④公立高校の独立行政法人化?

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

東京都立高の一般入試スタート 全日制の倍率は過去最低1・29倍 無償化が影響か 

   産経新聞 2025.2.21

 大方の予想通り、東京都も大阪府と同様、公立高校の入試倍率が低下している。しかし、それ自体は高校教育の改善に関してプラスでもマイナスでもないだろう。府立高校や都立高校が多少、統廃合されたとしても高校教育の改善には必ずしも結びつかない。問題は教科書検定制度と共通テストによる授業内容の過剰な画一化や統制強化、教育行政の過剰な管理主義化、知識偏重主義の横行、一斉講義形式の蔓延、肥大化するばかりの学校業務、大学での教員養成教育の遅れ、旧態依然の教員採用試験と管理職登用試験、各高校における不公平な校内人事…などなど数多ある。

   これら、山積する難題を学校間や教師間の新自由主義的競争、単純な市場原理だけで解決できるわけがあるまい。法制度の大幅な見直しを前提とする、1980年代の臨時教育審議会並みの、腰を据えた本格的で中長期的な展望に立った議論が、今後は避けて通れない、と考えるべきだと思うのだが、いかがか。

高校無償化巡り、教育の質の重要性を石破首相強調「卒業証書さえもらえばよいと

   いうものではない」 読売新聞 2025.2.26

県立高校一般入試、最終倍率は0.82倍 志願者は3159人 朝日新聞社 2025.2.26

   県立の全日制普通科高校の受験倍率が県単位で平均1倍を割り込んだのは宮崎県だけではない。富山県では史上初めて0.99倍となっている。高校教育全体の無償化が検討されている中で、公立から私学へと受験生がかなり流れてきているのだろう。このようなことは大阪府や東京都では以前から表面化していた。当然、これは早くから予想されていた事態である。

   競争原理が働かない上に「金太郎飴」のような没個性の公立を、できるだけ数多く淘汰し、激しい競争を通じて高校教育全体の質を向上させる…こうした維新の会の目論見はいよいよ全国レベルで進んでいくだろう。しかし、長い事、無競争もあって停滞気味の公立高校の没落を今後、加速させていくことが、実際に高校教育全体の質を上げていく…という保証は必ずしもない。私学の教育の質があらゆる面から公立よりも本当に高いのかどうか、は多少、議論の余地があるからだ。もちろん、公立高校の質は全体として決して高いレベルではないが…

  真っ先にここで問われるのは学校教育における「質の良さ」とは一体、何なのか?ということだろう。石破首相が言葉にする「質の良さ」とは具体的に何を意味しているのか、詳細に問うべきである。学校教育を語る際、下手な美辞麗句、抽象的な理念は誤魔化し、誤解、曲解を避ける上でもできるだけ口にすべきではあるまい。

日本の公的教育支出は、GDP比で見ても子ども1人あたりで見ても他の先進国より低

    い ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者)2025.9.22

 この厳然たる事実は手を変え品を変えて繰り返し、指摘されるべきである。「教育立国」というまやかしのスローガンに騙されてはなるまい。政府はさらに教育予算を削るべく、大学のみならず高校まで独立行政法人化を図ろうとしているに違いない。

 こんなまやかしの政府を支持し続ける国民のお人好しさ加減に呆れるほかない。

50校中40校が定員割れ 熊本県立高校のあり方検討会が2034年度までに学級約2割減

    を示す 県立高校の魅力づくりに自治体や企業との連携も

    FNNプライムオンライン 2025.9.15

 「2027年度から熊本市内の高校も含め全校で計画的に学級を減らし、2034年度までには現在の約2割に当たる62学級を減らすことなどを示した。また、学校の魅力づくりのため、自治体や地元企業との連携を推進することも提言した。」とのこと。

    松下琢会長(崇城大学教授)は「高校は地域にとっては活力の源。地域創生の要。(学校存続を)目標にして地域で努力してほしい」と述べたという。

 この無意味な検討会の不気味なまでの無意味さは会長の言葉で際立ってしまっている。ただでさえ学校のブラック化が進んでいるのに、学校を地域創成の道具として地域社会で盛り立てよ、とのご託宣である。急速に少子高齢化が進む地域社会に県立高校を盛り立てていくだけの力が残っているはずがない。

 県立高校の不信は熊本県に限ったことではない。中学生たちから進学先として見放されている県立高校の問題点を全国レベル、県レベルでまずは縷々指摘し、その改善点を考えた上で熊本県における県立高校の魅力づくりに関する提言は行われるべきだろう。

 県立高校の魅力が乏しくなった背景に何があるのか、その責任はどこにあるのか…県教委の責任と国レベル、文科省の責任をも詳細に論ずることなく、高校再生の努力を地域社会に丸投げするだけの提言に一体何ほどの価値があるのだろう。呆れてものが言えなくなるほどに噴飯物の、意味不明な検討会の提言である。

 この記事からも分かるように、学校改革をめぐる議論のレベルの低さはもはや絶望的なものではあるまいか。なぜ教育を巡る議論がここまで劣化してしまったのか、マスコミや教育行政側、研究者側の責任も決して軽くはあるまい。

山内省二の一筆両断 公立高校の独立行政法人化? 変化し過ぎた「何でもあり」を

 危惧 産経新聞 2023.7.24

 公立中学校や公立高校の独立行政法人化を構想する政治家グループがいるらしい。明らかに少子高齢化に直面する地方の実情を無視する噴飯物の暴論である。これでは地域間格差の更なる拡大は不可避となるに違いない。

 かつて国公立大学で実施した政策をきちんと検証し、まともに反省しないうちに中等教育段階にも適用するという極めて無責任で安易極まりなく、かつ危険な構想。これ以上、学校現場を混乱させ、学校のブラック化を推し進めて何をしようというのだろう。

 競争原理を公立学校に導入して学校の淘汰を推進する試みの一部は大阪府で進められているが、大阪府での隠蔽問題を中心とする学校の不祥事は相変わらず続発している。特に表では学校の業績ばかりを喧伝する裏側で不祥事の隠蔽を進めかねないのがいかにもポピュリズムらしい「人気取り政策」の大きな欠点だと思われる。

 そもそも学校教育の質を向上させるにはまず教師養成教育の見直しを先行させる必要があるはず。それに仕事量の軽減と教師の授業力向上こそが喫緊の課題なのであり、余分な仕事を増やしかねない構想は百害あって一利無し。

 また山内氏は学校を保守的な任務を帯びるものと決めつけているが、大切なのは保守と革新のバランスであり、学校の保守的機能ばかりを強調するのは合点がいかない。こんな珍妙な議論が存在していること自体、今の日本の教育が腐敗しきっていて、まさに存亡の危機にあることを示しているのだろう。

高校無償化で公立離れ!? 「高校教育改革」を自公維が提案

    朝日新聞社 2025.6.13

 給特法改正や高校無償化が高校教育の改善と結びつく保証は無いだろう。もちろん、保護者にとって無償化は歓迎される。しかしそれは教育内容の改善とはほぼ無関係である。学校のブラック化やブラックボックス化を押しとどめるものでもあるまい。給特法改正に至っては教師の待遇改善すら望みようのないただのゴマカシに過ぎない。さも「教育改革」を進めているかのように見せかけ、その実、教員の持ち帰りサービス残業を増やすだけである。

    当然、教育内容のみならず、教育方法、教員人事を含む教育行政、教員養成…それらをすべて根底から見直すべきである。改革の目指すべき方向は部活動の地域完全移行を軸とする教師の職務削減、授業改革、授業改革を軸とする教員養成教育の見直し、画一的で管理主義的かつ不透明な教育行政の民主化、透明化などであろうか。

    「公立離れ」は主たる問題ではあるまい。場合によっては公教育の縮小すら視野に入れるべきかもしれない。いかがだろう。

「大阪ではタダなのに…」大阪で私立人気高まり公立70校定員割れ 兵庫県の県立高

   は独自策で志願者増 高校無償化巡る維新・与党議論は平行線

   FNNプライムオンライン   2025.2.11

   高校の授業料を完全無償化すること自体に反対する人は少ないだろう。現状として義務化と言って良いほどに高校の進学率は高い。同調圧力の強い日本である。高校への通学を半強制的に強いる日本社会ならば保護者の経済的負担は少ない方が好ましいに決まっている。しかし高校授業料の無償化自体は授業改革を柱に据えた、高校教育の質を高める経営努力に直結するわけではあるまい。

   もちろん授業改革を軸に据えて学校の個性化を大胆に推進し、教育の質を高める経営努力を行えるような環境がしっかりと公立高校に存在していれば、授業料の無償化は教育の質を上げていく可能性が出てくるだろう。授業料という公私の壁が取っ払われる分、授業の良し悪しを巡って公立と私立との競争が激化し、授業の質が良くない高校や教師は淘汰され、質の良い教師や高校は生き残る…結果的に高校教育全体の質は向上する…といったように市場の競争原理が健全に働く事態は考えられなくもないからである。

 問題ははたして公立高校が授業改革を軸とした独自の経営努力を行えるほどに自由な環境にあるのか否か、という点。あたかも金太郎飴みたいに授業内容から授業方法まで均質で、共産主義社会の様に厳重に管理されてきてしまった伝統を持つ多くの公立高校は、決して民間企業のような、独自の経営努力を行えるような環境に置かれてはいない。そもそも校長を含めた教師自体、自分の所属する学校への帰属意識は極めて低いのが現実であろう。

 社員ならば企業の成長が自分の生活に直結するため、管理職を含め、多くの社員たちは会社の経営状態に無関心ではいられない。他方で公立高校の多くの教師は、勤務校の定員割れや中退者の増加に、我、関せず、である。公立高校教師の多くは運命共同体的帰属意識など勤務校に対してほとんど持っていない。学校経営の責任者たる管理職自体がそもそも勤務校の経営に無関心であるばかりか、授業の質を高める事への意欲、知識すら皆無の人物は少なくない。

 第一、勤務校へ3年間しか在職しない管理職に独自の学校経営など出来るわけが無いのだ。彼られのほとんどは自己保身に走り、ひたすら不祥事が起きない事だけを欲している。ゴールはあくまでも自身の円満退職とその後の好条件な再就職先の確保なのであり、本音では目の前にいる生徒たちの人生など知ったこっちゃない…

 管理職に学校改革、授業改革の意欲、資質すらほとんど存在しないような公立高校と、少子化の中で生き残ろうと必死にあがき、独自の経営努力、授業改革を強いられてきた私立高校とがこれまでのような公私の「棲み分け」をやめて生徒募集で激しい競争を行うことになれば、その勝敗は明白である。大阪府や東京都の様に公立高校の過半は淘汰されていく他あるまい。

 もちろん、それは好ましくもあるのだが、視聴率稼ぎに奔走するあまり、不祥事を招いてしまったフジテレビの例もある。中学生の人気取りに走るだけの高校は大きな危険性も秘めているだろう。

 特に管理主義的傾向の強い千葉県などでは学校経営という言葉が教師や生徒たちへの管理統制、というマイナスの意味合いでしか用いられてこなかった伝統が濃厚に受け継がれてきた。だからこそ入学試験の志望者が入学定員の3割にも満たないような県立高校が毎年のように複数、存在しているのだ。そうした高校を含めて授業の見直しを軸とした独自の経営努力を目に見える形で行っている県立高校を、私自身も見聞したことは無い。

 つまり、今、根本から見直すべき重要案件は公立高校の硬直した管理主義、画一的教育の在り方なのである。もちろん、授業料無償化は直ちに実現すべきであるのだが、授業改革もまた別途、真剣に検討されるべきである。ただし、授業改革にあたっては大きな障がいが立ちはだかっている。学校のブラック化である。

 授業料完全無償化と教師の仕事の削減は喫緊の課題であり、どちらも蔑ろにはできない。授業料の無償化に加えて、教師たちが自己の授業改善に取り組めるだけの時間的体力的余裕を生み出す…すなわち学校の仕事量の大幅な削減こそが、現在、真っ先に求められていると考えるが、いかがか。

N高・S高の生徒数が3万人突破8年5か月で20倍に リセマム 2024.9.2

 なぜこの学校が急速に生徒数を増やしてきたのか、その理由について生徒たちに考えさせたい。また全日制普通科の公立高校が入学希望者数を増やすには今後、何が必要なのかも考えさせたい。

大学院卒なのに…「国立大教員の求人募集」で示された年収が驚きの低さだった

 ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.1

「日本の研究力」は韓国・イラン以下…20年で順位を急落させた「犯人」とは?

 ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.2

 国立大学の法人化から20年、その弊害が日本の研究力の低下と大学院進学者数の減少となって表面化しているという。日本の場合、大学院進学がかえって経済的なデメリットとして機能してしまうのだから、当然の結末ではある。若手研究者への待遇悪化はもっぱら人材力に頼ってきた日本経済をさらに悪化させるだろう。何せ、教育予算をずば抜けてケチり続けてきた日本である。当然の報いというほかあるまい。

 これは高等教育だけの問題ではない。高校以下、すべての学校が抱える問題でもある。講師の増加と正規教員の不足はすべての学校種で生じている。人材育成をケチってきた政策はいよいよ少子高齢化の極致に向かう日本をどん底の奈落に突き落としていくだろう。このことは何十年も前から指摘されてきたはずなのに、なぜ、政府はひたすら経済力を低下させる政策をわざわざ取り続けてきたのか、文科省はなぜこの動きを阻止できなかったのか、見直すべき点は余りにも多い。

 優秀な日本の若者はいち早く日本に見切りをつけて、いよいよ海外に飛び出していくだろう。中高年も同じように海外での再就職を目指すだろう。そして賃金が低く、外国人の受け入れに後ろ向きな日本には観光目的以外に外国人が来てくれる可能性は極めて低くなるだろう。日本における良質な労働力の、致命的レベルでの不足が生じてしまうのは最早、時間の問題なのだと思うが、いかがか。

 かつて「国家百年の大計」と言われて重視されてきた日本の学校教育はいまや瀕死の状態にある。目先の損得ばかりを優先し、教育や研究を散々冷遇してきた日本の今後に果たして明るい兆しはあるのだろうか。

 規律正しく、親切でサービス満点かつ安価な接客、独自のエキゾチックな伝統文化と世界最高レベルの料理、最高に安心・安全で清潔な社会、世界に冠たる日本の漫画・アニメ、伝統と共存する近未来的な東京の都市景観、時刻表通りに縦横に走る公共交通機関…少なくとも観光資源においては様々な観点においても断然、世界トップクラスを誇り、年々、日本を訪れる観光客は増えている。確かに現時点での日本は表向き、最も魅力に満ちた国ではあるだろう。

 ただし、それはあくまでも海外の観光客の視点に限られることはしっかりと認識しておきたい。今やネトウヨのごとく、もろ手を挙げて「日本万歳」を唱えている状況ではないと思うのだか、いかがだろう。

 もうしばらくすれば海外に雄飛できなかった日本の若者の多くが「無敵化」し、闇バイトは一層はびこるだろう。となればかつて日本が誇ってきた安心安全神話がたちまち崩れ出すに違いない。これまでは時間通りに運航出来ていた公共交通機関などでも、労働力不足等により遅延し始める。故障や事故も増えてくるだろう。橋や道路、ダム、高層ビル、港湾施設などの一部は老朽化し、深刻な人口減少に直面する地方では急速に廃墟が目立ってくるはずだ。

 研究力の後退によって日本企業の多くは競争力を失い、少子高齢化が進む中で国家の財政はいよいよ危機に瀕する。そして防衛費は倍増すれども教育予算は相対的に目減りしていく一方となる。これからの日本はこうした悪循環の中でひたすら落ちていく運命にあるのではないか。閣僚の選定からして石破内閣にそうした危機感はどう見ても感じられまい。

東京都立高校の4分の1が定員割れ。授業料の実質無償化で私立or都立のどちらを選

   ぶべき? ダイヤモンド・教育ラボ 2024.12.5

   いわゆる公立高校民営化の動きは、公立高校の独立行政法人化構想の改変バージョンとして大阪府、東京都で真っ先に先鋭化してきていると考えられるが、いかがか。いずれにせよ少子化への強い危機感をバネにして柔軟かつ大胆に改革を進める私立校の人気は今後、一層増大していくだろう。他方で硬直した官僚主義のシステムに縛られがちになり、改革が遅れ気味な公立校の人気はさらに低下していく。これは教育予算のさらなる削減を狙う都道府県としてはまことに好都合な状態であろう。

 少子化に便乗して学校の統廃合を推進し、厄介な教職員のリストラも同時に実現できれば、行政としては願ったり、かなったり。確かに地方財政の赤字は緩和されるだろう。しかし選択肢の多い都市部はともかくとして、公立しか選択肢の無い地方はどうなっていくのだろう。実はこの問題もスマートシティ構想の枠からすれば想定内であり、財政的に重荷となってきた地方が今後はさらに情け容赦なく切り捨てられてていくことになるのだろう。地方もどんどん「スマート」になっていくのだ。

 動きの取れない高齢者も切り捨てられ、公教育の改革は中途半端なまま、公教育の衰退だけが進行していく。現今の教員不足も、都道府県の財政からみれば人件費節約につながり、実に好都合。だからこそ文科省も都道府県も市町村も、軒並み、本音の部分では公教育の改革に消極的なのではないか。

 行政側は表向き、批判をかわすために「教育改革」を声高に叫ぶが、実際に改革する気は無い…とすればこれまでの文科省の的外れな弥縫策の連発も、実は本当の意図を知られないための、国民への「目くらまし」戦法として極めて有効なのかもしれない。何よりも目先の損得勘定を優先すれば、確かにこうしたプランが生まれてくるかもしれないのだが、はたしてこれで良いのか、疑念は尽きない。

なぜ今になって…? 教育研究者が「日本の公教育の崩壊が大阪から始まる」と嘆

 く“納得の理由” 文春オンライン 鈴木 大裕 2024.12.5

 新自由主義的な観点から導入された全国学力テストの点数争いと入学希望者数を軸とした学校間の競争が一体、学校現場に何をもたらしているのだろう。大阪府民の多くはこのことにあまり関心が無いようだ。

 公教育の解体と教育予算の削減、節約が文科省の真の狙いならば大阪府の取り組みはモデルケースとしてかなり高く評価できるだろう。実際、大阪府の公教育は衰退の道を順調に辿っている。維新の会が大阪府政を掌握してから廃校に追い込まれてしまった府立高校は既に20校以上にも上っているのだ。東京都も大阪府に追いつけ追い越せとばかりに新自由主義的立場からの都立高校再編を矢継ぎ早に進めている。

 事は大阪や東京に限るまい。少子化という追い風に乗って全国的に公立高校の多くが定員割れを続け、各地に統廃合の嵐が吹き荒れている。はたしてこれで本当に良いのだろうか、真剣に問い直すべき時だろう。

「部活動は教員のボランティア」のままでよい? 学校部活動が「地域移行」するこ

    とで生まれる格差とは…今後保護者がお金で買うべきサービスに

    集英社オンライン 2025.5.14

 学校現場からこういう根拠の乏しい発言が出てくることに驚きを禁じ得ない。まず「…日本では、政治が教育に介入し、教育が戦争に加担してしまった第二次世界大戦の歴史から、政治が二度と教育に介入できないよう、教育の独立性が保障されてきました。」というが、この間違いだらけの歴史認識には明らかにファクトチェックが必要であろう。

  戦後はアメリカの占領下、GHQによって日本の教育はアメリカの政治的影響を強く受けるようになっていた。そしてサンフランシスコ講和条約後にはたちまち戦前への回帰、「Uターン」が始まり、戦前、戦時中の勢力が教育の世界にも復活してくる。そもそも学校現場では戦前と大差なく、画一的な一斉講義形式の授業と管理主義、そして体罰が横行していた。1960年代にはアニメ、漫画の世界にチャンバラや戦争物が再登場し、柔道、剣道が学校体育に復活してくる。

 いずれにせよ日本の学校教育では政府や財界による教育への干渉が排除され、「教育の独立性が保障」されてきた…などといったことは、過去、一度たりとも無かったと言って良い。学校教育には時々の政治や経済の論理が現在に至るまで途切れることなく、強く、露骨に反映されてきたのだ。

 戦後、教育の憲法とも言われる教育基本法にズラリと掲げられている理想的建前はほとんどがただのきれいごとに過ぎない。戦後における学校現場での体罰の横行などを見れば分かるように、学校は戦前からの伝統的な慣習と戦後の新たな法律の共存に対して、常にダブルスタンダードな、矛盾した姿勢を取り続けていたと言っても過言ではあるまい。

 したがって教育基本法に定められた「教育における政治的中立性」などは、公教育ですらまともには守られて来なかったと言うべきなのだ。ただし私は公教育が政治や経済の影響を受けてはいけない、とは一切思わない。シンギュラリティの到来が目前に迫ってきたと指摘する識者が増えてきた現在、学校での生成AIの利用は必須である。それは児童生徒たちに対して、個別最適な学習の保障にもつながるだろう。

 ほとんど自浄能力を失い、自己改革の意欲にも欠ける公立学校は多い。児童生徒たちが時代の進展に取り残されないようにするためにも教育産業のみならず、特定の業界とのつながりが学校としては不可避となるであろう。学校業務や授業のDX化を推進する上でも業界のバックアップは必要となる。

 授業は今後、一斉講義形式中心から議論を通じた多様性の理解と学習者主体の、個別最適化を軸とする授業へと大きく切り替えていくべきである。ただしこうした授業方法の大きな変化は教師の負担を一時的にせよかなり重くする。結果的に多くの教師たちは部活動指導を行うヒマなどほとんど無くなるに違いない。そうした点でも部活動の地域社会への移管は不可避であり、地域移管のためにも学校と地元の公民館などの社会教育との連携をさらに強めていくべきであろう。

㊻千葉県の公教育はオワコン?

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参考動画

千の葉の先生たちの一歩目【千葉県教員採用プロモーション動画】

 千葉県公式PRチャンネル 2025/01/15 8:57

 この動画の薄気味悪さに辟易するのは私だけだろうか。教師不足に対応するために教職の魅力を分かりやすく動画で発信する、というコンセプトは多少ともその意図を含めて分からなくはない。が、やはり現役の教師たちが徐々に募らせてきた学校教育への不安や不満、苦悩とまったく向き合おうとしない県教委の、相も変わらぬ無責任で厚顔無恥な姿勢ばかりが目立つ動画…などと感じてしまうのは、はたして私のヒガミ根性が過ぎるのだろうか。

 これらの動画を視聴していると、なぜ今、教師不足が生じているのか、その原因について県や市(千葉市も同様な動画を発信している)がまともな分析をしているようには到底思えない。そもそも現状として、今の若者たちに教職の魅力が広く理解されていない…などとはどうみても思えないはずである。

 多くの教師たちはこれまでも児童生徒の力になろうとして悪条件の下でそれなりに奮闘してきたはずである。それを10年以上の長期間、児童生徒の立場で教師のすぐ傍から見て育ってきた今の若者たちは、当然のことながら教職の魅力、やりがいについてそれなりの理解を持っている。そうでなければ児童生徒の将来就きたい職業の上位に長期間にわたって教師が登場し続けるわけがない。

 明らかに教師不足の問題は若者たちの教職のやりがいへの無理解、無知にあるのではない。したがってこの程度の薄いつくりの動画で既に分かり切ったことを敢えてプロに依頼して動画編集を重ねても、教員志望者数を増やす面での効果はほとんど期待できまい。いや、これはむしろ美辞麗句を連ねたブラック企業の新入社員募集広告に酷似する、詐欺まがいの怪しさすら漂っている。一言でいえばまさに前途有望な若者たちをたぶらかす、悪質な詐欺広告に過ぎまい。

 どうやら動画に実名で登場する二人の新人教師たちは自分たちの勤務校までネット上に晒されている恐ろしさにまだ気づいていないようだ。初任なので彼らがその恐ろしさに気付けないのはある程度仕方ないのだが、そうした彼らの無知さと立場の弱さに付け込み、ただの詐欺まがいの広告に利用する教育委員会の狡猾さには怒りしか覚えない。

 管理主義教育先進地で悪名高い千葉県のことである。数年後、彼らは厳しい労働環境に耐えかねて早くも休職や退職に追い詰められているのかもしれない。いや、さほど遠くない将来、彼らが自分たちの動画を一刻も早くネット上から削除して欲しいと願う日さえ来るかもしれない。

 なぜならば小学校に赴任した女性教師は初任であるにもかかわらず、いきなりクラス担任を任されている。初任者研修の厳しさからすればこれは決して好ましくない人事であり、初任をいきなりクラス担任に据えることは本来、学校として極めてみっともない人事であるし、決して世間に晒してはならないはずの異常で残念な事態であるべきだろう。公にされたら恥ずかしいレベルの人事が千葉県の場合、平然とネット上でさも自慢げに晒されている…これは残念極まるこのような異常な人事がこの地では既に常態化している証拠なのである。こうした「恥知らず」の人事が横行しているのは間違いなく木更津市だけではあるまい。

 そして男性の高校教師の方は県内でも有名な教育困難校に、可哀そうにも初任で赴任している。こうした初任教師に対する慎重な配慮の欠片も見られない人事は、ベテラン教師が異動先として嫌がる困難校での人手不足を無理やり補うべく千葉県でも古くから常套手段と化していた。これもまたどんな赴任先でも「ノー」とは言えない初任者の弱い立場に付け込んだ卑劣な人事というほかない。ところがこれも常態化してしまっているがゆえにその異常さ、卑劣さに県の誰もが気付けていない。

 非常識な異常事態を常識的人事であるかのように押し付けてくる、恐ろしい教育風土が千葉県には根深くかつ幅広くこびりついているのだ。そしてそうした残念な人事が千葉県の公立高校では一切の反省すらされないまま、いまだに横行している…という極めて情けない実状を千葉県自ら「恥知らず」にもネットを通じて堂々と全国に晒しているわけである。あまりの厚顔無恥さに呆然とする他あるまい。

 千葉県や各市町村が学校の実情をどこまで直視し、学校のブラック化にどう対処していくつもりなのか…学校の労働環境の改善目標をいくつか的確に明示し、どのような見通し、スケジュールを持って事態の改善にどの程度まで真剣に取り組もうとしているのか…こうした事を赤裸々に開示し、一見キラキラした教職の魅力の裏側に隠された学校のブラックな実情への改善への道のりを教員志望者に対してしっかりと示していく…この事こそ、今の若者が教育委員会に対して真に求めている情報であると思うのだが、いかがだろう。

 こんなゴマカシ動画が今もまかり通ると信じている教育委員会の方々、若者を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

参考記事

いじめ問題、教育委員会の「隠蔽体質」あちこちに 資料破棄、議事録作らず、虚偽

    答弁…習志野市議会で批判相次ぐ 東京新聞 2025.9.18

 これだけ数多くの悪質な法律違反を繰り返していたにもかかわらず、校長や担任、教育長以下教育委員会側が今後、厳しく処罰されないとなれば、同じ過ちはたちまち繰り返されるに違いない。監督官庁の判断が注目される。

    それにしてもその堂々たる法律違反ぶりには驚き呆れるばかり。さすが、かの千葉県である。コンプライアンスなどという言葉がすっかりかすんでしまうほどの、この地域の旧態依然たる教育風土は一体、何に由来するのだろう。ぜひ、生徒たちにも推理させたい。

公立高のバリアフリー格差、調べた千葉の高校生「こんなに違うなんて」 エレベー

    ター設置率が東京と段違い 東京新聞 2025.7.6

 東京都立高・中等教育学校は85.9%、埼玉県立高の設置率は29.1%、神奈川県立高・中等教育学校は32.4%、千葉県立高では14.8%らしい。…東京と3県との格差について、千葉県教委の担当者は「財政的な違いではないか」と推測。2028年度までに設置率40%を目指し、車いすの生徒がいる学校への優先設置や、初期費用を抑えられるリース方式で導入を進める…らしい。

 千葉県教委の担当者のおとぼけぶりには怒りを覚える。「財政的な違い」だけで埼玉の29.1%と千葉の14.8%、すなわち倍近くの格差をはたして説明できるのだろうか。県教委においては財政的格差以上にバリアフリーへの意欲に格差があったに違いない。相変わらず上辺だけ改革するふりをして、その実、面倒なことは学校現場に丸投げして平気な千葉の公教育の伝統が見事にこの格差に表れている、と思うが、いかがか。

    他の道府県と最初からケタ違いに財政状況の違う東京都なんかと比べるよりも、財政規模にさほど大差ない埼玉との格差「2倍」にここは注目したい。財政の問題にすり替えてバリアフリー実現を埼玉よりも「2倍」サボり続けてきた、厚顔無恥で責任逃ればかりの千葉県教委こそが公教育における差別残存の黒幕である。

千葉県の小学教員倍率、平成以降最低1・5倍…欠員補充できない「未配置」など

    教員不足深刻化 読売新聞 2025.6.28

 都道府県によってはわずかながら試験倍率引き上げに成功したところもある。なぜ千葉県での倍率が上がらないのか、その理由はあまりにも単純であり、今更繰り返すまでも無いが、念のため最大のポイントだけ指摘しておこう。

    明確なレベルでの教員の負担軽減こそが第一の決め手である。初任にいきなりクラス担任を任せるような、思いやりの欠片も無い人事を千葉県は続けておきながら、大学生の「青田刈り」や試験のハードルを下げることで教員採用試験の倍率を上げようとすることがどれほど卑劣なイカサマに過ぎないか…そんな事は大学生でも自明のことだ。学生たちを馬鹿にするのもいい加減にしろ!

教員の病気離職者が、21世紀に入って右肩上がりに急増している

    ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者) 2025.6.25

    ここ最近の若い教員の病気離職者の急増ぶりに注目したい。特に20代の病気離職者率は2000年度にくらべて2021年度は何と11倍を超える上昇を見せている。現在の大学生の教員志望者数減少と併せて考えれば、これはかなりの危機的状況と言って良いだろう。ただでさえ千葉県を含めて多くの都道府県では学校の中核となるべき40代後半から50代前半の教員数が相対的に少なく、かつ過去に大量に採用された60代の教師がここ数年の間に続々と退職してきている。この急速に拡大してきた教員不足の大穴を一体、誰がどう埋めるのか。

    穴を埋めるべく、若手をいきなり主任等に任命するといった、極めて安易で乱暴な校内人事はその副作用として若手教員の病気離職者を急激に増やしてきた…と私は考える。したがって今後、同じ轍を踏むことは許されまい。

 教師の数をすぐに増やすことはできない、若手で穴を埋めることもできない…となれば教師の仕事をできるだけ迅速にかつ大胆に削減するほかに手はないだろう。こんな状況で教員の給与をわずかばかり引き上げたところで、仕事の大幅な削減が進まぬ限り、何の効果も期待できないのは火を見るより明らか。今、文科省や千葉県教育委員会に、教員負担削減策断行に向けての決死の覚悟が求められている。

女子生徒に訪問看護師が付き添えるよう「検討する」 高校での利用断った千葉県教

    委、ガイドライン見直しへ 東京新聞 2025.4.17

    特別な医療的処置を必要とする生徒や日常的な介助や配慮を要するような障がいを持つ生徒の入学を認める方向で国家は今、全国の普通科公立高校にしっかりと働きかけているのだろうか…何はともあれ、相変わらずやる気のない千葉県教委はひたすらサボルことしか考えていないようだ。たかだか一人の訪問看護師の派遣すら文科省から言われるまでは検討すらしない。そのようなレベルの県教委に新しい取り組みを期待する方が間違っているのだろう。

 他方で教師の総意を無視して校長の独断で障害を持つ生徒の入学を続々と許可し、何らの人的サポートもロクにしないまま、担当の教師たちに丸投げする、無責任極まる校長の得点稼ぎを黙認してきた県教委…こんな矛盾だらけの無気力な組織にまともな事ができるとは思えまい。

「教員不足にオール教委で」杉野可愛・千葉県新教育長が抱負

   産経新聞 2025.4.2

 「教員の成り手不足対応や教育現場の働き方改革にはオール教委として、全力で取り組みたい。特に、県立高校を強化し、魅力ある高校にすることは優先課題だ。やれることは全てやる覚悟だ」と強調したらしいが、この発言にはどうにも不安しか感じない。特に太字の部分はむしろ恐ろしささえ、感じてしまう。「県立高校を強化」することが結果的には教師の労働強化、管理強化…すなわち学校のブラック化に直結しやしないか。この方の言う「教育現場の働き方改革」とは、実は県立高校のブラック化を一層推進することなのではないか。

 「無償化で県立高校が衰退し、逆に選択肢を減らすことにならないよう県立高校も引き続き、私立と変わらず魅力的な選択肢としてあり続けられるように力を入れて取り組む」とも語ったという。この方、本当に大丈夫だろうか。余計に心配を募らせる発言でしかあるまい。高校の無償化によって大阪府や東京都の様に公立高校が衰退してしまうのはもはや必然的ではないのか。他と違って千葉県だけがなぜ公立高校の衰退を免れると思えるのか、その根拠をぜひ具体的に示していただきたい。

 そもそも公立高校の魅力を一体、誰がここまで貶めてきたのだろうか。もしかすると教師たちにすべて責任転嫁するつもりだろうか。真っ先に「改革」されるべきは文科省であり、県教委の方ではなかったか…正直言ってこの方の発言、あまりにも無邪気過ぎて不安と恐怖しか覚えない。

   千葉県に限らず、まず看過できない悪性の症状として挙げられるのが各学校での正規教員の不足であろう。これに休職者や中途退職者数の増加も加わり、一人一人の教師にかかる負担は重くなる一方…という学校が特に義務教育中心に増えてきている。さらに教師志望者の減少も教員不足と学校のブラック化という事態の悪化を加速させているに違いない。しかも教員不足がさらなる休職者や退職者の増加につながるという、恐ろしい悪循環が生まれてきている現場もあるようだ。

 なお、教師不足の一因としては景気回復傾向がもたらした民間企業への就職志向の高まりに伴う若者の公務員離れが考えられなくもないが、それは主因というほどのものではあるまい。最大の原因と考えられるのは教育行政の画一的管理主義の息苦しさに加えて、止まることの無い仕事量の増大による学校のブラック化であり、それらがもたらした若者の教職離れであると考える。

 残業手当や休日手当がつかない部活動指導の過熱化、数が多過ぎる上にそれぞれが過重な負担となっている学校行事、不登校やイジメの多発とそれに伴う保護者対応の増加、新教科・科目の設置などによる仕事の量と難易度の上昇、説明責任を果たすためだけの記録作成等のアリバイ作り(管理職や教育委員会への報告書、提出書類の増加が顕著でその多くは煩雑かつ形式的なものに過ぎず、教師の力量を向上させることにはほとんどつながらない。つまりほとんどがブルシットジョブ)の増加、教育行政による教員への過剰な統制・管理強化がもたらす心身両面への重圧(教師の創意工夫を挫く無意味な官製研修の増加、授業内容・方法への過剰な介入等)、残業時間短縮による持ち帰り仕事の増大、年齢構成の偏りや管理職の能力不足による職務分担の不均衡、進路の多様化による進路指導の煩雑さ、職員会議の形骸化や教職の階層化などによる職員集団の分断と対立、教師の社会的地位の低下、管理職のパワハラや教師間のイジメの横行等々、数え上げればきりがない。

 こうした事態に対して文科省や都道府県教委は上辺だけの対症療法、その場しのぎの誤魔化しをひたすら繰り返してきた。教育行政による対応を医療行為になぞらえれば、高熱を発した患者に漫然と解熱剤を処方するだけの藪医者のようなものである。

医者の職務は本来、高熱の原因を様々な検査結果から割り出していき、症状を抑えるだけではなく、症状の主な原因となっている病気などを治療対象としていくべきであろう。しかし文科省、都道府県教委は教員不足という症状に対して、揃いもそろって教職の魅力をアピールし、採用試験回数を増やしたり、日程を早めたりして採用試験のハードルを下げることに専念してきた。

 もちろん文科省が「働き方改革」を推進して部活動の地域移行と残業時間の短縮を通じて学校のブラック化を押しとどめようとしているのも事実ではある。が、「持ち帰り残業」の問題などを見ると、学校現場ではさほどの効果をまだ実感できていないのではあるまいか。

 なぜ教職の魅力が低下してきたのか、教員が不足してきたのか、その原因には高熱の原因と同様、様々な要因が考えられるに違いない。ただ兎にも角にも教育行政側の最大の過ちは、その原因が自分たちにも少なからず存在する、という自覚を決定的に欠いてきた点であると思うが、いかがか。不登校の増加やイジメ事件の隠蔽、教員の不祥事の多発、教師の疲弊、授業における児童生徒の落ちこぼれ、吹きこぼれ…どれをとっても教育行政の過ち、不備に淵源する側面が大いにあるだろう。そのことの反省と改善を抜きに、ただ教師のやりがいと就職しやすさを追求しても、若者は二度と騙されないに決まっているのだ。

「部活も修学旅行も運動会も生徒会も廃止せよ!」教員の負担軽減で、学校が“AI

   教師に乗っ取られる未来   ダイヤモンド・オンライン 鈴木大裕 2025.3.17

   鈴木氏の考えをどう捉えるかで、学校教育の方向性はおそらく決定的に変わってしまうだろう。そうした点でこの記事には慎重な議論が必要である。

 個人的には「部活も修学旅行も運動会も生徒会も廃止せよ!」という発想がすっかりブラック化した日本の学校を立て直すにはどうしても必要不可欠だと考える。ただし生徒会は無くしてはなるまい…が、他の三つは今後、学校の業務としてはほぼほぼ不要である思うが、いかがか。

 この判断は日本の学校の現状をどう捉えるのか、学校教師は一体、何をなすべきなのか、学校は一体、どこまでの任務を担うべきなのか、をめぐる考え方によって決定的に違ってくるだろう。すなわち、鈴木氏の認識と私の認識とは以上の観点においておそらく決定的に異なっているのだと感じている。

 まず、鈴木氏も私も日本の教師たちがあまりにも多くの職務を背負い、極めて疲弊してきていると認識している点では一定程度、共通している。しかし鈴木氏と私とではこの状況がどれほど切迫し、もはや一刻を争うレベルに達しているのか、それとも多少のゆとりが残されているのか、といった切迫感において大きな差があるのではあるまいか。

