか」

 2022/06/28 MBS NEWS 10:46

 教師の「やり甲斐搾取」、「定額働かせ放題」の側面についてアンケートをとっておくと良いだろう。特にどのような教師が生徒にとって理想なのか、どのような授業が良いのか、さまざまなアングルから質問してみたい。

【給特法】月4%上乗せで"定額働かせ放題"に法律が残業増加の温床に?教育現

 場の働き方を考える ABEMAニュース【公式】2022/08/02  18:52

【ブラック教師】「残業はしてないコトに‥」教師の"定額働かされ放題"の実態と

 は|#アベプラ 2020/03/18 38:35

【#先生死ぬかも】現役教師「過労死でも好きで働いただけとされる」ブラックな

 教育現場の背景にある給特法とは?コロナ禍で業務量が膨大に|

 #アベプラ 2020/08/19 15:52

【#教師のバトン】現役教師「閉鎖的な組織」先生たちがブラック労働をTwitterに

 暴露?前川喜平元文科事務次官と考える教師の働き方改革【EXIT】|

 #アベプラ 2021/04/10 

【#教師バトン】悲痛の叫び…なぜブラック労働?橋下徹「チームで分業でやらな

 きゃいけない」『NewsBAR橋下 #116 』2021/04/18 6:02

【ブラック労働】教員不足を加速させる部活の負担 外部の指導員を雇う学校も‥ひ

 ろゆき「教育に専念すべき」教師&先生の仕事って何だ?【働き方】|#アベプラ

 《アベマで放送中 2020/12/06

【内田良が語る】『ブラック部活動』 2018/10/28

【教育対談】苫野一徳 × 内田良『みらいの教育』を語る 2018/10/17

教員の”ブラック勤務”問題【報道特集】 

 2022/02/20 TBS NEWS 22:23

「先生は、読み・書き・そろばんのみを教えれば良い」たかまつななが宇野常寛に

 聞いてみた #うのなな 2019/10/11 8:53

「学校は、世間・コミュニティを担うべきではない」たかまつななが宇野常寛に聞

 いてみた #うのなな 2019/10/14 13:06

【毎年5000人が〇〇】日本の教員が「世界一ブラック」な理由

 原貫太国際協力師 2021/12/03 16:43

【教師不足】文科省が全国調査 教頭が担任代替のケースも…

 2022/01/31 日テレNEWS 1:13

参考記事

日本の小・中学校教員 仕事時間世界最長 学習へのAI活用は国際平均の半分程度

      OECD・国際教員指導環境調査 FNNプライムオンライン 2025.10.7

 「教員の働き改革は進んでいる」との勘違いが世間でなぜいつまでも払しょくされないのか、その理由の多くが文科省や教育委員会が公表する怪しいデータによるものであることは間違いない。表向きの勤務時間が減少しようとも、それは持ち帰り残業の増加を意味しているに過ぎず、正教員の不足が深刻化するなかで教員の実質的負担はかえって増大している…そうした現場の実態が、このようなOECDのような外国のデータでしか、明らかにされてこなかった点こそ、日本の公教育の最大の病巣であり、恥部であろう。

 そもそも学校のブラックボックス化を改善できない限り、学校のブラック化は止まりようがないのだ。

現役教員3人に2人が「休憩ない」 勤務実態調査     労基旬報 2025.10.2

     小学校現役教員5千人超から回答を得た調査であり、学校のブラック化を裏付けるに十分な量のデータと考えられる。ただし、休日の出勤が月に南海平均あるのか、のデータについては、小学校の場合、部活動指導が多い中学校や高校の厳しい実態とは大きく異なる点があることは留意しておくべきだろう。

     政府がこれまで力を入れてきたとされる教師の働き方改革の進み具合を、たかだか表面的な学校での勤務時間の減少だけで自画自賛しようとする文科省の欺瞞、卑劣さも、この調査である程度は明らかにされたと考えるが、いかがか。学校での勤務時間の減少の裏で持ち帰り仕事の増加があることはもはや明白だろう。

公立高部活動 例外措置に3条件 茨城県教委 新方針巡り個別審査

 茨城新聞社 によるストーリー 2023.6.2

教員不足、ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下

 げてる」- 読売新聞 - 2022年2月1日

尾木ママが教員不足に嘆き 採用試験の倍率は過去最低「全員合格」「質を保障でき

 ない」東スポWeb 2022/02/01 16:52

「中学の部活動を変えれば日本の学校とスポーツの風景が変わる」改革の現場を取

 材 FNNプライムオンライン - FNNプライムオンライン 2022.2.28

意外と知らない教師の夏休み事情…「生徒が登校しないからヒマ」は大間違い! 日

 刊ゲンダイDIGITAL 2022/08/04 06:30

「部活の地域移行」成功の鍵はやはりカネか 不安尽きぬ受け皿側

 毎日新聞 2022/08/05 06:00

あなたの先生は大丈夫?教師の過重労働 その果てに何が 

 クローズアップ現代全記録 2022年4月27日(水)

求む!教員免許の保持者 不足深刻、埼玉県教委がセミナー開催へ

 毎日新聞 2022/11/15 14:56

 労働環境の見直しが不十分なままでは事態の改善は見込めないだろう。

「教師にも営業時間がある」 現役教員の保護者への投稿が話題、本人が明かす発信

 の意図 ENCOUNT の意見 2022.11.20 19:28

東京都、都立学校153校で「部活動指導員」募集

 リシード 2022.12.26

 教員免許状の保有を条件としている限り、部活指導員不足は解消できまい。

あなたのまわりにも?一見優秀だが実は主体性がない「いい子症候群」の若者たち

  現代ビジネス 飯田 一史 2022/06/03 05:00

今の若者たちはなぜ「絶対に失敗したくない」のか 自己責任論が生んだ「ゼロリスク

 世代」の未来像 東洋経済オンライン稲田 豊史,金間 大介 2022/10/28 08:30

 

参考文献

○「学校ってなんだ!~日本の教育はなぜ息苦しいのか~」工藤勇一・鴻上尚史 講

 談社現代新書 2021


 

㊽兵庫県知事パワハラ問題がはらむ闇

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

斎藤知事『辞任か続投か』県民100人調査で「辞任63人・続投37人」2カ月前の調査

    と“正反対の結果 橋下徹氏は「知事失格。最悪の権力行使」

    FNNプライムオンライン 2025.5.29

 これほど毀誉褒貶の激しい知事も滅多にいないだろう。改めてネット社会の怖さを思い知る。この段階に至っても、斎藤知事の続投を支持する県民がそれなりに存在することに民主主義の機能不全を痛感する人は少なくあるまい。立花氏による情報のかく乱が生み出した洗脳現象は知事の再選を実現させただけではなく、今も斎藤支持の姿勢を県民の一部に後遺症として残しているのだ。

 ネット社会における民主主義のあり方を考える上で、今回の件は大きな教訓を残しているに違いない。ぜひ、授業で扱いたいテーマである。

斎藤知事側近の元総務部長を懲戒処分へ 告発者私的情報の漏洩を認定 停職3カ月案

 も 産経WEST 2025.5.24

兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ    読売新聞 2025.5.29

 ようやくこの事件の核心に触れる問題の一端が明るみに出ようとしている。これまでマスコミの興味本位による週刊誌的煽り報道や根拠に乏しい立花氏による扇動が続くことによって、斎藤知事によるパワハラやおねだり、あるいは反斎藤派による「斎藤潰し」といった陰謀論などに世間の注目が集まってしまった。

 結果的に多くの人々、とりわけ兵庫県民は内部通報者への知事側による一方的処断という、内部通報制度の根幹を揺るがしかねない深刻な問題から関心を大きく逸らされてしまいがちとなっていたと思うのだが、いかがだろう。

 日本では企業、お役所、学校や警察などの組織内部でたとえ人権を大きく侵害するような重大な不祥事が見聞されたとしても、これまでは「守秘義務」を口実に口封じされてしまう、あるいは肝心の当事者が自ら口をつぐんでしまうケースが過半であったと思われる。20年ほど前に騒がれた、「食の安全」を脅かす数々の事件が表面化した背景には日本の組織の伝統的な宿痾と言うべき隠蔽体質が根強く、かつ広範に存在していたことが背景にあったに違いない。また学校でのイジメ事件がこれまでもっぱら被害者の泣き寝入りに終わってきたのも、事件の真相究明を妨げつつ組織の存続を最優先する一方で、個人の人権を軽視しがちな日本社会の強固な組織風土に根ざす側面があったのではあるまいか。

 長く「人権後進国」と揶揄されてきた日本社会の暗部がどうやらこの問題にも凝縮されてい るように私は思う。これまで旭川女子中学生凍死事件やこの事件にしつこく注目してきたのも、そうした日本社会にありがちな組織的病理がこれらの事件に見え隠れしているように感じたからである。個人的には今後もこの事件の行方を注視していきたい。

※参考記事

    〇旭川いじめで初弁論 市側は争う姿勢も、争点は「係争中で話せない」

         朝日新聞社 2025.6.6

    旭川いじめ 黒塗りない「報告書」流出、市教委が刑事訴追に向け調整

        朝日新聞(奈良山雅俊) 2024年7月3日

 【速報】和歌山市職員が職場の不正“公益通報” 復職後に自死…遺族が約8800万円の賠償求め市を

  提訴 読売テレビ 2025.6.11

    

参考動画

元県民局長の情報流出疑惑 第三者委「県職員の関与の可能性は極めて高い」

    サンテレビニュース 2025/05/13  2:35

    確かに県職員による守秘義務違反がまず疑われるだろうが、加えて元県民局長及びパソコン内の記録に登場する県職員のプライバシーへの大きな侵害が生じており、侵害された被害者の救済も図られるべきだと思うが、いかがか。

「選挙って儲かるんですよ」の裏側 ポスター代を水増し請求“選挙ハック”の実態

    【報道特集】TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/05/10 17:41

「真実かどうかよりも、極端なコンテンツほどたくさん見られる」選挙期間中に拡

    散される誹謗中傷や虚偽を含む動画 作成に報酬も…背景を取材【報道特集】 

    TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/04/05 23:23

    アルバイト感覚で誹謗中傷の切り抜き動画がネット上を横行するシステムの存在がよく分かる。立花氏がこれまでとり続けてきた法の未整備をついての誹謗中傷の連鎖をどう断ち切るのかが、今、問われているのだろう。勇気をもってこの問題に立ち向かっているTBSの報道姿勢に敬意を表したい。

「お前もとっとと自殺しろ」兵庫県議らに大量の脅迫メール 激化する“言論への攻

   撃”の実態「フラグを立てられたら終わり」【報道特集】

   TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/04/05  22:32

   斎藤氏再選の背後でどんなことが起きていたのか、よく分かる。そしてなぜ兵庫県警は何一つ動こうとしないのか、兵庫県民はなぜ声を上げようとしないのか、大きな疑問が湧いてくる。事務所や自宅に押し掛けて大声で喚き散らす人物を警察や周辺の住民が放置,、静観し、結果的に一方的な誹謗中傷が堂々とまかり通る…兵庫県の選挙には民主主義や正義の欠片も存在しないかのようだ。

 再三にわたって極めて悪質なイジメ事件を隠蔽し、教員間のイジメを放置して徹底的にこじらせてしまってきた兵庫県、特に神戸市の教育界の体質と兵庫県知事を巡る騒動とは、やはり地続きのものに見えてしまうのだが、いかがだろう。

【ヨコスカ解説】「パワハラ」「公益通報保護法違反」認定 第三者委員会が調査

   報告で重視した視点、社会に投げかけるモノ 斎藤知事の疑惑

   読売テレビニュース 2025/03/20  15:37

   よくまとめられていて分かりやすい。授業で視聴させても良いが、教師としては必ず視聴しておきたい動画。

斎藤知事の複数の“パワハラ”を認定 県の対応は一部「公益通報者保護法違反」と

   指摘 第三者委員会 読売テレビニュース 2025/03/19 5:06

   弁護士たちからなる第三者委員会の報告書でも知事の違法性が指摘された。結局は当初の報道によって醸成された世論と大差ない結論に達している。もちろん知事の「おねだり」などを盛った、マスコミの過剰な報道ぶりにかなり問題はあっただろうが、本質的な問題であったパワハラと公益通報者保護法違反は認定されている。とすると昨年9月の知事に対する兵庫県議会の不信任決議自体は間違っていなかったと言えるだろう。

   N国党の立花氏による不確かな根拠による故人への誹謗中傷と百条委員会への批判もまた、法に触れる可能性が出てくる。知事の再選がもっぱら立花氏の策謀によって実現できたとすれば、斎藤知事の立場は非常に危ういものとなるに違いない。立花氏に煽られ、騙されて齊藤氏の再選を実現させた兵庫県民の責任も、決して小さくはあるまい。

「首吊れ!」誹謗中傷被害者が語る現実 兵庫県にはデマが渦巻く… 誹謗中傷す

   る人の正体とは?【かんさい情報ネットten.ゲキ追X】

   読売テレビニュース 2025/03/21  15:29

   SNSの悪しき側面を理解したい。ただし授業で視聴する際は竹内県議の件を少しぼかす必要があるだろう。

ヤバいやつチェックリスト。第二、第三の立花孝志を出さないために

   せやろがいおじさんチャンネル 2025.3.15 20:07

   兵庫県知事選の教訓としても非常に役立つ、示唆に満ちている動画。ネットを利用した授業を展開する教師としては必ず視聴しておくべき動画の一つではないかと思うが、いかがだろう。ネット社会で飛び交う情報のファクトチェックは極めて難しく、誰であれそれなりに煽られてしまうことは少なくいあるまい。発信する側と情報の受け手が双方、心がけるべきポイントが良く整理されていて分かりやすい。

ネットとデマに振り回される社会をどないするか、考えてみよ〜

 せやろがいおじさんチャンネル  2024/12/04 22:58

 なかなか兵庫県知事選をめぐる問題が良く整理されていて、分かりやすい。特にN国党の立花氏によるデマ、根拠無き誹謗中傷が生み出す問題、立花氏の言動によって浮き彫りにされた兵庫県民の政治意識に潜む問題が見えてくるだろう。

 授業での視聴は「5:45」までで十分。その後の解説は教師が視聴しておき、動画の解説に役立てれば良い。

斎藤知事の罪「公益通報者保護制度」について深堀り!一部疑惑を認める

 マスコミの責任も 長谷川良品「テレビ悲報ch」 2024/07/19  19:47

 斎藤知事が3月に「嘘八百」「公務員として失格」などと証拠を提示することなく一方的に批判すること自体が公益通報者保護制度に違反する行為であり、まして停職三か月の処分を下したことは重大な問題、さらに通報者を特定するに至った知事側の動きもまた違反行為であるとの指摘は非常に大きな意味を持つだろう。

【解説人語】匿名告発者を捜して処分 兵庫県の対応に違法性は 知事自身が調査

 を指示 3つの問題点を解説 朝日新聞デジタル  2024/08/08  6:05

 斎藤知事らにどんな公益通報者保護制度への違反が疑われているのか、3点に要約されていて理解しやすい。

4つの選択肢 兵庫県知事の決断は? 解散なら県政史上初

   FNNプライムオンライン 2024/09/19 8:43

   これは民主主義とは何なのかを考える上で格好の動画であろう。ぜひ、授業で視聴させて討論に持ち込みたい。まず兵庫県知事らの不祥事は知事らを辞職させ、新しい知事を選ぶだけで本当に済む話なのだろうか、さらに知事選プラス県議選は費用がかかるので県議選を不要だとするような白鳥教授の意見にも賛否を問うてみよう。

 また兵庫県民の中にはこの状況を「恥ずかしい」と捉えて知事の辞任を要求する意見が多数あるようだが、はたして兵庫県民に恥ずかしい思いをさせてしまったのは本当に知事たちだけなのだろうか?こちらも問うてみたい。

 仮に主権が国民にあるとするならば、政治の腐敗や失敗は不適切な政治家を選んだ国民にも少なからぬ責任が及ぶはず。この知事を選挙で選んでしまった兵庫県民の責任と、この知事を推薦した自民党及びこの知事を担いだ維新の会の責任はいずれも極めて重いはずである。したがって今後、知事選を行うだけではなく、知事を担いだ自民党及び維新の会、さらには県民の責任を問うべく、直ちに県議選を行って県民の反省を促すとともに県政、県議会の一新を図るのはむしろ兵庫県としてマストの対応ではあるまいか。

 民主主義の基本が国民主権であることは言を俟たない。日本が国民主権の民主国家であるならば国政失敗の責任はまず不適切にも不出来な与党を選んでしまった点で、一義的に国民が負うべきである。また知事の不始末を県民が尻拭いするのは民主主義の原則に沿う、県民としての当然の報いであろう。したがって知事選、県議選併せて30億円余り要するとしても、それは民主主義的観点からは不可避の支出であり、その結果、県民の負担が増えてしまうのはむしろ当然の報いとすら言えるだろう。

 いや、斎藤氏がこんなことをするとは知事選の時には思いもよらなかった…という県民の言い訳は今更通用するわけがない。安芸高田市を見ればこの理屈はよく分かるだろう。石丸氏の後を受けて新市長に当選したのは石丸氏が激しく批判してきた清志会のメンバーであった。当然の成り行きながら清志会の新市長はそれまでの石丸市政を次々と否定し、再び、市の財政が悪化するような市政の改悪に続々と着手しているようだ。その結果、先々北海道夕張市のように財政破綻し、安芸高田市が一気に荒廃してしまっても、その責任は現市長を選んでしまった市民にいずれはのしかかる。これも当然の報いであろう。

 知事選、県議選の二つの選挙を行って兵庫県の財政が傾いたとしても、それは兵庫県民が県政の当事者意識、主権者としての自覚を欠いてしまっていたせいであろう。知事へのリコール運動を起こす素振りすら県民が見せてこなかったツケが県民に回ってきたに過ぎない…国民主権が本当に成立している国ならば、それ相応の結果責任を選挙民たる国民が負うのは原則として避けられないはずである。

 では生徒たちに究極の質問を投げかけたい。はたして日本国民には本当に主権があるのだろうか?もしも日本の国民には主権が実質的かつ十全に保障されていない…ということであれば、以上の主張の論拠はほとんど崩れてしまうだろう。

 まずは日本国民が主権を持つと規定されているはずの日本国憲法第一条をもう一度確認してみよう。この条文の規定に不自然な部分はないのだろうか?また国民が持つとされる主権が実質的に機能するためにはどのような条件(知る権利の保障等)を満たしていなければならないのだろうか?日本国は現在、その条件を十分に満たしていると言える状況にあるのだろうか?

 以上の検討をしてみた結果、仮に日本国民には十分な主権が保障されていないとすれば、日本国の場合、主権の有無や主権の所在自体も問われなければなるまい。実際に日本の主権が国民には十全に認められていないとすれば、日本の主権は一体どこに分散されて存在するのだろうか?核兵器の持ち込みや米軍基地問題に見られるように実はアメリカ側にも日本の主権の重要な一部が委ねられてはいないのだろうか?

 ここまで問いを重ねてくると、私たちが一方的に兵庫県民の責任を問うこと自体、妥当なことなのかどうか…かなり迷いが生じてくるはずである。

   参考記事

  財務省が「欠落」としていた森友文書74点、一部見つかった 赤木雅子さんの開示請求への説明と

   食い違い 東京新聞 2025.5.23

【兵庫県の斎藤知事】高校生からの手紙"応援メッセージ"紹介 心理状況に専門家

 「自分に都合のいい情報を取り入れる確証バイアス」【出直し選挙決断で会見】|

  アベヒル ABEMAニュース【公式】  2024/09/27  12:09

 確かに斎藤氏の会見から、心理学の専門家ならば彼の心理的状況をある程度まで読み取ることはできそうだが、この件において本質的な問題はそこには無いだろう。確かに「確証バイアス」という認知の歪みを知ることは有益だが、ここでは肝心な問題から市民の目を逸らせてしまう危険性があるので触れない方が良い。

 大切なのは番組の後半に出てきた中室氏の指摘の方であろう。まずはマスコミが斎藤氏の「おねだり」に対して世論を煽るような報道を繰り返している点を批判し、パワハラや公益通報制度への違反行為に焦点を当てて報道すべきであるとの指摘は極めて的確であると思うがいかがか。

 また中室氏が紹介したメキシコでの研究成果は非常に示唆に富み、大いに参考となるものだろう。地方政治家の不祥事、スキャンダルの報道が長引くことで高校生の万引きやカンニングがどうやら有意に増えたとのことである。すなわち政治家のスキャンダル報道は結果的に「社会的に成功するためには多少の不正も許される」というヤバイ認識を若者に植え付けてしまうらしい。

 日本の若者の政治離れの背景にも、政治家たちの不正、スキャンダルが続々と発覚する日本の現状があるのではないか。特に兵庫県ではかの「号泣議員」や差別発言を繰り返す裏金議員…といった政治家のスキャンダルや今回の知事の問題だけではなく、神戸市を中心にかなり以前から学校教育の極めて深刻な問題が相次いで報道されてきた。

 現在、神戸市から明石市などへの若い世帯の人口流出が話題にのぼってきたことをも考えあわせると、兵庫県での児童生徒、若者の心がこうした報道によってどれほど蝕まれてしまうのか、大変気になるところである。加えて齊藤氏は失職して「出直し選挙」に臨むことになった。齊藤氏のこの厚顔無恥さ、傲慢さが今後さらに若者を政治から遠ざけ、児童生徒の精神的な「荒れ」が増大してしまう危険性を個人的には強く感じるのだが、いかがか。

 古くから言われる通り、子どもや若者は大人たちの背中を見て育つ…であるならばタイミングとして既に遅きに失している感は否めないものの、兵庫県民、神戸市民の大人たちが主権者としての何らかの社会的動きを起こさないと、神戸市のみならず、兵庫県全体の人口流失が早晩、若者を中心にして一気に加速するかもしれない。

【選挙報道】“オールドメディアvsネットなぜ?西田亮介「甘んじていたツケ。報

   道の表現の技法を試行錯誤すべき」兵庫県知事選を分析|アベヒル

   ABEMAニュース【公式】 2024/11/22  15:44

   フォロワー数、登録者数、視聴回数、「いいね」数などの調査を通じて、SNS、特にXやYoutube動画の若者への影響力がいかに甚大なものであったかが推測できるだろう。データとして非常に貴重なものがあり、授業ではぜひ参考資料としてこの動画での統計データを紹介したい。ただし授業で視聴するにはやや難易度が高く、多くの高校では無理があるので、プリント等で統計データと分析を分かりやすく紹介しておきたい。

【橋下徹氏が斬る】「SNSからの疑問にTVは答えなかった。それは信用力がない」

   選挙報道めぐる“既存メディア”の対応どう見る?【兵庫県知事選挙】

  (2024年11月18日)MBS NEWS  2024/11/19  35:32

   テレビや新聞といった大手メディア、オールドメディア側と新興勢力のSNSとの間にしっかりとしたキャッチボールが見られない点が大きな課題、とする橋本氏の見解に同感。特にテレビ各局はそれぞれの立場を鮮明にして固有の意見を表明しつつ、対立する意見同士での建設的な議論を我慢強く続けていく姿勢を最後まで保つべきだろう。そしてSNSで横行している事実誤認を正し、SNSによる誹謗・中傷・デマの拡散を批判する役割をこれからのテレビは積極的に担っていくべきだとの指摘にも同意する。

   別の動画で宇野常寛氏が指摘していたように、きちんとしたファクトチェック、事実確認を欠いたまま、ひたすらSNS上での空中戦が続くようでは、議論が永遠にかみ合うことなく、不毛な対立を煽るだけとなり、無駄な時間ばかりが過ぎ去るであろう。こうしたSNSが陥りがちな欠点を是正できるのは、それなりの取材力、検証力のある大手メディアだけではあるまいか。

「法の抜け穴を悪用する政治家たちと公職選挙法の課題」【中島岳志】2024年11

   月26日(火)小島慶子 武田砂鉄 砂山圭大郎 中島岳志【大竹紳士交遊録】 

  【公式】大竹まこと ゴールデンラジオ!2024/11/26  11:41

   立花氏の選挙への関与についての法的問題点が分かりやすく解説されている。授業で視聴させるのは中島氏の解説部分だけで良いだろう。

「YouTubeの拡散指示が支持者LINEグループの登録者に聞く 斎藤元彦氏

   再選の舞台裏【報道特集】|

   TBS NEWS DIG Powered by JNN  2024/11/30  21:59

   これまでの経緯を動画で復習する上で便利。何はともあれ元県民局長に対するプライバシーの保護を含めた公益通報者保護の観点こそ、この問題の核心であることを改めて確認したい。

参考記事

SNS中傷で住所晒しも自死した男性に何が?取材に応じた当事者「報道のつもり

    でやってますので」【報道特集】

    TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/04/19  22:48

    齊藤知事の支持派や立花氏の取り巻きらはSNSなどを使い、対立する人のプライバシーを酷く侵害した挙句、誹謗中傷を組織的かつ執拗に繰り返してきた。これによってついに自殺まで追い込んでしまったケースが、元県民局長を含めると3件も発生していることになる。

    今までも立花氏は数多くの裁判沙汰を引き起こし、反斎藤派や反立花派へ圧力をかけて追い込んできた。しかも立花氏側は二つの案件で自ら訴訟を取り下げている。

 つまり立花氏は勝敗の見通しとは無関係に訴訟を起こす事で、相手を被告の立場に置き、精神的、経済的、時間的ダメージを与え、他方で自らを精神的に優位な立場とすることを主たる狙いとしているようだ。したがって立花氏自体は裁判に勝つことをほとんど目的とせず、裁判結果などは最初から眼中に無いと見える。

 加えて立花氏側は攻撃対象の住所をネット上に晒すことで彼らの家族にも危害が及びかねない状況を意図的に創り出しているようだ。これは明らかな違法行為であるが、これまで警察側が動いた形跡を私は一件も知らない。すなわち立花氏側は繰り返し相手のプライバシーを侵害して誹謗中傷を集団的に行っているにもかかわらず、一度も警察沙汰とされないまま、とうとう犠牲者が3人も出てしまった、という事なのだ。はたしてこれで日本は法治国家と言えるのだろうか。

 旭川女子中学生凍死事件においては被害者側の重要なプライバシーが二度も第三者委員会の外部に漏洩したにもかかわらず、その犯人は特定されないまま今日に至っている。遺族が今も悲嘆に暮れている一方で、プライバシーを流出させた犯人は、おそらくまったく反省することなく今も平然と過ごしているに違いない。この時も法律違反者はお咎めなしの野放し状態であったのだ。

 今回の犯人は兵庫県議会議員の3人と立花氏、元総務部長、元副知事らであろうが、彼らもまた依然として逮捕されていないし、罰金すら科されていない。他方で被害者の遺族は今も住所などが晒されたまま、彼らから一方的に悪者扱い、犯罪者扱いをされ続けている。日本は今、実に不公正な無法社会となっているのだ。

【公益通報】職場の悪事、見て見ぬ振りしたら起きること。兵庫県の斎藤元彦知事

   めぐる内部告発と保護法改正の行方   ハフポスト日本版 2025.4.3

   旭川女子中学生凍死事件におけるイジメ隠蔽の件も、故人や遺族のプライベート情報を漏洩させることで事件の解明を妨害し、調査に関わる関係者を極度に委縮させて当該中学校の元校長、元教頭らへの責任追及をかわそうとするかのごとき極めて卑劣な動きが、新旧の第三者委員会の周辺で二度も生じていた。この件では最初の第三者委員でしか知りえない情報がネット上や旭川市議にリークされたにもかかわらず、結局はリークした人物が特定されないまま、ウヤムヤの内に調査が終了してしまった。

   今、問われているのは内部告発制度の根幹にかかわる兵庫県知事周辺での事件であり、是が非でも元総務部長や元維新県議らの動きに対して旭川のような曖昧さで事件を収束させるわけにはいくまい。日本社会の自浄機能を維持、回復させる上でもしっかりとした司法、警察の捜査が入るべき案件だろう。

【独自】第三者委の報告書に対して片山元副知事がコメント 元県民局長の告発「不

   正目的ではない」に疑問 斎藤知事には「誹謗中傷の対象となった職員らを守る責務

   がある」 FNNプライムオンライン 2025.3.28

 片山氏は元県民局長が徒に斎藤知事らを「誹謗中傷」した、との確たる根拠を十分に示してきたのだろうか。これは傍から見ればただの空中戦に見えてくる。

   懲戒処分にいたった事案であるのならば、告発文が「嘘八百」であったと判断した証拠を知事側は当初からきちんと公開しなければならなかったはずだ。仮にそれがプライバシーの侵害や公務員としての守秘義務に違反する恐れあり、と考えたのならば、知事側は明確な根拠を公的に示せないがゆえに、その段階で「変な勘繰り」を避ける上でも内部告発者への保護をむしろ最大限に優先すべきであり、「誹謗中傷」の事実認定と判定を第三者に委ねるべきだろう。

   すなわち告発文書発表当初の段階から、第三者委員会などに調査と判断を委ねる他、知事側には元県民局長の告発に対応する手段が無かったはずである。それを知事側はいつまでたってもしっかりと事の真偽を公の場で明らかにしないまま、元県民局長を目の敵にして上から力ずくで葬り去ろうとしたのではなかったか。そして県政の混乱と停滞を自ら招いてしまったのではないのか。

   だとすれば知事側が自ら招いたであろう県政の停滞を理由にして元県民局長の告発をクーデターだと決めつけ、告発文書問題を早期に解決しようとするのはあまりにも無理筋だと思うが、いかがか。

   元県民局長側にプライバシー上の重大な問題があったと仄めかして、元県民局長が自分たちを一方的に「誹謗中傷」した、といったような被害者気取りを知事側がしているのはやはりまったく解せない。それは県政を主導する立場の人間として許容される言動ではあるまい。そもそも事の真相がある程度まで明らかにできない内は、元県民局長のプライバシー上の問題と内部告発者保護の問題とをとりあえず切り離して対処するほか術が無かったはず。プライバシーの問題があるからといって元県民局長の告発をすべて「嘘八百」と決めつける事は、傍からすれば「憶測」に基づく一方的な断罪であり、知事側のパワハラだ、とのそしりを免れないはずである。

 本当に「誹謗中傷」されたのは一体全体どちらなのか…斎藤擁護派、反斎藤派のどちらにせよ、強固な信者を除けば兵庫県民の多くは判断材料の不足から、いまだにしっくりとくるほどの納得感を得られていないのではあるまいか。

 もしかすると元県民局長に対して常日頃から敵愾心を燃やしていた知事側が、この告発を機に反斎藤派を一掃しようと一種のカウンタークーデターを試みたのだ…という勘繰りだってできないわけではあるまい。

 最大のポイントはそれがどんなものであれ、元県民局長のプライバシー問題には無いだろう。それよりも第三者によって真相究明が十分になされていない段階で時期尚早にも知事側が一方的に元県民局長を懲戒処分とした事の妥当性にあるはずだ。

 プライバシーの問題や各種のパワハラ問題はその裾野に広がる、イマイチ説得力に欠ける傍証、エピソードの類に過ぎないと感じる。今後、裾野の問題にばかり目を奪われてしまうと議論百出し、収拾がつかなくなるかもしれない。少なくとも県政の分断と停滞は当分続くように見えるが、いかがか。

「斎藤知事は続投か辞任か」緊急調査 兵庫県民100人のうち68人が『続投すべ

 き』兵庫県立大の学生は「若者支援が充実。授業料の無償化大きかった」と続投支

 持 関西テレビ 2025年3月27日 木曜 午後6:5

 マスコミが「マスゴミ」と揶揄される所以はこのような報道のあり方にも顕著に表れていると感じる。わずか100人のインタビューで「兵庫県民100人の内…」といった乱暴極まる表現をしてしまう事自体、明らかに公平さ、妥当性を欠く、ただの煽り報道だろう。この程度の小さな規模のインタビューであたかも兵庫県民の総意を掬い上げたかのような表現をするのはいかがなものか。

 授業料無償化の恩恵を受けた兵庫県立大学の学生による「若者支援が充実」との言葉を受け、あたかも斎藤県政が若者全体を支援してきたかのように印象付けているのも解せない。他大学の学生ならば違う言葉が返ってくるかもしれないではないか。

 数字を用いるといかにも客観的で公正なイメージを我々に与えるが、少しでも統計を知る者ならば、この報道はただの「煽り記事」にしか見えてこない。齊藤支持派と反斎藤派との間に深まった亀裂、兵庫県政の分断はまさにこのような報道のあり方からも生じていると考えるが、いかがか。実に罪深い報道であると個人的には思う。これでは誹謗中傷を用いて斎藤擁護を煽ったと考えられる立花氏を、マスコミとして公正な立場から批判することはできない…いかがだろう。

兵庫維新3人の県議、無制限会見のてんまつ 5時間半にわたって語り続けた「正当

   性」 産経新聞 2025.2.24

   もちろんパワハラやおねだりなど、さしたる確証があるとは限らない案件を持って斎藤氏批判を煽ったマスコミの責任は軽くあるまい。それらの報道はむしろ元県民局長の公益通報者としての立場や彼のプライバシーの保護をめぐる本筋の議論から県民の目を逸らすことで斎藤氏に利する結果となった感もある。

   とはいえこの三人がしっかりとした検証をすることなく安易に立花氏を信頼してしまった責任も決して軽くはあるまい。これまでの立花氏の言動に怪しげな側面があることぐらい、誰でも分かっていた事である。実際、竹内氏や奥谷氏を、マスコミによる斎藤批判に悪乗りした悪人と見なして糾弾した立花氏の論拠は、後日、本人が認めて謝罪した通り、憶測に満ちた謬見に基づく側面があった。

 にもかかわらず、彼らが現在も「立花氏はデマを流していない」と強弁するのはいかがなものか。彼らは立花氏のいい加減な情報や、プライバシーの侵害によって成り立っていた不当な個人攻撃を、無理くり正当化することで結局は自己保身を図っているだけであろう。

 つまり、彼らは今後もこの件に関して一切、反省する気持ちも謝罪する気持ちも持ち合わせてはおらず、維新の会に迷惑をかけたことくらいしか反省していない。このため、いずれ隙あらば県民を再び怪しげな情報発信で煽り立てて、立花氏の政党に鞍替えし、ついには国政に進出するやもしれない。

 あらためて兵庫県民の良識に期待したい。

"黒幕文書"を立花孝志氏へ提供疑惑「渡したのが誰か...記憶おぼろげ」渦中の維

   新・岸口実県議が釈明 文書渡しは公選法違反や百条委の規則違反なのか...

   専門家の見解 MBSニュース 毎日放送  2025.2.19

   専門家と称する白鳥氏の見解にはガッカリさせられる。増山氏と同様、岸口氏の行為は「軽率」などとの言い訳で済むような話なのだろうか。本当にただの「イメージやモラル」の問題に過ぎないのであろうか。仮にそうだとすれば、旭川女子中学生凍死事件やこの事件の様に、関係者を極限まで追い詰めてしまうようなプライバシーの深刻な侵害がこれからも日本各地で続発してしまうだろう。

 いずれも事件の真相究明にあたる、公平で客観的な立場であるべき機関から、いまだ調査中の真偽不明な情報が漏洩してしまっている。それも極めて際どい内容のプライバシー情報である。漏洩のタイミングを考えれば、明らかに世論の流れを都合よく変えようとする、特定の目的を持って組織的に行われた「リーク」そのものではあるまいか…と疑われても仕方あるまい。

 「記憶おぼろげ…」とする岸口氏の言い訳には、過去、「記憶にございません」とシラを切り続けてきた日本の政治家たちの、往生際の悪いふてぶてしさ、不誠実さがにじみ出ている。そしてこうした人物が百条委の副委員長であった事自体にも、一定の組織的意図を感じてしまうのだが、いかがだろう。

「内部告発なんてしなければよかった」公益通報後に解雇や異動 障がい者施設で勤

   務の3人"不当な処分を受けた"と訴える 施設側は「報復の可能性はない」と主張 

   MBSニュース 毎日放送 2025.2.21

   組織内の和を重んじるあまりに上司や組織への批判を封じ込め、過度に協調と忖度を強いる社会は自己チェック機能、自浄機能を失いがちになるであろう。せっかくの内部告発が組織の改善に生かされることなく、むしろ告発者への報復が横行してしまう日本社会…授業ではひたすら「黙働」を強いられる組織における閉塞感を戦時中の少国民教育を例にしてリアルに想像してみたい。

デマや誹謗中傷でついに死者が 「流言」を言いっぱなしにする立花孝志氏と「真実

   を知り全てがつながりました」と言っていた有権者は...

