プールサイドの人魚姫 -80ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

猫誕生。
誕生日の記事をアップする前に皆さんから「誕生日おめでとう」のコメントを頂いてしまいました。プロフィールに「七草粥」と書いたので、分かってっしまいましたね。ありがとうございます。
わたしは1956年1月7日に神様から命を頂き、それ以来幾度となく誕生日を迎えるにあたり、神様と契約を交わして来ました。
命の契約期間は一年。一年が人間に与えられた仮の寿命です。その一年の過ごし方に寄って更に寿命を延ばすかどうか、神様が判断するのです。
わたしがこうしてまた無事に誕生日を迎えることが出来たことを神様に感謝しなければいけません。誕生日は神に喜びを捧げる儀式なのです。
わたしは特に宗教を持っていませんが、持つか持たないかそれは関係なく、神は常に人の心に在るものです。そして自分を生んでくれた両親に感謝しましょう。
父と母がいなければ自分は存在しなかった。しかし命が宿ったことは偶然ではなく、神の意志によるものであること。
誕生した自分がどんな生き方をしようとそれは自由です。智恵と勇気を授かり、多くを学び成長していくことでしょう。
年を取ることは老いることではなく、次の進化へと脱皮する準備なのです。
人間は神が創った宇宙の肥やしとなり、更なる生命を引き継いでいくのです。ですから、どんな死に方にも意味があり、無駄にはならない。
わたしたちは常に宇宙と繋がっていることをもっと意識すべきです。ひとつの事柄に心を捉われず、感謝の気持ちを忘れることなく、心穏やかにして「誕生日をありかとう」と祈りを捧げましょう。
12月30日よりアメーバブログ同士でトラックバックが出来ないという不具合は解消致しました。


宙吊り 高層ビルの47階から落下すれば100%即死だと誰もが思う。この記事はおよそ一ヶ月前にニューヨークで起こった事故であるが、まさにアンビリーバボー。奇跡以外の何者でもないと誰もが口を揃えて言った。
事故が起きたのは2007年12月7日。二人の窓清掃員が仕事中誤って47階の高さから地上に落下。一人はその場で即死。しかしもう一人のAlcides Moreno氏は「脳内出血、内臓損傷、全身骨折」と言う重体を負いながらも9回の手術の末、奇跡的に命を取り留めたと言う。
専門家の話によれば、「4階か5階からの落下で50%の人が死亡する。10階、11階の高さになれば、ほぼ100%助からない」という。
彼が助かった理由は憶測でしかないが、多くの偶然が重なった結果かも知れない。ただそれだけ理解出来るものではない。運が良かったと一言で片付けるには余りにも信じ難い事例であるだけに興味は尽きることが無い。
落下する際彼は約570キログラムのアルミニウム製つり台にしがみつき、それが空中で「サーフボードのような役割を果たした」ためだと推測。
高層ビル群が立ち並ぶNYではビルとビルの隙間に気流が発生することは珍しくない。その気流の流れも今回の事故に大きく関わっているものと思われる。
まさに「九死に一生」とはこの事である。
人間を支配しているものは時間であり、この世に誕生した時点で時間だけは平等に時を刻み始める。が、ただし個々で時間の配分は運命の如く、短時間でその生命を終えてしまう者もいる。大半は順調に育ち、健康を授かり、時間すら意識する事なく、大人へと成長を繰り返し己の道を歩み始める。
人生の道は舗装された平坦な道ばかりではなく、時には凸凹だらけの険しい道もある。眼の前に目標がある、しかしそれを遮る大きな川がある。目標は手の届く所に見えているのだが、この川を渡る橋が見当たらない。
目標を目前にしながら諦めるか、別の選択をし、別の橋を探すか或いは泳いで渡るか選択支は幾つかあるが、これが激流だったとしたら、川を渡ることを躊躇うのが一般的な考えだ。
だが諦めるのは早計。ビルから落ちて助かった人のように100%無理だと言う中にも希望があることを忘れてはいけない。どんな過酷な状況に陥っても絶望の中に奇跡と呼べる空間が僅かでも存在する事を数秒の内に身体が身を持って証明してくれるのである。