 問題解決のために時間をたっぷりとかけても大丈夫なまでに、教師たちに余力が残っていると見れば、鈴木氏の考えに一理あるかもしれない。しかし私は教師たちに残されている時間的、精神的、体力的余裕はもはや底をついてきていると感じている。

   もちろん各教師が直面している状況には個人差、学校差、地域差が大きく、必ずしも一概には言えないだろうが、教職志望者の不足、中途退職や休職の深刻な状況などから見て、教師の働き方改革は既に一刻の猶予も許さない状況だろう。まずは部活動という教師たちの休日や放課後の時間を奪う最大の重荷こそ、一刻も早く取り去るべきであると私は考える。

   しかしそれは教師たちにただ楽をさせたい、という事ではない。かつてOECDの調査で指摘された、日本の教師たちの授業準備にかける時間の少なさはいまだに大問題である。この問題を部活動の廃止によって解消させ、より一層授業の充実を図り、授業という教職の本務におけるやりがいや達成感をもう一度教師たちに取り戻すことが最も緊急を要する大切な取り組みではないのか。

   もちろん部活動の持つ教育的意義は決して小さくはない。したがって児童生徒は学校外で部活動の体験を続ける事が必要だ。そのための施策は公民館の利用や統廃合されて使われなくなった学校の施設の再利用、民間施設の利用などが考えられる。

 指導者の不足は最終的に高校での体育や芸術といった教科を廃止して一日の授業時間を4~5時限に減らし、体育科や芸術科の教師たちを指導者に回すなどで補うしかあるまい。つまり部活動は鈴木氏が指摘するように誰かが大きな犠牲を払わなければ成り立たない業務である。だからこそ私は部活動を現状において今の学校教師が背負いきれる業務ではないと判断している。

 もちろん上に挙げた対策には法制度の改正などに時間を要するので、これまでと同様、当面は徐々に部活動を地域に移行していくしかないが、地域によっては受け皿の不足が生じてしまうのは不可避である。当分の間、学校、教師たちが請け負う部分は出てしまうだろう。また部活動の種目によっては多少、削減されてしまうのも仕方ないだろう。とは言え、今、何よりも優先されるのは目に見えるレベルでの教師たちの負担軽減であり、それを最優先すべきであると私は考える。

 教職志望者の減少と現職教員の減少、とりわけ正規教員の減少とが同時進行している現状は間違いなく、学校教育の崩壊を一気に加速する。今、まさに一刻を争う緊急事態であると私は認識している。たとえそれが児童生徒に極めて必要であり、成長するために役立つ業務といえども、その業務従事者自体が今後、致命的に不足してしまっては元も子もないのだ。

 さらに決定的な問題は日本の教員養成制度と教員採用制度、および管理職の登用制度にあると私は考えている。日本の大学における教員養成教育の実態は必ずしも学校現場で生じている各種問題や学校現場で要請される各種課題に向き合えるに十分な内容ではない、というのが私の考えである。もちろんこれには大学間格差が大きな問題として存在している。が、そもそも日本の教員養成教育の在り方自体に制度設計上の大きな欠陥があると私は捉えてきた。教員採用や管理職登用を含めたこの問題は別の箇所である程度論じているので、ここでは問題の所在を指摘するにとどめる。

 修学旅行や遠足、運動会、文化祭などの学校行事については当分の間、その多くを廃止すべきだろう。また入学式、卒業式なども簡素化すべきだと考える。もちろんそれらが児童生徒の成長にとって極めて重要であることは疑いようもない。しかし文科省がいつまでも迷走を繰り返し、グズグズしている内に事態はとうとう「ここまで」切迫してしまった。もはや「背に腹は代えられない」のだ。

 これまでのように文科省の失敗をひたすら学校現場に責任転嫁するのはもうやめていただきたい。「ここまで」事態を甘く見て問題をこじらせてしまった政府、とりわけ文科省の責任は「万死に値する」ほど重い。今、財務省解体を求めるデモが発生しているが、文科省もぜひ解体していただきたい…というのが疲弊しきった日本の教師たちの、現時点における偽らざる思いではないのか。

千葉県、教員の勤務実態調査…月45時間超過勤務は約3割に減

   リシード 2025.3.11

   千葉県教委がまたいい加減な調査で千葉県での働き方改革の推進を自画自賛しようとしている。校長や教頭が先頭となって教職員に勤務時間の過少申告を強いているような状況で、この調査結果を一体、誰が信用できるというのだろうか。冗談もいい加減にしてほしい。どうせ校内での勤務時間を減らしてわずかばかりの光熱費の削減を狙うのが県の本当の目的であろう。

 働き方改革の本丸は仕事量の削減であって、表面的な勤務時間の削減では無い。仕事量の削減を伴わない校内勤務時間の削減はひたすら残業の自宅持ち帰りを増やすだけである。自宅での勤務時間は一切、調査されないだろうし、勤務時間としてまったくカウントされないのだ。一体、いつまで教師たちと世間を欺くつもりなのだろう。

 こうした各県教委からのデタラメだらけの情報を基に文科省が政策を決めてしまうから、いつまでたっても本当の働き方改革は進まないのだ。しかもあろうことか、これから千葉県教委は教師の意識改革を進めていくという。

 まるで教師の働き過ぎはあくまで教師たちが自分たちの好き勝手放題に行っている結果だと言わんばかりの物言いではないか。どうやら残業時間の多さの責任はもっぱら教師たちの間違った心構えにあるらしい。

 千葉県では「やりがい搾取」と揶揄されたことへの振り返りは一度も行われてこなかったようだ。つまりは「やりがい」を勝手に感じて、勝手に残業してきた教師たちこそが一番の悪者と考えているのだ。その傍らで教員志望者には教員のやりがいを宣伝するというのだから呆れる。若者や教員を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

「中学生の娘が先生から無視されて…」教師からのいじめ被害に「学校に訴えると

   隠蔽されるかもしれない」と考える親の不安 どこに相談すればよいのか、弁護士

   が解説 マネーポストWEB 2025.2.27

   「学校に訴えると隠蔽されるかもしれない」という保護者の不安は、過去の学校における隠蔽事件の数々を思い返せば素直に同感せざるを得ない。すっかりブラックボックス化した現在の学校社会を保護者や児童生徒が下手に信用してしまうと、どんな災いが身に及ぶか、あらかじめ想像しておいた方が良いだろう。

 もはや日本の学校はこれまでのような無防備さで子どもたちが安全、安心に通学できるほど、牧歌的な世界ではなくなっている。

「決まったことが伝達されるだけ」になってしまった学校の「職員会議」。「学校

 運営にかかわりあいたくない」という若い教員も多数派に

 日刊SPA! の意見 2025.1.7

 児童生徒の当事者意識、主権者意識を育む立場の教師たちの間でほとんど所属する学校への当事者意識が見られない点は、学校がガラパゴス化の道を歩み続けてしまう大きな原因の一つであろう。2000年から職員会議は校長の仕事をサポートすることと位置付けられた。これは確かに大きな変化を職場にもたらしてしまった。この結果、職員会議で多数決を取る場面がなくなり、職員の意向を無視して校長の独断が横行するようになったのは千葉県だけではあるまい。

 個人的にはかつて企画委員会のメンバーになったことがあるが、その企画委員会ですら、校長らの諮問機関に成り下がっている学校は少なくないのではあるまいか。意見は言えても結論は校長任せ…これで当事者意識が生まれるわけがあるまい。

 こうした結果、様々な問題を抱えて学校が定員割れを起こし、地域住民の信頼をすっかり失っている状況であっても、教師たちの多くは「外れくじを引いた」とばかりに他校への転勤希望を出すだけとなる。自分たちが学校を改善しようとする意欲は近年、ほとんど見られなくなっている。むしろ下手に意見を言えば、多くの学校では「あいつはきっと管理職を目指している」と後ろ指を指されるのがオチである。

 千葉県の公立高校受験の志願状況などをみると新学年2クラス、新入生80人の募集なのに20人台の志願者しか集まらない高校が複数、存在している。つまり1クラス分すら集まらない、大規模な定員割れが生じている。確かに少子高齢化の中で過疎地の学校は非常な苦戦を強いられている。しかし中には比較的、都市部に近い立地にありながら、20年余りも危機的な状況に置かれている高校がある。そこでは少子高齢化を定員割れの口実にするわけにはいくまい。あきらかに学校経営の失敗がその高校には見られるはずである。

 かつてはそうした教育困難校でも危機感を持った管理職や教師たちが中心となり、どうすれば少しでも志願者を増やせるのか、学校の荒れを沈静化できるのかについて各種会議で白熱した議論を続けていた。私も20年近く前に学校改善委員会を組織して教師や生徒たちを対象にした質問紙調査を行い、その結果を踏まえた改善案を職員会議で幾度か示した経験がある。こうした動きは当時、どの学校でもごく自然発生的に見られていたはずである。

 しかし、今や誰もが普段は押し黙ったまま、大して文句も言わずにただその時期がくると転勤希望を出し続ける。管理職側も、定員割れに対して何ら責任を問われることが無いため、定員割れはいつまでたっても放置されたまま。他方で自分の管理責任が問われてしまう教師の不祥事を管理職は極度に恐れている。結果的に厳しく教師たちを隅々まで管理しようとしているのが多くの管理職の実態である。

 こんな状況で学校現場から改革に向けてのインセンティブが生まれるわけはあるまい。児童生徒の当事者意識の薄さを問う前に、教師たちの学校運営者としての当事者意識を高めていく工夫とは一体何なのか、文科省はぜひ熟考すべきだろう。

【高校受験2025】千葉県公立高、一般選抜の志願状況(確定)東葛飾2.05倍

 リセマム 2025.2.14

 千葉県内の全日制普通科の公立高校で志願倍率が0.5を切る高校が6校、0.3を切る高校が2校あった。これらの高校の中には深刻な少子高齢化、過疎化が進んでいてそもそも学区内の中学生の数が激減している地域に立地する学校が少なくない。他方でそれほど人口減少に直面している地域の学校ではないのに、大きく定員割れを起こしている学校もある。

 ただ、いずれにせよ、大幅に定員割れを起こしている高校が、かなり以前から定員割れを起こし続けてきた学校であることに変わりはない。そして大幅な定員割れは出来れば避けたい現象であり、避けるべき現象でもある。ではなぜ、同じ高校で大幅な定員割れが何度も繰り返しされてきたのか、が疑問となるだろう。

 どの高校がどれほどの志願者を集められるのかについての予想は素人でも決して難しくはない。ここ数年の志願者状況と学区内の中学卒業予定者数の予測を見れば、およその予想は出来るだろう。20人台の志願者しか集められなかった2校もそうなること位、当該校の教師たちのほとんどはあらかじめ察しが付いていたはずである。問題は、定員割れの予想がついていたにもかかわらず、当該校ではなぜ一学年のクラス数をあらかじめ一クラス減らしておかなかったのか…という点にある。

 この点について、生徒たちに考えさせ、議論させると面白い授業になるだろう。

千葉県教委が高校入試を改善 調査書の記載内容簡素化、国語の聞き取り問題廃止へ

 産経新聞 2024.12.18

   ようやく調査書の記載内容の簡素化が実現した。これで中学校、高校共に、わずかながらではあるが、入試の際の負担は軽減するだろう。国語の聞き取り問題も放送のチェックや難聴者、周囲の騒音への対応に多少の困難が生じていた。

   しばらく前の千葉県高校入試における採点ミスの大量発生事件への反省が少しはあったのだろう。あまりにも遅過ぎたきらいはあるが、一つの前進として評価したい。

高2が東京都知事選で考えた 「投票しなければ、何も変わらない」 柏・東葛飾高で

 主権者教育 東京新聞 2024.7.6

 制服が無く、リベラルアーツといったユニークな授業で知られる同校での試みは、ヨーロッパからすれば何一つ新しさを感じないレベルのものだが、古臭い教育がはびこる千葉県では極めて先進的に映る。私自身、同校のリベラルアーツの授業に幾度か参加してきたが、20年近く前からのこうした試みが他の公立高校に広がることはほとんど見られなかった。子どもの権利条約を知ろうともしない管理職や年配の教師たちが生徒たちに主権者教育などできるわけがない。

 まずは千葉県の公教育の体質を変えなければ「何も変わらない」のだ。

「忙しいはありがたい」? 新採用教員にブラック職場「肯定」冊子 千葉県総合

 教育センター 東京新聞 2023年3月20日

 千葉県の学校教育と教育行政がいかにダメなものかをこれだけ堂々と発信してしまって良いのだろうか?通常はタダで済まされないような暴言に等しい内容であろう。これからの千葉県の学校の大躍進を願うばかりである。

教員未配置が深刻、過去最多の449人 過重勤務・自習授業増

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.30

 千葉県の公教育の土台が予想通りに崩れつつあるようだ。

千葉県公立高の入試採点ミス 7月にも改善策提示 教育長「人為的ミス防止が第一

     の視点」  千葉日報社 によるストーリー 2023.5.20

「デジタル採点導入を」 千葉・公立高入試で有識者会議が提言 

  産経新聞 2023.6.14

【高校受験】千葉県公立高、デジタル採点導入など…採点ミス改善策で提言

  リシード 2023.6.19

 2022年度の千葉県における公立高校での入試採点ミスが98校、933件にも達してしまった件に関して県の教育長は「…各県立高へのアンケートで不注意や解答用紙の様式などが採点ミスの原因として挙げられた」との認識を示し、専門家からなる改善検討会議を設置してその提言に基づく改善を検討していくとのこと。

 しかしながら直近まで高校入試の現場にいた自分としてはなぜもっと早くから改善策がとられなかったのか、不思議でならない。そもそも「解答用紙の様式」と「模範解答の様式」が異なることが採点時のミスを招く、との指摘はかなり昔から存在していたし、アンケートでも繰り返し指摘されてきたはず。ところがこれまでまったく改善されることは無かった。

 加えて入試の前後は3年生の追試、成績処理、卒業式の準備、就職指導などと重なり、3学年に関わる多くの職員は極めて忙しい。殺人的な忙しさに振り回される中での不注意を一体、誰が咎められるのだろう。「入試」は別格の重要な仕事であることなぞ、とっくの昔に承知している。別格の仕事ならばその時期に他の仕事を集中させてはならぬはず。

 採点ミスの責任の一端は教員の多忙化を加速させ、アンケートの結果、すなわち現場からの提言を黙殺してきた県教委にあることは明白だろう。これこそが「人為的ミス」の最たるものなのに、相変わらず自らは反省せず、ミスの責任を現場に転嫁する無責任な弱いもの叩き…いかにも千葉県らしい対応ではある。入試という重大な場面でのこれだけの大失態を招いた責任を本来、真っ先に負うべきは教育長以下、県教委の幹部たちであるはず。ならば教育長が率先して引責辞任をしてみせてから現場への指導を行うのがスジではないのか。

 とはいえ高校入試の受験者数が年々、減少の一途をたどり、採点すべき答案の枚数は以前よりかなり減ってきているはず。しかも千葉県では年2回の入試が1回に軽減されたばかりの段階であるにも拘わらず、ミスがこれだけ多い…となると、この件がはらむ問題は意外に根深く、相当に深刻なのでは。

 おそらく採点ミスの件数は実際には数千件に達しているものと考えてよい。近年、生徒や保護者から自分の入試答案の開示請求が多くなり、開示請求で採点ミスが発覚してしまうという悩ましい案件が生じてきていた。こうした事態にようやく重い腰をあげた県教委が本格的に抽出答案(実際の答案枚数のほぼ1割に相当する答案で、毎回、各高校から県教委に提出されている)のチェックを行ってみたところ、今回の件が不覚にも「発見」された…という事件発覚の経緯が推測される。つまり県教委側も抽出答案のチェックがこれまで不十分だった可能性を指摘できるだろう。

 とすればもはやミス多発の原因を単なる教員の過労や県教委の怠慢…といった分かりやすい要因だけでは十全に説明できないようにさえ感じられるのだ。少なくともそう思えるほどに千葉県の高校教育現場の疲弊ぶり、破綻ぶりは今や切迫してしまっているのではあるまいか。

 では現今の入試採点ミス多発が意味することとは一体何だろう。もしかしたらこれは学校運営の中核たる40代後半から50代前半の教員の異常なまでの少なさと校務全体の複雑化、多忙化などによって千葉県公立高校全体が徐々に自らを教育機関としてまともに運営する力を失い、まさに今、地滑り的崩壊が始まろうとしている…すなわちこれは公教育としての破局的な局面に移行しつつある一つの予兆なのかもしれない。

 現に大学生は「沈もうとする船に乗りたくない」と言わんばかりに教職を忌避するようになっている。教師不足が叫ばれる一方で今や再任用を断る退職予定の教師だって少なくない。一番悲惨なのは職場から長期離脱したり、早期離職に追い込まれる働き盛りの教師が増えていること。加えて生徒たちもまた学校への忌避感が増大し、不登校児童生徒数は増える一方である。これらの問題ばかりは「人為的ミス」という表現でアッサリと説明してしまうことは許されないだろう。

 従って私としてはせっかくの有識者の提言もおそらく時すでに遅し、入試を含めたあらゆる事態の悪化が容赦なく加速度的に同時進行し、視野の狭い部分的改善など現時点に至っては近い将来、何の意味もなさなくなる…と考えるが、いかがか。

異例の196人処分・指導措置 千葉県教委、入試で採点ミス相次ぎ

 毎日新聞 によるストーリー 2023.7.20

 結局はトカゲの尻尾切りである。これで教師の意欲はさらに低下し、千葉県の公立高校における機能不全はさらに進行するだろう。マークシート方式の導入など、採点業務に絞られたミクロな観点からの改善策だけでは高校現場の働きやすさの向上には何一つ、つながるまい。採点ミスが減ったとしても教員採用試験の倍率が上がるわけではない。県の対応は対症療法でただのモグラたたきに過ぎず、今度は別の事件事故が頻発するだけ。

教員の魅力を動画でPR 千葉県教委作成、来月にも公開

  東京新聞 2023年9月10日

 教員採用試験の倍率低下、教員不足に危機感を抱いた文科省と各地の教育委員会は恥も外聞もはばかるこ となく、「青田買い」どころか教職のバーゲンセールまがいの詐欺的商法にまで手を伸ばし始めている。ずいぶんと落ちぶれたものだ。

 さしずめ千葉県の場合はこう言った塩梅ではなかろうか。これまで堅調に売り上げが出ていた人気商品がこのところ何だか少しずつ、売り上げが落ちている。宣伝広告にもっと力を入れればきっと売り上げは回復するに違いあるまい。だって商品の質にはそれなりの自信があるし、老舗としての伝統の力もある、問題はあくまで宣伝不足にある…そこで思い切った新機軸を打ち出そう。そうだ、若者に訴求力のある動画作成を業者に依頼し、商品の魅力を分かりやすく、かつガッツリとアピールしてもらおうではないか…

 しかし本当に商品の品質は保たれてきたのだろうか。肝心のお味の方は時代の流れに取り残されていないだろうか。今どきパッケージだけ飾り立てても胡散臭いだけ…箱の中身は実際、いかがなものだろうか。とっくの昔に賞味期限が切れていないだろうか。どうみても強烈な腐臭が漂っているはずなのだが、なぜ、売り場の誰一人としてそれに気づかないのだろうか。

 そもそも商品が劣化していないか、誰か定期的にきちんとチェックしてきたのだろうか。腐り切った商品を30年以上の歳月と交換に若者へ売り渡し、彼らをたちまち過労死や精神障害に追い込む…こんなブラック企業のような悪徳商法を国と千葉県はいつまで続けるつもりなのだろうか。

 完全なブラックボックスと化している学校の中身は意外なほどに闇が深い。箱の中身が見えにくかったからこそ売れてきただけのインチキ商品に未来ある若者が騙されて手を出してはなるまい。

飲酒、わいせつ、セクハラ…千葉の先生のモラルはどこへ? 懲戒処分、最悪のペー

 ス 産経新聞 2023.12.20

令和5年度の教職員の懲戒、過去最多の52件 千葉県教委 

 産経新聞 2024.3.21

 案の定、千葉県での教員の不祥事が多発してきている。明らかに千葉県の教育界は機能不全に陥っているのであり、その原因は多岐にわたるだろう。しかし最大のポイントは県の教育界の頂点にいるはずの教育長に責任を問う論調がマスコミにおいて皆無であること。

 指導的立場にいる人物が部下たちの不祥事の責任を一切、とろうとしないような組織に自浄能力は一切期待できない、と考えるのが世間の常識であろう。マスコミの機能不全は今に始まったことではないが、やはりマスゴミには今後も一切、期待してはなるまい。

25歳の女性、県立高の教育実習で教員から暴言・暴力を受け「今でもつらい」と

 県を提訴…抑うつ状態で働けず 読売新聞 によるストーリー 2023.11.6

 鍛錬と協調を旨とする抑圧的な精神主義がいまだにはびこる学校ではありがちな事件。また本格的な教員養成教育を受けなくとも高校教師に採用されてしまうシステム上の問題も背後にはあるかもしれない。それに加えて学校現場のブラック化による慢性的なストレスで精神的に追い詰められた教師による感情の暴発、といった要素も十分考えられる。ただ県としてはこうした事件によって教員志望者数がさらに減ってしまうことこそ、避けなければならない事態なのだろうが、いずれにせよ、千葉県の公立高校が抱える問題の深刻さを予感させる事件の一つとして捉えたい。

教育実習生に「お前みたいなやつがいるから、くずな教員ばっかり」と指導教諭が

    暴言…千葉県が和解へ 読売新聞 2025.9.28

  指導教師のパワハラ問題はさておき、「…県はパワハラと抑うつ状態の因果関係について争ったが、県精神保健福祉センターから因果関係があるという意見を受け、和解を受諾した。」という経緯にどうも釈然としないものを感じる。県教委の対応自体に大きな問題は無かったのだろうか。

     なぜ、この女性と「パワハラと抑うつ状態の因果関係」について県が争うことになったのか、争うに至った判断の根拠をまずは知りたい。ただでされ、心に深い傷を負っている女性に対して、敢えて裁判で争う、という強硬姿勢を県教委が打ち出したからには、それ相当の盤石な根拠があったはずである。

     仮にその根拠が極めて脆弱なものであったとするならば、パワハラ教師のみならず、争う判断を下した県教委の担当責任者への厳しい対応が求められるに違いない。これは県教委が裁判で争うとして女性を脅した、二次的パワハラ加害に該当するかもしれないからだ。

 仮にそうだとすれば、3000万円を超える損害賠償金はパワハラ教師一人に丸投げして負担させるわけにはいくまい。組織をバックにして女性を追い詰めようとした、パワハラ県教委のメンバーにもそれ相応の負担義務が生じてくるはずである。県議会はこの点をも厳しく追及すべきではあるまいか。

 この件、記事だけでは明確には見えてこないが、女性に対する県教委の、相も変わらぬ極めて不適切で不誠実な対応が見え隠れしている。

教員の精神疾患による休職・病休は依然として多く、20代30代で増加:背景になに

 がある? 妹尾 昌俊教育研究家、学校・行政向けアドバイザー

 YAHOO!ニュース JAPAN 2021/12/22(水) 15:00

教員免許の授与数、20万件割れ 「過労死ライン」の労働環境影響か

  朝日新聞社 2022/08/01 06:00

 高校での教員免許授与数が特に激減していることの背景を問いただしたい。文科省は教員免許取得条件の緩和による取得免許数の増大を検討しているようだが、ただの数合わせ、泥縄式の発想に過ぎず、かえって学校現場の混乱を深めるだけであろう。 

 このような短絡的発想しか出来ない教育行政の側こそが最早オワコンなのだとつくづく思う。

精神疾患による休職者増加中、教員の復職支援や学校現場でのメンタル対策の手引

 を文科省作成 読売新聞 2025/06/02 15:00

 教師の負担軽減を進めてきたと文科省は再三、言い訳ばかりしてきたが、現場の負担が決して軽くなってはいないことをこの記事は示しているだろう。

千葉県・市の教員採用、2,037人合格倍率2.24倍

 リシード 2024.9.26

 「千葉県教育委員会は2024年9月24日、2025年度(令和7年度)千葉県・千葉市公立学校教員採用候補者選考の第2次選考合格者を発表した。2次選考の合格者は全校種あわせて2,037人となり、前年度に比べて39人減となった。」とのこと。全体で2.24倍の倍率となるが、小学校に限定すると1.38倍。合格者の辞退、中途退職者、休職者などの発生なども考慮すれば、受験すればほぼ誰でも合格、となるとみて良いだろう。千葉市分を入れると全体で2.4倍、小学校は1.6倍となる。

千葉県・千葉市 志願状況を公表。平均倍率は2.5倍 大学3年次等対象の特別選考

 には1,498名が応募 教員採用試験対策サイトPowered by 時事通信

 出版局採用試験関連 2025.06.12

 千葉市を入れた全体では2.5倍、小学校は1.5倍の倍率となっている。小学校での低倍率問題は依然として改善されていないという残念な現状が読み取れる。

「業務断れず限界まで」「眠るのが怖い」20代教員に心の病増加…過重業務で適

 応障害、自殺も 読売新聞 2022/10/24 05:00

千葉の中学3年の過半数は公立高校志望、でも「学費が同程度なら私立」選ぶが7

 6% 読売新聞 によるストーリー  2023.11.24

 確かに公立高校の改革はすでに手遅れであり、もはや多くの公立高校が時代の急速な進展にまったくついていけなくなっていることは明白だろう。とりわけ千葉県の場合、公教育における制度的、組織的欠陥、束縛の多さや頑迷な保守的体質、予算の圧倒的少なさが教育の改革、改善の足を引っ張る…そうした現象があまりにも目立ち過ぎてはいないだろうか。

 今後は東京都や大阪府のように高校改革の多くを私立校の努力に委ねる方向に動いていくのが多くの民意に沿い、現実的であるように思えるが、いかがだろう。すなわち公教育の民営化を進め、市場原理を導入して高校間での競争を煽ることで時代の変化に即応できる高校教育の実現を目指した方が現在の高校教育の、残念なまでの行き詰まり、閉塞状況を打開するにはどう見ても手っ取り早いように思えるのだ。

 中学生の4分の3以上が私立進学希望であるならば、今後は中学生の進路希望に応えて私立高校の数を増やすとともに私立高校の入学定員を大幅に拡大していくべきだろう。私立における保護者の学費の減免はある程度必要になってくるだろうが、公立高校の予算を削った分をまわすことで相当程度、家計負担の軽減は可能となるはず。そのためには当然、公立高校の職員数の大幅な削減も進める必要はあるだろうが、現今の教員不足がむしろ追い風となっており、文科省や県教委の管理主義的妨害さえ排除できれば公教育の縮小は思いのほか順調に進むのではないか。 

 公教育の大幅な民営化こそ、保護者、児童、生徒の要望にこたえる方途であり、文科省は学習指導要領や学校設置基準等による下らない縛りを緩めてより自由で多様性に満ちた高校教育の実現を推進するためにまずは徹底的な自己変革を行うべきであろう。

 1980年代以降、鉄道や郵政など多くの分野で民営化が進み、その都度、様々な議論を呼んできた。もちろん民営化に大きな犠牲が付きまとってきたのは事実であろう。教育の民営化に反発する人は少なくあるまい。しかし日本の公教育は既に日本の経済力、政治力を酷く毀損させてきているほどに深刻な機能不全に陥っているのではあるまいか。今後、「公」の力に期待できないとすれば民活導入は不可避であろう。それほどに文科省以下、千葉県教委、公立高校の弱体化は深刻であり、公立高校が自身の力だけで悲惨な現状を打破できる可能性は決定的に低いと言わざるをえないほど、厳しい現状があると私は考える。

 したがって千葉県教委はこれまでの公立高校の入学定員を今後は大幅に削減させていき、私立高校に高校教育の主導権を委譲する決断をすべき段階にきていると思うが、いかがだろう。

    昨今のパーティー券販売による裏金問題では関係する自民党所属の閣僚が相次いで辞任している。当然、岸田首相もまた任命責任を厳しく問われることになろう。相変わらず腐敗を極める政界ですら、多少のケジメはとろうとしている。ところが千葉県の教育界では令和4年度の高校入試における採点等のミスが千件近くも発覚するという、未曾有の不祥事を引き起こしてもなお、教育長は自ら責任をとることを一切せず、末端の教員ばかりを処罰するにとどまっていた。そしてたちまち令和5年度の教員による不祥事多発である。

 残念ながら教育次長は何と学校現場に綱紀粛正を求める通達を出すだけで事足れりと考えているようだ。しかも教育委員会として他に出来ることは無い、というみっともないほどの言い訳がましいセリフを残しているという。あまりにも無責任であり、恥知らずであり、無能すぎるのではないのか。この発言は教育困難校で授業中に騒ぎ出した生徒たちに対して「静かにしろ」と切れてみせるしか能の無い問題教師とまったく等しいレベルではないのか。真っ当な教師ならば自分の授業のつまらなさ、分かりにくさを反省して授業をより魅力的にするための努力を重ねていくはずであろう。

 仮に教師が授業中の騒がしさをひたすら学習意欲に欠ける無作法な生徒たちの責任であるとして自身の授業改善に一切取り組まないようなら、校長はその教師を厳しく指導するのが管理職としての当然の責務である。同様に部下の不祥事多発に対して教育長らが綱紀粛正を口先だけで求めても何らの意味が無いどころか、それはむしろ職務放棄に近い愚挙なのである。

 教育長、教育次長らが率先垂範、示してしまったこうした自浄能力の欠片も感じさせない無気力な姿勢はただでさえ問題の山積する千葉県教育界の隅々まで行き渡り、次年度以降のさらなる不祥事多発を呼び込むに違いない。

 一体、県の教育長は何のために存在しているのだろう。よくありがちな文科省の官僚が天下る高給取りの名誉職という、ただの肩書だけの役職に過ぎないならばいっそのこと無くしてしまった方が良いに決まっている。いよいよ兵庫県などに追いつき、追い越せとばかりに学校不祥事多発の県としての悪名を全国に轟かせようと勢いづいてきた千葉県の教育界からは今後、片時も目を離してはなるまい。

副校長・教頭の時間外勤務の多さ浮き彫りに…千葉県調査 リシード 2024.3.22

 これはかなり以前から指摘されてきた事態である。何をいまさら…という感は否めないが、学校の危機的状況の一端ではあり、世間にも周知された方が良いのは確か。

千葉県の7年度教員選考 志願者数と倍率ともに過去最低 見えぬ妙案

 産経新聞 2024/6/26 18:34

 「令和7年度採用の教員選考試験の志願者は計4560人と2年連続で減少し、平成以降で過去最低を更新した。志願倍率も2・4倍で最低」だったらしい。当然の報いであろう。いよいよ千葉県の学校教育は自ら破滅に向かってまっしぐら…傍から見れば誰もが分かるほどに危機的な状況がこれまでも続いてきたのに県教委の対応は相変わらずトンチンカンそのもの。

 …県教委は今後、志願者増のため、「教員免許を持つが、民間企業に勤めるなど教職には就かない『ペーパーティーチャー(先生)』にアプローチしたい」(担当者)として、教職の仕事の魅力発信に力を入れる…というのだから驚き呆れるほかあるまい。教員志望者の減少を「教職の魅力」のアピール不足とする、陳腐な発想があまりにも情けなさすぎる。

 商品の品質が悪いのに誇大広告で買わせようとするが如き詐欺まがいの対策は直ちにやめた方が良いだろう。時間の無駄であるばかりか、それ自体、若者に対する犯罪行為である。進めるべきは見せかけの、偽りだらけの「働き方改革」ではなく、真の意味での「働き方改革」であり、教師が本来の職務の中心におくべき授業準備に専念できるだけの時間的余裕の確保なのだ。すなわち授業準備を除く大幅な職務の削減を抜きにして、一切の対応は意味をなさない。一体、いつまでこの不毛な茶番劇を千葉県教委は続けるつもりなのだろうか。厚顔無恥も甚だしい。

千葉で教員志願者減少 その背景は? 教育現場に余裕なく、ほど遠い理想像

 産経新聞 2024.6.26

 …管理職の男性は、教員志願者が減少する要因を「『ブラック』という現場のイメージが先行し過ぎている。確かに現場の負担は増えているが、『子供たちのために頑張る』という前向きな声があるのも事実だ…という。こうした現実離れした幼稚なレベルの分析しかできない管理職のいる学校に勤めたいと思う若者ははたしてどのくらいいるのだろうか…

 この管理職にとっては「ブラック」はあくまでマスコミが勝手に作り出した悪しき印象操作であり、一部の怠け者の教師たちの被害妄想に過ぎないらしい。この程度の貧弱な認識しか持てない管理職が千葉県には沢山存在している。だからこそ千葉県での教員志願者が減少し続けているのだが、こういう人たちはそれに気付こうとしない。あるいは気付かないふりをしている。

 …北総地域の小学校の40代女性教員は、現状について「児童のために何かしてあげたいと思っても、働き方改革で『早く帰れ』と言われ、報告書作成や保護者対応など最低限の仕事をこなす毎日」と、時間的な余裕のなさを嘆く…と記事にあるように、現状では表面を取り繕うだけの管理職による強制的な「働き方改革」が一層、現場の教師たちを圧迫している側面にも注目すべきだろう。

 一刻も早くブラックな学校の現状を変えていかない限り、教員不足による学校のさらなるブラック化は不可避である。しかしそのことへの認識を欠く管理職の存在が学校をさらなるブラックな世界に陥れている…それこそが千葉県教育界の大きな不幸の源なのだと思うが、いかがか。

若者に「教員になること」勧めたい日本人19%ワースト2位

  リセマム オピニオン 2023.9.22

まじめな教師を休職に追い込む4つの深刻問題 心の不調を抱えながら勤務する先生

 も多い 諸富 祥彦 : 心理カウンセラー    2020/06/16  東洋経済オンライン

文化部もブラック化「本末転倒」な部活動の実態 文化とは、教員とは忘れ去られ

 るその「本分」 2022.3/29(火) 8:02配信 東洋経済education×ICT

「82歳の講師」が教壇に立つ深刻すぎる教員不足 教員の自己犠牲で成り立つ公立学校

 は崩壊寸前 井艸 恵美,野中 大樹 2022/07/19 07:30 東洋経済オンライン

1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を

 持つ教員たち  佐藤明彦 2022/07/30 08:00 東洋経済オンライン

生徒の動画を撮る"問題教師"もクビにならぬ背景 深刻化する「教員不足」の影響が各

 所に 東洋経済オンライン 小林 美希 によるストーリー 2023.9.29

公立校教員の採用試験、数カ月前倒しを検討 成り手不足が深刻

 毎日新聞 2022/10/19 20:15

 こんな小手先の改善では教師のなり手不足の解消など不可能。教員不足への対応があまりにもその場しのぎの「泥縄式」。中には教員免許状も不要とする採用まで登場してきた。まるで教職の大安売り、たたき売りのような状況が各都道府県で一斉に始まったかのようだ。こんな対応で教師の社会的地位は向上するわけもなく、むしろ不祥事の多発を招くに違いない。そしてその尻ぬぐいはまたもや現場の教師に丸投げされるだろう。

 しかしパンドラの箱は開けられてしまった。この悪循環を誰がいつ、どのようにして止められるのか…絶望感だけが募ってくる。もはや公立学校のメルトダウンはまじかに迫っているのか…

参考動画

“良い先生”が、学校を壊す?|元校長・国会議員が語る教育現場のリアル【前編】 

 #7 東修平の対話チャンネル【公式】  2025/04/22  33:56

【問題提起】半径2メートルの教育観を壊せるか|元校長が、教育は宗教”と語

 る理由【後編】#8 東修平の対話チャンネル【公式】 2025/04/25  38:24

 高校教育の改革を主題とした記事や動画はこれまで極めて少なかったと思うが、いかがか。昨今の高校教育無償化を巡る論議によってようやく高校教育への注目度が高まってきたのだろうが、この二つの動画は高校教師にとっては貴重な動画だと考える。

 元高校校長の荒井氏の指摘の中で都道府県立高校の一部を市町村立にして地域社会活性化の核としていく案は極めて興味深い。公民館や小中学校、高校などが一体化して地域社会の核となれれば、部活動の地域社会への移管も進むだろうし、児童生徒の異年齢間の交流も活発化するだろう。また都道府県立高校が抱える均質化、同質化の圧力を低め、各学校の個性化、自由化が進むかもしれない。

 千葉県の公教育を変えていく上で大いに参考となるだろう。

㊱討論型授業のキモ

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・討論型授業のためのバイブル

 「子どもたちに民主主義を教えよう~対立から合意を導く力を育む~」

 (工藤勇 一・苫野一徳 あさま社 2022)

 この本さえ読んでおけば討論型授業への恐怖感、抵抗感は解消され、討論の本質的意義をつかめるはず。読みやすく、分かりやすいカッパ一押しの本。

 

・前提となる基本的スタンス

 現実の社会では今すぐに正解を見いだせない「不良設定問題」が多いことを前提に、敢えて論争を呼びそうな不良設定問題への思い切ったチャレンジを試みる。

 「VUCA」という用語が注目されてきているように現実の社会問題は学校のテスト問題とは異なり、正解が一つとは限らず、そもそも事前に正解が用意されている訳ではない。まさにVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)に満ちているのが現代社会である。

 そうした中で様々に異なる意見同士の粘り強いすりあわせを通じて、現時点での最適解を追求する討論型学習を行うとともに、生徒が自ら調べ、自分の考えを深めていくこと、そして各々が納得感の獲得できる個別化、個性化学習へと授業の軸足を移していくことが喫緊の授業目標となっている。

 

 これらの学習過程を通じて生徒、教師共に考え方の多様性に気付き、意見の異なる他者を尊重する姿勢を育むと同時に異常なまでに同調圧力の強い日本の硬直化した学校文化を徐々に相対化し、学校教育に一層の奥行きと柔軟性、多様性をもたらすことを目指していく。

 

参考記事

20年で7600の小中学校が廃校…統廃合巡り保護者や地域との合意形成に壁、

 文科省が事例集公表へ 読売新聞 2025.9.6

 …小中学校の標準規模は法令によって、それぞれ「12~18学級」とされるが、全国の小学校の4割、中学校は5割が下回る。文科省は、学校再編の手引で「児童生徒が多様な考えに触れ、協力し合う教育を行うためには、一定の集団規模の確保が望ましい」としている…とのこと。皆さんはこの文科省の考えをどう思うだろうか。

