プールサイドの人魚姫 -93ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


メタボリック

ゴールデンウィークも中盤に差し掛かり、それぞれが思い思いの休日を愉しんでいる事だと思う。わたしはこの時季が苦手で、体調が狂いいつも辛い思いをしている。心臓には油を指せば大丈夫だが、どうもメンタルな部分でリズムが整わない。季節の変わり目は要注意である。
四季のある日本は実に情緒豊かで変化に富んだ風景を楽しむ事が出来るのだが、日本人の身体もやはりその風土にあった作りになっているようだ。食生活にしてもその季節に合った食材がスーパー等の店頭に並び、人の食欲をそそってくれる。
ところで、最近よく耳にする言葉にメタボリック症候群というものがある。簡単にいうと、内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態を指す。要するに人間(全ての生物)にとって肥満が齎すリスクがかなり大きいという事。食文化は歴史とともに大きく変化して来た。特に日本は戦争に負け、貧困の時代から今日に至るまで、文化や生活スタイルまでもが短期間で極端に変化した国としては他に類を見ないだろう。
冷蔵庫などが普及していなかった昭和の時代では、その日買い物した食材は明日に持ち越せず、その日に食べてしまうしかなかった。大型スーパーなどはまだ出来ていなかったからもっぱら食材は近くの八百屋で採れたての物を買う。
この時代に不便という言葉も生まれていなかった。それが自然だったから。ゴミも殆ど出ず、公園や町中に時々見かけるのは犬の糞くらいだっただろう。肥満に悩むような人もいなかったし、もちろんダイエットなどと言う言葉もなかった。時代は進化?し今や3人に一人がダイエット経験を持っていると言う。和食から洋食へと食生活も大きく変化を遂げた。冷凍食品の氾濫、24時間のコンビニ。いつ何処でも食べたい物が手軽に手に入る時代。生活スタイルも大きく変われば、食生活にも影響が出る。
食の基本は噛むことだ。顎を使いよく噛み砕く、それが脳に伝わり身体全体にサインを送る。柔らかい物ばかり食べていると顎や歯は退化し硬い物を受付なくなる。食事のバランスが崩れると心にも影響が出始める。飢えの苦しみを知っている人はおそらくこの現代ではまずいないだろう。戦争体験者か或いは、虐待を受けまともに食事を与えられない子どもくらいのものか。飢えほど恐ろしいものはない。生きる為の本能が眼を醒ます瞬間だ。食べられそうな物は全て口にする。わたしは子ども時代この飢えに苦しみ、赤蟻にまで口に入れた経験がある。まさにサバイバル。日本は物が有り余っていてそこら中に残飯の山が出来ている。その裏側で明日の食にもあり付けない人たちが多くいる。メタボリックは贅沢な食生活と偏った食材選びが引き起こす自然界からの警告の鐘ともいえるかも知れない。


余命 1989年4月28日、わたしは三井記念病院の手術室にいた。朝の記憶は鮮明に残っている。手術前日の夜、看護婦が眠れないからと睡眠剤を置いていったが、わたしはそれを使わず熟睡した。余命一年といっても、癌などの宣告とは多少違う。この心臓の状態だと一年もたないと言う意味で、それは否応なしに手術を受けなければ助からないという事だった。
19歳の時に一度手術は受けており、完治した訳ではなかったので、何れその日が来ることは分かっていた。当時の三井記念病院はまるで戦場の最前線のようであった。6人部屋にはベッドが8個、とにかく予約待ちの患者が溢れていたのである。その日手術を受けた患者は、わたしを含め8人で症状の重い患者から手術を受ける。
わたしはトップだった。浣腸で腹の中を空っぽにする。そして真っ白な手術着一枚に着替える。軽い麻酔剤を一本打つ。意識ははっきりしており、その注射は無意味だった。ストレッチャーが迎えに来る。自分の力でベッドから乗り換える。部屋を出て行く時、「頑張れ」と声がかかる。自分もそれに応えるように手を振った。手術室は7階だった。
扉が開くと同時に看護婦の声「かんべさん、手術室に入りますよ」声は出なかったが頷いたと思う。「かんべさん、手術台に移りますよ」遠のく記憶の彼方から優しい女性の声が木霊していた。薄っすらと目を開けると眼鏡を掛けたドクター3人の顔が見えた。
麻酔医が「全身麻酔します」と言ったのが最後だった。手術は9時間に及ぶ大手術だった。時間が全く分からない、朝か昼か夜なのか?とにかく手術が成功したのだ。成功率は85%、ただし手術中に心筋梗塞を起こし一時危なかったらしい。それと空気が脳に流れた事も分かった。ICUからCCUに移りはしたが、どうも息が苦しくてよく眠れない。レントゲンを撮ると片方の肺が潰れていた。次の日、背中に太い注射器を指し、肺に溜まった血を抜いた。
牛乳瓶8本分が右の肺に溜まっていたのだ。一気に呼吸が楽になり手術成功を実感した。あれから18年が過ぎ、19年目に入ろうとしている。これほど生きるとは思っていなかった。機械と薬に頼る毎日だが、わたしを支えてくれる多くの人たちに感謝しながらこれからも生きて行きたいと思う。