   文春オンライン プチ鹿島 2025.1.28

   SNSとマスメディアとの関係はどうあるべきか、今回の兵庫県知事選をめぐる混乱をどう整理するか、考える上で非常に役立つ記事。

兵庫・斎藤知事 立花孝志氏公開の元県民局長公用PC内の私的情報「見てないです」

  「第三者委員会でしっかり調査」 よろず~ニュース 2025.1.9

   立花氏が公開したPCの私的情報を見ていないとすれば、元県民局長の公益通報に対して斎藤氏がただの誹謗中傷に過ぎないとした根拠は一体、何だったのか、がまずは問われるだろう。そもそも齊藤氏は押収したPCの内容をどこまで把握していたのか、もう一度、明確に示すべきである。そして立花氏が公開した情報と斎藤氏自ら把握した情報との付き合わせを、誰よりも先頭を切って行うべきなのは第三者委員会よりも斎藤氏自体であると考えるが、いかがか。

   第三者委員会側は斎藤氏の意図とは独立して同じことをじっくりと調査すればよい。知事として今なすべきは、県政の停滞を防ぐためにその辺りの不信感を一刻も早くぬぐい落す努力の方なのではあるまいか。第三者委員会の報告を待つ、という、当事者としてあまりにも悠長で、時間稼ぎが疑われるような姿勢はかえって斎藤県政への不信感を強めるだけであろう。

   立花氏のSNS上の活動や知事選参入を抜きにして斎藤氏の再選はありえなかったはずである。民意の形成に大きな影響を与えたであろう立花氏の公開した情報に、仮に誇張や憶測、一方的な中傷誹謗が含まれていたとすれば、斎藤氏の再選自体が胸を張って正当化できるものではなくなるだろう。そしてこうした疑念がくすぶり続けている内は、県政の健全化には程遠く、兵庫県民は相変わらず県政の「蚊帳の外」に置かれたままであろう。

緊急対談・西田亮介×安野貴博 なぜ「マスゴミ」は石丸・玉木・齋藤現象を予測で

   きなかったのか…! 現代ビジネス 週刊現代 2024.12.9

   マスコミ側の問題点としてここで指摘されている点は参考になるだろう。

斎藤元彦兵庫県知事を再選に導いた立花孝志氏の3つの”ウソ”と『オールドメディ

   ア』の犯した過ち FRIDAYデジタル 2024.12.3

NHK党立花氏公開の「プライバシー情報」 斎藤兵庫知事「本物かどうかわからな

 い」 産経新聞 2024.12.2

 これまた凄い展開。そもそも元県民局長が不倫等の問題を抱えていた事こそ、斎藤氏が告発文書をただの中傷と決めつけた最大の要因ではなかったのか。それなのに立花氏の公開した元県民局長のプライバシー情報を今更「本物かどうかわかならい」として、第三者委員会の設置を知事側が検討するとは一体どういうことなのだろう。

 本来、非公開であるはずのプライバシー情報をウソを交えて公開してしまった立花氏の行為は明らかに法に触れる可能性がある。しかし非公開のプライバシー情報に基づいて元県民局長を内部通報者保護法の対象外とみなし、拙速にも処断した斎藤氏側も十二分に違法性があるだろう。齊藤氏の違法と思しき行為は見過ごされ、元県民局長だけが一方的に悪者と見なされている異様な現状が続いている。不可思議というほかあるまい。

 多くの兵庫県民はまたしても県政の「カヤの外」に置かれてしまっている。有権者へはついに最後まで信頼できる情報が十分に与えられないまま、知事選が行われ、立花氏の真偽不明な「プライバシー情報」の公開が功を奏したことも手伝って斎藤氏は大差で再選を果たしている。つまり、いまだに元県民局長をめぐる事件は「藪の中」にあるまま、二期目の斎藤県政は既にスタートを切ってしまっているのだ。この不明朗過ぎる事態の進行ぶりに何やら釈然とせぬ思いを抱くのは私だけではあるまい。

 最近の斎藤氏にかけられた公職選挙法違反の嫌疑といい、今回の件といい、副知事の人選を巡る混乱ぶりといい、すべてが真相不明のまま繰り返される騒々しいほどのマスコミ報道…相変わらず私たちは「兵庫県政の闇は深い」とぼやくほか術がない。

兵庫県知事選に見た選挙の根本的な問題 「自由競争ができる選挙にはなってない」

   ライター・畠山理仁氏 AERA dot. 太田サトル 2024.11.30

   ほぼほぼ同感である。現時点での妥当な落としどころではないだろうか。

兵庫知事選、稲村氏陣営のXアカウント凍結で刑事告訴へ 組織的に一斉通報か 

   神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2024.11.21

   SNSの利用はもはや政治家にとっても必要不可欠であり、いかにして効果のある利用が出来るかで当落が決定しかねないのが、今日の選挙であろう。そんな時に立候補者側のXアカウントが二度も凍結されたという。どうやら稲村氏に対して組織的な選挙妨害が行われたと考えられる。これもまた兵庫県政の闇の深さを感じられる出来事だろう。裁判の行方を見守りたい。

立花孝志氏を刑事告訴、百条委の奥谷謙一委員長「虚偽のSNSで名誉毀損」…

   出てこい奥谷」演説でも被害届 読売新聞 2024.11.23

   現在、法廷で係争中ではあるが、都知事選でも某政党による凄まじい選挙妨害が見られた。立候補者ならば選挙期間中、何をしても構わない…のだろうか。会期中の議員不逮捕特権と同様、立候補者にも選挙期間中、何らかの正当性を欠くレベルでの特権があるように思えてくる。

   そもそも奥谷氏の自宅前で敢えて演説し、「出てこい」と煽ること自体、明らかな違法行為ではないか。この段階で直ちに警察沙汰になってもおかしくはあるまい。ネットで煽り、賛同者が一定程度の数に達すれば平気で常識外れの事をしてさらに煽り立て、世間の注目を浴びる…まさにトランプの手法である。

   そういえば学校や教育委員会を舞台にお下劣な事件を頻発させ、差別発言を繰り返す、あるいはテレビカメラの前で幼稚なウソをつく議員たちを生み出した神戸市はすでにトランプの支持基盤と同様の体質を抱えているのかもしない。

   「…のトランプ」が世界中に出現してくるのかと思うと、空恐ろしい。授業では、望ましい選挙のあり方と望ましくない選挙のあり方についてそれぞれ生徒たちに列挙させ、アメリカ大統領選や都知事選、兵庫県知事選を「他山の石」としてもう一度振り返ってもらう必要があるだろう。

斎藤知事告発の県民局長「PCデータ」がSNS拡散したのはなぜ 側近に浮上した漏

   洩疑惑 産経新聞 2025.1.7

   兵庫県知事選を巡る混乱は元県民局長のプライベート情報がSNS上に流出した問題に起因する側面が大きいだろう。もちろん、出発点となったのは斎藤氏側の公益通報者保護違反への嫌疑となるだろうが、これは今後の解明に待つほかあるまい。

   旭川の女子中学生凍死事件においても秘匿すべき第三者委員会の資料が二度にわたって流出し、遺族を再三にわたって苦しめてしまったことは記憶に新しい。資料の作成、保管に携わったのはごく限られた人数であり、流出させた極悪の犯罪者を絞ることは極めて簡単なはずなのに、この件は今もお構いなしとなっている。極めて不可解であり、残念なことである。

 そもそも当該女子生徒を死に追いやった大きな原因の一つとされているのが、加害者側による性的な画像の流出であっただけに、再三にわたる第三者委員会資料の流出には許しがたい憤りを覚えるのだが、いかがだろう。これほどプライバシー保護の精神が執拗に蹂躙され続けた悪質な事件を私は他に知らないのだ。

 本来ならば厳格に秘匿すべきプライベート情報を敢えて流出させて、被害者遺族を繰り返し脅迫し、同時に事件の隠蔽、沈静化を図る卑劣極まる犯罪が今もなお野放しにされている…こうした点にも旭川市の闇深さはある。だが、実はこれとまったく同じ事が兵庫県でも起きてしまっているのではあるまいか。

 元県民局長のPCが個人の所有ではなく、公的に貸与されたものだからといって、それだけで個人情報を公開して良い、という結論にはなるまい。確かに元局長が公的に貸与されたPCを私的に利用した点は咎められる。だからといってPCの情報公開が直ちに認められるわけではなく、それが公益上、やむを得ないと第三者が判断した時に限り(たとえば法廷の場などで)限定的な公開が認められる、と考えるべきではないのか。基本的人権の尊重を日本国憲法の基本原理と認めるならば、プライバシー保護に関してその程度の配慮は必要だろう。

 すなわち立花氏が選挙期間中に行ったことは元局長に対する違法な私的制裁に等しく、遺族の人権を踏みにじる犯罪行為そのものと考えるが、いかがか。

   ※参考動画

  ◎【字幕付】正義と悪!政見放送 立花孝志【兵庫県知事選2024】我らがタイガースのサンテレビ

    版★パワハラした知事はテレビ歓迎され、パワハラしてない知事はテレビに嫌われる謎!裏側

    には何が? まかろに情報局  2024/11/10 6:11

   この立花氏の主張にはどんな根拠があるのか、具体的に明示されてはいない。百条委員会での報

  告に斎藤氏のパワハラが無かった、という証拠は見られない。「ネットは正義、テレビは悪」と決

  めつける根拠などそもそもあるわけがない。まさにトランプ並みの暴言の数々である。ところが兵

  庫県民にはこの主張がおおかた、受け入れられてしまった。

   授業ではまず彼の政見放送に対する感想をアンケートで書かせ、対立する意見を取り上げてディ

  ベート形式で議論させると盛り上がるかもしれない。ただし告発文書問題の経緯をあらかじめ示し

  ておく必要はある。事件の細部の真偽については各自ネットで調べさせたい。その際、おそらくネ

  ット情報自体に大きな偏り、真偽不明の情報がかなり見られるだろう。「ネットは正義!」と叫ぶ

  根拠なき立花氏の煽りにあっけなく乗せられない程度の心構えは兵庫県民でなくとも必要である。

百条委が兵庫県幹部の尋問映像公開、片山前副知事の「告発者の私的情報発言」は

   音声を消して対応 読売新聞 2024.11.23

   百条委員会側は片山氏の発言が故人のプライバシー侵害にあたると判断して尋問映像の一部を音声カットしたらしいが、それを立花氏が曲解し、一方的に隠蔽と決めつけて奥谷氏への個人攻撃を行ったものと考えられる。兵庫県民の多くが立花氏の発信を受け入れて斎藤氏に投票したとすれば、事は重大。

兵庫県の百条委 核心は公益通報への対応だ   読売新聞 の意見 2024.11.24

   もう一度、この問題の原点に戻って考えた方が良いだろう。元県民局長による告発が公益通報にあたるのか、それとも斎藤県政への根拠の無い誹謗中傷にあたるのか…そもそも4月段階で公益通報窓口に提出された告発文書の中身に公益通報に該当する可能性が少しでも認められるならば、それ以前のマスコミ宛ての告発を巡る議論はほとんど意味をなさないだろう。故人の不倫等の問題が仮にあったとしても、告発内容に多少とも事実が含まれている可能性があるならば、故人は当然、公益通報者として保護されるべき人物であったことになる。本件に関しては故人の性癖等は一切、問われるべきではあるまい。

   一つここで問題視すべきなのは故人のパソコンから個人情報を抜き出して公にリークした行為の方であろう。これは明らかに故人および遺族への重大なプライバシー侵害であり、まず厳しくその責任を問うべきである。当事者が単に辞職して済まされる話ではない。

 もちろん立花氏による選挙期間中の奥谷氏への行為は百条委員会への恫喝であり、奥谷氏への名誉棄損でもあるだろう。また稲村氏の件もこれに絡んでくるが、いずれも法廷の場で裁かれる予定となっている。これらに関しては今後の裁判の行方を見守るしかあるまい。

 気になるのは斎藤氏が知事選での勝利を背景に、いかにも禊が済んだかのような言動を見せ始めた点である。SNSによってあっけなく簡単に左右されてしまうような現状の脆弱な民意にはたして政治家を権威づけるほどの意味や力があるのだろうか…これは選挙制度の根幹にかかわる疑問であり、兵庫県に限った話ではあるまい。

 問われるべき問題の核心は、政治家を選ぶために欠かせない国民の知る権利を国家がこれまでどれほど保障してきたのか、という点だと思うがいかがか。今回の知事選でも、耳目に入ってくる情報の中で何が信用できるのか、最後まで分からずに迷っている人が多かったようだ。この点に関してはSNS、マスコミ、学校教育の責任が大きいだろう。授業でぜひ注目させたいポイントである。

兵庫県元総務部長 死亡した元県民局長の私的な情報を個人的に所持 百条委員会が証

 人尋問の録画を公開 読売テレビ 2024.11.22

 凄い事実が明らかになりつつある。元総務部長は元県民局長のプライバシーを侵害し、押収したパソコンから引き出した情報を仲間と共有して故人を脅迫していた可能性まで出てきた。元県民局長の自殺は彼らが不倫などをネタにして故人を脅すことで斎藤氏のパワハラ問題などを口封じしようとしたことが主因なのかもしれない。仮にそうだとすれば、故人の不倫の真偽や是非とはまったく関係無く、斎藤氏側はただの犯罪者集団に過ぎないことになる

【速報】前知事の斎藤元彦氏が当選確実 期日前投票は過去最多、投票率50%超 不

   信任・失職を経て出直し選挙で再選 兵庫県知事選

   MBSニュース 毎日放送 によるストーリー 2024.11.17

   さすが旧内務省出身者を選び続けた兵庫県民である。9月に県議会から総スカンを食らい、失職を余儀なくされた斎藤氏であるが、井戸県政への批判とNHK党立花氏の扇動を追い風に、政党の支援を受けられないという逆風をものともせず再選を果たしたようだ。再選の背景には乱立した対抗馬の不甲斐なさがあるだろうが、官僚出身者を偏愛してきた兵庫県民の体質もまた大きな要因と考えられる。

 広島の安芸高田市は石丸氏が去った現在、かなり迷走を続けているようだ。対して兵庫県が今後、どうなっていくのか、極めて興味深い。とりあえずは斎藤氏への不信任を議決した兵庫県議会の解散と県会議員選挙が行われる次年度の動向を待ちたい。その結果次第では兵庫県政の行方が大きく左右されてくるだろう。

 他方で、あろうことか、アメリカでトランプが再び大統領に当選し、大統領府の人事に大ナタを振るい始めている。齊藤氏が今後、どんな人事を行い、どんな県政を行っていくのが、県外から引き続き厳しい目で観察していきたい。

 授業ではぜひ斎藤氏再選の要因について生徒たちに問うてみたい。特にSNSの影響力には注目すべきだろう。また、兵庫県政の行方についても議論させてみたい。

 なお2023年度の都道府県別転出超過数の多いワースト3にかの広島県や兵庫県が入っているのは、これらの県の人口がそもそも多く、沢山の山間部を抱えているから、という答えももちろん考えられる。しかし本当にそれだけなのかは疑わしい。たとえば兵庫県のケースでは、神戸市から明石市への転出が多いことの理由まで考えあわせて検討した方が良いのではあるまいか。

<独自>告発した元局長の私的情報漏洩か 兵庫知事側近の前総務部長ら 県が調査検

 討 産経新聞 2024.8.29

 内部告発者を自殺に追い込んだ、最大の原因となる卑劣な犯罪行為を斎藤知事らが行っていたことが分かりつつある。告発者のパソコンを押収し、個人情報を抜き取って漏洩させる…知事側のこうした動きが事実として確認できれば、知事側の動きが告発者を精神的に追い詰めたことは明らかだろう。しかしリコール運動の動きは今も表面化していない。もちろん、知事から引責辞任の声は聴かれないままである。

 兵庫県の地方自治がいかに形骸化し、腐敗し切っているか、世間に広く知れ渡る残念な日々が続いている。実際、泉房穂氏が指摘するように兵庫県知事は60年以上にわたって天下り官僚が務めている。しかも戦争遂行に深く関わり、国民の人権抑圧に中心的役割を果たしてきた内務省、その解体後に発足した自治省、省庁改編後に登場した総務省の出身者ばかり(斎藤氏を含む5人)。これでは泉氏の言うように斎藤知事はもはや殿様気取りで執務に臨んでいるに違いあるまい。

 しかし、こうした地方政治の堕落は安芸高田市や神戸市を先頭に今や全国的展開を見せている。画一的な管理主義を武器にして児童生徒の民主主義的精神を圧殺し、その芽を潰すことばかりに専念してきた日本の公教育が招いたこの惨状を変えることができるのは、やはり学校教育の根本的な改革でしかあるまい。

【独自解説】“声を挙げた人”を保護する『公益通報者保護法』、死亡した元幹部職

   員には適用されず…なぜ守れなかったのか?兵庫県・斎藤元彦知事が下した“不適切

   な判断”を専門家が指摘   読売テレビ によるストーリー 2024.8.9

  やや長い記事だが、 公益通報制度の概要がよく分かる。同時に斎藤知事のパワハラ的言動もよく分かる内容。

「県警に内部情報漏らした」 町が職員を懲戒処分 熊本・玉東 

    毎日新聞     2025.6.12

 公益通報者保護への理解が不十分なため、公益通報を「裏切り」として断じてしまう風潮が兵庫県を皮切りに全国各地へ拡大していく恐れが出てきている。

斎藤兵庫県知事のパワハラ告発の元局長死亡 「つるし上げる」と維新議員から糾弾

   されていた AERA dot.   今西憲之 によるストーリー 2024.7.13

   元局長自殺の一因となる動きが見えてきている。公務員としての守秘義務と内部告発、公益通報との難しい関係も察せられる。教師もまた公務上、生徒の個人情報に接する機会が多く、その情報を次年度の担任に伝える際、校務用のパソコンを使うべきなのか、私有のパソコンを使っても良いのか…おそらく多くの教師は校務用のパソコンを使用するだろう。守秘義務に関わる生徒のプライバシー情報を私有のパソコンに入力すること自体、避けるべきであるのは当然だからだ。

 ならば今回のような問題が生じたとき、教師が使用した校務用のパソコンの情報を公の場で公開すべきだと言われたとしたら、それは誰もが拒否するに違いない。特にクラス担任が抱える生徒情報の一部は決して口外できない部類のものも少なからず含まれており、議場で公開して良いはずがない。…元局長の心中を察するに、胸が痛む教師たちは少なくないのでは…

【パワハラ疑惑】兵庫・斎藤知事、証人尋問でパワハラ認めず「県民としてお引き

 取り願う」県外からも「リコールしないの?」の声

 SmartFLASH によるストーリー 2024.8.30

 兵庫県議会は百条委員会を設けて知事のおねだり疑惑やパワハラ疑惑を追及するという、斎藤県政を改善するためのそれなりの努力と役割を果たそうとしている。しかし斎藤知事を選んだ責任はもっぱら兵庫県民にあるはず。したがって県政への当事者意識、主権者意識が普通にあればかなり早くから県民によるリコール運動が起きていたはずであり、民主主義の原則からすればリコール運動が起きない方が不健康だとすら考えられる。

 もちろん、リコールを成立させるには沢山の署名を集める必要があり、かなりの時間、労力、費用を必要とするだろう。しかしこれほど酷い状態を招いた知事の言動をこれ以上、県民が看過するのはいかがだろう。国民主権を土台とする民主主義が兵庫県ではまったくの機能不全に陥っているとしか、考えようのない状況ではある。

 泉房穂氏が指摘しているように、兵庫県知事は60年以上にわたり内務省、自治省、総務省官僚の天下り(斎藤氏を含む5人)が務めてきた。内務省は戦前、戦時中、国民の人権を抑圧して戦争遂行に協力した特高を擁する悪名高いお役所であり、そのためGHQによって戦後、解体されて自治省とされたが、実は特高のメンバーが戦後、警察学校の校長となるなど、その強権的体質にさほど大きな変化は無かったと見る立場もある。省庁改編で自治省の名前は総務省となったものの、結局は体質に大きな変化が見られなかったことは斎藤氏の強烈なパワハラ体質にうかがえるだろう。

 そもそも60年以上も天下り官僚を何一つ疑うことなく知事として選び続けた兵庫県民の政治意識にも大きな問題を感じるのは私だけではあるまい。リコールの成否を問わず、斎藤県政に唯々諾々と従い続ける兵庫県民にはもはや不気味さ以外、何も感じるものは無い、とすら言いたくなるほどの県政の乱れぶりである。

 過去、学校教育に関わる数々の異常な事件、不祥事を連発させてきた県都神戸市でも市民の動きは極めて不活発なものに見えていた。北海道の旭川市、札幌市でもしかり…どうやらこの状況は一部の地域に限られたものではなく、既に全国的なものなのかもしれない。だとすれば日本の民主主義は土台から崩壊しつつあるようだ。もしかすると日本の画一的で管理主義な学校教育がついには日本人の主権者意識、当事者意識を根こそぎ台無しにする負の効果を強烈に発揮し始めたのかもしれない。

「黙れ、一茂!」兵庫県知事問題で長嶋一茂が放った「県民批判」にブーイング殺

   到 アサ芸biz によるストーリー 2024.9.30

   長嶋氏の兵庫県民への批判的な見解は国民主権を土台とする民主主義の立場からすればむしろ極めて真っ当なものであり、これを問題視する報道側の方にも民主主義への理解不足があるような気がするのだが、いかがだろう。

   ただし、日本では本当に国民主権、民主主義が十全な意味で機能しているのか、きちんと根本から問い直した時、誰もが兵庫県民ばかりを責めることは出来なくなるのではあるまいか。たとえば日本国民が憲法の定めるとおりに選挙権を有していたとしても、政治上の重要事項や候補者、政党に関する情報が十全なレベルで有権者へ伝えられていなければ、その選挙は民主主義的な選挙の条件を満たしているとは言えなくなるからである。また学校教育においてやはり何らかの原因で生徒たちの多くが政治の実態をしっかりと学んでこなかったとすれば、やはり民主主義は将来的にもその健全な機能を阻害されてしまうに違いない。

 民主政治は多数の民意に基づいて行われるべきだ…などと世間では言われたりするが、マスコミや学校などが垂れ流す不十分な情報、偏った情報によって過半の民意が形成されてしまっているとすれば、民意はただの人気投票的な選挙の結果にのみ集約され、選挙結果がすべて、といわんばかりの洗脳による専制政治、ただのポピュリズムに直結してしまうのかもしれない。

 この記事は現代の日本政治の危機的状況に迫る上で、ある意味、それなりに役立てることができるものであり、授業においては批判的な立場から扱うと面白いだろう。ぜひ、長嶋氏の意見とアサ芸の意見について賛否を問い、議論に持ち込みたい。

問われる兵庫県知事の公益通報“保護対象外”判断(大渕愛子弁護士)

   労基旬報 によるストーリー 2024.10.6

   公益通報制度自体の欠陥もあって元兵庫県知事のパワハラ等の問題は意外にも混迷を深めているようである。告発には真実相当性が無い、との元知事側の判断の正当性、根拠が、本来ならば法廷の場で様々な検証を経て厳密に問われるべきだろう。しかし遺族からの訴えが無い時点では当分の間、第三者委員会の調査結果を待つほかに真相究明の道筋は見えてこない。

   リハック(2024.10.6)での元知事による発言で特に気になる点があった。自殺した元西播磨県民局長のコンピュータに記録されていた内容に「プライベートな内容でかつきわめて大きな倫理上の問題があった」ことが告発の真実相当性、公共性を十分に疑わせるものとした根拠の一つ、という点である。

   元局長側には公に出来ないほどの倫理上の深刻な問題が潜んでいて元知事としてはその内容をここでつまびらかにする立場にはない、とのこと。口には出せないほど、元局長がいかに酷い、倫理的にもとる人間性の持ち主だったか、言外に匂わす、極めて政治的な発言であったように私は受け止めたのだが、いかがだろう。

   ただし、それだけ重大な内容の報告があったにもかかわらず、部下がこれは知事の立場としては見ない方がよろしい、との進言に従い、元知事は直接、その内容を確認しなかったという。つまり、部下の報告に何ら疑いをさしはさむことなく、単純にも鵜呑みにしてしまった点に私は大きな疑念を持つ。しかも、その後も部下の報告を自らまともに確認することすらしないまま、分限に関わる重大な処分に踏み切る、という明らかな違法レベルの暴挙に打って出ている。

   私たちはリハックでの元知事の発言を通じて元局長の極秘にすべき倫理的問題点がいかなるものだったのか、まったく分からないままに元局長の人間性への強い疑念を巧妙に植え付けられてしまい、反対にマスコミや県議会から袋叩きにあってしまった元知事への同情をいつの間にか刷り込まれてしまっているようである。

   元局長の遺族にとっても決して公に出来ないような、個人の倫理的問題が本当にコンピュータの記録内にあったのか否か…現時点では部外者に不明のまま、明らかに故人への倫理面、人格面への深刻な中傷とも捉えられかねない発言が、大きな世論への影響力を持つリハックの中で元知事によってなされた、という事実が持つ意味は知事選を控えたこのタイミングの中で、計り知れない重みがあるのではあるまいか。

   これはどうみても世論操作的発言であろう。公に出来ない事柄を根拠にして故人を批判する…元知事の立場としては決して許される言動ではなく、これ自体、故人及び遺族への強烈なパワハラである、といっても過言ではあるまい。常識的に見ても「死人に口無し」の状況では、公に出来ない、すなわち公に立証できない事で故人を批判し、中傷することは明白な禁じ手であり、卑劣極まりない行為である。

   以上、とても知事という要職にあった者の言動とは思えない軽率さ,傲慢さを斎藤氏には感じる。リハックにおけるこの言動一つだけでも、斎藤氏の失職は不可避の出来事であるばかりか、刑事訴追の可能性をも考えてしかるべきレベルの卑劣な問題発言だろう。私としてはこの問題は法的権限に欠ける第三者委員会ではなく、司法の場で厳密に事実関係を明らかにしてから裁かれるべき案件だと思うが、いかがか。

「YouTubeに虚偽動画」 百条委委員の兵庫県議が削除請求

 毎日新聞 によるストーリー 2024.12.9

 ネット上では真偽不明、あるいは明らかに間違った情報に基づいて一方的に他人を誹謗中傷する事件が横行している。また個人のプライバシーを侵害するような情報を拡散させている、極めて悪質な事案もこの件では見られる。これら、ネット社会に特有の犯罪行為にどう対応すべきか、表現の自由、言論の自由との兼ね合いを考慮しつつ、真剣に考えていくべき段階だろう。

 

東京都は「黒塗り」、神戸市は「白塗り」…行政が秘匿し続ける公文書“のり弁”

   問題の理不尽さ 集英社オンライン 2024.10.15

   こうまでも国民の知る権利が蹂躙されていては選挙の際の判断材料が限定されてしまい、市民は行政の実態を十分に吟味できぬままに立候補者や政党のイメージばかりを手掛かりにして投票してしまいかねない。日本の民主主義を最も阻害しているのは神戸市や東京都で見られるような、行政側の「知らしめず、依らしむべし」の秘密主義、隠蔽主義であろう。

   この秘密主義と隠蔽体質は学校教育にも貫徹しており、加えて利益、売り上げを最優先するマスコミの、行政に対する追及の甘さが事態をより深刻にさせているのではあるまいか。

   いずれにせよ兵庫県と神戸市の闇は深い。

兵庫知事選機に真偽不明な発信続けた立花氏 選挙にも出馬繰り返す     朝日新聞社 2025.11.9

NHK党の立花孝志容疑者を逮捕 兵庫県警、元県議への名誉毀損容疑

     朝日新聞 根本快 新屋絵理2025年11月9日 

立花容疑者、関連動画の再生1000万回超 竹内氏の情報、真偽に関わらず投稿・拡散 

     神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2025.11.11 

     なぜこの問題がこうも長引き、徒に複数の犠牲者を出し続けてしまったのか、その理由がまったく分からない。仮に法制度上の原因があるならば、国会で法改正に関して早急に審議すべきだろう。

⑮指導死の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

クマに翻弄される教育現場 校庭に出没の小学校はどう対応した?

 毎日新聞 2025.11.7

 …10月27日夕、福島市立佐原小(同市佐原、児童数14人)の校庭をクマ1頭が歩いているのを近隣住民が目撃。警察に通報したが、その後は日没でクマの姿は確認できなかった。そのため翌28日は児童を自宅待機させ、教職員は近くの市立西信中(同市上名倉)に出勤してオンライン授業をする緊急措置を取った。

 その後、クマの足跡が見つかり校庭を抜けて山の方に逃げたとみられると警察が確認したことから、29日に登校を再開した。だが30日未明に再びクマ2頭が校内の駐車場で目撃されたため、急きょ児童の登校を中止。教職員は安全を確認して校内に入り、オンライン授業に切り替えた。31日は校外学習で信夫山を訪れ、そのバスも西信中で乗降した…

 同日、佐原小近くの畑でわなにかかるなどしたクマ3頭が駆除された。それ以降目撃情報はなくなり、連休明けの11月4日から登校を再開。市教育委員会は、クマが校内に出入りする抜け道となっていたとみられる校庭のフェンスと道路の擁壁の隙間(すきま)を針金などでふさいだ。

 同小の吉田牧子校長は「コロナでタブレット端末を使ったオンライン授業に慣れていたのがよかった。この対応が正解かは分からないが、子どもたちの安全のためベストは尽くした」…

 「子どもたちの安全のためベストは尽くした」との校長の言葉に驚かされる。仮にこの小学校の措置がベストとするならば、もはや日本の公立学校に児童生徒の安全を本気で守ろうとする意欲も、能力も無い、と保護者は判断せざるをえまい。

 クマの足跡が見つかったのに、なぜ学校は10月29日、登校再開に踏み切ったのか、大いに疑問。実際、30日未明にはクマ二頭が学校に侵入している。侵入のタイミングが少しでもズレていれば大惨事を招いていたかもしれない。しかもこれだけクマの出没が続いているのに、31日はわざわざ信夫山へ校外学習に出かけている。児童生徒の安全を確保するためにバスの乗降場所を西信中にした、という言い訳が余りにもピンボケ過ぎて笑うしかあるまい。そもそもこのタイミングで山中に児童を引率する、というありえない暴挙をしたことの責任が校長には問われるはずである。

 この校長は小学生の集団をクマの攻撃から守る力を教師たちに期待しているのだろうか。だとすればこの学校の教師たちは実に哀れである。この状況下で登校を再開し、三度、校内にクマが出現する中、敢えて山での校外学習を行う校長の神経の図太さには呆れてものが言えなくなる。しかもこれが「子どもたちの安全のためベストは尽くした」というのだから、もはや絶望感しか残らない。子どもたちがクマの攻撃から免れたのはどうひいき目に見てもただの偶然、運の良さに過ぎないのだ。

 さらに、なぜ毎日新聞はこの学校の無謀さ、問題点を指摘しないのか、不思議でならない。いかがだろう。授業でこうした種々の疑問点を討論の対象に取り上げてみたら、様々な意見が児童生徒たちから噴出するに違いあるまい。

参考動画

“冠水”道路で駅伝開催も走り直しに 3連休に異例の大雨…各地で困惑【スーパーJ

   チャンネル】 ANNnewsCH  2024/11/04 2:19

   警報が出ていたのに大会を強行した大会運営組織の判断に大きな問題を感じてしまう。なぜ、この状況で競技中止の判断が素早くできなかったのか、運営側の責任が厳しく問われるだろう。生徒たちにはなぜ、中止の判断が遅れてしまったのか、こうした無理強いの大会運営が横行する背景に何があるのか、考えさせてみたい。

   ※参考記事

  大雨の中の高校駅伝…“もも”まで水没し激走 途中で異例の中止…3日後に再開催も「もう1回走

   るのはきつい」 原監督「今後への教訓に」 大阪市

   FNNプライムオンライン の意見 2024.11.7

   大雨警報が出されていたにもかかわらず、競技を中止しなかった大会運営側の責任は重い。膝ま

   でつかっている状態で走らせる指導者側の判断能力の低さにも呆れてしまう。大会運営側でなく

   ともあの場所にいた顧問らは、運営側に抗議する意味でも大会参加を辞退するべきではなかっ

   た。あれを観戦していた保護者がどう思うのか、運営側が想像できないはずはない。万が一、生

   徒たちに何らかの健康被害が生じてしまったとしたら、保護者たちにどう説明するつもりだった

   のだろう。

    夏の甲子園でもしも事前から落雷が予想され、稲妻が光り始める状態になった時、大会運営側

   ははたして競技中断をそれほど思い悩むだろうか。雷鳴が幾度も聞こえる中でなお中断を躊躇す

   るだろうか。おそらく躊躇はしないだろう。もちろん雨天等で競技を中断することの多い野球で

   は荒天による試合の中断や順延が多く、その後の対応も慣れたものであるに違いない。

    では駅伝大会では荒天による競技中断の判断が野球に比べてなぜ難しいのか、生徒に考えさせ

   たい。

【懐かしい昭和】昭和の子どもは暴力と理不尽に支配されていた…戦後最悪の水難

 事故、体罰横行、集団就職への激しい差別、全員坊主頭

 THEヤバイ昭和 2023/10/03  15:58

 一見、偏った視点による信用度の低い動画に思えるが、実は意外なほどにバランスのとれた堅実な内容の動画である。戦後日本の学校教育を要領よくかいつまんで知るにはうってつけの動画であろう。

【ゆっくり解説】今では考えられない「昭和時代の部活」の常識

 ゆっくり昭和ボンバイエイ  2022/11/08 15:01

 この動画でよく分かるように当時の部活動には全くと言って良いほど合理性に欠ける、行き過ぎた鍛錬主義がかなり浸透していた。なぜこのような指導が学校全体に行き渡っていたのか、その背景を知るべきだろう。

【アニメ】危険物多すぎ!昭和の持ち物検査がエグすぎた・・・

   転生したら昭和だった件  2022/07/05  2:41

【アニメ】生徒に厳しくしすぎて自分見失う昭和教師

   転生したら昭和だった件 2022/07/21  2:40

【アニメ】危険すぎるトレーニング強制してくる昭和教師

   転生したら昭和だった件 2022/09/27  1:55

 もちろんかなり歪曲されているが、当時の教育に過激な鍛錬主義的側面があったことは間違いない。その結果、確かに今考えれば「不適切にも程がある」点は数多くあったはずだが、学校教育がそもそも軍人教育との強い結びつきをもって成立してきた歴史的経緯からすれば当時の教育には歴史的流れの中での「不自然」さは、さほど無いとも言えよう。また当然のことながら日本の学校教育が伝統的に抱えてきたものがすべて「不適切」というわけでもあるまい。

 この動画の設定を逆にして国民学校の少国民が昭和40~50年代に転生したらどう感じるのか、想像させたら面白いだろう。また令和の時代から戦時中の児童生徒に転生した場合もぜひ想像させたい。

 戦時中の皇国民教育が戦後になって何がどのように変わったのか、変わらなかった点は何か、変えるべきではなかった点は何か、今の教育の長所、短所は何か…問われるべき疑問点は多い。短い動画なので授業の導入としては刺激的で利用しやすいだろうが、ある程度の見通しを持って視聴させないと利用する意味が無いだろう。

[サイエンスZERO] 体罰や暴言で傷つく子どもの脳 回復させる方法とは? | 子ど

 もの脳を守れ 脳科学が子育てを変える | 2021/08/11 NHK 4:47

 虐待やネグレクトが脳に大きなダメージを与えてしまう事は誰もが知っておかなければなるまい。

体罰95%から2%になったスウェーデン、体罰のないしつけに大事な3つ!| 北欧

 在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室 2022/09/17 21:11

 子供との粘り強い対話を重視するスウェーデンの子育てと学校教育の在り方が1970年代まではびこってきた体罰の根絶に大きな役割を果たしていたようだ。子供達の意見にしっかりと耳を傾ける大人達の姿勢が子供達の自己肯定感を支え、積極的な社会参加を促してきた側面にも注目したい。こうした大人社会の忍耐強い努力の積み重ねが他者と多様性を重んじる北欧の福祉社会存続の軸とされてきた事に畏敬の念を覚える。さて、日本はいかが…

【距離感】「本気の他人事が大切」教師と生徒、親と子の関わり方は?マルトリー

 トメントを考える 

 2022/07/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】19:33

 暴言や暴力が教育現場で繰り返される背景を探りたい。

戸塚ヨットスクール校長VS乙武洋匡 体罰と暴力の違いは?|AbemaPrime  12/13放送  2019/12/14 11:57

 言葉が分からない幼児には体罰という抑制が必要、とする塾講師の意見に対してどう思うか?体罰と暴力はどこが違うのか?戸塚スクールの校長の意見は「老害」に過ぎないのか?討論のたたき台にはなるだろう。

【体罰教員】生徒の背骨を折った柔道部顧問が逮捕 過去に3度処分もなぜ現場に?