 今や小中学校での教育は一学級を20人以下の少人数にして教師の目がしっかりと一人一人に行き届きやすくし、学習の個別最適化を図るのが基本であると私は考えている。したがって現在の少子化の流れはこの少人数教育を実現させる上で絶好の追い風となっているはずだ。

 ところが国はこれまでもひたすら教育予算の削減を図るべく、少子化を理由にして学校の統廃合を推進してきた。その結果、少人数教育の実現は蜃気楼のようにひたすら遠のくばかりとなっている。

 学校で「児童生徒が多様な考えに触れ」るためには、日本の場合、児童生徒の意見表明の機会を劇的に増やすことがまず必要とされるだろう。そのためには当然のことながら少人数教育が実現できていなくてはならない。しかし国は相変わらず安価で効率的な多人数教育を理想としているのだ。

 おそらく多人数教育による画一的な一斉講義形式の授業こそが児童生徒に集団主義的心性を涵養し、協調性の豊かな国民を育てることにつながる、というのが老害政治家たちの本音なのだろう。児童生徒が「多様な考えに触れ」ることなどは実際にはどうでもよくて、それはあくまでも従順な国民作りという本来の目的をごまかすための口先だけの綺麗ごとに過ぎないのかもしれない。

 今も一学級35人体制すら徹底できていない劣悪な条件の下で、教師は文科省の指示に従って児童生徒の学習を個別最適化すべく奮闘努力させられている。おそらく国はICT化さえ進められれば学習の個別最適化はある程度可能だと踏んでいるに違いあるまい。しかしそれはあくまでも学力向上を目指すだけの手段であり、必ずしも児童生徒の個性や多様性の尊重を目指すものではない。

 児童生徒の意見表明権が小学校の現場に浸透するのは遠い先の事。実際には次の学習指導要領が登場する2030年以降の事である。しかし多人数教育の下でブラック校則や一斉講義形式の授業が残存するような現状では、今後も児童生徒の意見表明権など尊重されるわけがあるまい。「児童生徒の意見表面権の尊重」というフレーズもまた国民の目をごまかすための、ただの綺麗ごととして利用されてしまうのではないか。

 同質性が高く、同調圧力の高い社会は政府にとって極めて効率的であり、政治的な安定性を保てるがゆえに、日本の学校は安価で効率的な多人数教育の下、画一的な一斉講義形式による指導を通じて同質性と同調圧力の高い社会を今後も再生産しようとしている…実はそういうことなのかもしれない。

参考動画

【危険】今、日本人が自分の頭で考えられなくなっている理由

 曖昧な思考 2025/06/05  16:51

 面倒な事実関係の検証をサボり、深く考えることをしないまま、ただ単に周囲の空気を読んで大勢の意向に合わせることは簡単で楽な行為のため、省エネに走りがちな脳が自然に好む選択肢の一つであるだろう。敢えて意識的な努力を重ねなければ人は自分なりの思考を放棄しがちなのだ。したがって現代のSNS、ネット上にはびこる「思考の放棄」現象から自分を引き離すことは誰にとっても極めて困難となる。

 であるならばなおさら、高校生のうちから可能な限り周囲の空気に流されずに自分の頭で考える訓練を繰り返すことこそが今の日本で最も必要とされているように思えるが、いかがか。討論、議論を軸とする授業が生徒たちの自分なりの思考力を鍛える上で大いに役立つはずである。

 この動画はわずか一度の視聴で理解できるものではあるまい。解説を挟みつつ、できれば二度は繰り返してじっくりと視聴させたい。ただし「曖昧な思考」というチャンネルではかなりスピリチュアルに偏った内容の動画が数多く見られるので、宗教的勧誘の側面には要注意。したがってこれ以外の動画の多くは決してお勧めできない。

参考記事

乙武洋匡氏 ryuchellさんが「多様性は強要しない」と 「友達なんかじゃな

 かった。」と悔恨 デイリースポーツ によるストーリー 2023.7.15

 「多様性で大事なのは、強要しないことじゃないかな。自分はこう思うからあなたもわかって!ではなくて、なるほどあなたはそういう意見なのねって、まずは認める姿勢を見せること。相手にも自分にもどこまでやわらかくなれるかだと思うんです」

 多様性の尊重とはどういうことなのか、ryuchellさんが遺した言葉に耳を傾けたい。彼が討論の場でこのことを常に意識していたからこその、あのソフトな語り口調だったのだ。いつも討論する際には心がけたい金言。

参考動画

【コミュ障?】最近の若者が社会人になっても人付き合いを避ける理由…

 山田玲司の原作が10倍おもしろくなる解説【山田玲司 切り抜き】

  2022/06/07  10:25

 討論型の授業を展開するために最初に視聴させたい動画の一つ。相手の意見をしっかりと聞くことができる事と自分の意見を持ち、それを分かりやすく伝えることができる事がいかに大事か、まずは知っておきたい。そして日本の学校ではなぜ討論型の授業が広がらなかったのか、根付かなかったのかを考えさせたい。

【ファクトチェック】正しい情報を国が判断ってアリ?言論弾圧?民間企業に任せ

 るべき?ABEMA Prime #アベプラ【公式】2024/08/08  20:42

 討論の土台とすべき事実認識に一定レベルの思い違い、事実誤認が存在してしまう可能性を完全に排除するのはおそらく無理だろう。そしてたとえ多少の思い違いに基づく意見であってもその意見が全くの無意味であると決めつけること自体も実は間違いである可能性はある。そもそも私たちがある意見を持つために必要とされる知識はいつだってあまりにも不十分なレベルにとどまっていて、むしろ自分の意見を完全なものとみなすほどの知識を誰一人所有していないと心得るべきなのではあるまいか。

 日本の戦後政治はGHQやCIA、日米合同委員会などの働きもあって数多くの情報がいまだに国民には隠蔽されたままであると見て良いだろう。たとえば正力松太郎の戦後日本における役割とは何だったのか、その全貌を掴むことはおそらく今も不可能であると考える。アメリカの公文書館等に保管されている彼の関係資料には現在も黒塗りされた部分が少なくあるまい。同様に731部隊の全貌もすべてを白日の下にさらすことは未だに出来ていない。沖縄関係に限らず、日米間の各種密約の全貌もしかりである。それが極めて重要な知識であるにもかかわらず「ファクト」自体の多くがひどく限定されている日本のような状態では「ファクトチェック」もまた不十分なものにとどまるのは不可避である。当然、このような状態の下では政府側にファクトチェックを委ねることほど危険なことはあるまい。それは「知らしめず、依らしむべし」の愚民化政策を加速させるだけである。

 かつて動燃が原子力発電に関わる事故隠しを続け、国民の信用を完全に失ったように、日本政府もまた近年のモリカケ問題などに見られたゴマカシ、隠蔽工作を性懲りもなく繰り返し、国民からの信用をひどく失いつつある。こんな隠蔽体質に覆われた政府による検定教科書を教師が疑うことなく鵜呑みにして漫然と授業をして良いはずがない…という考えははたして極論なのであろうか。

 情報を発信する立場にある者はすべてファクトチェックの努力をすべきだが、誰であっても完璧なファクトチェックを期すことは不可能である。重要なのは乱立し、対立する多様な意見をただちに感情的に排除するのではなく、時間をかけて自説を検証し、出来る限り広く深く考え、とりあえず現状で探りえた事実、知識を用いて自説を補強していく事、ないしはより良い他説に乗り換える事。同時に自説と異なる各種の意見への理解を深めつつ、現状で考えられうる限りの反証を試みてみる…こうした地道な努力をすべての人がお互いに果てしなく続けていくことであろう。

 討論型の授業は以上のような観点からも高校での授業に積極的に導入されるべきだと考えるが、いかがか。

【議論の仕方】多様性を大事にしても議論はうまくいかないので、同質性を大事に

   しましょうということについて解説します

   謎解き統計学 | サトマイ  2024/06/28  14:23

   非常に面白い、かつ重要な観点を提示してくれている。ただし突っ込みどころが無いわけではあるまい。まずは生徒に視聴させて突っ込みどころの有無を問いたい。授業における対話型討論を有効に機能させていくために必要とされる重要な観点を生徒たちが見つけられれば極めて有意義な動画視聴に転換できる。

   個人的には差異、多様性よりも同質性に注目することで、一見対立する意見同士のすり合わせを実現する…これはスピーディーかつスマートな形で議論の収束、意見の統一を図ることを目的とするならば、当然の心構えと言える。しかしたとえ対立する者同士で目的、理念が共通していても、目的達成に至る方法論が異なればいずれにせよ自分たちの目的や理念に到達できない可能性はあり、まったく異なる結果をもたらす危険性すらあるだろう。方法論の違いの底には意外なほどに根が深い差異、対立点が潜んでいる場合は十分あると思う。それは民主主義をどう捉えるのかにも関わってくる重大な観点ではあるまいか。

 議論においてあらかじめ同質性を重視することも間違いだが、異質性を強調し過ぎるのももちろん間違いである。それは人としての遺伝子情報の同質性の高さとは無関係の話であり、社会のあり方を論ずるときには生物学や医学での学説を安易に当てはめて説明するのがそもそも筋違いなのである。

 日本社会における同質性の高さは、集団的作業での効率性の良さとなって高度経済成長期を実現させてきた重要な因子の一つである…このことはほぼ疑いえない事実だろう。しかし高度情報化社会においては組織の効率性のみならず、個の突出した力が問われる。常に周りを忖度し、個性をイジメの原因と見なして排除しがちな同質性過剰強要の日本社会で今、一番問われているのはやはり個性や多様性の尊重なのだと思うが、いかがだろう。

 今までの様に結論を急いで忖度を強要し、タイパ、コスパばかりを重視していると日本社会の息苦しさは強まる一方となるかもしれぬ。むしろタイパ、コスパを多少犠牲にしてでもじっくりと議論のすり合わせを続けていく努力が、少なくとも学校教育段階では切実に求められていると考えるが、いかがか。授業のタイパ、コスパを少しばかり犠牲にできる程度の、本当の「ゆとり」が今の青少年にはとりわけ必要なのではあるまいか。

 日本に限らず、世界の姑息な政治家たちはさも民衆に迎合するような政策を自分の理念、ポリシーとして掲げつつ、いつの間にか政策の実現方法や論点をずらして民衆の期待を根本から裏切る…そういった汚い技をこれまでも得意とし、長い事駆使しきたのではあるまいか。今や彼らの皮相な理念など信用する方が間違いなのであり、裏に秘めた彼らの本当の狙いに気付くべき時なのではあるまいか。

心理的安全性を高める。どうしたら皆が働きやすい会社をつくれるか?

 精神科医がこころの病気を解説するch 2024.1.16 11:45

 皮肉ではあるが今の日本の学校がどれほど「心理的安全性」が脅かされる場所となっているのか、なぜイジメがはびこり、不登校が多いのかがよく分かる動画となっている。相手の個性や多様性を重んじて時代の変化に柔軟に対応し、外部からの批判に学ぶような謙虚な姿勢があれば組織の心理的安全性は高まる、という指摘と真反対にあるのが隠蔽と自己保身に走り、画一的で管理主義的な今の日本の学校なのだと思うが、いかがだろう。

 当然のことながらこうした日本の学校文化においては、討論型の授業ほど根付きにくいものはあるまい。日本の場合、教師や生徒たちが活発に自分の意見を言えるような「心理的安全性」が極めて低いからである。しかしだからこそ討論型の授業を根付かせていく努力が必要なのであり、その努力こそが学校改革の中核部分になりうるのだと私は考える。

バカになるな!論破のテクニックで騙されてはいけない!【宇野常寛】

 たかまつななチャンネル 2022.10.10 22:50

 討論中心の授業とする場合、ディベートのような論争の勝ち負けにこだわる「ひろゆき」流あるいは「橋本」流の論破ゲームに陥らないような配慮が肝要となってくる。宇野氏の指摘する「スネ夫症候群」に要注意。基本的には討論の過程で多様な意見の創出をまずは目指すべきだろう。そして大勢の意見を聞くことを通じて多様な価値観がこの世に存在することの社会的意義を確認していく・・・それこそが一人でも多くの生徒を巻き込む、討論を用いた授業の最重要目標とされるべきだろう。意見の多様性を熱望する討論の場のあり方の中にこそ、ラディカルに「問いそのものを問い返す」可能性や問題解決に向けたオルタナティブで建設的な意見の創出に向かう可能性が胚胎するに違いない。従って教師は討論において決して議論を一つの結論に導いていくような誘導や断言をしてはなるまい。一つ一つの異なる意見が持つ様々な意味、意義を注意深く見出し、生徒達にもしっかりと気付かせていく事に教師は最大限の労力と工夫を払っていきたい。

 もちろん、議論の方向性が一定せずにあてどなく彷徨ってしまっては論点がぼやけてしまうので、ある程度構造化されたアンケートや発問計画を事前に用意してから討論に望むべきなのは当然の事である。

【心理的安全性】誰もが率直に意見を言える環境とは?組織改革を進めるカギ?超

 重要概念を学ぶ

 2022/05/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 24:20

 多様な意見を引き出すために必要とされる「心理的安全性」とは何か、理解できる。「心理的安全性」をまず確立しておかないと討論型授業は成立しないだろう。

【ハーバード大学准教授が語る】社会的に消す「キャンセル社会」の闇【ひろゆき 

 の妻&奥井奈南】 ReHacQリハック【公式】  2023/05/14  34:50

 多様な意見を引き出す上でキャンセルカルチャーの危険性に留意する必要があるだろう。

参考記事

Z世代に聞いた「理想の学校」──「居心地がよく、学びやすい環境が整っている」

    が半数超に【プレマシード調査】 EdTechZine 2025.9.27

 調査対象者数が600名と余りにも少なすぎてあくまで参考程度のことしか言えないが、以下の調査結果はぜひ記憶しておきたい。

 …「理想の学校の環境・コミュニティ」の条件を尋ねたところ(複数回答)、「居心地がよく、学びやすい環境が整っている(周辺環境・設備など)」(54.8%)がもっとも多い結果となった。「自分のペースで学べる」(54.3%)「相談しやすい教員や大人がいる」(44.8%)、「自由度が高い」(36.8%)がそれに続いた…

 さらに

 …「理想の学校の勉強」の条件を尋ねた質問(複数回答)では、「教え方がわかりやすく、やる気を引き出してくれる教員がいる」(50.3%)が最多となった。

以下「将来や社会につながる学びができる」(40.5%)「主体的に学ぶことができる」(34.8%)、「得意なことを伸ばせるカリキュラムがある」(34.7%)が続いている…

 とのこと。きわめて常識的な結果であるが、教師としては「学び」に必須の条件についてこの程度のポイントはあらかじめ弁えておくべきだろう。

多数派の考え方を変えるために少数派の人たちができることとは?

  【社会心理学】 ラブすぽ の意見 2023.6.22

 少数派の意見が多数派に影響を与えられるようになる条件として、少数派の意見が一貫している(多数派に阿らない)、他の論点では多数派の意見を持っている(ただの天邪鬼ではない)、多数派が現状に満足できず、改革を求めている、などがあるという。社会を変えていこうとする場合には大いに参考となる知見だろう。

 

 

 もちろん教科書を軽視するのではなく、重要事項の理解や暗記もある程度は要求しつつも、多様な意見を引き出し、多様な意見が飛び交う中で最適解を目指して粘り強く思考する対話的な力を養うことをより重視する。必ずしも多数派の意見を支持するわけではなく、少数意見にしっかりと耳を傾けることで多様性の持つ豊かさが担保され、すべての生徒が自己の意見表明をしやすくしていく・・・という目指すべき討論型授業への基本的スタンスを堅持する。

 

・討論型授業のキモ

 授業が十分に活性化しているならともかく、いきなり手を挙げさせて一握りの生徒に意見を言ってもらう展開は出来るだけ避けたい。討論や考える事自体を面倒くさがる生徒は多い。誰か一人が意見を言うと、他の生徒は自分なりの考えをまとめようとしなくなり、他人の意見に流されがちになる。教師には意見が出尽くすのを待つゆとりが必要である。

 意見が大体出揃った時にはA~Dどの意見に賛成か・・・などと生徒全員にそれぞれ挙手させて数を数え、その場でクラスの意見のあり様を類型化して確認させたい。

 ただしその際、マイナーだった意見の持ち主を見捨てない事が肝要。時にはマイナーな意見の背景や根拠を生徒全員で共有できるよう、深掘りしていくべきケースも大いに考えられる。

 当然、他の生徒から多く賛同を得られた意見が正しいとは限らない。むしろ多数派の意見がひっくり返るような、予想外の展開こそ、目指したい。もしもそのような展開になれば大成功。今後、多くの生徒が意欲的に討論に参加するようになるだろう。

 

参考動画

【天安門事件以来の盛り上がり】中国の言論統制と闘う若者たち 家族や仲間が拘束

 され銀行口座も凍結 [クロ現] | NHK  2023/09/14 9:46

 中国の若者たちの言論の自由を求める命がけの取り組みに対して、まず、どう思う

のか、生徒たちに問いかけたい。さらに、日本の若者たちに今、言論の自由が本当にあるのか、問いたい。

 特に李苹さんの「意見を持つことは国への最大の愛情です。希望を抱くからこそ声を上げるんです」という発言について深く考えさせたい。

 続けて言論の自由が成立する前提条件に付いていくつか列挙させたい。特に「情報公開」や「知る権利」をキーワードにして一歩踏み込んで深く考えさせたい。例として社会科の教科書で本当に自分の意見が持てるのかどうか、確認させよう。

 ここで「君が代」について歌詞の意味を問うのが良いだろう。

 そしてもう一度、日本の若者に言論の自由が本当にあるのかを問いたい。

ひろゆき、EXITアベプラ・平石アナはなぜ猛獣軍団をファシリテートできるの

   か? 新R25チャンネル  2021/04/26  9:00

 討論型授業におけるファシリテイターとしての教師の役割を考える上で大いに参考となる動画。

【論破ブームの危険性】アベプラ平石アナの「論破上手=優秀はテレビの世界だ 

 け」に若新雄純が本領発揮【前編】 新R25チャンネル  2023/06/07  29:52

【議論で重宝される人】「議論で熱くなってもなぜか愛される人」。アベプラコン

 ビ・平石アナ×若新雄純がたどり着いた結論 

 新R25チャンネル  2023/06/14 28:38

 討論の進め方、注意点がよく分かる。「ムキにさせる」「審判を下さない、勝敗をつけない」「多様性尊重」…

【誹謗中傷する人の心理】脳を惑わす3つのバイアス/SNSはロジックのズレだら

 け/ハーバード大学と日本の違い/脳は省エネモードで動く/違和感に向き合え 

 PIVOT 公式チャンネル  2023/05/20  35:51

 認知、認識における無意識のバイアスの存在と「中傷」、「攻撃的言動」の背後に潜む歪んだロジックを知っておかないと討論がただの論破合戦に陥ってしまう危険性が生じてしまうだろう。討論型授業を行おうとする教師にとって必見の動画である。

 

 したがって多数決にもっていくような展開は最悪ディベートはあくまで討論に刺激を与えるべく議論の導入時のみ、利用するだけ。一つの結論が欲しいわけではないので議論の勝ち負けや多数決は完全に無意味。特定の結論を出す必要もまったくない。あくまでも大切にすべきは、意見の多様性を確認させ、それぞれの意見の存在理由をできるだけ深掘りすること。

 

 またアンケート形式の質問用紙を多用し、口頭では発表できない慎重派や引っ込み思案の生徒の意見表明の機会をしっかりと保障すべきである。アンケート結果の集計と共に意見の一部は次回の授業で紹介する・・・などの工夫を重ねて生徒達の意見を一人でも多く、また少しでも多様な考えを引き出し、共有していくことを重視。アンケートの集計結果を公開する際にも少数意見に十分留意し、生徒たちが少数意見に注目するよう、繰り返し注意喚起しよう。

 アンケートへの回答を通じて生徒達が多様な意見の存在理由をしっかりと確認出来るよう、質問項目を工夫したい。同時に多様な観点によって混乱しがちな頭の中をスッキリと整理出来るような方向性を持たせた質問項目の内容と配列、組立て方を予め計画しておくと安心。これは相当難しい作業だが、議論の無秩序感を低減するためには事前に必要とされるものだろう。従って当然の事ながら教師側には議論のテーマに関する広い知識、深い理解が備わっているに越したことはない。

 

 ただし、十分な力が無い状態であっても討論型授業へのチャレンジは果敢にトライすべきである。何事も経験を積み重ねていかなければ前進できないはず。討論がアナーキーな状態のまま終わってしまう事は先生方の職員会議の場面ですら、普通に生じている。失敗は成功の本である。まずはトライあるのみ。

その4.不安や恐れと向き合う(後編)

 ※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 以下の「特集1~3」及び「5.ACTの考え方」、「6.自殺願望の強い人への支援」、「7.惨事対応への心構え」、「8.自死遺族の心理と対応」はカッパが使用したプリント内容の一部を紹介しています。

 

特集1.レーズン・エクササイズの具体例

 「ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1」伊藤絵美 医学書院 2016 より

①必要な物:干しぶどうの実を一粒、用意

②エクササイズの手順と留意点

 実を手に取って、眺め、匂いを嗅ぎ、掌の上で転がし、指でつまみ、口の中に放り込み、舌先で触れ、口の中で転がし、歯でかみ、かみ砕き、かみ砕ききったら飲み込む・・・といったように「レーズンを一粒食べる」という行動をスモールステップで少しずつ行いながら、その時の身体感覚を逐一ありのまま感じて描写していきます。同時に自動思考や気分、感情が生じたら、同じようにありのままに感じ、描写していきます。毎回20分間ほどかけてこのエクササイズを実施していきます。かなり細かく行動を分割しないと20分持ちません。しかもその都度、行動を止めて気分などを描写させるのですから、通常の感覚ではまだるっこしさを通り越してイライラしてしまうのがむしろ普通です。

 実は来談者のエクササイズへの反発や不満には大きな意味があります。多くの場合、来談者はこれまで自分自身の気分の波に対するセルフモニタリング(=メタ認知)がうまくできていないために繰り返し抑うつ状態に落ち込んでしまっていたと考えられます。

 このエクササイズの初期の段階でこうした反発や不満が生じたことをカウンセラーはむしろ評価してあげましょう。「めんどくさい」「イライラする」といった気分、感情、自動思考を来談者はしっかりと捉え、報告できるようになっていることに気付かせるのです。

 つまり、一見するとヘンテコなこのエクササイズのおかげで来談者はいつの間にか自分の心の動きに対してしっかりとしたセルフモニタリングができるようになってきたのです。「めんどくさい」というネガティブな表現であったとしても、思ったまま、感じたままをすぐさま表現できるようになることがこのエクササイズの最初の目的の一つであることを再確認しましょう。

 不満や文句を言いつつも来談者がこのエクササイズを続けていくと遅くとも10回目にさしかかる頃には様子に変化が現れてくるといいます。

 まず不満や文句がなくなってきます。スモールステップへのイライラ感がなくなり、逆にじっくりと時間を掛けてワークし、さらに多彩な感覚や感情を表現できるようになります。最後には「やっていて楽しかった」「20分があっという間だった」という感想まで出てくると当初の目的は達成され大成功。

レーズン・エクササイズに対するカッパの感想

 抑うつ状態にある人にとって「今、ここ」での自分の体験にしっかりととどまれるようになるには意外にも相当の時間と工夫が必要なのでしょう。来談者の多くは悲しい過去に深くとらわれ、将来への不安に日々苛まれているといいます。そのため「今、ここ」に生きている自分の、本来有るべき瑞々しい感覚を失いつつあるとすれば、このエクササイズの重要な意義が見えてくるはずです。

 抑うつ状態が深くなり、自殺直前の状態に至りますと特定の感覚が鈍くなるといった症状が出ることがあるとも言います。どんな料理を食べていても味気ない、どんな音楽を聴いても雑音のようにしか聞き取れない、どんな映画を見てもストーリーが頭に入らずちっとも感動できない、せっかく自然豊かな風景を見ても何ら美しさを感じない、退屈で重苦しいだけのモノトーンな世界。ベッドから起き上がること自体億劫で毎日が心身ともに鉛の如く重くドンヨリと沈み込んでくる・・・これではまさに「生き地獄」でしょう。私たちはつい「自殺するような人は心が弱いのだ」と捉えがちですが、五感が重苦しく鈍麻している状態が長く続いてしまったとしたら、果たして私たちは自殺への誘惑に皆、耐えられるでしょうか?

 うつ病患者はおそらく生来「心が弱い」のではなく、病的な症状として「心が弱くなっている」だけでしょう。原因と結果とをはき違えて「心の弱い人たち」と決めつけるようなうつ病患者や自殺既遂者への偏見は一刻も早く捨て去らなければならないと思います。誰もがうつ病になる可能性を秘めており、誰もが自殺する可能性を持っていることを支援者はとりわけ深く自覚する必要があるようです。

 レーズン・エクササイズが目指す、「今、ここで」生き生きと感じられる五感の活性化がどれほどに重要なものなのか、この箇所の記述だけでも十分、納得できると思いますが、皆さんはどう思いますか?

※なお伊藤先生のこの本は極めて具体的で分かりやすく、マインドフルネスのエッセンスを体感的に捉

 えることができる、特に女性向けのお薦め本です。ぜひ、ご一読ください。またレーズン・エクササ

 イズは学校によっては授業でも実践可能でしょう。

 

特集2.絵画の絵解きからマインドフルネスへ

 クリストフ・アンドレは「はじめてのマインドフルネス」(紀伊國屋書店 2015)の中で以下の絵に対してこう述べている。「なんと悲しげで憂いに満ちた顔なのだろう。疲れはてて、もう何もかもをあきらめてしまったかのようだ。おそらく、この老人は外でも眺めて気分を変えようとしたのだろう・・・」 

・・・以下、引用を続ける。

外の世界で起こっていることを見れば、いつまでもつらいことばかり考えずにすむかもしれないと思って・・・。だが、窓から顔を出したものの、結局、老人は外にあるものを何一つ見ていない。虚ろな目が見ているのは、自分の心だけ。心を占めるつらさや悲しみだけである・・・つらいことや悲しいことをくどくどと繰り返し考えていると、いつしか心は苦しみにからめとられてしまう。

 窮屈そうな窓は、あたかも老人の心が苦しみで動けなくなっていることを象徴しているかのようだ。顔をぴったりと囲む木の窓枠、金属とガラスで固く閉ざされた窓。さらに、窓のまわりは堅牢な石の壁で固められている。ここでは、老人を囲むあらゆるものが固まっている・・・

 絵は語りかけてくる。・・・つらいことを何度も考えていると、ほかに何も見えなくなって、心はつらいことだけで占められてしまうだろう。こんなふうに・・・。気をつけなければ、私たちは苦しみのなかに閉じこめられてしまうのだ・・・。

 では、苦しみにとらわれないために・・・いったいどうすればいいのだろうか?もしかしたら、その答えは、窓の下に置かれたガラスの小瓶に目を向けられるようになることが必要だ・・・。

 鍵は意識を広げることにある。意識が広がれば心のスペースも広がる。こり固まってしまった苦しみも、広い場所ができれば自由に動けるようになるだろう。

 そのための第一歩は・・・受け入れることだ。苦しんでいるという現実を受け入れるのである。「どうして自分だけ」、「こんなことは耐えきれない」などといった評価を交えることなく、ただ苦しみの存在を認め、「苦しみがあってもいい」と認めてやるのだ。そして、その苦しみがどんな思考をつくりだしているのかを観察してみる。

 とはいえ、・・・実際に苦しみと向き合うのはとてもつらいことである。考えただけで、不安や恐怖を感じてしまうこともあるだろう。そんな時は、やはりまず呼吸に集中するようにしてほしい。

・・・呼吸はいつでも私たちの支えになってくれるものだからだ。そして、呼吸に支えてもらいながら、抗うのでも巻き込まれるのでもなく、苦しみに向かって「そこにいてもいい」と穏やかに言ってみよう

 苦しみを受け入れることができたら、今度は心に苦しみ以外のものを招き入れてみよう。目の前の風景、周りの音、身体の感覚を意識してみよう。それから、心には苦しみ以外の思考があることも意識する。注意してみると、心の中では、苦しみだけでなくさまざまな思考が現れては消え、また現れては消え、ということを繰り返しているものだ。そこに気付けば、心はもう苦しみ一色ではなくなるだろう。

 そうやって苦しみ以外のものも入ってくることで、心のスペースは広がって苦しみは相対的に小さくなる。それはまた、心が苦しみから解放され、自由な動きを取りもどすことにもつながるだろう。

 そして、呼吸しながら再び苦しみを観察してみよう。時には、苦しみのなかを通り抜けていくイメージで、呼吸が苦しみにどんな影響を与えるのかを観察してみる。その途中で苦しみが意識の中心に戻ってくるかもしれない。だが、それは当然の事だ。苦しみに意識を占められてしまっても、またゆっくりと呼吸へと意識を戻すようにすればよい。根気よく続けることが大切なのである。 

 こういったことを心がけていれば、たとえ不安を感じても、その不安が心のなかで「絶対にそうだ」という現実に変化しないようにできるだろう。またネガティブな感情にばかりとらわれて、始終ピリピリしていることもなくなるだろう。中国のことわざもこう言っている。

 「悲しみという鳥が頭上を飛ぶのは仕方ない。だが、頭に巣を作らせるままにしてはいけない」

 苦しみというのは、執着すればするほど、永遠に続くのだと信じてしまいやすいものだ。だが、苦しみは永遠に続くものではない。そもそも永遠に続くものなど何もないのだから・・・。喜びも悲しみも、楽しいことも苦しいことも、すべては通り過ぎていくだけなのだ。マインドフルネスを実践していると、その意味が実感できるだろう。そして、苦しみや喜びと、これまでとは違った関係を築くことができるだろう。ゼロか百かではなく、移りゆくものとしてとらえることができるからだ。

 もちろん、それは「どうせ一時的なものなのだから」と投げやりな態度で関わるということではない。さまざまな思考や感情が心を通りすぎるさまを観察することで、どんなことであれ、できるだけ執着せずに受け入れることができるということだ。その時、人生はより味わい深くなり、私たちはよりよく生きることができるだろう…

 

 なかなかの名文だと思いますが、いかがでしょう。

 

特集3.マインドフルネスの簡単エクササイズの紹介

 すべて一週間を単位として行う。どれか一つのみを実践(「今、ここに意識を集中する練習」ジャン・チョーズン・ペイズ 日本実業出版社より)。いずれも今すぐに簡単にできるものばかりなので生徒に幾つか実践させてみるのも良いだろう。

「利き手を使わない」

 歯を磨く、髪をとかす、食事をするなどを利き手以外で試みる。できれば字を書くことにもチャレンジしてみるとよいが、慣れるまでは支障が大きいので全部の動作を試みる必要はない。利き手に絆創膏を貼っておくとこのルールを思い出しやすい。不器用な方の手で何かをやってみることで慣れっこになっている動作に対して意識が集中してくる。つまりこのレッスンを通じて今現在への意識を高めるだけでなく、禅で強調される「初心」に戻れる。日常的な動作に対して当たり前に思っていたことへのありがたさにあらためて気づくのである。たとえ日常的な行為であっても、それがスムーズに「できる」ようになるには何が必要だったか?動きがたどたどしかった幼児期に戻って確認してみよう。

 今、生まれたばかりのような、初々しいまなざしで色鮮やかな世界を見られるようになるために、もう一度、世界がすばらしく新鮮であることを感じるために、このレッスンを試みよう。

 すっかり慣れてしまって無意識のうちに自動的に動いてしまい、ただこなすだけとなっている日常的営為を敢えて不器用に試みる。そのことで何時の間にかロボットと化し、今を実感できなくなっていた自分に気づくはずである。

「木々に目をとめる」

 木の姿を丁寧に観察してみるとその複雑な形や様々な色合いに気づく。緑豊かな自然の景観を数分間眺めただけで、あるいは木々の写真を見ただけで血圧が下がり、筋肉の緊張がほぐれ、不安や怒りが静まり、苦痛が和らぎ、ストレスが減り、手術後の回復が早まることが確認されている。心が「自分が、自分が」という悩みのために固く閉ざされてしまうと、人は孤独感を覚える。心を開いて自分につながる多くの命に気づくことができれば寂しさは消えていく。

 忘れないで。あなたは木々をはじめとする無数の命によって支えられている。決して独りぼっちではない。生きていることの素晴らしさに目を見開いて外の世界をじっくりと眺めてみよう。心の騒音でかき消されていた鳥のさえずり、風の音が聞こえ始め、世界は生まれ変わったかのように生き生きと動き出すに違いない。その瞬間、あなたもその美しい世界の一員になれる。

「手を休める」

 一日に数回、両手を膝の上においてリラックスさせ、数秒間は静かな状態にして手の感覚に意識を集中させる。落ち着きのない人は手をじっとさせておくことが難しい。しかし両手をしっかりと休ませると、体全体も心もリラックスしてくる。普段の手は忙しい。せわしなく動いている。何かをつかむため、何かを触るため、何かを指さすため…手はあなた自身である。手の動きを止めて一度、動作の目的から手を解放してみよう。自分の手の重さ、手のひらの温かさ、膝の上の触感に注意を向けてみよう。

「バカ歩きをしてみる」

 気持ちが落ち込んだり、いらだったりしているとき、後ろ向きに歩く。あるいはスキップしたり、片足で跳ねてみたりする。この練習によって「自分を軽く見る」ことを学ぶ。自分の軽さ、愚かさに気づくと多くの可能性が一斉に花開く。人のわずかな違いに目くじらを立てて見下している傲慢な自分の心を笑ってみよう。馬鹿なことをしている自分を受け入れよう。私もあなたも同じ生き物に過ぎないことに深く感謝しよう。

「高いところを見上げる」

 何度か意識して高いところを見上げる。部屋の天井、高いビル、木の梢、丘や山の頂、空などを見上げ、2、3分間じっくり眺める。視野を広げることで狭い世界に閉じこめられていた心を解放して、ストレッチや屈伸運動をさせてやる。

 「自分が、自分が」という息が詰まるような小さな世界の扉が開き、世界の広がりを感じる。雑念の牢獄に心を閉じこめてカチカチに固めてしまわないように、伸びやかな外界とつながろう。思い切り深呼吸してみよう。

 

5.ACTの考え方

 アクセプタンス(受容)とコミットメント(関与)を柱とする治療法。認知行動療法の第三世代に属する(マインドフルネスと近い)。負の感情とは戦わない、否定しない。すべて受け入れる。→自殺自体も受け入れる

 従って「自殺は良くないこと」と教え諭すのは禁物。価値あることに積極的に関わる→負の循環から抜け出せる。

 ここがマインドフルネスと少し異なる観点。深いうつ状態の人は他人を愛する力が足りない。社会への関心が薄い。このため孤立・引きこもり→自己嫌悪・自己否定→うつ状態の悪化・・・希死念慮の増大、という悪循環に陥りがち

 →自己受容が先決、その後、社会的価値に関与するよう仕向ける。

※参考文献:

「うつのためのマインドフルネス&アクセプタンス・ワークブック」

  K.D.ストローサル、P.J.ロビンソン 星和書店

「セラピストが10代のあなたにすすめるACTワークブック」

  ジョセフ・V・チャロッキ他 星和書店 2016

 

マインドフルネスとACTとの関係

・両者に共通する治療の大前提:「Creative Hopelessness」すなわち苦を取り除

 こうとするシステムを手放すことから始まる。「思考や感情をコントロールできれ

 ば問題解決できる」という発想から抜け出すことが前提。負の感情や思考、記憶を

 統御したり、除去しようとしてはならない。「観察」し「アクセプト」する。

・一度うつ病に罹患した人は「抑うつサイクル」(抑うつ気分→ネガティブな記憶、

 思考、感情→自己嫌悪)にはまりやすく再発しやすい。またうつ病者はネガティブ

 な思考や感情、記憶を「反すう」することで「抑うつサイクル」を持続させてしま

 いがち。したがって「抑うつサイクル」が動き出す初期の段階で今この瞬間の思考

 や感情の動きに敏感になるよう仕向ける両者の治療法は「抑うつサイクル」の始ま

 りに気づかせることにつながり(メタ認知的気付き)、再発の芽を早めに摘み取る

 点で再発防止に効果的。

・ACTは価値への関与のタイミングを誤ると治療の大前提が崩れてしまい、フュー

 ジョンをもたらす危険性がある。しかしタイミングさえ誤らなければ引きこもりが

 ちなうつ病罹患者の社会復帰と再発防止に大きな効果が期待できるのでは。

 参考文献:「ACTハンドブック」武藤崇編 星和書店

 

6.自殺願望の強い人への支援

①自傷行為(リストカット等)をするのは自分に注目してもらいたいからであって決して本気で自殺しようとは思っていない・・・というのは大変な誤解。自傷行為の経験者が自殺する可能性は自傷行為のない人と比べて数百倍も高く、周囲の人が自傷行為を軽視して放置したり、自傷行為を繰り返す人に対して苛立ちを感じてしまう状況は極めて危険。

自殺念慮の有無を周囲が気づけることは滅多に無い。自殺直前、いつになく悟りきった穏やかな表情を見せるケースすらあり、精神科医でも気づけない場合がよくある。少しでも気になることがあったら支援者は「今、死にたいと思っていますか?」と遠慮せずに直接、本人に確認したほうが良い。

③自殺は悪いことだ・・・と説教することはマイナス。最初に希死念慮があることを告白してくれた事へ感謝。自殺という行為に対してはあくまで中立の立場を保つ。死にたいほどに辛くなっている本人の気持ちにひたすら耳を傾ける。最後に辛い気持ちを抱えてきたのにこれまで自殺に至らなかった原因について質問し、一緒に考えてみる。最後まで寄り添っていくという姿勢を伝えたい。

自殺を本気で考え出した人は周囲の人に陰性感情を抱かせる言動をとることがある。つまり「助かりたくない気持ち」が強まってくることで支援者の助言や指示に従わない挑戦的な態度をとるケースも。本人は無力感が深まっている一方で他人から指図されたり、支配されることに強く反発し、「手に負えない」という感覚を周囲に与える事も。

