自分宛の年賀状。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


年賀
ブログネタ:年賀状出す? 参加中

毎年のことながら、ぎりぎりになって年賀状を書き始める。枚数が多くなると結構大変な労力が要る。パソコンやプリンターの力を借りて印刷すればそれほど時間は掛からないが、やはり自筆で一筆加えたいもの。その方が貰った方も嬉しさが倍増するだろう。
わたしの場合、年賀状の枚数は自分の人生の長さと比例する。この世に生まれ落ち、多くの人とめぐり合い、交流が始まる人もあればその日限りの場合もあるが、印象に残る人たちとはこの年賀状を通して交流を続けて行きたいと思う。
わたしが初めて年賀状を書いたのはいつ頃だろう?小学生の時自分から書いたことも人から貰った覚えもなく、家族が年賀状を書いている姿を見た事もない。
中学生になってからは養護学校へ転向し、病院での生活だから年賀状とは無縁の世界だった。記憶は定かではないが、やはり社会へ出てから友人などに年賀状を書くようになったと思う。16歳で就職しているので、昭和48年辺りからだろう。昔の年賀状を見れば分かることなのだが、上京した時、わたしは自分の荷物を一切捨ててきたので確かめることが出来ない。
30代前半にわたしは一度だけ自分宛に年賀状を書いたことがある。自分に年賀状を出す人はおそらくいないだろうと思うが、当時わたし酷く落ち込んでいた時期があった。何をしてもうまくいかず、仕事も転々とし長く続かない。
人間関係もおろそかかになり、何事にも自信をなくしていた。年の瀬も迫り、次の仕事先が見つからないまま不安な夜を過ごす。東京に出て来て7年が経っていた。上京してからも年賀状だけは書き続けていたので、ごく親しい人宛にその夜も年賀状を書いた。
一枚だけ葉書が残ったので、来年の自分に宛てて励ましの年賀状を書いたのである。「くよくよするな、元気を出せ」多分有り触れた言葉だったと思う。
年が明け、その一枚が届いた時、去年の自分が今年の自分を応援してくれていると思った。去年が駄目なら今年がある。新しい自分の可能性を信じてみよう。
こうしてわたしは一枚の年賀状に救われたのである。