フラフラガール。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


フラ 1965年、昭和の時代が大きく変わろうとしていた。高度経済成長の波が押し寄せ、エネルギーを石炭に頼っていた時代が終わり、石油が新しい原動力に変わりつつあった。
日本各地に点在する炭鉱も規模の縮小或いは閉山へと追いやられて行くのである。福島県常盤市も例外ではなく、炭鉱に変わる大きな事業を展開しようとしていた。温泉を利用した大プロジェクトを立ち上げ、それに向けて準備が進められて行く。炭鉱で働く人々は複雑な思いを込め、山を諦め切れずにいた。
職場を失う現実と苦悩、初めて経験する大きな壁である。映画「フラガール」は誰もが絶賛し、涙を流した近年にない日本映画の傑作である。
昭和40年といえばわたしにも思い出がある。心臓弁膜症に罹患した頃、当時わたしは9歳だった。そしてもうひとつ福島県常盤市には亡き母が働いていた場所でもある。昭和39年9月に、服毒自殺をした母の最期の地でもあった。
フラダンスは元々古典芸能であり、日本に於ける「能」と同じ側面を持ち合わせていて、フラそのものは「神」に捧げる踊りであった。
この映画を見て、初めてフラダンスの由来を知った人も多いことだろう。見た目では分からないその優雅な動きは、厳しい練習を積み上げてきたからこそ表現出来る芸術であり、精神の統一、或いは健康にも大いに役立っている。もちろんダイエットなどにも効果がある。
母について、わたし自身はその多くを知らないままであり、踊り子だったという噂さえある。写真で見る限りその美貌と日本人離れしたスタイルから、そのような噂が立ってもおかしくはないと思った。最後に映画「フラガール」を見て、踊り子たちの後ろ姿に母の面影を抱きながら、瞼が熱くなるのを感じていた。