 →本人だけでなく家族や支援者への支援も大切。支援者が一人だけで抱え込むのは極めて危険、最悪の事態を招きかねない。複数とチームを組むつもりで臨むべき。

論理的な説得、安易なアドバイスや励ましは逆効果。自責の念や無力感は否定せずに受け止める。←思考力の低下・裏読み

⑥傾聴やラポールの形成だけでは不十分→まず「味方」として寄り添う

⑦好不調の波、表面飾り、はしゃぎ系ストレス発散へのしがみつき、

 「荷下ろしうつ」→症状の進展が読みにくいので要注意

⑧出来事の細部を聞くのは辛いことを思い出させるのではないかと思いがちだが、実際はそのことを誰にも話せなく、一人で思い返して苦しんでいることが多い。尋問調は禁物だが時系列に沿って詳細に語ってもらう→体験に寄り添う、認知の歪みに気づく

⑨自殺の防止を最優先するならば、無力感の低減を第一目標。「休養」「受診」「環

境調整」を軸に対処

 ※参考文献「総論:死にたいの理解と対応」松本俊彦 こころの科学 No.186

      「自傷・自殺のことがわかる本」監修松本俊彦 講談社

      「クライシス・カウンセリング」下園壮太監修 金剛出版

 

7.惨事対応への心構え

 惨事後のクライアントの辛さは急性ストレス障害やPTSDの中核症状である回避(感覚の麻痺、記憶の欠如、飲酒・・・)、侵入(フラッシュバック、悪夢・・・)、過覚醒(不眠、イライラ・・・)といった表面に現れるものだけではなく、こうした症状に驚き、自分が壊れてしまったと自信を失い、不安が強くなること。また悲惨な出来事の原因に自分も関わっているのかもしれないという自責の念の苦しさ。自分が信じてきた世界のルールが崩れてしまって、将来が読めないと感じる無力感。自分だけが弱く壊れてしまった・・・誰にも理解されず、守ってもらえない(孤立感)・・・だったら死んで終わりにしたいという思考が生じてしまうこと・・・

 ※「クライシス・カウンセリング」下園壮太監修 金剛出版より

 

8.自死遺族の心理と対応

 「自殺で遺された人たちのサポートガイド」(アン・スモーリン、ジョン・ガイナン 明石書店)によると自死遺族は・・・

・「死別の悲しみと抑うつのほかに、罪悪感ゆえの自責や、羞恥心ゆえの消極性、何

 かを失ったことに対するやり場のない怒りを感じる」    →すべて自然な反応

・「互いに矛盾したつらい感情が奏でる不協和音の底には、なぜ?なぜ?なぜ?とい

 う終わりなき嘆きが響いています」  →原因追及は不毛

・衝撃的な体験を忘れたいにもかかわらず、安らかな眠りを妨げる悪夢を見、その出

 来事を再体験してしまうでしょう。・・・日中は集中して何かを考えようとしても、勝

 手に侵入してくる記憶に邪魔されます。  →急性ストレス障害

・・・普段の作業をこなす能力は損なわれます。また、ほかのことに情緒的反応を示す能力も弱まります。他者との間に距離を感じるでしょうし、他者と親しく関わることが以前よりずっと難しくなり、ひとりきりで嘆き悲しむことが非常に多いものです。 

  →「あなたは一人ではない」

 「自殺で遺された人たちのサポートガイド」の§3及び§13は特に示唆に富む箇所なので以下、要約しておきます。

第3章「罪悪感」

 「自殺を防ぐために、自分は何かできたはずだ」・・・こんな思いほど苦しいものはない。自殺という行為を自分なりに納得するため、故人の心情や動機を理解したいという、当然にして切なる願いと強くつながる問いであるため、この自問自答は際限なく続いてしまう。

 しかし、納得できる答えはいずれにせよ永遠に見つからないだろう。もちろんサバイバー(=自死者の親しかった関係者)側に自殺に関わる責任が多少あるケースもあるに違いない。しかし自殺の原因は複数有るはずであり、そのうちのどれとどれが決め手になったのかは誰一人として知るよしもない。サバイバーのちょっとした心ない言動が自殺の直前にあったとしても、それが自殺の決め手になったとは限らない。

 多くの場合、自殺の決め手は長期にわたるうつ病と薬物であり、これらは専門家の治療を受けていたとしても完治し難いものであり、そもそも素人が手に負えるものではない。たとえ故人の不幸に多少とでも関わっていたとしても気に病むことはない。

 誰もが完璧ではありえないという、当然の自己認識に依拠すべきである。サバイバー自身が自分を欠点のある普通の人間として自覚し、自分を赦せるようにならなければ回復への途は閉ざされたままになる。

第13章「回復―前進すること」

 「時がすべての傷を癒やす」という格言は必ずしもサバイバーには当てはまらない。回復には時間が必要だが、時間だけでは不十分。また故人の自殺の理由を追求しても不毛に終わるだろう。専門家ですら決定的な原因は説明できないからである。いつの日にか、犯人捜しや原因探しを打ち切り、罪悪感や怒りを手放す必要がある。

 悲しみ続けることにも限度がある。悲しむことと愛することとは違う。自殺の直後に悲しみに暮れるのは当然のことであるが、何年もの間、悲しみ続けるのは不毛である。故人を深く愛しているが故に、自分が苦しみ、悲しむのを止めることが大切な人への裏切りに思える。しかしそれは間違っている。

 あなたが愛していたのは故人との悲しい場面だけではないはずである。楽しかった場面もあったはずであり、それらを思い出すときは喜ばしい気持ちが湧いてくるだろう。だからといってそれを不謹慎だ、愛情が足りない、と自己批判するのは不毛である。感情の落ち込みの深さだけが故人への愛情を証明するわけでは無い。こうした一方的な思い込みはサバイバー特有の症状に過ぎない。

 「自分自身のことや、自分に起きた出来事のことばかり考えるのをやめ、ほかの人のために何ができるかを考えられた時、自分が真に回復していることがわかるでしょう」「自殺は大切な人自身の選択だった-そう認められる時が、ほかのサバイバー同様、あなたにも訪れることを私たちは願っています」「本人がこれを最善の解決策だと確信していたということは認められるはずです」「苦しむ心は、死が与えてくれるかもしれない安らぎを欲する時があるのです」

 もちろん自殺を肯定することは出来ないが、かといって否定も出来ない。不完全な知識しか持たない我々はその判断を留保していくしかない。回復過程の最後の曲面では故人の自殺という認めがたい過酷な現実をサバイバーはあくまでも価値中立的に厳粛に受け入れていくより他ないのである。

※動画「受け入れるという生き方」の講演内容と重なる部分があると思います。

 

補足資料

・自死遺族への偏見(→「自死は、向き合える」杉山花 岩波ブックレット)

 イギリスやアメリカのようなキリスト教社会では自殺を神の教えに背く犯罪的行為として厳しく罰する風習が続いていた。イギリスでは1823年まで法律で自殺者の遺体は冒涜され、墓地ではなく、十字路に埋められなければならなかった。さらに1870年までは自殺者の遺産はすべて国王が没収することになっていた。アメリカでも20世紀まで自殺は違法行為とされていた。

 自殺は個人に属する問題、身勝手な死として、今なお認識されている。そうした中で、4人に1人の遺族が「死にたい」と答えるほどに、生活に憤りや生き辛さを抱えなければならないのであろう。

 もうひとつ、注目すべきは自殺のサインについてである。「故人が自殺のサインを出していた」と思う人は 46.2%に対し、当時から「それがサインだ」と思った人はその内の20%にとどまったのは、「自分のせいだと思う(直後)」と 47.5%の人が回答した事とリンクしているのではないだろうか。過去を振り返った時に、故人からのサインとして様々なことが思い返されるが故に自責の念は強まってしまうこともある。その意味で、自殺のサインは遺族を苦しめるひとつの材料でもあるのかもしれない。

 加えて、自殺予防とは自殺を防ぐと同時に遺族を苦しめることになる可能性もあることに触れておきたい。自殺予防が注目されるほどに、助けられなかった自分を再認識し、行き場のない思いが巡ることもある。その意味で、自殺予防と遺族支援は一体となって進むべき課題であることを忘れないようにしなければならない。

 

・コロナ禍での若者と女性の自殺率の増加

Q.最近も若者、特に女性の自殺が多くなっていると言われますが、その原因は何だと

 思いますか?

 2020年にコロナ禍が世界中で拡大する中、飲食業界や旅行・観光業界、芸能界等は政府から十分な補償も無いまま自粛を迫られ、苦境に陥った企業、自営業者が数多く出てしまった。そうした中でコロナによって有名人が亡くなり、さらに著名な俳優達の自殺をきっかけに、自殺者が急増し始めた。2020年は前半まではむしろ例年よりも自殺者が非常に少ない状況だったが、6月の若手男優の自殺を境にして反転し、7月以降、自殺者が急増してしまったのである。

 これはもちろんコロナ禍の長期化によるストレスの蓄積と各種自粛による不況との相乗効果が主因と考えられるが、マスコミ報道のあり方も厳しく問われるべき側面があった。WHOはこれまでもマスコミによる著名人の自殺に対する過剰な報道が自殺の連鎖反応を生み出す「ウエルテル効果」の可能性を踏まえて報道への規制を繰り返し訴えてきた。まず2000年に学校関係者及びマスコミに対して著名人の自殺に関しての慎重な報道と過度な報道を控えるよう、要請。2008年にはその改訂版を公表し、自殺の手段や場所の詳細な報道をしないよう要請している。さらに2017年にも最新版のガイドラインを発表している。要するにWHOは自殺の手段や場所等の詳細で具体的な報道は厳しく規制する一方で、自殺を考える人達への相談機関の紹介を必ず報道する等の国際的ガイドラインを幾度も示していた。

 実際、日本では1986年4月、当時、人気絶頂だった岡田有希子さんの飛び降り自殺を凄惨な写真付でマスコミ各社が報道してしまった。その後、若者の後追い自殺が相次いでしまう(50人ほどと言われる)という苦い経験を既にしている。ところがその後も日本の著名人の自殺報道はWHOの規制に沿ったものとは言えなかった。2020年6月の若手男優の自殺に際しても場所や手段が分かるような、過剰な報道ぶりが見られた。そしてやはり8月、9月と自殺者は特に若者、女性を中心に急増してしまった。9月27日、ようやく厚生労働省は重い腰を上げてWHOのガイドラインを報道関係に示してその遵守を要請。ちょうどその27日に有名女優の自殺が発生し、ようやくその後の自殺報道はWHOの指針に沿ったものが多くなったが、それでも一部にガイドラインに沿わない報道が見られた。結局コロナ禍が長引いたこともあって10月以降も自殺者は例年よりも多い傾向が続いている。

 2021年に入っても若者、特に女性の自殺者が増え続けている中、2月12日に菅義偉首相は坂本哲志一億総活躍担当大臣をコロナ禍で深刻化する孤独・孤立問題を担当するよう指示。世界では二番目、イギリスに次いで孤独・孤立担当大臣を任命した日本政府だが、この大臣自身がこれまで失言、失態続きで若者問題や女性問題、自殺問題、引きこもり問題には全くの素人。むしろ若者や女性の心理にどこまで理解があるのか極めて疑わしい70歳という高齢の男性、という最悪の人選であった。この、ただ「やってます」感を演出しただけの見せかけ政策は当然のことながら自殺の抑止にはほとんど効果を見せること無く、現在に至っている。

 これまでの自殺問題や引きこもり問題、若者の貧困問題に対しての見せかけだけの無策ぶりに見られた政府の意欲・関心・能力の低さもまた日本が若者、女性の自殺増加を止められない大きな一因と言えるだろう。結局は自殺問題やコロナ禍への救済政策よりもオリンピック開催を優先した安倍内閣、管内閣とオリンピック報道に狂奔する一方でWHOのガイドラインを守ろうとしない金儲け主義のマスコミの責任は極めて大きいと言うほかあるまい。

参考動画

【自殺防止】電話相談で“死にたい”の声に向き合う若者たち 年間2万人以上が自

   殺【大阪】 ABCテレビニュース  2022/08/30  15:18

【自殺防止】「死にたい」の声に向き合う若者たち 悩みを抱えながら相談員の道へ 

   元相談員の東留伽アナが密着【newsおかえり特集】

   ABCテレビニュース  2023/08/30  16:38

 二つのABCテレビニュースの動画は自殺相談に取り組もうとする若者を通じてカ

 ウンセリングの基本をコンパクトに学べる、ズバリ、高校生向けとしてイチオシの

 動画。二つとも視聴すればとりあえず知識としては定着するだろう。

【自殺未遂】「生きていて良かった」当事者女性の思いは?パパゲーノ効果とは?

   大空幸星と考える|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/03/08  34:52

 自殺未遂者へのアプローチがこれまで不十分だった点に気付く。パパゲーノ効果を期待する上でも未遂者の言葉に耳を傾けたい。同時に自殺未遂者が年間に50万人以上も存在する日本社会の闇から目を逸らしてはなるまい。

【生きるという選択】自死遺族と未遂女性の苦悩とつなぐ”命”

   大阪NEWS【テレビ大阪】 2023/09/16  10:21

【ワイドショー】娘を亡くした両親の悲しみコメントは必要?テレビ報道は人を傷

 つける?過度な報道の境界線を番組プロデューサーと考える|#アベプラ《アベマ

 で放送中》2021/12/25 ABEMAニュース【公式】 24:28

 まず見直すべきはマスコミによる有名人の自殺報道のあり方。

【自殺相談】大空幸星「死んでもいいけど、死んじゃダメ」

 ABEMA 変わる報道番組 #アベプラ【公式】 2022.10.18 15:20

【子どもの自殺】いじめよりも多い原因は?勉強や家族の悩み?「学校にいかなくて

   もいい」は正解?大空幸星と考える|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/08/22  21:26

相談相手は「お母さん」という若者が増える真因 友達と安定した関係を築けないZ世

 代の憂鬱 東洋経済オンライン井艸 恵美 の意見 2022.12.6

 「相手との関係を失う怖さから空気を読むことを最優先する一方で、何でも話せる

 関係性を求める傾向」がZ世代に見られるという指摘は非常に重要。

参考記事

精神科医「どれだけ研究しても自殺は減らない」…調査でわかった自ら命を絶つ人が

    直前に考えていること 

    プレジデントオンライン クリスティアン・リュック 2025.9.26

 自殺は専門家ですら未だに予想不能の現象であり、専門家でもない遺族が必要以上に悔やんでも仕方ない、という現実に向き合いたい。

「大多数の精神科医は投薬の専門家に過ぎず、精神療法は独学」...和田秀樹氏も驚

   愕した「日本の心療内科」の「ヤバすぎる実態」

   現代ビジネス 週刊現代 によるストーリー 2024.4.16

 若い人へのSSRIの投薬には自殺への危険性が伴う、という指摘に注目。精神療

 法に通じていない医者ほど投薬治療一辺倒になりやすく、それが治療や入院期間の

 長期化につながっているようだ。さらに日本の精神医療行政の杜撰さは古くから指

 摘されてきたが、いまだに十分な改善をみていないとのこと。

  能力が低い医者ほど結果的に患者を長期間抱えることが出来るために患者を見放

 さずに「親切で丁寧」な好印象を与えつつ、診療報酬も安定的に確保できる傾向が

 見られるという指摘にも注目したい。悪徳病院の存在を許し続ける日本社会の背景

 には精神科の診療報酬システムの欠陥があり、精神病患者への社会的偏見がほとん

 ど払しょくされないままである点も見逃せまい。

  多くの生徒たちにはあまり知識のない分野ではあるが、日本の自殺率の高さを考

 えるとこの問題を積極的に取り上げていく必要は大いにあるだろう。

精神科看護師「違法な身体拘束を強要されてうつ病」、東京地裁が労災認定…「発

 症は業務が原因」 読売新聞 によるストーリー 2024.4.15

 介護施設、障碍者施設でも横行している虐待事件の背景には何があるだろう。ぜひ

 生徒たちに考えさせたい。

PTSD発症メカニズムを解明、治療薬に道筋…東大などチームが関係遺伝子を特

   定 読売新聞 によるストーリー 2024.3.3

   心の問題を脳のメカニズムの解明により解決していこうとする現代の精神療法の方

 向性がよく分かる記事だろう。

「うつ病」はどのように遺伝するのか…「日本の研究者」が世界で初めて発見した

   「その仕組み」 現代ビジネス 近藤 一博 によるストーリー 2024.3.30

 うつ病がウィルスによって母子感染するメカニズムの一部が判明。うつ病治療においても遺伝子レベルの治療法が研究されているとのこと。

うつ病患者の脳では何が起こっているのか…最新の研究でついにわかった「危険因

   子」現代ビジネス 近藤 一博 によるストーリー 2024.3.4

   セロトニン仮説が支持されなくなってきた一方で炎症性サイトカインという物質が

 うつ病の原因として疑われ始めている。今後の研究動向に注目したい。

「うつ病になりやすい性格の人」が、じつは会社にとって重要な存在であるといえ

   るワケ 現代ビジネス 近藤 一博 によるストーリー 2024.3.10

 「うつ」を常に否定的に捉え、撲滅の対象とするような発想は危険であり、かえっ

   てうつ病患者やうつ傾向の人々の自己肯定感を下げることにつながるだろう。「う

   つの現実主義」が組織の崩壊を予防するプラスの効用を持つことはこれまでも指摘

 されてきたことである。逆に下手なプラス思考はかえって組織に大きな危険をもた

 らすこともあるのだ。この観点は「うつ」を授業で扱う際には「うつ」への偏見を

 解消する上でも必ず紹介すべきものだろう。

朝日新聞デジタル:児童生徒の自殺、最多の479人 昨年、休校明けに突出 

 伊藤和行 2021年2月15日 18時39分

【認知行動療法の世界的権威が明かす】一瞬にしてあなたをネガティブ思考から解

 放する11ヵ条  DIAMONDOnline 星 友啓 2022/11/06  

老化にも影響!「頭の中のひとりごと」危険な正体 「考えすぎる人」は人生を台無しに

 してしまう 東洋経済オンライン イーサン・クロス 2022.12.31

 

参考動画

自死遺族に寄り添うことについて語ります。

   精神科医・肉q  2022/09/02  9:03

   自死遺族の心理と対応について簡潔にまとめられており、参考になる。

【自死】防ぎにくい意外な理由についてお話しします。

   精神科医・肉q  2023/07/28  10:13

   自殺してしまう人に対する二つの誤解については知っておいた方が良い。

「精神医療」崩壊 メンタルの不調が心療内科・精神科で良くならない理由【著書紹

 介もあり】 和田秀樹チャンネル 2  2024/08/10  10:45

 日本の精神医療の遅れがどこに起因しているのか、解説されているが、ここで指摘されている事の多くが日本の学校教育の遅れとほぼ同じであることが察せられる。

【自殺自死】「生きたい思いが綴られていた」友人を亡くした女性が語る葛藤と後

 悔とは?家族と比べて明かしにくい友人の死 命を繋ぐため考える|#アベプラ《ア

 ベマで放送中》 2021/09/01 ABEMAニュース【公式】 19:43

 視聴時間は多少長いが、是非、自死者遺族の問題にも注目させたい。

「うつ」から回復した人の特徴 

 精神科医がこころの病気を解説するCh 2022/01/06  7:54

 ウツが寛解したときどういう状況になるのか、どういう自分になれるのか、ゴールを知っておくと治りやすい、というのは重要な知見。

【廊下が波打って襲ってくる】統合失調症の症状、社会復帰、すべて語ってもらい

 ました。【松本ハウス たかまつななチャンネル 2022.5.30 36:11

 統合失調症の概要を知る人はかなり少ないのではないか。100人に一人の割合で発症する脳の病気であり、決してレアな病気ではない。自殺に至るケースもあり、通院と投薬治療を要する病である。ただし近年、新薬の登場により寛解に至るケースが増えてきている。ところが犯罪や自殺、長期の引きこもりに発展してしまうケースばかりが報道されるせいか、残念ながらこの病気に対しては多くの健常者から不気味がられる傾向が続いてしまっているように思える。統合失調症が当人の心構えの問題ではない事だけでもせめて周知されるべきだろう。相方の対応が非常に素晴らしい。統合失調症の人とどう付き合っていけば良いのか、大いに参考となる動画である。思春期に発症するケースがよくあるので教師ならば教科の枠に囚われず、ぜひ多くの方に視

聴していただきたい。

知る痛み、について解説。治療を受ける抵抗感について 

 精神科医がこころの病気を解説するCh  2022/02/12  17:55

「知る痛み」について知ることの重要さと治療抵抗性の強い人の心理が理解できる。

心傷ついた人と接する上で、支援者側がうつにならないために心がけること。#早

 稲田メンタルクリニック #精神科 医 #益田裕介2022/04/10 精神科医がここ

 ろの病気を解説するCh 15:54

 次の動画も含めて支援に携わる教師必見。

自分だけの空間をつくる。相手と適切な距離を取る方法 

 精神科医がこころの病気を解説するCh 2022/04/15  13:41

双極性障害はいつまで薬を飲まないといけないのか? 

 精神科医がこころの病気を解説するCh  2022/05/04  7:52

 10代、20代で発症することの多い双極性障害は自殺率が10%を超えるほどに高く、再発率も1年後には90%を超える高さであり、場合によっては一生、薬を飲み続けなければならないほどに厄介なものである等はぜひ知っておく必要があるだろう。

うつ病と間違って診断されることもあり、長期にわたって治療を続けていても改善の兆しすら見えないようなケースでは双極性障害を疑った方が良いかもしれない。双極性障害であっても「躁状態」が目立たず、「うつ状態」ばかりが目に付くタイプがあり、誤診を招きやすいという。

【ハーバード流メンタル回復術】ポジティブ思考で自己肯定力を高めろ!【キーワ

 ードはトトロ!?】 2022.10.4 日経テレ東大学 53:15

 コロナ禍における不安との向き合い方を脳科学から解き明かす内田氏の極めて明快な説明は感情と身体や精神との関係性を理解する上で大変役立つ。特に特定の人々が日常的にさらされている「マイクロアグレッション」という言葉の意味するところに注目したい。一定の固定観念から生み出されたフェミニストや同性愛者などへのSNS上での激しい誹謗中傷の背景に潜む中傷される側の心に蓄積されている不合理への怒りにも理解は必要。「ドラえもん」のしずかちゃんに見られる固定的な女性像への違和感に気付けるのかどうかが問われるだろう。また子供の自己肯定感を高めるヒントが「となりのトトロ」に登場するさつきやメイの父親の言動に沢山みられる、という指摘にも納得。「親ガチャ」の弊害を低減させるのが公教育の大きな役割なのに、学校がそこでも機能不全になっているという指摘は痛烈。「未来と自分は変えられる」信念を保持しつつ、過去へのラディカルアクセプタンス」(変えられない過去を抑圧せずありのままに受容することではじめて保てる、自分と未来に対して前向きで建設的な心構え)を持つことが今の学校教育には強く求められているのだろう。

田中優子さん「言葉にできぬ思い伝えるため、本を読む」、宮台真司さん「安らげ

 るホームベースが完全消滅した社会のキツさ」(司会 尾形×望月) 

 The News 7/10  スピンオフ Arc Times   2023/07/21 12:15

 交換可能な「イット」からかけがえのない「ユー」へ、無条件に受け入れてくれる「ホームベース」の再構築へ、日本社会は向かうことが出来るのか。

参考文献

・「コロナ下における自殺~現状と対策の方法~」上田路子 臨床心理学125「自殺

 学入門~知っておきたい自殺対策の現状と課題~」金剛出版 2021

 2020年の傾向として女性の自殺者数が前年よりも935人(15.4%)増えたことと、若者、特に小中高生の自殺が499人となり、1980年に統計を取り始めてから過去最高を記録。とりわけ女子高生は前年の80人から140人と激増し、その時期は8月以降に集中。若い女性の自殺が増えた原因としてコロナ禍での自粛で打撃を受けた観光業や飲食業等の従事者に女性が多く、かつ非正規雇用が多いために経済的な打撃を強く受けてしまったことが挙げられる。もう一つは著名人の自殺報道であり、著名人の自殺報道が繰り返された7~8月と10月に昨年度の同じ月よりも大幅に自殺者が増えている。

 ※参考記事

  高校生とみられる女性2人が死亡、飛び降りか 東京・江東区

    産経新聞 2024.2.6

  ○「制服姿の少女2人が…」 9階から転落? 1人は死亡 大阪・吹田

    朝日新聞社 によるストーリー 2024.2.13

  ○10代制服女性2人飛び降りか 大阪・吹田、1人死亡

    共同通信 によるストーリー 2024.2.13

  高校生男女飛び降り死傷 岡山県立高の校舎から

   共同通信 によるストーリー 2024.6.26

   上の四つの報道記事のどこがダメなのか、なぜダメなのかを生徒たちに問いたい。東京と大阪の

   出来事とはつながりがあるだろうか?報道する側は受験シーズンで受験生が心理的に不安定にな

   りがちなこの時期に、このような報道がどのような心理的影響を受験生たちに及ぼすのか、慎重

   に考えてから報道するべきだろう。なぜ日本のマスコミはWHOの自殺報道に関する指針をまっ

   たく守ろうとしないのかも、あわせて生徒たちに考えさせたい。

 

主な参考文献:太字は特にお薦めの本

・「孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法」

 D.バーンズ 星和書店・・・「目からうろこが落ちる」指摘の数々。

・「いやな気分よ さようなら コンパクト版」D.バーンズ 星和書店

・「フィーリングGood ハンドブック」D.バーンズ 星和書店

・「はじめての認知療法」大野裕 講談社現代新書

・「こころが晴れるノート」大野裕 創元社

・「悩み・不安・怒りを小さくするレッスン 認知行動療法入門」

 中島美鈴 光文社新書

・「認知行動療法」下山晴彦・神村栄一 NHK出版

・「マインドフルネスを始めたいあなたへ」ジョン・カバットジン 星和書店

・「はじめてのマインドフルネス」クリストフ・アンドレ 紀伊國屋書店

・「今、ここに意識を集中する練習」

 ジャン・チョーズン・ペイズ 日本実業出版社

・「ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法BOOK1」

  伊藤絵美 医学書院 

・「マインドフルネスであなたらしく」S.オルシロ、L.ローマー 星和書店

・「マインドフルネス実践講座~マインドフルネス段階的トラウマセラピー~」

 大谷彰 金剛出版

・「ACTハンドブック」武藤崇編 星和書店

・「セラピストが10代のあなたにすすめるACTワークブック」

 ジョセフ・V・チャロッキ他 星和書店 

・「特別企画:<死にたい>に現場で向き合う」こころの科学 No.186 

 日本評論社

・「自傷・自殺のことがわかる本」監修松本俊彦 講談社

・「家族・支援者のためのうつ・自殺予防マニュアル」下園壮太 河出書房新社

・「クライシス・カウンセリング」下園壮太監修 金剛出版 

・「自殺で遺された人たちのサポートガイド」

 アン・スモーリン、ジョン・ガイナン 明石書店 

・「自死は、向き合える」杉山春 岩波ブックレット

・「自殺をケアするということ」木原活信・引土絵未編著 ミネルヴァ書房

・「セラピストのための自殺予防ガイド」高橋祥友編著 金剛出版

・「思春期・青年期のうつ病治療と自殺予防」

 D.A.ブレント、K.D.ポリング、T.R.ゴールドステイン 医学書院

・「特集:自殺学入門~知っておきたい自殺対策の現状と課題~」

 臨床心理学 125号 金剛出版 2021

・「特別企画:PTSD ストレスとこころ」こころの科学 NO129 日本評論社

・「マインドフルネス・レクチャー 禅と臨床科学を通して考える」

 貝谷久宣・熊野宏昭 玄侑宗久 金剛出版

・「荘子と遊ぶ~禅的思考の源流へ~」玄侑宗久 筑摩書房

・「<助けて>が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか」

 松本俊彦 日本評論社

・「遺族外来―大切な人を失っても」大西秀樹 河出書房新社

・「薬づけからの脱却 治す!うつ病、最新治療」リーダーズノート編集部 

 リーダーズノート出版

・「セーラー服の歌人 鳥居  拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」

 岩岡千景 アスキー・メディアワークス 

・「どうしても頑張れない人たち」宮口幸治 新潮新書 

「EMDR革命:脳を刺激しトラウマを癒す奇跡の心理療法~生きづらさや心身の

 苦悩からの解放~」タル・クロイトル(市井雅哉訳) 星和書店

 トラウマ治療、PTSD治療を巡る考え方は立場によってかなり異なるという印象がある。過去の悲惨な記憶と必ずしも向き合わなくとも良い、という考え方はYouTubeで活躍する精神科医(樺沢紫苑等)からもしばしば聞こえてくる。一方で、EMDRの立場は記憶を重視し、眼球運動による脱感作などを用いて短期間でおぞましい記憶とそれがもたらす副作用から患者を解放できると説く。日本では比較的、新しい治療法であるが、今後の動きに注目してみたい。

・「心の病の脳科学~なぜ生じるのか、どうすれば治るのか~」

 林朗子・加藤忠史編 講談社ブルーバックス 2023

 遺伝子や神経回路のレベルからも治療のアプローチが試みようとする最前線の研究の動向が記されている。ただし精神医療の門外漢にはかなり難解。

カッパのオススメ本

バーンズの本はどれも分厚くて最初は手に取るのに抵抗感がありますが、興味深い豊富な事例と巧みな文章で飽きさせません。特に「孤独な人が・・・」は日本人が度肝を抜かれるほどに大胆な切り口でまさに「目からウロコ」が落ちまくる展開。

「初めてのマインドフルネス」はフランス人の著者らしく、絵画の絵解きからマインドフルネスの真髄を説き明かしていく、芸術好きには堪らない教養本。理屈よりも感性を重視する人にはピッタリの本です。絵画の見方が変わるかもしれません。

下園壮太氏の著作は理論よりも、豊富な実践に裏付けられた実践的内容で非常に分かりやすいものとなっています。基本的には治療に役立つものならどんどん取り入れる実践重視の折衷的立場ですので理屈っぽさがなく、誰でもとっつきやすい内容。

「自死は、向き合える」は遺族にも目を向けた、コンパクトに自殺を巡る社会の諸問題を論じている、社会問題としての自殺入門書として最適の本だと思います。カッパイチ押しの本です。

・玄侑宗久氏の「荘子と遊ぶ・・・」は直接、心理療法を論じている訳ではないのですが、深いところでマインドフルネスへの理解につながるユーモア溢れた傑作です。老荘思想の持つ豊かさ、可能性に開眼するでしょう。この世界観はクセになりそう。

※玄侑宗久氏はyoutubeの動画も配信しており、動画視聴もオススメ。たとえば「玄侑宗久チャ

   ンネル お悩み拝聴 報われない人生が辛いです。63歳男性」( 2023/10/13  6:57)は傑

   作。ぜひ視聴してみてください。

・「セーラー服の歌人・・・」は母子家庭で育った女性が小学校5年で母親を自殺で失い、児童養護施設などを転々とする中で、自ら自殺未遂にも追い込まれてしまう歌人「鳥居」(仮名)の凄絶な半生をたどった本。女性の貧困、児童養護施設の闇、形式卒業の問題にも目を向けることになります。鳥居さんの歌集「キリンの子」(KADOKAWA 2016)とともにお薦めの本。20代になってもなぜ彼女はセーラー服を着て街角に立つのか・・・学校教育問題や貧困問題、女性の生きづらさなども含めて考えるべきテーマは多岐にわたります。

「どうしても頑張れない人たち」は学校教育や特別支援に関わる人にとっては極めて重要な必読書と思われます。著者は「ケーキの切れない非行少年たち」で有名な宮口幸治氏ですが、学校教師にとっての重要度は2作目の「どうしても頑張れない人たち」の方が数段勝ると感じています。宮口氏の「頑張れないからこそ支援しないといけない」という指摘が孕んでいる課題意識はおそらく私達の予想以上に重要な視点を提供していると感じます。分かりやすく丁寧な文体ですので、多くの教師や保護者の方々にも読んで頂きたい一冊です。

 自分自身も支援を必要とする生徒達の良き伴走者となれているのかどうか、深く反省させられた本でした。非行少年との伴走という特殊な職務に役立つだけではなく、私達大人が精神的な悩みに直面している多くの生徒達、青年達に寄り添っていく上でも大いに役立つ内容です。

 

 

 

 

 

 

 

⑯高校野球の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

広陵高校野球部イジメ問題

参考動画

【広陵暴力事案・朝日新聞の大問題】広陵とジャニーズ問題との類似性|加害者擁

    護する保護者・OBの心理|一戦必勝・トーナメント制の是非|教育の場でのビール

    販売を考える【中野慧】  文藝春秋PLUS 公式チャンネル 2025/08/24  29:16

 確かに高体連と独立して高野連が存在している事の問題は極めて大きいだろう。とりわけ朝日や毎日、NHK(甲子園大会のテレビ放映)といった大手メディアとの密接な関係を持ち、莫大な金銭が動く高校野球の在り方を根本的に見直すべきであると考えるが、いかがか。

    世間の注目を浴びることの多い高校野球の裏側ではびこる部内での陰湿な暴力、イジメ…人権感覚の鈍い高校野球界全体の体質改善が急がれるだろう。

【広陵野球部の炎上を徹底分析】広陵だけの問題ではない|体罰をネタにする”

    ロ野球選手|問題は高野連の独立|野球を特別にしたのは何か|連帯責任からの

    緩和が悪い方向に|体育会系の問題とは【中野慧】

    文藝春秋PLUS 公式チャンネル 2025/08/24  24:59

    野球に限らずスポーツ強豪校が経営や金銭の絡む勝利至上主義のもとで抱えてきた構造的問題に注目しないと、特定の加害者や監督、学校の問題に矮小化してしまうのでは…という指摘は高校スポーツ界に留まらず、極めて重要な認識だろう。

【暴力問題】広陵高校の遅すぎた甲子園辞退…テレビが報じないこの問題の諸悪の

    根源を解説 下矢一良の正直メディア 2025/08/11  19:10

    高野連の組織的体質に関わる問題点が中心。高校側の問題点は触れられていない。 

参考記事

収束気配が見えない広陵高野球部の暴力問題 夏の甲子園辞退から1カ月、学校経営

    にも暗雲 産経新聞 2025.9.10

 保護者同士の対立まで生み出したこの問題、ひたすら泥沼化の方向に進みそうだ。

広陵野球部内暴力問題で加害生徒が告訴 1月からの事案の経過

    日刊スポーツ新聞社 2025.9.9

 この問題、いまやこじれにこじれ、どうやら最悪の展開をたどりつつあるようで、ついには泥仕合の様相を呈してきたようだ。

 この事案が判明した当初の、野球部を含めた学校側や高野連の対応に、事件の軽視や隠蔽にあたるような、大きな落ち度が有りはしなかっただろうか。旭川女子中学生凍死事件がそうであったように、最初の段階での「ボタンの掛け違い」が取り返しのつかない大混乱を発生させてしまうことはよくある。旭川の件が私たちに示した最大の教訓は、イジメ案件が判明した際の学校側の初動のあり方次第で、事案の行方が決定的に左右されてしまう、という事であったはずだ。

 この案件では事実関係の確認がどこまで進んでいるのか、いまだに判然としない部分を残しているように見える。そんなモヤモヤ感が残る中でネット民が勝手な憶測で無責任な発信をするのはもちろん違法行為であろう。

 旭川でもイジメ被害者だけではなく、加害者側および学校教師側のプライバシーが不法にもSNS上にさらされてしまっている。被害、加害を問わず、誰であっても個人のプライバシー侵害と誹謗中傷を行うような行為は決して許されてはなるまい。

 とはいえやはり学校側にもそれなりの落ち度はあったように見受けられるが、いかがか。早くから学校側がこの案件をイジメ重大事態として認定し、第三者委員会を設けてきちんと事実確認をしておけば、ここまで事態が紛糾することは無かったはずである。広陵高校の学校運営まで大きく揺さぶる事態に発展してしまった原因に学校自身の認識の甘さと対応の遅れがあった…世間的にそう思われても仕方あるまい。

企業が体育会系の学生を欲しがる「本当の理由」… 広陵高校問題を機に浮上した

    「ハラスメント耐性がある」説に専門家の見解は

    集英社オンライン 2025.8.20

 ハラスメント耐性がある、ということはハラスメント体質がある、ということと完全に無関係ではいられないはずである。もちろん、ハラスメント耐性のある人物がすべてハラスメント体質というわけではない。しかしそうした体育会系教師たちは、少なからずの割合で年功序列型であり、管理主義的であり、同調圧力が強く、保守的であることはほぼ間違いない。

    そしてこうした体育会系が学校社会においては生徒指導部に数多く集まることも明白な事実である。だからこそブラック校則はなくならないのだ。そして残念なことに、千葉県ではそうした教師ほど学校の管理職となってきた経緯がある。

 つまり「教育委員会が体育会系の教師を欲しがる」本当の理由は明快である。各教育委員会にとっては、文科省の方針に常に忠実であり、変革を好まず、体制の保守管理にばかり精を出す人物が出来る限り多いにこしたことはないのだ。したがって文科省抜きで、教育委員会主導により学校の何かが良い方向に新しく変わっていくことを、学校現場は決して期待してはなるまい。

 すなわち仮にある程度のスピード感を持って学校教育を変える必要があるのならば、まずは体育会系の教師を出来る限り学校現場と教育委員会から、社会教育など、別の場所に異動していただく必要がある、ということだ。「改革を求める学校現場が体育会系の教師を欲しがらない」本当の理由はそこにあるだろう。

「まるで戦時下の報道だ」広陵高校の暴力問題→甲子園主催の朝日新聞は沈黙…見

    て見ぬふりをした新聞社の責任とは    文春オンライン プチ鹿島 2025.8.19

体罰はなぜなくならない? 「閉鎖空間と甲子園至上主義」が生む負の連鎖 元球児の

    教授が指摘 弁護士ドットコムニュース 2025.8.19

    甲子園大会について「たとえば、テレビ中継をやめてみたらどうでしょう。そうすれば、世間の関心は落ち着き、勝利至上主義も和らぐ可能性がある。結果として、選手の野球を楽しむ権利も、他の部活動と同程度に守られるのでは」と説明する…という渋倉教授の指摘には納得させられるだろう。裏を返せばこれまで甲子園大会を主催して野球熱を過剰なまでに煽ってきた朝日、毎日の罪深さを思わずにはいられない。

