プールサイドの人魚姫 -85ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


カンガルー 内藤大助VS亀田大毅戦、このカードを組んだこと自体が無謀であった。おそらく以前と同様にTBSの視聴率稼ぎにボクシングが踊らされたわけである。視聴率はかなりアップしただろうから、TBSとしてはしてやったりである。
自分の実力を知るには強い相手と戦うのが一番手っ取り早い。負けて当然だと捨て身で挑戦者はチャンピオンに立ち向かう。それが世界タイトルマッチの醍醐味であるが、今回の試合はあまりにも力の差が在りすぎた。
品格の無さは亀田家のトレードマークだから今更進路変更する訳にもいかない。プロデューサーが作り上げたボクシング界の沢尻エリカと言ったところか。しかしエリカ嬢には女優魂がある。亀田大毅にはプロボクサーとしての誇りもなければプライドもないだろう。
それがリング上で如実に現れた。子どもだから致し方ないにしても、最低の礼儀というものがあるだろうに、それさえかなぐり捨ててリングを去った亀田家の将来はTBSが今後何処まで彼らについて責任を持つかにかかっている。
人気が急降下すれば誰も振り向かない芸能界と同じ事をボクシングに持ち込んだTBSの功罪は大きいだろう。亀田兄弟はまだ若いし、将来がある。それだけが希望とでも言うべきか。敗れて初めて知る涙の味を忘れずに努力を続けることが大切である。


キック サッカーファンであればおそらく誰もが知っているだろう。ワシントン・ステカネロ・セルクエイラ。ブラジル出身、浦和レッズ所属。黄金の右足を持つストライカーとしても有名である。彼のことを知ったのは実はつい最近のことで、ある女性がわたし同様に三回目の心臓手術を受けることに不安を抱き悩んでいたことがきっかけだった。
ワシントンのことをブログで取り上げて欲しいという要望があり、わたしなりの視野でこの記事を書くことにしたのである。
ワシントン自身、公式ブログを持っていたので早速拝見してみたのだが、驚いたことにわたしの従兄弟に顔がよく似ていた。従兄弟については過去に話しているので知っている方も多いと思う。
ジュビロ磐田の前身であるヤマハ発動機に所属しており、FWの神戸と言われスポーツ新聞などに度々掲載され、芸能人とも仲がよかった。
2年前脳内出血で倒れ、口も聞けず動くことすら出来なかった従兄弟が、今では自由に会話が出来、杖を付きながらも歩けるまでに回復したのであるが、その回復力は長年サッカーで鍛えた身体が功を奏しているのだと思った。
わたしも藤枝出身なのでサッカーとは縁があるが、何せこの身体は幼い頃から心臓病に侵されており、とてもサッカーを出来る状態ではなかった。ワシントンは2003年に2度に亘る心臓手術を受けており、一時はサッカーを諦めなくてはならない状況に陥った。しかし彼のサッカーに対する情熱と執念が再びサッカーボールに乗り移り、奇跡の復活を成し遂げたのである。
彼がゴールを決めた時、自分の胸を叩いてアピールするのは、「僕の心臓は大丈夫」と自分とファンの人々にメッセージを送っているのである。
それだけでなく、彼は日本心臓財団とも縁があり、ワシントンがゴールを上げる度に貯金した全額を日本心臓財団へ寄付していたのである。心臓疾患で苦しみ、療養を続ける人々に勇気と希望を与え続けている彼は、心臓病だけでなく全ての病気は克服出来るのだという希望をボールに込めてサッカーを続けているのかも知れない。