鼠 皆様、新年明けましておめでとうございます。
大晦日の晩、調子に乗って水分を摂り過ぎたのが祟ったのか、元日早々体調を崩し、一日中身体を休めておりました。
休めども休めもども一向に胸の重苦しさは改善せず、横になろうが起きようが呼吸が楽に出来ない。自分の回りだけ酸素が薄いのではないかと思うほどで、このような症状は初めての経験でもあり、お腹は大きくまるで妊婦さんのように膨れてしまう。
利尿剤を飲んでもあまり効果が出ず、排泄される尿量はごく僅かで肩で呼吸をする始末。心肺機能が低下しているので、身体の隅々まで血液が行き渡らず、手足は冷たく去年まであれほど暑がりだったわたしが一転して寒がりになってしまいました。
主治医から、「冬場は心臓病が一気に悪化することがあるので気をつけるように」と言われておりましたが、自分の病気に対して40年も付き合って来た中での「油断」が出てしまったのかと自分の心臓への思いやりの無さに今頃になって気付いた大馬鹿者です。
元日に予定していた「初詣」、自宅から徒歩で数分の所にある帝釈天が数十キロ先の遠い場所に見え、外に出て歩く気力も失せてしまい今年は初詣を諦めました。
本来なら心臓の手術が成功するよう祈願したいところでしたが、断念。ベッドの上から祈願するはめになりました。
ただ、わたしの代わりに家内が行ってくれ、お守りを頂いて来てくれたのでそれを持って手術に臨もうと思っております。
わたし3回目の手術に対し、かなり弱気になっているようで、こんな自分を見るのも初めてで、生まれて初めて自分が死んだ夢まで見てしまうとは…。ただその夢の中の自分が子どもだったのが救いだった。
どんな手術でもリスク0はなく、必ず危険は付き纏うもの。それを全く恐れることもなく、1、2回と手術に臨んだのはやはり若さが持つ生命への揺ぎ無い自信だったのでしょう。
その自信が今揺らぎ始めている。死への恐れを感じている。これはおそらく死というものをこの歳になって漸く理解出来たという一種の到達点ではないかと思う。わたしが書く詩はその殆どが生と死であるが、どこかの著名な女流詩人が「詩は死である」という言葉を残している。
死の中にこそ生命の躍動感や美しさが見えるのも事実であり、まさにその通りなのだと思った。半月もすればわたしは古巣へ戻る。
2回目の生を授かった場所へ3回目の生を授かる為に。



年賀
ブログネタ:年賀状出す? 参加中

毎年のことながら、ぎりぎりになって年賀状を書き始める。枚数が多くなると結構大変な労力が要る。パソコンやプリンターの力を借りて印刷すればそれほど時間は掛からないが、やはり自筆で一筆加えたいもの。その方が貰った方も嬉しさが倍増するだろう。
わたしの場合、年賀状の枚数は自分の人生の長さと比例する。この世に生まれ落ち、多くの人とめぐり合い、交流が始まる人もあればその日限りの場合もあるが、印象に残る人たちとはこの年賀状を通して交流を続けて行きたいと思う。
わたしが初めて年賀状を書いたのはいつ頃だろう?小学生の時自分から書いたことも人から貰った覚えもなく、家族が年賀状を書いている姿を見た事もない。
中学生になってからは養護学校へ転向し、病院での生活だから年賀状とは無縁の世界だった。記憶は定かではないが、やはり社会へ出てから友人などに年賀状を書くようになったと思う。16歳で就職しているので、昭和48年辺りからだろう。昔の年賀状を見れば分かることなのだが、上京した時、わたしは自分の荷物を一切捨ててきたので確かめることが出来ない。
30代前半にわたしは一度だけ自分宛に年賀状を書いたことがある。自分に年賀状を出す人はおそらくいないだろうと思うが、当時わたし酷く落ち込んでいた時期があった。何をしてもうまくいかず、仕事も転々とし長く続かない。
人間関係もおろそかかになり、何事にも自信をなくしていた。年の瀬も迫り、次の仕事先が見つからないまま不安な夜を過ごす。東京に出て来て7年が経っていた。上京してからも年賀状だけは書き続けていたので、ごく親しい人宛にその夜も年賀状を書いた。
一枚だけ葉書が残ったので、来年の自分に宛てて励ましの年賀状を書いたのである。「くよくよするな、元気を出せ」多分有り触れた言葉だったと思う。
年が明け、その一枚が届いた時、去年の自分が今年の自分を応援してくれていると思った。去年が駄目なら今年がある。新しい自分の可能性を信じてみよう。
こうしてわたしは一枚の年賀状に救われたのである。