パレード自国の軍事力を国内、海外へ向けて情報公開する事により得られるメリットは、強力な軍隊を率いる頂点に君臨する権力者の統率力が、如何に大きい存在であるかを示すものでもあるが、それが裏目に出る場合も想定しておいた方がいいだろう。
自分の手の内を明かす場合デメリットも少なからずあり得る。北朝鮮の軍事パレードがどれ程の効果を上げているかは不透明。国民の犠牲で成り立っている軍隊が、如何に脆弱かは頭の良い金正日であれば理解出来るだろうが、残念ながら彼にはそれほどの洞察力と観察力はない。
買ってもらったばかりの玩具を、他の子どもたちに見せびらかす程度の幼稚性。それを周りの側近たちがもてはやす…。哀れな北朝鮮の軍事力はパレードするほどの代物ではない。小型ミサイルも公開されたようだが、最も威嚇となる長距離弾道ミサイルのノドンやテポドンの姿は見られなかった。この二つのミサイルさえ抑えておけば、北の軍隊など恐れる事はない。
軍はともかくとして一番厄介な問題は北朝鮮の工作員だろう。こちらの方が遙かに脅威である。大人だけではなく幼い子どもにまで拉致の魔の手が伸び、国の為なら手段を選ばず罪の意識は一欠けらも持っていない疫病神。しかしながら被害国である日本はおろか、国連さえ北の犯罪を野放しで見ているのが現状。6ヵ国協議など開いて議論したところで、机上の空論で終わり誰一人として金正日に手錠を掛ける者はいない。相手は犯罪者なのだから、逮捕状を持って堂々と乗り込んで行ったら如何なものか。




イラク 自爆テロが頻発するイラク。その殆どはバグダッドに集中しているが、駐留を続けるアメリカ軍も標的になっている。しかし内情は無差別テロに近い状態。米軍の死傷者は増え続け、シーア派・スンニ派との対立だけの問題ではなくなって来ている。最大のテロ組織アルカイーダも参戦しているイラク国内での内戦は、敵の姿さえはっきり掴めない亡霊との戦いとも言えるだろう。ベトナム戦争を遙かに上回る軍事費を投入したアメリカは、イラクに対して今後どのように対応していくのだろう。治安回復が目的で始まった軍事介入は的外れに終わり、イラクは既に国というレベルではない。形だけの政府はあっても全く機能しておらず、テロの標的になるだけだ。日本も含め諸外国から軍事的或いは民間でのボランティアが救いの手を差し伸べてみても焼け石に水。世界最古の文明と言われる「メソポタミア」チグリスユーフラテス川の流れは、太古から人類の姿を映し出して来たが現在のイラク情勢を見て、愚かな人間たちの争いに二つの川は神の流した涙で淀んでいる事だろう。湾岸戦争以前のイラクは、サダムフセインによる独裁政治が強大な権力を持って国民を制圧していた。クルド人の大量虐殺などはまるでヒトラー総統のユダヤ人狩りにも酷似している。独裁政治を批判する声は各国から聞こえてはいたが、フセイン大統領は耳を傾けなかった。しかしイラクは民族紛争の耐えない地域で、このような国は権力で押さえ付けなければ成り立たないという哀しい運命を背負っているのかも知れない。
現在のイラクを見る限り湾岸戦争以前のイラク、首都バグダッドなどは観光客で賑わっており、治安もある程度安定していたと思う。クウェート侵攻が火種となった訳だが、話し合いでの解決に見通しが立たず、米軍を主体とした多国籍軍による奇襲攻撃がバグダッドの夜空をミサイルの嵐が襲ったのだ。そう遠くない未来、イラクはテロ組織の巣窟となり大量破壊兵器が惜しげもなくテロリストたちの手に渡り、そして人類最大の危機が訪れるのだ。



