プールサイドの人魚姫 -96ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


kouda

かなり以前の記事「キューティーハニーな倖田來未(動画)」を覚えている方はいるだろうか?実はこの記事が最近になってアメーバ運営局によって削除されてしまった。突然メールが届き、「利用規約に違反する表現があったので削除いたしました」。という内容。どの記事が削除されたかも分からないのでメールで尋ねてみたところ、倖田來未の記事だった。何がいけなかったのか腑に落ちないのであるブロガーさんに聞いてみたが、文章の内容には問題なさそうであった為、そうなると貼り付けた動画「ハニーフラッシュ」が原因だとしか思えない。それにしても一年以上も前にアップした記事を何故今頃?と首を傾げる。問い合わせてみたところでややこしくなるのも面倒な為、それ以上の追求はしなかった。最近は肖像権や著作権が問題となっており、その辺も関係があるだろう。ビートルズや浜田省吾を別の人間が歌っている記事もジャスラックから警告が届いたので仕方なく削除した。ブログは殆どのサービスが無料で提供されており、それを利用するわたし達ブロガーは運営局から恩恵を受けている反面、常に監視下にあるとも言える。これがもし有料であったなら、いきなり削除する事はなく、事前に削除了解の通知が届くだろうと思われる。もしかするとこの記事も削除されてしまうかな?と思いつつこのシリーズを振り返ってみたが、まず大丈夫かと思う。さてやっと本題に入るとしよう。倖田來未と綾戸智絵、この二人の共通点は言わずと知れた日本の誇るトップアーティスト。そして二人とも本場アメリカで音楽センスを磨いている。綾戸智絵はジャズシンガーとして米国のライブハウスでピアノの弾き語りをしていた時期があるが、日本でのデビューは1988年とそれ程古くはない。倖田來未も2000年がデビューなのでつい最近と言ってもよい。そして先日2年連続で日本ゴールドディスク大賞受賞し、日本の音楽シーンを牽引するほどにまで成長した。しかしながらこの様な名誉は一夜にして取れもものではなく、相当な下積み時代の苦労を得て勝ち得た賞ではないだろうか。綾戸智絵は歌だけでなくトークも実に長けていて、話の内容が面白く飽きさせることがない。関西弁で勢いよく喋る彼女の魅力、あの小さな身体の何処にそれ程のエネルギーが宿っているのだろう。倖田來未も同様に以外と小柄。ステージで大きく見えるのはそのダイナミックなヴォーカルとスタイルが彼女を一際大きくまたセクシーに見せている。倖田來未の勢いはまだまだ止まらない。CM出演も増え、ますます今後も気になる歌手である。

浄水器 静岡から東京に出て来たばかりの頃、家賃2万円の木造アパートに4年住んでいた。場所は品川区大井町。下町特有の人情が溢れ、初めて住む東京の中では良い場所を選んだと今でも思っている。直ぐに友人が出来、毎日仕事が終わるとマージャンなどをやって夜更けまで遊んでいたものである。当時25歳のわたしは3万5千円の所持金だけをズボンのポケットに押し込め、東海道線上り熱海行きに飛び乗った。熱海から東京行きに乗り変え、東京駅から京浜東北線へと移り、そして大井町で下車。頼る当てもなく、風来坊の如く風に任せた青春だった。秋の気配をところどころに感じながら東京と言えば大都会で、大きなビル群が立ち並ぶ風景しか想い浮かべなかった発想の貧しさに憂いていた頃。勤務先が用意してくれた六畳一間の空間から新たな人生を切る。秋が深まるにつれ冷たい空気が肌に凍みる。貸布団から始まり出来るだけ節約をする。切り詰められる物は徹底して出費を減らす。まるでお笑い芸人の一ヶ月一万円生活。人間が生きる為に最も必要な欲望、食欲。深夜余りの空腹に耐えかね目を覚ます。ドアの入り口にある小さな食器スペースから音が聞こえる。ポトンポトン…。緩み切った水道の蛇口から零れ落ちる水道水。喉は渇いていなかった。しかし欲望が水を欲しがった。蛇口を捻りドッと勢い良く流れ落ちる水を両手ですくい飲み干した。この時ほど水が美味いと思ったことはない。水は人間の命を支える大切な存在。何処かの大臣が「水道水を飲んでいる人は殆どいない」等とまたも問題発言をし、水道局がかなり怒っているようだ。諸外国と比べれば日本の水道水は良いほうだと思える。外国旅行の時に一番気をつけたいのが「水」日本人の身体は弱体化傾向にあり、現地の水を飲めば即下痢をする可能性が高い。以前何処かの学者が「水は褒めれば美味くなる」と言っておられた。水に向かって「とっても美味しいね」と声をかけながら飲む人は少ないだろうが、水も人間の一部でありまさに生物。褒められれば誰でも嬉しくなるもの。日頃、水の有難さに気付かないわたしたちだが、手術をした後の水は最高である。人間は身勝手なもので、工場や家庭から流れ出る汚水によって川が汚染され、それが海に流れ海洋汚染を招く。その汚染された海水が雨となり地上に降り注ぐ、悪循環を繰り返し自分たちの作り出した水が不味いと文句を言う。浄水器や還元水が飛ぶように売れ水も商品となった時代である。おそらくこのまま汚染が続けば空気にも値段がつきコンビニ等で売られる時代が来るだろう。大規模な災害或いは天候不順が続き、大飢饉が襲って来た時生き延びる人間は僅かしかいない。水に飢え苦しむ国もある中で、これほど恵まれている日本にこれ以上何を求めると言うのであろうか。


