サンタクロースからの手紙。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

santa

皆さん、クリスマスイヴですね。わたしは多分この記事を書き終わった後、特注のケーキと少しだけお酒を頂こうと思っています。来年は1月早々に入院がほぼ決まっていますから、今夜は何故か特別なイヴのような気がします。
さて、トナカイが不足しているためサンタクロースも悩みが多いようです。そこで今年からインターネットを通じて注文を頂き、宅配便によるプレゼントのお届けとなったようです。
何だか夢のない話になってしまいましたね。
クリスマスプレゼントの思い出といえばわたしの場合、中学の3年間を過ごした天竜養護学校の話題になります。
天竜病院(旧天竜荘)には当時、1病棟から13病棟まであり、子どもたちの病棟は12病棟と13病棟だけでした。
木造の古い建物で、元々サナトリウムでしたから大人の患者さんが殆どでしたが、昭和31年辺りから子どもの病棟が出来たと記憶しています。養護学校は二年前に創立50周年を迎え、わたしも来賓として出席しました。
わたしが入院していた当時とは全く新しく生まれ変わった病院と養護学校は近代設備が整い、最新の医療を受けられるようになっていました。
病棟にはおよそ100名ほどの子どもたちが生活を共にしていました。冬は電気あんかを抱いて隙間風を凌ぎながら水道の水も凍りつく寒さの中でそれでも風邪ひとつ引かず、子どもたちは元気でした。家から遠く離れ、家族との面会も月に一回しかありません。
親も子も会いたい時に会える訳ではなかったのです。下は4歳児から上は16歳くらいの子どもたちだけの暮らしはそれぞれが持つ病気との闘いの中でお互いを励まし会って毎日を暮らしていたように思えます。
クリスマスイヴが近づいても親からプレゼントを貰うなどということは出来ません。
小学校低学年の子どもたちはサンタクロースの存在を信じている子もいました。もちろんわたしほどの中学生になればサンタは夢物語だと解っていましたが、それを信じている子どもたちには言えません。夢を壊すような話をする事が暗黙の了解のように病棟内で決まっていたのです。
そして迎えたイヴの夜、消灯は20時30分。看護婦さんが見回りに来て各部屋の電気を消して行きます。消灯と同時に寝てしまう子どもなどいませんから、しばらくの時間はまだ遊びが続いています。夜も22時頃になると、さすがに小学生は寝息を立て始めます。
寝入った子どもたちを確かめ、誰かがベッドから起き上がり消灯台の引き出しから何やら取り出し、病室を出て行きました。それも一人や二人ではないのです。仲間同士で決めた訳でもないのに、皆それぞれがサンタクロースになり切っていました。もちろんわたしもその一人でした。そうして、大部屋と小部屋を行き来して手作りのプレゼントを枕元に置いてくるのです。
病棟の朝は早く、午前5時には検温のため体温計を脇に挟み、またそのまま寝入ってしまうのです。冬の起床時間は6時30分でした。外は松林に囲まれているため、病室内はまだ薄暗く、吐く息は蒼く凍り付きました。検温が終わり、看護婦さんに体温計を渡し終えると、また再び布団の中に潜り込んでしまいました。その時です、足元に何かがぶつかりました。布団をめくって確かめて見ると、小さな紙包みの箱にリボンが添えて置いてあったのです。
各部屋の子どもたちはもうその頃には起きて、枕元のプレゼントに大喜びしていました。何故?わたしにプレゼント?頭が混乱しましたが、紛れもなくわたし宛のプレゼントでした。
中身は白い靴下。そして一通の手紙が添えてありました。
「神戸君、クリスマスおめでとう。これはささやかな神様からの送り物ですよ、早く心臓がよくなるといいですね」名前は書いてありませんでしたが、ひとつだけ思い当たる人物がいました。長谷川さん?しかし結局解らず仕舞いでした。長谷川さんは12病棟で一番恐い看護婦さんで、朝になると子どもたちをたたき起こしに来る人でした。
しかし、恐くてもみんなのお母さんでもあった人でした。今83歳になり福岡でひとり暮らしを楽しんでいます。この時の思い出をクリスマスイヴを迎える度に思い出し、瞼が熱くなってくるのです。