ウインドウ インターネットエクスプローラー7.0日本語版がリリースされたので、早速インストールしてみた。これまでのIE6.0とは大きく異なり、これが同じIEかと思わせるほどの進化である。便利な点は複数あるが、一番の改良点はファイヤーフォックスなどに見られるタブ機能。複数のHPなどを閲覧する時には重宝するだろう。使い始めたばかりなので、少々戸惑う事も多いが自分の使いやすいようにカスタマイズ出来るところなども魅力の一つだ。馴染んでくれば最強のブラウザになるかも知れない。ただし、ブログ等を開く時エラーが出ることがあり、これはアメーバがこの新しいIEに完全対応していないからだろうか?わたしは新しいものが出ると直ぐに試してみたくなる性質の為、時々失敗することもある。
Windows Vistaが発売され話題を呼んでいるが、OSの場合は周辺機器などの事もあり、完全対応を確認した後にPCごと買い換える事が多い。
ところで、Mirar Toolbarというものをご存知だろうか。検索すれば数多くヒットする。検索エンジンの一種らしいがどうも怪しい。昨日PCを使っている内に突然このツールバーがブラウザ上段に出現。インストールした覚えもなく、その後IEやPCの調子が悪くなった。どうもこれはスパイウェアのようだ。邪魔くさいので削除を試みたが全く不能。ディスククリーニングなど試してみたが、一向に消えない。ノートンアンチウィルスでスキャンしてみると、やはり悪質なアドウェアだった。危険度はそれほどではないが、使用しないものをそのまま入れて置くのは気持ちが悪い。ノートンでも削除出来ず、最後の手段レジストリの編集を試みたがそれらしいものが見あたらない。さすがに困り果てたが、このまま使う訳にもいかずいっその事OSの再インストールかと最悪の事態を頭に浮かべつつ、マイクロソフトのHPにアクセスしてみるとWindows Defenderなるツールがあり、PCをスキャンして不要なものをピックアップして削除してくれるようだ。早速ダウンロード、そして全てをスキャン。おお!出てくる出てくるあくどいアドウェア。即効削除で漸くいつもの状態に戻ったのである。推定2時間はこの悪質なものと格闘していたわけだ。クレイジーケンバンドではないが、てんやわんやの2時間だった。