 

教職員の過労死、2015~23年度に38人 公立小中学校で    朝日新聞社 2025.6.28

 なぜ高校のデータが無いのか、高校のデータを除く事にどんな合理的理由があるのか、まずは朝日新聞に問いたい。教員の過労死問題を扱うにあたって小中学校のデータだけで語ろうとするのはあまりにも片手落ちではあるまいか。部活動の盛んな高校では他の職業からすれば常識ではあり得ないほどのサービス残業が特定の顧問に生じていたはずである。

 30年近く前に一年間365日、ただの一度も部活動を休まない高校の部活動(富山のハンドボール部)がテレビで紹介されたことがある。当時は野球部の多くがほとんど休み無しの指導で有名だった。個人的には学年の遠足を部員だけ早めに切り上げさせて強制的に学校に帰らせ、夜まで練習に費やしているバレーボール部顧問を見たことがある。どの高校であろうとも若い教師にとってこの時代、月に120~140時間程度の残業は通常のノルマですらあった。

 自分自身の記憶では20年ほど前も、部活指導で月に100時間近くの残業(休日での指導を含む)を続けていた時期があった。そうした経験からすれば…文部科学省が月ごとの時間外勤務に「45時間」という上限を設けた…と規定にあったとしても、この規定、本当に守られてきたのだろうか、怪しい限りである。おそらく管理職にバレないよう、学校外で密かに練習している部活が今も存在しているのではあるまいか。「部活命」は決して生徒だけではない。

 今や、部活好きな顧問には好きなだけやらせておけばよい、というわけにはいかないだろう。コンプライアンスが厳しく問われる現在、部活中の事件、事故は管理職の地位を脅かしかねないほどに大きな懸念材料となっており、管理職としては自己保身の面でも部活動による残業をそうやすやすと見逃すわけにはいくまい。

 残業問題の多くは保護者、生徒を巻き込んだ部活動の度を越えた過熱ぶりにあると考えるが、いかがか。保護者も含めて今の50代まではスポ根アニメや熱血教師のドラマの影響を多少、引き摺っている世代であろう。その世代ではもっぱら部活動の指導をしたいがために教師となった者すら、決して少なくはあるまい。

 しかし高校の場合、教師の本務はあくまで授業であるべきだろう。高校教師にとって部活動の過熱は本務を疎かにしかねない点で決して好ましくはない。他方で中学校では部活動の地域移管が進められつつあるが、なぜか高校では部活動問題があまり議論の俎上にのせられてこなかった。そしてこの記事の様に、教員の過労死統計からなぜか高校教師が除外されて報道されてしまっている。高校では野球部の顧問の過労死が疑われるケースはけっして少なくないはずなのに、これは一体、どういうことなのだろうか?地球温暖化によって開催時期に関しても問題の多い夏の甲子園大会を主催してきた朝日新聞の責任…この件でもきわめて重大であろう。

・「大谷のグラブ」対応から見える学校教育と日本の野球界の問題点

参考記事

大谷グローブ、それぞれの「今」を追った 校内野球大会のきっかけに、「キャッチ

 ボール禁止」の学校では… 東京新聞 2024.9.20

 案の定、大谷グローブを持て余している学校は少なからず存在している。ドジャースに移籍後の今年度はさらに大きな注目を集めている大谷選手だが、グローブの方は本人程の活躍が見られない。

 授業での論点は効果的な寄付のあり方に関するポイントと日本の野球界及び学校の抱える問題点の二つに分けて考えられるだろうか。生徒たちの興味をひきやすい話題であるが、論点を整理するのはかなり難しい。教師としては事前にそれなりの予備知識を蓄えてから議論に持ち込みたい。

「早くウチの子供に使わせろ!」“大谷グローブ”を巡って教育現場が頭を悩ませる

 ワケ 日刊SPA! の意見 2024.5.13

大谷選手の寄贈グラブの活用は難しい?「キャッチボールもしていません」 校庭で

 野球禁止の学校も AERA dot. 米倉昭仁 によるストーリー 2024.2.3

大谷翔平の小学校寄贈グローブが「10万円転売騒動」「屋外使用厳禁」剥き出しに

 なるオトナたちの醜態 アサ芸プラス によるストーリー  2024.1.23

大谷翔平の『寄贈グローブ』で全国の小学校に広がる混乱 使用ルール”決まらない

 なか、保護者からの要求がエスカレートすることも

 NEWSポストセブン の意見 2024.1.25

 こうした醜い状況が生まれてしまった原因はどこにあるのだろう。グローブを受け取った学校側の対応にはもちろん大きな問題が少しずつ露見してきている。相当程度ブラック化している小学校にとって12月から順次寄贈されるグローブへの対応は頭を抱えるレベルの難問であるはず。「10万円転売」問題は早くから予想できたことであり、そうならないためにはどうしたらよいのか…まさか校長室に飾るだけでは大谷選手の意向を無視することになりかねない。

 おそらく有効な活用方法は簡単には見いだせないだろう。寄贈されたグローブをどのように扱うのが理想的なのか、生徒たちに提案してもらうと議論がはずむかもしれないが、じつは学校長以下、ベテランの教師たちであっもこれはかなり難易度の高い課題。今は学校の繁忙期。こんな時に奇妙な難題を吹っ掛けられてしまった小学校の方こそ困惑するばかりで、学校によってはまさに「有難迷惑」そのものに違いない。

 当然、グローブを寄贈した大谷選手側にもかなり問題がありそうだ。日本での野球人気を少年野球の段階から盛り上げることが大谷選手の狙いのようだが、このやり方で本当に良かったのかどうかは疑念が残る。ただでさえ、大型の寄付は難しい。マイクロソフトの創設者ビル・ゲイツは寄付をするためだけの財団を立ち上げて大勢の検討のもとに寄付を行っている。大谷選手側にそうした熟慮があったとは思えない。

 大谷選手側のどこに問題があり、野球人気回復の方途はどうあるべきなのか、についても生徒から意見を募りたい。もちろん、野球人気の回復など学校側が特にする必要は無い、との意見が出るかもしれず、その場合はぜひ賛否を問いたい。

 

・野球離れの持つ意味

参考動画

【ゆっくり解説】ブラックすぎる…過酷な昭和の運動部の実態についてゆっくり解

 説! ゆっくり昭和の記憶  2021/10/31  11:14

 PL学園の野球部廃部に象徴されるブラック部活の問題は特に野球部の問題として注目された。部活動中の熱中症による死亡例の4分の1が野球部であることに示されるように、不合理な「しごき」が特訓とされてしまう風土がとりわけ野球界に蔓延していたのは間違いない。「ゆっくり解説」のシリーズは多少、うけ狙いの危うさが感じられるが、この動画は比較的バランス良く、偏りがあまり見られない点でオススメ。

 生徒たちには取っ付きやすい動画なので授業の導入として利用できるだろう。

【野球離れ】甲子園は高校生にとってベストなのか?20年で部員半減の厳しさも?

   スポーツ業界における野球の役割|《アベマで放送中》2022/05/14 12:43

【指導】「チームを強化するために」パワハラ解任の横浜高校元監督の失敗とは?

 安藤美姫が明かすコーチとの信頼関係と罵声?スポーツと体罰|2021/11/12 

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 29:36

 安藤氏や夏野氏の意見に注目したい。頂点を目指すトップアスリートの世界では厳しい指導と暴言や体罰は紙一重であり、その場の状況や指導者と選手との信頼関係が問われてくる。必ずしも一律に外部から体罰や暴言が適用されるとなれば指導者側だけでなく選手側まで困惑しかねないだろう。しかし学校の部活動においては生徒達に退部の自由があるとは限らず、もはや指導者による暴言や体罰が許される余地はコンプライアンス重視の現在、ほぼなくなってきていると見て良いだろう。

参考記事

「どうか生徒たちへの誹謗中傷はお控え頂き」高校野球強豪校の監督が訴え、コー

 ルド敗退を受け投稿 まいどなニュース の意見 2024.9.17

 高校での討論型授業においては絶好の素材であろう。もちろんネット上での誹謗中傷の是非については今更生徒たちに訊くまでもあるまい。討論の議題とすべき課題はなぜ、今、甲子園球児への激しい誹謗中傷が起きてしまったのか、その原因追及の方であろう。

 おそらく甲子園という大舞台でテレビ放送され、都道府県の期待を一身に集めて行われるこの大会の意義、あるいは野球人気の低落の原因、部活動の意義、応援する側の過熱しがちな心理、マスコミによる煽り気味の報道のあり方、スポーツを含む日本の学校の勝利至上主義のあり方、プロ野球と高校野球との癒着構造…議論のテーマは広く拡散してしまうに違いない。

 しかし、今回はむしろ積極的に広く課題、問題発生の原因を探らせていくべきテーマとして取り上げても可。つまり一つの社会問題の背景に潜む、様々な課題を広い視野から逐次拾い上げていく練習を積むことの意義は決して小さくあるまい。これを授業目標のメインに据える時間があっても良いのではあるまいか。

 とすればここでそれぞれの課題を逐一深堀りする必要は必ずしも無く、後日、他のテーマの際にも同様の課題が指摘されたときにはあらためて深堀りする…といった展開でも良いと思うが、いかがか。

私立高校の野球部で監督らが暴言や暴行か…保護者会で謝罪 バドミントン部でも

 長崎市 日テレNEWS 2022.12.16

 スポーツ強豪校ではありがちな事件。1970年代に全盛期を迎えたスポ根アニメ、青春ドラマ、ホームドラマなどにつきものの体罰やしごきは今の60歳代の教師、さらにはその教え子の世代である50歳代、40歳代にも連綿として受け継がれている。結果を出さなければならないスポーツ強豪校にとっては極めて克服が難しい問題であろう。中学だけではなく高校でも運動部指導の民間委託を徹底させる方がこの問題をスピード解決するには最適なような気がするが、いかがだろう。

甲子園で長髪旋風! 非丸刈りチームの決勝進出が確定 「高校生らしくない」に著

 名人が反論「時代は常に変化」 ENCOUNT によるストーリー 2023.8.19

 この話題から入ると高野連や運動部の抱えてきた問題点を浮き彫りにしやすいだろ

う。まずは高校野球での「丸刈り」に対して賛否を問い、それぞれの理由を挙げさ

せてみたい。

高校生3人に1人、部活の大会で髪形注意された経験 「前髪上げろ」

 毎日新聞 によるストーリー 2023.12.15

 部活動の隠れた役割にも注目したい。

高校野球で「そんなの認めない」 ペッパーミルだけじゃない、審判の怒りを買っ

 た球児の行為  AERA dot. 2023.4.5

 討論のテーマとして格好の素材になるだろう。

球児よりヤバいのは審判・チアガール・吹奏楽・観客…夏の甲子園でバタバタ倒れ「熱

 中症死」が出る日 プレジデントオンライン 酒井 政人  2023.8.8

【甲子園】6回に土浦日大、上田西の両チームの選手が動けなくなりベンチに運ば

 れる 今大会から暑熱対策を実施 報知新聞社 によるストーリー 2023.8.6

もう夏の甲子園はやめませんか?高校野球を巡る諸問題はやめれば解決する

 Bpress 関 瑶子 によるストーリー 2023.8.5

 児童、生徒の野球離れに危機感を持つ野球関係者は多い。大リーグでの大谷翔平選

手の活躍はあるものの、ひと頃に比べれば日本の野球への関心は確かに低下しつつあるだろう。野球部員の人数がそろわずに他校との合同チームを組むことを余儀なくされ、ついには廃部に追い込まれる、などといった残念なケースが少子化の進展も手伝って徐々に数を増しているという。

 しかし高校教育における野球の問題点はそうした野球人気の陰りとは別の観点からもこれまで数多く指摘されてきた。高校にはスポーツ指導者の団体として体育科の教師を中核とする「高体連」があるが、なぜか野球だけは別格扱いで「高野連」という野球部顧問中心の教科枠を超えた組織が高校野球を仕切ってきた。

 そして野球部員たちにかつて丸刈りを事実上、強制してきた厳格な高野連ルールはこれまでも幾度か物議をかもしてきている。いわゆるブラック校則を側面から支えてきた高野連の体質には昔から多くの根深い問題があったとみられるのだ。

 実は高校教師の異動に際して高野連が介入する「高野連人事」がかつて普通に見られた。もちろん「高体連人事」もあるにはあったし、種目によってかなり事情は異なるだろうが、多くの場合、高野連ほど露骨ではなかったという個人的印象がある。皆さんの場合、いかがだろう。そこそこ有名な野球監督であるならば自ら望まない限り、野球部の存在しない女子高や定時制、通信制に異動することは私の記憶では一度も無かった。

 他方で私生活を犠牲にして野球指導に専心する顧問の負担は極めて過酷であり、自身の家庭生活や心身の破綻を招くことも少なからず見られた。すなわちブラック校則のみならず、職場としての学校のブラック化を側面から支えてきたのも実は高野連であったといえよう。

 ただの「野球バカ」が礼賛される時代はとっくの昔に終わっているのだ。野球人もまた「献身性の沼」にはまり続ける事の罪深さについて、少しは思いを巡らす時期に来ている。

 部活動過熱化の核として甲子園を頂点とする高校野球の勝利至上主義的あり方があったことは否めない。テレビ放映が地方大会レベルから行われ、高校野球の熱狂的なファンは全国に大勢ひしめいていた。

 野球人気が過熱する陰で根性論、鍛錬主義に基づく体罰や暴言、先輩による後輩へのしごきなどが当たり前のように繰り返されてきたのも間違いなく野球を始めとしたスポーツの世界である。50年以上前のアニメ「巨人の星」を見て育ったカッパたちはとりわけ、今となってはあまりにも行き過ぎた、アノ熱血指導をどうしても賛美しがちな世代であったと思われるが、皆さんはいかがだろう。

 夏の甲子園、春の選抜はそれぞれ朝日新聞と毎日新聞が高野連と共催し、ほとんどの試合は予選の地方大会も含めてNHKによってテレビ放映されている。予選を含めた試合での全校応援もまた多くの高校で見られた。まして甲子園出場ともなれば学校側は大規模な応援団を編成する必要に迫られる。当然、勝ち続ければ一千万単位の予算が必要となり、関係者は卒業生などに寄付を募るなど、甲子園大会は周囲の人々に様々な労力と金銭面での大きな負担をも強いてきた。

 他のスポーツではサッカーを除くと全国大会ですら学校が組織的に応援団を送ることは稀であり、テレビ放映もかなり限定的。高体連の各専門部の資金力も多くの種目では高野連とは比較にならないほど貧弱である。様々な面でのスポーツにおける種目間格差が、特に野球と比べた際の格差の大きさが教育における公平さを欠くのでは…などとかねてから学校現場では指摘されてきていた。近年は多少の改善が見られるものの、いまだに格差解消には程遠いのが実情である。

 マスコミ各社にはぜひこうした問題にも言及していただきたい。

53日間で休み1日だけ中学教諭の「過労死」 訴え認め約8300万円の支払い命

   じる 遺族の思いは 日テレNEWS によるストーリー 2023.7.6

日本の部活動は「滅私奉公」サラリーマンを育てる隠れカリキュラム

   ニューズウィーク日本版 によるストーリー 2024.5.30

 

 ふと気づくとそういえば一か月間、一日も休んでいなかった…若いころは疲れ気味の自分自身に対する思いやりなど持てず、有給休暇を一年間で一度もとっていないことを武勇伝であるかのように自慢する傾向が自分にもあったことは否めない。文化祭の準備でさえ午前様になることは珍しくなかった時代があったのだ。

   こうした先輩教師たちの武勇伝は美談化されることでおそらく後輩たちを相当追い詰めていただろう。無謀なまでの精神主義的根性論を柱とする心性は子供時代、「スポ根アニメ」の洗礼を浴び続けて育った、今や60代となっている元教師に多く見られたように思う。

   私などは間接的にではあるが、こうした過労死事件に心ならずも加担してしまった一員として深く反省しなければなるまい。


   

その3.沖縄戦~学校とマスコミ~

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

皇民化教育の徹底と戦時中の報道統制が生んだ沖縄の悲劇

・戦時中のプロパガンダ

参考記事

「あめりかに負けるものか」軍国少年の日記…寄贈の92歳「大人の言うまま、本

    心から思っていた」 読売新聞 2025.9.25

 学校教育の負の側面がよく分かる史料。

音楽と戦争の「深いつながり」とは?歴史学者に聞く 上田誠二・日本女子大准教授

 #戦争の記憶47NEWS 2025.8.21

 NHKの朝ドラ「エール」(2020)でも話題に挙げられた音楽界における戦争責任の問題。他には見聞することの難しい貴重な記事である。

【戦後80年】NHKスペシャルで話題に本誌が報じた昭和16年「総力戦研究所」が 

 予言していた「日本必敗」の道筋 SmartFLASH 2025.8.19

 ここでポイントとなるのは政府首脳が日米開戦によって間違いなく日本は敗戦の結末を迎える、という予測を様々な統計的データに基づいてこれでもかと突きつけられていたこと。にもかかわらず彼らが日米開戦を決した理由であろう。

 緒戦におけるドイツの快進撃に酔いしれ、「バスに乗り遅れるな」という合言葉に閣僚たちはまんまと乗せられてしまったのだろうか。だとしたら国際情勢への彼らの読みが甘過ぎたというほかあるまい。あるいは接戦となった日露戦争の奇跡的勝利の記憶が閣僚たちの判断を歪めさせてしまったのか。はたまた最優先していた国体護持のためには日中戦争の継続が不可避だったからか。それとも米英への激しい敵愾心を執拗に植え付け、日米開戦やむ無しと国民に思わせんとする洗脳策の効果が余りにも絶大であったため、戦争回避という選択肢の可能性を政府みずから潰してしまっていたからか。

 生徒たちにできるだけ多くの要因を考えさせたい。

参考動画

連勝に国民熱狂も…“国策映像”の裏に隠された敗北 映像は戦争をどう伝えた【報

    道ステーション】 ANNnewsCH 2025/08/15 9:17

    軍部が国威高揚のために様々な報道規制を行い、国民を騙し続けた動きが簡略に示されていて分かりやすい。まずは「日本ニュース」の果たした役割を整理させたい。

“破竹の快進撃”隠ぺい・捏造…なぜウソは膨れ上がったのか 映像は戦争をどう伝

    えた【報道ステーション】(ANNnewsCH 2025/08/16 17:42

    やや突っ込みが甘いが、最低限の事は触れている。ただしこの動画だけでは役に立たないだろう。上の動画を補足するために一部、視聴させたい。

戦渦の「学校日誌」奪われた日常…80年前の現実【バンキシャ!】

    日テレNEWS NNN  2025.8.3 9:28

    学校の兵営化、軍事工場化が米軍機の襲来を招き、多くの教職員や児童生徒の命を奪うことにつながった。軍事教練の導入も学校の軍隊化に一役買っていただろう。

 学校日誌には毎日、御真影に関して「御安泰」などとその安否を記す箇所が設けられていた点も興味深い。小磯内閣の打ち出した本土決戦作戦は、当然のことながら児童生徒をも戦争に巻き込む狂気の作戦であり、この狂気の作戦を現実のものとした国民の精神的な基盤には「一億火の玉」といったマスコミが流すスローガンや国民学校での錬成教育があったに違いない。国体護持のためにはすべてを犠牲にする覚悟が国民全体に刷り込まれていたのである。天皇制の罪深さを思わずにはいられない。

太平洋戦争末期に兵士不足により招集された14歳以上の少年兵「鉄血勤皇隊」の実

    態とは? 春日陽のレトロ近現代史 2025/04/09  25:44

 やや視聴時間は長くなるが、生徒たちと同じような年代の少年たちが過酷な戦場に動員され、多くの犠牲が生じていたことは知っておきたい。少年たちの戦地動員の背景に何があったのか、要領よくまとめられている。沖縄戦学習の導入部で視聴させておきたい。

戦中の日本に張り出されていたプロパガンダ・ポスターには何が書かれてのか?  

    春日陽のレトロ近現代史 2025/03/22  24:18

戦時中のトンデモないスローガン・国策標語9選

    春日陽のレトロ近現代史 2024/06/15  25:22

 以上の二つの動画は必ずしも授業で視聴できなくとも興味深い内容が多く含まれており、資料として十分に活用できる。戦時中の代表的なスローガン、プロパガンダを知るにはうってつけの動画。ただしナレーションなどに読み間違いなどが目立つので事前のチェックは欠かせない。

【終戦企画】戦時下の戦争アニメ映画

 小林彩のほんのり昭和回顧  2024/08/10 19:35

 やや視聴時間が長くなるが、戦時中のマスコミ、学校の果たした役割をつかみ易いだろう。ぜひ授業で利用したい。

こうして権力者は戦争を始める【プロパガンダの法則】

    原貫太・フリーランス国際協力師 2024/11/02  16:51

いま戦争が始まったら、あなたはどう「心理操作」されるのか?【プロパガンダの

    法則】 原貫太・フリーランス国際協力師 2024/11/05  17:02

    ここで示されている戦争を始めるための四つのプロパガンダは他の戦争プロパガンダに関する動画の内容と結び付けて生徒たちに考察させてみたい。特に戦争プロパガンダにおいてマスコミだけではなく、学校が果たす大きな役割にも注目させたい。

戦時中の少年少女倶楽部【雑誌の昭和史】

  小林彩のほんのり昭和回顧 2025/03/19 19:41

 戦時色の強いイラストは資料として印刷し、授業で配布しても良いだろう。

【終戦企画】戦時中のプロパガンダソング【歌謡の昭和史】

 伊東彩のほんのり昭和回顧 2024/08/15 20:07

 3曲、紹介されているが、授業では2曲目の「爆弾位は手で受けよ」だけ視聴してみたい。この曲だけなら解説が4:25~7:20、曲が13:25~16:20で視聴時間は計6分弱となり、授業中に利用しやすい。

【終戦企画】昭和20年の戦争映画【映画の昭和史】

    伊東彩のほんのり昭和回顧2024/08/09 21:20

昭和19年の日本の戦争映画【映画の昭和史】

    伊東彩のほんのり昭和回顧 2025/02/21 25:57

 伊東氏の動画はいずれもバランスのとれた解説であり、授業において安心して視聴できるものだと感じている。やや視聴時間が長いが、アメリカの映画なども紹介していて大いに参考となるだろう。

 

・ウクライナ戦争から見えてくる戦争の実際

ウクライナのロシア領侵攻をどう思う?

 ロシア人にインタビューしてみた 2024/08/21  5:43

 短いが非常に興味深く、刺激的なインタビューであり、ぜひ授業で視聴させたい。ここから日本人である私たちはどんな教訓をくみ取れるのか、問うてみよう。

【これまでの反政府運動と違う】プーチン政権を公然と批判する動員兵の妻たち”プ

 ーチ・ダモイ”に広がる共感 ロシア当局が彼女たちを弾圧しない理由とは

 【クロ現】| NHK   2024/04/15 10:08

 戦争を続けようとする国家を動かすために国民は何ができるのか、独裁者は戦争中、どうふるまうのか、など考える上でヒントとなる動画だろう。

ナワリヌイの死 ロシア人にインタビューしてみた  2024/02/19  4:22

反プーチン急先鋒…ナワリヌイ氏“謎の獄中死” 専門家が読み解く「3つの可能

   性」【スーパーJチャンネル】ANNnewsCH  2024/02/19 5:01

 上の二つの動画を視聴させてロシアでの政治についてどう思うか、日本の戦前との比較(小林多喜二の拷問死)や日本のマスコミの現状も念頭に置きたい。

反対派の「不審死・牢獄入り」をロシア人はどう思う?

 ロシア人にインタビューしてみた 2022/09/20 6:34

ロシアは、敗けますか?

 ロシア人にインタビューしてみた 1420 2023.6.11 6:14

9人目のロシア実業家の不審死が確認された直後のインタビュー。ナワリヌイ氏、

 ムラトフ氏への襲撃も噂されるが、ロシア人の反応とは。2022年8月29日頃撮影

 非常に刺激的なインタビュー。質問する側も答える側も命懸けの緊迫感が伝わって

 くる貴重な動画。国家による言論弾圧がロシアでは一層強まっている。日本は今、

 国民の知る権利が十分保障されているのか、きちんと点検すべきである。キナ臭く

 なってきた現在だからこそ、是非視聴させたい動画。

【制能権】あなたの意見って何だ?自由意思はある?脳をハックするハイブリット

 戦争と情報社会 2022/05/19 

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】34:26

 「智能化戦争」を仕掛けてくる中国への脅威が増してきた現在、「制脳権」という言葉が脚光を浴びてきている事の重大さに気付きたい。「洗脳」に弱い国民性を持つと考えられる日本国民にとってきちんと正対すべきテーマであろう。敗戦によって「マインドウォーズ」の恐怖を痛感したはずの日本人が戦後、どれだけその事を反省できているのかが、未だに問われている。SNSの普及にともなって生まれてきた「エコーチェンバー」「フィルターバブル」という新規な言葉の現代的意義に注目したい。視聴時間が長いので幾つかに区切りながら、その都度、丁寧に議論していく必要があるが、極めて重要な番組。

【ベストセラー】「テレビは見るな! 新聞は取るな! (日本の真相!) 」を世界一わか

 りやすく要約してみた【本要約】 2022/05/11 本要約チャンネル 33:50

 この本自体がただのデマなのか、直ちに確認すべきであろう。

戦争はマスメディアが作り出す!?人々を洗脳する「戦争広告代理店」とは

 原貫太国際協力師 2021/04/21 16:36

【知らないとダマされる】なぜ大衆は戦争に煽られてしまうのか?(前半)

 2022/03/25 原貫太・フリーランス国際協力師 13:28

戦争で「広告代理店」が儲かるのはなぜ?【情報操作の闇】

 2022/04/09 原貫太・フリーランス国際協力師 17:13

ウクライナ危機で大儲けする「軍需企業」とは!?

 2022/04/22 原貫太・フリーランス国際協力師 16:15

【メディアの黒歴史】戦争反対を訴えていた新聞が180度方針を変えた話

 2022/04/15 原貫太・フリーランス国際協力師 14:36

メディアが「戦争の真実」を伝えられない本当の理由

 2022/04/06 原貫太・フリーランス国際協力師 14:42

【先進国最下位】日本の「報道の自由度」が低い3つの理由

 2022/02/05 原貫太・フリーランス国際協力師 13:30

元CIA諜報員がプーチン氏の心を読む(2022年5月7日)

 2022/05/07 ANNnewsCH 11:39

 侵略戦争を行う国家のあり方についてはウクライナ侵攻を強行したプーチン政権を

 具体例にして理解できるだろう。習近平政権と類似した洗脳政策は中国による台湾

 侵攻、尖閣諸島占領が現実に起こりうることを示唆しているかも。

【賛成420票vs反対1票】たった一人で「戦争反対」を唱えた女性議員の物語 

 2022/04/21 原貫太・フリーランス国際協力師 13:24

知って欲しい、教科書で“いま”何が起きているのかを/映画『教育と愛国』予告編

 2022/03/22 moviecollectionjp 2:16

映画「教育と愛国」が示すもの 「政治の道具」迫る危機 ディレクター・斉加尚

 代さん 2022/04/13 毎日新聞 5:44

【白井聡 ニッポンの正体】~映画 「教育と愛国」 から考える~ 歴史を私物化す

 る愛国者 2022/04/15 デモクラシータイムス. 1:27:00

 

参考記事

ロシアで「過激派」情報をネット検索しただけで…最大9300円の罰金、プーチ

    ン氏が法案署名 読売新聞 2025.8.1

佐藤優「ニッポン有事!」国家総動員体制の日本に似たプーチン大統領「教育と国

   益」論 アサ芸biz  2025.2.9

   ロシアの現状だけではなく、変な愛国論がまかり通る日本のネット社会も考え合わせると、戦時中の皇国民教育をただの過ぎ去った出来事として忘却してはいけない、現代日本への警鐘となっている点にぜひ注目したい。

「この8年間プーチンは国民を洗脳してきた」...政府系メディアに乱入した女性が

 捜査官相手に吐いた反戦抗議の「納得の理由」 現代ビジネス

 マリーナ・オフシャンニコワ によるストーリー  2024.5.10

「ウクライナ侵攻は住民保護」ロシアが刷新した「歴史教科書」に書かれた問題部

 分 アサ芸biz の意見 2023.8.15

ロシア、統一教科書で侵攻正当化 歴史教育見直し進める

 共同通信社  2023.5.15

 この記事は討論のネタに使えるだろう。突っ込みどころ満載で利用価値は高い。特にプ-チン発言のどこに突っ込みを入れるか、まず問うてみたい。また中国のネット上でのコメントも突っ込み材料豊富。国定教科書の怖さと検定教科書の危うさを知っておきたい。他方で戦争に関する日本の教科書の記述がどこまで信用できるのか、生徒にアンケートをとってみたい。

プーチン氏「日本人は教科書に真実を書かない」=中国ネット「ユーモアある」

 「そもそも教科書には…」 Record China 2022/10/31 21:46

参考動画

幼い子どもが軍服姿で「奉仕できます!」ロシアで加速する“軍国教育” 高校生の

 軍事訓練映像を独自入手【戦争と子どもたち】

 TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/08/12  9:39

 上の参考記事と併せて学校と戦争との関係を考えさせたい。ロシアでの軍国教育を例とすれば、比較的、意見が出やすく、導入にうってつけの動画。かつての国民学校での教育と非常によく似ており、この動画から日本の学校教育の問題へとつなげていく展開がオススメ。

戦死者数わかってますか? ロシア人にきいてみた。

 ロシア人にインタビューしてみた 2022.10.1 9:19

今でもTVを信じてる? 若いロシア人にきいてみた。

 2022/10/16 ロシア人にインタビューしてみた 17:09

ロシアが負ける時、どうなりますか? ロシア人にインタビューしてみた 

 2022.10.21 11:01

 戦争中の政府による報道統制が国民の認識を歪めてしまう現象は古今東西を問わず、どの国でも起こりうる危険な現象。知る権利、報道の自由が今の日本ではどれだけ保障されているのか、しっかりと調べさせた上で考えていきたい。いきなり日本を素材にすると反発も予想されるテーマなので比較的、意見を言いやすいウクライナ戦争は討論の素材としてはタイムリーであり、ぜひ授業で使ってみたい素材の一つ。

NHK | ロシア少数民族が集中的に動員され戦死者も 動員はジェノサイドだ

 ーチン大統領の狙いは? 少数民族ブリヤート人の苦悩| BSキャッチ 世界のトップ

 ニュース 2022/10/13 NHK 10:21

これからも、政治に無関心でいますか? ロシア人にきいてみた。

 ロシア人にインタビューしてみた 1420 2022.11.10 6:54

プーチンどう? 顔、声を隠してきく。ロシア人にインタビューしてみた 1420   2023/03/05  MOSCOW 撮影1月と2月 17:30

 匿名を条件にするとプーチンに対してかなり批判的な意見が表出してくる。

参考記事

ロシア国民はなぜ今も“間違いを犯した自国”を支持するのか。「国民感情」の国際

 比較から考える mi-mollet 加谷 珪一 の意見  2023.7.15

 重要な観点からの指摘。ただし日本の場合も教育や報道の自由度が極めて低い点に大きな問題があるだろう。対岸の火事、と悠長に構えている場合ではあるまい。

中村逸郎氏が警鐘 広島G7開催のタイミングでロシアが核攻撃の可能性

 東スポWEB の意見 2023.5.7

米小学校乱射を否定し巨額賠償命じられた陰謀論司会者、自己破産申請

 BBC News 2022.12.3

 陰謀論をまき散らしたトランプ政権下での出来事である。陰謀論の拡大は戦前の日本でも「満蒙は日本の生命線」などと言った危機感を煽るスローガンによって生じていた。近年ではウクライナ戦争でもこの手の陰謀論はネット上で種々観察できよう。ネット社会の進展もあって大統領や国家が平気で陰謀論をばらまく時代が来ている。瞬時に大量の情報が飛び交う中で信頼できる情報源を探すのは極めて難しい。確実に言えることは「情報の信頼性を確認できるまでは結論を急がない」事であろうか。多様な意見にじっくりと耳を傾けつつ、粘り強く自分なりに信頼できるデータを積み上げていき、データに裏付けされた意見を自らの力で構築していく…そうした姿勢を幾度もの討論を通じて繰り返し養っていくことが求められているようだ。

「辞めろ」「辞めない」の応酬で泥沼に…高市早苗の「放送法文書」騒動で、見落

 とされている“問題の本質” 文春オンラインプチ鹿島 によるストーリー 2023.4.4

堕落した大新聞ついに自ら“言論統制”の自殺行為 朝日新聞が社員の書籍出版を「不

 許可」日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 2023.6.5

朝日新聞に著書“出版禁止”を出された社員が語る「新聞社の言論規制」調査で明ら

 かになった「臆病になる新聞」 SmartFLASH によるストーリー 2023.7.4

 

・少国民錬成教育の実際

日本軍が真剣に考えた愚策「松の油を戦闘機や戦車の燃料にする計画」を小学生た

 ちも手伝った 現代ビジネス 若尾 淳子 2025.8.20

 …戦前、日本は「神の国」でしたから神である歴代天皇の系譜を小3のときに暗記させられました。朝礼では毎朝、軍人勅諭の朗読があり「戦陣訓5ヵ条」というのを全校で暗誦しました。「軍人は礼儀を正しくすべし」「軍人は武勇を尊ぶべし」……「軍人は質素を常とすべし」だったかな。もちろん教育勅語も暗誦させられました。

 そのころ校庭には”奉安殿“という小さなお宮みたいなものがありました。当時はどこの学校にもあったのではないですかね。中には天皇皇后陛下(明治天皇と昭憲皇太后、大正天皇と貞明皇后、昭和天皇と香淳皇后)のお写真や教育勅語が納められていて、登校時や近くを通るときは、必ず最敬礼するのが決まり。奉安殿の横には二宮尊徳の像もありましたね。…

 貴重な証言だろう。学校教育が抱えている重大な戦争責任が、こうしたことからも少しは伺えるはず。

「死ぬための教育は、教育のまさに逆転現象」子どもたちを支配した軍国主義は教

 室だけでなく少年向け雑誌にまで【報道特集】

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.8.17

参考動画

“故郷を護るため”ゲリラ戦を強いられた沖縄の少年たち 戦後PTSDになり…閉じ込

    められた2畳の座敷牢【報道特集】

    TBS NEWS DIG Powered by JNN 2024/08/15  27:50

 少国民教育の実態を理解できる動画は数が極めて少ない中で、沖縄戦も視野に入れたこの動画は非常に貴重であろう。今の教師たちにもまだ学校の戦争責任を問い続けていく必要があるに違いない。とりわけ現在の日本の学校教育にはびこる行き過ぎた集団主義の恐ろしさはもっと強調されるべきだと思うが、いかがか。

初めて日本の電車に乗って北朝鮮の女性たちが衝撃を受けました...! 毎回止まる

   し、遅れたのに全く違う... IKITERU【イキテル】  2024/11/27  14:27

   ロシアだけではなく、北朝鮮でも国家による洗脳策が行われている。では日本の学校教育は大丈夫なのか、問い返したい。

反日教育について北朝鮮の友達から本音を聞いて泣いてしまいました...教わったこ

   とと全く違う日本 IKITERU【イキテル】 2024/11/29  24:56

   やや視聴時間は長いが、ぜひ生徒たちに視聴させたいイチオシの動画。国家が強制する学校教育の悪しき影響力を思い知ることは絶対に必要である。戦後の北朝鮮出身者の動きや拉致事件など、解説が必要なポイントが幾つかあるので視聴する前に解説文をプリントし、配布しておきたい。

長井暁×神保哲生:権力からの圧力で番組内容が歪められてしまうNHKのままでは

 いけない videonewscom  2023/07/22 1:02:02

 NHKが安倍政治による人事介入によって公共放送としての役割を果たすことが瞬く間に難しくなってきた経緯が分かる。マスメディアへの政治介入とマスメディア側の政府への忖度体質がしっかりと根付いてしまった日本の現状は異常であり、検定教科書制度含め、国民の知る権利への侵害(→「教育と愛国」)がどれだけ深刻なのか、まず知らなければなるまい。

山田健太×宮台真司×神保哲生:どうするNHK。これからも公共放送を続けたいの

 なら統治体制を根本から変えるしかない【ダイジェスト】

 videonewscom 2023/07/22  7:33

 授業で視聴するには中途半端な内容だが、フルバージョンの方を教師が予め整理しておき、足りない分を板書なり、プリント資料で補うならばOK。NHKの放送内容に政府が介入するという放送法違反が堂々と行われてきた事は重大であり、決して看過できない状況が続いていることに注目したい。

【高市早苗氏と総務省文書①】放送法の“政治的公平”を巡る問題…どんな文書が流

 出したのか?中田敦彦のYouTube大学 -  2023/03/28 29:49

【高市早苗氏と総務省文書②】流出した文書を徹底解説!テレビが政治にコントロ

 ールされやすいのはなぜか?中田敦彦のYouTube大学  2023/03/29 33:42

 安倍政治と日本の放送業界が抱えていた問題点(クロスオーナーシップ制、NHK会長の人選方法…)に対する理解は必要だろう。

 ※なお「アベノマスク」を巡る訴訟によって政府の隠蔽体質の根深さと業者によって2倍を超える不自

  然な単価が設定されていた事が判明(→アベノマスクの契約単価、調達業者によって2倍超の差 国

  敗訴で開示朝日新聞社 によるストーリー 2023.4.8)。国民の知る権利がしっかりと保障されて

  いなければ民主主義は機能不全になる虞があるだろう。

オリヴァー・ストーン製作総指揮!映画『すべての政府は嘘をつく』予告編

 2017/02/17 シネマトゥデイ 2:49

監視技術、米が日本に供与 スノーデン元職員が単独会見

 2017/06/01 KyodoNews 4:06

 ◎の二つの動画は質問を挟みながらも是非、連続して視聴させたい。戦争を巡っては何が真実かを私たちが知ることはほぼ絶望的であるという、恐ろしい現実とまず向き合うことから沖縄戦についても議論を始めるべきであろう。謙虚さを欠く、扇動的で断定的言論の多くは信用できない、と心すべきである。

【太平洋戦争】大本営よりサイパン玉砕の発表 直後の日本の様子【字幕付き】

   Tの宝探し冒険記  2024/08/09 7:28

 非常に貴重な動画であり、ぜひ視聴させたい。太平洋戦争での重大局面だったサイパン陥落直後の状況をうかがい知ることができるだろう。特に国民学校の場面では厳しい国家統制下での「やらせ」的情報操作、洗脳策が露骨に観察できる。学校とマスコミの戦時における役割について時間をかけて議論させたい。

【戦争報道】国民も加担?誰が主導したのか?日本には無責任がまん延?戦後より

   戦前にヒント?辻田真佐憲と考える|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/08/22  16:32

 特定個人の犯人捜しではなく、日本社会の制度や構造への眼差しがポイントになるだろう。天皇制という特殊な体制がもたらした負の側面としての集団的指導体制が抱える無責任体質と村社会的相互監視システム、マスコミや学校教育…無謀な戦争を生み出した要素は数多く、複雑に絡み合って存在している。ただカッパはそうした負の側面を持つ戦前の体制、体質が一部、戦後も延命している点を問題視したい。それが戦後日本を戦前の日本に後戻りさせかねない危険因子だという点を授業では強調すべきではないか。いかがだろう。

【1940アーカイブス】戦後抹消命じられた「戦争ごっこ」 80年前の映像記

   録 朝日新聞デジタル  2019/05/05 1:34

   戦時中に流行った戦争ごっこは日本の敗戦後、なぜか一時期だけ復活している。それはいつのことで、なぜ、その時流行したのだろう?