 体罰・指導ではなく暴行事件とすべきの指摘も【教育】|#アベプラ《アベマで放

 送中》 2020/10/15 ABEMAニュース【公式】 19:04

 内田氏が指摘する体罰を容認する学校の体質とは何だろう。実際、どの学校でも生徒指導部主任に体罰容認派の教師がつくことが多いのは事実である。また生徒指導部の多くは運動部顧問であり、体育教師が多い傾向があるのも否めないだろう。特に剣道や柔道の顧問が生徒指導の中心となる率は極めて高い。敗戦後、GHQによって禁じられた武道が近年、中学校で必修化された歴史的経緯も探る必要がある。確かに夏野氏の体育教師に対する不信感と体育不要論は極論に聞こえるが、果たして公平に見て実際、どうなのだろう。討論の俎上に載せてみたいテーマである。

【指導】「チームを強化するために」パワハラ解任の横浜高校元監督の失敗とは? 

 安藤美姫が明かすコーチとの信頼関係と罵声?スポーツと体罰|2021/11/12 

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 29:36

 安藤氏や夏野氏の意見に注目したい。頂点を目指すトップアスリートの世界では厳しい指導と暴言や体罰は紙一重であり、その場の状況や指導者と選手との信頼関係が問われてくる。必ずしも一律に外部から体罰や暴言が適用されるとなれば指導者側だけでなく選手側まで困惑しかねないだろう。しかし学校の部活動においては生徒達に退部の自由があるとは限らず、もはや指導者による暴言や体罰が許される余地は現在、ほぼなくなってきていると見て良いだろう。

【勝利至上主義】歪んだ思想を植え付ける?勝ち負けより大切な学びも?全国大会

 は必要なのか 2022/05/21 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 16:04

 スポーツや運動部、学校体育、運動会のあり方全体が問われている。勝負至上主義、根性主義、体罰体質、集団主義、同調圧力、管理主義、イジメの温床としての、これまでの日本におけるスポーツの負のあり方には反省が必要。ひろゆきの「甲子園大会は不要」という提案は議論のテーマとしてかなり刺激的ではあるが、問題提起としては非常に面白い。

ニコ生×BLOGOS 体罰・指導死・教師の鬱...どうする日本の教育現場!

 BLOGOSチャンネル  2013/02/01 1:21:16

 古い動画だが、体罰が教育的指導の一つとして成立し難くなってきた経緯を含め、現在の学校が直面している種々の問題をこれほど包括的に分かりやすく説明してくれる動画は意外に少なく思える。特に若い教師にとってこの動画は極めて貴重であろう。宮台氏と藤井氏の解説は10年近く経った現在もまったく色褪せない的確さに満ちているように思うが、いかがか。

 イジメの対応に関しても首長の積極的介入などが問われざるを得ないほどに学校教育村の自浄能力がほとんど失われている、という指摘は間違いなく現在にも当てはまる。これまで学校が自らの努力でほとんど何一つと言って良いほど変われて来なかった点に元教師として情けなさを強く感じないわけにはいかない。

 

 当然の事ではあるが、そんな学校に政治的介入を拒む資格も無ければ、「教育の中立性」を云々する資格も無い…と言われてしまったとしても致し方あるまい。学校の聖域化が進み、市民社会からかけ離れてすっかり自閉してしまった、まさに村社会としての教員社会における常識は、もはや完全な時代遅れの硬直化した因習の一つに過ぎないのだ。

 しかしそうした異常な事態に教師自身が一刻も早く気付けるだけの、大学でのまともで充実した実践的な教員養成教育を予め受けることもほとんどない。さらには教師となってからの時間的、精神的、身体的ゆとり自体がそもそも切実に欠損している。今の教師たちが置かれているそうした絶望的なまでの暗闇の世界…いつまでたっても光が見えてこない、今の教師たちの視界の昏さこそ、現代日本における最大の教育問題なのかもしれない。

 

参考記事

キケンな組体操を強制する学校に喝!元学長のツッコミがぐうの音も出ない正論

   だった ダイヤモンド・オンライン 出口治明 2024.12.6

   もちろん根性は何をやるにせよ、どの世界においても多少は必要になってくる。問題は科学的根拠が無く、かえって害悪な事すら、学校側が妙な根性論で一方的に強要することだろう。かつて学校ではうさぎ跳びによる筋トレや運動中の水分補給の禁止など、今では完全な間違いとされる練習やルールが根性論の下に強要されていた。組体操もその一つと言って良いだろう。とりわけ問題まみれの神戸市教委が頑なに組体操を許容しようとしてきたことは夙に有名である。

   こうした非科学的な指導を危険を省みずに許容してきた学校教育のあり方、教師集団の体質には間違いなく重大な欠陥が潜んでいる。それが何なのか、今後はより科学的に究明すべきである。特に教師集団が伝統的に抱えてきている組織風土への究明が必要不可欠のアプローチとなるだろう。そうした知識は本来、学校の管理職には必須の教養であるべきなのだが、実態はまったく異なっている。なぜ管理職として必要な教養に欠ける人物を教育委員会は管理職に登用し続けるのか…究明すべきポイントは数多あるだろう。

 出口氏の指摘は今や、さすがに当たり前すぎて陳腐であり、マスコミ側はもっと科学的なアプローチで学校の問題に取り組むべきだと思うが、いかがか。 

日本社会の「体育会系精神」は学校教育で養われてきた? 運動会「子どもの組体

   操」に感動する大人への“違和感” 弁護士JPニュース の意見 2024.11.3

   「感動」をねじ込んで言うことを聞かせている体育会系教師たちの危うさを外国人の観点から論じている面白い記事。…学校などの教育現場で「感動」が登場する数は圧倒的にニッポンが多いです。というよりも、いたるところに「感動」なるものをねじ込んで子どもに言うことを聞かせている印象です。小学校の読書感想文では「感動しました」と書くと大人に喜ばれる傾向がありますし、とにかく感動するのはいいことで、そのためにはなんでもありという印象を受けます。

   …子どもたちは、大人が感動したいがためにピラミッドを「やらされている」…日本人にはそうした「感動ポルノ」が抱えている危険性に気付けているのか、否かが問われているのだろう。…人の苦労を見て好き勝手に感動する前に、自分で頑張って自分に感動してみたい…これは日本の児童生徒たちの自己肯定感を上げていく上で、決して忘れてはならない名言ではあるまいか。

「ぜんたーい、止まれ!」その入場行進なんのため? 元体育主任が語る、運動会で

 廃止すべきこと3つ All About 坂田 聖一郎 2024.9.21

 近代以降の日本の学校教育は早くから軍隊の組織や制服、兵舎の作り、兵士たちへの訓練をモデルとして整備されてきたため、戦後になってもその伝統は随所に引き継がれて残っている。戦後しばらくの間、男子生徒は詰襟の制服に坊主頭、女子はセーラー服、小学生はランドセル…体育、運動会も軍事教練の要素を色濃く取り入れており、欧米のスポーツ大会とは長らく一線を画してきた。だからこそ中学校での体育祭は練習の半分近くを行進と整列で占めていたし、また競技も競争的種目が多く、順位、優劣を競うことを軸に児童生徒たちの勝負強さと我慢強さが称賛されてきた。

 日本の学校ではたとえ熱中症の危険があったとしても、炎天下での長時間に及ぶ整然とした行進やラジオ体操の練習が鍛錬の観点からむしろ積極的な意義を担って平然と繰り返されてきたのである。あたかも兵士が熱帯の戦場で熱中症となってしまっても鍛錬不足とされ、自己責任とされたように、戦後の学校でも昭和の終わりまでは鍛錬主義の体育、運動会が行われてきたことになる。

 歴史的に振り返ればこうした鍛錬主義の体育や行事のあり方は次第に問題視され始め、昭和の終焉とともに大きく見直されるようになった。しかし地域によっては、まだまだ体育の世界で競争主義、鍛錬主義は払しょくされておらず、体育関係を中心に現在も様々な場面でコンプラ違反を問われかねない状態を生み出してきている。

 大学での体育科教師養成教育のあり方が真っ先に問われるだろう。いまだに集団主義的一斉指導を柱とした鍛錬主義を称揚するような教育が各大学で続いているとしたら大きな問題である。

 甲子園大会を含む各種全国大会で行われる選手入場行進、開会式、閉会式のあり方もまた見直されるべき点は数多い。もちろんオリンピックの開会式のあり方も選手団が国家の代表として位置づけられるあまり、スポーツが国威発揚に政治利用される傾向はいまだに強い。こうした動きには強く歯止めをかけないと、SNS上での負けた選手や監督への誹謗中傷が酷くなる傾向を強めてしまうに違ない。

 スポーツには人々を熱狂させる面があり、大金が投じられているためもあってか、金銭面での不正を含め、スポーツの本来の目的(体力向上と健康維持、レクリエーション…)を蔑ろにする傾向が一部に見られがちである。また国家主義、商業主義が表に出過ぎてしまった結果、選手個人の人権が侵害されるような大会運営も散見されないわけではない。学校での授業、運動会、体育祭レベルから世界大会レベルまで含めて根本的にスポーツのあり方を考え直す必要があると思うが、いかがか。

教員による「体罰」調べる方法が自治体によってバラバラ…専門家「隠蔽体質と批

 判されても仕方なし」弁護士ドットコムニュース によるストーリー 2024.7.28

 この記事が示す教育行政の怠慢ぶりは相当深刻であろう。文科省は学校でのパワハラ、セクハラ、体罰、指導死の問題に対して真面目に取り組む姿勢が完全に欠如しているというほかあるまい。この件でもまともな全国調査すらできていない…という悲しい現実に打ちのめされる。これで現実を踏まえた教育改革など文科省にできるわけがない。文科省が行っている自殺やイジメ調査、不登校調査も極めていい加減なものであり、そのデータの多くはまったく信じるに値しない。そもそも隠蔽体質の強い学校現場に調査を丸投げしている文科省や教育委員会の現場理解の乏しさと怠慢が問われるのだ。

県教委の再発防止策案、外部識者ら注文続々 岡山操山高生徒自殺問題

 朝日新聞社 によるストーリー  2024.6.9

 指導死に関して岡山県教委にも認識不足がかなり存在することは明確であろう。しかし残念ながらこの議論に欠けているのは高校教育に部活動は不可欠なのか、という根本的な疑念が見られない点である。部活動の指導を一切疑うことなく前提としているような、低レベルの議論自体が今やまったくのナンセンスではあるまいか。

「以前に生徒をいじめた」骨折放置でも続投の顧問 桶川中バスケ部問題、教育長が

 議会で陳謝 東京新聞 2024.6.18

 どうやら生徒たちよりも職務上の部下である教師の方をかばう校長や教育委員会が多いようだ。イジメや教師による暴言・体罰、学校事故が後を絶たない背景に教員集団の過剰な仲間意識、庇い合い、馴れ合いがあると思われる。さらにはモンスターピアレンツや集団の和を乱す「KY」な児童生徒などと教師との敵対的関係性が近年、強まっているのかもしれない。

 加えて学校の管理職に児童生徒の人権に対する意識が薄く、かつ管理主義的体質を持つ教師が目立って多い傾向が背景に考えられるだろう。

 授業ではこのような事件が後を絶たない原因について生徒たちに列挙させ、その中核にある問題点を抽出させていきたい。

バスケの試合中にあご骨折、顧問が病院受診させず 埼玉・市立桶川中

 毎日新聞 によるストーリー 2024.6.9

なぜ体育会系の人間は「体罰」や「根性論」がやめられないのか…「体育」と「スポーツ」

   の決定的な違い プレジデントオンライン 大野 哲也 の意見  2024.4.25

   イギリスとアメリカとの違いは興味深い。日本の体育は武道、格技の影響も考える必要があると思うが、いかがだろう。

威圧的指導「自分たちで終わらせないと」 大人が学ぶべき、怒声なき子の教え合

 い Full-Count によるストーリー 2024.2.11

 体罰や暴言、シゴキの悪い点は既に周知されている。口先のきれいごとだけではこの問題の解決はおぼつかないだろう。一番の問題点はこれまでにさんざん批判されてきたにもかかわらず、なぜ今もなお指導者による体罰や暴言、シゴキがなくならないのか、について深く考えていく事だろう。その理由をできるだけ数多く、挙げていくことで問題の深層に迫れるかもしれない。子どもの養育、しつけのあり方から学校教育のあり方、スポーツ界のあり方、企業における人材育成のあり方、性差別や年齢差別の様相、人権意識の様相、政界のあり方…問題の根は予想以上に日本社会に深く、かつ広範囲に及んでしぶとく残存しているはずである。

「叱りづらい」風潮に苦悩する教育現場 真剣に思いを伝えたいのにハラスメント扱

   いも AERA dot. 大楽眞衣子,宮本さおり の意見 2024.2.12

 前の「威圧的指導…」の記事とあわせて利用すると議論が深まるだろう。

〈宮城・教師パワハラ自死問題〉「他人事ではない」と全国の教師たちが悲鳴「年

   上教師に『お前とは一生働きたくない』と言われた」「生徒の前で“無能”と罵倒さ

   れた」「注意をすれば自分が標的になる」 集英社オンライン 2024.2.6

 50代後半の教師たちの中にはいまだに昭和の価値観、教育観を抱えたままの人がかなりいるだろう。しかし30代以下ともなれば50代とはかなり考え方の違う世代になる。その差異,ギャップを埋める役割を中間層の40代が果たせているのかが、この手の

問題を考える上で問われてくる。

 しかし千葉県の場合、年齢別教員数からは重要な調整役を果たすべき40代の教員の少なさが際立っており、ベテランと若手の世代間のギャップを埋める人材の少なさが千葉県での学校問題の背景に横たわっていると考えられる。

 もちろん50代後半の教師が行ったパワハラは許せることではなく、今後、重い道義的責任と法的責任が問われなければなるまい。とはいえ、世代別教員数のアンバランスの問題が宮城県にもあるとすれば、県教委や市教委の人事にもそれなりの課題はあるだろうし、反省すべき点が多々あるはずだ。トカゲの尻尾切りのように末端の責任ばかり問うのは片手落ちだと思うが、いかがか。

不適切にもほどがある…校長と担任ら3人、修学旅行で生徒の前で缶ビール8本 

   読売新聞 によるストーリー 2024.1.30

 あくまで自分の記憶ではあるが、修学旅行中におけるこの手の行為がヤバイ、との認識は少なくとも20年前には当時の学校批判の風潮の下で教師間で共有されていたと思うが、いかがだろう。修学旅行中の飲酒は教育委員会からの指導が無くとも、そして生徒の面前ではなくとも今後は控えるべき…との感覚を抱いていた教師は少なからずいたように記憶している。

   もちろん地域差や高校と中学校との違いはあるだろうが、世間的に見て通用するはずのない行為を随所でコンプライアンスが叫ばれる現代、生徒たちの前で堂々と開陳してしまった責任はきわめて重大であり、一体教師たちが何を考えていたのか…校長を含めて教師としての適性が強く疑われる案件であろう。

『不適切にもほどがある』の視聴を脱落する若者がいる理由は「昭和ネタがわから

 ない」からではない 現代ビジネス 田幸 和歌子 によるストーリー 2024.2.23

昭和オヤジの発言は「時代錯誤でハラスメント」なのか?…笑いの『不適切』と感

   動の『おっパン』が令和のいま「支持を集める理由」

   現代ビジネス 木村 隆志 によるストーリー 2024.2.10

 令和という時代の息苦しさ、閉塞感はひたすら社会集団への同調を強いて集団内にイジメを蔓延らせ、弱者に集団への一方的な忖度を求めてくる日本社会のあり方に多くは由来するだろう。また過度のコンプラ重視の窮屈さにもよるところが大きいように思う。

 さらに少なからぬ若者の間に蔓延している、どう見ても根拠の薄い保守主義的政治姿勢は若者たちの自己肯定感、自己効力感の低さが背景に隠れていそうである。もちろんこの点では若者の自己肯定感、自己効力感を上手に育てることに失敗してきた学校教育や企業文化の責任が強く問われよう。

 バブル崩壊後の「失われた30年」余り、景気の低迷が続いて少子高齢化が進み、若者の発言力が一層低下する中で将来への不安と焦り、さらには諦めのような意識が今の若者たちの気分を覆いつつある…とすれば事は深刻。そうした閉塞感を暴力的に吹き飛ばすかのような昭和のおじさんの威勢の良さにある種の爽快感や懐かしさを抱く人々は老若を問わず多いに違いない。

 昭和のおじさんが持っていた、どちらかと言うと肉食系の、コンプラ軽視の過激な精神や将来への成長、発展していく日本社会への確信と自信に裏付けられた努力主義、根性主義はいまだ経済成長の途次にあった昭和時代後期の「24時間、働けますか」と平気で問えるような日本社会の勢いが背景にはあっただろう。

 しかし時代は令和となり、かつての勢いを日本は確実に失いつつある。盛んに「老害」が叫ばれる中で中高年の想像以上に若者は鬱屈しているのかもしれない。したがって昭和の行き過ぎた根性主義や努力主義はもはや過去のものであり、それを賛美してよみがえらせ、令和の若者に強要することは今や時代錯誤のパワハラ以外の何物でもあるまい。

 「おっパン」が描くように昭和のおじさんが自分の信念、価値観を時代の変化に合わせて多少アップデートする必要があるのは当然のことである。しかし他方で今の若者の多くはコンプラやコスパ、タイパといった言葉たちにあまりにも縛られ過ぎていはしまいか。

 令和の政治家たちを見てみよう。裏金作りに奔走するあまり、コンプラなどは蚊帳の外…品性が疑われるレベルの差別発言を何度繰り返しても議員の地位は安泰…実際、議会には国政、地方政治を問わず昭和の相当ヤバイおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんが何ら反省することも一切委縮することもなく堂々と胸を張って跋扈し、恐ろしく精力的に日本社会の変革・成長の足を引っ張り続けているではないか。

 しかも日本社会の改革・成長に欠かせない若者たちはなぜかヤバイおじいちゃんたちが大昔に作ったかもしれないような種々のコンプラに縛られてすっかり委縮し、残念なことに改革の意欲を失いつつある…他方で目ざとい若者は早くも日本脱出を試み、海外への雄飛を夢見る…日本社会の本当のヤバサはむしろそうした若者の中に胚胎し、根付きつつある意識のあり方なのでは…

「ふてほど」の流行語大賞にこうも納得できない訳 流行ってないうえに、世相を全く

   反映していない 東洋経済オンライン 真鍋 厚 の意見  2024.12.5

   平成時代を飛び越えた展開のドラマであり、平成時代の問題点をすっぽかした点を批判するのはお門違いではないか。また今、老害と呼ばれる世代がどのような価値観に基づいて行動してきたか、それが令和の時代とミスマッチしてしまう「老害」の側面だけではなく、令和に欠ける視点を補完する可能性があることまでは否定できないだろう。そもそも宮藤官九郎氏が流行語大賞獲得を目指してドラマの脚本を書いたわけでもあるまいし、間違いなく「失われた30年」を解説するためのドラマでもない。

 問題とされるのは今年の流行語大賞として「ふてほど」がふさわしいのか、否かという一点であり、個人的にはさほど流行語として多くの人に認知されていたとは感じられず、受賞には確かにふさわしくないと思う。ただしそれだけのことであろう。 

「不適切にもほどがある!」世代で生じる"温度差" 昭和世代からは共感も、Z世代には

   ファンタジー 東洋経済オンライン 武井 保之 の意見 2024.2.6

阿部サダヲ『不適切にもほどがある!』昭和を笑うコメディかと思いきや…令和を

   くさすキレキレぶりが新鮮 SmartFLASH によるストーリー 2024.2.2

 「表向きは昭和の異常性をコメディにして笑う物語だと見せかけて、実は令和の異常性も浮き彫りにしていく。昭和のヤバい要素が改善された令和がハッピーというわけではなく、令和は令和で別種のヤバさが蔓延している時代だと気づかされるわけだ。」という指摘に納得。特に学校論は大人の場合、郷愁や懐かしさに流されてしまいがちで客観的に評価することが難しい。主観的な印象論、感情論に流されることなく、それぞれの時代や学校教育を相対化し、分析する上で視聴しておいて損はあるまい。しかも大いに笑える展開なので授業での利用もありうる。

「おい起きろ、ブス!」阿部サダヲが「昭和の常識」を連発する「不適切にもほど

   がある」の秀逸感 アサ芸プラス によるストーリー 2024.1.29

大反響「不適切にも」最初5分で怒涛【ヤバい昭和一覧】職員室&バス喫煙、野球

   体罰、女性教師イジり、本没収→お断り2回に爆笑

   デイリースポーツ によるストーリー  2024.1.27

 視点、設定の面白さは群を抜いていて、学校問題を考える大きなきっかけとなりうる番組であり、まずはドラマの視聴をオススメしたい。この記事だけでも内容はほぼつかめるので、教師はドラマを視聴したうえでこの記事を授業の資料に使っても良いだろう。これならば討論のネタに事欠くなどありえないはず。

 年配の体育教師、運動部顧問の中には今も心の中でヤバイ昭和を引きずっている人が実際、少なくないはずだ。少なくとも自分はそうしたヤバイ年配者の一人である。もちろん心の内に秘めているだけで、表には出せないヤバイ思いはその内容の差異を問わなければ年配者に限らず、誰にでもあるはず。そうした各種のヤバイ思いを人前では心の中にそっとしまっておけるならば問題は表面化しない。だが、残念ながら現在の学校は酷くブラック化し、加えて年配者の自制心は加齢とともに少しずつもろくなっているはず。

 ブラック化した職場でひたすらストレスや疲労が蓄積していけば高齢者でなくとも次第に自制心が弱まってしまうのは自然の理であろう。そんな状態のときに何かがきっかけでつい感情の高ぶりが一定レベルを超えてしまえば、それまで何とか抑圧してきたヤバイ思いがヤバイ言動となって一気に表面化してしまうことは現実問題として誰の身にも起こりうることではないのか。そんな危険性を秘めた年配教師群が教師不足の中で大量に再任用され、今も学校現場に少なからず居て、その内の幾人かはひっそりとかなりヤバイレベルまでストレスをため込んでいるのかもしれない。そうした年配者の暴発、暴走を抑える上でもこの手の番組を視聴するのは実に理にかなったことであるだろう。

 あるいは別の視点から授業でドラマの一部を視聴させて昭和の一時代の風俗、文化を学ばせても良い。1986年から現代へタイムスリップした熱すぎる、敢えて「空気を読まない」昭和のおじさんが、持ち前のヤバイ言動で次々と騒動を引き起こす。しかし一見ただのポンコツと化したような昭和の熱血おじさんが執拗に妙な暴論、正論を吐き続けることで、令和と言う時代を相対化してとらえる新たな視点をも与えてくれる。同調圧力に屈し、各種コンプラに縛られた窮屈で草食化した現代人に、昭和のポンコツおじさんは令和を相対化してとらえる貴重なチャンスをも与えてくれるのだ。

 大切なのは学校がいつの時代においても善なる完璧な存在ではなく、時代の制約を大きく受けている、政治的、経済的、社会的存在に過ぎないという認識を持つことと考えるが、いかがだろう。このような番組や資料を通じて学校と社会を相対化し、根底から批判する心構えは生徒たち以上に教師たちにまず必要とされるはずだと私は考えている。

私立高校の野球部で監督らが暴言や暴行か…保護者会で謝罪 バドミントン部でも

 長崎市 日テレNEWS 2022.12.16

 スポーツ強豪校ではありがちな事件。1970年代に全盛期を迎えたスポ根アニメ、青春ドラマ、ホームドラマなどにつきものの体罰やしごきは今の60歳代の教師、さらにはその教え子の世代である50歳代、40歳代にも連綿として受け継がれている。結果を出さなければならないスポーツ強豪校にとっては極めて克服が難しい問題であろう。中学だけではなく高校でも運動部指導の民間委託を徹底させる方がこの問題をスピード解決するには最適なような気がするが、いかがだろう。

体罰処分の教員、大阪市が全国最多 市立学校で8年間798人

 毎日新聞 2022.12.22

 イジメ事件隠蔽で度々注目を集める大阪だが、教員の体罰処分全国最多を誇るのも同じ大阪市であるという。大阪市教育委員会の闇は深い。

遠足で小1女児の「お茶買いたい」認めず、熱中症で救急搬送 学校側を提訴

 産経新聞 2024.2.27

 校長の判断だったことに驚く。指導死に至らなかったにせよ、事件の経緯から見れば学校側の責任はかなり重大であり、通常ならば校長の管理職としての適格性が疑われ、降格処分は避けられないだろう。そもそも体調がすぐれなかった児童を担任が半強制的に遠足に参加させたこと自体、大きな問題をはらんでいる。しかも児童の訴えを校長が無視した結果、救急搬送される事態を招いた点は絶対に許容できるものではあるまい。同時に請求の棄却を求めた八尾市側の判断も明らかに常識に反したもの。

 やはり大阪府と兵庫県の教育風土は突出して異常であり、その背景に一体何が潜んでいるのかをマスコミはしっかりと追求し、報道すべきだろう。

中1自死 関連指摘の教諭を懲戒免職に 朝日新聞社 2022.12.3

 これも酷いケース。教育委員会や校長の責任は重い。2020年、市教委は40件もの体罰等の不適切な指導を認めておきながら2022年まで当該教諭を教壇に立たせてきた。2019年に被害生徒の一人が中学入学後に自殺しているにも関わらず、3年以上も放置してきたのだから当該教諭を懲戒免職にするだけでは済むまい。当時の校長や教育長への厳しい処罰も行うべきであろう。

学校単位の部活どころか高校そのものがなくなる? 先が見えない日本の少子化問題

 を考える Sportiva 鈴木雅光 2022.12.26

 一般的に「スポ根」の発祥となった作品や元祖と呼ばれる作品は『週刊少年マガジン』で1965年から1971年にかけて連載された『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)。スポ根とは、1960年代から1970年代の日本の高度経済成長期に一般大衆の人気を獲得したジャンルであり、メキシコ五輪が開催された1968年前後に人気のピークを迎えたと言われる。

 日本国内のスポーツ競技の集団主義や精神主義といった事情とスポ根を結びつける指摘があり、スポ根作品がそうした価値観を美化して描いた影響により学生スポーツにおいて過度の練習や体罰を後押しする結果となったという見方が生まれた。例えば1960年代から1970年代当時、部活動などの現場ではウサギ跳びやアヒル歩きのような半月板や膝関節に負担が掛かるばかりで実質的な効果の少ない運動法が全国的に推奨されていたが、これらは運動生理学を知らない指導者達が漫画やドラマの影響を受けて部員に対して課したものだとする指摘がある。

 スポ根ブームの渦中には学校の部活動において練習中の事故や、退部を申し出た生徒が部員から暴行を受けるなどの事件が多発したらしい。組織内の上下関係を背景とした指導や、ひたすら鍛錬を積み勝利のみを追求する価値観は第二次世界大戦後の民主化の流れの中でも温存され、とりわけスポ根作品が支持を得た1960年から1970年代当時の日本のスポーツ界では体罰も辞さない厳しい指導が常態化していたと思われる。

 1980年代以降、科学的な分析に基づく効率的なトレーニング方法の導入によりスポーツ界の内情もかなり変化してきたようだが、一部の学校現場では相変わらず「しごき」の強要といった古典的な指導法が残されているようだ。

なぜ部活動の暴力はなくならないのか? 背景に指導者個人の資質と過度な勝利至上

   主義 2022/08/01 07:00 AERAdot. 

   ※AERA 2022年8月1日号より抜粋

部活の体罰、なぜ絶えない? 専門家「悩ましいのは指導者の評価が競技成績という

   事実」 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2022/11/05 18:04

   学校教育をもっとオープンにすべきなのは当然であるが、牢固な隠蔽体質を持つ学校が多い中で掛け声だけではオープンにはなるまい。ではどうすべきなのか、生徒にも問いたい。おそらく本質的な問題は部活動に限定されず、伝統的な日本社会の体質、学校教育の深層領域にも潜んでいるのではあるまいか。

文春オンライン女子生徒を竹刀で強打、体当たりで押し倒す…福岡の高1女子を自殺

   まで追い詰めた“暴力顧問”の異様な指導「貴様、やる気あんのか?」

   文春オンライン 渋井 哲也 によるストーリー 2024.1.13

SNSに「部活が死にたい原因」高1女子自殺、遺族と剣道部元顧問の和解成立…

   不適切指導が原因と認める   読売新聞によるストーリー 2023.10.12

   竹刀で倒すどころか、突き飛ばしたり体を抱えて倒し、部員の上に乗っかって竹刀の柄部分で小突き回す、いわゆる「ぶつかり稽古」はかつて普通の練習メニューとして定着していたといって良かった。

   今、体罰とか暴言と批判されている「不適切指導」は50年ほど前にはむしろ真面目で熱心な練習の在り方の一つですらあった。そうした厳しい「指導」は通常の稽古の風景の中にきっちりと溶け込んでいるのが当たり前のものとして当時の剣道という武道、格技の世界は成り立っていたと言っても過言ではあるまい。西洋から入り込んだ「スポーツ」という概念とは明らかに異質の、伝統的な世界観が武道には存在してきたのである。

 道場には神棚があるのも普通で、公教育における宗教への中立性はそこだけ存在していなかったも同然。もちろん、部活以外でも教師による体罰や暴言は日常茶飯事だったので事は武道の世界にとどまるものではなかった。

 さらには運動会や卒業式などに地元選出の政治家が来賓に招かれるのも、なんら不思議なことではなかった。当時は公教育における政治的中立性すら平気で踏みにじられていたのである。

 戦後まもなく、GHQの指導もあって職員会議に生徒代表が出席するケースや教育委員会のメンバーの公選制が導入されるなど、教育の世界にも民主主義的風潮が見られた時期があるにはあったが、東西対立のあおりを受けたせいなのか、わずか数年で瞬く間に教育の新風は後退していく。

 漫画やアニメの世界で禁じられていたはずの武道や戦争がテーマとして続々と復活してきて、剣道もまたやや柔道に後れを取ったが、学校体育の世界に復活を遂げてい

く。そして50年ほど前には前述したとおりの光景がほぼ普遍的なものとして学校世界に浸透していったのである。

 この事件は今、ようやくにして武道の在り方が問われ始めてきた中での、残念な出来事の一つと言えよう。しかしこの50年ほどの日本の学校教育における復古的ともいえるほどの停滞ぶりが生み出した悲劇はいわゆる「指導死」事件だけにとどまるはずはない。不登校、イジメ、暴力…今、学校で急増しつつある問題の根源に断固たる決意をもって迫るべきであるとカッパは考える。

出勤停止級の顧問の体罰、高体連に報告せず 東海大福岡高2死亡

   毎日新聞 によるストーリー 2024.4.12

   これも剣道部での事件である。学校側としては厳しい指導をためらうほどに実績のある顧問なのだろう。部活動の実績が学校の評判と密接にかかわっている私立では顧問の勝利至上主義による暴言や体罰に歯止めをかけることはかなり難しいのではあるまいか。

 しかし高校はあくまで授業を通じて学習する場として位置づけるべきであろう。本来、放課後の活動に過ぎない部活動をも重視したいなら、高校の場合、放課時間を少し早め、部活指導は教師ではなく全面的に社会教育機関に委ねるべきだと思うがいかがだろう。教師の負担軽減とスポーツの競技力向上にもつながるはずである。

国が進める「部活動改革」を専門家は危惧 生徒にも影響「学校から活気なくなる」

  Full-Count  2022/10/18

 これでは本末転倒の議論になりかねまい。部活ではなく学校の授業にこそ活気を取り戻すべきではないのか。討論のたたき台としては利用価値がある。

体育で公開処刑…なぜ授業で、辱めを受けなくてはいけないのか。トラウマになり

   かねない現代の「体育事情」 集英社オンライン オピニオン 2023.12.22

 スクールカーストとイジメ発生のきっかけ作りに貢献しかねない体育の授業の在り方は大いに見直す必要があるだろう。討論の題材として活用できる記事。上の記事と併用すると対立点が見えてきて議論が弾むかもしれない。

「息子は教員の“指導”で死んだ」16年間訴え続ける父親 子どもの自殺「詳細調

   査」わずか4.6%しか行われず

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2023.12.29

⑦手遅れの弥縫策

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

定員割ればかりの私立大…文科省の対応は遅すぎる!