キューブ ルービックキューブの発祥地でもあるハンガリーの首都ブタペストにおいて、先日世界大会決勝戦が行われ、日本の中島悠君(釧路工業高等専門学校2年)が、3×3(1面が3列×3列の標準的なもの)部門で優勝した。中島君は、平均タイム12秒46で優勝した。
日本人は昔から手先が器用であるから、このような立方体パズルは得意なのかも知れない。日本でルービックキューブが大流行したのは1980年頃からだろう。おそらく、大勢の老若男女がこの一見単純そうなパズルにはまったことだろう。
わたしは上京してから手に取り挑戦してみたが、とても数十秒単位で揃えることなど到底無理だった。これは頭でじっくり考えるパズルではなく、直観力を必要とするもの。つまり眼と指先で覚えてしまうのである。
手先を使うことは老化防止にも役立つので、押入れか部屋の何処かで埃まみれになっている四角い魔法のキューブをもう一度手に取ってみては如何だろうか。スピードでは若い人たちに敵うはずはないだろうが、日頃眠っている直感力を鍛える為にはお進めだろう。考えず身体で感じ取ることが便利になり過ぎた現代には不足している。
わたしは詩を書くとき直感で書いているので、数十秒でひとつの作品が出来上がる。小説のように考えながら書くものとは大きく異なるだろう。だが、詩にはないストーリーを組み立てる面白さが小説にはあるので、詩と同じようにやはり止められないでいる。


フラ 1965年、昭和の時代が大きく変わろうとしていた。高度経済成長の波が押し寄せ、エネルギーを石炭に頼っていた時代が終わり、石油が新しい原動力に変わりつつあった。
日本各地に点在する炭鉱も規模の縮小或いは閉山へと追いやられて行くのである。福島県常盤市も例外ではなく、炭鉱に変わる大きな事業を展開しようとしていた。温泉を利用した大プロジェクトを立ち上げ、それに向けて準備が進められて行く。炭鉱で働く人々は複雑な思いを込め、山を諦め切れずにいた。
職場を失う現実と苦悩、初めて経験する大きな壁である。映画「フラガール」は誰もが絶賛し、涙を流した近年にない日本映画の傑作である。
昭和40年といえばわたしにも思い出がある。心臓弁膜症に罹患した頃、当時わたしは9歳だった。そしてもうひとつ福島県常盤市には亡き母が働いていた場所でもある。昭和39年9月に、服毒自殺をした母の最期の地でもあった。
フラダンスは元々古典芸能であり、日本に於ける「能」と同じ側面を持ち合わせていて、フラそのものは「神」に捧げる踊りであった。
この映画を見て、初めてフラダンスの由来を知った人も多いことだろう。見た目では分からないその優雅な動きは、厳しい練習を積み上げてきたからこそ表現出来る芸術であり、精神の統一、或いは健康にも大いに役立っている。もちろんダイエットなどにも効果がある。
母について、わたし自身はその多くを知らないままであり、踊り子だったという噂さえある。写真で見る限りその美貌と日本人離れしたスタイルから、そのような噂が立ってもおかしくはないと思った。最後に映画「フラガール」を見て、踊り子たちの後ろ姿に母の面影を抱きながら、瞼が熱くなるのを感じていた。



トイレ3
トイレに絡む事件が時々発生するが、人間は密室の空間を犯罪部屋に変えてしまう癖があるらしい。今回新潟市で起こった新生児殺人未遂もいい例である。
子どもを産むのにトイレが度々使われるのは、誰にも見られないからだが、そのようにして産まなければならない背景には、妊娠する意味を安易に考え子育てへの不安や、卑しい自分への反感があり、最悪の結果へと導いてしまうのかも知れない。
しかし、自分の子どもへの愛情も一緒に高窓から捨ててしまった久保容疑者は母親にもなりたくなかったのだろうが、人間以下の行動を取る前に家族なりに相談すべきだった。
彼女の妊娠を家族が誰も気付かなかったという点は、その家族に個々のコミュニケーションが欠けていたと思わざるを得ない。何の為の家族なのか、もう一度原点に立ち返って考えて見るべきである。幸いな事に女児の命が助かったことで一安心であるが、家族はもう反省しその子どもをしっかりと責任を持って育てなくてはならない。
父親が誰なのかは彼女自身しか知らないことだろうが、場合によっては彼女のプライバシーまで言及する結果にもなり、敢えて父親探しを断念せざるを得ないかも知れない。
世の中の男女関係は複雑極まりなく、ネットで複数の異性と出会うことが可能な時代。愛ではなく快楽のみを求めるのはこの地球上で人間だけだろう。