沖縄戦•戦時前の舞台裏: 戦争支援組織の誕生と戦場に直結した暮らしはどのような

   ものだったのか? OKINAWA a la carte  2023/09/20  7:06

 貴重な写真を通じて民衆視点から戦時体制を概観できる。授業では必見の動画。特に戦時中における学校での様子がよく分かるだろう。

元学徒兵が語る 戦争前夜への危機感(沖縄テレビ)2023/6/19

 OTV沖縄テレビ  2023/06/22 7:11

 戦時中の報道統制と軍国主義的教育の危険性がよく分かる。

不都合な真実隠した歴史 沖縄戦に突き進んだ背景に迫る企画展

 沖縄テレビ によるストーリー 2023.6.9 1:03

【沖縄戦本島米軍上陸】米軍が沖縄本島に上陸して2日後にチビチリガマ(読谷

 村のガマ)で凄惨な出来事が起こりました。

 阿波根あずさの沖縄観光チャンネル  2021/10/23  18:35

揺らぐ① やんばるの戦争 民間人殺害の背景

 【琉球放送】RBC NEWS  2023/06/19 7:46

【ドキュメンタリー】「沖縄戦の縮図」といわれる伊江島~知られざる悲しい記憶

 ~令和こそ平和の時代に…日刊ゲンダイ 2019/05/01

 伊江島民泊を予定する学校では必見。沖縄で最も死亡率の高かった激戦地が実は伊江島であったことを知るべきだろう。

ドキュメンタリー 今も続く沖縄戦の傷「晩発性PTSD」QABドキュメンタリー

 扉2014 2014/03/02 

 全部で46分近くを要する。11分10秒までの視聴で可だが、教師としてはぜひすべて視聴しておきたい。

[クロ現+] 戦場のトラウマで精神疾患に 戦後も続く元兵士や家族の苦しみ |

  NHK 2021/09/24 

 5分に短縮されており、授業で利用しやすい。

[目撃!にっぽん] ずっと父が嫌いだった 家族が向き合う戦争の傷痕 | NHK 

 2022/01/25 6:35 

 戦争が心に残した傷跡は家族すら理解できない。

年間6500人自殺者も...米軍が抱える"深い闇"

 NEWS23 2012/02/19 6:06 

 戦争を繰り返してきたアメリカの闇を感じておきたい。

【平和教育】戦争の悲惨さどう伝える?原爆や沖縄戦ばかりで良い?「はだしのゲ

 ン」削除を考える|ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/02/23  16:45

【戦後76年】被爆者なき時代を見据え「実物展示」に転換 広島・原爆資料館【報

 道ランナー】関西テレビNEWS   2021/10/01  13:55

 こだわるべきは実物展示そのものではあるまい。「展示物」が何を物語るのか、そこにどんなストーリーが隠されているのか、今、読み取れることは何なのか…物との対話力こそ、問われているはず。見る側の想像力を多様に刺激する展示の仕掛けをどう工夫していくかは、技術的な進歩や人々の価値観の変化にも左右されるだろう。資料館に「完成形」などあろうはずがない。ひめゆり平和祈念館にも通じる、新たな展示のあり方を常に模索する姿勢が大切だと思うが。

昔話】さるかに合戦&桃太郎にもコンプラの波?ストーリーもオチも全然違う? 

 ひろゆきと考える ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/02/19  19:54

 伝承は時代や地域の在り方とともに変わっていくものであり、現在の価値観が反映されていく事自体は問題ではない。とはいえ「はだしのゲン」の教材からの削除はまた別の問題をはらんでいるかもしれない。この作品を通じて色濃く漂っている作者の鋭い天皇制批判、戦争責任への執拗な追及の姿勢が教育行政側からは早くから問題視されてきた。実際、30年以上前のことであるが、中沢氏の講演が千葉県教委の指導で取りやめになっている。ついに広島県でもそういう時代になってしまったのか…

・チビチリガマとシムクガマ(読谷村)の明暗

戦世から80年 チビチリガマ 真実明らかにした調査(沖縄テレビ)

 2025/4/04 沖縄ニュースOTV 2025/04/10 14:57

 読谷の住民の間でタブーとされていたチビチリガマの集団自決(集団死)を戦後38年にして掘り起こした下嶋氏の取り組みに感謝したい。戦前、戦時中の学校教育こそが最大の加害者であった、という沖縄の人々の思いを今のヤマトンチュはどこまで汲み取ることが出来るのか、ぜひ、考えておきたい。

 なお、動画内で登場した知花昌一氏は1987年10月26日、読谷平和の森球場において開催された第42回国民体育大会のソフトボール競技会の開会式で、掲揚台から日の丸を引き下ろし焼き捨てたことで有名。1995年の控訴審判決において、建造物侵入罪・器物損壊罪・威力業務妨害罪により懲役1年、執行猶予3年の有罪判決が確定している。このことの是非についても議論させたい。

 戦前、戦時中の学校教育には「生きて虜囚の辱めを受けず」とする東條英機の戦陣訓や「鬼畜米英」をスローガンとする欧米への敵愾心の醸成など、集団自決に強く結び付く内容があったことは厳然たる事実。ならば戦後、日本の学校教育はどう変われたのか、変われなかった事とは何か、冷静に振り返ることが必要であろう。

戦後70年の地平から「2つのガマから見えるものは」
 RBC 2015/05/04 6:41

 チビチリガマとシムクガマの運命を分けたものとは何だったのか?ウソをつき続けた当時の戦争指導者や学校とマスコミの責任は重い。
【戦争を知る】集団自決・運命を分けた2つのガマ ~日テレ戦争アーカイブス~ 
 2021/08/13 11:42

 沖縄戦の悲劇として知られるチビチリガマ(読谷村)での集団自決(1945年4月)は親が子を殺すという、凄惨なものだった。村人の総人口194名のうち139名がガマに入ったが、自決者数は83名(85人とする場合あり)、死亡率は60%に上り、その過半数が子どもであった。サイパン島陥落の際(1944年6~7月)にも、投降を嫌って断崖から多くの人々(1万人余)が投身自殺していた。しかしチビチリガマ近くのシムクガマではハワイ帰りの住民が必死に住民を説得し、米兵と交渉したお蔭で1000人近くの村人が全員米軍に投降して生きながらえることが出来ている。

 ※参考記事

  ◎沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず 市民団体調査

   毎日新聞 によるストーリー 2023.6.22

 

 

その3.君が代問題と検定教科書

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

1.君が代問題

参考動画

明治時代に作られた世界一短い国家「君が代」の歴史と謎、そこに込められた意味

 とは? 春日陽のレトロ近現代史 2024/05/01  32:26

 「君が代」の概要を知るにはこの動画が一番だろう。

【君が代】給食&ランチで流しちゃダメ?歌詞に込められた思いとは?EXITと日本

 の国歌を考える|アベプラ

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/06/02  19:25

 「君が代」に詳しいとされる金谷氏の説は「君が代」の「君」と「代」の持つ意味を軽視していて実に珍妙というほかない。千年以上歌われた歌…と強調しているが、それは当時、宴席にいる年長者などの長寿を願い、祝う歌と意味づけられていたからである。しかし天皇制国家の樹立を急ぎ、国歌を持つ欧米に列しようとした明治政府によって急遽、「君が代」に国歌的役割が付与されて以降、「君が代」の意味と目的は完全に変質してしまったとみるべきである。にもかかわらず古代と同じ意味付けのままで「君が代」が近代以降も歌われ続けた…などといった長閑で珍妙な現象が、一体全体、一度でも起こりえたのだろうか?どこからどう見ても明治以降における学校での「君が代」斉唱の目的は校長や保護者ら、年長者の長寿を祝うことにあったとは思えまい。

 また現天皇の健康と長寿のみを祝い、寿ぐ歌ですらなかったはずである。金谷氏の説がいかに珍妙なゴマカシに過ぎないかは明白であろう。逆に「君が代」が天皇制国家の歌として明治政府があらたな意味と目的を付与して政治的に創出したものであることもまた明白なのである。

 「君が代」を支持する側の論理は多くの場合、近代以降の国威発揚と国体護持的役割を担った「君が代」の負の歴史をうやむやにし、ただの祝い唄とみなして毒消しを施すことで天皇制の持つ反民主主義的危険性を延命させようとする意図によって組み立てられているように思えるがいかがか。そしてその論理は「教育勅語」を擁護しようとする議論にも共通しているだろう。

【日本国歌】君が代の「君」の本当の意味│小名木善行

 むすび大学チャンネル  2022/08/28 12:04

 「君が代」は世界に誇れる素晴らしい国歌だとする立場を代表する一人が小名木氏であろう。上記のアベプラに登場した金谷氏とそっくりの説である。彼らの考えに沿うような君が代の解釈を行っている動画、実は調べてみたらyoutube上にいくつも存在している。

 「世界が称賛する日本」、「ガクの本棚」、「知って!エンジョイライフ」、「COOLJAPAN 素晴らしき日本」、「小坂達也の帝王学・神道・占術」、「boo choco」、「goo7272」、「なんだかんだ」、「学校では教えてくれない話」、「レイナの部屋ブラックワールド」、「津田紘彰『100年先の日本人へ』」、「髪西」、「Rika.心と身体をつなぐセラピスト」、「土丸兄弟」、「セカイノワダイ」、「敷島太郎」、「やひろ」などなど…

 以上のチャンネルでは多少の違いはあるものの、ほぼほぼ同じ解釈の動画を流している。どうやら同じ立場にある人々が組織的にかつ継続的に「君が代」キャンペーンを展開しているらしい。

 ただし残念ながら小名木氏は君が代の原型が古今和歌集(10世紀初頭成立)にあるはずなのに「和漢朗詠集」(11世紀初頭成立)と番組で言ってしまっており、これは明らかな間違い。彼に追随している(?)ようなチャンネルではさすがにこんな初歩的間違いはしていない。しかし「君」の解釈と歌全体の解釈はほぼ同じまま。大和古語で「き」は男、「み」は「女」を意味し、「君」は夫婦であるとしてあたかも「君が代」が夫婦仲睦まじく、末永く暮らせることを願い、「高砂」と同様に結婚を祝うかのような、非政治的に毒消しされた目出たい愛の歌とされてしまっている。

 天皇制国家樹立に沿う形で忠君愛国の精神を全臣民に植え付けようとする強い政治的意図を持って「君が代」がまずは学校教育に導入された経緯からみても明らかに荒唐無稽な解釈なのだが、どうやらこの界隈ではこうした解釈がかなり横行し、それらの動画はそれぞれ数十回から数十万回、視聴されている。

 YouTubeの影響を受けやすい若者がこんな途方もなく珍妙な解釈にあっさりと洗脳されてしまうようでは元社会科教師として無力感を禁じ得ない。

 問題はこうした荒唐無稽な解釈の横行を許してしまっている学校教育の在り方にある。卒業式などの儀式では「君が代」の斉唱を強制する一方で、多くの学校では何かに忖度して「君が代」の歌詞や解釈、国歌としての成立過程を授業で教えてこなかった。もちろんそれが激しい政治的議論を呼びかねず、余計な対立や分断を招くのを恐れての、ある種、政治的、教育的な配慮、妥協であるのは分からないわけではない。

 しかし国民の「君が代」についての知識不足に基づくこうした曲解の流布、横行は「国民主権」や「象徴天皇制」への理解を妨げてしまうことに直結しかねないだろう。「君が代」をめぐる知識不足と思考停止の現状は日本国憲法の大きな柱である国民主権(主権在民)をも揺るがしかねない、明らかにとんでもなく危険で不健康なものである。

 文科省がこの問題を放置しているように見えるのも実に卑怯で無責任だと思うが…

※関連記事

         子どもに「君が代歌えるか」 調査求める決議、石垣市議会が可決

   朝日新聞 2025.9.25

    市議たちは学校で君が代を歌う事と、日本国憲法の国民主権の定めとの齟齬を十分に理解し、

   子どもたちに説明できるのだろうか。教師たちがそれをしっかりと授業で説明しても、彼らは教

   育委員会にクレームを出さないのだろうか。仮にクレームを一切、出さないのであれば、教師た

   ちの中には喜んで君が代の歌詞を詳しく教える者が出てくるだろうが、それでも彼らは黙ってい

   られるのだろうか。

    教える内容によっては、市議会からクレームが噴出することになるのではあるまいか。君が代

   の解釈について、歴史的経緯を踏まえて市議たちが十分な理解ができているのかどうかは、実に

   怪しい限りである。

    中国の動きを警戒するあまり、政治的中立を謳う公教育への強引な政治的介入を試みるのは、

   かえって中国の領土的野心を刺激するのみならず、沖縄の人々の分断を一層、煽るだけではない

   のか。これは明らかに政治家の思い上がりであり、教育の政治的中立性を損なう極めて軽率な振

   る舞い、と言うほかあるまい。

  「日本のネット右翼」は何人いる?選挙結果から見えた“意外な数字”

   ダイヤモンド・オンライン 古谷経衡 によるストーリー 2023.7.20

   珍妙な君が代の解釈が流布しかねない背景に珍妙な解釈を手を変え品を変えては展開する、組織

   的ともいえるYouTube上の動画の数々があり、特にYouTubeの影響を強く受けがち

   な若者への影響が懸念される。たとえ古谷氏の推測するネトウヨの人口が200万人程度だとして

   も、君が代動画を検索したとき、ネトウヨ系の動画が圧倒的に多いという極端にバランスの崩れ

   てしまった現状は揺るがない。

      〇【学校では教えない】藤原氏の正体|小名木善行

         むすび大学チャンネル  2023/12/17 15:04

         小名木氏が日本の歴史を講義するシリーズの中の一つ。驚くほどに間違いだらけの内容で、特に

         漢字の読み間違いという初歩的ミスがあまりにも多くて呆れてしまう。多くの人が視聴し続けら

   れるレベルには到底達しているとは思えない動画であるにもかかわらず、何とアップされてわず

   か4日目で3万9千以上の視聴回数を稼いでいる。

    このことが何を意味しているのかは想像に難くない。明らかに小名木氏には歴史学を本格的に

   学んだ形跡が見られず、誰かの入れ知恵で組織的なバックアップを背景にこうした動画を配信し

   続けていることが分かる。

    これだけ間違いだらけのレベルで果たして公に発信して良いのか、問われるべきだろう。

日本人は卑屈になる必要はない!教師が国歌を歌わない事の違法性!

   竹田恒泰ch公式切り抜きチャンネル 2023/12/22  7:56

 学校で「君が代」の歌詞をきちんと教えることが今、本当に許されているのか、学校の現状を知らない竹田氏の限界が露呈している動画。「君が代」自体が憲法違反の可能性を持つ歌詞であることをどう評価するのか、によって結論は180度、違ってくるだろう。当然、教師は憲法違反の恐れのある国歌を生徒たちに歌うよう指導することは出来ない立場である。したがって「君が代」を教えるのであるならば、歌詞の解釈、とりわけ憲法との関係性が極めて重要になるのは言うまでもあるまい。

 「君が代」の公的解釈は戦時中、文部省の時代に出されているので、その解釈に今も準拠すべきか否かが問われるだろう。竹田氏の意見が奇妙に感じるのは戦前の文部省の解釈を無視するかのような解釈を竹田氏がとっているという点。以下の動画では竹田氏が戦時中だけでなく、戦後の文部省の見解ともかなりズレた独自の新しい解釈に基づいているように思える。だとすれば教師は一体どの立場で「君が代」の歌詞を教えることになるのか、ぜひとも言及が欲しい。

 カッパとしてはあくまでも戦時中の文部省の解釈を踏襲すべき、との立場である。したがって「君が代」は明らかに国民主権をうたう日本国憲法第一条に違反する国歌であり、歌わせること自体が憲法違反であると考えている。仮に「君が代」の解釈を憲法に沿う方向で変えるのならば、どうしても題名を含む歌詞自体を全面的に変える必要があるとすら考えるが、いかがか。

【竹田学校】音楽・国歌①~日本国国歌「君が代」①~|

 竹田恒泰チャンネル2  2020/04/29 20:55

【竹田学校】音楽・国歌②~日本国国歌「君が代」②~|

 竹田恒泰チャンネル2  2020/04/30 19:19

 「君が代」を天皇の健康長寿を願い、祝う歌とするのは古文の解釈としても問題があるだろう。戦時中の文部省の解釈が最も正しいものであり、天皇の支配の永続性=国体護持を願うものとするのが真っ当な解釈。1941年(昭和16年)に設立された国民学校の修身教科書でも「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」(国民学校4年用国定修身教科書『初等科修身二』)と記されている。

 そもそも明治期に天皇制国家の確立を念頭に置いた歌として成立してきた経緯からみても竹田氏の解釈は少しズレていると思えるのだが、いかが。

 この動画では楽曲としての側面を取り上げ、もっぱら「歌」としての説明が主となっている。天皇制批判を避けるべく敢えて論点をずらそうとしているのが見え見えではないか。

 日本国憲法下における新しい国歌を制定しようとする読売新聞などマスコミ各社の動きやGHQの対応に言及していない点も歴史学者による君が代の説明としてはきわ

めて不十分だろう。

 どこからどう見てもこの国歌が日本国憲法第一条の「国民主権」の原則に抵触しかねない側面があることは否めまい。そもそもが天皇主権を定めた大日本帝国における国歌的位置づけを持って作られ、各種国家的儀礼の場で斉唱されてきたのが「君が代」なのだから、この歌が現憲法とマッチしないのは当たり前であり、マッチするはずがないのである。

参考記事

「君が代不起立」教員の減給は違法、一部処分を取り消す 原告代理人「つまらない

    判決の典型例といえる」…東京地裁    弁護士ドットコムニュース 2025.8.1

 「君が代」を国歌とすること自体が国民主権を定めた憲法第一条に違反する可能性は十分あるだろう。元来が保守的な体質で面倒な議論を避けただけの最高裁のいい加減な判決を、東京地裁が自己保身のためなのか、ただ鵜呑みにするだけ。これではただでさえ民主主義を骨抜きにしかねない現天皇制への議論を深めることは出来ない。

日本兵は「消耗品」のように散っていった…無慈悲に「玉砕」を命じるエリート将校を

    育てた"過激な教育内容"    プレジデントオンライン 保阪 正康  2025.7.9

    皇軍としての日本軍の特色は「上官の命令は天皇の命令」とみなして絶対服従を強制する、封建的な体質に代表されるだろう。それが太平洋戦争時、無意味な玉砕、万歳突撃を繰り返した根本原因の一つであることは間違いない。そして皇軍とまったく同じ封建的体質を持っていたのが「皇国民錬成」に主眼を置いた学校教育であった。児童生徒もまた皇国民として教師の指示には天皇の命令と等しく、絶対服従を強いるものであった。この傾向は小学校が国民学校と改称された段階で一層、厳格な不文律と化していた。

    日本における戦争の悲劇が多く天皇制に由来するものであることは疑いようのない事実であり、戦争責任の核心中の核心ですらある。したがって天皇制の持つ意味について詳しく触れようとしなかった戦後の教育はまやかし以外の何ものでもあるまい。国民すべてを「消耗品」としか捉えない発想は軍隊のみならず、学校教育にも広く深く浸透していたのだ。

    そしてそのことへの深い省察がなされることなく、戦後教育は慌ただしくスタートしてしまった。教師たちの顔ぶれも、精神性も、学校文化も本質的な変化はさほど見られず、それが戦後においても詰襟やセーラー服といった軍隊の「お下がり」としての制服、ランドセル、丸刈り、体罰の横行、高校における男女別学などとして学校の随所に色濃く残存していた。

    こうした戦後教育の歩みへのしっかりとした反省が無ければ、現今の教育改革の議論はまたぞろ不毛なものに終わるに違いあるまい。

職員研修に教育勅語「明らかに誤り」 広島市長に県弁護士会長が声明

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.2.14

広島市の職員研修に教育勅語 現行憲法に反すると批判

   共同通信社 によるストーリー 2023.12.11

   市長が教育勅語の一部を職員研修の資料として2012年から使い続けてきたことをどう捉えるのか、議論のテーマとして使いやすい記事。市長はこれが憲法違反とする批判に対して、勅語のすべてが悪いのではなく、その一部には現在も学ぶべき要素があるとして反論している。この反論は君が代や教育勅語を擁護する保守主義的政治家が再三、展開してきた論理である。ただしその言が一部正しいとしても、市長が実際に引用した文言に違憲とされるような部分があったとしたならば、これは間違いなく由々しき問題。

   資料に引用された「爾臣民、兄弟に、友に…」という箇所は「臣民」という用語自体、すでに現行憲法違反であることに気付いての市長の反論なのかどうか、ぜひ伺いたい。そもそも「臣民」=「国民」とすること自体が違憲であることにすら市長が疑問を感じていない、というならば、これはもはや市長の確信犯的言動であり、憲法順守の立場をとるべき公務員への研修として極めて不適切であり、決して看過できない問題だろう。

   実は「君が代」を国歌とみなすべきか否かの議論と「教育勅語」の精神を踏襲すべきか否かの議論とは基本的に通底する部分が大きいように感じる。端的に言えばそれは「国民主権」と天皇制との関係性をどう捉えるのか、に関わる大問題であり、日本における民主主義とは何なのかを問うことに直結する大きな政治的テーマとなりうるからである。つまりは「臣民」という言葉を今も生かし続けるべきなのか、が君が代と教育勅語を扱う際の核心となるテーマなのであり、それを不問にしたままでは建設的な議論が一切できない…とカッパは考えるがいかがだろう。

石原慎太郎都政の「日の丸・君が代強制」から20年 「モノ言えぬ」教育現場に人は

   集まるのか 東京新聞 2023.10.24

 「東京都教育委員会が、都立学校の教職員に入学式・卒業式での「日の丸・君が代」を強制した「10・23通達」から、23日で20年が過ぎた。都教委はこれまで延べ484人を懲戒処分。「思想信条の自由」を理由に取り消しを求める訴訟が今も続く。」という。「日の丸・君が代」強制について生徒たちの意見を募りたい。

中学校の昼食中に『君が代』、教師の指導に物議。海外との比較で浮き彫りになっ

 た“異様さ” 日刊SPA! の意見 2023.6.2

 一番のポイントは学校側がなぜ給食中の放送を指導したのか、その理由を生徒たちにきちんと説明できていない事。つまり学校では「君が代」についての説明や議論が今はタブー視されていて、ほとんど行われていない事こそ大問題。国歌を儀式で歌わせる指導だけは熱心にするが、肝心の国歌の意味、意義、歴史的経緯を論じることはなぜかタブーとする日本の学校教育に対して多くの疑問が海外からも寄せられていることをどう捉えるのか、ぜひ議論させたい。

 これまで長い間、日本の民主主義の根幹にかかわる天皇制に対する国民の思考停止を招いてきたこのタブーを日本はこれからも放置していて良いのだろうか、このままで民主主義国としての日本の主権者教育は正常に機能しうるのだろうか、この件が孕んでいる問題は憲法をも揺るがしかねない深刻さがあるだろう。

君が代不起立で戒告、元中学教諭の取り消し請求認めず 大阪地裁

 毎日新聞 2022.11.28

 「君が代」とはどういう意味を持つ国歌だったのか、是非、問い直してみたい。

 私の経験では君が代の歌詞を必要な限り漢字できちんと書けた生徒は授業で教えてきた2000人余りの内、ただの一人もいなかった。そろそろこの事の持つ意味の異様さ、重大さをしっかりと認識してはいかがか。学校の重要な儀式で歌う事を義務づけられている、本来ならば尊重されるべき国歌にもかかわらず、歌詞とその意味すら学校ではまともに教えられてこなかった。

 こうした「君が代」の国歌としての異様な不自然さは一体、どこから来ているのだろう。その成立と国家の狙い、敗戦を機に生じた新しい国歌制定の動きと歌詞の解釈の変遷を中心にこの際、授業でもしっかりと学習し直すべきである。

 なおこの問題も大阪で生じている。学校を巡る事件を連発させてきた神戸市を擁する兵庫県と大阪府・・・一体、この地域の学校教育で何が起きていたのかも併せて、この際、じっくりと検証した方が良いのかもしれない。

「君が代」暗記の児童・生徒数を調査 大阪・吹田市教委に批判の声

 毎日新聞 によるストーリー 2023.6.14

君が代暗記調査 吹田市教委、2012年から5回実施 発端は自民市議

 毎日新聞 によるストーリー 2023.7.24

 君が代斉唱にひときわ熱心な大阪、学校行事ではひたすら「君が代」を暗記させる一方で、たとえば社会科の授業で「君が代」の歌詞をきちんと漢字を用いて書かせるような指導をすることはおそらく、NGだろう。この明白な矛盾に関してこれまでしっかりと追求した論説を新聞やネット上で私は見かけたことが無い。つまりこの問題は決して行政や学校教育だけの問題ではない。

 敗戦直後、君が代にかわる新しい国歌の制定運動を牽引していたはずの読売新聞等のマスコミもまた共犯者としてこの件に加担していると見てほぼほぼ間違いあるま

い。そして行政、学校、マスコミが一体何を恐れ、何を忖度してこの問題を今まで徹底追及してこなかったのか、その理由もまた実に明白ではないのか。まさに似非民主主義国家としての戦後日本のイカサマ具合、ネジレ具合がこの「歌わせるが教えない君が代問題」として集約的に表現されているように私には思えてくる。

 ことは日本国憲法第一条の「国民主権」に関わり、日本の民主主義の根幹をも揺るがせかねない重大問題であろう。この件に関しては旧刑法の「不敬罪」が無くなった現在、特定の人々への忖度は一切不要である。むしろこの件に対して見て見ぬふりをすることは憲法と民主主義を奉ずる教育公務員として本来ならば決して許されまい。それは児童生徒への明白な背信的・背徳的行為ですらある。

 裏を返せば現在の日本における学校教育がどれほど青少年に害悪を垂れ流しているのか…社会科教師たるもの、真剣な反省が迫られているだろう。

参考動画

幼稚園の朝礼で君が代、教育勅語、(私立塚本幼稚園:大阪市)

 小坂英二  2011/10/19 14:14

「大阪市内の私立塚本幼稚園視察の際に撮影。朝礼で園長先生と地方議員の挨拶をしっかりと聞いたのち、いつも通り、国歌斉唱、教育勅語と五箇条の御誓文の暗踊、体を動かし、その後瞑想と続きました。素晴らしいの一言です。

 お兄さん、お姉さんの見よう見まねで、2歳児もしっかりと朝礼に参加してました。

 (平成23年10月14日 日本創新党 地方議員会 視察にて)

 塚本幼稚園 http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/

 安部元首相の崇拝者、籠池氏が園長を務めていた大阪の塚本幼稚園の朝礼を撮影したもの。籠池夫妻は後に森友学園問題で有罪判決を下されている。この件で当時、首相だった安部氏とその妻昭恵氏らの関与が取りざたされたが、証拠不十分で安部氏側の罪は問われなかった。証拠隠滅のために上司から関係資料の改ざんを命じられた末端の公務員赤木氏の自殺も加わり、大事件に発展したが、この件でも安部氏らの関与はウヤムヤにされ、当時の財務省官僚一個人の責任とされてしまった。

 教育勅語の復権を唱え、教育基本法に愛国心の養成を盛り込んだ故安部氏の目指す政治とは一体何だったのか、もう一度しっかりと再検証すべきだろう。

 ※参考記事

      〇「森友改ざん訴訟」まさかの敗訴に赤木雅子さんは法廷でくずおれた「私、負けたの?」 抗議の

         声で騒然とする中、裁判長は…《法廷レポート》

         文春オンライン 相澤 冬樹 によるストーリー 2023.9.11

知って欲しい、教科書で“いま”何が起きているのかを/映画『教育と愛国』

 予告編 2022/03/22 moviecollectionjp 2:16

映画「教育と愛国」が示すもの 「政治の道具」迫る危機 ディレクター・斉加尚

 代さん 2022/04/13 毎日新聞 5:44

…保守政治家が推奨する育鵬社の歴史教科書の代表執筆者で東大名誉教授の伊藤隆さんが語る場面。「教科書が目指すものは?」という私(斉加氏)の質問に対し、「ちゃんとした日本人を作ることです」「ちゃんとしたとは?」「…左翼ではない」と明言するシーンにどっと笑いが起きた…アルゼンチンでの映画「教育と愛国」へのこうした反響に斉加氏は注目し、さらに…「自分は歴史を教えているが、この映画を教材にぜひ使わせてほしい」「慰安婦問題について日本政府がこれほど社会に圧力をかけて沈黙させているとは知らなかった」「教育への政治介入は、どの国にも共通する課題だ」などなど。映画を介して意見を述べることを観客たちは楽しんでいるようでした…と記す。

 今の検定教科書がどれほど歪んだ記述になってしまっているのか、私たちは改めて検証し直すべきだろう。

【白井聡 ニッポンの正体】~映画 「教育と愛国」 から考える~ 歴史を私物化する

 “愛国者” 2022/04/15 デモクラシータイムス. 1:27:00

【日本保守党③】歴史認識は?戦後は自虐史観?政党の顔をどう発掘?総選挙での

 勝算アリ?百田尚樹&有本香と考える|アベプラ

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/09/27  19:41

 日本保守党が掲げる歴史認識として、日本は最高の国家であり、「万世一系の皇統を護持」すべきだというものがある。これと上記の「教育と愛国」との大きな認識のズレは討論の題材として扱えるだろう。確かに戦後の歴史教育が「自虐史観」と批判される側面はあっただろうが、行き過ぎた愛国教育もまた外交上、バランスを欠いたものであり、日本の国際的孤立を招くだろう。要は「万世一系の皇統」を護持することが今後の日本にとって正しいのか、適切なのか…議論は尽きないことが期待でき、有益な授業となるはずである。

【天安門事件以来の盛り上がり】中国の言論統制と闘う若者たち 家族や仲間が拘束

 され銀行口座も凍結 [クロ現] | NHK  2023/09/14 9:46

 中国の若者たちの言論の自由を求める命がけの取り組みに対して、まず、どう思うのか、生徒たちに問いかけたい。さらに、日本の若者たちに今、言論の自由が本当にあるのか、問いたい。続けて言論の自由が成立する前提条件に付いていくつか列挙させたい。

 そしてもう一度、日本の若者に言論の自由が本当にあるのかを問いたい。

参考記事

「ヒトラー・ユーゲント」が日本で巻き起こした大旋風…日本人はヒトラーをどの

 ように受け入れたのか? 現代ビジネス 井上 寿一 2025.3.27

 ヒトラーの下でのドイツ国民の平等幻想と、天皇の下での「一視同仁」という日本国臣民の平等幻想とは全体主義思想において似通った側面があるかもしれない。ただし日本の場合は国家としてまず「神国」とされ、天皇もまた「現人神」とされた点で、極めて宗教的な色彩を強く帯びているのが特色だと感じる。

 とは言え、近衛文麿らはドイツ第三帝国の政治体制を模範とし、翼賛体制の確立を進めていった。その一環としてヒトラー・ユーゲント(1926年発足)の発想を取り入れ、1934年には大日本青年団(⇒大日本青少年団)を結成して教育への国家介入の度合いを強めていく。事実、日本はヒトラーを熱狂的に受け入れ、随所にその国家主義的発想を生かそうとしていたのだ。やがて小学校に代わり、国民学校を創設(1941)して皇国民錬成教育の徹底を図ったのも、そうした流れの上での出来事だった。

 早くからナチス、ヒトラーを礼賛し、日本の青少年を「少国民」として国家主義の一翼を担わせていった近衛文麿らの責任は極めて重大であった。しかし責任は政治家だけではなくそうした国家主義に加担した教育者、教育学者らにもあっただろう。そして彼らが敗戦後もどのような理念を持って戦後教育に関わり続けたのか…戦後教育の闇もまた厳しく問い続けるべきではあるまいか。

被爆した医師を天皇が批判 背景に占領下の検閲、原爆報道や出版制限

   朝日新聞社 2024.12.10

 沖縄のアメリカによる長期支配を許容する主旨の発言や原爆投下を戦争中の事だから「やむを得ない」とするなど、国民よりもアメリカ側に深く忖度したような発言が目立つ昭和天皇の考えをよく示すエピソードである。

とは言え、被爆した永井医師を「宣伝屋」と蔑む発言は広島や長崎の被爆者からすれば明らかに許容しがたいものがあるように感じるのだが、いかがだろう。かつて本島等長崎市長(当時)が天皇の戦争責任に言及した件は、それまでに被爆者に対して冷たく突き放すような昭和天皇の発言が一度ならず見られたことに起因するのではあるまいか。

 何はともあれ、天皇の戦争責任について論ずることさえタブー視する今の日本の風潮は、国民主権という民主主義の土台をも危うくしているように感じる。戦争における天皇の責任への賛否はともかく、論ずることさえ許さないような学校教育の現状には戦前に通ずる危険なまでの硬直感が漂う。

ドキュメンタリー『教育と愛国』は南米アルゼンチンでどう受け止められたか? 斉

 加尚代監督が杉田水脈議員「33万円賠償命令」に思うこと

 集英社オンライン オピニオン 2023.6.14

安倍氏国葬、氏名の74%黒塗り 著名人、元議員ら不開示

 共同通信社 によるストーリー 2023.8.7

やましいことでも…? 安倍元首相国葬の招待客名簿「7割超が黒塗り不開示」の不 

 可解 日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 2023.8.7

 安倍氏と交友があった著名人を含む「遺族・遺族関係者」は96%が、元国会議員は100%が不開示だった。政府は国葬を内閣府設置法上の「国の儀式」とし、約12億円の経費を全額国費で賄っている。公費の使い道として透明性が問われそうだ…とのこと。公明正大をモットーとすべき報道関係ですら、何と100%非開示。

 この国の学校を含めた際限もない隠蔽体質にはウンザリ。「安倍的」なるものの代表格が忖度と隠蔽であったと思われるが、死後までそれが貫徹されていることに驚き、呆れる。

 ※参考動画

  日本最多“政府がツイート削除要請”(2022年1月26日)

   2022/01/26 ANNnewsCH 0:56

補足:象徴天皇制の闇

佳子さま「皇室脱出計画」とその反動を占う…狙っているのは結婚ではなく“正面突

 破”か(元木昌彦) 日刊ゲンダイDIGITAL  2023.8.20

 皇室の人権をめぐる論議に一石を投じる記事。下のAERAの記事と比較して議論させたい。皇族の人権はどこまで尊重されるべきなのかをスタート地点にして、今の天皇制に改善点があるとすればどういう点なのか、今の日本に天皇制は本当に必要なのか、その是非まで含めて根本から考えさせたい。

木村草太×宮台真司×神保哲生:天皇・皇族の人権のあり方を問いつつ最高裁判決

    を検証してみた【ダイジェスト】

 videonews com2021/10/23 11:51

 天皇制の問題を人権問題の観点から論じた貴重な番組。

秋篠宮家はなぜ学習院を避けるのか 「道徳観が見えない」OGが抱き続ける世間と

 のずれ AERA dot. 2023.8.12

宮家なのに“世俗的な上昇志向”に見えた 国民が皇室に求める「無垢」と「高潔」と

 は AERA dot. 2023.6.11

 現在の天皇制と皇族の人々をこれまで以上に基本的人権の観点から見直す必要が強まってきているのだろう。はたして現在の皇族には皇室離脱の自由を含め、どれほどの基本的人権が認められているのだろうか、日本国憲法の規定と皇室典範には大きな齟齬が見られないのだろうか、「日本国の象徴」という抽象性の持つ残酷さに目を向けてみると、この国の極めて異様な「民主主義」の在り方が浮き彫りになってくる…そんな気がするのだが、いかがだろう。

 長女の結婚を巡る騒動をはじめとする秋篠宮家へのバッシングが生じてきた背景には一体、何があるのか、女系天皇制やら皇位継承問題が取りざたされる現在、しっかりと考えてみる絶好の機会が訪れている。「逆差別」という観点からも、日本の民主主義を根底からとらえ直す上でも、このバッシングは格好の素材であり、ぜひ討論の俎上にあげるべきテーマであるのは間違いない。

 しかし議論を始めようとしてすぐに直面するのが、私たちの天皇制に対する知識の驚くほどの乏しさ、理解の浅さではあるまいか。たとえば天皇家の人々の名字をこれまで1000人以上、授業で尋ねてきたが、実はこんな初歩的問題に対してすら、誰一人、まともに答えられた生徒はいなかった。国歌とされる「君が代」の歌詞もまた誰一人、正確に書けた生徒がいなかった。もちろん「建国記念の日」はなぜ2月11日なのか、まともに答えられる生徒はやはり皆無。すなわち日本人の多くは最早、紀元節が日本国の誕生日とされていたことすらまともに理解できていない。

 国王、君主が存在する国々において国民のほとんどが国家誕生の由来どころか国王の名前や国歌すら真面目に知ろうとしない、知らないことにすら気付いていない…そんな異様な国は世界広しと言えども日本だけである。そのとんでもない特異性を私たちはまず知るべきである。