やくざ 長崎市長を襲った事件とそして町田市で起こった立てこもり事件。この二つの事件には共通点がある。凶器が銃である事と二人とも暴力団員。彼らの所属する裏社会において銃は非常に身近な存在でもある。わたしたち一般人が携帯電話を使うように、彼らの世界では銃は特別な物ではなく毎日使う所持品と同じ。組員同士で撃ち合うことはあっても、民間人を狙うような行為はご法度。極道という言葉がある。やくざ、暴力団など反社会的集団を総称して極道と使っているが、これは大きな間違い。元々極道は仏教用語である。読んで字の如し。道を極めた者を指す崇高な言葉だった。しかしこれが時の流れとともに使われ方の意味合いが異なってきた経緯があった。やくざも本来ならば「役に立たない」という意味を含んでいたが、現在では極道もやくざも暴力団も同じ扱い(言葉)となっている。わたしの故郷藤枝には東海道に名を馳せた侠客「長楽寺清衛」という大親分がいた。あの有名な清水次郎長と杯を交わし兄貴分でもあった。子どもの頃は父からその話をよく聞かされており、強気をくじき弱きを助ける人物として藤枝でも有名な話が数多く残っている。現代における暴力団組織は企業のサラリーマンと同じ扱いで、自由に身動きが取れなくなってきており、結局は裏社会も組織としての機能を優先し、個々における選択の自由がなくなったともいえる。さてここからはわたしの思い出話しをしよう。
まっさらなサラシを何重にも巻きながら父が言った。「とし坊、今夜は遅くなるかも知れないから先に飯食って寝てろ」またかと思った。町の何処かで争いごとがあると必ずといってよいほど父も呼び出される。なぜ呼び出されるのか理由は至って簡単だった。喧嘩が強いこと、父を慕う舎弟分が多くいたことなど。かと言って極道として一家を構えていたわけではなかった。父には兄貴と慕う人物がいた。以前にも話したと思うが、父は酒乱だったので常にわたしは父の暴力を受けていた。それを見かねた近所の人がある人物を父に紹介した。「人切り信次」と異名を持つやくざだった。幼いわたしから見れば、隣のおじさんもこのやくざな人物も同じに見えていた。優しくそして美味しい物を食べさせてくれたりと、その人の小指がないことも背中の入れ墨さえ子どものわたしにとっては何ら特別な意味はなかった。火葬場で骨になった父を見て真っ先に「拾え」と言ってくれたのもこのやくざなおじさんだった。わたしの家はそのような世間から見れば道を外れたやくざ集団の溜まり場でもあった。父は普段とても優しく面倒見がよかった。来るものは拒まない、頼まれ事は断らない。そんな父を慕って極道と呼ばれそうな男たちが藤枝中から集まっていた。色んな種類の入れ墨を見たし、人が集まると必ず博打が始まった。花札である。わたしはトランプより花札の方に思い入れがある。おいちょかぶ、いのしかちょう。ごつい男たちに混じって遊んだ。この人たち気性は荒いが子どもには優しい、わたしが父の息子と言う事も大きく影響していると思うが、小遣いをくれたり、父が刑務所に服役中はわたしの面倒を見てくれていた。子どもが健全に育つ環境とはほど遠いと思うが、ご飯を食べさせてくれる人がいるだけで幸せだと思っていた。一番驚いたことは家の引き出しに拳銃があった事。もちろんそれを見つけた時はおもちゃだと思っていた。触って見るとそれはとても重く、片手で持てそうになかった。グリップの所に包帯がぐるぐると巻かれていた。おそらく滑り止めだったのかも知れない。本物だと気付きそっと下に戻したが、これを一体誰が使ったのか、それともこれから使うのか子どもながらに月光仮面や七色仮面が使っている銃とは随分違っていると思った。後で分かったことだが、それは父の舎弟である秋夫という人物の弟が処分に困り果てその結果父が預かったという話しであった。喧嘩に駆り出されることが度々あった父だが、一度だけ顔を血だらけにして帰って来た事があった。その時ほど恐いと思ったことはなかった。このような父を親に持つ子どもはおそらく大勢いると思う。わたしが一番困ったことは学校で父親の職業を聞かれた時だった。まさかやくざだとは言えない。しかし定職につかず酒ばかり飲んでいる父をどう表現してよいのか分からず悩んだものである。結局思いついたのは土建業だった。図画の時間に母親の顔を描けと言われた時も困った。知らないし、迷ったあげく隣のおばさんの顔を描いてしまった。今は笑顔で話せるほど懐かしい思い出話し。あの頃の威勢のよかったおじさんたちにもう一度会ってみたいものである。