    コバショーの受験最前線【CASTDICEサブ】2025/05/03  11:50

    コバショーさんもついに文科省の、あまりのいい加減さ無責任さ堪忍袋の緒が切れてしまったようである。とうの昔から日本の少子化が分かっていたはずなのに直近25年間で150校も大学数を許認可して増やしてしまった文科省の責任は確かに重いだろう。しかも家政学部や歯学部の人気が下がってきたにもかかわらず、学部設置を唯々諾々と許可してきた文科省にはデータを分析する能力以上に、教育の責任官庁として致命的なレベルでの自覚不足が糾弾されるだろう。今はまさに「財務省解体」デモ以上に「文科省解体」デモが必要となっているはず。

 高校生には切実なテーマであり、視聴後、ぜひ討論させたい。

先生がいなくなる 日テレNEWS NNN 2024.10.30 5:35

 学校の教師が置かれている状況を理解してもらうために視聴すべき動画としては時間的に見てもこの動画が一番ではないか。

参考記事

日本の教員は依然として長時間労働......保護者対応や煩雑な事務作業に追われ 

     ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者) 2025.11.5

 …他の先進国と比較すると、日本では教員の「教えることの専門性」が軽んじられている…教員の主な業務は授業なのだが、日本の中学校教員で言うと、週の授業時間(準備含む)の平均値は26.0時間で、参加国の平均値(30.0時間)よりも少ない。上述のように、総勤務時間は55.1時間なので、残りの29.1時間、仕事の半分以上が授業以外の業務ということになる。このような国は他にない。

     日本の教員の長時間労働は、授業以外の業務が多いことが原因だ。膨大な事務作業、部活指導、保護者対応、さらには学校の安全管理(点検)などだ。教員は、教えることの専門職ではなく、あたかも「何でも屋」であるかのように扱われている。採用に際して「教員免許は不要」を掲げる自治体も出てきているが、こういうところにも、教員の専門性を軽んじる姿勢が表れている。「何でも屋」を雇うに当たって、専門性を担保する免許状など必要ない、ということだ…

     …日本の教員の選択率が国際平均より目立って高いのは、保護者対応や煩雑な事務作業であるのに対し、海外の教員では、生徒の学力やウェルビーイング維持といった項目の選択率が日本と比較して高い。後者は、教えること、子どもの可能性を引き出す専門職としての教員ならではの悩みだ。

     多くの教員は、教えることの専門職でありたいと願っているし、「もっと授業に注力したい」と思っている。教員の仕事を授業に特化するなど不可能と思われるだろうが、南米のブラジルやチリでは、教員の勤務時間の95%が授業(とその準備)だ。地球の裏側の極端な例だが、アメリカでも8割というように、教員の業務を授業に絞れている国は数多くある

 …まずは少数の実験校という形でよいので、教員の仕事を授業に特化した学校を設置してみてはどうか。部活は地域移行、給食は食堂、生徒指導や問題行動への対処は専門のカウンセラー、保護者対応は教育委員会設置の窓口、事務作業は業務支援員、学校の施設管理は専門業者......。

     まずはこのような(夢のような)学校を意図的に作ってみて、どういうことが起きるかを観察してみることからだ。何もせず、通り一遍の「働き方改革」を連呼するだけよりはいい…

     舞田氏の指摘はこの問題の核心をついていていちいち小気味よい。「給食は食堂…」などは学校が災害時の実効性ある避難先として一定期間、機能する上でも必要であろう。大した設備が無いクセに、無責任にも避難所を引き受ける…ただの嘘つき、ほら吹きに過ぎない「何でも屋」、すなわち日本の学校ほど無能で質の悪い施設は他にあるのだろうか。

 授業を軽視する日本の学校教育の悪しき伝統も根本から見直していくべきである。

<社説>教員の働き過ぎ 定員増やす抜本策こそ 東京新聞 2025.11.4

 抜本策は決して教員の定員を増やすことではない。これまでの教育行政を振り返れば十分に予想できることだが、定員を増やすとこれに応じて必ず教員の職務が増える。そして増えた分の仕事はただのサービス残業として教師が自宅に持ち帰るだけになる。実態としては教師の負担がさらに重くなるだけなのであるが、得点稼ぎに走る管理職の過少報告も手伝って表向きの「残業時間」は減る、といういつものゴマカシ、常套手段が作動するだけなのだ。

 決して騙されてはなるまい。「教員の働き方改革」はほとんど前に進んではいない。学校での残業が減った分、教師の持ち帰り残業が増えただけである。すなわち教師の自宅での光熱費が増えているに過ぎない。

     これは「働き方改革」に名を借りた教育行政側の経費節約策に過ぎず、得をしているのは国や地方自治体だけである。児童生徒、それに教職員はむしろ損をしていると言った方が良いだろう。だからこそ不登校とイジメは増え続け、教員の精神疾患も増え続けているのだ。

 手始めに打つべき抜本策は学校の職務の大幅な削減しかない、と思うのだがいかがか。

「うちらは捨てられてる」先生が教室に現れず、授業を受けられない子どもが増

 加…教育現場で今起きている“非常事態” 

 文春オンライン いしい しんじ によるストーリー 2023.6.19

 学校教育の隠蔽体質は、ただでさえブラック化した学校において正規教員の不足という最悪の事態の進行をも招いてしまった。学校自らが教師不足という致命的な事態を世間一般からは見えにくくしていたのだ。それが社会問題と化し、表面化してきた現段階に至ってしまっては最早、手遅れに近いほどに学校の病巣は進行し、肥大化しているのではあるまいか。

 もはや手の施しようのない末期患者と同様、日本の公教育は大げさに言えば存亡の危機に直面しているのではないのか。垂れ流し状態の「教育改革」の連打がいかに学校現場を疲弊させ、限界まで追い詰めてきたか、改めて教育行政の責任を問いたい。

学校の保護者対応、民間で 教員負担軽減へ文科省モデル事業

   共同通信  2025.2.1

   文科省の迷走ぶりには呆れるほかない。教師たちのストレスは膨大な仕事量によって本来、力を入れるべき授業準備が疎かになっている点に由来する側面が大きいだろう。教師の校務の一部に保護者対応があり、いわゆるモンペアへの対応は確かに強いストレスを教師にもたらす。しかし、だからといって保護者対応を民間機関に任せることがはたして良策なのだろうか。

   学校や特定の教師への保護者による強い抗議や要望の中には、公務員が厳守すべき守秘義務の対象となりうるものも少なからず含まれている。おそらく守秘義務に関わる重大な内容の多くは外部の民間機関に委ねるわけにはいくまい。つまりそれらは学校側や教育委員会側が相変わらず受け付けることになるのだろうが、それでは教師の仕事量の実質的削減にはほとんどつながるまい。

   強烈なストレスを教師たちに与える保護者対応の多くを、結果的に学校や教育委員会が引き受けることとなってしまうのならば、この施策にどれほどの意味があるのだろう。これはまさに文科省が表向き教師の負担軽減のために一生懸命「やってます」感を演出するだけの、ただの見せかけに過ぎないのではあるまいか。

 こんなゴマカシに無駄な労力や経費を費やすヒマがあるのならば、もっと有効な対策に集中すべきだろう。まずは学級の定員を30人に減らして教員の数を増やす。それが当面、無理ならば学校行事を大胆に軽減して部活動の地域移行を徹底する、校務の合理化、DX化を加速させる、スクールロイヤーの増員と配置、学校カウンセラーやケースワーカーの増員と常駐化、彼らの待遇改善…

 文科省がやれること、やるべきことは山ほどある。文科省のお役人たちだって余分なことをしているヒマなど無いはずだ。教育行政としてやるべきことは多々あるだろうが、まず最初に着手すべきは政策の基礎基本たるしっかりとした学校の現状把握。そこが恐ろしいほどいい加減だから、文科省はその場しのぎで的外れの政策をひたすら繰り返してきたのではなかったか。信用できるはずのない教育委員会からの報告を鵜呑みにして自ら直接、学校の現状確認をサボり続けてきた文科省の責任は重い。

教職調整額13%実現へ、日高教が署名提出 リシード 2024.12.4

 …教員業務には、教科指導や生徒指導、進路指導、キャリア教育、ICT教育、特別活動の指導、部活動指導、高校魅力化推進活動、地域連携活動などが含まれる。これらの業務を遂行する過程で、生徒対応や保護者対応、地域連携対応、特別支援対応、いじめ対応、不登校対応、貧困およびヤングケアラー対応、危機管理対応など多岐にわたる対応が求められる。教員は多くの知識と専門性を駆使し、日本の未来を支える人材の育成を行っている。

 教職調整額13%の実現は、教育が多様化・複雑化し、多くの知識や高度な専門性を必要とされる現代の教師という仕事の特殊性に対し、教師の尊厳とプライドの対価として支払われるものだと考えられている。教職調整額は、教師の残業代として支払われるものという誤った認識があるが、時間外勤務の代償は、学校における働き方改革の延長線上に、残業手当としてあるべきである。・・・

 ほとんど学校教育の現状を知らない者たちの聞き捨てならない妄言というほかあるまい。現在の高校教師たちの中で「教科指導や生徒指導、進路指導、キャリア教育、ICT教育、特別活動の指導、部活動指導、高校魅力化推進活動、地域連携活動」のすべてにわたって高度な知識、専門性を持つ人物など本当にいるのだろうか。仮にいるとすればそれはまさに「スーパーマン」そのものであろう。我こそはスパーマンなりと自負する教師がいるのなら、ぜひ、名乗り出てもらいたい。

   現今の採用試験の倍率、大学での教職教養の講義のレベル、教員に向けて教育委員会が行う研修のレベル…どれをとっても、大抵は世界標準で「教師の尊厳とプライド」を満足させるものからはほど遠いものだったはず。それが日本の教育事情であろう。むしろ高校教師のほとんどは処理能力の限界を遥かに超えたレベルで複雑多岐にわたって多様化し、日増しに高度化する業務の重圧と膨大な事務仕事量に耐え兼ね、働き方改革が遅々として進まない学校の現状に絶望しつつあるのではあるまいか。

 世の中は広い。確かに「生徒対応や保護者対応、地域連携対応、特別支援対応、いじめ対応、不登校対応、貧困およびヤングケアラー対応、危機管理対応」といった業務をすべて満足のいくレベルで遂行できている、と平気でホラを吹く教師たちが世の中にまったくいないわけではあるまい。しかしそれらの内、一つでも専門的な教育を受けたことがある教師ならば即座に断言できるはずである。そんな超人的な仕事をこなせるのはスーパーマンだけなのだ。

 出来ないことを出来る、というウソはもうつかないでほしい。今、出来ること、あるいは近い将来、出来そうなことに教師たちが専念する体制作り、すなわち教師の業務の大幅な削減と事務仕事の大胆な合理化を即刻、文科省は断行すべきではあるまいか。給与や残業手当の件はその次に着手すべき課題であると思うが、いかがだろう。

持ち帰り業務、約56%が実施…教職員の勤務環境調査   リシード 2024.11.29

   学校での残業時間が減る一方で自宅への持ち帰り業務が増えていくことは以前から予想されていたことである。この調査に特に目新しい発見は無い。そもそも全体の業務量を減らさない中で、学校での残業時間を数字だけ減らそうとしている事の間抜けさ、トンチンカンさに呆れ果てる。

   文科省に業務量を削減する意欲は見られず、さらにやる能力すら無いのならば、今後も時間の無駄が続いてしまうので、まずは文科省自体を一刻も早く解体すべきだろう。存在価値が認められない省庁を存続させる意味は無い。

教員給与の段階的引き上げ 現場は評価もサービス残業を懸念

   毎日新聞 によるストーリー 2024.11.8

   給与の引き上げ、残業手当の支給などによる教師の待遇改善は無論必要であるが、それよりも急がれるのは職務の大胆な削減の方だろう。下手に給与の引き上げが先行してしまうと、流れとして職務の削減が不徹底になりやすい。すなわち給与が上がったくせに、しかも公務員のくせに仕事をさぼるのか・・・といった民衆の不満がこの景気低迷の中で政府やマスコミによって煽られ、変に暴発しないとは限るまい。

   教師たちの心身を追い詰めているのは決して給与の低さではなく、ほとんどブルシットジョブと思えるような、大量の事務仕事と部活動、学校行事の数々である。それらこそが教師の時間と体力と精神的ゆとりを奪い、心身共に疲弊させている張本人であろう。にもかかわらず敢えて給与引き上げを先行させようとするのは、こっそりと教員のタダ働きを継続させることで財政支出増の元を取ろうとする文科省、財務省など、政府側の悪だくみの様にしか思えないのだが、いかがか。

財務省の「教職調整額10%へ段階的引上げ」に反論…文科省

   リシード 2024.11.13

   …教師の時間外労働は改善傾向にあるとしたうえで、勤務時間の縮減を給与改善の条件とする提案は、学校教育の質の低下につながる…という文科省の反論には呆れるしかない。本当に「教師の時間外労働は改善傾向にある」のだろうか。一体、どういう調査結果に基づいているのだろうか。

   どうせ都道府県教委からの報告に基づいた見解なのだろうが、そもそもそうした調査報告がどこまで信用できるのか、文科省は一度でも疑ってみたことがあるのだろうか。教師たちの在校勤務時間は確かに減ってきているだろうが、業務量自体にはさほどの変化がなく、ただ単に自宅への持ち帰り残業が増えただけではないのか。重要なのは各教師の心身におけるゆとりが実際に回復できているかどうかであろう。

   …教職員定数等の充実をすることなく、単に学校現場の業務縮減の努力のみをもって学校における働き方改革を進めようとする提案は、学校現場への支援が欠如している…という、一見もっともらしい見解を文科省は示しているようだが、これも噴飯物である。給与引き上げと教職員定数等の充実を前提としてしまえば、今後、学校での仕事量削減への反発が強まり、むしろ仕事量の増大すら招きかねない。「学校現場の業務縮減」という面倒な作業を何とか後回しにし、できればそれをサボりたい文科省の本心が透けて見えるようだ。

 学校が出来もしないレベルの量と質をもつ雑多な仕事をあまりにも請け負い過ぎてきたことこそ、諸悪の根源であろう。教師の業務削減こそ最初に着手すべき改革であり、順序を間違えると事態はさらに悪化しかねないと思うのだが、いかがだろう。

   ※参考記事

  〈教員の残業〉「働いた対価が得られないなんて意味不明」「まじめな教師ほど病む」“教職調整

   額見直し”報道に現役教師たちが吐露するもっと深刻な問題

    集英社オンライン 2024.11.9

不登校の小中学生、初の30万人超 コロナ禍以降で15万人増

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.10.31

   不登校が増えた理由をもっぱら外部的要因たるコロナの流行や児童生徒本人の意欲低下等に求めているようだが、これで良いのだろうか。そもそも文科省の調査は児童生徒の不登校の原因の選択肢に教育行政や学校側の要因をほとんど入れていないという、まさに責任逃れで片手落ちの内容となっており、調査そのものに信頼性、妥当性がまったく欠けていると私は考える。

 文科省は家庭側の要因や教員不足、専門的対応の不足などに多くの課題を求めているようだ。しかし最も重大な原因がこれまで看過され、その解決がひたすら先送りにされてきたからこそ、不登校児童生徒の増加、イジメ重大事態の増加といった危機的状況を招いているのではないだろうか。すなわち日本の教育行政の長く続いた迷走と停滞により、日本の学校現場が徒に混乱させられてきた。そのことによって時代の急激な変化から学校は完全に取り残され、もはやガラパゴス状態となってしまった。そこから生じた様々な不具合こそがこうした問題の背景にあるのではあるまいか。

 多様性や個性、主体性を重んじ、話し合いによる協同作業を軸とした授業内容と授業方法の抜本的見直し、管理主義的、画一的教育行政の変革、教員養成教育と教員人事の見直し、学校の業務量の大幅な削減…どれもが一瞬たりとも先送りできないはずの巨大な課題が山積する中でついに表面化してきた教員不足という恐るべき末期的症状。この公教育の深刻な危機を小手先の弥縫策で乗り切れるわけがあるまい。

小学校教員採用予定の倍以上が合格しても募集人員確保できず 辞退7割 高知県教委

 テレ朝news によるストーリー 2024.10.31

 いよいよ文科省や都道府県教委の行った教員不足解消策が完全な的外れであり、かつまったくの「手遅れ」であったことがよく分かるデータであろう。高知大学の教育学部学生がかなりの人数で教師としては地元に留まらなくなっている、という事実が物語る現実はあまりにも過酷なものとなるだろう。学校での教員不足によって生じる諸問題の悪化が予想されるという、当然の帰結を招くだけではあるまい。極端な少子高齢化に直面する高知県での若者の人口減が一層加速し、県全体レベルでの過疎化がより進行してしまう、ということでもある。

 ただでさえ南海トラフ地震による大津波が予想され、高知県に居住する人々の不安が強まっている。そうしたタイミングでのこのニュースは県政をほぼ致命的なレベルまで追い詰めてしまう可能性があるだろう。

 ただの教育問題に過ぎなかったはずの教員不足を何一つ解消できず、むしろ若者の教師離れを加速させてしまったことがもたらすであろう地方の未来は暗い。教育問題を過疎の問題に直面する地方での急速な少子高齢化、人口減という大きな社会問題にまでこじらせてしまった、無能で無策な文科省、政府の責任は極めて重大である。

不登校のキミはどう生きるか? 鴻上尚史が解く「不登校」の背景 学校・教師が抱え

 る問題とスマホの悪影響 コクリコ編集部 の意見 2024.10.31

 日本が教育予算をケチってきたがために様々な問題が生じてきているのは間違いあるまい。なぜ手遅れとなるまで学校教師を放置してきたのか、政治責任が厳しく問われるだろう。

 鴻上氏が参考にしたユネスコのデータを下に紹介してみる。

 

・公的教育費の対GDP比率 国際比較

 単位 : %  出典:UNESCO  データ更新日:2024年9月20日

 ・世界の公的教育支出・教育費の対GDP比率 国際比較統計・ランキング。

 ・各国の公的教育費に対するGDP比率と国別順位を掲載。

 ・単位は%。

 ・公的教育支出は公的機関における教育上の全ての支出を含む。

 ・公的機関は中央政府・地方政府・地方自治体・市町村及び他の公的教育関係機関を含む。

 ・ランキング表示では当年のデータが無い場合、過去のデータで補完表示。

 

 以下、トップ10に加えて日本の順位の周辺にある国も併せて列挙してみた。このデータがどこまで信用できるのかについてはトップ10の国名を見ると、特に途上国のデータはかなり信頼性が欠けるように感じられる。したがって本来ならば比較的データが信頼できる先進国間での順位を重んじたいが、途上国込みのデータ自体の衝撃度はかなり大きいので、今回は途上国こみの順位の方を紹介する。

 なお日本の順位は男女平等度の国際比較での順位と極めて近く、子どもや若者、および女性を尊重しようとしない歴代内閣の政策がものの見事に反映されているように思えるが、いかがか。

 

     トップ10

1 キリバス       14.20       

2 ツバル        12.85       

3 バヌアツ       10.64       

4 ミクロネシア連邦   10.54       

5 キューバ        9.39       

6 ナミビア        9.04       

7 ソロモン諸島      8.29       

8 ボツワナ        8.06       

9 ナウル         7.81       

10モントセラ       7.61      

 

   日本の順位と周辺の国々

119      フィリピン           3.62  

120      アゼルバイジャン   3.58  

121      ザンビア              3.58  

122      アンギラ              3.55  

123      パラオ               3.44  

124      サンマリノ           3.43  

125      コートジボワール   3.43  

126      パラグアイ      3.41  

127      ベナン        3.38  

128      パナマ        3.37  

129      ルーマニア           3.32  

130      タンザニア      3.26  

131      セルビア              3.24  

132      日本         3.24  

133      カタール              3.23  

134      グアテマラ           3.18  

135      エルサルバドル    3.17  

136      ヨルダン              3.16  

137      マダガスカル       3.14

前年比1.4倍に大幅増の「いじめ重大事態」 調査する校長にも大きな心身への負担 

 「今でも涙が出る…」 医療機関にも通院 弁護士を自費で雇おうともしたが

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2024.11.1

 教育予算の不足はイジメ問題の解決を一層、困難なものにしている。

なり手不足が深刻化 教員採用改革をどう進めるか? 文科省で全国教育委員会連絡会

   採用試験の全国統一化も検討 受験者の負担を減らす狙い

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.10.8

   文科省が「教員採用改革」をテーマとしている限り、教員不足や不登校、イジメ問題など、山積する学校の課題は何一つ、改善しないだろう。これまでの文科省の対策の多くがただの弥縫策であり、学校教育行政が本来着手すべき問題の矮小化、ゴマカシに過ぎないことは既にこのブログでも繰り返し指摘してきた。

 むしろ教員採用試験の全国統一化を進めることで、大学での教員養成教育への国家による統制の強化を図らんとする文科省の小賢しい狙いが透けて見えてくる。今回の検討事項もまた「教員不足への対応」という大義名分に便乗せんとする、ただの悪質な詐欺的改悪であると断じて良いのではあるまいか。

 文科省が直ちに検討すべきなのは自ら大きな痛みを伴う自己改革の方であろう。上意下達の管理主義的統制を排した文科省自体の改革、とりわけ文科省の官僚が都道府県の教育長に天下りするような悪習の廃止や年功序列的教育行政人事の根本的な見直しではあるまいか。さらに教育内容の大幅な自由化、正解主義で一方通行の詰め込み教育を排し、教育の個別最適化と協働的学習を軸とした教育方法の改善、授業力向上を柱とする教員養成教育の刷新…等々であり、これらの方向性を踏まえた上での教員採用改革であるべきだと考える。今回のような、改革の名を借りた怪しげな方向性を模索するだけの文科省のプランに学校側がやすやすと乗っかるわけにはいくまい。

学校内に「居場所」設置46% 不登校対応、文科省整備加速へ

 共同通信 によるストーリー 2024.8.29

 記事で紹介されている文科省の措置はあくまでも対症療法であり、その場しのぎの応急手当てに過ぎない。重要なのは学校教育の魅力をより一層増大させて不登校に至る児童生徒を出来る限り少なくすることの方だろう。

 学校生活のメインとなる授業を楽しく、分かりやすく、有意義なものにしていく努力・工夫に加えてブラック校則の見直し、部活動の地域移行の推進、イジメ問題への対応力の向上、教員養成教育の見直し、教育行政の民主主義化、児童生徒の主権回復など、文科省以下教師に至るまでやるべきことは多い。それぞれが「居場所」の設置以上に重要な施策である。また文科省や教育委員会自体の組織改革も不可避となるだろう。さもなくば教師たちの「不登校」も増えてしまうに違いない。

教員確保の実現へ危機感 国や自治体の努力不可欠 中教審が給与アップを答申 

   産経新聞 2024.8.27

 中教審の答申や文科省の取り組みは西村氏が懸念するように肝心のポイントを巧妙にずらして組み立てられた、その場しのぎの誤魔化しに過ぎない、と思うがいかがだろう。当然、教員の給与引き上げは必要であるが、それ自体は児童生徒への還元が約束されない点で根本的な改革とは程遠いものである。さらに教員の増員と業務量の削減も同様に急がれるべきであるが、やはりそれだけでは必ずしもその成果が児童生徒に還元されるものとは限るまい。

 児童生徒が学校での生活にそれなりの喜びと意義を見出して生き生きと学校で過ごしていけるための最大のポイントとなるのはやはり授業であろう。もちろんブラック校則の見直しは言うまでもないが、それを実現するためにも児童生徒の人権が一層認められる授業内容と授業方法が模索されるべきである。一日あたり6時間をも占める授業こそが学校教育において最も比重の重い時間になるべきであり、授業改革を伴わない改革にはさほどの意味が無いと考える。

 もちろんIT化を推進して学習の個別最適化を図ることは重要であるが、それだけでは片手落ちの誹りを免れまい。より重要なのは時事問題に対する児童生徒の意見表明および話し合いの機会を豊富に設けて、彼らに社会と積極的に関わろうとする当事者意識を育むことだろう。この問題を考える上で工藤勇一氏の論考に加え、「子ども若者抑圧社会・日本」(光文社新書 2023)を著した室橋祐貴氏の考察も非常に適格で有効だと思われる。

 室橋氏はこの本で選挙権取得年齢の引き下げを主張するかたわら、日本の学校教育の問題点についてかなり詳しく触れている。児童生徒をあくまでも「未熟」な存在と捉え、その権利を幅広く制限しようとするこれまでの日本の管理主義的学校教育のあり方が現在の「子ども若者抑圧社会」を拡大再生産してきた、とする点は工藤氏の指摘と重なる点が多い。

 現今の教員不足と各種の学校を巡る事件、事故の背景に画一的で硬直した管理主義があると考え、そこに本質的な原因を見る立場からすると、教員の増員や給与引き上げ、仕事量の削減などはあくまでも副次的で対症療法的な対応に過ぎない。

 加えて児童生徒の意見表明や討論の機会を拡充するには教員養成教育の大幅な改革が不可避である。授業で児童生徒に意見表明の機会を数多く設けて多様な意見を交流させる討論型の授業を成立させるには、どうしても大学での少人数による濃密な授業体験の繰り返しが不可欠となる。子どもの権利条約の学習機会は大学においてもあらかじめ十二分に設けられてしかるべきである。

 中教審や文科省の打ち出す表層的な改善はかえって根本的な改革を先延ばしし、日本社会の停滞を延命させることになりかねない、と思うのだがいかがか。

全公立中学校に不登校やいじめ対応専任の「生徒指導担当教員」、文科省が体制強

   化…来年度から配置 読売新聞 によるストーリー 2024.8.23

   ほとんどその場しのぎのゴマカシで無意味な対症療法しか思いつかない文科省の停滞ぶりには呆れるほかあるまい。自分たちの責任を棚に上げ、不登校やイジメの増加は教師の力不足や人員不足から生じているとの、政府の浅はかな考えが透けて見えてくる。責任官庁が責任転嫁ばかりする文教行政に明るい未来は期待できない。

 生徒たちには文科省の対策が本当に功を奏るのか、考えさせたい。

教員8割超、外部人材活用で負担減予算は不足 リシード 2024.8.8

多忙化か薄給の2択? 現役教員らが中教審提案の新ポストを疑問視

 毎日新聞 によるストーリー 2024.8.3

 給特法の改正が根本的な解決につながらないことは言を俟たない。教師の給与を少しばかり上げたところでもはや「焼け石に水」であり、根本的な解決とは程遠い。もちろん教師の給与を上げること自体に反対しているのではない。問題なのは中教審や文科省に蔓延してきた、学校現場への無知、無理解に基づく頑固極まりないある種の偏見であろう。何だか知らないが教師どもが騒いでいるようだからエサをあげればきっと大人しくなるに違いない、と言わんばかりの言い草には辟易する。こうして繰り返される不真面目極まりない教育行政側の姿勢の背後に、学校現場への致命的なレベルでの無理解と理解しようとする意欲の乏しさを強く感じてしまうのだ。

 今年度の教員採用試験の志願倍率を見れば一目瞭然であるが、根本的な課題は教師の業務量の大幅な削減の方にある。今の若者は明らかにブラックな職場を敬遠しつつあり、それは教師採用試験の倍率低下、中途退職や休職の増加、教師不足の現状となってここ数年、表面化してきている。給与が高くて多少のやりがいがあればきっと若者は食いつくだろう、といった、明らかに若者と学校現場をなめ切ったような観点から繰り出されるどんな施策も、わずかな効果すら期待できるはずがない。

 近年、現役高校教師として果敢に発言している西沢氏が指摘するような「魔改造」レベルの施策しか考えられない中教審の無能さには呆れるほかあるまい。主幹教諭に加えて主任教諭を設けたところで、大幅な教員定数の見直しや業務の削減といったような肝心の支援措置の見通しはまったくといってよいほどに不透明…実にトンチンカンも甚だしいのだ。これでは教師脂肪の若者と現役教師の間には将来への絶望感しか湧いてこないだろう。

先生が足りない! 教員採用試験前倒しは解消に繋がる? 1クラス1人の担任制を廃

 止し「チーム担任制」を導入した小学校も【news23】

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.6.18

 教員採用試験前倒しがその場しのぎに過ぎないとの指摘は正しいだろう。またこうした泥縄式の対応策が続く原因の一つに文科省の官僚が学校現場への無知があるとの指摘も納得できる。とはいえ文科省による画一的で管理主義的な教育行政こそが教員不足と学校の荒廃をもたらしている根本原因との認識が見られない点に個人的には不満が残る記事である。

狙いは「ブラック職場」隠し? 文部科学省の逆ギレ抗議の怪しさ 教員の「定額働か

 せ放題」NHK報道めぐり 東京新聞 2024.5.25

文科省、NHK報道に抗議 中教審の教員確保策巡り

 共同通信 によるストーリー  2024.5.21

 「定額働かせ放題」という表現を一部の教員や学者によるものとする報道にも呆れ

るが、文科省の厚顔無恥な責任転嫁の姿勢にも呆れるほかない。ここまで深刻な若者の教職離れを推し進めてきたのは一体どこのどなたなのだろう。

 若者の教職離れを促進している学校のブラック化はもっぱら文科省と政府の責任である。画一的な管理主義的教育行政を根本的に見直すと同時に部活動の廃止などの施策が断行される上での教員確保策でなければまったく意味が無い。今、文科省が取り組んでいるのはすべて泥縄式の誤魔化しばかり。しかも言葉尻を捉えて己の責任を棚に上げ、NHKに抗議するというトンチンカンさが文科省というお役所の深刻な劣化ぶりを示していると考えるが、いかがだろう。

先生の6割が「3年以内の離職・転職」を考えている教員不足で現場に起きている

 ひずみの数々 東京新聞 2024.4.10

   なぜ、教師たちの不足が生じているのか、その原因を生徒たちに考えさせて対応策を提案してもらうとその後の議論が深まるだろう。

「不登校・いじめ緊急対策パッケージ」(2023.10.17 文科省)

 文科省の頑なで傲慢な姿勢は相変わらずだ。教職員に対するこれまでの20年余りにわたる、息つく暇も与えないバカげた「教育改革」の連打こそが現今の学校教育問題大量発生の土台にある。そうした基本的認識すら欠如していたことが直近における深刻な教員不足を招いた最大の問題点ではなかったか。過去の間違いだらけの教育行政を反省することなく、こうした不毛な弥縫策を飽きることなく次々と現場に押し付け、現場をひたすら混乱させ、疲弊させる…こんな悪循環をいまだに断てないのも、学校現場の疲弊ぶりを本気で探ろうと努力しない、もはや探求する意欲と自省する力を一切失っている文科省自身の欠陥が一番の原因ではないのか。

 一体、いつになったら学校現場の実情が文科省の役人たちに伝わるのか…やはり絶望的にならざるを得ない。地方の教育委員会から上がってくる怪しい調査結果、どうにでも取り繕える信頼性の低い数字ばかり相手にしているからこそ、こういう悲劇的事態を招いているのだ。いい加減そのことに気付いて現実を直視していただきたい。

 教育委員会や管理職が事実を歪曲したり、表面を金メッキで糊塗できないよう、まずは自分たちの目で「お忍び」「潜入」を敢行してでも直にありのままの学校現場を視察すべきであろう。こうした組織が学校を含めてどれだけ酷い隠蔽体質を抱えているのかを示す資料は、このブログでも紹介してきたように、枚挙にいとまがなく、既に膨大な数に及んでいる。

 したがって地方からの報告を鵜吞みにすることが現場を信用している事の証…などともしも文科省が言い訳しようとするならば、それは文科省がいかに現場の実態を知らないか、知ろうとすらしていないかを証明しているようなものである。県教委を牛耳っているのは文科省からの天下り役人=都道府県教育長であり、現場の実態を知らない、などと文科省に言わせてはなるまい。

 適当に弥縫策を打っておけば当分の間、国民の目を逸らすことが出来る…という小ズルい判断を文科省が持っているとしたならば、「国家百年の大計」は早晩、崩れ落ちるに違いない。行き当たりばったりの対症療法でごまかすのはもういい加減止めていただき、公教育の在り方を本腰を入れて根本から見直すべきではあるまいか。

   たとえば「不登校特例校」を「学びの多様化学校」と名称を変えてみてもただのごまかしであり、根本的な問題から一時的に目を逸らさせるだけのことに過ぎまい。特例として特殊な目的を持つ学校を一握り創り出すことで公教育の根幹部分には一切手を付けさせず、温存させておこうとする魂胆がそこには透けて見えるのだ。

 あくまで「ガス抜き」としての特例に過ぎない学校を設ける…そんな事では、なぜこれほどにまで学校が忌避されているのか、なぜ学校がイジメの温床となっているのか、その本質的な問いをスルーしてしまうに違いあるまい。根本的に変えるべきは上意下達の教育行政と画一的、管理主義的学校の在り方全体であろう。

 もちろん、教員の働き方改革などの対症療法も急がれるのは確かであるが、本来、改革すべきはもっと根深いところにあるはず。画一的、管理主義的教育の徹底的な見直しだけではなく、教員養成教育の抜本的な見直しも急がれる大きな課題の一つであるだろう。これは安倍政権下を中心に進められてしまった諸々の「教育改悪」を全面的に修正するだけでもまだまったく不十分。戦後教育の全面的なリニューアルをともなう大改革が今、日本の教育界に切実に求められていると思うのだが、いかがか。

いじめ・不登校対策を前倒し、過去最多の認知件数で政府方針…早期に兆候発見狙

   い 読売新聞 によるストーリー 2023.10.11

 対症療法が無意味だとは言わないが、あくまでもその場しのぎの弥縫策に過ぎない点は忘れてはなるまい。なぜ、イジメや不登校が増加の一途をたどっているのか…日本の学校教育の在り方に問題は無いのか、根本から問い直すべきでは?

参考動画

【不登校】国家を根幹から崩す?フリースクールの選択肢は?無理やりでも登校? 

 親の責任論は的外れ?大空幸星&元当事者|アベプラ

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/10/25  19:10

 この問題をフリースクールや特例校を設けることで解決させてはならないという点で大空氏の見解に同意する。根幹となるべきは公教育の根本的な見直しであり、特例校の設置はあくまでも応急措置の対症療法に過ぎないことを私たちはしっかりと理解しておくべきだろう。

 

参考記事

東京の小学校教員、採用試験が定員割れ寸前に 「休めない」職場環境に学生も不

 安? 東京新聞 2023.11.2

 案の定、付け焼刃の対策も効無し。千葉県でも全体で2.2倍程度の倍率なので教員の不足に加えてついに質の低下が懸念される危機的状況となっている。そもそも、若者人口減少が続く中で優秀な人材は海外に流出する一方であり、学校に限らずとも日本全体が若い人材の不足と質の低下に直面している。

 長いこと教育予算をケチり、教育改悪にばかり励んできたツケがいよいよ本格的に日本社会を襲い始めたのである。しかも残念ながら基本的には「時すでに遅し」というほかあるまい。

教師を取り巻く環境整備…緊急提言踏まえた取組み徹底を通知

 リシード 2023.9.11

 ようやく文科省が中教審の提言を受けて重い腰を上げようとしているが、これまでのことを考えるとやはり期待薄であろう。なぜならここまで学校のブラック化を招いた張本人は、誰あろう政府と文科省である。

 特にかつて実施されていた教員免許更新制は教師の意欲を喪失させるうえで決定的であった。そしてその後も強要される意味不明で役立たずの官製研修の数々。これまでの「教育改革」と称する政策への真摯な反省と長く現場を混乱させ続けてきたことへの謝罪の言葉一つ見られない点に絶望的なものを感じてしまう。

 

 あたかも地方の教育委員会や学校の努力や工夫がまだまだ足りない、と言わんばかりの、あからさまな上から目線…

 

 こうした教育行政の、自らの責任を回避しようとする姑息なあり方は先頃、性加害を巡って行われたジャニーズ事務所の会見に少し似ているのかもしれない。

 敢えて文科省の通知の言葉を借りるならば、文科省自身がまさに「自分事」としての切実な認識に欠け、責任転嫁の意図を見透かされるような、他人事の文言に終始している点に気付いていない…といった批判、ブーメランを返されてしまう情けなさを私は感じている。

 

 やはりこのお役所に学校のブラック化を改善できるなどと期待してはなるまい。

 

教員不足解消へ全国調査 文科省、教委の具体策確認

   共同通信社 によるストーリー 2024.1.23

   教員不足の原因はあたかも教委の努力、工夫の不足だと言わんばかりの居丈高な姿勢がこの調査の背景に見えてこないだろうか。長い間にわたり教師による独自の努力工夫の芽を摘まみ、踏みにじり、ブルシットジョブの嵐で体力、気力、時間を教師から奪い続けた挙句の教員不足ではないのか。犯人が自分の罪を棚に上げて犯行原因をこともあろうに犯罪の被害者に捜査させようという、凄まじいほどの転倒が起きている。そもそもこの調査自体がブルシットジョブそのものだろう。

   文科省の言う事を素直に聞いていればこんなことにはならなかったはずだ…ということか。ただの罰として強制される、まったく無意味な調査を敢えて最も忙しい時期にやらされる身にもなってもらいたい。

精神疾患により離職した教員 公立の幼小中高校で過去最多の「995人」 文科省調査

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2023.7.28

 2022年度における教員の精神疾患による離職者数、および転職による離職者数が過去最高を記録したという事実の重みをおそらく政府や官僚はきちんと受け止めることが出来ないだろう。

   結局は教員の不足を補うためにペーパーティーチャーの雇用促進や教員免許の無い人材の登用、教員採用試験の日程調整等による青田買いといった逆効果を招きかねない弥縫策を続けるしか能は無いのだ。すなわちこうした教職の安売り、大バーゲンセールは教職の価値をさらに暴落させ、教職離れを一層、加速させかねないだろう。

【発明】成田悠輔「価値を言語化しないとダメ」研究者が消える?すぐに成果を求

   める日本社会の壁 ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2022/06/08  25:00

【研究者の給料】准教授で30万円は安すぎ?「日本は例外的 研究開発・人材育成に

 お金を投じてない」【西田亮介】|アベヒル

 ABEMAニュース【公式】  2023/09/25  14:01

 人口100万人当たりの博士号取得者数が日本は現在、ドイツ、アメリカ、イギリス、韓国などの半分以下、ほぼほぼ三分の一近くにとどまっているという衝撃のデータはこの20年余りの文教政策の誤りが日本経済の低迷と深くつながっていることをよく示しているだろう。それは高校以下の学校における職場としてのブラック化とだいたい並行して進んでいると思える。若者の未来をこれほどの酷さで一貫して暗く閉ざすような国家に明るい未来が訪れるはずはない。

維新の「高校完全無償化」が教育を破壊する可能性も…目先の人気取りに偏った政

   策の“2つの問題点”   文春オンライン 竹山 幸男 によるストーリー 2024.1.12

   高校授業料の無償化が一体、何を目指している政策なのかはしっかりと疑ってかかった方が良い。維新の会が持つ本質的な危険性がそこには見られるに違いないからだ。行政による教育への介入が強まることで私立高校の多様性、個性を成立させている基盤が崩れてしまいかねない点は特に憂慮される。

 教育の多様性と個性化への道は高校の場合、私立高校の取り組みに期待するところが極めて大きい。文科省以下、行政組織にがんじがらめにされて工夫の余地がわずかしか残されておらず、予算も人手も不足がちな公立高校に出来ることなど極めてちっぽけなものに過ぎまい。画一的で管理主義的な学校教育を変えたいのならば、今の日本では公立を二の次にして私学の活躍しやすい環境を整え、私学の定員を増やしていく事の方がはるかに現実的で有効だと考えるが、いかがだろう。

 貧困家庭に対する私学での授業料減免措置は今の制度の枠内で十分に実現可能なはずである。なぜ、敢えて今、「高校完全無償化」などと大阪万博の強行で今後一層財政難に苦しむはずの地方自治体が主張するのか…その真意はこれまでの維新の会の政策から見て明らかだろう。どうせ弱肉強食の競争原理をさらに大きく公教育に持ち込むことで公立高校の淘汰を進め、教育予算の削減を図るとともに学校教育への国家主義的統制の強化に努めることと私はかんぐっている。

 

・カッパ一押しの教育本「コロナ後の教育へ~オックスフォードからの提唱~」(苅谷剛彦 中公新書ラクレ 2020)

 「コロナ後の教育へ・・・」で日本の教育行政に対し「・・・エセ演繹型思考と法治主義をセットにしたアプローチでは、設計段階での欠点や欠陥を見過ごし、思った成果を上げられるかどうかを不明にしたままでも制度改革が出来てしまう。さまざまな副作用についても思慮の外に置かれる」(p.63)との苅谷氏の指摘は実に鋭い。

 立て続けに断行されてきた教育改革の発想の根幹を揺さぶるものであろう。また政治家や官僚側が常に自分達の謬見や過ちを棚に上げて学校を一方的に断罪し、改革と称する学校現場の破壊的政策をひたすら推進してきたこれまでの経緯の背景が見えてくる点で教師必読の書と考える。

§5.日本の進路2.少子高齢化のインパクト

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

看護師27万人不足の衝撃崩壊寸前?医療現場の今【ガイアの夜明け】

     テレ東BIZ 2025/04/28  10:06

介護の質が下がる理由〜認知症専門医・長谷川嘉哉

    「ボケ日和 転ばぬ先の知恵」チャンネル 2025/06/06 9:24

     これが日本の医療介護の実態であり、現在、政治の貧困が最も露骨に表面化しているのが、医療介護の現場であろう。学校教育ももちろん酷いのだが、介護医療の現場は既に医療従事者として「諦め」のレベルにまで達してしまっているようである。医療介護の崩壊がここまで来てしまっている、という痛切な認識が国民だけでなく、政治家全員にも必要。