雨に 元モップスのヴォーカリストだった鈴木ヒロミツが死んだ。

足音も立てず忍び寄る死の予感に彼は気付くこともなく、病に対する苦しみや悩みをも抱えこまず黙ったまま、わたし達の前から姿を消した。

吉田拓郎が作った「たどり着いたらいつも雨降り」アルバム「元気です」が悲しみにくれている。

彼の人生はいつも雨降りではなかった筈。
人前で歌う機会は減っても、俳優、タレントとして数々の番組に出演しGS全盛期の頃よりも、その個性的なキャラクターを活かしつつ、時にはモップス風にアレンジされた「たどり着いたらいつも雨降り」を聴かせてくれた。
それなのに最後にたどり着いてみたら、今度は涙の雨が降り注ぐ。ファンの涙が彼には届くだろうか。
肺癌で苦しみながらもコンサート活動を意欲的に続けている拓郎も、おそらく悲しんでいるに違いない。

だから今は「どうしてこんなに悲しいんだろう」をわたしは歌いたい。


着陸

頭上を見上げると、真っ青な空に一本の飛行機雲。青空のキャンバスに真っ白な絵の具を走らせたような爽快感が美しい。そんな優雅な空にも多くの危険が潜んでいる事を証明するような事故だった。胴体着陸を余儀なくされた飛行機は足とも言える車輪が出たり出なかったりを繰り返す。最も安全であろうと言われる旅客機。多発するトラブルに関係者は頭を悩ませているが、一番恐い思いをしているのは乗客と空の不安に戦く住民だろう。「ボンバルディアDHC8」はプロペラ機なので日本の上空を行き来する短距離型の航空機である。わたし達の気が付かない内に一体この空にどれだけの航空機が飛行しているのだろうか。朝の通勤電車とはいかないまでも、小型機からジャンボ機に至るまで多くの民間機と軍用機が24時間飛び続けているに違いない。空から落ちて来る物は防ぎようが無く、事故に巻き込まれてしまったら運が悪かったと諦めるしかない。だがその前に各航空会社或いは人を運搬する仕事を生業としている人たちは安全管理を徹底し、不備を残すような事は絶対にしてはならない。自分は大丈夫と思っている心の油断が大きな事故を招く結果になる事を関係者全員に徹底すべきである。しかし、事故はそれでも起こり得る。人間の操作する物、作り出した物に完璧な物などあり得ないからである。それ故に日々の安全点検が重要になる。鳥の為に神様が作った空を危険物で溢れさせてしまっては鳥も安心して飛び回れないだろうな。