 ではなぜ私たちは憲法の冒頭に記述されている天皇制に対してその本質的側面まで真剣に知ろうとしてこなかったのか、なぜ今まで理解を深めようとしてこなかったのか…学校教育を含め、厳しく追及すべき問題点は多い。江戸幕府の「知らしめず、依らしむべし」のいわゆる愚民化政策、国家規模の隠蔽体質こそ、明治以降も手を変え品を変えて巧妙に受け継がれ、今や民主主義の空洞化、機能不全を招き、恐ろしいほどに腐敗させる元凶となっているのではあるまいか。知識を広めるべき日本の学校にはびこる各種の隠蔽体質(イジメ事件等の不祥事隠しにとどまらず、教えるべきことを教えてこなかったという重大犯罪も含まれる)が児童生徒の知る権利、学ぶ権利を阻害してこなかったのか。

 情報公開や公文書管理が悲惨なレベルまでの杜撰さ、遅れを見せつけている一方で国家機密の保護だけは熱心に取り組んできたこの国の行く末は極めて危うい…秋篠宮家バッシングの一件を少しばかり考察するだけでもそう思えてこないだろうか。

 二つのAERAの記事は天皇家の基本的人権を一方的に蹂躙する、世の体制派に阿るだけの醜悪な記述に満ちている…と思うのだが、いかがか。

参考動画

平和主義からの「大転換」ウクライナへの武器供与に踏み切ったドイツ 学校で

 は「加害の歴史」を踏まえ生徒が議論「過ちは繰り返さない」【news23】

 TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/08/05  13:29

参考記事

アメリカ在住の精神科医の私が、ドイツ人の友人に聞いて驚いた“平和教育の中

 身”「あらゆる科目でナチスの過ちを…」

 文春オンライン 内田 舞 によるストーリー 2023.8.15

 日本では平和教育に対して自虐史観を植え付けるものと決めつけて貶める風潮すら見受けられるが、ドイツではナチス時代への厳しい反省が今も学校教育を通じて繰り返されてきている。この差がドイツをEUの中軸としてヨーロッパの指導的立場に立つことを可能としているのだろう。

 振り返って日本は隣国、東アジアにおいて政治的なリーダーシップを期待されたことがこれまで一度でもあったのだろうか…

 同じ敗戦国として戦後を過ごしてきたドイツと日本との大きな違いに注目したい。

戦争責任への取り組み姿勢、戦争に関する学校教育、ウクライナ戦争への対応…

 どれを見てもまったく異なる側面があることを他の資料も用いてしっかりと確認し

たい。日独ともに軍事予算をGDPの2%としたが、その判断に至る経過はまったく異なっている側面があるだろう。「過去と向き合う」努力を「反日」の言葉で一掃しようとする日本の危険な風潮にも目を向けたい。日本の学校では一体全体、「加害の歴史」を踏まえた議論がどこまで行われているのか…

 

2.検定教科書問題

参考記事

中国式に変わる香港の教育に教師の不安 中国メディア「教材の消毒は重要」

 FNNプライムオンライン 2020/10/07 

天安門事件や雨傘運動の内容削除 香港教科書、教育にも規制

 - 共同通信 - 2020年8月29日

ロシアの新しい歴史教科書、ウクライナ侵攻を正当化 人類の文明守るためだと 

 BBC News によるストーリー 2023.8.10

 教科書とはどんな目的で何が記述されるのか…国定教科書や検定教科書の危うさを知るにはもってこいの記事。日本の教科書の記述はどこまで信用できるのか、「君が代」に関する公民科の教科書や沖縄戦に関する日本史の教科書の記述を確認させ、生徒たちに問うてみたい。

「学問の自由」がいつも破られる歴史的理由 研究と国家権力との危険な関係は常に存

 在する 東洋経済オンライン  的場 昭弘 2020/10/17 11:10

沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず 市民団体調査

 毎日新聞 によるストーリー 2023.6.22

中島岳志氏が指摘「この国は再び『生きづらさ』に起因するテロの時代に入った」

 日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 2023.5.29

「新しい戦前」…80年前と酷似?戦争資料から浮かび上がる「今の日本のヤバさ」 

 FRIDAYデジタル の意見 2023.8.6

 人権を軽視する教育こそ「新しい戦前」を招き寄せる最たる元凶。学校と軍隊との類似性に気付くことからこの分野を始めたい。現在の日本の学校教育が孕む平和を脅かす危険性とは何か、いくつかの資料を基に生徒たちに考えさせ、出来る限り近代の学校が孕んできた危険なポイントを数多く挙げさせてみたい。

参考動画

【歴史教育】「戦国武将の名前は知ってるのに」近現代史より縄文弥生を重視?な

 ぜ知識・暗記に?今の国際情勢を理解するための学びとは?|

 #アベプラ《アベマで放送中》2021/12/10 14:03

【性教育】なぜ家庭や学校で教えない?小中学生が使う言葉で性を考える「性=秘

 めごと」は正しい?ひろゆき&紗倉まなと考える性教育|#アベプラ《アベマで放

 送中》 2021/11/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 14:41

【宮台真司】「政治や性愛、趣味はタブー。裏垢で議論」なぜ日本社会は政治を語

 らない?連帯できない若者たち EXITと考える政治参加|#アベプラ《アベマで放送

 中》 2021/10/29 ABEMAニュース【公式】 29:28

 日本の学校教育がタブー視して避けてきたテーマが以上の動画などから見えてくるだろう。

前編:【山口周×波頭亮】幸福をRethinkせよ。

 2022/01/03 NewsPicks /ニューズピックス 36:45

後編:【山口周×波頭亮】幸福をRethinkせよ。

 2022/01/03 NewsPicks /ニューズピックス 25:08

 山口周氏の指摘は大変示唆に富み、実に刺激的。特に自殺希少地区の特徴として挙げられた「募金が集まらない地区」、「人の話を聞こうとしない地区」という予想外のポイントに驚愕させられる。学校とメディアの果たしてきた負の役割が若者の保守化、政治離れにつながっているとの指摘も社会科教師として刺さるものがある。日本には概念としての「社会」は存在せず、個人を隷属させる世間しかない。そして学校や世間、メディアは言葉によるフレーミング=「呪い」をかけて人々の言動を縛ろうとする。日本特有の住宅の長期ローン、資格、学歴、大企業、肩書き・・・すべて人々を呪いにかけるワナと化す。グレタのデモに同調する動きがほとんど見られなかった先進国は日本だけではないか。同調を強いられ、匿名による誹謗中傷以外に社会に向けての発信が出来ない日本人は様々な呪いにかけられ、閉塞している。呪いから解放されるためには「わがままは美徳である」としたヘッセの言葉をかみしめる必要がある・・・等、示唆に富む指摘である。

 特に空気を読むこと、周囲に忖度することに慣れ親しんだ教師たちは教科書の記述から自らを解放するためにも前後編とも是非、じっくりと視聴してほしい番組。

【松本杏奈】スタンフォード大学現役合格はオンライン化のおかげ!小中高の"学校

 教育"はもっとネット&スマホの活用を!入山章栄×藤原和博×モーリー | 

 FACT LOGICAL 2022/03/05 日経テレ東大学 39:25

 藤原氏のメガ都立構想は極めて興味深く、大いに参考になるだろう。ワイハイ環境さえ整えられればパソコンの配布など不要。ほとんどの生徒が所有するスマホを有効利用することで何が出来るのか、一度、政府もしっかり考え直して欲しい。

パソコンが新たな「文房具」に 学校の風景が激変

 2021/03/31 読売テレビニュース 14:54

【教育DX】学び方の選択肢を多様に?学校教育はみんな同じが前提?デジタル教科

 書の可能性 2022/05/31 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】14:32

 個別最適化を目指すための学校教育におけるDX化は検定教科書の「オリ」から教

師、生徒を解放してくれる可能性を孕んでいるだろう。

 

【山田五郎が解説!なぜ二宮金次郎は全国の小学校にいたのか?】あなたの学校は

 どんな二宮金次郎像だった?〜学校にある不思議な美術〜 実は草の根パブリックア

 ート🎨だった!?【前編】 山田五郎 オトナの教養講座  2024/09/20  29:45

 

 

 

 


 

⑨学校を知らない教師?

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

校長が音楽の成績を改ざん指示…三重県伊賀市立中、担任から「筆記テストの結果

    と成績の差を説明しにくい」と相談 読売新聞 2025.9.22

 この問題、昔から学校現場ではちょくちょく話題になってきた悩ましいテーマに関わる。高校受験に際して中学校での成績をどの程度、重視するのかは、高校側の状況によっても多少異なる。もちろん中学校での成績を重視すべきだとの考えは全国的に共通するのだろうが、現実的には重視する程度や何に注目するかは高校によって少しばかり異なるのだ。

 普段から授業が成立しがたい教育困難校では、合否判定において受験生のテスト点による成績以上に、中学時代の出席状況や授業態度の方を気に掛ける傾向がある。教科別では英語、国語、数学、理科、社会の成績よりも、普段の授業態度がより評定に反映されやすい実技系の教科の成績の方に注目しがち。授業態度は良くないがテスト点を稼げる生徒よりも、テスト点が多少、低くても授業態度が大人しくて、提出物も期限通りに何とか提出できる生徒の方が教師としては歓迎できる…本音ではそう考える人が少なくあるまい。

 音楽の成績はとりわけ生徒たちの生育環境に強く影響を受ける。たとえば幼児期からピアノなどを習わせられる、経済的余裕のある家庭に育った生徒と、そうではない家庭に育った生徒とでは音楽の成績に大きな格差が生まれやすい。そうした家庭環境の格差を露骨に成績に反映させることは公教育上、必ずしも好ましくはあるまい…と考える音楽教師は決して少なくないだろう。したがって生徒たちの音楽の技能や知識だけではなく、多くの場合、普段の授業態度等もかなり大きく加味して成績はつけられているはずだ。

 仮にテストや技能だけの観点で評価することが出来るならば、成績はある程度、客観性が保てるので保護者などへの説明責任は果たしやすい。しかし授業態度等、やや教師の主観性が紛れ込みやすい観点が評価に加わってくると、評価の説明は難しくなる。そこでいわゆる平常点もまた無理やり数値化して成績の客観性を教師たちは演出したくなる。つまり出席点や提出物点などを平常点として数値化し、テスト点と合算する手法が現場では横行する。

 しかしこの手法は特定の生徒たちにとって余りにも無残な結果をもたらしてしまう。現在も増え続ける不登校の生徒たちの成績は、平常点を「評価する材料が無い」という理由により1点もつけてもらえない可能性がある。さらにテストを全欠すれば結果的には全教科の評定がオール1となりかねない。この内申点をただでさえ精神的に追い詰められている不登校の生徒たちに開示するのは誰だって気が引けるだろう。

 教科の成績をどうつけるべきなのかは、決して単純な課題ではない。とりわけ音楽の成績評価はそもそもどうあるべきなのか…これ自体が極めて悩ましい難問であることをひとまず忖度しておいてから、この一件を考えるべきなのだ。

 …担任らは7月9日、音楽の担当教員から受け取った2年生約140人の成績の一部について「筆記テストの結果と成績に差があり、生徒や保護者に説明しにくい」と校長に相談。校長は担当教員に理由を聞かないまま、担任らに書き換えを指示した…と記事にある。

 そもそも、担任達が直接、音楽教師に成績の付け方について説明を求めるべきだったのに、なぜか音楽教師の頭を超えて校長に相談してしまったのが間違いの始まり。常識的に見てこれは評価のあり方に日々苦悩し、試行錯誤しながら模索してきたかもしれぬ音楽教師の立場を完全に軽視する動きである。加えて校長もまた音楽教師と向き合うことをせずに、勝手に成績を改ざんさせた…こちらはほぼほぼ犯罪的違法行為とみなせる。

…校長は今月19日、保護者説明会で「子どもたちの尊厳を傷つける行為で本当に申し訳ない」と謝罪したという…とあるが、子どもたちだけでなく音楽教師の尊厳も大いに傷つけ、かつ学校への信頼を校長自ら大きく失墜させた責任は極めて重大であり、明らかにこの程度の謝罪で済む問題ではあるまい。

同級生から暴言で不安障害、「いじめ重大事態」に該当 佐賀県対策委

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.10.10

 これだけ世間を騒がせてきた学校によるイジメ事件隠蔽などのイジメ事案に対する不適切対応が非常識にもいまだに頻発しているようだ。かねてから児童生徒たちの学ぼうとしない姿勢を批判し、学習指導を強めてきた学校側の圧倒的な学びの欠如が実に痛々しい。わざわざ県の対策委員会から指摘されない限り、まともな対応をしようともしない学校側のふてぶてしさにも呆れてしまう。

 この学校、イジメ防止対策基本法、子どもの権利条約や子ども基本法などの存在はまったく眼中に無きが如くである。教師たちの動きも呆れるほどに常識外れレベルの古色蒼然たるものを感じる。イジメられた側とイジメた側との話し合いを事前の十分な調整を抜きにして行うことの恐ろしさはとっくに昔に教育界では周知されていたはず。それがどんな重大事態を招きかねないのかは、学校関係者の誰もが知っていて当然の常識だろう。

 どうやら佐賀県では偉そうに児童生徒たちを教える前に、まずは率先垂範、教師たちが学校教育のあり方の基本をしっかりと学んでおくべきだろう。

 

なぜ日本人は「仕事のための読書」すらしないのか…「日本人は世界一学ばない怠

 け者」という誤解を解く 2023/2/17(金)  小林 祐児 プレジデントオンライン

 ここでの指摘はビジネスパーソンだけではなく、高校教師にも該当する部分が多いように思える。日本では個人的な努力によって大学や大学院で教師になるために必要と思われる学習や技術をどれほど習得したとしても、それが全くといって良いほど教員採用試験では評価されず、その後のキャリア形成にも結びつかない。そもそも、赴任先の人事にすらほとんど影響を与えていない。

 たいていの場合、次年度に担当する部活や科目は教師の専門性などはわずかしか考慮されず、学校現場の都合によって一方的に決定されているのが実情なのだ。つまりジェネラリストの養成を前提にして企業の人事が成り立ってきたように、学校でも専門性よりは服従的で使い勝手の良いジェネラリストが求められてきたと言っても過言ではない。

 他方で高校教師は教科教育の専門家としてのみならず、世間的には各種運動部、文化部の指導においても高い専門性を求められてきた。加えて近年では不登校やいじめ問題の解決、貧困問題、進学・就職指導、保護者への対応など心理カウンセラーや進路カウンセラー、ソーシャルワーカーとしての能力まで期待されてきている。

 教育行政側は人事や待遇面で教師の専門性を完全に軽視しているクセに、これだけ多種多様な専門性を残業代もつかない安月給の公務員に要求してくるのだから厚かましい限りである。しかも幸運にも幾つかの専門性を身につけられたとして、それが人事考課や次年度の人事に結びつくとは限らない。だから管理職を目指さない限りは専門性を身につけるインセンティブなど十全には働かなくなっている。

 また、たとえ教員側にやる気があったとしても、残念ながら真面目で有能な人ほど瞬く間に多種多様な仕事が集中してくるため、多くの真面目な教員は体力と気持ちが次第にすり減ってしまう。

 つまり学校に必要とされる教師ほど早めにバーンアウトしやすくなっているのだから、まさに「やってられない」・・・これが今の教師たちの本音ではないか。

 

日本人の仕事満足度「わずか5%」で世界最低!賃上げの他に必要な改革とは?

 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 によるストーリー 2023.6.27

 世界最低の仕事満足度を記録している日本の経済界の低迷ぶりは、おそらく児童生徒に対して世界最低の授業満足度しか与えてこられなかった日本の学校教育と連動しているはず。高度成長期のモデルを性懲りもなく使いまわしている日本の企業と学校…ひたすら改革の足を引っ張るだけの「老害」政治家と企業経営陣と学校管理職。これらが三つ巴となって日本の進歩を阻害し、青少年の自尊心と幸福感の低下を招いているのではあるまいか。

教員の3割が「子どもの権利」の内容知らず、誤って理解している回答も 教員調査、

   約半数が「子どもの権利教育」せず 

   2022/07/22 東洋経済education × ICT編集部

  子どもの権利に対する教師の認知度の低さがブラック校則やイジメの隠蔽、体罰を日本の学校にはびこらせている背景にありそうだ。また画一的で管理主義的な教育行政に起因する学校社会の強い同調圧力、根強い一斉講義形式の授業の残存もまたブラック校則等を生み出す土壌となっているように思える。

   つまり教師や生徒の個性を軽視して多様性を圧殺する日本の伝統的学校体質がその根幹から見直されていかなければなるまい。そもそも教師の人権が十分な保障を受けられていない状況下で生徒の人権だけが尊重される事など期待する方もおかしい。

   日本の教師の労働者としての人権保障がこれまであまりにも不十分であり、そのことに教師自体が鈍感になってきている…そしてこの時代遅れな教師たちの労働環境が子供たちの人権保障に対する鈍感な教育風土を醸成してきたと思えるが、いかがか。

【元教師の願い】どうか学校のことで苦しまないでください

 ダイヤモンド・オンライン 親野 智可等 の意見 2024.9.1

 元教師からすれば親野智可等氏の見解には違和感しか覚えない。日本の学校教育が10年以上前から急激におかしくなってしまった…との認識ははたして正しいのだろうか。本来、学校は子どもたちを幸福にするためのもの…という彼の学校論はいかがなものか。彼の認識は客観的認識を欠く、ボンヤリとした一時的感情論に過ぎないように思うのだが、いかがだろう。

 近代的な学校の成り立ちを振り返ってみれば良い。日本の学校は子どもたちを近代的な国民国家を担う人材にふさわしい存在にするため、無理強いして通わせる洗脳機関としての性格を早くから備えていたはずである。小学校は昭和に入り、国民学校と改称されて皇国民錬成のための教育機関としてさらに先鋭化された洗脳機関となっていったではないか。

 では、日本の学校は敗戦後、本当に「子どもたちを幸福にする」教育機関に生まれ変わっていったのだろうか。いや、「平和主義」と「民主主義」の美辞麗句にシュガーコーティングされてはいるが、その実、アメリカの思惑を日本の子供たちに押し付ける側面があったことは否定できまい。また高度経済成長期には政財界の圧力を受けて学校は政治的中立性を守るという口実のもとにむしろ子どもたちからまともな政治教育の機会を奪い、政治的主権者としての成長を阻んできたのではないのか。

 さらに子どもたちの多くは学習やスポーツを通じてひたすら競争熱を煽られ、もっぱら受験戦士として不毛な暗記中心の学習を強いられていたのではなかったのか。大人となっても企業戦士として過労死まがいのブラック労働に明け暮れてしまったのではないのか。

 何よりも学校は一人一人の子どもの幸福実現よりも人材の「選別・配分・社会化」の機関として、すなわち国家の秩序維持と経済的繁栄に役立つ洗脳的機関として社会的に機能してきた側面が大きいと考えるのが筋だろう。日本国憲法と同様、教育基本法の表層的なキレイ事だけで学校教育を語れるわけがあるまい。

 今、私が日本の学校教育の根本的な改革を必要としていると考える理由は以上のような歴史的認識を土台としている。たかがここ10年ほどの間に表面化してきた学校問題だけを土台にした浅薄な理解など本質的な意味を持つわけがない。この記事が夏休み明けを前にして暗い気持ちに沈んでいる子どもたちへの励ましのメッセージだとしても、親野智可等氏の見解は余りにも的外れ。そもそも不登校の児童生徒の中にはもっと先鋭なレベルでの学校批判の思いを抱えている人も少なからずいるに違いない。

 授業では彼の見解についてどう思うか、ひとまずアンケートをとって意見や感想を募るところからスタートしてみてはいかがだろう。

⑧インクルーシブという美名の陰で

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 私はかつて統合教育と呼ばれ、今はインクルーシブ教育と呼ばれている教育の理念そのものに反対するものではない。しかし、学校教師の業務の大胆な削減抜きで理念ばかり先行することへの懸念が現状ではきわめて大きいと感じている。

 今から8~9年前のことになるが、クラス担任として障がいを抱える生徒を4年間(秋入試で入学してきたので年度で言えば5年度にまたがる)受け持っていた。週に16~18時間、2~3科目の授業、2時間のLHRと総合(実態としては進路指導の時間)を担当しつつ、週に5~6時間ほど、空き時間に当該生徒とつきっきりの対応をしてきた。突発的に奇声を発し、席を立って教師の妨害をし、女子生徒や女性教師に抱きつこうとしたりするので他の生徒たちとともに授業を受けることは難しかった。驚くほど瞬発力と体力があるため、副担任と私の二人がかりで制止する必要もあった。

 担当してから4年目、疲労困憊の末に自分の心身の異常を感じ始めた。まず驚いたのは毎朝、何千回も繰り返してきてすっかり身に付いていたはずのコーヒーの淹れ方がふと分からなくなったのだ。突然のことでしばらく戸惑っていたが、ゆっくりと手順を思い出し、最終的にはコーヒーを淹れることができた。これが一度ならず、間をおいて数回、起きた。

 しかし異変はこれだけに留まらなかった。休日に二階のベランダで干していた布団や毛布を一階の寝室に運ぼうとして階段を降りようとし、ふと自分の違和感に気付いた。普段、何気なく階下に降りれていたはずの階段が妙にしっくりとこない。リズムが合わないのだ。慣れていたはずの段差が今までと違うような気がする。もしかすると一段、とばして降りてしまうかも…そして最後の一段を降りようと一階の廊下に足を下した、と思った刹那、ふと気づいたら体は廊下に横倒しとなっていた。頭を打っていそうなものだが、ボォーとしていたのか痛みは感じず、何だか悪い夢を見ているようだった。これは二度、起きた。

 おそらく脳に多少の異変が起きていることは確かだった。手続き記憶の障がいとバランス感覚の一時的喪失…ととらえれば小脳でのちょっとしたトラブルが考えられよう。本来ならば病院で精密検査を受けなければならない症状だったが、四年生の担任と就職指導の責任者であったため、病院には行かなかった。翌年は進路部長であったため、余計に病院に行くことは出来なくなった。

 当時の勤務校に強いやり甲斐を感じていたことも病院へ行かなかった理由である。定時制、それも三部制というユニークな試みには問題も数多いが、やり甲斐もまた大きかった。私自身が大変な学校嫌いであり、長期間、場面緘黙症であったため、とりわけ不登校の生徒には少しでもプラスの存在となれるよう、努力したかった。そのためには授業を興味の湧く、面白い時間にしたくてできる限りの方法を駆使してきた。だからそう簡単に学校を休みたくはなかったのだ。

 これは58~60歳の時の状況である。当然、加齢もこうした出来事の背景にあるだろうが、もちろん、それだけではあるまい。事の発端が一人の重い障がいを持つ生徒を担任した件であることは間違いない。明らかにそれに伴う過労と過度のストレスが主な原因である。今、当時の症状を思い返すと、小さな梗塞が小脳などに出来始めていたのかもしれない。アノまま勤務していれば大変な事態を招いていたはずである。

 ただ、60歳での定年退職が私の健康を取り戻す大きな時間的、体力的ゆとりを与えてくれた。その結果、今、こうしていられるのだと思っている。65歳までフルの再任用をしよう、と以前は考えていたが、結果的に2年だけのそれもハーフ、という極めて軽い勤務で済ませ、ただちに完全退職したのは正しい判断であったと思う。

 今や、学校現場の実情を知ろうとすらしない、政治家や文科省の官僚たちの教育に対する無責任な「きれいごと」には嫌悪感と反発しか覚えない。もう教師たちは断固として騙されてはなるまい。

 

参考記事

公立高のバリアフリー格差、調べた千葉の高校生「こんなに違うなんて」 エレベー

 ター設置率が東京と段違い 東京新聞 2025.7.6

 東京都立高・中等教育学校は85.9%、埼玉県立高の設置率は29.1%、神奈川県立高・中等教育学校は32.4%、千葉県立高では14.8%らしい。…東京と3県との格差について、千葉県教委の担当者は「財政的な違いではないか」と推測。2028年度までに設置率40%を目指し、車いすの生徒がいる学校への優先設置や、初期費用を抑えられるリース方式で導入を進める…らしい。

 千葉県教委の担当者のおとぼけぶりには怒りを覚える。「財政的な違い」だけで埼玉の29.1%と千葉の14.8%、すなわち倍近くの格差をはたして説明できるのだろうか。財政的格差以上にバリアフリーへの意欲に格差があったに違いない。相変わらず上辺だけ改革するふりをして、その実、面倒なことは学校現場に丸投げする千葉の公教育の伝統が見事にこの格差に表れている、と思うが、いかがか。

 他の46道府県と最初からケタ違いに財政状況の違う東京都なんかと比べるよりも、財政規模にさほど大差ない埼玉との格差「2倍」、にここは注目したい。財政の問題にすり替えてバリアフリー実現を埼玉よりも「2倍」サボり続けてきた、責任逃ればかりの千葉県教委こそが公教育における差別残存の黒幕である。

参考動画

【車いす生徒】合格しても入学しない約束で受験?入学拒否に波紋…設備面の配慮

 すべき?|ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2025/04/16  20:00

 災害時の避難場所とされている公立高校には本来、備えられてしかるべき冷房設備やエレベーター、バリアフリーの各種設備、障がい者用トイレがまったく無い、あるいは不足しているケースが決して少なくない。とりわけエレベーターは多くの公立高校に存在していない。日本の公教育の圧倒的な「古さと貧しさ」がその背景に広く存在しているのだ。根本的にはGDPに占める教育予算の割合が先進国の中で長く最低レベルであり続けたことに無頓着でいられる日本の政治の問題である。にもかかわらず設備の不備をもっぱら個々の学校や各教育委員会の責任と見なすこと自体、議論としてあまりにもズレ過ぎていると考えるが、いかがか。

 高校の場合、ほとんどが4階建の校舎である。4月に重い教科書や機器などを幾度も往復して4階の教室まで運ぶ労力は並大抵のものではない。春を迎えるたびにエレベーターを備えている他校をうらやましく思う教師は今も圧倒的に多いだろう。

 生徒の保護者にも車いすの利用者、杖などを必要とする人はいる。生徒だけではなく、障害を持つ教師や保護者、来校者、とりわけ避難時の住民たちの中には特別な配慮を必要とする人が少なからず存在する。だとすれば、元来がインクルーシブ教育を担い、避難先をも引き受けた学校にはバリアフリーの設備が当然のごとく備わっていなければならないはず…なのにこの有様だ。

 日本の公教育の余りの古さ、貧しさに深く頭を垂れるほかあるまい。

参考記事

県内の「定員内不合格」考える 「障害あっても高校へ」自主登校の男性の映画 千葉

    市で上映会 東京新聞 2025.9.22

 こうした聞こえの良い綺麗ごとを、予算も人手も圧倒的に不足する千葉県の公立高校に押し付けるだけの、薄っぺらな正義漢ぶった報道はもういい加減にやめた方が良い。都立高校には千葉県とは比較にならないほどの予算がついている、この点を記者は一体どこまで認識できているのだろう。記者の取材不足、手抜き、恐ろしいほどの怠慢をまずは糾弾したい。

    厳しく批判されるべきなのは長年にわたって教育予算をケチり続けた千葉県と国家の方、文科省や教育委員会の方であろう。疲弊しきった学校を一方的に被告と見なしてやり玉に挙げるような報道ぶりは、むしろ「マスゴミ」による人権軽視の、弱い者イジメそのものではないか。

     5階建ての校舎ですらエレベーター無し、電気代が足りずにクーラーの使用時間は厳しく制限され、教員は人手が足りずに複数の科目を担当し、最悪、複数の部活まで担当させられる…千葉県の公立高校のこうした貧しすぎる実態を東京新聞はどこまで知っているのだろうか。どこまで千葉県の学校現場を密着取材してきたのだろうか。現場をろくに取材しない腐れ切ったマスゴミの罪こそ、真っ先に糾弾されるべきだろう。

手取り月45万円、59歳・経験豊富な「公立中学校教師」が虚無感を覚えた「静か

   な学級崩壊」【社会保険労務士が解説】 THE GOLD ONLINE  2024.12.19

   多様性尊重の掛け声のもとに、特別な支援を要する児童生徒が数多く普通の学校にも入学するようになってきている。このために「静かな学級崩壊」が生じてしまうこともあるという。

 ただでさえ学級定員が多い日本の学校では教師が一人一人に注げる時間は限られており、特別な支援を要する児童生徒であっても、その子にかかりきりになれるほど他の児童生徒が教師に協力的である保証はない。しかも指導が難しいと予想される学級ほど、新任の教師を担任にあてがう、といった非常識なトンデモ人事が横行している現在、下手な「多様性の尊重」は学級崩壊の大きな一因にもなりかねない。

 きれいごとを並べ立てる前に、文科省や教育委員会はブラック化した学校現場の改善に努めるべきだろう。さもなくばいよいよ教員不足は増進するのみである。

「障害の無理解による判定」 定員内不合格で千葉県を提訴 原告の母親、憤り 地裁

   初弁論 東京新聞 2025.1.29

「定員割れ」高校なのに不合格…知的障害の生徒が撤回求めた訴訟、千葉県側の反

 論は? 東京新聞 2025.1.28

 この問題のポイントは当該生徒の障がいが、一体どの程度まで授業進行の妨げとなるのか、妨げが生じたときに学校側は実際、どの程度まで対応が可能なのか、という一点に尽きるであろう。授業中、突然、叫び声を上げてしまう生徒は過去にも何人かいたが、叫び声は多くの場合、一時的に過ぎないので、さほど授業の妨げとはならなかった。しかし、常時、叫び続けてしまうとなれば話は別である。

 当該高校ではかつて学習の障がいがかなり大きく、高校のどの教科もほぼほぼ理解できていない生徒は何人かいたが、基本的に授業中、大人しくしていればさほど学校としての支障は生じないはずである。元来が定時制なので日本語自体、ほとんど理解できていないケースだって少なからずある。中学校では長期間、不登校だったため、学力や学習意欲が相当不足していても、それを合否の判断基準には必ずしもできないだろう。とりわけ秋入試の場合には倍率が極めて低い。当然のことながら受験生を不合格とする基準は他校と比べてかなり「曖昧」となるほかない。

 当該校は以前から「やり直し」を可能とする高校を謳ってきた。したがって入試の際、過去の成績や生活を過剰に問うことは、多少の例外はあるものの、原則としてできない(ウツ傾向の強い生徒が少なくないため、反社会的な傾向がある生徒を不合格とすることはある程度やむをえまい)。問われるのはあくまでも当該生徒が周囲に及ぼす影響の内容と程度、及びそれに対応する学校側がとりうる条件整備とのバランスである。そのバランスがとれない、との学校側の判断であったとして、その判断の根拠にはたして合理性、妥当性があったのか否かが、裁判では問われるであろう。

   何はともあれ東京新聞のこの件に関する一連の報道は学校の現状に対する無理解、無関心に基づく偏見が極めて目立つと思うが、いかがか。ご指摘のように「障害の無理解」が高校側にあるのは決して否定できないが、同時に高校に対する圧倒的な無理解が東京新聞にはある、と考える。学校が置かれた現状に理解を示そうとしない報道は学校教育のさらなる崩壊に加担せんとする、極めて破壊的なものではないのか。

定員割れの県立高なのに不合格、「教育受ける権利を侵害」…難病の少女が入学許

 可求め提訴 読売新聞 2024.12.13

 まず「定員内不合格」の是非について考えたい。その際の前提として「教師はスーパーマンではない」という常識を改めて認識していただく必要がある。つまり出来ないことを出来る、と言うような無責任で欺瞞に満ちた言動は、数多くの児童生徒の安全及び教育を受ける権利を保証する立場にある教師として決して許されることではない。そのことへの共感的理解をまず前提としなければこの議論は一歩も前進しない。

 それはあたかも「あなたは医者なのだから癌患者の治療ができるはずだ」と歯科医に迫ることが不合理そのものであるように、教師にも出来ないことが山ほど存在するのは当然のことなのである。高校教師だからと言って、社会科教師に数学科の授業がなぜできないのか、と文句を言っても的外れであるのと同様、それなりの専門的知識と技能を持つ職員と施設が整った特別支援学校が既にあるのに、それをほとんど備えていない普通科の学校に重い障がいを持つ児童生徒を入学させようとするのは基本的には筋違いであるとすべきなのだ。最悪の場合、当該生徒のみならず、他の生徒にも何らかの危害が及ぶ可能性を否定できず、その生徒の入学が他の生徒の「教育を受ける権利」を大きく侵害しないとも限らない。この点に同意してくれないと何一つ生産的な議論にはなるまい。

 ただし障がいと言っても当然のことながら様々な種類がある。また障がいの程度にも差異がある。それらの要素については合否を決める際にそれぞれ一定の検討を要するだろう。実際、普通科高校にも軽い自閉症や肢体不自由といった障がいを抱えた児童生徒が入学することはこれまでも少なからずあった。つまりたとえ普通科の教師であっても、また通常の施設、設備であっても対応可能なレベルでの軽い障がいであるならば受け入れに大きな問題は生じないだろう。したがってここで問われるべきなのは当該生徒の障がいが当該高校において受け入れ可能なタイプやレベルでの障がいなのかどうか、という一点に絞られる。

 実は同じ普通科の県立高校であっても施設、設備、あるいは組織体制にはかなりの差異がある。たとえ同じ県立高校だからと言って乱暴に一括りされては困ることも多いのだ。千葉県では同じ三部制の定時制高校であっても、ある学校にはエレベーターがあり、車椅子の生徒でも受け入れ可能だが、別の高校では5階建てであるにも関わらず、エレベーターは無い。エレベーターが無ければ車椅子の生徒、まして寝たきりの生徒はほぼ受け入れ不可能であろう。

 あるいは同じ三部制の定時制高校であっても、ある学校には全日制が併置されておらず、学校全体での定時制としての共通理解がある程度、出来上がっているが、別の学校では全日制が併置されているため、教師間に一つの学校としての共通理解が極めて成立しがたい状況にある。つまり特別支援を要する生徒を普通科高校が受け入れるためには当該生徒の障がいの内容とレベルの問題に加えて、受け入れる側の高校の協力体制、様々なキャパシティをも注意深く勘案する必要があるのだ。

 これまでの報道では残念ながらその点に関して第三者が判断できるほどの具体的な情報が見られず、今のところ、どうにもコメントしがたい状況であると思うが、いかがか。特に高校側の現状に関する情報が全くと言って良いほど欠失しており、基本的には公平性を欠く報道というほかあるまい。少なくとも今回の定員内不合格に関してはこの記事の内容をもって「教育を受ける権利」への侵害だと一方的に決めつけるだけの十分な根拠はどこにも見られない、と一般論としては判断できるだろう。

   もっともこの件に関してはこれまでの歴史的経緯があるため、不合格への評価はまったく異なってくる可能性があるので実は要注意である。定員内不合格を出したこの高校ではかつてもっとはるかに重い障がいを持つ生徒を受け入れ、かつ無事に卒業までさせている、という重い事実の存在がある。したがって過去との整合性を重視する立場からは、今回の不合格について納得しがたいものがある、と抗議するのはある意味で当たり前なのだ。

 私は当時を知る立場にあるので、個人的には今回の不合格についてやはり不可解な印象を受けないわけではなかった。ただし、繰り返しにはなるが手放しでインクルーシブ教育に賛同しているわけではない。あくまでも受け入れる学校側のキャパシティ及び受け入れ態勢整備の可能性をこそ問うべきなのだ。

 問題はかつてこの学校が重い障がいを持つ生徒を受け入れた理由に潜んでいる。学校側には受け入れるキャパシティがほとんど無い、というのが当時の判定会議におけるほぼ教師たち全員の意見であった。しかし校長一人の独断で教師たちの意見は完全に無視され、受け入れが決定してしまったのである。したがってこの受け入れに至る経緯は、とりあえず民主主義を標榜する日本の学校としては決して前例として踏襲すべきものではあるまい。

 加えてもう一つ無視できない重大な問題となるのが受け入れ後のキャパシティの整備がどうだったのか、という点であろう。半年間は若い非常勤講師を一人、特別にあてがわれて対応していたのだが、残りの卒業するまでの三年半は若い講師の副担が生徒の付き添いをしただけである。副担は重い障がいを持つ生徒へのほぼマンツーマンの対応に追われ、副担や教科担任としての業務がほとんどまともにできない状況に置かれてしまっていた。つまり、たちまち特別な対応は消えてしまったということ。この後の、担任としての苦労は到底、言葉では言い尽くせない過酷さがあった。

 こうした悲劇的な事態を二度と繰り返さないために学校として出来る事は、実は極めて単純で簡単な事であろう。とりあえず県教委としては管理職が独断で学校のキャパシティを無視した受け入れを二度とさせないよう、責任を持って管理職を指導することに尽きる。今回の決断が判定会議の中でどんな議論の中で出てきたのか、今後の裁判の中でしっかりと明らかにされることを切に期待したい。これは本質的には個の学校の問題ではなく、県全体としての取り組みの問題なのだ。

知的障害の娘は、屈辱で泣いた…定員割れ高校に不合格 学校側は「学ぶ意欲なし」

   と言うけれど【作文全文】 東京新聞 2024.11.26

障害児の「定員割れ不合格」なぜなくならない? 98%超が高校進学する時代、全て

 の子に学業のチャンスを 東京新聞 2024.11.26

 誰がこの問題の本当の責任者なのだろう。それは教育予算を長い間ケチり続けた歴代内閣ではないだろうか。新聞ならばGDPに占める教育予算の割合を国別に表示した資料を使ってそのことを明確に示しておくべきだろう。でなければ教師の疲弊は募るばかりとなってしまうに違いない。

 また、過去、障害を持つ児童生徒を受け入れたケースがあるのだから、今回も受け入れるべきだ、などと思わせるような記事を載せるべきではない。低予算と人手不足の中でひたすら業務量が増えてきた学校の現状をまずは強調すべきであろう。今、インクルーシブ教育を担えるほどに余裕のある学校が一体全体、日本のどこに存在しうるのか、ひとまずしっかりと検証してから記事にするべきであると考えるが、いかがか。教師は何でも屋のスーパーマンではないのだ。