【病院大倒産時代。医療崩壊に導く「5つの罪」】中小病院の経営はなぜ苦しいか/

 データに基づかない、思いつき医療/民間参入を阻む医療制度/地獄絵を回避する

 改革/テクノロジーは救世主となるか/病院の規模拡大

 PIVOT 公式チャンネル 2025/06/26  28:36

【2030-2040年の医療の地獄絵】認知症シニアが街に溢れる/2030年から85歳以上

 が急増/外科医不足で手術が半年待ち/介護職員不足も深刻に/単身世帯、自宅・

 施設での死が急増/若者が支えるのは無理

 PIVOT 公式チャンネル 2025/06/25  30:36

 介護医療教育に共通する厳しい問題がデータに基づいて分かりやすく説明されている。これらの分野に対する政治の無策ぶりがよく分かる。ただし学校教育に関しては児童生徒数の減少があるので教員不足の悪影響も緩和される側面があるだろうが、介護医療分野では患者数が激増するにもかかわらず、医師、看護師、介護士、施設すべてが減少していく点でより深刻であろう。

参考記事

「産めや、働けや、納税しろや」では何も解決しない…政府とマスコミが無視する「若者

     が結婚できない」根本原因 プレジデントオンライン 荒川 和久 2025.10.31

 急速な少子化の背景を考える上で欠かせない視点だろう。

若者の「価値観の変化」でも「恋愛離れ」でもない…政府が無視し続ける「少子化が止ま

     らない根本原因」 プレジデントオンライン 荒川 和久 2025.9.30

    「少母化」という造語はまさに、言い得て妙、である。「令和の中間層の若者が置かれた経済的不安や社会的リスク」を政府は把握できていないからこそ、高価の無い対策を繰り返している、という荒川氏の指摘こそ、日本社会が直面している少子化現象の核心をついていると思うがいかがか。

孤独死防ぐ「見守り」利用、10~50代で14倍に 現役世代の懸念

   朝日新聞社 2025.2.9

   このデータの持つ意味が、心底、衝撃を受けるほどに深刻さを帯びているように感じられるのは決して自分だけではあるまい。たかだかこの数年で一体、どれほどまでに現役世代の労働環境、生活環境が一気に崩壊していったのか、雄弁に物語る、極めて貴重なデータ。これは急激な少子高齢化が及ぼす現役世代への悪影響だけではなく、社会の分断の深刻さをも、物語る結果ではないのか。

   政府はかつて孤独担当大臣を任命して社会的孤立の問題に対応する姿勢を見せたことがあったが、それはほとんど何らの成果を挙げることなく、ただのウケ狙いのポーズに過ぎなかったことが今や明白であろう。

小中高生の自殺は過去最多の527人、人間関係に悩む子ども増える…全体は前年

   比1569人減 読売新聞 2025.1.29

   文科省もコロナ禍を自殺者増加の背景に挙げているが、本当にそうだろうか。確かに児童生徒の自殺者数増加はコロナ禍の始まりとともに始まっている。しかし2024年の増加はコロナ禍とはほとんど無関係に生じているとみて良いのではあるまいか。街中でマスク姿が激減したのは2024年から、という印象はなきにしもあらず。

   若い女性の自殺者が増えた点も注目される。少子高齢化が加速し、強い閉塞感が蔓延する日本社会…イジメがはびこる学校社会のブラック化と耄碌した老害男性がいつまでも社会に君臨し、頑固に居座る…どうしようもないほどの女性蔑視社会、そして日本の精神医療の闇…2025年、現代日本の歪みが一気に肥大化してくる不安を最も強く感じているのは若い女性たちなのかもしれない。

「2050年の人口ピラミッド」全国比較で驚きの格差 関東甲信越の人口は今後どうな

   っていくのか 東洋経済オンライン 

   東洋経済『都市データパック』編集部  2024.12.12

   都道府県別の人口ピラミッドが年代別に見ることが出来、授業の資料として活用必須の内容となっている。特に秋田県と沖縄県や東京都との比較は衝撃的。東京都への一極集中が地方にどれほどの打撃を与えてしまうかは想像に難くない。少子高齢化対策が東京都においても重点的に取り組むべき課題であることも分かるだろう。地方は地方で、東京都は東京都でどんな対策に取り組むべきか、それぞれの少子高齢化対策の重点目標を生徒たちに挙げさせてみたい。

公共施設「このまま維持は不可能」 彦根市が初めての財政説明会

   朝日新聞社 2024.12.10

   少子高齢化によって地方で一体何が起きるのか、具体的な事例としてこの記事は役立つだろう。突出して人口の多い団塊ジュニアが後期高齢者となって医療費、社会保障費を圧迫する「2025年問題」については様々な側面から語られねばなるまいが、まずは地方財政の窮状を取り上げておくべきだろう。財政悪化はすべての施策の足を引っ張る元凶となるからだ。

「政治的活動なので、ポスターをはがすように」高校時代の経験から… 20歳が見た

 総裁選の「内輪感」 withnews2 2024.9.24

 若者の政治離れの原因は他にも数多く挙げられよう。しかし日本の政治システムが若者の意見をほとんど反映させない装置として機能していることに絶望し始めた点こそが若者の政治離れの要因として極めて大きいと思われるが、いかがだろう。

 若者の政治への絶望感は「少子高齢化」の進展による若者の一票の重さが悲惨なレベルまで軽くなってしまっていることだけに由来しているのではあるまい。成田氏が指摘しているように現代では急速に学問の高度化と専門分化が進み、科学技術が急ピッチで進化し続けている。こうした現状に対して従来の代議制が不適応を起こし始めている可能性は決して低くあるまい。

 成田氏の指摘する通り、高度に複雑化し、多様化する現代社会においては政治全般に対する議員一人一人の知識、理解、政策立案能力には大きな限界があり、すべての議題、政策、法律に通じている者などもはや一人もいない。にもかかわらず、有権者が一人の立候補者にだけ投票してすべての政策、立法をたった一人の代議士に委ねてしまうシステムは既に時代遅れなのかもしれないのだ。

 まずは参政権を付与する年齢の上限を決めて若者の不利な状況を少しでも解消していくことが急がれよう。さらには成田氏が提案しているように、議題によっては政策ごとにその賛否等をネットで投票して方向性を決定するような、代議制に代わる新しいシステムの導入が検討されてしかるべきだと思う。

 具体例を考えてみよう。これまでの教育政策は実際には学校現場にほとんど無知な政治家と官僚が大き過ぎるほどの政策決定力を行使してきた。その害悪は今や計り知れないほど大きなものになりつつある。しかし、今後は新しい教育政策の導入や旧来の政策の見直しなどにおいては学校関係者(高校生以上の生徒・学生と教師)にネットを通じての投票を義務化して現場の意見を重視させる路線を打ち出す一方で、他の有権者にも同等の投票権を与えて政策の是非を決定していく。ただし政策の立案や細則などの専門性を要する部分は、国会や内閣、文科省などの配下に置かれた審議会ではなく、開かれた公正な選挙で選ばれた高い専門性と経験値の高いメンバーからなる教育審議会に委ねる。

 以上のようなことが実現すれば教育政策において教師だけでなく高校生にも主権者としての当事者意識が多少は湧いてくるだろうし、政治家や財界からの時代錯誤な介入、下手な横やり、改革への妨害を少しは避けられるかもしれない。

少子化見据えて大学を統廃合や定員減で適正規模に…中教審が年度内に答申へ 

 読売新聞 によるストーリー 2024.7.20

 平成時代からこれまで少子化によって既に小中学校や高校段階での統廃合が徐々に進んできたが、大学はその間も大学進学率の上昇によって入学者数が増え続けてきたことで、つい最近まで小中学校ほどには大幅に統廃合されずに済んできた。

 しかし令和時代に入ると大学進学率の上昇は5割を超えたところでほぼ頭打ちとなってしまった。加えて日本に留学してくる外国人も日本の若者の減少を埋めるほどには増えてこなかった。そもそも日本の大学教育は、国際的な評価から見ても決して高く評価されていたわけではなく、今後も外国人留学生を増やせる可能性はほぼないといって良いだろう。また日本社会は残念ながら大々的にリカレント教育を受け入れられるほどには人材の流動性が高くなく、中高年の学び直し、社会人の大学院入学が広く奨励されるような企業文化にも乏しい。

 以上のような理由から少子化による大学の統廃合は今後、いわゆる地方のFラン大学を中心に急激に進むほかあるまい。既に大学の定員割れが50%を超えてしまった現在、定員の大幅な見直しは不可避であり、学部の統廃合なども容赦なく進めざるを得ない。地方によっては大学の存続自体も危ういだろう。

 国としては地方の若者が進学先や就職先を求めてこれまで以上に大都市に流出することによる極端な少子高齢化、人口の急激をわずかでも緩和していく施策が必要となるが、今のところ、これといって有効な方策があるとは思えない。

 唯一、わずかな望みがあるとすれば欧米の観光客が近年、日本の地方における街並みの伝統的な佇まいや自然の豊かさに注目し始めていることであろうか。地方における観光業の発展があれば若者の有力な就労先として地方のホテルや観光施設などが考えられなくもない。つまり地方によっては観光業ならば若者を今以上に地方につなぎとめる可能性を秘めているのではあるまいか。

 しかし外国人観光客を受け入れるためのキャパシティを既に失いつつある地域も地方によっては少なくないだろう。インバウンドを期待した地方での新たな観光資源の掘り起こしや施設の整備、人材の育成と配分などには国や地方自治体の強力なテコ入れが求められるに違いない。

 特に地方私大をめぐる情勢は厳しさを急速に増してくるだろう。少子高齢化による地方財政の圧迫は危機的状況にまで悪化するかもしれない。しかし世界一訪れたい国と評価されている観光大国日本の魅力を地方対策としてもっと有効活用する術はまだまだ残されているだろう。たとえば沖縄県の名護市における大規模観光施設ジャングリアの試みは現地大学での人材育成による連携を含めて、地方での観光振興策、過疎化対策のモデルケースとなるかもしれない。

 授業では大学大量淘汰の時代が到来する理由とそれへの有効な対策として考えられる施策を考えさせたい。特に地方での少子高齢化の現状は勤務先の学校の所在地で把握し、自分たちの地域で何ができるのか、生徒たちに足元の問題として提起すると探求型の学習として大いに盛り上がるだろう。

参考動画

「子どもに権利ない」津市議の発言に批判【知っておきたい!】【グッド!モーニ

   ング】 (2024年12月16日) ANNnewsCH 2024/12/16 1:22

   国会から地方議会まで広くはびこる老害政治家たちが学校問題発生の土壌を作りだしている側面があるのは間違いないだろう。議会こそが差別問題の温床である、と言っても過言ではないこの現状をどうしたら変えていけるのか、授業でぜひ意見を募りたい。選挙のあり方、代議政治の行き詰まりの問題としてまずは考えていきたい。

【現代日本 後編】今の日本はどうしてこうなってしまったのか?私達に出来ること

 は何なのか おっくんの眼【山田玲司のヤングサンデー 切り抜き】

  2024/09/08 24:36

 山田氏の指摘はマンガ、アニメ、J.ポップなどの大衆的若者文化の流れから日本社会の変容を考察する、いわゆるサブカルチャー論に依拠していて非常に興味深い。近年の若者を取り巻く社会の変化と若者の価値観、意識を探る上で参考となる箇所は少なくないだろう。

【要約】未来の年表 人口減少日本でこれから起きること【河合雅司】

 フェルミ漫画大学  2024/04/19  20:33

 やや視聴時間が長くなるが、今、話題となっている少子高齢化の行く末を分かりやすく解説してくれており、ぜひ、フルで視聴させたい。多種多様な問題点が予想されているので、時折、途中で動画を止めて多少の解説を加える必要もあるだろう。

 動画を視聴させる前にまずは合計特殊出生率低下の原因とそれがもたらす日本社会の変化を生徒たちにできるだけ数多く挙げさせ、黒板に列挙しておきたい。その後、動画を視聴させ、黒板に列挙された項目に該当することが取り上げられた際にチェックを入れていくとさらに分かりやすくなるだろう。

人口減が止まらない 秋田県は日本の近未来

 J-CASTニュース によるストーリー 2024.4.28

自治体の約4割消滅の恐れ 前回調査で全国ワーストの村は今【news23】

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.4.27

 真山氏の「余計なお世話だ」という反発も地方自治の精神から見て分からぬではないが、少子高齢化が急激に進む地域では近くの学校や病院、商店などが無くなり、転出者の急増に拍車をかけてしまうため、集落のあちこちで廃屋が目立ちだし、多くの田畑も荒れ果ててきている。ついには要介護老人の孤立が深刻化している地域だって少なからずあるだろう。

 にもかかわらず、高齢化している首長や市町村議会議員の多くは残念ながら危機感をさほど感じていないケースがあるために新しい取り組みに躊躇し、結果的にいよいよ限界集落が増えていく…こんな恐ろしい悪循環に飲み込まれつつある地方はきっと少なくあるまい。

 安芸高田市を例に出すまでもなく、既に地方政治は若者の意見を十分に反映しなくなっており、少なからずの市町村で地方自治の形骸化、腐敗が進んでいるのではあるまいか。財政悪化も手伝ってどう見ても機能不全に陥りつつある地方自治体に一体、どこまで期待できるのだろう。これでは将来を不安視した数少ない若者たちの転出がさらに相次ぐのは不可避であると思うのだが…

 こうした事態を招いた責任を負うべきは住民や地方議会、市町村長だけではないことも明白であり、国策の失敗がこの惨状をもたらした側面は否定できまい。特に東北などではどうしても国家の強力なテコ入れを必要とするケースが少なくないと見るがいかがだろう。

 仮に国の支援を余計なおせっかいとみなすのならば国のテコ入れ以外、他にどんな施策があるというのだろう。この状況を「静かなる有事」、自治体の「消滅」などと表現して危機感を煽ることが、本当に不適切で「余計なお世話」なのだろうか。徐々に孤立し、介護などの支援から遠ざかっている身寄りのない高齢者たちの不安を思うと私自身は大きな焦りを覚えてしまうのだが…

 もちろん、結果的に消滅する自治体が出てきてしまう事自体、既に不可避であるが、犠牲者はできるだけ最小限にすべきだろうし、その場面においても国家が果たせる役割は決して小さくあるまい。むしろ今こそ国は積極的に地方へのお節介を焼くべき時ではあるまいか。

「日本人は本当は変化を求めていない」この国は社会的弱者を包摂できるか? 東

   浩紀×成田悠輔×三浦瑠麗×先崎彰容×中野信子×新谷学

   文藝春秋 電子版  2023/01/01 13:56

成田悠輔「何かを変えようとすることはコスパに合わない」 ライブドア事件が日

   本に残した呪いとは 文藝春秋 電子版  2023/10/14  6:46

   妬み、足を引っ張りあうがゆえに変革が生じにくい日本の社会がなぜ成立しているのか、考えさせてみたい。「ゆでガエル」状態の日本が変わる可能性は極めて低い。

【目標だらけの世の中】「目標からの逆算が、僕らから奪っているもの」編集部員

 ×若新雄純が“逆算思考”に物申す【前編】

 新R25チャンネル  2023/07/05  31:35

【人生と逆算】「“逆算思考”を身につけないと、これ以上出世は…」編集部員の悩

 みに若新雄純が「魔が差している」と一刀両断【後編】

 新R25チャンネル 2023/07/12 28:29

 高校生になっていても「思期」「中二病」の心性を持ち続けている生徒は決して少なくないだろう。そうした生徒たち向けの進路指導として素晴らしい洞察と役立つ示唆に満ちている動画。

 もしも「生きている間はすべてである」「人生は短い春に過ぎない」「人生は思い出でしかない」という捉え方を大切にする生き方を選ぶならば、「逆算」式(具体的な細分化された目標設定を次々とクリアすればいずれ大きな目標に到達できる、他者からの評価が軸、実績が極めて大切、満点という評価が存在する、という前提を許容する…)の、長期的見通しを持つ堅実な、計画性のある生き方を諦めた方が良いのかもしれない。

 一方で「積算」式の、先を読みにくい生き方の良さ、幸福感を発信する力さえあれば、大人になっても思春期の心性を持つ人だって周囲から居場所を与えられる可能性は高まるだろう…若新氏の指摘に頷く方は決して少なくあるまい。

 幸福であることとはどういう状態を指すのか、今を充実させる生き方とはどういう生き方なのか、深く考えさせる素敵な動画。生徒の将来を心配するあまり、計画性のある生き方を全員に一律強制しがちな教師にとっては必見。

 

日本と世界『働き方』/J.P.モルガンが行った驚きの改革/Z世代アメリカ人の変化

 「会社はカルチャーで決める」/ChatGPTは日本企業にとって危険/ダイバーシテ

 ィで『ネオトーキョー』日本スゴい島に変貌

 PIVOT 公式チャンネル 2023/10/26  37:99

【油断禁物】海外から見る本当の「日本経済」事情/今投資をするなら熊本/

 「成果主義」の導入が急務/優秀な外国人人材を採用するための方法/どうすれば

 日本がもっと良くなるのか?【KUROFUNE】

 PIVOT 公式チャンネル  2023/10/21  31:00

 以上の動画は二つとも分かりやすく、日本の企業文化を見直す上で参考になる点も多い。またここでの厳しい指摘は日本の学校文化にもかなり当てはまると思われ、日本の学校教育をアップデートする上でも大いに参考となるだろう。

 そこで重要ポイントを以下に概略、紹介しておく。

 「報告・連絡・相談」=「ホウレンソウ」と呼ばれたように、個人プレーを極端に嫌う昭和な社内文化が日本企業の進化、改革を遅くし、何事にも細かすぎて窮屈、不自由な気分を職場に蔓延させてしまっている。

 中高年層が成田氏の指摘するように「ミルフィーユ」のごとく厚い層をなして少数派の若者にのしかかっている少子高齢化の日本においては、年功序列型の階層構造と集団主義的企業文化が長い順番待ちの行列の最後尾、階層の最下層に立つ若者を苛立たせ、精神的に腐らせている元凶。

 こうした組織文化は連帯責任を重視するがために失敗を恐れる傾向が強く、新しい事にチャレンジすることを妨げ、若者を組織の底辺、末端に追いやる。また同調圧力が強く、妬みを生みやすい組織となり、東芝や東電で典型的に見られたように仕事の失敗は組織の中に隠蔽されやすい。また「出る杭は打たれる」ため、個々の力が十分には発揮されず、すべてがチームワークの成果と見なされるため、個々人の実績や成果が給与には反映されにくい。こうした点が日本経済低迷の背景にあるだろう。

 しかし歴史的に見れば海洋国家の住人たる日本人は本来、複眼思考に長けていて異文化への順応性はかなり高く、実際、日本企業の外国支店・工場での生産性は比較的高いといわれる。したがって日本がこれから先、異文化とのハイブリッドを通じて高い業績を挙げていくことは決して不可能ではない。

 しかしそのためには英語の習得と硬直した組織文化の改善は避けられない必須のクリア条件。日本の学生や労働者も国内にとどまろうとすると世界の流れに後れを取るリスクは高まる。政府は若者の所得税を免除するなど、若者支援を強化し、教育においては早くからダイバーシティと個性の尊重を重視すべきだろう。

 

冨山和彦さんが“直言”超・人手不足時代をどう乗り越える?[NHKスペシャル&日

   曜討論] | NHK  2023/11/03 8:31

 少子高齢化の中でコロナ禍も手伝い、とりわけ福祉や観光業、飲食業といったエセンシャルワーカー部門の人手不足が深刻化している日本。教員もエセンシャルワーカーに含まれるとすればやはり人手不足に直面している。ならば一体、どんな対応が求められているのか…一般企業でいえば機械化、DX化による生産性の向上、企業の淘汰による労働力の流動性を高めたうえでの集約化、公定価格制の見直しなど、教員不足の現状を打開する上でも参考となる。

 行政による下手な管理、統制は緩めていき、民間のバックアップに専念する方向が望ましいだろう。文科省の無能化を踏まえれば、教育界においても公立学校の数を減らしていき、私学に教育を委ねていくのが学校改革の近道かもしれない。

 

・明石市の取り組み:人口減少と地方自治

参考動画

【成田悠輔vs泉 前明石市長】172億はどこから?退任直前赤裸々告白【市町村の

   やるべき事】 ReHacQリハック【公式】 2023/05/06  41:54

【成田悠輔vs泉房穂】市政で国の政治動かす!今、政治家に必要なものは?

  【 mudai】 ReHacQ−リハック−【公式】 2023/05/13  54:20

熱量】ひろゆき&明石市長が対談!9年連続で人口増加?所得制限なしは正解?少子

  化日本の処方箋 

  2022/05/21 ABEMA 変わる報道番組 #アベプラ【公式】 15:10

【9年連続人口増】子育ての街「明石」ホントの事情教えてください

  2022/10/01 NewsPicks /ニューズピックス 19:24

「国の政策はリアリティがない」全国初の政策を次々と生み出す、明石市の"win-

 win力" 2022/07/31 新R25チャンネル 14:24

「誰もやる気がなかっただけ」明石市市長が“子ども無料政策”を実現できたワケ

  2022/07/30 新R25チャンネル 10:27

 人口減少、少子高齢化に直面している日本社会の中で明石市の取り組みが注目されている。明石市の現状と課題について知っておくことは極めて重要。最後まで通して視聴させずに、何カ所か途中で区切り、問いをたてて政策の効果の背景にあるものを予想させてみたい。

子供はコスト 結婚4割減 習政権 3期目に立ちはだかる人口減

 【日経プラス9】2022/10/12 テレ東BIZ 13:28

 ついに中国が人口減少局面に突入する。東アジアの経済発展を牽引してきた中国の急速な少子高齢化は日本経済に大きな打撃を与えかねない。

参考記事:

『天誅が下るぞ!』脅迫文も…「泉房穂」前明石市長と「高島宗一郎」福岡市長が

   苦労した「予算カット」の難しさ〈市の職員と議員の猛烈な抵抗に遭って…〉 

   現代ビジネス 週刊現代 によるストーリー 2023.11.4

「子供に留守番させたら虐待」おかしな法案が通りかねない地方議会の暴走…問題

 は埼玉だけじゃない!【泉房穂の「ケンカは勝つ!」第19回】

 SmartFLASH によるストーリー 2023.10.20

 このバカげた条例案を提出できた埼玉県の自民党議員の見識の凄さにはあまりにも恐れ多くてひれ伏すしかあるまい。「老害政治」の極みを垣間見た思いである。このような議員を選挙で選んでいる埼玉県民もおそらく相当高齢化しているのだろう。

 ほとんど判断には困らない記事であり、討論の対象にはならないが、「老害政治」がどんな政策を思いつくのか、分かりやすく例示できる点では利用価値の高い記事である。とりあえずこの条例案にはどんな問題点があり、なぜこのような発想が出てきてしまうのかだけは確認させておきたい。

「失われた30年」の正体は、今もなお日本社会に根強く残る「ムラ社会」的な意

 識 3/1(火) livedoor‘sNEWS 6:00配信 

既得権益を温存し衰退する日本…社会学者・宮台真司「愚かな総理を生み出したの

 は、からっぽの民衆だ」 週刊現代 2022/11/11 06:00

賢い若者だけが気づいている「ぬるい日本」でさっさと億万長者になる方法

 集英社オンライン(『不条理な会社人生から自由になる方法 働き方2.0vs4.0』

 橘玲 PHP研究所 2022より抜粋・再構成 2022/07/14 09:01

「合計特殊出生率」去年は1.26で過去最低、7年連続で前の年を下回る 厚労省の人

 口動態統計 日テレNEWS によるストーリー 2023.6.2

50歳未婚率が急上昇 20年は男性28%、女性17%

 共同通信社 の意見 2022.12.29

 50歳になって一度も結婚していない男性が28.25%、女性が17.81%と急激に上昇しているという日本の現状にはどんな社会的要因があるのだろう?アンケートを利用して生徒の意見を募ってみたい。人口ピラミッドを示して団塊ジュニア世代と今後の日本が直面している困難さに注目したい。

人口5000万人の絶望的未来世界に遅れる日本企業が捨てなければいけないもの  AIに人口減少について書かせてみた 現代ビジネス 現代新書編集部 2022.12.15

出生数80万人割れの危機人口激減ニッポンが衰亡する前にすべき「たったひとつ

 のこと」 現代ビジネス 河合 雅司 2022.12.15

12年連続「日本人」の減少幅は年々拡大。とてつもない人口減少の破壊度 子供対象

 の業種に早くも試練 現代ビジネス 磯山 友幸 の意見 2023.4.18

なぜ「日本への移住を望む中国人」がここへきて急増しているのか? その「驚きの

 理由」 現代ビジネス 中島 恵 の意見 2023.5.18

 外国からの富裕層の来日をもっともっと歓迎すべきではないのか。日本の経済発展の見地から見れば、外国人の来日が観光目的にせよ、移住目的にせよ、今後一層の発展拡充を目指す政策をとっていくべきであろう。少子高齢化の弊害を最小限に抑えていくには日本の門戸を海外に向けてさらに開いていく方向でしか、日本の未来は見えてこないように思える。これも議論のテーマにうってつけだろう。

高齢者の「免許返納」はじつは年々減っていた! 深刻化する高齢ドライバー問題の

 「シビアな現実」現代ビジネス 二階堂 運人 2023.4.18

「死ぬかい?」「いいよ」老老介護の末の 承諾殺人 おしどり夫婦が残したもの…

 RCC中国放送 の意見 2023.6.10

 高齢者世帯の急増、老々介護の深刻さ…呆れるほど執拗に暴言を繰り返す一部の高齢政治家達のせいで高齢者の存在自体が「老害」と揶揄されることの多くなった日本の社会の先行きは不安に満ちている。いよいよ日本の高齢者は厄介者扱いされ、このような悲劇が繰り返されるとすれば、若者の自殺率の増大と相まって高齢者の事件事故も急増するに違いあるまい。このままでは極めて悲観的な日本の将来が待ち受けているのだろう。

ユニクロ賃金最大4割アップ!ファストリは気づいた日本を待つ最悪な3つの未来 

 ダイアモンド・オンライン 鈴木貴博  2023.1.13

 将来的に日本の若者が希少資源になっていく事で特に優秀な若者を巡る日本企業間の奪い合いは熾烈の度合いを増してくるだろう。ユニクロの大幅な賃金引き上げ方針は間近に迫ってきた団塊ジュニアの大量退職と若者の急激な減少を見越した人事戦略と見られる。若者を惹きつける上で年功序列型の賃金体系からいち早く脱却し、他のライバル企業との待遇格差を拡大して人材確保に走るこうした企業は他の業界でも続々と出現してくるに違いない。

日本はこのまま衰亡するのか…結婚も出産も増えることのない「小さな国」がなん

 とか生き残る方法 現代新書編集部 2022.12.20

 人口急減期が近づいている日本への処方箋は何だろう?取りあえず始めに日本の人口ピラミッドを提示して将来の人口減への歩みを予想させ、人口減の原因を推理させてからこの資料を読ませたい。さらに以下の動画を視聴させ、高橋氏の指摘「人口減少は問題視する必要なし」についてどう思うか、意見を書かせたい。少子高齢化と人口減少は日本社会が直面する大問題と言われるが、日本社会にとって何が本質的問題なのかは今後のテーマを展開していくスタート地点である程度は整理しておくべきであろう。

※参考動画

【少子化】「まやかしだ」人口減はホントに問題?出生率の低迷=日本の大問題が

 テンプレになった弊害とは?内閣官房房参与 高橋洋一に聞く【ロンブー淳】

 ABEMAニュース【公式】 2021/04/14 16:53

 これも凄まじいほどに珍妙な意見で、反論噴出が期待できる。しかもかつての官僚として今も政府から意見を求められている高名な人物の発言だから、暗然たるものを覚える。きちんとしたデータを示して議論を進めていくにはうってつけの動画。

【「消滅可能性自治体」発表…】30年で若い女性半減 全自治体の4割が該当 

 日テレNEWS  2024/04/24  4:34

人口3分の2という選択 「8000万人国家」が持つ国力【日経モープラFT】

   (2024年4月25日) テレ東BIZ  2024/04/25  5:22

   少子高齢化がもたらす問題は地方、特に過疎地において深刻なものとなるのは当然として、都市部でもかなり危機的な状況が生じかねないものがある。したがって人口の社会増と自然増の二点からの対策、強力なテコ入れが大切になる。それぞれにどんな対策が有効だと考えられるのか、生徒たちに考えさせたい。

 ポイントとしては明石市が行った若い女性や子供たちへの様々な支援策、移民政策の見直し、長期滞在型の地方観光を目指す政策などが挙げられようか。それぞれに効果的な具体策が切実に求められているに違いない。

 ただし、それら政策実現の上での最大の障害物こそ現在の日本の宿痾となっている「老害政治」である点はぜひ留意させたい。頑迷な「老害政治」を中心的に支えているのはおそらく保守本流の要として機能してきた旧態依然の学校教育と自民党のお家芸と化している派閥政治や金権政治あたりではあるまいか。

 少子高齢化の背景に潜む問題は多種多様であり、生徒たちに多角的な視点を養う上では格好のテーマであろう。ぜひ時間をかけて取り組みたい。

【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化よ

 り無人化の方がマシ」少子化&人口減少前提で考える日本の未来|

 ABEMA 変わる報道番組 #アベプラ【公式】  2021/12/19 20:28

【成田悠輔×堀江貴文】高齢者は老害化する前に集団切腹すればいい?成田氏の衝

 撃発言の真意とは 2022/02/01 堀江貴文 ホリエモン 10:43

 ※参考記事

  いじめや不登校を乗り越えケアマネージャーになった40代男性が力説介護保

   険制度自体への「強い違和感」現代ビジネス 2024.6.10

  成田悠輔氏 政治家の若返りの利点を分析「保育や教育の予算が増える」「長期

   的視野で政策」東スポWEB によるストーリー 2023.7.2

 敬老の精神は失ってはなるまい。しかし、いつまでも権力の座にしがみつく老害政治家は「百害あって一利なし」。いつも大胆な提言で知られる成田氏の刺激的な発言は毒も含まれるが、議論の活性化に欠かせない視点を提供してくれる。他方で介護をめぐる問題は深刻化する一方である。特にケアマネージャーの社会的待遇の改善を急がないと、教師同様、人手不足の深刻化を招くに違いない。ケアマネの養成教育問題と教師養成問題とは重なる要素が多いように見受けるが、いかがか。いずれも福祉と教育の予算不足が大きな足かせになっていると思われるのだが…

 

参考記事

民生委員、欠員1万5000人 3年で32%悪化、戦後最多

 共同通信社 2023.1.13

 行政による社会保障の不備を民間のボランティアの力を借りることである程度まできめ細やかに補完してきた日本の福祉政策は少子高齢化が進展する中でいよいよ深刻な機能不全に陥ってきたようだ。他方で仕事の過酷さが手伝ってか、地方公務員の休職件数が増加し、公務員のなり手不足も進行しているという。すでに学校教師は慢性的な不足状態である。こちらも事態を一層こじらせる一因となろう。

 家族や地域社会の在り方が変化してきた事が事態悪化の背景に考えられる。今や国家的なテコ入れ無しに事態の改善は見込めないだろうが、政府にその力はあるまい。日本社会はどうにも八方塞がりの状態にあるようだが、いかがだろう。

日本には「世襲政治家」が多すぎる、ビジネス界からの転身が少ない根本理由 

 ダイヤモンド・オンライン 上久保誠人 によるストーリー 2023.4.19

 いわゆる「老害」がはびこると批判される日本の政界がはらんでいる大きな問題点の一つがこの「世襲政治家」であろう。日本でなぜ世襲政治家がはびこり、政権の中枢に居座り続けているのか、なぜ若手政治家の新規参入が進まないのか、その理由が手際よく整理されていて大いに参考となる。

日本はもはや稼げる国ではない 割り切って「人材加工立国」「出稼ぎ立国」を目指

   すべき 古賀茂明 AERA dot. 2023.10.11

 若者にとっては非常に厳しい将来予測だが、かなり説得力があり、議論の材料になるだろう。日本の将来を予測する上でどういう指標を参考にするのか、目の付け所に注目させたい。

就職氷河期世代「年金15万円なんて、どうせもらえない」「他の世代に類を見な

 い」厳しさ THE GOLD ONLINE によるストーリー  2024.5.11

公的年金、「制度見直し」派が7割 見直すべき項目の1位は?