確定申告

3月は自営業の人たちにとっては別な意味で忙しい月。一年の総決算でもあり、そして頭の痛い確定申告が待っている。会計士や税理士を雇っている場合は別にしてもそんな余裕もなく出来るだけ出費を削って、僅かな利益を出すのに苦労をしている個人事業主も多いだろう。実はわたしもフリーで仕事をしていた時期があった。20代後半から30代前半にかけて、会社に席を借り歩合制で写植の仕事をしていた。正社員ではなく完全に独立した形なので仕事量を増やせば当然それなりに収入も増えてくる。その頃、まだ若い私は会社に対する不満があり、自分の技術にあった報酬を貰えない事に憤りを感じていた。今思えば生意気な人間だったかも知れない。腕試しの意味もあり完全歩合の世界に足を踏み入れた。仕事量も休みも自由という時間に縛られない世界は魅力でもあったが、そこには思いがけない落とし穴が待っていた。自己管理である。仕事に対する視点が変わり、仕事さえこなしていれば文句はないだろうという一人よがり。自分は仕事が人より数倍早く正確だという過剰な自信。これらが裏目に出て、人間関係が上手くいかなくなり、歩合制の会社を転々とする不安定な生活に落ち込んでしまった。毎日帳簿をつけるような面倒臭いことはしていなかったので、申告の時は友人に全て任せきりだった。友人は必死で領収書をかき集め、何とか赤字申告で済ませてくれた。確定申告の良いところは還付金があるところだろう。会社勤めをし、毎月の給料から税金を徴収されるサラリーマンやパートで働いている人も確定申告を受ければ税金が帰ってくる可能性は大きい。但し、かなり面倒である。そういえばすっかり忘れていたが、わたしは15歳の時商業簿記3級の資格を取っていた。一度もその経験を活かした仕事に就いたことはなかったが、貸借対照表や残高試算表を作った思い出が浮かんで来る。テストは70点で合格だったのでそれだけを目指しそろばん片手に鉛筆を走らせていた。試験場には数十人ほどの受験者が集まり、そろばんを弾く音だけが室内に木霊していた。簿記は2級を取らないと実践では使い者にならないだろう。3級は単なる基礎知識。払う税金は出来るだけ低めに抑えたいのが本音。これは大企業でも個人でも同じではないだろうか。北の将軍様も人民の為に金を使えば少しはましな国になると思うのだが、それは日本とて同じことかも知れない。



おふくろさん 森進一の代表曲「おふくろさん」騒動。事の始まりは皆さんもご存知の通り、森進一が台詞を一部追加して歌っていた事がどうも作詞家の川内康範氏を激怒させたらしいが、我々聴く側の人間からすればそれほど怒り心頭するほどの事でもないのにと思ってしまう。大抵の人は(わたしだけかも知れないが)おふくろさんの作詞・作曲が誰なのか知らない。演歌に興味が無ければなお更のこと。今回の騒動で漸く知ることが出来た。歌にしろ書籍にしろ世間に出てしまえば著者や歌手の想像を遙かに超えて一人歩きして行くものである。しかしそれにしても川内氏もかなりの頑固者と思えてくる。口も利きたくなければ顔を見ることすら拒否しているようで、このままでは「おふくろさん」が涙流して二人に向かって「どちらもいい加減にして」と怒っているような気がする。ヒット曲であればあるほど、大勢のファンの心を掴み名曲と呼ばれるようになる。そして歌の好きな人間なら誰しも口ずさむし、物まねもされるだろう。そのうち捏造されて替え歌まで出来上がってくる訳だ。作詞家・作曲家・歌手はまず誰もが好んで口ずさんでくれるような曲を作りたいと思っているのではないだろうか。たまたま「おふくろさん」のイメージが森進一と重なったから出来上がった曲であり、どちらが欠けても誕生はしなかった。歌とは何か、みんなが楽しんで歌える歌、共感し、涙をながし、誰が歌ってもよい曲が名曲ではないのか。日本には著作権侵害問題が最近厳しく語られ始めては来たが、今回の騒動でさすがのJASRACも頭を抱え込んでいるようだ。しかし日本の音楽業界で利益を貪るJASRACの悪質な徴収方法がトラブルを巻き起こしている面も伺える。森進一の代わりに「おふくろさん」を歌わせて欲しいと名乗り出ている演歌歌手「吉幾三」青森から方言を上手く取り入れた「おら東京さいくだ」を引っ提げて一躍人気者になった彼の青森弁「おふくろさん」を一度聴いてみたい気もするが、青森弁では駄目だと川内大先生に怒られるかも知れない。


拉致 昨年秋「美しい国」を引っ提げて誕生した安倍内閣。蓋を開けてみれば綻びだけが目立ち、美しい国どころか、自分の足を引っ張る大臣たちに翻弄されっぱなしの安倍首相。今年に入って誇らしげな国民支持率は一挙に滑落。フレッシュな感覚で戦後生まれの総理だからと一応国民も期待はしていたのだが…。安倍総理と言えば「拉致問題」これは彼のトレードマークになりつつある。支持率アップを狙うのであれば、八方美人的政策は止めて拉致問題解決に全力を注ぐべきだろう。二頭追う者は一頭も得ずと言うようにあちこち手を出して中途半端で終わらせるより、解決は無理としても北朝鮮を同じ土俵に引っ張り出し、解決に向けての確固たる糸口を掴むことだ。
先日の宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使が放った言葉を何と受け止めるか。北の暴徒たちにはもう解決済みでこれ以上歩みよる必要はないと認識している。日本も当然ながら、黙ってこの言葉に耳を傾けている訳ではないが、経済制裁だのとまるで子供の喧嘩でもあるまいし、ダダを捏ねる子供の頭を叩くようなやり方はもう通用しないだろうし、このような低レベルの政策は既に行き詰っているだろう。北の思惑はただ日本を自分たちの国から遠ざけない為の利用手段として拉致問題を長引かせているに過ぎない。拉致被害者は孤児が夢に描く父や母の面影を追って国に帰れる日を信じて待っているかも知れない。もしも金で解決出来るのであればそれもよいのではないだろうか。税金の正しい使い道も分からずゴミ屑のような使い方をしている役人や政治家が多くいる中でそれこそ有効な使い道だと言えると思うのだが。