スナイパー アルカイダの事を聞くとつい鳩山邦夫氏の「友人の友人がアルカイダ」発言を思い出してしまう。日本の政治家が如何にレベルが低いかを思い知らさせる発言だった。
今年も終わりだと言うのに、またしてもアルカイーダが世界を震撼させた。パキスタンのブット元首相の暗殺事件。後日に国際テロ組織アルカイーダが関与している事が明らかになった。
これはいわゆる民主国家に対するテロリストたちの新たな宣戦布告である。アメリカを筆頭にイギリス、フランスなど各国がテロ殲滅を目指しているが、状況は何ら変わらない。世界でのテロ活動は日々深刻化しており、アフガニスタンでは再びタリバンが勢力を増し、韓国人を人質にとったニュースもつい最近の出来事である。
民主化を夢み確固たる信念の元に遊説活動をして来たブット女史。命を狙われる機会は幾度となくあり、当然彼女自身もそれを肌で感じていたはず。
テロから彼女を守れなかったのは残念ではあるが、ブット女史が残した「民主化を勝ち取る勇気」はおそらくパキスタンの国民に届いているはずだ。
アメリカCIAは事前にブット氏暗殺計画を傍受していたが、パキスタンに散らばる数千人のアルカイダメンバー、イスラム過激派の動きを全て把握し切れていなかった。
暗殺は小さな規模でも成功する確率が非常に高い。犯人の自爆により、20人規模の死者は昨今のテロ攻撃の中ではそれほどの大きさではないが、ターゲットが違い過ぎた。
パキスタン民主化の星がテロに屈したとなればこれはパキスタンならずとも隣国インドそして海を渡り山を越え、その波紋は大きく広がっていく。
日本は海上自衛隊がインド洋から帰還したばかり。国会ではテロ特措法が宙に浮いたままであるが、インド洋の斜め上にはアラビア海があり、パキスタンも視野に入れてもう一度このテロに対する法律を機が熟すまで議論を交わす必要がありそうだ。
諸外国からみれば自衛隊は日本軍として扱われる。憲法九条など日本国内の問題であって、他国にとってみれば、自衛隊が存在し、重火器があり、戦闘機が飛び、戦車が走り、イージス艦が波を切って渡れば何処から見ても「日本軍」だろう。
日本国民はこれから視点を変えて見るべきである。インド洋上で自衛隊がテロの攻撃に遭ったら、それを傍観していろと言うのか。何もせず自衛隊員が死んでいく姿を貴方はTVモニターの前で凝視出来るのか。敵を憎まず武器を憎め、そう考えるしか今は方法がない。