 この手の表面的できれいごとの記事が、結果的に学校の業務量をさらに増やして学校教育をいよいよ破綻させつつあることを、加害者としてのマスコミは厳しく自戒すべきであると考える。こんな一面的な報道が続く限り、若者は教職を避け、教員の中途退職や長期休職は増えるばかりとなるだろう。

「定員割れで不合格」知的障害のある少女、裁判でも入学を認められず 住民票を千

   葉から移して都立高に進学 東京新聞 2025.3.4

 いかにも正義派ぶった、マスゴミらしい記事であり、批判的な文脈において授業でぜひ取り上げたい内容である。まずは一読させて生徒から感想、意見を募りたい。

 都立高校ではどのような条件を付けて入学を認めたのか、知的障害などを抱える浜野さんに一体どのような特別対応をする予定なのか…この記事では肝心なことがまったく分からない。東京都では定員内不合格を出さない原則があるようだが、ならば入学前に深刻な傷害事件を引き起こした生徒でも入学させているのだろうか。

   かつて中学生の時に二度、危険な刺傷事件を起こしていた生徒が高校入学直後に同学年生徒をナイフで切り付けてしまった事件が千葉県であった。東京都では同様の事があった時、これまでどのように対応してきたのだろうか。そのような生徒が再び事件を起こさないような、特別な働きかけを都立高校はしてきたのだろうか。

 定員内不合格を出すこと自体が必ずしも悪いわけではないだろう。単純で機械的な決めつけは大きな誤りの元となる。他の生徒や教師たちに危害を及ぼす可能性が極めて高いと判断した時には、入学試験を不合格としても決して悪くはあるまい。高校は決して少年院や鑑別所ではない。凶悪な事件を起こしてきた少年たちを何人も受け入れられるだけの施設や人員、権限を、普通の高校では確保できていない。

 障がいを持つ生徒の受け入れもまた、高校の施設やスタッフの状況に応じて柔軟に判断すべきであり、そうした条件が整っていないにもかかわらず、一律に受け入れようとするのはむしろ無責任過ぎるであろう。この新聞記事は一方的で片手落ち、内容的にあまりにもお粗末であろう。千葉県の高校実態に関する十分な知識もないまま、当該校への事実確認、現場への取材をサボっていることにすら記者は気付いていないようだ。単純に都立高校を判断基準にして千葉県の高校を一方的に断罪しているだけの軽薄な煽り記事…と感じてしまうのだが、いかがだろう。

公立高校「定員内不合格」 ダウン症の男性らが人権救済申し立て

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.7.13

 インクルーシブ教育について考えるための導入にはうってつけの記事。障がい者を定員内不合格とした公立高校を糾弾するかのようなこうした上から目線のご指摘は、いかにも学校側が障がい者差別を助長しているかのような悪印象を与えかねず、陳腐きわまりない報道と言えよう。公立高校のブラック化した状況への取材をサボっておきながら、「定員内不合格」という公立高校として不適切な対応をとった学校を一方的に悪者にするかのような、こうした悪意に満ちた皮相な報道が公立高校のブラック化を一層、招いてきたと私は考えている。

 確かに「定員内不合格」を出すことは公立高校として明らかに好ましくない。そんなことは分かり切っているのに不合格とせざるを得ない学校側の切羽詰まった窮状があるのだ。残業だらけで疲弊する教師たちに余力はほとんど残っていない。学校の予算もギリギリ。そんな中で管理職は何一つ動こうとせず、結果的に県からの支援がまったく無い中、一握りの教師にばかり重い負担がのしかかる。こんな光景はもうすっかり見飽きてしまった。だから千葉県では本音の部分で定員内不合格を容認する教師は極めて多い。潤沢な予算と障がい者対応が多少整えられている東京都とは事情がまったく違うのだ。

 一言でいえば千葉県では多くの教師が公立高校の現状に絶望している。希望の光がどこにも見いだせないのだ。2023年度、千葉県で生じた教員の不祥事は過去最高の数に達した。2023年度入試の採点ミスが930件を超えた。2025年度教員採用試験の志願者状況は過去最低の倍率となっている。すべては起こるべくして起きている。そして今、二件の「定員内不合格者」が非難されている。個人的な本音を言えば、こんな県でまだ教師になりたい若者がいること自体、不思議でならない。

 重い知的障がいを持つ生徒を受け入れた教師側は当然のことながら突発的な事故や授業妨害の恐れを最も警戒する。しかしそうした対応を一人の教師がとるヒマはまったくない。体力も精神力も技術もない。障がい者に対応できる支援員が千葉県の高校には派遣されないのだから当然である。精々が教員採用試験合格を目指して奮闘中の若手講師が割り当てられるだけである。そのような採用試験を控えた、しかも障がい者対応未経験の講師に重い知的障がい者の面倒を丸投げするバカはいないだろう。しかし千葉県ではそうした対応しか行ってこなかった。

 糾弾されるべきは管理職であり、県教委であるはずなのに「定員内不合格者」を出した現場の教員たちばかりが責められる。明らかに公立高校の崩壊は近い…

「学ばない教師」が学級崩壊を招く! いま中学で求められている「特別支援教育」

 のスキルとは 現代ビジネス 長谷川 博之 によるストーリー 2024.4.13

 いちいちお説ごもっともだが、長谷川氏の言うような、一人一人に寄り添う特別支援教育を実行に移せる能力と時間的、体力的余裕を持つ教師がどれほどこの世の中にいるのかは疑わしい限りであろう。問題は「学ばない教師」なぞではなく、「学びたくとも学ぶ余裕のない教師」であり、教師になる以前に「肝心なことをほとんど学んだことの無い教師」たちではないのか。

 まず急がれることは私たちがすっかりブラック化した学校現場において発達障がい児との触れ合いを十分に持ててこなかった、現在の未熟な若手の教師に山のような仕事と割に合わないレベルの大きな責任が押し付けられている…そうした学校の過酷な現状をしっかりと把握することだろう。まずはこうした現状認識を多くの人が共有しない限り、どんな提言も意味をなさない。いや、むしろ百害あって一利無し、の有害な議論に過ぎない。

 教師の業務の大胆な削減抜きに特別支援教育を特別支援学校以外の学校で導入することには猛反対すべきである。インクルーシブ教育といった言葉に幻惑されてはなるまい。優先順位の議論を抜きにしたきれいごとの教育改革に学校の未来は無い。

「子どもたちのためなら常識にとらわれない」狛江第三小学校が挑むインクルーシ

 ブへの道 学校に行きたいけど行けない子どもたち3

 現代ビジネス 太田 美由紀 によるストーリー  2023.7.8

 この取り組みでいつまでも笑顔でいられるのは教育長や管理職、そして管理職を目指す一部の教師に過ぎない、と疑ってしまうのは私だけであろうか。おそらくこの取り組みのために下々が作成しなければならなかった文書の量は膨大であり、教育委員会への報告書の類だけで誰か一人は過労死するレベルの量になっているだろう。私が預かった障がい者の記録は副担が記したものだけでわずか半年の間に段ボール箱の半分にも達していた。

 当然、インクルーシブ教育導入のためにこの学校で実施された数々の研修は多くの教師たちの時間と労力を奪うことで辛うじて成り立っていたはず。この記事ではそうした闇の部分は一切語られず、笑顔の管理職と特別支援学級の先生が登場するだけ。どう見てもこの記事、上滑り気味でしかもきれいごと過ぎる。日本の学校教育の現状においては今やきれいごとほど質の悪いものはない。

 

 本来、障がい者や不登校児童を受け入れる普通学級の担任こそが一番の苦労を背負わされる主役であるはず。しかし肝心の教師たちは縁の下に隠れていて当然、本音は言えず、素の姿を見せることがほとんどない。

 この小学校がリーダーシップのある優れた校長の尽力によって実際に教師の事務仕事などが激減し、本当にすべての教師たちがゆとりをもって笑顔でいられる学校ならばインクルーシブ教育の導入があったとしても別段、文句は出ないかもしれない。

 だが私が抱く学校のイメージではそんなことはありえない。もしかすると校長は配下の教師たちの疲弊ぶりをよそに、自分がより良い再就職先にありつく上での手柄作り、点数稼ぎのためにきちんとした話し合いの場を設けることなくほぼ独断でインクルーシブ教育の研究指定校に名乗りを上げたのかもしれない。

 少なくとも私が経験した千葉県では凡そそんな具合であった。表面的な取材できれいごとばかり並べ、教師の仕事を増やすだけの報道は学校にとって百害あって一利無しであると思うが、いかがか。

学校施設のバリアフリー化…トイレ70.4%、エレベーター29.0%

 リシード 2022.12.28

 十分な施設も無い、人員も圧倒的に不足する中でインクルーシブ教育という美名のために普通科の教師が車椅子や生徒を抱えて階段を上り下りし、さらには通学途中、突然歩行できなくなった生徒のために幾度も駅まで出迎えに行き、生徒を背負って帰ってくる…そんな担任がいた。

   時と場合によっては命の危険があるため、常時マンツーマンの対応が不可欠な生徒を抱えた担任は副担任と共にクラスの他の生徒達をほぼ放置して修学旅行、遠足、球技大会などをこなす。当然、自分の授業が無い時には週6~8時限程度、一人の生徒につきっきりで同伴しつつ、週16~18時限の授業もこなしている。それでも割り当てられた自習監督や分掌の仕事は引き受けざるを得ない。

   授業中、泣き叫んでリスカを試み、教室を血まみれにした挙げ句に窓から飛び降りようとする生徒を必死で制止し、授業を中断。結局、自殺予防のためにその都度、担任が現場に呼ばれ、最後は責任を持って担任が家まで送ることになる。

 

 以上は特別支援学校での出来事ではなく、とある定時制普通科高校で私自身が目撃した事、あるいは自ら体験した事である。

   文科省や教育委員会はきれい事を並べる前に、設備や人員の配置を見直すなど、障がい者の受け入れを可能とする条件整備にまずは着手すべきであった。

   バリアフリーやインクルーシブ教育が進まないのは学校現場、とりわけ教師の無理解や怠惰によるもの、とされてしまうのであればそれは現場で悪戦苦闘する教師にとってあまりにも酷すぎる仕打ちである。

 

【教育困難校】授業が成立しない?児童生徒に合わせた教育とは?境界知能&グレ

 ーゾーンが広がる?現役教師と考える|アベプラ

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/12/19  14:01

 この動画からも高校教育の現場を全く理解していない人たちが世の中にいかに多いか、痛切に感じざるを得ない。特にインクルーシブ教育を推進する中谷氏の意見には反発しか感じない。今、なぜ若者の間で教職離れが進んでいるのか、精神的に追い詰められる教師がなぜ増えてきているのか、この方には理解の欠片もないことがよく分かる。

   これまで教師が文科省や教育委員会の「教育改革」にどれだけ振り回されてきたのか、35人以上の集団を相手に一人の教師が一体どのような指導が可能なのか、教師の仕事がどれほど多岐にわたっているのか、中谷氏がその一端ですら分かって発言しているとは到底思えない。無意味な研修や部活動などの負担による学校のブラック化を多少とも理解できているのは番組出席者の中では不登校問題に詳しい大空氏だけのように見える。

 そもそも教育困難校問題を論ずるにあたって二年目の若手教師一人だけの発言で一体、困難校の何が分かるというのだろう。困難校の実態も多様であり、困難さの度合いだって学校や教師の置かれた状況によって大きく違う。この教師はわずか二年目にして授業がうまく進むようになった、と言っているが、この言葉を真に受ける困難校の教師はおそらく少ないだろう。若手がわずか二年目でうまくいくようならそこはもはや困難校とは言えまい。そもそも彼がどんな教科を何科目、週何時間教えているのか、一クラス平均何人の生徒たちが教室にいるのか、部活動は何を任され、どんな校務分掌を任されているのか、何学年に属し、何学年を教えているのか、全日制普通科なのか、そうではないのか、中退率はどの程度か、警察がかかわる事件は年間平均でどの程度の件数なのか…こうしたことの違いによって教師の負担は大きく異なってくるはずだ。

 司会者自身が若さもあるのだろうが、高校教育に対して相当無知であるがゆえに、多様な意見をバランス良くさばけていない。そのため、議論がまったく深まっていない。

 もしも中谷氏の言うように教師のインクルーシブに関する研修がさらに増やされてしまえばいよいよ教師志望者は少なくなると思うのだが、いかがだろう。教師の負担軽減が実行されないうちはインクルーシブ教育など前に進むわけはない。現状を知らぬ者の理想論ほどはた迷惑なものは無いのだ。

 ただしある意味で極めて突っ込みどころの多い動画なので、ぜひ生徒に視聴させて意見を募りたい。

その2.障がい者差別をめぐる話題(前編)

 

 以下、「障がい者」と個人的には表記していきますが、引用や番組のタイトルなどではそのまま「障害者」と表記している場合があることを予め、ご了承ください。

 

参考動画

泣いて勇気をくれる実話映画、チック症の障がい者が天敵の職業を目指す、人生を

    変える話|【映画紹介】|Front of the Class

    クロエ映画研究 2025/05/09 18:11

   実在する トゥレット症候群の教師の話。やや長いが、差別と向き合う姿勢に励まされるだろう。

【働く幸せ】難病でもバリスタに 分身ロボットカフェで働くALS患者の想い 

    日テレNEWS 2021/11/03  12:57

【不登校経てロボット研究者】分身ロボットOriHime /99%が失敗/月5000人が

    訪れる分身ロボットカフェ/小中学校で不登校/孤独を解消する/生きる理由【ド

    キュメンタリー 仕事図鑑(吉藤オリィ)】

    東洋経済オンライン 2024/12/15  15:47

 特別支援学校卒業後の障がい者の人生を考えていく際に、「孤独」の解消が大きなテーマになる、という点に注目したい。障がい者と社会との接点をどう創り出し、接点をどう維持していくか、吉藤氏の取り組みを参考にして考えていきたい。

【驚愕】ADHDの人間は世界をどのように感じているのか?

   VAIENCE バイエンス  2024/08/14  10:54

   近年、成人にも数多くその存在が確認されてきた発達障害の一種であるADHDに絞って解説されている。やや難しい箇所もあるが、脳の仕組みが分かりやすく、発達障害への差別偏見を解消していくためにもぜひ視聴させたい動画。

障がい者は「我慢せえよ!」名古屋城復元をめぐり“差別的発言”が波紋 河村市長

 出席で陳謝も|TBS NEWS DIG  2023/06/06  3:18

 不適切な言動でしばしば注目される河村市長による不祥事がまた一つ加わった。今回は市長自身の暴言ではないが、市民による暴言を制止できなかった主催者、とりわけ市長の責任は極めて重い。

【落合陽一】小学校高学年の17%は幻聴を聞いている!なぜタチ悪いキャラの幻聴

 が?脳性まひ、当事者研究の熊谷晋一郎が語る『解釈的不正義』、学校教育で顕著

 な『排除型と同化型差別』、孤立と自立の違いとは?

 NewsPicks /ニューズピックス  2023/05/28  16:23

 排除型の差別だけではなく同化型の差別があるという視点は極めて重要。

【落合陽一】自立しなさい!って何?脳性まひの小児科医、熊谷晋一郎「自立は依

 存の反対語ではない、むしろ依存先が多いこと」当事者研究の専門家が語る、自立

 の必要条件「選択肢がたくさんある事、支配されない事」

 NewsPicks /ニューズピックス  2023/05/18  17:23

 依存先が多いほうが自立に有利、という指摘も極めて重要だろう。熊谷氏の出演する二つの動画を視聴しておくと障がい者差別の問題をより多角的で深い視点から眺めることができるようになると思う。やや長めの視聴時間になるが、ぜひ、視聴していただきたいイチオシの動画。

依存の価値を再考する | 晋一郎 熊谷 | TEDxHitotsubashiU

 TEDx Talks  2023/03/23 18:00

[ハートネットTV] 不発弾で両目と両手を失って教師になる | NHK

 2021/04/16 NHK 5:00

 両目と両腕を失ってしまった教師が教壇に立っていられる事の背景に何があるのだろう?彼の存在は生徒たちにどんな影響を及ぼすだろう。

   ※参考記事 

  ◎吃音でも教師になりたい 「当事者だからこそ」学生の模擬授業

   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.25

  生徒の多様性、個性を尊重するだけではなく、教師の個性や多様性を尊重した教師養成教育、教員

   採用の在り方も大いに模索されるべきだろう。

[ハートネットTV] 介助を通してさまざまなものを学び取り 自分自身を見つめなお

 す若者たち | NHK 2022.11.2 9:58

 障がい者への介助から学べる事とは何だろう?未熟な自分から逃げずに対峙し続けるとはどういうことだろう?障がい者の人生にまで寄り添う仕事に介助者のプライベートな側面はどう捉えるべきだろう?「恋するヘルパー」とは介助のどういう側面を表しているのだろう?様々な問いが思い浮かぶ。

「24時間テレビ」は障害者の「感動ポルノ」 NHKの裏番組「バリバラ」が話題

  [モーニングCROSS] 2016/09/29 CUT CROSS 3:42

【乙武が解説】24時間テレビの問題点とは!?

 2020/08/22 乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO 9:23

・感動ポルノの危険性について(ウィキペディアより引用)

 感動ポルノ(かんどうポルノ、英語: Inspiration porn) とは、2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉である。意図を持った感動場面で感情を煽ることを「ポルノ」(ポルノグラフィ)という形で表現しているが、ポルノ自体は性的な興奮を掻き立てるものに使われる。ステラによれば、この言葉は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされる。また、紹介されるのは常に身体障害者であり、精神障害者・発達障害者が登場することはほとんどない。

 日本においては、2016年8月28日にNHK Eテレが『バリバラ障害者情報バラエティー』「検証!『障害者×感動』の方程式」で感動ポルノを取り上げ、裏番組に当たる24時間テレビを批判した。

 英国BBCは1996年、障がい者の「困難に耐えて頑張る」姿ばかりが描写されがちなことに対する抗議運動を受けて「障害者を“勇敢なヒーロー”や“哀れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」というガイドラインを制定している。

 また、2020年の新型コロナウイルスにおける医療従事者への感謝として「コロナ(ウイルス)と戦う医療従事者の皆さまへお礼のメッセージ(拍手)を送りましょう」と自治体やタレントが音頭を取るケースもあり、「感動ポルノ」「全体主義的」だと批判されるケースもあるという。

 ただしコロナ禍における医療従事者へのお礼のメッセージに関しては強制で無いのなら、たとえ自治体やタレントが音頭をとったとしても「感動ポルノ」には該当しないし、まして「全体主義」と批判するのは的外れも甚だしいだろう。むしろ「感動ポルノ」という言葉が一人歩きしてしまうと、障がい者をありのままに評価する方向では使われず、偏見差別との戦いの先頭に立って活動している障がい者たちを攻撃し、傷つける言葉として安易に使われてしまう可能性の方が出てきてしまうのではあるまいか。

[バリバラ] 身長115cm 女性 マイホームで過ごすモーニングルーティーン |

  NHK 2021/12/09 3:25

[バリバラ] 1人暮らし車いす女子のモーニングルーティン | 

 NHK 2021/04/22 4:47

[バリバラ] 1人暮らし 全盲女性のモーニングルーティン | 

 NHK 2021/06/17 4:29

視覚障害者の暮らし--空間認識編【フリー・ザ・チルドレン・ジャパン】

 2017/05/02

 どのようにして視覚障がい者は外界を認識しているのか?白杖の役割と放置自転車の怖さが分かる。

 他にも「しょうこチャンネル」(頸椎損傷による車椅子生活からの精神的立ち直りと周囲の支え・・・)「寺田家TV.サイボーグパパ」(小児麻痺による車椅子生活から「ハル」を用いた機能回復への途、障がい者の結婚と子育て・・・)など、何人かの障がい者がユーチューブなどで発信しているので是非、ご覧下さい。

 

登美丘高校ダンス部×『グレイテスト・ショーマン』|This Is Me~これが私~

 Warnar Music Japan 2018/01/17 2:53

 歌詞の日本語訳が分かりやすい。これは「感動ポルノ」なのだろうか?できれば映画そのものを視聴させたいが…時間的には無理か。

 ※参考資料:カッパが授業用の資料として作成したものを以下に掲載 (ネタバレあり!

 ・ミュージカル映画「The Greatest Showman」の概要

  本作はアメリカで2017年の暮れに公開され、日本では翌春に公開されたミュージカル映画である。

 音楽スタッフは「ラ・ラ・ランド」と同じであり、作詞、楽曲面でも優れた作品となっている。ユー

 チューブ上ではあの大阪府立登美丘高校ダンス部がハリウッドと提携して「This is me」

 を踊っているシーンが話題を集めた。日本人の場合、ミュージカルが苦手でセリフのわざとらしさや

 大げさな動作にややひいてしまう人も多いに違いない。しかし本作は若干そうしたミュージカルにあ

 りがちな要素を残しつつも、その物語性、メッセージ性には注目すべきものがあると感じた。

  本作のあらすじを紹介しよう。時代は19世紀半ばのアメリカで主人公はP.T.バーナムという実

 在の人物。不幸な生い立ちの彼は才能豊かな野心家であり、金持ちの令嬢と結婚したまでは順調だっ

 たが、勤務先の会社がたちまち倒産してしまう。やがてかれは興行の世界に飛び込み、挑戦と失敗を

 繰り返していく。彼は隠れるように生きてきた個性的な人々をいわゆる「見世物」としてサーカスの

 一員に迎え入れ、スポットライトをあてていく。「奇形」であることをショービジネスとして人々の

 「好奇の目」に敢えてさらけ出していく事によって彼らを孤独と闇の世界からスポットライトのあた

 るステージに導く。そして一人前の稼ぎ手としてのプライドも回復させていく。19世紀、まだまだ差

 別や偏見が露骨にはびこっている時代のことである。「見世物」として彼らを好奇の目にさらすこと

 に異議をとなえる立場もあろうが、それは人権意識の高まった21世紀の感覚であることに留意すべき

 だろう。

  「This is me」の日本語訳「ありのままの私で良い、人と違うから良い、誰に見られて

 も怖くない、私には愛される価値がある…」。基本的には「勇気を持って新しい世界にチャレンジし

 よう」という冒険精神と「どんな人にも輝かしい舞台、居場所がある」という積極果敢なメッセージ

 がこれらの曲に込められているようだ。冷たい視線を避けるようにしてずっとひきこもってきた、身

 体的に個性の強い人々がステージの上で堂々とその存在を誇示し、輝きだす。確かに「This i

 s the greatest show」なのである。

  アグレッシブで個性と自己主張を重んじる欧米らしい価値観がよく反映された歌詞とストーリーで

 あろう。ただこの映画の内容からは、引きこもりがちな人に限って心の底では皆に注目されたいとい

 う秘かな願望を抱いていることが察せられて心が痛む。長い抑うつ状態とひきこもりの中で繰り返し

 夢想してきた、人々の前で燦然と輝いている自分…深く傷ついてしまった自分のプライドを一気に取

 り戻したいという一種の「焦り」をその願望の裏側に嗅ぎ取ってしまうからに違いない。

  マインドフルネスの立場ではおそらくこの映画のアグレッシブな側面を警戒することになろう。勇

 気ある闘う姿勢は一つ間違えば「問題を濁らせてしまい、かえって問題をこじらせてしまいかねな

 い」と捉えるのではなかろうか。劣等感の裏返しが優越感であるとしたら、競争に勝つ事で優越感に

 浸る…といった危険な方向性を内在させてしまう恐れもあろう。

  肝心な点は劣等感を取り除く事ではあるまい。劣等感にも存在価値がある。適度な劣等感は努力や

 成長をもたらす原動力となろう。ただ余りにも強過ぎる劣等感が引きこもりや抑うつ状態といった

 様々な問題をひきおこしている。彼らに共通する強過ぎる自己卑下、自己嫌悪が抑うつ状態の一因で

 あることは間違いない。そしてその反動として一気に名誉挽回をはかろうとする「野望」もまた大き

 な危険をはらむのである。

  一気にプライドを取り戻そうとして勝ち目の無い勝負に出てしまい、かえってプライドを傷つけて

 しまうことこそ、最悪の展開。確かに成功すればドラマチックではあるがどうみても、危険な賭けを

 打てる状況ではあるまい。ドラマチックな逆転劇を夢想してしまうほどに引きこもりがちな人のプラ

 イドはズタズタに傷ついている…だからこそなおさら一歩一歩、着実に前進できる手立てをうつこと

 が抑うつ状態に陥っている人にとっては必要なものとなる。

  劣等感を招く一方で周囲を見下す…卑屈と傲慢さを同居させる事で人間関係をギクシャクさせてし

 まう厄介なプライドを刺激してしまう。そうした点でこの映画には一抹の不安を感じてしまうのであ

 るが、いかがであろう?

  実際、「This is me」はプライドに軸足を置いた歌。だから戦闘的な要素も秘めた、自

 己主張の強さを感じる。踊りも挑みかかるような逞しさを覚える振付。しかしプライドに軸足を置い

 た生き方は一歩間違えるとストレスフルな状況を招き寄せるかもしれない。プライドにこだわる生き

 方は人を勝ち負けに執着させ、勝ち続けることで名声におぼれてしまう、そんな生き方につながりか

 ねないのでは?

  主人公バーナムが歌手と浮気するなかではまりかけた上流階級へ上りつめようとする野心的チャレ

 ンジはおおいにプライドをくすぐる生き方に違いない。しかしそれはやがて勝者としての優越感に浸

 り、敗者を見下ろす傲慢さをも生みださないか?ひきこもってきた人々に活躍の場とあたたかい居場

 所を与えていたサーカスを下品な「見世物」としてさげすんでしまう事にならないか?逆にプライド

 を高めるための競争に負ければ人は卑屈な思いに屈してしまわないのか。とすれば確かにこの映画の

 終わりは「From now on」でなければならなかった。主人公はもう一度家族の元へ、サー

 カス団の元へ帰っていくことになる。断固として今すぐ…

 

「注文に時間がかかるカフェ」スタッフ全員が話し言葉が滑らかに出ない"吃音症"

  神戸のカフェで人生の大きな一歩を踏み出した大学生に密着【報道ランナー「特

 集」】 関西テレビNEWS  2022/10/24 14:02

“悪魔の病気”トゥレット症と闘う若者…食事は?就職活動は?「普通に生きるのに

 困ります」 CBCドキュメンタリー  2022/11/09 14:00

参考記事

盲目の人が手術で視力を回復、自ら命を絶った悲しい理由

 ダイヤモンド・オンライン 原井宏明,松浦文香 によるストーリー  2024.5

 まさに盲点をついた指摘である。

目の見えない研究者と耳の聞こえない研究者が、多様な人たちが理解し合うための

   コミュニケーションを語る。書籍『「よく見る人」と「よく聴く人」』。 

   こここ編集部 によるストーリー  2023.12.15

900万人が驚いたたいせつな疑似体験 日本の子が「視覚障害者・聴覚障害者・高

 齢者」を知る意味とは コクリコ編集部 の意見 2023.8.5

日本でも24万人超が体験! 子どもと親の真っ暗闇体験で起きた想定外の「5つ

 の変化」コクリコ編集部 の意見 2023.8.6

 …何一つ見えない暗闇の中では、普段よりも匂いに敏感になり、人の声に集中できました。見えないことによって他の感覚が開いていく気がしました。…

 …彼ら視覚障害者は、暗闇の中で迷っている人と、冒険している人を区別できるそうです。迷い人と冒険者は、足の運び、白杖の付き方、衣擦れの音、呼吸が違う。不安な人と楽しんでいる人は呼吸の仕方まで違うことを彼らは知っているんです。だからこそ、見えない中でも遠くで迷っている人を容易に見つけることができた。「なんという能力だろう!」と心底、驚きました。この驚きや感動は、文字で読んだり伝聞だけではわかりません。実体験して初めて得られます。

…見えない、聞こえない、歳をとる。一見、いずれもとてもネガティブな体験だと思われがちですが、当事者が出てきて、案内し、アンコンシャスバイアス(無意識でのものの見方やとらえ方のゆがみや偏り)を、出会いと対話で溶かしていきます。

 こうした体験を通じて子供たちは以下のように変化していくという。

1.街で障害者が視界に入るようになった

2.シルバーシートに座っていた子どもが席を譲るようになった

3.子どもの知らない一面を見ることができた

4.自分は必要とされていると実感できるようになった

5.(以上の変化を子供に感じた親は)子どもへの向き合い方が変わった

 「見えない」「聞こえない」ことの体験こそが障がい者への理解を深めていく第一歩なのかもしれない。授業では導入としてアイマスクを用いた簡単な体験をさせてみると良いだろう。

耳が聞こえない人々の戦争体験 「今ではあり得ないことが当然に」

 毎日新聞 によるストーリー 2023.8.2

 戦時中におけるろうあ者への差別とろうあ者ならではの恐怖体験はぜひ知っておくべきだろう。

「人間扱いしていない」植松死刑囚と同じ体質だった、もう一つのやまゆり園<47

 リポーターズ> 東京新聞 2022年9月20日

知的障害者施設「中井やまゆり園」で“虐待行為” 園長を懲戒処分、職員7人と幹部

 職員ら15人も注意 日テレNEWS によるストーリー 2023.5.25

 保育所、障がい者施設、精神病院などでの不適切な対応、虐待が頻発している背景に何があるのか、また職員への注意という処分が妥当なのか、これは刑事事件ではないのか等々、ぜひ授業で考えさせたい。

“障害”ってそもそも何だろう? 困難の原因を「社会モデル」から考える——バリア

 フリー研究者・星加良司さん こここ編集部 2022.12.14

 「傷害」を「個人モデル」から「社会モデル」に転換する試みは極めて重要な視点を提供してくれるだろう。「障害者の村」という寓話は視点を「社会モデル」に転換させる上でかなり役立つに違いない。

障害者がつくるVRアート「仮想空間では自由になれる」と神足裕司さんも夢中

  日刊SPA! 2022/08/06 08:52

知的障害者が7割の企業 健常者の27歳社員が得た気づき「スタートの位置が人によ

 って違うだけ」 AERAdot.2022/10/30 09:00

「障がい者を笑うな」の一声で衰退した”こびとプロレス”。現役レスラーが問う、 

 なんとなくの善意 集英社オンライン 2022/10/30 18:01

 これも「感動ポルノ」と同様、健常者が障がい者に抱きやすい気持ちの落とし穴にハッとさせられる記事。障がい者問題を深く考えさせていくには役立つ内容。

追悼 さらば「障碍者芸人」ホーキング青山の破天荒一代

   アサ芸プラス によるストーリー 2024.2.25

「顔の変形」に悩む人々が〝脱マスク社会〟に抱く不安 「見られない気楽さを手放

 したくない」安心感が一転 withnews の意見 2023.5.1

 この問題、実は自己肯定感が低くなってしまった不登校やうつ傾向の生徒たちにも

共通する。私の勤務していた三部制の定時制高校午後部では特に不登校の生徒が多かったが、コロナ禍が始まる数年前からすでに三分の一近くの生徒がマスクを常用していたのを思い出す。

アベマブログ「見世物小屋と中村久子」

   小川里菜のあの事件を追いかけて 2024.1.25

 内容が素晴らしく、読み応えのあるブログでイチオシ。障害を売りにする行為とそれを好奇の目で見る観客とは確かに偏見を煽るような点である種の共犯関係にあるが、かつての「見世物小屋」にあった世界の存在意義自体を丸ごと単純には否定できない。障害を人々の前で敢えて晒す行為が「好奇の眼差し」を「感嘆の眼差し」に変えることもありうるのだ。その意義と可能性を踏まえた上で現代において障碍者の自己主張、自己表現欲求をどう引き出していくのか、様々なアプローチを模索する上でも大いに参考となる記事だろう。

 

・科学技術の進歩と障がい者

ヒュー・ハー: 走り、登り、踊ることを可能にする新たなバイオニクス義肢

 TED 2014・・・「障がいを無くしていくサイボーグの時代へ」

ヒュー・ハー:21世紀末、人は羽を持ち、空を飛翔する

 TED 2018・・・「いよいよサイボーグの時代へ」

 ・・・義肢が自分の体と一体化し始めた! 感覚を伝える義肢の登場

【転換期】「義足選手が健常選手に陸上100mで勝つ」パラリンピックをどう楽し

 む?道具の進化で好記録も?オリパラ合体論も?為末大と考える|#アベプラ《ア

 ベマで放送中》 2022/03/08 ABEMAニュース【公式】 13:18

【暴論?】パラリンピックをなくしたい【炎上覚悟】

 2021/08/22 乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO 7:11

 ぜひ討論のテーマとして扱いたい。パラリンピックの意義は何?上の「義足選手

が…」と併せて視聴させると議論が深まるかもしれない。

 ヘレン・ケラーは「人にとって最も大切なことは目に見えず、耳には聞こえない。それは心で感じるしかない」と言っている。つまり健常者の中には目が見えるために肝心なことが見えなくなってしまう人がいる。耳が聞こえるために肝心なことを聞き逃してしまう人がいる。なまじ、見聞きできるためにかえって人は大切な事を見失い、大切なメッセージを聞き逃してしまうこともあるのだ。だからこそ健常者は目の見えない人が「見ている世界」を見ようとしてみるべきであり、耳の聞こえない人が聞いているメッセージに耳を傾けてみるべきである。

 確かに障がい者問題を考えるときにはこうした視点を忘れてはなるまい。しかしその一方で特定の障がいが人々に大きなハンディ、不便をもたらしていることも紛れもない事実である。MITのヒュー・ハーは自らの障がいを乗り越えるべく、「障がい」の除去と身体能力の回復、欠損した両脚の感覚を取り戻す技術の開発に取り組んできた。そしてついにサイボーグ化への一歩を踏み出している。感覚を持つ義肢の登場である。

 これらの技術は「人にとって最も大切なこと」=「愛」に基づいて開発されてきたとしても戦争などに悪用されかねない危険性を秘めている。たとえ善意に基づいて開発された技術でもたちまち悪用される危険性がある事は過去を振り返れば納得できよう。もちろん、その逆もある。悪意に満ちた技術が善意のために利用される側面はあるに違いない(原子爆弾の開発⇒原子力の平和利用)。

 問題はその技術を国や社会がどのように活用するのか、活用主体の目的と活用方法(善意に基づいた活用でも大事故による悲劇は生じうる=福島原発)にある。特に私たちが注意すべきはそれらの高度な技術に関わる情報が常に分かりやすく国民に提供されているのかどうか、という点。

 政府はこうした大きな社会的影響が生じかねない技術に関わる点を出来る限り情報公開し、国民の知る権利の保障に努めるべきである。つまり国家は国民に分かりやすく知らせる義務があるのである。

 もちろん軍事的には「国家機密保護法」の制定も必要だが、「事故隠し」を続けて原発の事故報告を怠ってきた歴代政府の責任は重い。まずは情報公開と情報の保管(国立公文書館)の充実が「国家機密保護法」に先行すべき取組であったはずである。桜を見る会、モリかけ問題等、政府にとって都合の悪い事は情報公開を拒否し、証拠隠滅を図ってきた日本政治の過去は問題の多いアメリカと比べても極めて不透明で罪深いものがある。

 科学技術はめまぐるしいスピードで進化を遂げている。しかし日本の政治の在り方は古くから東アジアの為政者における伝統的統治姿勢である「知らしめず、依らしむべし」という古色蒼然たる、非民主主義的な観念のままである。このままでは今後もずっと民主主義は日本にきちんとした形で根付くわけがない。科学技術の発達に遅れをとりつつある日本政治の民主主義的な方向へのアップデートこそ、日本政治の喫緊のテーマと言えるのではあるまいか。

 

・劇団態変とは:障がい者問題を深掘りしてみよう

劇団態変 第69回公演「箱庭弁当」向井望

 2019/06/16 劇団態変 1:31

 態変は主宰者の金滿里(1953~)により1983年に大阪を拠点に創設され、身体障がい者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループである。

 以下、態変の活動を説明したウィキペディア掲載の文章を一部、紹介する。

 「身体障害者の障害じたいを表現力に転じ未踏の美を創り出すことができる」という金の着想に基づき、一貫して作・演出・芸術監督を金が担い、自身もパフォーマーとして出演する。金自身ポリオの重度身体障害者である。

 海外での招聘公演も数多く、特に欧州では「これまでのダンスの枠組みを大きく捉え返す必要のある表現に出会った」などの評価を受け、その斬新で先鋭的な芸術性へ触れる機会を求められている。


 その方法は、身体障害者がその姿態と障害の動きとをありのままに晒すレオタードを基本ユニホームに、障害それじたいを表現力に転化して人の心を撃つ舞台表現を創り出す、それが劇団態変の表現である。


 身体こそが身近にある小宇宙、として捉えるとき、不安定にも見える態変のパフォーマーの身体こそが、一瞬たりとも同じではない宇宙への感応の表現としてある。態変が表現する、ことは、生命丸ごとを投げ出すということに近く、生きる本能に目覚める身体性である。それは命の形、であり魂の表現なのだ。

 それは、従来ダンスに求められてきた再現性とは異なる、再現不可能な一期一会として用意される表現でなければならない。その舞台を通して観客も、自身の日常を越えいつしか非日常のパフォーマー態変の身体を共に生き、自身の身体を開放させ命に触れるのである。

 創立時よりの習わしで「劇団」と名乗ってはいるが、敢えて言えば physical theatre に該当するスタイルで、これまで30年かけて表現として見つめてきた動きは『ダンス』でもなく、『舞踏』でもない、どこにもなかった『態変』の身体表現である・・・

 

 最初に視聴したときに引いてしまう生徒が出てしまうかもしれないが、「グレイテスト・ショーマン」と同様に、障がい者の活躍の場としてこういう舞台が存在すること自体には間違いなく、大きな意義があるだろう。

 ※参考記事

  選択の果てで見つけた表現の道 障害者のパフォーマンス集団「態変」主宰、金滿里さん あの日か

   ら 産経新聞 2025.1.4

  〇「障害とは何かを掘り下げると芸術につながる」 金満里さん

   身体障害者の劇団「態変」を主宰  2014/11/23 朝・夕刊の「W」

 ※参考動画

  ○【あそどっく】障害も”笑い”に! 寝たきり芸人の生きる道 『Nドキュポケット』

   NNNセレクション 2022/04/29 日テレNEWS 4:40