エロ わたしのところにはメールが一日に約80通ほど届くが、その内の約半分は迷惑メールに分類される。ネットを利用して買い物やオークションなどを利用すると自分のアドレスが漏れる。フリーメールを使っても同じ。
以前は海外サイトからの商品購入を誘うメールが殆どだったが、最近は迷惑メールもバラエティに富んできたようだ。出会い系、アダルト系、宗教系、広告メールなど。中には分類不能の謎メールもあったりする。
添付ファイルが着いてくるものはウイルス系なので絶対に開かない。このような迷惑メールに対処するには、プロバイダのサービスを受けるか、メールソフトのオプションを使って、送信者を禁止事項に追加するなどの処置をとるが殆ど効果はない。
わたしは相変わらず手作業で削除するようにしているが、間違えて友人からのメールを削除してしまう可能性もある。アドレスを代えてもいずれどこかで情報は漏れるものだから迷惑メールに対して何の処置もしていない。
先日のニュースで中国を経由した迷惑メールが急増していると聞いた。中国は日本と比べるとまだ迷惑メールへの立ち遅れが目立つようだ。そこに眼をつけた悪質業者が利用しているようで、アジアの大国と呼ばれる中国にも大きな落とし穴が幾つも見つかりそうである。
このような迷惑メールなどで直接被害を受けたことはないが、「ワンクリック詐欺」なるものが横行しているので、アダルト系を見たい人は充分注意するように(*^_^*)。



猿
10月1日、福田首相の所信表明演説が行われた。野党からのヤジが飛び交う中、淡々と原稿を読み上げる福田首相の顔は至って冷静だった。
安倍政権を殆ど手付かずのまま譲り受け、発足した福田内閣。スタート時点での支持率は60%近い数字を叩き出したが、これは今迄の安倍政権が余りにも酷すぎた為の、国民の藁にもすがる思いの結果だろう。
所信表明には一国を代表する政治家としての魂が込められていなければならないが、他人が書いた原稿を棒読みするようでは、その内容を総理の言葉として評価出来るものではない。
「自立と共生」「希望と安心」といった言葉は野党側にやや傾いた形だが、今の自民党を象徴する負け台詞に聞こえて来る。
参議院で議席を野党に奪われている以上、強気の発言は反感を買うだけに、独自の福田カラーを打ち出せない弱みもあるが、裸足で画鋲の上を歩くくらいの痛みを敢えて知ることも必要である。八方美人になりがちな今の政府に求められているものは、確固たる決断力とリーダーシップが取れる政治家の登場だろう。



時津風 昭和の大横綱「双葉山」が創設したと言われる「時津風部屋」が風前の灯火となっているが、これはひとつの相撲部屋だけの問題ではなく、日本相撲界全体の威信と名誉が大きく崩れ去る前兆といえる。
朝青龍の不祥事で既に相撲協会の指導不足が指摘されているが、今回の事件は一人の若い力士の命が不条理な形で奪われたことに尽きる。将来は横綱という大きな夢を抱き弟子入りした17歳の少年に一体何が起こったのか。
序ノ口力士・時太山こと斉藤俊さんを待ち受けていたのは、師匠である時津風親方の有り得ない仕打ちだった。稽古が辛いのはスポーツに限った事ではないが、逃げ出したくなることは幾らでもあるだろう。
自宅に戻った斉藤さんを父が励まし再び送り出したのも親の情というもの。辛い稽古を積んで一人前の力士になって欲しいと親は願っていた筈。本人もまた不甲斐ない自分を責めていたかも知れない。
時津風親方の行動が報道記事で言われている通りであるならば、まさしくこれは集団暴行、リンチ殺人ではないのかと疑いの眼を向けられても仕方ない。金属バット、ビール瓶で頭を殴るなどまるで暴力団同士の争いである。相撲道を目指す大人のやる行為ではない。
北の海理事長は現役時代から腰が重かったが、文化省から異例の指示を受け更に重くなった腰を漸くあげた。今回の件について理事会がどのような処分を下すのか定かではないが、時津風部屋の廃業も充分に有り得るだろう。