 ITmedia ビジネスONLiNE 2024.5.16

総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長」案は、なぜ避けて通れない

 議論なのか? ニューズウィーク日本版 によるストーリー  2024.5.15

「日本国債」の紙くず化がとまらない…雪だるま式「借金地獄」から日本が抜け出

   せない根本原因【経済のプロが解説】

   THE GOLD ONLINE によるストーリー  2024.5.11

   上の二つの記事は図表などでデータがつかみ易く、授業での利用価値の高い記事であろう。外国からの借金が少ない点は確かに日本の強みではあるがさすがにここまで借金が膨れ上がるとマズイのではあるまいか。特に少子高齢化が加速する中でこの累積した借金は日本の若者のへの負担を重くするに違いない。しかも若者や中年層が高齢者になった時にもらえる年金額は目減りする一方である。こうした負担の先送りとその場しのぎの借金漬けの政治もまた若者、皇族世代の犠牲を前提とした「老害政治」の弊害と言うほかあるまい。

このバラマキのツケは若者世代に…日本の財政の「膨張」が止まらない実態

   Finasee によるストーリー 2023.10.11

 増え続ける財政赤字も若者の将来に重くのしかかる難題である。累積債務の実態は常に念頭に置いておきたい。

生活保護の申請、7・6%増で4年連続の上昇…物価高騰に賃金上昇追いつかず

  読売新聞 によるストーリー 2024.3.6

生活保護申請、12カ月連続増 最長期間更新 厚労省

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.6

 株価がバブル期を超えて史上最高値を記録した昨今、このデータは一体、何を意味

するのだろう。ぜひ生徒たちの意見を募り、議論させたい。

「万博やってる場合じゃない」介護保険料、大阪市が全国ワースト9249円の一方で

 万博負担「ひとり2万7000円」試算に市民の怒り爆発

 SmartFLASH によるストーリー  2024.5.15

 

参考動画

【世界の年金が凄い】外国人に年金いくら貰ってるのか聞いてみた|海外の老後生

 活の現実 タロサックの海外生活ダイアリーTAROSAC  2022/11/05 19:20

 当然の事ながら貯金や投資を早くから行っていくことが世界共通で老後の生活を保障する事が分かる。それにしても日本の年金の少なさには唖然。

【ゆっくり作品解説】藤子・F・不二雄SF短編「定年退食」 2021/03/15

 そかなりどぎつい内容だが、高齢者問題の導入としては刺激的で生徒たちからかなりの反応が期待できよう。

暴れる認知症患者さん・いつまて我慢すれはいいの?認知症専門医・長谷川嘉哉

 長谷川嘉哉チャンネル「ボケ日和 転ばぬ先の知恵」 2022/11/01 8:42

新たな認知症ケア「ユマニチュード」とは【報道特集】

 TBS NEWS DIG Powered by JNN 2021/09/02 22:57

 認知症患者への接し方は難しく、いまだに手探り状態にあるように思える。しかし「ユマニチュード」の考え方は古典的でありながら、王道を行くものであろう。ヤングケアラーが増えている現在、高校生の間で認知症への理解が広がることが切実に求められているだろう。

 

 

㉓イジメ事件隠蔽の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

いじめ巡り多くの先生が口にする「ある質問」 悪ふざけと捉えないで

     毎日新聞 2025.10.27

     いじめ防止対策推進法におけるいじめに関する基本的な捉え方について、少なからずの教師たちが十分に理解出来ていない状況がこの記事から見えてくるだろう。施行されてから10年以上も経つというのに、この情けない状況は一体、何に由来するのだろう。

     大学での教師養成教育のお粗末さ、官製研修のお粗末さ、管理職の勉強不足、学校のブラック化…おそらく沢山の要因が絡まっているはずである。

「なんだこりゃ?」三千字超えの遺書に抱いた違和感…愛知県西尾市中学生いじめ

    自殺事件を描いた「924ページの大著」を読む

    現代ビジネス 仲野 徹(大阪大学名誉教授) 2025.8.27 

    学校の味方となるような内容でなければ取材には応じない…と語った取材時の校長の発言に、学校の隠蔽体質があからさまに露呈している。かなり昔の事件だが、学校の体質に大きな変化はあるまい。

子どもの「ネットいじめ」過去最多 いじめるのはジャイアンではなく「しずかちゃ

   ん」タイプのワケ AERA dot. 野村昌二 の意見 2024.6.26

 面白い指摘であり、授業で紹介すると議論が活発化するかもしれない。近年、ネットイジメが激増していることで「しずかちゃん」タイプがイジメ加害者となりやすくなっているとのこと。また学校でのクラスは「関係流動性」が低く、同調圧力が高いため、イジメを見て見ぬふりをするなど、イジメの歯止めがかかりにくい状況を生み出しやすい集団だという。ぜひ生徒たちの意見も聞き出したい。

「カスハラ」連発の今の日本は「優しい国」じゃない…海外の人が抱いている「正

 直な感想」現代ビジネス 片岡 亮(フリージャーナリスト) の意見 2024.6.15

 人助け指数が昨年度ランキング(2023年度)で、日本は142カ国中139位であること、「日本は社会主義的に、集団の調和を重視する傾向が強く、個人の問題に対する配慮が後回しになりやすい。以前、電車やバスでのベビーカーを邪魔だとする人々が結構いるという話があったが、ベビーカーを押す母親の大変さより、その場にいる人々への配慮を優先して考えた意見がたくさん見られた」という指摘はイジメ問題を考える上でも大いに参考になるだろう。これらが日本社会の随所でイジメとその隠蔽がはびこる背景にあると思われるが、いかがか。

参考動画

【坂井風太】「生存者バイアス問題」と若手の不本意離職を防ぐには

 ReHacQハック−【公式】  2024/01/17  52:35

 組織マネージメントの専門的見地を学校組織に当てはめると、学校での不祥事、隠ぺい事件の背景にどのような組織文化があるのか、探っていく必要があるだろう。坂井氏の指摘には非常に有意義なポイントが数多く含まれているようだ。特に「生存者バイアス」は極めて重要な観点で、学校をダメにしている大きなポイントではないだろうか。新人教師の教師としての自己効力感を高めるマインドセットをどう創り出すのかを探ることは大学での教員養成教育においても必要不可欠なはず。

 

・町田小学生イジメ自死事件

「学校配布タブレットでいじめ」 小6女児自殺で両親が訴え

   2021/09/13 TBS NEWS 1:24

東京・町田 小6女児自殺 文科省が市の教育委に指導

   2021/09/15 TBS NEWS 0:43

東京・町田市 いじめ訴え女児死亡 遺族「教育委の調査は一方的」

   2021/11/04 TBS NEWS 2:17

参考記事

町田12歳女子イジメ自殺》「目をえぐる」「さいごに包丁でめったざし」 小学生

 が作ったとは思えない「ころしかたノート」の“残虐すぎる内容” 

 文春オンライン 渋井 哲也 によるストーリー 2024.3.23

 まだ事件の全貌は明らかにされておらず、結論めいたことは言える状況にないが、これまでに判明した分だけでもこの事件の闇深さは十分、伺えよう。イジメ事件隠蔽を考える上でその導入部に使えば生徒たちの関心はかなり深まっるに違いない。

遺族「なぜそういう結論に」“いじめ”訴え小6死亡 調査委「原因特定できず」

      テレ朝news  2024.3.29

    第三者委員会には警察のような強制的捜査権は無く、元来が限界の多い組織に過ぎないことは予め理解しておくべきだろう。事件が表面化してから3年近く経っているにも関わらず、何一つ、事態は進展していないように見えるが、いくつかの案件に関してはイジメとの認定を受けている。また一般的には自殺の原因を特定すること自体、極めて難しいのも事実であり、捜査権の無い組織が確たる証拠もなしに断定的なことを言いにくいのはまさに第三者的には理解できなくもない。どんなメンバーだったのか分からないが、町田市の第三者委員会としてはこれが能力面での限界だったのかもしれない。

 とはいえ相当ひどいイジメがあったことは確認されており、今後、そのことに対して学校側や教育委員会側がこれまでの期間も含め、どのような取り組みを行って事件の再発防止と加害者側の反省、他の生徒たちへの指導が出来るのか、その実際のプロセスが改めて問われてくるだろう。

 ただし、これまでの流れを振り返るとおそらくそれすらもきちんと行われてきたとは到底、思えない。ひどく不誠実な動きが学校や教育行政側に目立つ案件ではある。

 もしかすると事件の解明に関して遺族側は町田市及び町田市教育委員会、学校側のメンバーに対して今後一切、期待すべきではないほどに困難な状況に直面しているのではあるまいか。そうであるとすれば遺族側が自殺とイジメとの因果関係をはっきりさせるためにはおそらく裁判に持っていくほかに手立てはあるまい。裁判になれば学校や教育委員会にも警察の強制捜査が入り、当時の関係者たち全員にイジメへの対応の是非、さらには事件の隠蔽や虚偽の説明の有無がそれ相応に厳しく司法の場で問われていくに違いない。

 そもそも学校や教育委員会のような、ブラックボックス化して自浄能力に欠ける組織に真摯な反省を求めるのは土台、無理な話であり、町田市の場合、遺族は裁判に訴えるほかに有効な手立てはどこにも見当たらないように思えるのだが、いかがだろう。

「校長が言えばまず『分かりました』と答えろ」「最低の教頭」などと叱責 堺市立

 学校の校長をパワハラ行為で懲戒処分 ABCテレビ   2023.11.17

 大阪や兵庫で続発する学校関連の事件のレベルの低さを眺めると教員養成のみならず、管理職養成とその採用基準に大きな疑問を覚えざるを得ないだろう。同じ管理職ではありながら校長と教頭との上下関係はほとんど封建的主従関係に近い。ならば平教師、とりわけ講師の立場がどんなものなのか、推して知るべし。

 これまでひたすらに正教諭の数を減らして講師や非常勤の数を増やしたのは決して人件費を減らすという経済的目的だけではなかった、ということ。学校のブラック化、ブラックボックス化にはこうした側面も大きく関与していることに気付いていただけるとありがたい。

なぜ日本人は「理不尽」を受け入れてしまうのか…学校から「いじめ」がなくなら

 ない理由 現代ビジネス 現代新書編集部 の意見 2023.10.30

 学校の閉鎖的村社会化、ブラックボックス化、ガラパゴス化がイジメを広範にはびこらせ、各種事件の隠蔽を促す要因の一つとなっていると考えられよう。

日本と大違い…フランスで「いじめ」が犯罪行為とみなされる「納得の理由」 新法 

  成立の背景 現代ビジネス A4studio の意見 2023.12.1

   集団生活を身につけさせることを教育目標のメインにしがちな日本の学校と個々の学習をメインにおくフランスとの違いがイジメ問題への対応の違いになって表れてくるという指摘に納得させられる。個の人権や多様性よりも集団社会への適応を優先させる「滅私奉公」的価値観がいまだに日本の学校には浸透しているようなのだ。そしてそのことが学校によるイジメ事件の隠蔽や教師たちの対応の鈍さとなって表面化しているのだろう。すなわち個々人の学びよりも集団主義的洗脳を主眼とする日本の学校教育は今やその根本から見直しを迫られていると考えるが、いかがか。

日本で「いじめ」がなくならない「本当の理由」…子どもから自由を奪う「学校」

 という病 現代ビジネス 現代新書編集部 の意見 2023.12.26

日本人は「世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった…「自分の利益より他

 人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果 

 現代ビジネス 週刊現代 の意見 2024.1.2

 非常に興味深い指摘であり、アンケートなどを使って生徒たちの意見を募いたい。

 日本社会に蔓延する「生きにくさ」の正体は日本人特有の集団心理にあるのかもしれない。規律正しさ、礼儀正しさ、おもてなし文化…これらは同調圧力の強い日本社会が生み出した強みでもあり、これまでの日本の工業化を支え、観光業の発展をもたらした長所ではあったが、同時に「出る杭は打たれる」、場の空気を読めない「KY」を排除する集団的イジメを学校などにはびこらせてきた側面があることも否めないだろう。

 単純に集団主義的な心性を批判し、個性や多様性の尊重を謳うだけでは日本人の長所を損なう恐れもあると考える。要は行き過ぎた忖度を見直し、個性や多様性の価値を認めつつも、規律正しさ、礼儀正しさを出来るだけ失わないような工夫と絶妙なバランス感覚が求められているのだろう。

【緊急保護者会】大阪中1女子自未遂!全音声公開74 分  

 2022.6.5 加藤秀視 26:26

 これも学校の隠蔽体質が露見したケース。ただし行政のバックアップも乏しい中で現場の教師が抱えている膨大な仕事量と苛烈なストレスへの理解は学校が頑固な隠蔽体質を持つに至った背景を知る上で欠かせまい。学校現場への理解を欠いたまま、学校や教師を一方的に断罪するだけでは教育現場の絶望感を深めていくだけであり、教師志望者をさらに減らしていくだけとなりかねない。

 もちろん学校の伝統的な隠蔽体質が学校教師への世間による共感的理解を妨げてしまい、それがまた隠蔽に走る学校や教師に対する厳しい批判を招いてしまう一因ではあるだろう。加藤氏らにバッシングされている学校の惨めで情けない現状は厳しく言えば自己防衛ばかりに腐心し、自己改革をサボってきた学校側の自業自得と言えなくもない。これからは学校をもっともっと大胆に世界や世間に向けて開いていく努力をしていかなければならないのは確かであろう。さもなければ日本の学校は児童生徒および教師にとってさらに辛い場所になってしまうに違いない。

 加えて何よりも重大なのは教師及び管理職の採用条件であろう。たとえばこれまで日本の教育行政のあり方に批判的な意見を面接試験の場で一度でも表明した人物は教員採用試験や管理職登用試験で必ずと言って良いほど落とされ続けてきた(場合によっては永遠に正規雇用されない)と考えられる点である。学校の現状に批判的で学校改革を進めていけるだけの意欲と可能性を秘めた人物を予め現場から排除しようとするような、閉鎖的で変革を好まない村社会的人事を教育行政側が続けている限りは、教育委員会や管理職が「いじめ問題」の隠蔽をやめることはまずないだろう。

 これまでの教員養成教育や教科書検定制度を含めて学校教育をあらゆる角度から根本的に見直さない限り、日本の保守的で閉鎖的な学校体質に何一つ変化は訪れないと考える。実際、悲惨の極みに思えたあの大津イジメ事件からですら、多くの管理職や教育委員会、一般の教師たちがほぼ何一つ学ぶことの出来ていなかった証拠が、大津以降、流山、西宮、堺、名古屋、酒田、静岡、川口、旭川、尼崎、町田などでの出来事で立て続けに露呈してきている。おそらく根本的な見直しがされないままでは同様の事件が今後も各地で続発していくに違いない。

 加藤氏らの挑戦が請願権を楯に大きな燎原の火となって政治を動かし、法制度を変えていくまでにはやはり相当の困難と時間を要するだろう。つまり学校教育の現場と行政側はとっくの昔に自浄能力を無くしてしまい、ほとんど自己変革を期待できないほどに組織の腐敗と衰弱が進んでいると思えるからである。学校現場の関係者に「イジメ」事件を円満に解決する能力や時間的余裕が残されているとは最早、到底考えられない。

 逆にこうした事件が明るみに出れば出るほど学校では「やってる」感を演出するための体裁作りばかりが増えていき、教師達は体裁作りに追われていよいよ疲弊していくに違いない・・・これが教育現場に携わる人々の大方の実感ではあるまいか。

 元教師という立場からは余りにも情けない言い草なのだが、正直なところ、日本の学校を変革するためには教育行政や学校関係者以外からのさらなる強烈な「外圧」を必要としていると個人的には感じている。

 今、BBCがジャニー氏の性加害報道をしたことが一つの突破口となり、これまで幾度も性加害の告発があってもほとんど動こうとしなかった日本のマスコミや芸能界がとうとう動き始めざるを得ない状況に追い込まれている。

 昨年、マスコミや芸能界が外圧によってにわかに動き始めたように、日本の学校にも新たな「黒船来航」が必要となっているのかもしれない。それほどに日本の教育行政は学校現場を含めて長い間、ひたすら一部の政治家の道具として使いまわされ、使い倒されてきた結果、もはや、自らを変革するだけの主体性と柔軟性をゴッソリと失ってしまっているのではあるまいか。

 

<ちばライブ>習志野の小学校いじめ 第三者機関が再調査 「知識・理解の欠如」

    「判断の誤り」 学校、市教委などの問題点を報告書で指摘    東京新聞 2025.9.5

    あれだけ大騒ぎになった北海道旭川の事件に、一切、学ぼうとしない千葉県の教育会における人権意識の欠如と無恥厚顔な姿勢がこの件でも強く感じられる。第三者委員会のメンバーに第三者としてふさわしくない人物を、性懲りもなく抜擢する、悪質極まる案件…直近では市原市でも見られた。

    第三者委員会に留まらず、再調査委員会までが加わらないとまともな調査すら期待できない…かつてその動向が広く注目された結果、旭川市教委は黒蕨教育長の辞任を免れなかった。しかし、習志野市では教育長が何やら偉そうに上から目線で激怒してみせている。この不祥事に対して、本来、真っ先に責任を取るべき長たるものが自ら責任をとる気配すら一切見せず、「俺様の顔に泥を塗りやがって!」とばかりに部下や学校現場へ威圧的に八つ当たりする…このみっともなさはいかにも千葉県らしい。

    千葉県ではこれまでも教育委員会以下、イジメ問題への消極的対応が異様なまでに目立ってきた。すなわちイジメ被害者の泣き寝入りが頻繁に起きやすいのがまさに千葉県の伝統的教育風土、と思われても仕方あるまい。

    なぜ、ここまでグダグダしてしまったのか、県全体レベルで教育長を含む関係者への厳しい追及と処断が求められるに違いない。

いじめ再調査委答申、父親「納得いかない」提訴の構え 千葉県市原市立中 

 産経新聞 2023.11.22

市原市の中2いじめ問題で、新たに2件を認定 被害生徒側は「不服」 

 朝日新聞社  2023.11.22

【独自】「お聞きはしてない」再調査委 いじめ隠ぺいの証拠音声聞かず最終報告

 書 千葉・市原市「いじめ重大事態」 FNNプライムオンライン   2023.11.23

 …再調査の過程で生徒側は、学校で関係者が話し合った音声データを「いじめがあった証拠だ」として提供する考えを再調査委に示していた。だが、再調査委側は「音声は取り扱いが難しい」「失念していた」などとして、受け取らないまま事実認定を行っていた

   これだけの大失態を犯しながらのうのうと答申を提出する「いじめ再調査委員会」とは一体、どんな組織なのだろう?しかも音声データには市教委による隠蔽の証拠とされる箇所があったというから驚きだ。これは再調査委による第二の隠蔽、と疑われてもやむをえまい。誰がどう見ても本気で実態を把握しようとは考えていないことがバレバレではないか。これまでさんざんもめてきた経緯があるにもかかわらず、この杜撰な対応ぶりは決して許されるものではあるまい。

 

担任のいじめ問題 県教委に報告促されたのに野洲市教委対応せず

 毎日新聞 2022.12.14

 大津市イジメ事件で話題となった滋賀県ではあるが再び、残念な事件が野洲市で発生している。今回も学校や市教委による隠蔽とも受け取られかねない事案である。教師が特定の児童をいじめるという大問題に対して校長や市教委の不誠実な対応は確かに許容できないだろう。

 しかし、こうした問題が各地で続々と生じてしまう背景に教師や教育委員会の人手不足および過重労働の深刻さが背景にある事が予想される。確かに教師や教育委員会、学校への批判も必要ではあるが、人員及び予算不足の深刻化と同時にそれと反比例するような仕事量の激増が一気に学校教育界隈を追い詰めている感は否めない。

上級生からのいじめを担任が容認…いじめ受けた生徒の尻を複数回蹴る 教諭ら懲戒

   処分 毎日放送 によるストーリー 2023.12.26

 大阪府摂津市での事件。校長による犯人隠匿に近い隠蔽工作が発覚している。これだけの事件を校長減給一か月、担任減給六か月という処分で本当に良いのだろうか。こういう事件を続々と生みだしている学校教育の風土が大阪府や兵庫県に蔓延しているように感じられてならない。

 

・大阪府門真市中3イジメ自死事件

中3男子生徒いじめ 遺族が会見で「加害者たちを絶対に許しません」吉村知事に「厳罰求める」手紙送付を明かす 毎日放送  2024.2.15

高校合格を報告した夜に…中3男子がいじめを苦に自殺 「絶望と無念な気持ちを抱

 えながら死を選択せざるを得なかった」と第三者委は指摘  

 FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.2.15

【速報】SNSで繰り返された誹謗中傷中学3年の生徒がいじめを苦に自死門真

 が第三者委の報告書公表「いじめと自死との因果関係認める」教育長らが謝罪 

 毎日放送 によるストーリー 2024.3.19

いじめで息子を亡くした母親 加害生徒側から"謝罪の手紙"が届くも不信感「本当

 に 悪いと思っているなら、もっと早くに自宅に来るはず」 匿名SNSで誹謗中傷・

 LINE陰口で中3男子が自死   毎日放送  2024.8.6

   2年前に大阪府門真市の市立中学校に通っていた3年生の男子生徒がイジメを受けて自殺した件で遺族が学校や教育委員会の対応に不満と不信を募らせ、ついに府知事に直訴したが、「厳罰」に関しては軽く一蹴されてしまったようだ。

 確かに公教育への政治介入は本来、好ましくない。しかしこれだけイジメ事件の隠蔽が繰り返される状況下ではもはや文春などのマスコミを通じて世論に、あるいは裁判所に訴えるしか遺族に残された手段はあるまい。もちろん、これらも辛い作業となり、かつ生活に時間的、経済的余裕がなければ無理。多くの遺族が実質的には「泣き寝入り」状態に置かれている現状をどうすべきなのか、腰を据えてじっくりと考える必要がある。

 同様の悲劇が繰り返されないことこそ遺族側の一番の願いとなるだろうが、どうみても悲劇は執拗に繰り返されており、むしろ事態は悪化しているかもしれない。学校も教育委員会も、イジメ問題に対してはその無能さ、無責任さをいよいよさらけ出してしまっている。警察だってこの問題に深入りするだけの余裕は無いだろう。

 まずは教師の仕事を精選して負担の軽減を大胆に進めた上で画一的、管理主義的指導を改め、児童生徒集団の同調圧力を弱めて学習の個別最適化を図る。同時に教師養成教育の内容と教員免許の基準や教員採用、管理職採用のあり方を見直す。より個性や多様性を尊重し、協働の学びを追求する授業の在り方を目指す…非常に遠回りで内容が多岐にわたり、いずれもかなりの時間を要するが、根本的にはこれしか方法はあるまい。

 とはいえ、隠蔽、隠匿した側が厳しく罰せられないまま、ただ口先だけの謝罪で終わっているケースが多すぎやしまいか。これではやはり事件の連発に歯止めがかかるまい。責任を感じているのなら、謝罪だけではなく、教育委員会や学校側にはそれなりの誠実な対応が求められているはずなのだが…

 

 教職員の待遇改善と教師の質の向上は同時進行であるのが望ましいのだろうが、残念ながら以上のような報道が続くと若者の教師離れがさらに加速し、教師の質の低下に歯止めがかからなくなるおそれも出てくる。そうなってしまってはかえって教師や学校、教育委員会の不祥事を多発させる最悪の事態を招き寄せるだろう。

 すなわち大学での教師養成の在り方を根本的に見直しつつ、教師の待遇改善と採用基準の見直しを同時進行で可及的速やかに実行していく事が日本の教育界の喫緊の課題ではあるまいか。

 ただし現政権は教師養成という大きな問題には頬被りして、教師の待遇改善と教員採用試験のハードルを下げるという対応しか試みるつもりは無いようだ。教師の待遇改善はもちろん急ぐべきだが、まだ具体策が見えてこない。しかも採用試験のハードルを下げることの弊害は極めて大きいだろう。

 

「いじりといじめの違いって何?」いじめ被害者による予防授業 小学4年生の答え

   は?【news23】 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.3.30

  議論のたたき台として活用すると面白いだろう。アンケートと討議との併用ができれば最高の題材に化ける可能性が有る記事。うまく展開できればイジメ予防にかなり役立つ授業が出来そうだ。

   まずは「いじめ」と「いじり」との境界線はどこか…結論を急がずに対話的議論を続ける方法には学ぶべきことがあると思われる。多様な意見の存在を知り、自分の考えを深めていくことに議論の目的があるとすれば、この方法はかなり有意義な議論につながると期待できるだろう。

   次に注目されるのは、NEWS DIGアプリで『いじめの予防』などについて「みんなの声」を募集したところ、いじめ予防で重要なこととして半数近くが「加害者への厳しい措置」を選んでいるという点だろう。このところイジメ加害者への対応が不十分と思われる事案が数多く報道されていることへの

反発がこの結果の背景にあると思われる。もちろん加害者側の人権を無視した厳罰を人々が求めているわけではあるまい。ただ大津のイジメ事件のように加害者側にきちんとした反省が見られないケースに多くの人が苛立ちを覚えるのは至極当然である。

 イジメ加害者への指導として大切なのは本人が真剣に反省し、二度とイジメを繰り返さなくなることなのだが、これは決して簡単なことではない。大人でも刑務所を出るとたちまち再犯を繰り返す者が少なくない中で、ただでさえ忙しい教師たちが刑務官ほどの経験と専門的知識、及び強い権限を持ちあわせていないにもかかわらず、理解力に相当の問題があるかもしれない児童生徒たちに対して果たしてきちんとした指導ができるのか、否か…どう見ても現実的には無理筋ではあるまいか。

 学校は「教育的指導」という曖昧な枠組の中でイジメを捉えるから加害者側への指導がどうしてもぬるくなりがちなのだろうが、とはいえ学校は所詮、刑務所や少年院ではない。学校に出来ることは余りにも限られている、という謙虚な姿勢がまずは教師たちに求められるのだろう。

 したがって仮に教育委員会から重大事態と判断されたなら、事件の解決を警察や司法の手に委ねる判断も有り、とすべきである。これは必ずしも教育の放棄ではなく、「出来ないことはやるべきではない」という当然の現実的判断に基づくはずのもの。そもそもイジメは刑事罰の対象ともなりうる犯罪行為である、との認識が教師間にもしっかりと共有されるべきなのだ。そして刑事事件に対して教師が深く介入すべきではないのは論を待たない。

 ところが学校に警察を入れることを「学校教育の敗北」と捉えて極端に嫌う風土が多くの学校に存在している。この風土が解決を遅らせてしまい、事態をより悪化させるとともに、事件の隠蔽をも生み出している一因なのではあるまいか。また警察を入れた学校長の判断を教育者としてマイナスに評価するような、減点主義の教育委員会も少なくないのでは…

 イジメ事件への対応に苦慮する学校は多いだろうが、学校はそもそもこの問題にしっかりと対応できるだけの資源、権限に欠けている、極めて脆弱な組織なのであり、教育問題だから…といって学校が丸ごと抱え込もうとするのは極めて危険な事なのかもしれない。むしろ他機関との連携を積極的に推進することこそ、イジメ問題への現実的対応策と考えるが、いかがか。

国家権力を介入させない『私学の自由』と『いじめ対応』苦悩する生徒や保護者

  「行政機関なり役所なりが助けてくれると思っていた」学校に不信感...でも行政は指

   導できず 毎日放送 によるストーリー 2024.4.1

   イジメ問題に関しては日本の場合、教育機関として対応するには大きな限界があるようだ。法的な対応をとることを前提に弁護士等に相談するのがおそらく被害者側が最も納得できる方策なのだろう。今後は被害者側が加害者側だけではなく、学校や教育委員会側を訴える事例が増えてくるように思える。

いじめ申告に“警察じゃない”学校が調査拒否 自殺示唆ノートには花丸 母親「シャッ

   トアウトされた」読売テレビ によるストーリー 2023.12.7

 奈良市ではもはや隠蔽しようという恥や罪の意識すらない、ただの開き直りとも受け取れる凄いケースが報道されている。深刻なイジメが疑われるケースが表面化しても「学校は警察じゃない」と言い張り、ひたすら放置する…というありえないほどの厚顔無恥な学校側のスタンスで事態をこじらせてしまった驚愕の事件である。

 おそらくこのスタンスは校長を始めとする学校全体の方針なのだろう。だからこそ児童が自殺したいと記したノートに花マルをつけ、「You can do it」と児童に自殺を促すようなひどいセリフを平気で担任が記せるほどに、学校内にはイジメ案件に対して相当ヤバイ空気が漂っていたに違いあるまい。

 ついに学校は来るところまで来てしまった…問われるのは担任の非常識な対応だけではない。この担任の行動を助長したに等しい校長らの怠慢極まる無責任な学校経営の罪は一層、重いだろう。さらにいえばこうした担任を採用し、こうした校長を登用してきた奈良市教育委員会の人事における深い闇をも感じさせる一件であろう。

鴻巣・中学生いじめ 調査委議事録 確認できず 文科省指針、市規則違反か

   東京新聞 2023.12.15

   意図的な隠蔽なのか、ただの公文書管理の杜撰さなのか…いずれにせよ鴻巣市教育委員会のいい加減さ、だらしなさに呆れるほかない。

 

・横浜市教委の隠蔽体質

いじめ自殺の疑い、弁護士検証で新たに3件 横浜市立校で過去10年 

 朝日新聞社  2024.7.26

 教育者として、こんな姿勢でよくこれまで勤まってきた…と驚きを隠せないほどの無責任体質が横浜市ではきっと学校教育界全体に広く、長く染みわたってきていたのだろう。しかしこの「事なかれ」体質は教育界にとどまらず、日本社会全体にも深く浸透していたような気もしてくるが、いかがだろう。個々人の正義感は抑圧され、集団の安寧を優先する「忖度社会」、「和をもって貴し」となす日本的な集団主義の再生産装置こそ、日本の学校が果たしてきた社会的機能の中核的役割なのではあるまいか。

 日本の近代化において学校が連綿として果たしてきた国家主義的な役割への根本的な見直しが、あの敗戦後に至ってもほとんど進んでいない…息苦しくなるほどのもどかしさを感じてしまう一件である。

横浜の中2自殺 市教委が「いじめ」表記の削除要請、第三者委が指摘 

 毎日新聞 によるストーリー 2024.3.8

  全国各地で手を変え品を変えて執拗に繰り返されるイジメ事件の隠蔽。文科省を頂点とする教育行政のあり方、とりわけ人事政策に大きな問題を感じざるを得ない。

横浜市立学校で生徒2人が連続自殺遺族は「背景にいじめ」訴え、対応後手に 

   カナロコ by 神奈川新聞 によるストーリー 2024.4.24

   横浜市の教育委員会にも大きな闇がありそうだ。

横浜中2自殺、重大事態の認知遅れる 市教委、いじめ防止法違反の認識示す 

 産経新聞 2024.3.19

 「…平成26年度以降、同市で自殺した児童・生徒のうち、詳細な調査をしなかった38件について状況を確認する方針。」箇所に戦慄を覚える。そもそも児童生徒の自殺件数は義務教育段階では極めて少ない。市教委が関わるのは数の少ない市立高校を除くと90%以上は小中学校と考えて差し支えないだろう。ということはここ10年ほどの間に横浜市では詳細な調査が行われていない小学校、中学校での児童生徒の自殺が少なく見積もっても30件近くあったということ。もちろんこの数字自体、必ずしも信用できないのだが、それにしても…言葉に詰まるほどの酷さではあるまいか。

 これまた必ずしも信用できないが、とりあえず文科省の全国統計を確認してみよう。令和4年度の小学生と中学生の自殺者総数は全国で150人。横浜市の人口は日本の総人口の約3%に相当するので、かなり乱暴だが、割合的に見れば横浜市の小学生、中学生の自殺者数は年間4~5人が平均的数字と一応

推量されよう。したがって10年間では40~50人が横浜での小中学生の自殺者数という単純計算になる。そのうちの半数以上は何としたことか、詳細な調査がなされていない…実に驚きの数値ではあるまいか。

 教育界の根深い隠蔽体質が災いしてこの手の調査の数字がかなり怪しいことはこれまでも繰り返し触れてきた。にもかかわらず、こんなに悲惨であったことが白日の下にさらされてしまうほど、もはや隠しおおせないほどの凄まじい酷さが横浜市の教育界に蔓延している…違うだろうか。

 自殺の原因は児童生徒の場合も含めて多岐にわたるだろう。ただし全日制の高校生の自殺では男女とも学校関連の問題がトップにきている。もちろんこれすらもかなり信用できないデータではあるが、一応、学校関係では学業不振や人間関係、進路の悩みなどが主因となっている。つまり学校側の対応いかんでは自殺を防げるケースが多い、ということなのだ。

 近年、日本の若者の自殺増加は国際的にも知られている周知の悩ましき現象であり、当然、自殺防止対策は学校においても急務の課題であるはず。そして自殺防止策を有効にしていくには個々の自殺の原因、自殺に至る経緯を詳しく調査する必要があるのは論を待たないだろう。にもかかわらず、このていたらくなのだから、もはや絶望的状況というほかないのだ。

 ではなぜ学校や教育委員会はこうまでして自殺の原因究明をさぼるのか、その理由はこれまた多岐にわたるだろう。大きい原因としては第一に繁忙を極める教育現場のブラック化、第二に伝統的な教育界のブラックボックス体制=隠蔽体質。さらに教職員の自殺やイジメ事件への無関心、ないしは無知、鈍感さが挙げられるのではないか。これは大学における教員養成講座のお粗末さが背景の一つにあるだろうし、現在の教師たちがかつては「イジメ世代」と呼ばれた世代に属していることも多少は関連しているのかもしれない。

 どれも一朝一夕に解決できる問題ではないが、子どもたちの命を優先できていない今の日本の学校教育の存在価値自体が根本から疑われ始めている、という深刻な危機感だけは何とかして教育関係者の間で共有していかなくてはなるまい。

横浜市教委 いじめ重大2事案認定 小中学校「特性理解、配慮不十分」 

 東京新聞 2025.2.22

   学校教育界隈ではすっかりおなじみの横浜市である。児童生徒の発達特性の違いについて、単純に「遅れている」、あるいは「親の躾がなっていない」との判断からだろう。教師の不勉強、無理解によってイジメが放置されてしまうケースの典型であろう。そしておそらく、この教育委員会は自分たちが引き起こしてしまった不祥事を棚に上げ、「教師どもはケシカラン、厳しく指導・管理すべきだ」とこの事態を受け止め、教師たちへの研修を増やして管理・監督の目を光らせるに違いあるまい。

 結果的には横浜での学校のブラック化が進み、教員の病休や中途退職を増やす、教員志望者数はさらに減少する、学校のブラック化が一層加速する、といった悪循環の方向でしか、横浜市教委は対応できないと予想するが、いかがか。つまり問題は大学での教員養成教育の欠陥と学校のブラック化にあるのであって、この二つを同時進行で改善していかなければ事態はいよいよ悪化すると考える。

 

「どういうつもりなのか」同級生から「ばい菌」扱いのいじめ…女子児童は100日

 以上欠席 急きょ「重大事態」認定に不信感 京都市 別児童のいじめでも一転し重大

 態を認定 毎日放送   2024.7.24

 2020年から始まっていたイジメを今頃になって重大事態に認定する背景に一体何が考えられるだろう。いじめ防止対策推進法に対する理解の程度が各地の教育現場ではかなりマチマチとなっており、殊に管理職によって大きな差異があることは容易に推察できるだろう。今回の件も担当者が新旧入れ替わったことでようやく表面化してきたと考えられる。

 しかし重大な案件に関しては統一的基準に基づく迅速な対応が求められるはずだ。法の規定に基づかない、現状の属人主義的な対応ぶりにはどうしても大きな危険を感じる。管理職の世界における年功序列、先輩後輩関係のあり方に深くメスを入れない限り、こうした事はいつでもどこでも起こり続けるだろう。

 とりあえず、今回の件ではこれまで重大事態としての認定を行わなかった当時の管理職、及び京都市教育委員会の担当者への厳しい処罰を下すべきである。後輩でも間違っている先輩を厳しく処断できないようでは教育行政への市民の信頼は崩れる一方となるだろう。

久喜市立小 重大事態判断に半年、いじめ10件に拡大 保護者「被害悪化させた」 

 東京新聞 2024.3.30

 特に問題視すべきは次の二件だろう。まずは不用意に被害者側と加害者側との話し合いの場を設けてしまったこと。…学校が設けた児童への謝罪の場で同級生の保護者が「自分の子どもと児童はお互いにいじめているのでは」と主張…とあり、かえって被害者側が不登校状態に陥ってしまった可能性は拭えまい。実に間抜けな対応というほかない。

   安易に被害者側と加害者側とを同席させてはいけないことぐらい常識ではないのか。あたかも「喧嘩両成敗」かのような扱いをすることは多くの場合、被害者側を傷つけるだけになりがちで、イジメ案件では絶対に許されない対応である。実際、同様の対応をしてしまい、学校と被害者側との関係が決定的に悪化してしまったケースは他にも数多く存在している。もしや、イジメとケンカを同列の問題とするような、ありえない思考がはびこってしまった学校ならば、もはや学校として完全に終わっているであろう。

 さらに呆れるのはいかにも不慣れな新任教師に問題を丸投げしているとも受け取れそうな学校側の動き。だからこそ「…いじめに対する初期対応の記録も学校に残っていない…」という、不登校の重大事態と認定していながらの記録保存に対する深刻なレベルの杜撰さなのだろう。

 今や、イジメ案件は「重大事態」に至らずとも裁判沙汰に発展する可能性を十分秘めている。当然、管理職は事態の把握当初から関係する担任や児童、保護者からの聞き取り内容や教師たちの指導の記録を提出させ、自ら保管すべきなのは言うまでもあるまい。裁判に発展した際の資料として役立てる心構えが無い人間にこの時代、管理職の資格があるとは到底思えない。これでは学校側が初期対応の杜撰さを隠蔽すべく、本来、あったはずの記録を廃棄したのでは、と学校側の証拠隠滅を疑われても仕方あるまい。

 

・札幌市教委の隠蔽体質

【札幌で”性的いじめ”】「本当につらかった」と被害に遭った男児 「子どもたちの

 声を聞く気がない」と母親は "教育現場の不作為" 小学校・中学校・市教委の対応を

 非難 第三者委員会が調査報告書を公表へ 北海同ニュースUHB  2024/10/04 

 札幌市教委の動きの鈍さは神戸市や横浜市などの、他の政令指定都市における教育委員会と同じ種類の問題を抱えている可能性がある。すなわち人員不足に加えて手に負えないレベルの数の学校を一手に抱え、かなりオーバーワークに追い込まれてしまっているのではあるまいか。であるならば多少、同情すべき点があるのかもしれない。

 とはいえ、市教委だけでなく被害者のいる小学校、加害者のいる中学校の対応もまた法に則った動きとは言えず、やはり札幌市の義務教育会全体に旭川市と同質の、好ましくない「学校文化」が共有されていることを疑いたくなる。たとえば児童生徒やその保護者達に親身になって寄り添う姿勢の欠如がこうした地域の学校文化として共有されてしまっているのではあるまいか。そうした文化が仮に北海道全体に広く見られるとしたらならば、大学における教員養成教育にも大きな欠陥があるに違いない。

 教育委員会も含めた人手不足の解消と仕事の削減を柱とした働き方改革を進める一方で、教員養成教育の根本的な見直しを検討すべき時に来ているのかもしれない。

札幌・中1女子のいじめ自殺、市教委が報告書の公表まで10か月…「黒塗り部分

 を決めるのに時間」 読売新聞  2023.12.22

 旭川で起こった悲劇が悪い意味で参考とされたのだろう。報告書の公表まで10か月もかかってしまったのは「墨塗り部分を決める」のに時間を費やしたためという。関係者が特定できないように工夫したとのことだが、生徒や保護者のプライベート情報を保護する、という名目で実際には学校側の責任が問われないようにするための様々な隠蔽を行ったに過ぎないのではあるまいか。何を隠蔽すべきかに時間がとられてしまった、という事ではないのか。

   …小学校の校長について「組織的対応の意義やその必要性についての理解が全くない」とし、対応が不十分だった点を列記した…という。でありながらも市教委は校長らへの処分は考えていないという、実に驚くべき意見を開陳している。

 つまり校長らへの処分をしない、という結論は最初から決められていて、その結論を正当化するための「墨塗り」であることが濃厚に疑われる案件。この校長らの出身校が旭川と同じ北海道教育大であるとするならば、兵庫教育大を含め、地方の国公立教育大や教育学部の教育レベルまでもが疑われることになろう。

札幌・中1いじめ自殺 報告「黒塗り」見直しへ 市長、市教委に指示 

 毎日新聞   2023.12.27

 市長の判断は正しいだろうが、情けないのは当該学校の校長と市教委。なぜ遺族の意向に反してまで報告書の黒塗りに拘るのか、勘繰りたくなる。もちろん加害者側のプライバシーへの配慮は必要だが、これは刑事事件に発展してもおかしくない案件。市教委への報告が遅れた校長、報告書の公開を遅らせた市教委ともに処分の対象とすべきだろう。

