余命一年からの復活。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


余命 1989年4月28日、わたしは三井記念病院の手術室にいた。朝の記憶は鮮明に残っている。手術前日の夜、看護婦が眠れないからと睡眠剤を置いていったが、わたしはそれを使わず熟睡した。余命一年といっても、癌などの宣告とは多少違う。この心臓の状態だと一年もたないと言う意味で、それは否応なしに手術を受けなければ助からないという事だった。
19歳の時に一度手術は受けており、完治した訳ではなかったので、何れその日が来ることは分かっていた。当時の三井記念病院はまるで戦場の最前線のようであった。6人部屋にはベッドが8個、とにかく予約待ちの患者が溢れていたのである。その日手術を受けた患者は、わたしを含め8人で症状の重い患者から手術を受ける。
わたしはトップだった。浣腸で腹の中を空っぽにする。そして真っ白な手術着一枚に着替える。軽い麻酔剤を一本打つ。意識ははっきりしており、その注射は無意味だった。ストレッチャーが迎えに来る。自分の力でベッドから乗り換える。部屋を出て行く時、「頑張れ」と声がかかる。自分もそれに応えるように手を振った。手術室は7階だった。
扉が開くと同時に看護婦の声「かんべさん、手術室に入りますよ」声は出なかったが頷いたと思う。「かんべさん、手術台に移りますよ」遠のく記憶の彼方から優しい女性の声が木霊していた。薄っすらと目を開けると眼鏡を掛けたドクター3人の顔が見えた。
麻酔医が「全身麻酔します」と言ったのが最後だった。手術は9時間に及ぶ大手術だった。時間が全く分からない、朝か昼か夜なのか?とにかく手術が成功したのだ。成功率は85%、ただし手術中に心筋梗塞を起こし一時危なかったらしい。それと空気が脳に流れた事も分かった。ICUからCCUに移りはしたが、どうも息が苦しくてよく眠れない。レントゲンを撮ると片方の肺が潰れていた。次の日、背中に太い注射器を指し、肺に溜まった血を抜いた。
牛乳瓶8本分が右の肺に溜まっていたのだ。一気に呼吸が楽になり手術成功を実感した。あれから18年が過ぎ、19年目に入ろうとしている。これほど生きるとは思っていなかった。機械と薬に頼る毎日だが、わたしを支えてくれる多くの人たちに感謝しながらこれからも生きて行きたいと思う。