神取忍
今年も余すところ数日。この一年を振り返るとまさに食品業界の偽造、偽装が相次いで発覚し、消費者不在の一年でもあった。
スポーツに於いては星野ジャパンの北京オリンピックへの切符を手に入れたことや、フィギュアスケート界では安藤美姫、浅田真央の成長振りが目立ち華やかなシーズンだった。
そしてその影で大きくスポーツの品格欠いた問題が、大相撲朝青龍問題、そしてプロボクシング界を娯楽に変えてしまった亀田大毅の反則負けプロレスボクシング。
これらの中で一番印象に残っているのははやり亀田大毅。異例の謝罪会見などである。
さて亀田大毅本人は既に喉元過ぎて熱さ忘れるといった境地に入ったようで、27日に所属する共栄ジムで今年最後の練習を公開したようだ。
亀田大毅は10月のフライ級タイトルマッチに対し、反省の様子はまったく見せず、この試合で負けたことが一番楽しかったと述べている。
結果的に見て謝罪会見そのものもシナリオ通りだったと受け止められて仕方ない。これはおそらく日本のボクシング協会の甘さがいまだに根強く残っている証拠だろう。その場凌ぎの謝罪はもううんざりするほど見せ付けられてきたが、亀田兄弟達のボクシングは依然不透明。実力は技術だけでなく、礼儀、ボクシングを敬う心が無ければ真のボクサーとは言えない。
厳しいようだが、彼等亀田兄弟の実力はまだ当分先でないと開花しないように思われる。強い相手とやって勝つ。相撲も同じだが、それが金星へと繋がる道である。
どうしても駄目なら神取 忍に張り手を一発貰って眼を覚ますしかないかな。


tarako 久しぶりに我が家のペットをアップします。約2年ほど前、近くの公園の雑木林で鳴いていた生後一ヶ月余りの捨て猫?を見つけた。わたしは最初の復職がうまく行かず、うつのリハビリを再スタートしている最中だった。
うつの人は朝方最も状態が悪くなり気分が落ち込み、朝などこなければいいと思うほどである。しかし、朝起きなければうつ状態はよくならないので、主治医の言われる通り早朝散歩を始めたのである。
6月の始め、空はどんよりと曇り梅雨を思わせる空気が重く張り詰めていた。車の往来も少なく、人も疎らな公園の中に子猫の親を探す鳴き声だけが虚しく悲壮感さえ漂わせながら響いていた。
あれから2年が過ぎ、今では堂々たる飼い猫となった「タラコ」♀。この二年間タラコの名前が呼ばれない日はなかった。
彼女の姿が少しでも見当たらないと誰かが必ず「タラは?」と声をかける。いつの間にか我が家に無くてはならない存在となったわけである。
猫の為に人がいるのか、人の為に猫がいるのか。猫に限らず多くの動物がペットとして飼われているが、親身一体となって飼われているペットがどれだけいるだろうか。
我が家にはインコもおり、猫と小鳥の共存については細心の注意を払っていたが、いつの間にかインコの方が先輩風を吹かせており、タラコは目線さえ合わせようとしない。
猫の爪とぎに悩む人も多いと思うが、江戸川区に住んでいた頃は持ち家だったから、まったく気にも留めずすき放題にさせておいた。
しかし今は貸家住まいなのでそうも行かない。引越ししたばかりの頃はタラコもさすがに新居に慣れず、食事も二日ほど口にしなかったが、慣れてくると持ち前の好奇心を発揮し家中を歩き回り、しまいには何処で見つけたか知らないが、屋根裏に入ってしまいその内出口が見つからず、鳴き声だけが、三つの部屋を行ったり来たり。
探す方も何処にいるのやら、天井から声が聞こえるものの、何処から入ったのか解らず大笑いしながら探しまわった。
好奇心が強いわりに一度も外へ出たことがなかく、窓から外を眺める程度。猫は犬と違い喜びを表現する態度がわかりずらいが、実は猫ほど思いやりに溢れた動物はいないのである。
猫は自分が獲物を捕まえると飼い主にそれを見せに来るが、この行為は「食べ物を手に入れたのであなたにも分けてあげますよ」という意味が込められているそうだ。
犬は舌で汗をかくが、猫の場合は肉球だそうである。猫の爪研ぎにも色々な意味が込められているようで動物の不思議はまだまだ数多くありそうである。

