131.石造物の読解について

 少なくとも市原市内の石造物に関しては漢詩文や短歌、俳句の類を除けばさほど崩し字の知識がなくとも何とか読める場合が多いのですが、稀に何が書いてあるのかほとんど見当がつかない石造物に出会います。上の文字、皆さんはスラスラと読めるでしょうか。

 市原市郡本の多聞寺にある石造物で角柱塔の四面に大きな文字が刻まれています。大きくクッキリと刻まれているのですが、14年ほど前の私には崩し字の基礎知識すら無かったのでこれにはショックを受けてしまいました。崩し字の習得には時間がかかるため、仕事で忙しかった私は崩し字の習得をハナから諦めていたのです。しかも市原の場合、崩し字が少しくらい読めなくとも、お経や石造物に刻まれがちな文言さえ知っていれば(この石造物に出くわす前までは)大抵の石造物は解読可能でした。

 

 左側は「南無遍照金剛」とあるのですが、いかがでしょう。「南」の崩しはまだ原型をとどめていて読解できますが、難敵は「無」と「剛」。「南無遍照金剛」「南無大師遍照金剛」という言葉を知っていれば何とか察しがつくのですが、知らないとかなり厳しいでしょう。

 右側はもっと苦戦しました。「六」は読めるので新四国八十八か所の「六番札所」であること示している…そこまでは推察できたのですが、思わず「む」と読んでしまいがちな変体仮名「者」の崩しは要注意。ここでは「は」の変体仮名「者」が使用されていて濁点は省略されている…つまり「ば」であることに気付く必要があるのです。

 一層、厄介なのが次の文字たち。この寺が「多聞寺」であることはあらかじめ知っていたので、どこかに「多聞寺」と刻んであるのかもしれない…などと察しはついていたにも関わらず、あまりにも原型をとどめていない文字たちにしばし、呆然としてしまいました。

 「多」は崩した字の方が複雑に見えてしまうケースが多いので要注意。「聞」は二つの部首に分けて捉える必要があります。門構えの崩しはまったく原型をとどめないほどに崩され、ほとんどウカンムリかナベブタのように見えてしまいます。もうこれは形に慣れるしかありません。「耳」は崩されるとほぼ「夕」に見えます。「寺」も要注意ですが、かろうじて原型が伝わってはくるでしょうか。当時、この面の文字たちの分からなさ加減は自分にとって衝撃的な辛さでした。

 

 上の二枚も意味不明に見えるでしょう。左側は「阿波安楽寺移」とあります。「新四国八十八か所」札所塔の銘文のパターンが分かっていれば何とか推理できるかもしれませんが、知っていないと崩し字の知識抜きではまず読解できないでしょう。

 右側は「天明五年乙巳三月二十一日」とあります。元号、年号などが刻まれていること自体は見当がつくものの、やはりこの程度ですら苦戦いたしました。

 古文書には頻出の「天」、「明」、「五」の崩しが分かっていれば何てことはなかったのですが…

 当時は古文書の読解をしようなどという大それた野心など一片も持ち合わせていなかったのですが、漢詩文を除けば比較的容易なはずの碑文の読解すらまともに出来ないもどかしさ、悔しさが私の崩し字学習最大の動機となった、というわけです。

 歴史散歩を究めたいのならば、やはり崩し字の知識を多少なりとも持っているに越したことはないようです。