雨

この記事タイトルで「ピンクフロイド」を思い浮かべた人はかなりのロック好きではないでしょうか。しかしながら曲が古すぎて知らない人の方が多いかもしれません。昨日は台風並に発達した春の嵐が日本列島に吹き荒れ、各地で思いも寄らぬ被害が発生したようです。わたしも被害者の一人ではありますが、ずぶ濡れになっただけです。朝の天気予報で夕方から雨模様になり、地域によってはかなりの雨量と言っていたので、ずばり予報が当たったわけです。出かける時に雨が降っていなければ傘を持たずに出ることが多く、多少の雨ならば濡れても構わないと思っている自分はどこかアメリカ人やイギリス人と似通った感覚を持っているのかも知れません。イギリス人は傘をステッキ代わりに持ち歩きお洒落の一つとしているようです。アメリカ人はただ単に大雑把で面倒臭いだけかも知れません。日本は雨の国といってよいほど年間を通して雨量が多い。その分雨を題材にした情緒のある歌が多いのも頷けます。祖母が子守歌代わりによく聴かせてくれた「城ヶ島の雨」など。わたしも雨をモチーフにした詩が幾つかあります。出版された詩集の中に「雨」という詩がありますが、わたし自身気に入っている詩でもあります。もうひとつは二作目の作品にある「雨の夜」。前者は恋人を思う自分と雨を重ね合わせた恋愛詩とも言えますが、後者は父の帰りを待つ幼い自分の心情を情感たっぷりに書いた作品。文芸社の担当者からもかなり高く評価して頂いております。一作目の中には母についての作品はありませんが、二作目では随所に母について語った詩が前半を占めています。しかしながらやはり後半には父への想いが更に深く描かれています。そしてどの作品にも言える共通のテーマは生と死について。重たいテーマでしか詩を書けない所が自分の持ち味かも知れません。話題がかなりそれてしまい結局自分の作品について語ってしまって申し訳ありません。二作目の出版はやはり定石通り、出来上がった順に出版した方がそれぞれの作品が一つに繋がっている事を皆さんに理解して貰えるかも知れません。

地下鉄 ゼネコン業界大手4社による、談合決別協議の最中に起きた名古屋地下鉄工事。表で談合に別れを告げながら裏で不正工作。ゼネコン業界に根深く蔓延る談合体質は日本経済の一つの柱が腐りかけている事を浮き彫りにしているようだ。しかしながら談合を必要悪と捉える意見もある。ゼネコンに限らず、談合の恩恵を受けながらこれまで生き延びて来た企業も多いだろう。景気は上向きと言われるが、それはごく一部の企業に限られる。庶民に好景気の風は吹いて来ない。景気が悪いほど談合は増える。自由競争を生き抜く企業はよほど体力がなければ無理だろう。価格競争は品質の劣化を招く恐れもある。今回の談合決別で他社からの告発が増え続ける背景には大手企業の一人勝ちに対する風当たりとも言える。業界再編がもたらすものは不透明で未来が見えて来ない。談合体質に染まった建設業界がそう簡単に色を塗り替える事など無理である。本質が変わらない以上、この国の談合は永遠に消える事はない。

 