 

santa

皆さん、クリスマスイヴですね。わたしは多分この記事を書き終わった後、特注のケーキと少しだけお酒を頂こうと思っています。来年は1月早々に入院がほぼ決まっていますから、今夜は何故か特別なイヴのような気がします。
さて、トナカイが不足しているためサンタクロースも悩みが多いようです。そこで今年からインターネットを通じて注文を頂き、宅配便によるプレゼントのお届けとなったようです。
何だか夢のない話になってしまいましたね。
クリスマスプレゼントの思い出といえばわたしの場合、中学の3年間を過ごした天竜養護学校の話題になります。
天竜病院(旧天竜荘)には当時、1病棟から13病棟まであり、子どもたちの病棟は12病棟と13病棟だけでした。
木造の古い建物で、元々サナトリウムでしたから大人の患者さんが殆どでしたが、昭和31年辺りから子どもの病棟が出来たと記憶しています。養護学校は二年前に創立50周年を迎え、わたしも来賓として出席しました。
わたしが入院していた当時とは全く新しく生まれ変わった病院と養護学校は近代設備が整い、最新の医療を受けられるようになっていました。
病棟にはおよそ100名ほどの子どもたちが生活を共にしていました。冬は電気あんかを抱いて隙間風を凌ぎながら水道の水も凍りつく寒さの中でそれでも風邪ひとつ引かず、子どもたちは元気でした。家から遠く離れ、家族との面会も月に一回しかありません。
親も子も会いたい時に会える訳ではなかったのです。下は4歳児から上は16歳くらいの子どもたちだけの暮らしはそれぞれが持つ病気との闘いの中でお互いを励まし会って毎日を暮らしていたように思えます。
クリスマスイヴが近づいても親からプレゼントを貰うなどということは出来ません。
小学校低学年の子どもたちはサンタクロースの存在を信じている子もいました。もちろんわたしほどの中学生になればサンタは夢物語だと解っていましたが、それを信じている子どもたちには言えません。夢を壊すような話をする事が暗黙の了解のように病棟内で決まっていたのです。
そして迎えたイヴの夜、消灯は20時30分。看護婦さんが見回りに来て各部屋の電気を消して行きます。消灯と同時に寝てしまう子どもなどいませんから、しばらくの時間はまだ遊びが続いています。夜も22時頃になると、さすがに小学生は寝息を立て始めます。
寝入った子どもたちを確かめ、誰かがベッドから起き上がり消灯台の引き出しから何やら取り出し、病室を出て行きました。それも一人や二人ではないのです。仲間同士で決めた訳でもないのに、皆それぞれがサンタクロースになり切っていました。もちろんわたしもその一人でした。そうして、大部屋と小部屋を行き来して手作りのプレゼントを枕元に置いてくるのです。
病棟の朝は早く、午前5時には検温のため体温計を脇に挟み、またそのまま寝入ってしまうのです。冬の起床時間は6時30分でした。外は松林に囲まれているため、病室内はまだ薄暗く、吐く息は蒼く凍り付きました。検温が終わり、看護婦さんに体温計を渡し終えると、また再び布団の中に潜り込んでしまいました。その時です、足元に何かがぶつかりました。布団をめくって確かめて見ると、小さな紙包みの箱にリボンが添えて置いてあったのです。
各部屋の子どもたちはもうその頃には起きて、枕元のプレゼントに大喜びしていました。何故?わたしにプレゼント?頭が混乱しましたが、紛れもなくわたし宛のプレゼントでした。
中身は白い靴下。そして一通の手紙が添えてありました。
「神戸君、クリスマスおめでとう。これはささやかな神様からの送り物ですよ、早く心臓がよくなるといいですね」名前は書いてありませんでしたが、ひとつだけ思い当たる人物がいました。長谷川さん?しかし結局解らず仕舞いでした。長谷川さんは12病棟で一番恐い看護婦さんで、朝になると子どもたちをたたき起こしに来る人でした。
しかし、恐くてもみんなのお母さんでもあった人でした。今83歳になり福岡でひとり暮らしを楽しんでいます。この時の思い出をクリスマスイヴを迎える度に思い出し、瞼が熱くなってくるのです。