 どうやら旭川の事件が市教委や管理職たちをビビらせてしまい、より一層学校の隠蔽体質を強める方向で作用し始めているようだ。そろそろ北海道全体の学校教育風土をしっかりと検証すべき時ではないか。

批判受け報告書の黒塗り部分見直し再公表へ 札幌市中1いじめ自殺 

 朝日新聞社  2024.1.27

 外部から批判されないと気付くことが出来ない札幌市教育委員会のふがいなさ。もはやこの組織に自浄能力を期待する方が間違っているのだろう。校長以下を罰するのは当然として、教育委員会の担当者こそむしろ厳罰に処すべき案件だと思うが、いかがだろう。責任官庁が責任を負わず、責任者も罰せられないまま、末端の部下だけを罰する、という教育行政の仕組み自体、噴飯物であるはず。

札幌中1自殺、小6当時の校長を懲戒処分…いじめ被害の訴えに組織的対応が不十

 分 読売新聞  2024.2.14

 世論の高まりに慌てた教育委員会が形だけの処分を当時の校長と担任に下してしまった。担任への文書訓告、それに減給一か月という校長への処分が適当なのかは大いに議論が分かれるだろう。とりわけ担任の場合、既に辞職しているとは言え生徒は自殺している。結果の重大さと元担任への文書訓告という処罰は誰がどう見ても不釣り合いである。

 しかも教育委員会自身の組織的対応が不十分であったことへの反省と処分は一体どうなったのだろう。それこそが最も厳格に行われるべき対応であるにもかかわらず、何ら音沙汰無し。ただの「トカゲの尻尾切」としても不十分であり、教育への責任感どころかやる気まで完全に喪失しているようにしか見えてこないのだが…この組織はもはや表面を取り繕う力すら無い無能さ、無気力さをさらけ出してしまっている…まさに恥知らずの集団といっても過言ではあるまい。

 もっと恐ろしいのはこの先、この組織の中から市内の小中学校に教頭や校長となって赴任してしまう人物が複数、出てくるという事だ。この人たちが今後どんな学校経営をしてしまうのか、末恐ろしいにもほどがあるだろう。

 札幌もまた既に旭川市や神戸市と同様、市長を先頭とする強力な政治介入が一刻も早く必要となっていると思うがいかがだろう。もちろん公教育への政治介入は最大限避けるべきではあるが、このままでは子供たちの命すら守れないのでは…

札幌・中1いじめ自殺 黒塗り報告書を見直し 教育長・校長ら処分 

    毎日新聞 によるストーリー 2024.2.15

 一日遅れで市長による教育長への口頭厳重注意がされたという報道。また監督責任のある市教委の局長職ら4人が口頭厳重注意や口頭訓告を受けたという。市長側としてはこれが精一杯の対応なのだろうが、そもそも「口頭厳重注意」にどれほどの効果が期待できるのかは怪しいというほかあるまい。

 本質的には教育委員会の自浄能力の無さが問題なのであり、市長から指導されるはるか以前に自らを処すことが出来なかった教育委員会側の判断能力の低さと無責任さにフォーカスして今後の対応を考えるべきだろう。つまり、教育委員会における教育長ら担当責任者の降格処分こそが真っ先に教育委員会内で検討されるべきであった。

 「いじめに関連し、札幌市教委が教職員を処分するのは初めて。」という記事にも驚かされた。政令指定都市の札幌である。深刻なイジメ案件を抱える自治体が多い中で数多くの学校を抱える札幌だけが平和だったのだろうか?もちろん、そんなことはあろうはずがない。むしろ身内をかばうためにはどんな非道なイジメ案件でも証拠隠滅を平然と行うヤバイ体質が札幌ではしっかりと蔓延しているに違いない。

 第一、学校が特定されるのを恐れて報告書にマスキングを施した…との言い訳が果たして学校教育村の外で通用するのだろうか…世間知らずもほどほどにすべきだろう。わずかに公開されたイジメの内容からだけでもこれは児童の年齢を考慮しなければ明らかに刑事事件レベルであり、本来、刑事事件にズブの素人ばかりの学校や教育委員会ごときが勝手に判断できる案件では無い。せめてスクールロイヤーあたりの助言がまず必要だったはず。当然、事と次第によっては学校名が公表されても仕方あるまい。いや、学校の強固な隠蔽体質を壊すには校名を公表すべきかもしれない。

 イジメた側の指導を教育委員会はどこまで把握しているのかも疑わしい。イジメた側の追跡調査が行われるべきであり、行われているならばその概要が被害者家族に伝えられていてしかるべき。二度と繰り返すことがあってはならない、自殺者を出した陰惨な事件なのである。

 もちろん報道する側もそれなりに深く突っ込んだ取材をすべきだろう。公表された事実関係を淡々と報道するだけでは現在の学校教育の深い闇を暴くことはできない。すっかりブラックボックス化した学校をこじ開けるには相当の取材能力と根気が必要なのである。

 守秘義務とプライバシーの保護を盾にとって学校教育村に閉じこもり、教育の名のもとに何もかもウヤムヤにしてほとぼりが冷めるのを待つ…そんな不誠実な教育者たちに児童生徒の前に立つ資格などあろうはずがない。

 いじめ対応の怠慢も教職員の懲戒処分対象に 中1自殺で札幌市教委 

    毎日新聞 によるストーリー  2024.2.27 

 ようやく少しはまともな対応が始まったが、相変わらず、教育委員会自身の責任問題は宙に浮いたままである。どう見ても黒塗りを指示した教育員会の担当者は降格処分が妥当である。教育長は減給処分とすべきだろう。

 責任をとるべき者が責任をとらず、いずれ校長になってしまうこの人事考課のあり方自体が学校教育をゆがめてきた本体なのではあるまいか

 

鴻巣市、いじめ調査報告書を被害者側の意向に反して非公表 事前に確認すらとら

    ず、政府指針にも逆行 東京新聞 2024.3.20

 ここまで市が平気で政府の指針を無視し続けている例はさすがに珍しいだろう。どうみても市長の責任は重大であり、謝罪で済むレベルを完全に超えてしまっている。そもそも全国でイジメ事件の隠蔽が繰り返しマスコミに取り上げられ、学校や教育委員会などが厳しく糾弾されてきたにもかかわらず、そうした風潮にあえて挑戦するかのような対応ぶりに驚く。鴻巣市に一体、何が起きているのか、ある意味で興味深い。また本来、批判の矢面に立つはずの学校や市教委の影が妙に薄いのも気にかかる。市長と市教委との関係にも何かありそうである。

「いじめ防止法」改正の署名活動する遺族の思い 被害者を追い詰める学校の対応に罰

    則規定を 東洋経済オンライン 石川 陽一   2024.4.14

 未だ係争中で事実関係がはっきりとしていないため、学校側の対応も含めて授業で議論するのは時期尚早だが、いじめ防止法の緩さは明らかな問題であろう。イジメ加害者に対してどのような指導が適切なのか、事件を隠蔽しようとした学校や教育委員会への罰則規定はどうあるべきか、問いかけたい

 

 以上、イジメ事件隠蔽の裏側に何が潜んでいるのか、いくつかの事例を通じて自分なりに考察してきた。まずその根底には歴史を隠滅し、都合よく改ざんすることに異様なほどまで抵抗感の少ない日本人の伝統的な歴史認識のあり方が横たわっているように思える。それは特に敗戦後の日本政治、学校教育の歩みを振り返れば歴然たる事実だと思うがいかがだろう。

 加えて日本の近代以降の学校教育が伝統的に抱えてきた頑固なまでの隠蔽体質の存在。戦後は特に守秘義務とプライバシーの保護を悪用して自己保身を図る教職員、とりわけ管理職の意識のあり方が問題視されよう。その背後には管理職を含めた教職員への評価のポイントがどうやら減点方式に偏ってきた残念な歴史があるように思えるが、いかがだろう。実際、これまでに紹介した記事では学校での不祥事による減点を恐れるあまり、部下や同僚を守るという美名に隠れ、管理職が率先して不祥事隠しを組織的に行ってきたと思われるケースが極めて多いように見える。

 学校の隠蔽体質は学校教育村の外から学校の実態が次第に見えにくくなってきている、といったいわゆる学校の「ブラックボックス化」の進展も少なからず関わっているだろう。このブラックボックス化は「学校改革」や「教師改革」という美名に隠れてここ30年近く急激に進展してきた教師たちの過重労働、すなわち学校のブラック化もまた極めて大きな要因となっていたと考えられる。現役の教師たちによって学校教育の実態を世間に訴えるような著作が激減する状況と平行して学校のブラックボックス化が進んできたと私は思うのだ。

 もはや今の教師たちには世間に向かって学校の実情を理解してもらうよう、何らかの手段を講ずるだけの時間的、体力的、精神的ゆとりがほぼ無くなってきているのではあるまいか。また本来、こうした問題に大きな役割を果たすべき教職員組合の弱体化が学校のブラック化とブラックボックス化に歯止めをかけることに失敗してきたことも見逃せまい。

 そして学校や教育の研究者たちも教育社会学者の内田良氏ら一部の学者を除くとその多くは以上のような学校の劣化、疲弊ぶりに概して無頓着であったと思うがいかがだろう。むしろ政府の繰り出すあざとい「学校改革」、「教育改革」の掛け声に乗じてスクラップアンドビルドの原則を無視し、ひたすら学校現場を疲弊させてきた「…改革」の連打に積極的に加担し、政府のお神輿を担いできた無責任な文科省の官僚と御用学者は少なからずいたように記憶しているが、いかがだろう。

参考記事

実際に日本の学校で起きた「葬式ごっこ」の壮絶実態…いまだ変わらない「いじめの構造」 内藤 朝雄  2024.4.23

 今や大津の事件と並んでイジメ事件の古典となっている中野区冨士見中の「葬式ごっこ」事件であるが、ここで分析されている「いじめの構造」において日本の場合、40年近く経ても本質的にはほとんど変化が見られない。そのおぞましさ、頑強さに改めて驚く。日本の学校が本当は日本社会にどんな役割を果たしてきたのか、その明と暗をきっちりと把握しようとする努力は今後も欠かせないだろう。

加害者の今を知ってしまった…「娘の未来は絶たれたのに」中2いじめ、遺族の憤

    りと煩悶 学校推薦で高校進学、実業団選手に。謝罪はないまま 

    47NEWS によるストーリー 2024.6.28

 …「いじめた側」に認定された12人のうち、弔問に訪れたのは2人だけだ。両親によるとその2人も自身の行為について謝罪の言葉はなかった。その他の生徒とは直接面会していない…しかもそのうちの一人はスポーツ推薦で高校に進学し、さらに実業団でも活躍していたというのだから遺族としては切ない。

 もちろん加害者側には未来があり、その未来を奪うような事は避けるべきだが、何はともあれ被害者の未来が奪われてしまった事実だけは動かない。せめて加害者側にはその辛い事実と向き合い続ける義務があるはずだ。謝罪の言葉すらなく、言い訳がましい言葉だけで弔問すらしていない加害者たちの現状を教育者としてどう判断しているのか、当時の学校関係者に問い質したい。

退学のバレー部員へのいじめ認定 学校側が当初いじめ否定、再調査で 

    朝日新聞社 によるストーリー 2024.8.10

 非常に悪質なケースで驚かされる。これだけ世間を騒がせてきたイジメ問題に対してまったくの無関心、無知厚顔ぶり。イジメられる側が悪いかのような学校側の対応に呆れるしかない。あたかも下級生をしごき、イジメることでしか上級生側のチームワークが生み出されていないようで、この学校の体質に気味悪さを感じないわけにはいかない。

⑭守秘義務の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

子供の不登校・いじめともに過去最多を更新 文科省調査で判明 ネットいじめなど背

 景 産経新聞 2025.10.25

 1949年の出生数は役270万人だったが、2024年の出生数は約72万人、さらに2025年は60万人台となる事がほぼ確定している。かつての三分の一にも満たないほどに少数となった子どもたちの不登校とイジメが過去最多を更新した…この原因をどう捉えたらよいのか。

 「国公私立の小中学校で不登校の小中学生が令和6年度は前年度比2・2%増の35万3970人に上り、12年連続で過去最多」を更新し、「不登校の小学生は5・6%増の13万7704人、中学生は0・1%増の21万6266人」の背景には一体何があるのか。

 身体的被害や長期欠席が生じた「重大事態」は1405件で過去最多。そのうち490件(34・9%)は深刻な被害が生じるまでいじめとして把握できていなかったという。学校、教師側の認識に問題があることは間違いなかろう。文科省は、無理に通学する必要はないといった保護者らの意識変化が不登校増加の要因とみている。いじめは積極的な認知が進んだ結果とするが、重大事態の増加は「憂慮すべき事態」とした。本当にこの程度の認識で良いのだろうか。

 不登校の理由(複数回答)については、「学校生活に対してやる気が出ない等の相談があった」が30・1%で最も多かったという。なぜ子供たちの登校意欲が今、減退しているのか、文科省はしっかりと探究していくべきだろう。探求学習を学校現場に求める前に、文科省自身が率先垂範、労を厭わずに探求学習すべきではないのか。

参考動画

【ジャニーズ問題…「秘密」の危険性】ハーバード大学の精神科医が指摘【内田

 舞】 ReHacQ−リハック【公式】  2023/10/24  53:52

 ジャニーズ問題への考察を通じて学校での「守秘義務」が持つ、意外なほど大きな心理的危険性を認識する必要があるのではないか。負の秘密を保持し続ける精神的な危険性を理解しておくことはイジメ等の隠蔽を繰り返す学校教育の関係者が陥りがちな精神状況を理解することにもつながるのではないか。秘密を保持し続けることで教師が精神的に毀損される側面を考慮しないと教職員の精神的問題による離職、休職を減らすことはかなり難しいのかもしれない。職場での同僚や上司から受けたセクハラやパワハラ、生徒や保護者からのパワハラ、セクハラなどによって傷ついた心を教師として現場に踏みとどまるために、どう癒していけるのか、もっと真剣に考えていくべきではないのか。

 

学校現場への無理解、誤解が世間に生じてしまう背景にあるもの

 公務員には「職務上知り得た秘密」を退職後も外部には漏らしてはならない、という守秘義務が地方公務員法によって課されている。この守秘義務に違反するとかなり重い罰則が与えられる。

 それは当然のことで仕方ないだろうと素朴に思う方がいるかもしれない。確かに教師が保護者から提出してもらった生徒の個人調査票の記述内容、すなわち生徒及びその家族のプライバシーなどを勝手に外部に漏らすことは厳禁である。これは言うまでもなく当たり前。

 問題は「職務上知り得た秘密」をどのような範囲に限定するのか、にかかっていると思われる。かつて食品関係の企業で「食の安全」を脅かす様々な不祥事や事件が連発した際、事件事故の再発防止を狙って政府は食品関連の企業の社員から所轄官庁への情報提供を積極的に促す対策をとった。

 外国産の原料を使っているのに国産と偽って製造・販売している企業をケースに考えてみよう。この場合、原料の調達などにあたっている社員の一部が自社の偽装工作、犯罪行為を知ってしまう事は十分あり得る。仮に公務員の守秘義務のような厳しい規則が民間企業にあてはめられているとすれば、立場の弱い平社員は守秘義務を楯にとって自社の犯罪に関しては見て見ぬ振りを続けてしまうかもしれない。その一方で消費者側が蒙る損害は会社の偽装が世間にバレない限り、際限なく拡大し続けることになるだろう。

 こうした企業犯罪を防止するには社員からの内部告発を容易にすべく、告発という行為によって特定の個人が不利益を蒙らぬよう、国が内部告発した社員を手厚く保護する必要がある。実際、政府はそうした告発者の身分保障までしても、多発する企業の不祥事を減らすために社員自ら勇気を持って告発するよう、促したのである。企業のコンプライアンスが厳しく世に問われ始めたのもこの頃からであった。

 では公的組織の犯罪行為を公務員は同じように勇気を持って内部告発できるのだろうか…たとえば公務員が上からの職務命令に基づいて明らかに違法と思われる行為を強要された場合、どうなるのだろう。近年、地方公務員法改正によって人事評価制度が導入(←勤務評定)され、特定秘密保護法が成立し(施行は2014年から)、公務員の守秘義務違反に対する罰則規定の強化(3万円以下の罰金⇒50万円以下の罰金)が図られるなど、「他言無用」とばかりに公務員への締め付けがどんどん進んできた。今や多くの公務員が社会通念上は告発すべき事案に対してすら相当、萎縮気味になっている気配を私は感じてきている。

※参考記事

 さいたま市立病院の薬剤不適切使用指摘 市が公益通報「放置」か 毎日新聞 2025.9.4

  公共機関での公益通報制度の機能不全がまたもや表面化したようだ。仮に組織の自浄機能が正常に

 働かない場合、その組織は腐敗する一方となり、事件事故の隠蔽がいよいよ横行することになるだろ

 う。しかも、公益通報制度を確立すべき自治体や学校が率先垂範、自ら隠蔽に走るとすれば、大きな

 被害を受けてしまうのは専ら市民の側となるはずだ。

  地方自治体が個人のプライバシー保護を盾にして多くの市民を犠牲にし、市民の知る権利を損ない

 つつ、事件、事故を隠蔽することでひたすら組織の防衛に走る…仮にそう見なされてしまえば、さい

 たま市民の行政への信頼は著しく損なわれてしまうに違いない。

  これまでの名古屋、旭川、横浜、鹿児島、兵庫などのケースをみるまでもなく、日本社会の隅々に

 公益通報制度が有効な形で定着できるのかどうか、極めて怪しい状況にある。もはや、日本の公益通

 報制度はその存続自体、瀬戸際に来ているのかもしれない。

 もちろん上司からの命令が明らかに法律違反である場合には今もこれに従う必要はないはず。とはいえ上司から公文書の改竄を命じられ、罪悪感に駆られて自殺してしまった赤木氏の例がある。近年、組合加入率が極端に低下し、ただでさえ組織力を失って孤立しがちな下々の公務員にとって上司の命令に逆らう事はたとえ教師の身と言えども今や決して容易なことではない。

 森友事件の場合には明白な違法行為を上司から迫られていた。しかし、それでも改竄は行われてしまったのである。社会正義を脅かす危険性は普通のお役所だけではない。公立学校でも村社会化が進んでおり、内部告発がほとんど不可能と思えるほど「他言無用」の同調圧力は強い。たとえ職員会議の決定や校長の判断に何らかの違法性がありそうだと感じても内部告発に強いためらいを覚える教師は決して少なくないだろう。

 たとえば旭川女子中学生凍死事件の場合、報道から見る限りは学校側がイジメの隠蔽という違法行為を組織的に行っていると今のところ推測できる。世間一般からすればこの事件の違法性はほとんど疑う余地がないとさえ感じられるだろう。

 ところがこれだけマスコミが騒いでいるにもかかわらず、管理職の違法性を告発する動きは未だに当該中学校の職員や関係者からはほとんど出ていないようである。守秘義務を厳格に課されている学校現場では多くの場合、校長や教頭、さらには教育委

員会に背いてまでして一職員がそう易々と内部告発できる状況には置かれていないと言えるだろう。実際、旭川のような案件はこれまでも各地の学校で繰り返し発生してきた。当然イジメ案件以外でも学校や教育委員会の強固な閉鎖性、隠蔽体質を物語る事例には事欠くまい。

 以上のような学校の閉鎖性は時代遅れのブラック校則や体罰、組み体操のような安全性への配慮を欠く伝統行事を長く温存させる土壌ともなり、「チーム学校」などの美名に隠れて教師集団の同調圧力、すなわち隠蔽体質と職員間のイジメ体質を将来的にも存続させ、強める働きをもたらしてきたと私は考えている。

 教師による内部告発はたとえ告発者側にそれなりの社会的正義や正当性があろうとも、村社会的教師集団においては「裏切り者の卑劣な行為」、「職員間の和を乱す狼藉者」としか受け止められない可能性が極めて高くなっているのだ。神戸の小学校のように教師間のイジメやパワハラが校内で横行してしまうのはベテラン教員の経験からすれば必ずしも不思議ではないのである。内部告発の出来ない旭川の中学校教師を声高に批判できるほどしっかりと外部社会に開かれ、腹の据わった教師は現実にはそれほど多くはない…というのがこの事件に対する私の偽らざる印象である。

※学校教師間でのイジメ、学校教師の精神疾患が増えている背景にはまず学校での過労死レベルの激務

 と激しいストレスがあることは「大人のいじめ」(坂倉昇平 講談社現代新書 2021)でも指摘さ

 れている通り。こんな状況下で一教師が管理職や教育委員会を敵に回す覚悟で告発するだけの精神

 的、体力的余裕など持てる訳がない…ただの言い訳に聞こえるかもしれないが、これが現場教師の真

 っ正直な実感であろう。

  なおイジメ自殺などの件に関わる学校の隠蔽体質に関してはこのブログの「§3学校問題編」で参考

 となる動画や記事を数多く紹介している。

 

 社会的公正や信義を守る上で必要とされる市民としての告発義務(公益通報)の方が公務員としての守秘義務を遙かに上回るかもしれない…といった悩ましい事態はとりわけ入試などの際においてどの高校でも起こり得る。そうしたケースに直面した教師が自身の良心に照らして学校長の判断や動きにかなりの違和感を覚えたとしても公務員の守秘義務を楯にとって自己保身を図り、結局は問題に目をつむりダンマリを決め込んでしまう…といった可能性は必ずしも低くはないだろう。しかし言うまでもなく本来、優先すべきは入学希望者に対する公平、公正な対応なのに、である

 他方で学校の閉鎖性、隠蔽体質は学校が抱えている問題点の本質をマスコミや世間から見えにくくしてきた。そもそも内部告発をほとんど期待できない、すなわち自浄作用の損なわれた閉鎖的村社会と化している学校の場合、外部から十分な理解が得られることはまず期待出来ないだろう。

 学校を管轄する文科省ですら学校からすれば外部に過ぎず、教育学者の多くもまた学校外部の存在に過ぎない。実際、長く「学校教育村」の現場にいた者からすれば文科省の方針や教育学者の学校教育を巡る言説、マスコミの論調に現場感覚との大きなズレを覚えることは少なくないのである。こうして教師集団は知らず知らずのうちに国家や社会、世間から隔絶して孤立を深めていくことで大人として当然持つべき健全な社会性を喪失していき、やがて世間常識、公序良俗ですら自ら容易に逸脱してしまう可能性を高めていったのかもしれない。

※参考動画

 【内部告発】今のやり方でできますか? ロザンの楽屋 2024/08/04  12:18

  公益通報を専門に受け付ける第三者の組織を設ける必要があるだろう。当然、そのメンバーには法

  律に通じた専門家が数多く必要となるので、できれば特定の法律事務所を指定して内部通報を活発

  化させ、学校などの隠蔽体質を積極的に払しょくしていくべきだろう。

   【神も仏もない】降格や嫌がらせも…なぜ“内部告発者は守られない”のか?法律上の課題とは?自

      治体で生活保護に関する不正を通報した男性は(語り:小松未可子)【クロ現】| 

      NHK  2024/06/08 9:26

   この案件の立証責任が被害者側=公益通報者側にあるという法的な不備が公益通報の制度を骨抜き 

  にしているようだ。内部告発を組織への裏切りと捉えるような狭隘な発想を日本の社会が抱えてい 

  る限り、日本では内部告発が滅多に行われず、多くの違法行為が今後もまかり通ってしまうに違い

  ない。イジメとその隠蔽がはびこる日本社会の息苦しさは、日本人の間に「市民」という意識が十

  分に根付かない中での村社会的集団主義が招いているのかもしれない。また日本の学校教育が児童

  生徒たちに自立した市民意識を育てる事よりも他者への忖度を優先する協調性を育てる方向でもっ

  ぱら機能してきたことが現代日本の閉塞感をもたらしている可能性についても考えるべきだろう。

 文書受け取った記者『闇を暴いてください』と 県警本部長が議会で改めて「隠蔽」否定【報道ス 

  テーション】(2024年6月11日) ANNnewsCH  2024/06/12 6:34

 「証拠の返還を」鹿児島県警“情報漏えい”内部文書を受け取ったライターが証言 電話やりとりか

  ら浮かぶ捜査の一端【news23】TBS NEWS DIG Powered by JNN 2024/06/12  11:10

  これが公益通報なのか、情報漏洩、守秘義務違反なのか、今のところ不透明ではあるが、いずれに

  せよ第三者機関がきっちりとした事実確認を行う必要はあるだろう。この件に関して鹿児島県議会

  の及び腰が明らかなので議会による追及はほとんど期待できない。当然、県警の調査はほとんど信

  用できないので、司法、検察が動けるのかどうか…しかしこれもまた鹿児島地裁の動きが怪しく、

  予断は許さない。今後の動向を注視するほかあるまい。

※参考記事

 「92%」黒塗り公文書の衝撃 市民図書館が出した1400枚の真っ黒い紙が語る闇の深さとは  

  AERA dot. 日向咲嗣 の意見  2024.11.19

  学校を含む公共機関の隠蔽体質がどういうものなのか、その一片を示してくれている。そこには日

  本という国家の戦前から断絶することなく貫かれている頑強で骨太の伝統が脈々と受け継がれてい

  るのだろう。このような組織に「民主主義」という言葉は本質的になじまない。日本が民主主義国

  家たらんとするのならば、国民の知る権利を今後、どう拡充していくのか、本気で考えていく必要

  があるだろう。

 ・公益通報した職員を京都市が懲戒処分 「精神的・経済的損害を受けた」と提訴の職員への賠償命じ

  る判決 関西テレビ 2023.4.27

  公益通報した職員のプライバシーをさらした挙句に懲戒処分まで下した京都市の対応に戦慄を覚え

  る。これでは公務員による組織的犯罪行為を防止していくことは不可能だろう。身内同士の庇い合

  いを無批判のまま放置してきた事で今までどんな事件が引き起こされてきたのか、どんな犯罪的行

  為が隠蔽されてきたのか、京都市はしっかりと過去を検証し、反省すべきである。

 ○【独自】日光・フランス人女性行方不明で国連が日本政府に3度目の捜査要請 押し問答の背景に日

  仏の法律の違い FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.4.5

  プライバシーの保護を名目とした秘密主義は行き過ぎれば組織的事故隠しや隠蔽工作を招きやすい

  側面を持つだろう。この案件では日本の頑なな姿勢に疑問が湧いてくる。国連まで乗り出す騒ぎと

  なっているようだが、この件に関しては日本側が一体、誰のプライバシーを重んじているのか、ま

  ったく理解できない。どういう情報が日本の捜査を妨害し、証言者を含む人たちのプライバシーを

  侵害する恐れがあるのか、この際、非開示の根拠を内外に対して明確に示してほしい。

   日本の教育行政にはびこるプライバシー尊重の悪用による隠蔽工作の数々を見ていると、やはり

  この頑固な隠蔽体質は教育行政に止まらず、日本社会全体を覆う根本的な体質なのかもしれない。

  自民党議員による裏金、キックバック問題も一部の関係者に対する軽い処罰にとどまり、重要人物

  の関与は否定されている。

   日本の場合は司法ですら裁判資料をたちまちのうちに廃棄し、後世へ残す努力を怠ってきた。国

  民は一体、どのような資料を基にして行政の動きの是非を判断すればよいのだろうか。戦後80年近

  くなろうとしているのに、日本社会の闇の深さはさほど変わっていないのではあるまいか

  〇高校教職員が生徒の個人情報入りUSBメモリー紛失、拾得者から封書でファイル名やスクョ… 回

  収はできず   読売新聞 によるストーリー 2024.6.22 

 〇生徒の個人情報流出 教育現場での「情報共有」はどうあるべきなのか

  NEWSポストセブン によるストーリー 2024.6.16

  生徒の家庭環境等の極秘資料はクラス担任として必要な情報が多く、転勤してきていきなりクラス

  担任となることの多い困難校ならば新年度、最初の学年会議ではどうしても必要不可欠の資料とさ

  れるだろう。新任のクラス担任が進学校から転勤してきた場合にはとりわけ、対応の難しい生徒た

  ちの情報を予め知らせておきたい。データとしては生徒の人間関係、国籍(来日時期等)、病歴、

  アレルギー、発達障害、特別指導歴、補導歴、家庭の経済的困窮度など、担任として知っておかな

  いと後日、修学旅行や卒業アルバム等で大きな問題が生じかねないだろう。

   近年では日本語を十分に理解できない生徒は少なくない。授業が始まる前に特定の生徒について

  多くの教員に周知してもらう情報があるのは事実である。かつて中学校在学時に危険な刺傷事件を

  二度、起こしている生徒に関しては年度当初、授業中にたとえ寝ていたとしてもその生徒を起こさ

  ないで欲しい、できるだけ刺激しないで欲しいとの厳重注意が1学年主任から全職員に徹底された

  ことがある。お陰様で教師たちは刺されずに済んだが、入学後、2週間も経たない内にその生徒は校

  内で同級生を刺して逮捕されている。その後、かなり時間が経過し、私は偶然、その生徒の家庭環

  境を知ることになった。その内容から見て、もし、この情報が中学校から知らされていなければお

  そらく教師が刺されていた可能性は極めて高かったと個人的には確信している。

   札幌の件では生徒の個人情報の管理の杜撰さや言葉の選択に乱暴な所が見られる点は責められる

  べきだが、教師たちが生徒たちに関して特定の情報共有を図らざるを得ない点はぜひとも理解して

  いただきたい。

 ○市立中学での個人情報流出 学校、資料放置の原因「不明」で調査終了

  朝日新聞社 によるストーリー 2024.7.20

 ○“事実無根”の「ADHD」記載も生徒の個人情報流出 札幌市

  日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.7.9

 〇「父親うるさい」「だらしない」など中学校1年生の267人分の個人情報がインターネットに“

  出 北海道・札幌市北区 FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.6.6

  この手のヤバイ情報を次年度のクラス編成などの際に参考資料として作成し、次の担任にリレーす

  ること自体は困難校と呼ばれる高校でもよく行われている。クラス担任間の負担はできるだけ平準

  化すべきであり、そのための資料は必要不可欠であるからだ。ただし絶対に教員以外に漏洩するこ

  とが無いように資料が厳重に保管されるべきなのは当然であり、この担任の不注意が厳しく咎めら

  れても仕方あるまい。

   特に全クラス分の資料はクラス編成の学年会議、及び新クラスの最初の学年会議でのみ利用すべ

  きであり、会議終了後にはすぐに回収して学年主任か管理職が厳重に保管すべきものであろう。仮

  にこの資料が学年団全員に配布されっぱなしだったとすれば、当該教師のみならず資料を作成、配

         布したであろう学年主任の責任も軽くはない。

   この件は児童生徒のプライバシー保護と守秘義務を盾にして自分たちの過失を隠蔽することには

  用意周到な教師たちが、児童生徒のプライバシー保護そのものに対しては意外にもいい加減だ、と

  皮肉られても抗弁できない、大失態である。

 〇奈良・生駒高校 生徒の個人情報記載された書類 配送業者が紛失

  ABCテレビ によるストーリー 2024.6.22

  …学校側は個人情報を含む書類にもかかわらず「信書」として配送していなかった…とのこと。ど

  の配送業者を使ったのかは分からないが、担当した教師としてはおそらく郵送するよりも値段が安

  かった、との安直な判断から郵便局以外の業者を選んだのだろう。しかしそれ自体が既に法律違反

  であり、重大な過失ではある。担当した教師には生徒たちの個人情報を扱っていることの責任の重

  さへの自覚が足りなかったのではあるまいか。

   もちろん郵便局を利用しても、配達物の紛失事故は起こりうる。これまでによく報道されたのが

  野球部員などの冬休み中のアルバイトによる年賀状の廃棄。数多くの年賀状を配達するのが面倒に

  なった高校生が年賀状の束をこっそりと山林に遺棄する類の事件である。

   とはいえ郵便局側も現金や重要書類が封印されている書留、速達などはアルバイト学生に配達を

  任せるわけがない。書留や速達に関しては確実に郵便物を配達先に届けるために二重三重のチェッ

  クを行い、一般の郵便物とは別枠で配達される。当然、郵送料金はそれ相応に高くつくが、現金や

  個人情報を扱っているのだから仕方あるまい。

   通常、高校の進路指導部では生徒たちの希望進路先(企業、大学、専門学校等)へ履歴書、調査

  書、推薦書などを郵送する際、郵便局の書留を利用することが多い。一般受験でも受験希望先の学

  校が用意した速達か書留用の封筒を利用することになっているはずである。奨学金申請の書類も同

  様の郵送手段をとるだろうが、高校によっては奨学金の申請を進路指導部ではなく、総務部、教務

  部などが担当している。

   受験や奨学金関係の書類にはいずれも生徒や保護者の個人情報が記されているため、その漏洩を

  防ぎ、かつ確実に期日まで郵送先に届くよう、学校は万全を期することになるはず。仮に進路指導

  部が郵送すべき受験手続書類をどこかに保管したまま忘れてしまい、期日内に郵送しなかったとし

  たらどうなってしまうだろう。生徒の進路希望は叶えられず、裁判沙汰、新聞沙汰の事件にまで発

  展するのはほぼ確実なのだ。さらに生徒たちの個人情報がネット上に拡散されてしまえば、収拾の

  つかない最悪の事態にまで発展しかねまい。そして生駒高校の教師たちが全員、以上のような予測

  ができなかった…とは到底思えない。

   考えられるのは郵送を経験の無い若い教師、新任教師に丸投げしてしまった可能性である。この

  責任の重い、憂鬱な任務を分掌の部長か、その道のベテラン教師に一任している高校は決して少な

  くない。私が進路指導部長だった時、郵便局が混んでいて簡易書留の手続きで1時間近くも要した時

  があった。この仕事、かなり面倒なのは確かだ。推薦入試や共通テストの手続きと就職試験の手続

  きが重なる9月、10月は高校の進路指導部にとってまさに地獄の繁忙期と言えよう。

   この時期ばかりは進路指導部員一人一人の仕事を他の教師がチェックするゆとりなど、まず存在

  しない。まして体育祭や文化祭、そして部活動で新人戦までもが重なる時期である。進路指導部の

  担当者が3年生のクラス担任で運動部顧問であった場合、担任しているクラスの生徒の推薦書や調査

  書の発行をも抱えているのだから一時的に徹夜覚悟のブラックな勤務状況となるのは事実上やむを

  得ない。個人的にはかつて進路指導部に体育科の教師を一人も見たことが無かったのだが、それも

  ある意味、当然の理なのだ。

   おそらく生駒高校の担当者に個人情報を扱っている事の自覚が不足していたことは否めないだろ

  う。しかしどの分掌が奨学金の手続きに携わっていたのかは分からないが、仮に進路指導部だとし

  たら多少は担当教師に同情してしまう。実際に進路指導部に長くいた者(5校で経験)として言わ

  せてもらうと、この郵送の仕事を含めた進学、就職の手続き、その責任の重大さと煩雑さは明らか

  に運動部顧問にとって辛すぎる…札幌、大阪、奈良と生徒の個人情報漏洩に関わる事件が頻発して

  いる背景に学校のブラック化が進んでいるという現実があることをぜひ、多くの人には知っていた

  だきたい。

   〇「主務教諭」新設に異議あり 現職教員らが文科省に反対署名4万筆提出へ「職員室の民主的風土が

   破壊される」 東京新聞 2025.2.27

     まず、「職員室の民主的風土」などはとっくの昔に破壊されていると私は考えており、この記事の

  時代錯誤も甚だしい見出しにはつい吹き出してしまう。

    既に設置されている主幹教諭の役割自体が管理職の手先であり、補佐役に過ぎないのに、あらた

  に「主務教諭」を新設して、一体、何の役に立てようとするのか、政府の狙いは極めて怪しい。

   学校には元々、教務部長、生徒指導部長、進路指導部長、管理部長、総務部長、学年主任などが

  置かれてきた。その肩書のあるうちは「主任手当」を余分にもらえる場合もあるが(なお、管理部

  長や総務部長の場合、主任手当がつかないことがある)、肩書が無くなれば平教諭に戻るのが通例

  であった。つまり、部長ないし主任は一時の役職に過ぎなかったので、教員集団に固定した序列が

  生じていたわけではなく、管理職とは一線を画した存在であった。むしろ部長ないし主任は一般教

  師の利害を代表する存在として、場合によっては管理職と会議で対峙することもあったのである。

   ところが職員会議が管理職の諮問機関とされ、議決能力を失った20年余り前から、明らかに教師

  全体の意向を汲んだ学校経営が見られなくなり、管理職の独断専行が目立ち始めてきた。そして管

  理職の補佐役として主幹教諭が2007年の学校教育法改正により設けられると、直近の10年ほどで

  職員会議はさらに形骸化し、教師への管理統制が強化されてきた。

   にもかかわらず、教職員の不祥事は減るどころか増えてきたのではなかったか。つまり、最初に

  問われるべきは管理職の能力・適性の方ではなかったかと思うのである。もちろん、問題の根源は

  教育委員会や文科省、さらには政府を構成する面々の適性・能力自体にあるのだろうが…

   確かに不登校問題や児童生徒の自殺、イジメ、保護者のクレーム対応などにはかなりの専門知識

  や経験が必要な場合も少なくない。しかし、こうした難問に対応するならば、古びた経験を引き摺

  るベテラン教師を「主務教諭」として任用することはかえって事態の悪化、紛糾を招きかねまい。

   本来の専門家であるスクールカウンセラー、スクールロイヤー、ケースワーカーの増員や配置こ

  そ喫緊の課題。なのに、専門家の人選と調達が面倒であり、閉鎖的な学校に外部からの人材は余り

  入れたくない…かつ経済的にも負担が大きい…ならばすぐにでもお安く雇えて文科省に忠実な元管

  理職らが最適であろう…文科省や政治家の、こうしたいやらしい打算が透けて見えてくるようだ。

   百害あって一利無し、になりかねない、きわめてその専門性を疑われる老害「主務教諭」の配置

  を進めようとする文科省の小賢しさには呆れてものが言えなくなる。おそらく退職後、暇を持て余

  している元管理職、元主幹教諭らに再就職の場を与えて一層、学校の管理統制を強め、今後とも学

  校全体に因循姑息な老害臭を大いにまき散らそうとの魂胆だろう。いかにも老害政権の極みたる石

  破政権の考えそうなことである。

 