銃撃 戦地に赴くのはなにも兵士に限ったことではなく、カメラを武器に紛争地域の様子を克明に伝えるジャーナリストも別な意味での兵士なのかも知れない。
危険度の高い場所に飛ばされるカメラマンたちは、その殆どがフリー或いは契約社員といった立場の者であるが、彼らは敢えてその様な誰もが避けようとする場所にカメラと共に身を投じる。
先日ミャンマーで起こった反政府デモと、それを武力で封じ込めようとする軍事政権治安部隊の様子を撮影していた日本人ジャーナリストの長井健司氏が、兵士に狙撃され死亡した事件が生々しく報道されており、そのショックが想像以上に広がっている。
兵士の独断で発砲したのか或いは軍上層部から「カメラを持っている者は撃て」という指示が出されていたのか真相の究明にまでは時間がかかりそうであるが、軍隊が政権を握っているミャンマーにとってはカメラが実に邪魔な存在であるのは確かだろう。
デモ隊の鎮圧上仕方がなかった、流れ弾に当たったなどという軍にとって最も都合のよい言い訳が既に聞こえ始めている。
銃で撃たれ倒れても尚且つカメラを放さず撮影を試みている長井氏。記憶が薄れて行く中、もしかするとカメラは壊れ回っていなかったかも知れない。死の直前まで彼のジャーナリズムは誇り高く生き続け、真実の追究と報道の在り方を我々とマスコミ関係者に命と引換えに残して行ったような気がしてならない。



おの
京都府田辺市で起こった16歳の少女が父親を斧で殺害するという痛ましい事件、そしてその事件を模写するかのように長野県辰野町でも同様の事件が起きた。後者は殺人未遂に終わったものの、このように残虐な事件が起きた背景にバイオレンス・アニメの存在が注目されることとなる。犯行に使われた兇器がオノだった事が多くの国民に大きなショックを与えたのは他でもないが、昔から指摘されているように、残酷なアニメ、ゲームなどが少年・少女たちに悪い影響を与えるとして問題指され続けてきた。
今回取り上げられているアニメは「ひぐらしのなく頃に」「School Days」など。「ひぐらし」の方はYOU TUBEで一度拝見したことがあり、確かに子どもが見るには忍びない場面が多数登場する。しかしながら、このアニメ中高生には大人気である。
アニメの内容はともかく、音楽性は非常に優れており、わたし自身ALI PROJECTのファンでもある。内容に似つかわしくない美しいメロディやボーカルは他の音楽とは一味違った楽しみ。
バイオレンス・アニメと言えば元祖は永井豪の「デビルマン」あたりだろうか。「ハレンチ学園」はまた違った意味でアダルト的な部分もあり敬遠されがちだったと思う。
TVやアニメ、映画など内容はともかく悪影響を及ぼすであろうと思われるものは巷に溢れており、コンビニへ行けばアダルト雑誌などが堂々と売られている。この二つの事件を返り見ても、殺害された親に同情が集まるところだが、15,6歳と言えば思春期真っ盛りで、心は常に揺れ動き、学校、勉強、塾、友人関係などで不安や悩みを少なからず抱いているだろう。人にとっては些細なことでも当人にして見れば大きな不安要素だったりする。
そして大人として最も身近な存在は紛れもなく、親なのである。子どもの前で夫婦喧嘩をし罵り合うなどといった行為がどれだけ子どもに悪影響を及ぼすか。殺害した少女は父親に対し男としての嫌な面を見せ付けられ、大人(男)は汚いものだと言う固定観念を持ってしまい、嫌悪感がやがて憎悪となり自分をコントロール出来ない状態にまで追い詰められての犯行だったのかも知れない。余りににも純粋ゆえの自己崩壊である。
中3の男子も見た目では分からない父親に対する憎しみを抱いていたに違いない。子どもと親の距離は近すぎても遠すぎてもうまくいかないもので、それが自己確立の卵と言える思春期においては、最も子育ての中では難しい。着かず離れずのほど良い距離を保った親子関係が築ければばこんなおぞましい事件は起きないだろうと思う。