貴方と歩くなら 夜明けの 銀座が似合うわね
みゆき通りへ出て 朝が焼けるのを待つの
貴方と旅に出て 想い出一杯捉まえて
ほらね見えるでしょ 幸せはそこにあるの
フライングロンリーウーマン フライングマジックウーマン
白い渚を駆ける少女よ インユアサーイド
フライングラブリーウーマン フライングプリティウーマン
濡れ羽色の髪の乙女よ ゴーアヘッド
貴方と歩くなら 銀杏の並木も絵になるね
ほらね聞こえるでしょ 落ち葉が囁くイブモンタン
貴方と歩くなら 国際通りか稲荷町
仁丹ポシェットに 貴方の口付け待つの
貴方といる時は 素直な子どもになっちゃうの
ほらね分かるでしょ 夢見る乙女の呟きを

 


銃 アメリカ全土を震撼させた銃乱射事件。死者は過去最悪の32人が無意味な銃弾の下に散った。このような悲劇が度々起こる背景にはアメリカの銃社会が大きく影を落としている。アメリカの歴史を振り返って見ると、遙か遠くの記憶をたぐり寄せねばならないだろう。大海原を渡り一人の男が謎に満ちた大陸を発見した。未知の世界には当然危険も多く潜んでいる。広大な土地で先住民族のインディアンと出会い、大いなる発見と友情の印しを結ぶに至ったようにも見えた。しかしこれからが悲劇の始まりだった。新大陸を発見し、数多くの土産を持って国に帰った男を待ち受けていたものは、狂気乱舞する王様と野望渦巻く未開の土地に対する羨望の眼差しであった。それ以後多くの白人たちがわれ先とばかりに帆船を率いて新大陸に渡ることとなる。その先にどんな悲劇が待ち受けているとも知らずに。土地を手に入れ開拓をし、様々な動物たちや、インディアンの部族と出会う事になるが、言葉が通じない為場合によっては避けて通れぬ血が流れて行った。夜ともなれば、巨大な熊や狼の群れに恐怖を抱く。誰も助けてくれない未知の世界で、自分を守るのは自分自身だった。そして最も役に立った物が銃である。銃の歴史がこの大陸を変貌させて行った。長きに亘るインディアンとの戦いに終止符を打ったのも銃である。銃は進化し、やがて強大な兵器へと姿を変え、人間の想像を遙かに超える物となった。一度手に入れた武器と野望はそう簡単に捨てられるものではない。そして自由の国アメリカが手に入れたもの、それは余りにも代償が大き過ぎた。一人の青年がもたらした恐怖の瞬間だった。鳴り響く銃声と逃げ惑う学生たち、大学構内が戦場と化した。狂気に走った青年の内部で一体何が起こったのか。血の通った人間のやる事ではなかった。彼は狂った妄想の中で生きていたのかも知れない。母国「韓国」から遠く離れ、アメリカの地に夢を抱いて渡ったチョ容疑者。本人も自らの手で命を絶ってしまった為、この事件の詳細については彼がこれまでに至った道程を紐解いて、彼の内部に迫るしか事件の真相を知る鍵はないだろう。チョ容疑者については様々な憶測が乱れ飛んでいるが、彼を理解出来る人物はいない。アメリカには大きな夢もあるが、それ以上に暗雲が立ち込める部分も多い。人種差別もその一つだろう。韓国人だった彼が差別を受けていたかは知らないが、白人至上主義がその土地によってはいまだに根強く残っているのも事実。人種の坩堝で耐え切れぬ威圧感と疎外感を抱きながら、それは時間とともに一人の青年を狂気へと導いて行ったのかも知れない。銃を手に入れるにはさほど難しくないアメリカ。このような社会で生きて行く為には、それなりの覚悟が必要だろう。銃の規制だけを厳しくしても、この国には更に深い傷が歴史と一緒に見え隠れしている。日本国内でも同時期に悲惨な事件が起きている。2発の凶弾に撃たれ政治生命を絶たれた長崎市長。金さえ払えば一般人でもそれほど苦労せずに銃を手に出来る世の中。市長を撃ったのは山口組系の暴力団員だったが、アメリカ社会の歪みが日本にまで及ぶのも時間の問題かも知れない。
 

 