 

 

 

hujiya クリスマス商戦を目の前にして、またも賞味期限切れ発覚。同じ過ちを二度繰り返すことは前回の事例がまったく教訓として活かされていなかったと受け止められても仕方ない。
今回の商品はギフトセットのマドレーヌ。どの様な経緯で期限の切れた商品が店頭に並ぶ結果となったのか、詳しい事情を説明して欲しいところだが、消費者の間では諦めに似たムードが漂っている。
不二家に限らずとも、今年一年は「偽装」の年であり今年の漢字も「偽」という、情けない一年を象徴している。
誠意なき企業はいずれ自然淘汰され業界から消え行く運命にあると思うが、表面上だけ反省してもわたしたち消費者の心は動かない。
消費者はこれら企業に難題を押し付けているわけではない。企業倫理として当たり前のことを願っているだけである。
期限を守ることがそんなに難しいことなのだろうか?どんな仕事にも期限はあるはず。期限が守れなければ次からは仕事が来ない。
厳しい社会競争の中で生き抜くには消費者を裏切っては生き残れないだろう。売り上げが多少なりダウンしても誠意を持った会社であれば消費者は見捨てない。不二家のケーキが食べたいと子どもが言う。ペコちゃんポコちゃんに会いたい子どももいる。
庶民に愛され続けることは並大抵の努力では出来ないだろう。しかし小さな努力の積み重ねが愛される企業へと発展していくのである。
企業とは庶民と共にある事を忘れてはいけないと思う。

携帯電話
電化製品の中で最も身近になった携帯電話。日替わりメニュー並に携帯各社とも新製品を打ち出して来る。消費者はサービスで選ぶか、或いは見た目重視のデザインで選ぶと思われる。
性能については、ほぼどこのメーカーも一列状態なので重視される点は使い易さだろう。
NTT Docomo SoftBank au WILLCOM、これらが携帯電話産業の4代メーカーであるが、つい最近まで、携帯電話による電磁波の影響について議論されていた。
携帯電話についてはその歴史が短く、詳細なデータを採取することは難しい。現時点では人体に於ける影響は確認出来ないとされているが、電磁波そのものが人体に悪影響を及ぼすことは科学的に証明済みなので、やはり油断は禁物である。
携帯電話に限らず、電磁波はあらゆる電化製品から発生している。わたしたちは便利な生活の中で電磁波を浴びながら生活を送っているとも言える。
普段の生活や仕事の中で、電磁波の事など考えもしないが身体は少なからず電磁波の影響を受けているのである。
携帯電話から発せされる電磁波の周波数と電子レンジの周波数は非常に近く、同じマイクロ波であることから、熱を発生させる特徴を持っていること。
この発熱作用が人体に害を与えると考えられている。人間の組織の中で最も熱に弱い部分は眼と睾丸である。

最近よく言われている精子の減少などがこの影響かどうかはいまだ立証されていないため、今後の研究の課題となっている。
脳に与える影響がどれほどのものかは定かではないが、マイクロ波により脳の中心の温度が高くなることは検証済みであり、中でも頭蓋骨が薄い子どもの方が最も影響を受け易いようである。
そしてもうひとつ、携帯電話の機能が増えるほどバッテリーの長時間使用が求められてくるため、バッテリーに対する負担がかなり大きくなっている。これも危険要素のひとつであろう。
PCが発火する時代でもあり、日頃安全と思っている物から災害が発生したりする。危険は思わぬ所に潜んでいるもの。絶対安全であるという確証は持てない。各メーカーも売り上げに重点を置くのはよいが、データの信憑性だけに頼っていると思わぬ事故を招く恐れがあるのでよく注意して欲しい。