 担当する学級内のことを学級担任が一身で抱え込み、他の教員から介入されたくないと思う古臭い縄張り意識、つまり「学級王国」的発想は教員世界の中から払拭されているとは到底思えない。それどころか、今も色濃く残存しているようである。自分の学年の事は他学年から介入されたくない、自分の部活の事は他の部活顧問から介入されたくない、自分の学校のことを他の学校や地域住民、まして「何も知らない」第三者からは絶対に介入されたくない…

 学校特有の閉鎖的隠蔽体質はこうした奇妙なほど徹底的に外部からの介入を排除しようとするプライドの高い教師集団特有の心理、あるいはストレスフルなブラック職場の重圧下で、外部の誰からもまっとうな理解が得られないことから生じる孤立し、傷つきやすい被害者意識によって強く自閉してしまった少なからぬ数の教師達に見られる極度な内向きの姿勢…といったような、長年に及ぶ日本の学校の精神病理的風土が育んできたのかもしれない。

㊱討論型授業のキモ

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

学校の「カリキュラム」多すぎでも減らせない事情

 東洋経済オンライン 妹尾 昌俊 2025.10.22

 学校が引き受けている仕事量と同様に教育内容もひたすら増え続けてきた。もちろん「ゆとり教育」の際に学校で教える内容の大胆な削減が試みられたのは事実だが、その際に問題だったのは教える内容以上に膨れ上がってきた教師の仕事量への削減がほとんど進められなかった点であろう。

 教師の仕事量は教える内容が多少、減ったとしてもほとんど軽減されないほどにたっぷりと加算されてきた。そのことへの教育行政側の反省が無い限り、教育内容の見直しがどんなに適正に行われたとしても、児童生徒にもたらすプラスの効果は極めて限られてしまうに違いない。教師の負担軽減が大胆に進められない限り、肝心の状業改善が滞ったままだからだ。

 ただし授業内容の改善は授業方法の改善と密接につながる側面がある。もっぱら「覚える事」を軸とした受け身の教育から、多少とも主体的に学び、考える教育へと軸を移すべき時でもあるだろう。当然のことながら、教育目標の見直しに伴う教育内容と教育方法の改善は、授業以外での教師の負担の大胆な削減と同時に推進していくべきなのである。

・討論型授業のためのバイブル

 「子どもたちに民主主義を教えよう~対立から合意を導く力を育む~」

 (工藤勇 一・苫野一徳 あさま社 2022)

 この本さえ読んでおけば討論型授業への恐怖感、抵抗感は解消され、討論の本質的意義をつかめるはず。読みやすく、分かりやすいカッパ一押しの本。

 

・前提となる基本的スタンス

 現実の社会では今すぐに正解を見いだせない「不良設定問題」が多いことを前提に、敢えて論争を呼びそうな不良設定問題への思い切ったチャレンジを試みる。

 「VUCA」という用語が注目されてきているように現実の社会問題は学校のテスト問題とは異なり、正解が一つとは限らず、そもそも事前に正解が用意されている訳ではない。まさにVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)に満ちているのが現代社会である。

 そうした中で様々に異なる意見同士の粘り強いすりあわせを通じて、現時点での最適解を追求する討論型学習を行うとともに、生徒が自ら調べ、自分の考えを深めていくこと、そして各々が納得感の獲得できる個別化、個性化学習へと授業の軸足を移していくことが喫緊の授業目標となっている。

 

 これらの学習過程を通じて生徒、教師共に考え方の多様性に気付き、意見の異なる他者を尊重する姿勢を育むと同時に異常なまでに同調圧力の強い日本の硬直化した学校文化を徐々に相対化し、学校教育に一層の奥行きと柔軟性、多様性をもたらすことを目指していく。

 

参考記事

20年で7600の小中学校が廃校…統廃合巡り保護者や地域との合意形成に壁、

 文科省が事例集公表へ 読売新聞 2025.9.6

 …小中学校の標準規模は法令によって、それぞれ「12~18学級」とされるが、全国の小学校の4割、中学校は5割が下回る。文科省は、学校再編の手引で「児童生徒が多様な考えに触れ、協力し合う教育を行うためには、一定の集団規模の確保が望ましい」としている…とのこと。皆さんはこの文科省の考えをどう思うだろうか。

 今や小中学校での教育は一学級を20人以下の少人数にして教師の目がしっかりと一人一人に行き届きやすくし、学習の個別最適化を図るのが基本であると私は考えている。したがって現在の少子化の流れはこの少人数教育を実現させる上で絶好の追い風となっているはずだ。

 ところが国はこれまでもひたすら教育予算の削減を図るべく、少子化を理由にして学校の統廃合を推進してきた。その結果、少人数教育の実現は蜃気楼のようにひたすら遠のくばかりとなっている。

 学校で「児童生徒が多様な考えに触れ」るためには、日本の場合、児童生徒の意見表明の機会を劇的に増やすことがまず必要とされるだろう。そのためには当然のことながら少人数教育が実現できていなくてはならない。しかし国は相変わらず安価で効率的な多人数教育を理想としているのだ。

 おそらく多人数教育による画一的な一斉講義形式の授業こそが児童生徒に集団主義的心性を涵養し、協調性の豊かな国民を育てることにつながる、というのが老害政治家たちの本音なのだろう。児童生徒が「多様な考えに触れ」ることなどは実際にはどうでもよくて、それはあくまでも従順な国民作りという本来の目的をごまかすための口先だけの綺麗ごとに過ぎないのかもしれない。

 今も一学級35人体制すら徹底できていない劣悪な条件の下で、教師は文科省の指示に従って児童生徒の学習を個別最適化すべく奮闘努力させられている。おそらく国はICT化さえ進められれば学習の個別最適化はある程度可能だと踏んでいるに違いあるまい。しかしそれはあくまでも学力向上を目指すだけの手段であり、必ずしも児童生徒の個性や多様性の尊重を目指すものではない。

 児童生徒の意見表明権が小学校の現場に浸透するのは遠い先の事。実際には次の学習指導要領が登場する2030年以降の事である。しかし多人数教育の下でブラック校則や一斉講義形式の授業が残存するような現状では、今後も児童生徒の意見表明権など尊重されるわけがあるまい。「児童生徒の意見表面権の尊重」というフレーズもまた国民の目をごまかすための、ただの綺麗ごととして利用されてしまうのではないか。

 同質性が高く、同調圧力の高い社会は政府にとって極めて効率的であり、政治的な安定性を保てるがゆえに、日本の学校は安価で効率的な多人数教育の下、画一的な一斉講義形式による指導を通じて同質性と同調圧力の高い社会を今後も再生産しようとしている…実はそういうことなのかもしれない。

参考動画

【危険】今、日本人が自分の頭で考えられなくなっている理由

 曖昧な思考 2025/06/05  16:51

 面倒な事実関係の検証をサボり、深く考えることをしないまま、ただ単に周囲の空気を読んで大勢の意向に合わせることは簡単で楽な行為のため、省エネに走りがちな脳が自然に好む選択肢の一つであるだろう。敢えて意識的な努力を重ねなければ人は自分なりの思考を放棄しがちなのだ。したがって現代のSNS、ネット上にはびこる「思考の放棄」現象から自分を引き離すことは誰にとっても極めて困難となる。

 であるならばなおさら、高校生のうちから可能な限り周囲の空気に流されずに自分の頭で考える訓練を繰り返すことこそが今の日本で最も必要とされているように思えるが、いかがか。討論、議論を軸とする授業が生徒たちの自分なりの思考力を鍛える上で大いに役立つはずである。

 この動画はわずか一度の視聴で理解できるものではあるまい。解説を挟みつつ、できれば二度は繰り返してじっくりと視聴させたい。ただし「曖昧な思考」というチャンネルではかなりスピリチュアルに偏った内容の動画が数多く見られるので、宗教的勧誘の側面には要注意。したがってこれ以外の動画の多くは決してお勧めできない。

参考記事

乙武洋匡氏 ryuchellさんが「多様性は強要しない」と 「友達なんかじゃな

 かった。」と悔恨 デイリースポーツ によるストーリー 2023.7.15

 「多様性で大事なのは、強要しないことじゃないかな。自分はこう思うからあなたもわかって!ではなくて、なるほどあなたはそういう意見なのねって、まずは認める姿勢を見せること。相手にも自分にもどこまでやわらかくなれるかだと思うんです」

 多様性の尊重とはどういうことなのか、ryuchellさんが遺した言葉に耳を傾けたい。彼が討論の場でこのことを常に意識していたからこその、あのソフトな語り口調だったのだ。いつも討論する際には心がけたい金言。

参考動画

【コミュ障?】最近の若者が社会人になっても人付き合いを避ける理由…

 山田玲司の原作が10倍おもしろくなる解説【山田玲司 切り抜き】

  2022/06/07  10:25

 討論型の授業を展開するために最初に視聴させたい動画の一つ。相手の意見をしっかりと聞くことができる事と自分の意見を持ち、それを分かりやすく伝えることができる事がいかに大事か、まずは知っておきたい。そして日本の学校ではなぜ討論型の授業が広がらなかったのか、根付かなかったのかを考えさせたい。

【ファクトチェック】正しい情報を国が判断ってアリ?言論弾圧?民間企業に任せ

 るべき?ABEMA Prime #アベプラ【公式】2024/08/08  20:42

 討論の土台とすべき事実認識に一定レベルの思い違い、事実誤認が存在してしまう可能性を完全に排除するのはおそらく無理だろう。そしてたとえ多少の思い違いに基づく意見であってもその意見が全くの無意味であると決めつけること自体も実は間違いである可能性はある。そもそも私たちがある意見を持つために必要とされる知識はいつだってあまりにも不十分なレベルにとどまっていて、むしろ自分の意見を完全なものとみなすほどの知識を誰一人所有していないと心得るべきなのではあるまいか。

 日本の戦後政治はGHQやCIA、日米合同委員会などの働きもあって数多くの情報がいまだに国民には隠蔽されたままであると見て良いだろう。たとえば正力松太郎の戦後日本における役割とは何だったのか、その全貌を掴むことはおそらく今も不可能であると考える。アメリカの公文書館等に保管されている彼の関係資料には現在も黒塗りされた部分が少なくあるまい。同様に731部隊の全貌もすべてを白日の下にさらすことは未だに出来ていない。沖縄関係に限らず、日米間の各種密約の全貌もしかりである。それが極めて重要な知識であるにもかかわらず「ファクト」自体の多くがひどく限定されている日本のような状態では「ファクトチェック」もまた不十分なものにとどまるのは不可避である。当然、このような状態の下では政府側にファクトチェックを委ねることほど危険なことはあるまい。それは「知らしめず、依らしむべし」の愚民化政策を加速させるだけである。

 かつて動燃が原子力発電に関わる事故隠しを続け、国民の信用を完全に失ったように、日本政府もまた近年のモリカケ問題などに見られたゴマカシ、隠蔽工作を性懲りもなく繰り返し、国民からの信用をひどく失いつつある。こんな隠蔽体質に覆われた政府による検定教科書を教師が疑うことなく鵜呑みにして漫然と授業をして良いはずがない…という考えははたして極論なのであろうか。

 情報を発信する立場にある者はすべてファクトチェックの努力をすべきだが、誰であっても完璧なファクトチェックを期すことは不可能である。重要なのは乱立し、対立する多様な意見をただちに感情的に排除するのではなく、時間をかけて自説を検証し、出来る限り広く深く考え、とりあえず現状で探りえた事実、知識を用いて自説を補強していく事、ないしはより良い他説に乗り換える事。同時に自説と異なる各種の意見への理解を深めつつ、現状で考えられうる限りの反証を試みてみる…こうした地道な努力をすべての人がお互いに果てしなく続けていくことであろう。

 討論型の授業は以上のような観点からも高校での授業に積極的に導入されるべきだと考えるが、いかがか。

【議論の仕方】多様性を大事にしても議論はうまくいかないので、同質性を大事に

   しましょうということについて解説します

   謎解き統計学 | サトマイ  2024/06/28  14:23

   非常に面白い、かつ重要な観点を提示してくれている。ただし突っ込みどころが無いわけではあるまい。まずは生徒に視聴させて突っ込みどころの有無を問いたい。授業における対話型討論を有効に機能させていくために必要とされる重要な観点を生徒たちが見つけられれば極めて有意義な動画視聴に転換できる。

   個人的には差異、多様性よりも同質性に注目することで、一見対立する意見同士のすり合わせを実現する…これはスピーディーかつスマートな形で議論の収束、意見の統一を図ることを目的とするならば、当然の心構えと言える。しかしたとえ対立する者同士で目的、理念が共通していても、目的達成に至る方法論が異なればいずれにせよ自分たちの目的や理念に到達できない可能性はあり、まったく異なる結果をもたらす危険性すらあるだろう。方法論の違いの底には意外なほどに根が深い差異、対立点が潜んでいる場合は十分あると思う。それは民主主義をどう捉えるのかにも関わってくる重大な観点ではあるまいか。

 議論においてあらかじめ同質性を重視することも間違いだが、異質性を強調し過ぎるのももちろん間違いである。それは人としての遺伝子情報の同質性の高さとは無関係の話であり、社会のあり方を論ずるときには生物学や医学での学説を安易に当てはめて説明するのがそもそも筋違いなのである。

 日本社会における同質性の高さは、集団的作業での効率性の良さとなって高度経済成長期を実現させてきた重要な因子の一つである…このことはほぼ疑いえない事実だろう。しかし高度情報化社会においては組織の効率性のみならず、個の突出した力が問われる。常に周りを忖度し、個性をイジメの原因と見なして排除しがちな同質性過剰強要の日本社会で今、一番問われているのはやはり個性や多様性の尊重なのだと思うが、いかがだろう。

 今までの様に結論を急いで忖度を強要し、タイパ、コスパばかりを重視していると日本社会の息苦しさは強まる一方となるかもしれぬ。むしろタイパ、コスパを多少犠牲にしてでもじっくりと議論のすり合わせを続けていく努力が、少なくとも学校教育段階では切実に求められていると考えるが、いかがか。授業のタイパ、コスパを少しばかり犠牲にできる程度の、本当の「ゆとり」が今の青少年にはとりわけ必要なのではあるまいか。

 日本に限らず、世界の姑息な政治家たちはさも民衆に迎合するような政策を自分の理念、ポリシーとして掲げつつ、いつの間にか政策の実現方法や論点をずらして民衆の期待を根本から裏切る…そういった汚い技をこれまでも得意とし、長い事駆使しきたのではあるまいか。今や彼らの皮相な理念など信用する方が間違いなのであり、裏に秘めた彼らの本当の狙いに気付くべき時なのではあるまいか。

心理的安全性を高める。どうしたら皆が働きやすい会社をつくれるか?

 精神科医がこころの病気を解説するch 2024.1.16 11:45

 皮肉ではあるが今の日本の学校がどれほど「心理的安全性」が脅かされる場所となっているのか、なぜイジメがはびこり、不登校が多いのかがよく分かる動画となっている。相手の個性や多様性を重んじて時代の変化に柔軟に対応し、外部からの批判に学ぶような謙虚な姿勢があれば組織の心理的安全性は高まる、という指摘と真反対にあるのが隠蔽と自己保身に走り、画一的で管理主義的な今の日本の学校なのだと思うが、いかがだろう。

 当然のことながらこうした日本の学校文化においては、討論型の授業ほど根付きにくいものはあるまい。日本の場合、教師や生徒たちが活発に自分の意見を言えるような「心理的安全性」が極めて低いからである。しかしだからこそ討論型の授業を根付かせていく努力が必要なのであり、その努力こそが学校改革の中核部分になりうるのだと私は考える。

バカになるな!論破のテクニックで騙されてはいけない!【宇野常寛】

 たかまつななチャンネル 2022.10.10 22:50

 討論中心の授業とする場合、ディベートのような論争の勝ち負けにこだわる「ひろゆき」流あるいは「橋本」流の論破ゲームに陥らないような配慮が肝要となってくる。宇野氏の指摘する「スネ夫症候群」に要注意。基本的には討論の過程で多様な意見の創出をまずは目指すべきだろう。そして大勢の意見を聞くことを通じて多様な価値観がこの世に存在することの社会的意義を確認していく・・・それこそが一人でも多くの生徒を巻き込む、討論を用いた授業の最重要目標とされるべきだろう。意見の多様性を熱望する討論の場のあり方の中にこそ、ラディカルに「問いそのものを問い返す」可能性や問題解決に向けたオルタナティブで建設的な意見の創出に向かう可能性が胚胎するに違いない。従って教師は討論において決して議論を一つの結論に導いていくような誘導や断言をしてはなるまい。一つ一つの異なる意見が持つ様々な意味、意義を注意深く見出し、生徒達にもしっかりと気付かせていく事に教師は最大限の労力と工夫を払っていきたい。

 もちろん、議論の方向性が一定せずにあてどなく彷徨ってしまっては論点がぼやけてしまうので、ある程度構造化されたアンケートや発問計画を事前に用意してから討論に望むべきなのは当然の事である。

【心理的安全性】誰もが率直に意見を言える環境とは?組織改革を進めるカギ?超

 重要概念を学ぶ

 2022/05/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 24:20

 多様な意見を引き出すために必要とされる「心理的安全性」とは何か、理解できる。「心理的安全性」をまず確立しておかないと討論型授業は成立しないだろう。

【ハーバード大学准教授が語る】社会的に消す「キャンセル社会」の闇【ひろゆき 

 の妻&奥井奈南】 ReHacQリハック【公式】  2023/05/14  34:50

 多様な意見を引き出す上でキャンセルカルチャーの危険性に留意する必要があるだろう。

参考記事

Z世代に聞いた「理想の学校」──「居心地がよく、学びやすい環境が整っている」

    が半数超に【プレマシード調査】 EdTechZine 2025.9.27

 調査対象者数が600名と余りにも少なすぎてあくまで参考程度のことしか言えないが、以下の調査結果はぜひ記憶しておきたい。

 …「理想の学校の環境・コミュニティ」の条件を尋ねたところ(複数回答)、「居心地がよく、学びやすい環境が整っている(周辺環境・設備など)」(54.8%)がもっとも多い結果となった。「自分のペースで学べる」(54.3%)「相談しやすい教員や大人がいる」(44.8%)、「自由度が高い」(36.8%)がそれに続いた…

 さらに

 …「理想の学校の勉強」の条件を尋ねた質問(複数回答)では、「教え方がわかりやすく、やる気を引き出してくれる教員がいる」(50.3%)が最多となった。

以下「将来や社会につながる学びができる」(40.5%)「主体的に学ぶことができる」(34.8%)、「得意なことを伸ばせるカリキュラムがある」(34.7%)が続いている…

 とのこと。きわめて常識的な結果であるが、教師としては「学び」に必須の条件についてこの程度のポイントはあらかじめ弁えておくべきだろう。

多数派の考え方を変えるために少数派の人たちができることとは?

  【社会心理学】 ラブすぽ の意見 2023.6.22

 少数派の意見が多数派に影響を与えられるようになる条件として、少数派の意見が一貫している(多数派に阿らない)、他の論点では多数派の意見を持っている(ただの天邪鬼ではない)、多数派が現状に満足できず、改革を求めている、などがあるという。社会を変えていこうとする場合には大いに参考となる知見だろう。

 

 

 もちろん教科書を軽視するのではなく、重要事項の理解や暗記もある程度は要求しつつも、多様な意見を引き出し、多様な意見が飛び交う中で最適解を目指して粘り強く思考する対話的な力を養うことをより重視する。必ずしも多数派の意見を支持するわけではなく、少数意見にしっかりと耳を傾けることで多様性の持つ豊かさが担保され、すべての生徒が自己の意見表明をしやすくしていく・・・という目指すべき討論型授業への基本的スタンスを堅持する。

 

・討論型授業のキモ

 授業が十分に活性化しているならともかく、いきなり手を挙げさせて一握りの生徒に意見を言ってもらう展開は出来るだけ避けたい。討論や考える事自体を面倒くさがる生徒は多い。誰か一人が意見を言うと、他の生徒は自分なりの考えをまとめようとしなくなり、他人の意見に流されがちになる。教師には意見が出尽くすのを待つゆとりが必要である。

 意見が大体出揃った時にはA~Dどの意見に賛成か・・・などと生徒全員にそれぞれ挙手させて数を数え、その場でクラスの意見のあり様を類型化して確認させたい。

 ただしその際、マイナーだった意見の持ち主を見捨てない事が肝要。時にはマイナーな意見の背景や根拠を生徒全員で共有できるよう、深掘りしていくべきケースも大いに考えられる。

 当然、他の生徒から多く賛同を得られた意見が正しいとは限らない。むしろ多数派の意見がひっくり返るような、予想外の展開こそ、目指したい。もしもそのような展開になれば大成功。今後、多くの生徒が意欲的に討論に参加するようになるだろう。

 

参考動画

【天安門事件以来の盛り上がり】中国の言論統制と闘う若者たち 家族や仲間が拘束

 され銀行口座も凍結 [クロ現] | NHK  2023/09/14 9:46

 中国の若者たちの言論の自由を求める命がけの取り組みに対して、まず、どう思う

のか、生徒たちに問いかけたい。さらに、日本の若者たちに今、言論の自由が本当にあるのか、問いたい。

 特に李苹さんの「意見を持つことは国への最大の愛情です。希望を抱くからこそ声を上げるんです」という発言について深く考えさせたい。

 続けて言論の自由が成立する前提条件に付いていくつか列挙させたい。特に「情報公開」や「知る権利」をキーワードにして一歩踏み込んで深く考えさせたい。例として社会科の教科書で本当に自分の意見が持てるのかどうか、確認させよう。

 ここで「君が代」について歌詞の意味を問うのが良いだろう。

 そしてもう一度、日本の若者に言論の自由が本当にあるのかを問いたい。

ひろゆき、EXITアベプラ・平石アナはなぜ猛獣軍団をファシリテートできるの

   か? 新R25チャンネル  2021/04/26  9:00

 討論型授業におけるファシリテイターとしての教師の役割を考える上で大いに参考となる動画。

【論破ブームの危険性】アベプラ平石アナの「論破上手=優秀はテレビの世界だ 

 け」に若新雄純が本領発揮【前編】 新R25チャンネル  2023/06/07  29:52

【議論で重宝される人】「議論で熱くなってもなぜか愛される人」。アベプラコン

 ビ・平石アナ×若新雄純がたどり着いた結論 

 新R25チャンネル  2023/06/14 28:38

 討論の進め方、注意点がよく分かる。「ムキにさせる」「審判を下さない、勝敗をつけない」「多様性尊重」…

【誹謗中傷する人の心理】脳を惑わす3つのバイアス/SNSはロジックのズレだら

 け/ハーバード大学と日本の違い/脳は省エネモードで動く/違和感に向き合え 

 PIVOT 公式チャンネル  2023/05/20  35:51

 認知、認識における無意識のバイアスの存在と「中傷」、「攻撃的言動」の背後に潜む歪んだロジックを知っておかないと討論がただの論破合戦に陥ってしまう危険性が生じてしまうだろう。討論型授業を行おうとする教師にとって必見の動画である。

 

 したがって多数決にもっていくような展開は最悪ディベートはあくまで討論に刺激を与えるべく議論の導入時のみ、利用するだけ。一つの結論が欲しいわけではないので議論の勝ち負けや多数決は完全に無意味。特定の結論を出す必要もまったくない。あくまでも大切にすべきは、意見の多様性を確認させ、それぞれの意見の存在理由をできるだけ深掘りすること。

 

 またアンケート形式の質問用紙を多用し、口頭では発表できない慎重派や引っ込み思案の生徒の意見表明の機会をしっかりと保障すべきである。アンケート結果の集計と共に意見の一部は次回の授業で紹介する・・・などの工夫を重ねて生徒達の意見を一人でも多く、また少しでも多様な考えを引き出し、共有していくことを重視。アンケートの集計結果を公開する際にも少数意見に十分留意し、生徒たちが少数意見に注目するよう、繰り返し注意喚起しよう。

 アンケートへの回答を通じて生徒達が多様な意見の存在理由をしっかりと確認出来るよう、質問項目を工夫したい。同時に多様な観点によって混乱しがちな頭の中をスッキリと整理出来るような方向性を持たせた質問項目の内容と配列、組立て方を予め計画しておくと安心。これは相当難しい作業だが、議論の無秩序感を低減するためには事前に必要とされるものだろう。従って当然の事ながら教師側には議論のテーマに関する広い知識、深い理解が備わっているに越したことはない。

 

 ただし、十分な力が無い状態であっても討論型授業へのチャレンジは果敢にトライすべきである。何事も経験を積み重ねていかなければ前進できないはず。討論がアナーキーな状態のまま終わってしまう事は先生方の職員会議の場面ですら、普通に生じている。失敗は成功の本である。まずはトライあるのみ。

その3.差別と格差(後編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

同和問題

小田原市「生活保護なめんな」ジャンパー事件から8年公務員らを追い詰めた“

     酷な労働環境 根本にある圧力の正体とは     弁護士JPニュース 2025.10.20

 この問題の背景には生活保護に関わる職場のブラック化があることを忘れてはなるまい。つまりこの問題の本当の意味での責任者は社会保障を軽んじてきた歴代政府にあるはず。生徒たちにはこの視点を欠落させてはなるまい。

桐生市の生活保護問題 保護者半減 群馬県「水際作戦の疑い」 特別監査結果を公表 

 東京新聞 2024.6.22

水際作戦の一環か?生活保護の担当部署になぜか「警察OB」を採用 専門家も驚い

   た桐生市の手口 東京新聞 2024.5.1

 生活保護受給の前に立ちはだかる壁、「水際作戦」は1980年代の行政改革時から始まる伝統的な作戦であるが、各方面から批判され続け、多少は改善されてきたのか…と思いきや、桐生市ではかなり様子が異なるらしい。桐生市には差別戒名を伝える墓石があることで知られた同和地区が存在しており、30年以上前に社会科教員で訪れたことがある。はたしてこのことと桐生市での「水際作戦」とが関連していないのだろうか、非常に気になるところである。

参考動画

【部落差別】なぜネットで暴走する?地名やルーツを晒される被害が?就職や結婚 

 に今も壁?「知らない世代」どう学ぶべき?|アベプラ

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/09/27  36:27

【被差別部落】「別れろの一点張り。脅迫的な言葉も」結婚差別なぜ今も? 当事

 者が語る現実とは 

 2022/06/30 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】39:13

 日本の伝統的差別問題の一つといわれる部落問題が残存している現状に気付ける。子供の結婚を機に親世代の払拭されていなかった偏見が露出するケースは若者にとって無縁ではあるまい。

※参考記事:同和問題と在日差別

 100年前の負の歴史「なかったことにできない」 関東大震災直後、行商9人惨殺

  福田村事件の記録復刊 東京新聞 2023.8.8

 「朝鮮人が襲ってくる」「井戸に毒を入れた」…関東大震災から100年の今、映

  画 『福田村事件』が問う“日本人の本性

  現代ビジネス 西岡 研介 によるストーリー 2023.8.14

   「朝鮮人虐殺問題こだわった」 「福田村事件」上映で森監督

      共同通信 によるストーリー 2024.3.16

 

・神奈川県人権啓発センターをめぐる動き

【論説】AbemaTVの部落番組について

   神奈川県人権啓発センター 2023/09/30  9:48

【緊急】「恐怖の中に置かれている」被差別部落住民、投稿削除の仮処分を申請―

 という記事 神奈川県人権啓発センター  2023/11/06 9:35

 同和地区の地名や人名、集落の風景をネット上で公開することは人権侵害につながるのかどうかを討論させたい。この方はこれまで長年にわたり各地の同和地区の現状をさらす探索動画を公開してきていて、部落解放同盟や日本共産党への批判を展開してきた人物。

 同和地区の人々への差別感は自分には一切存在していなくて、悪いのは国の同和対策事業に悪乗りして公金を横どりし、私利私欲を満たしてきた暴力団やそれに加担してきた部落解放同盟であると主張して、その不正をただす自分の行為は正当なものであるという論理を展開している。

 授業では上のアベプラの内容を踏まえてその論理の是非を問いたい。

 参考記事

    被差別部落の地名公表、出版禁止など求めた原告側の勝訴確定 最高裁

       朝日新聞社 2024.12.6

 被差別部落の記事「削除を」 大阪府内全域、住民らが求めて提訴 大阪地裁

  産経新聞 2024.7.8

  表現の自由と差別されない権利とのぶつかり合いをどう考えるか、討論のたたき台にすると面白い

  記事だろう。

 ○申立人「差別はやっぱり許すわけにはいかない、その一言」被差別部落の情報サイトに自宅が写り

  込んだ写真…サイト運営の出版社側に記事削除を命じる 毎日放送 によるストーリー 2024.5.7

 〇被差別部落のネット記事削除求め住民提訴 「差別されない権利侵害」

      朝日新聞社 によるストーリー 2024.1.25

 〇被差別部落の地名掲載、再び違法 控訴審もネット、出版差し止め

  共同通信社 によるストーリー 2023.6.28

 

・Colaboへの誹謗中傷問題

人道支援団体を根拠なく攻撃してなぜか儲かる「誹謗中傷ビジネス」

   ニューズウィーク日本版 によるストーリー 2024.7.29

 仁藤夢乃氏を代表とするColaboをめぐる誹謗中傷により、様々な困難に直面する女性への支援が滞ってしまった結果、取り返しのつかない被害が生じているという。220万円程度の賠償金と誹謗中傷した投稿の削除程度の判決では被害の回復はほとんど不可能であり、同様の悪質な誹謗中傷を防止する力は全くと言って良いほど期待できまい。

 しかも誹謗中傷を繰り返してきた暇空茜と称する人物は東京都知事選に立候補して何と11万票も獲得したらしい。人道的な活動に対するいわれのない中傷が横行し、しかもそれがビジネスとして成立してしまっている日本の現状には空恐ろしさを感じる。社会的正義が嘲笑され、無責任で冷淡な中傷がビジネスとなる日本のネット社会の卑劣極まりない闇の世界…これが学校で多発してきた陰湿なイジメ事件と同じ土壌から生まれてきた世界であることはほぼ間違いあるまい。

 確かに人道の名を借りた詐欺的行為も一部にはあるだろうが、人道的支援のすべてが詐欺であるわけはない。仮に詐欺とみなすのであるならばきちんとした根拠を示すべきであろう。その根拠がでっち上げられたものであるならば、それこそが誹謗中傷であり、詐欺的行為そのものである。

 正論や正義を振りかざす行為への強い反発は近年、ネット社会でよく観察される現象である。どうやらネット民の多くはメディアで不用意に突出してしまった「良い子ぶりっ子」が大嫌いのようだ。しかしメディアにはある程度露出しないと支援のための資金を十全に集めることは難しい。支援団体は今後もこのような誹謗中傷に備える必要があるだろう。

 厳しく責められるべきは誹謗中傷に加担したネット民よりも、若者や女性を繰り返し絶望させ、ネット民の多くをただの冷笑的群集に傾かせている日本政治の無能さの方だろう。

 

・ルッキズム

【垢抜け方法】ダイエット以外!確実に変わりたい方に見て欲しいです!!

 2021/08/20 足の裏から人間になるには 12:24

 「ルッキズム」を考える際の導入には役立つ動画だろう。この「垢抜け方法」は「詐欺」と言えるだろうか、「足の裏から人間になるには」というチャンネル名についてどう思うか、問いかけていきたい。

 ※参考記事

  ◎“詐欺メイクの神”と呼ばれた女性、幼少期から開いた悟り「物事をポジティブに置き換えない

   と、心がもたなかった」 ORICON NEWS によるストーリー 2023.4.24

渡辺直美さん「正直驚いた」“容姿侮辱”で演出トップ・佐々木宏氏が辞任(2021

 年3月18日放送「news every.」より) 2021.3.18 日テレNEWS 2:34

五輪開会式“容姿侮辱”演出案でトップが辞任 

 2021/03/19 TBS NEWS 5:21

日本が太っている人に厳しい理由?

 BrooklynTokyo 2021/12/16 14:37

 この議論の一つの落としどころが分かる。

【太ってる人】機内通路が狭いのは差別?デブは個性?自己責任?プラスサイズは

 多様性?豊ノ島と議論|アベプラ

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/06/16  15:51

 この動画は具体的な内容なだけに活発な論争を呼びそう。授業でも討論の題材になるだろう。

【ひろゆき&成田悠輔】冨永愛の劣等感アジア人の葛藤とは?【トップモデルの

 闘い】 日経テレ東大学  2022/12/25 41:15

座・高円寺 秋の劇場16『箱庭弁当 ―さ迷える愛・破』PV 

 劇団態変 2020/10/11 1:46

 相当、強烈にルッキズムの問題点を浮かび上がらせる動画。かなり衝撃を感じてしまうかもしれないが、この劇団のメンバーを普段は見えない場所に「隔離」してきた日本社会の暗い側面を感じてしまうが、いかがか。

[バリバラ] "生きづらさ"「見た目問題」を抱える女性が演劇に挑戦する理由 |

  NHK 2018/05/25 3:57

【ひろゆき】結局言わないだけで「顔採用」は存在します。そりゃ美女やイケメン

 が良いに決まってる【切り抜き/論破】ひろゆきのマインド

 2021/03/27 1:44

【ひろゆき/切り抜き】日本人って見た目にうるさすぎない?

 ひろゆきのマインド 2020/11/27 2:06

 ファッションにも言及。きれいごとを言うのは簡単だが、現実は厳しい…

【炎上】アメリカのアニメに出てくる日本人が偏見だらけで酷すぎた。

 SAGIRIX  2023/06/21 6:08

【炎上】海外のアニメに出る日本人が怖すぎる…

 SAGIRIX  2023/07/13 8:15

【炎上】アメリカのアニメに出てくる日本のシーンが失礼すぎた。

 SAGIRIX  2023/10/17 9:37

 差別する側と差別される側、双方の立場に立ってみないとお互いの理解は深まらないだろう。

日本人が持ってるアメリカ人の間違ったイメージ

   Kevin's English Room / 掛山ケビ志郎  2024/10/10  34:13

 非常に面白い観点で日本人にもアメリカ人への偏見が少なからず存在することに気付ける。上のアメリカ人が抱く日本人への偏見と併せて紹介したいが、視聴時間が長いのでこちらは一部だけ視聴し、残りは要約して紹介した方が良いだろう。

参考記事

その見た目に光源氏が卒倒した「末摘花」の強烈さ 紫式部が突きつける読者自身の

 心に潜むもの イザベラ・ディオニシオ 東洋経済オンライン 2024/03/10 

 このところNHKの大河ドラマ「光る君へ」が話題なのでこの記事はタイムリーか

もしれない。ルッキズムはもちろん日本でも古くから存在していたが源氏物語に登場する末摘花の容貌とキャラは突出して興味深い。そして光源氏がとったその後の対応(生活を支援…)について生徒たちに予想させると面白いだろう。

「ブスになりたい」:いじめが原因で容姿が変わる日本

     The Body Optimist Léa Michel 2025.10.9

容姿が依然として判断材料、欲望の対象、そしてハラスメントの対象となっている社会の不和です。彼女のユニークでありながら普遍的な物語は、他者の視線と女性の身体にかけられる社会的なプレッシャーとの関係性に疑問を投げかけています。…という指摘に着目したい。

 授業で議論のテーマにするのにうってつけの記事。容姿による差別、ルッキズムは極めて根強いものがある。美人であることの負い目とストレスについてしっかりと見直していきたい。