ポップアップ

2005年2月の下旬、東京は深夜から降り出した雪が朝になっても降り続き、全く止む気配を見せていなかった。早朝、窓を開けると大粒の雪が混じった空気が入り込む。吐く息は白く、両手に息を吹きかけ天からの訪問者を見上げた。分厚いジャケットに着替え、長靴を履き外へ出る。雪は10センチを超えるほどで都会にとって見れば大雪である。いつもの風景は一変し、雪国に来てしまったかのような錯覚さえ感じていた。車の気配はなく雪だけが音も立てず遙かな空から舞い落ちてくるだけだった。ザクザクと音を立てながら雪の上を歩く。真っ白な何の足跡も付いていない場所に足を踏み入れるのは、何処となく罪悪感に駆られてしまうものである。詩集天国の地図が新聞の広告に掲載される日だったので近くの新聞販売店に足を運んだ訳である。私の場合特例で毎日新聞と産経新聞に広告を載せて貰えることになった。この雪で新聞の配達もかなり遅れていたようで、忙しく今朝届ける新聞を整理している店員に100円を渡し、家に付くまで待ち切れなくその場で広告を確かめた。小さく表示されたタイトルと自分の名前を確認し、熱くなる心で雪も溶け出すようだった。そして時を同じくして各地の書店に本が並んだ。以前にも述べてきたように、詩集は日本では最も売れない本である。日本は仏教の国なので欧米と大きく文化が異なる。外国の文化には生活の中に宗教があり、その中で多くの詩が身近な存在となって生まれてきてから死んでいくまで詩の世界に浸っているとも言えるだろう。世界的に一番読まれているのは聖書である。その内容はまさに詩集そのもの。神の言葉が詩となって表現されている。聖書が読み易いのは言葉にリズムがあるからだと思う。書店に行き自分の本を確かめる時の感覚は出版経験のある人ならば同じ気持ちではないだろうか。嬉しさと驚きとそして恥ずかしさ、この三つが折り重なってトップでゴールインしたランナーの如く、心が躍る。よく見ると詩集の筈なのに何故か詩集のコーナーに置かれておらず、周りはインストール、冬のソナタ、天国の階段、レイクサイドなどベストセラー本ばかりであった。その中心に平積みされたこの詩集は出版前から既にこの場所を確保していたとでも言いたげにその存在をアピールしていた。無名の一般人が本を出版することは非常に難しく、原稿のまま眠っている作品も多いと思う。そこに焦点を当てたのが出版ビジネスである。全国流通しない自費出版、全国流通する協力(共同)出版、そして出版社が全額負担する企画出版である。出版社にもそれなりのプライドがあり、出来るだけ良い作品を世に送り出したいと思っているが、当然知名度のない人間には価値のある作品に対して初版の制作費を求めてくる。私は地方含め5社に原稿を送った。文芸社には担当者と直接会って原稿を見せた。A4サイズのコピー用紙に印刷された原稿に素早く目を通し、一言「レベルは低くない」その言葉にわたしは手応えを感じ取ったが、この時点では全国流通など考えもしなかった。そして二週間後に届いた書評。同時に碧天舎(倒産)、新○舎、新○出版に原稿を送り、その内碧天舎、新○出版からも書評を貰った。何度も足を運んだのは文芸社と碧天舎だった。碧天舎では編集顧問と話しが出来、提携書店リスト一覧まで頂いた。これは常識ではあり得ない話しである。出版社を決めるのに非常に困った時期が二週間続いたと思う。制作費から言えば破格値の碧天舎だが、地名度を取れば文芸社。そして決断したのは一本の電話だった。夕食が終わり、寛いでいる所に文芸社から電話が入った。その場で制作費を聞いたのだが、わたしは納得できず、碧天舎のことを言うと担当者は驚いていた。そして「少し待って下さい」と一旦電話を切ったのである。そして一時間も経った頃再度電話が来た。提示金額を聞き「分かりました」と電話を切った。担当者曰く「編集顧問がどうしても文芸社から出版したい」と言う事であった。しかし、実はこの後にもっと驚く話が待っていた。わたしは詩集天国の地図以外に次なる作品を文芸社に送っていたのである。人事異動も重なり、担当者も変わって出版の話しが混乱状態に陥ったのだろう。私は一旦白紙に戻そうと担当者に告げた。しかし詩集天国の地図は既に契約が終わっていた。どちらにしろわたしに取っては大きなプラスになった事は確かで、その結果が平積み、面陳に結びついたのではないだろうか。詩集は今でも少しずつではあるが売れ続けている。二作目を早く読みたいと嬉しい言葉を頂くが、詩集の企画出版はまず90%あり得ない。よほどファンがいて地名度が高くなければ無理なので、もう少し待って頂きたいと思う。今手元に眠っている作品は「何億光年もの彼方から(仮題)」「天国の同窓会」「風のカルテ」「天国の口づけ」「心の棘」「雪の花びら」「天国の涙」「プールサイドの人魚姫」小説は「届かなかった僕の歌」「僕の命は誰のも」「天竜荘物語(仮題)」である。