トイレ わたしたちは多くの家電製品に囲まれ生活をしている。生活密着型製品は日を追う事に便利になり、その恩恵を受けている訳だが、まさかトイレから火の手が上がるとは誰も想像出来なかっただろう。ウォシュレットと言えばTOTOと言われるように、この住宅設備機器メーカーとしては不動の位置にあるTOTO(東陶機器)。生活製品の不具合は昨年から多発しており、その度ごとに新聞紙上をを賑わせているが、やはり品質管理と安全性が徹底されていない製品が非常に多く世間に出回っている事を、この事故によって再認識させられる事となった。トイレはいわば密室の空間。豪華なホテルや豪邸は別にして、唯一ひとりの時間を愉しむ特別な場所でもある。人によっては新聞を読む空間、或いは独り言に耽る時間、などとトイレは用を足す以外にも利用されている。狭いながらも至って大事な癒しの場所だったりもする。ウォシュレットの使用率は年々高くなっており、病院、ホテル、民間企業、一般家庭に至るまで幅広く使用されている。下水道の完備が整うに連れ、トイレも大きく様変わりしてきた。わたしの通った小学校は非常に近代的で、校舎は鉄筋コンクリート6階建て。和式ではあったがトイレは既に水洗であった。昭和30年代にいち早く水洗トイレを導入した学校としては珍しいものだった。水洗トイレが各家庭に普及されるに連れ、和式から洋式へと姿を変え、ウォシュレットの登場はこれまでのトイレ概念を覆し、幅広く普及した。お尻に優しい、癒し空間へとトイレの形が大きく変わった瞬間でもあった。しかし、そのトイレでお尻に火がついてしまっては困る。トイレについてこれほど真面目な記事を書くことになろうとは思いもよらなかった。因みにTOTOという有名なロックバンドがあるが、これとは全く関係はないと思う。

1歳 非常に珍しく、貴重な写真である。赤ん坊の頃に撮られた写真はこの一枚ともう一枚は叔母さんに抱かれている写真でまだ歩けない頃のもの。不思議な事に父や母と一緒に写っている写真は一枚もない。父と母が結婚したのは昭和29年、最初に住んだのは静岡市八番町。祖母の姉さんや妹が住んでいた2階に部屋を借り、そこで新婚生活が始まった。祖母の姉さんは日本舞踊の師匠をやっており、わたしの幼い記憶の中では派手な着物と厚化粧で覆われた顔が今でもはっきり残っている。妹は商売をやっていた関係で従業員が大勢いた。暫く八番町で暮らした後、藤枝の本家に移ったが、父は結婚する前も後も仕事に就くことはなく、町の不良グループと毎日飲み歩いていた。家計を支えるのは母の仕事。昼は紡績工場で働き、夜はバーのホステスをしていた。かなりの美人で評判も高く人気者であった。仕事に忙しい母は育児を実家に頼んでいたようだ。朝は早く夜は帰りが遅い。そんな生活の中で息子を抱く暇もなかったのだろうか?父も家に帰って来るのは金が尽きた時だけ。父と母は顔を合わせる度に喧嘩を繰り返していた。そして3年が経ち、母はいつものように階段を降りて行った。わたしの記憶に残る母の姿がその時の背中である。3歳だったわたしは歌が好きで当時流行していた石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」を毎日母の背中に向かって歌い、仕事に送りだしていた。その日以来、母は戻って来なかった。そして数年の後、薬を飲んで自殺した。母親の愛情を全く知らないわたしは父親が育児放棄に走ってしまったため、親戚や隣近所、父の友人たちの手によって育てられた。母がいない不憫な子どもという目でみられていたせいか、周りの大人たちは散々わたしを甘やかせて育ててしまったため、わたしは随分わがままな子どもになってしまったようである。大人になった今でもそれを引きずって居る為、周りの人たちに迷惑ばかりかけている。どうしようもない男なのである。三輪車と一緒に写っているこの叔母さんが一番わたしをかわいがってくれていた。しかし今は行方不明、目をそむけたくなるような人生を送っている。