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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-かくれんぼ


見つけてくれる

鬼のいない

街外れの小さな公園で

僕はいつも

一人かくれんぼ

もういいかい

まあだだよ

それを何度も繰り返す

遠くで

下校時間のチャイムが

キンコンカン

終わりの見えない

一人かくれんぼ

僕は

いつまでたっても

帰れない




 ディスコの女王と呼ばれ、70年代後半から80年代前半にかけて数多くのヒット曲を世に送り出した『ドナ・サマー』が今月18日、がんのため死去し、彼女の全盛時代を知る多くのファンを悲しませたばかりだと言うのに、その彼女の後を追うように逝った『ロビン・ギブ』。
 彼もまた彼女と同じように癌に侵され、その闘病の末の死であった。ビージーズと言えば、『ステイン・アライヴ』を思い起こす人が多いだろう。怪優のジョン・トラボルタをスターダムに押し上げた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』は余りにも有名であり、ビージーズが手掛けたそのサウンドトッラクは全世界で4000万枚を超える驚異的ヒットとなり、そこからシングルカットされた『ステイン・アライヴ』『恋のナイト・フィーバー』『愛はきらめきの中に』等は全米シングルチャートで1位を独占するなど、ビートルズ以来の輝かしい成功を収めている。
 然しながら、わたし個人として最も記憶に残っている曲が、『マサチューセッツ』である。この曲に出会った時わたしは13歳で、国立療養所の天竜荘で心臓病の治療を続けていた。
 病棟に隣接する養護学校で1日4時間までという厳しい時間制限のある教育を受けながら、病棟に帰れば楽しみと言えば、洋楽を聴くか漫画を読むくらいのものだった。
 小学2年の時にビートルズを知りそれ以来、洋楽かぶれとなったわたしは、小さなトランジスタラジオが恋人代わりで、暇さえあればFENのビルボードチャートに耳を傾けていた。
 洋楽ばかり聴いている影響で、知らず知らずの内に英語が得意になっており、英語のテストで、『Mustを使って文章を作りなさい』という設問で、すかさず、『I Must go home』と書いたのであるが、それはマサチューセッツの歌詞を丸暗記しており、その歌詞の中にその文章があったからである。
 記事に張り付けてあるYouTubeの画像を見てお分かりの通り、彼らのデビュー当時は5人編成であったが、1972年以降にはギブ3兄弟のみのトリオ編成となっている。
 この3兄弟における音楽の起点は教会の合唱団と言う事もあり、3人ともヴォーカルを担当しまた、彼らの心に響くハーモニーの美しさは『涙のくちづけ』でお馴染のレターメンにも匹敵するほどである。
 3男のモーリス・ギブも2003年に他界していることから、バリー・ギブがビージーズ最後の一人となってしまった。
 最後に、これとは関係ないが、『みのもんた』の奥様だった御法川(みのりかわ)靖子さんが、癌のためお亡くなりになりました。この場を借りて、謹んで心よりご本人さまのご冥福をお祈り申し上げます。


プールサイドの人魚姫-金環日食

 21日、夜明けを今か今かと待ちわびる人々の頭上には、梅雨の走りを思わせる灰色の雲が青い空を深く遮断するように果てしなく連なっていた。

 東の空が明るみを帯び始めると共に、一斉に今日という日が動き出す。東風に流される雲の向こうで特別な一日が始まろうとしていた。

 天空に繰り広げられる壮大な宇宙のファンタジー、それは一千年の時空を超えてわたしたちの眼前に姿を現した。

 日本列島の広い範囲で観測された金環日食、中国の南東部から始まった神の触手は日本列島を横切り、アメリカ大陸へと移動して行った。

 932年ぶりのどよめきが地上のあらゆるものを包み込んだ瞬間、好奇心と浪漫を含んだ眼差しが、的を射る矢の如くに一点を目掛けて注がれる。

 右端から徐々に欠けて行く太陽、月と太陽と地球とわたしたちが一直線に並び、その感動で涙さえ浮かべる人もいた。

 途切れた雲の切れ間からその神秘的な姿を覗かせる様は、まさに神秘と慈愛に満ちた光のリングであった。日食に纏わる伝説は、世界各国に散らばっており、ここ日本では日本神話に登場する『天岩戸(あまのいわと)』が最も有名な話である。

 太陽神の天照大神が天岩戸に隠れてしまい、世の中が暗闇に包まれてしまうという物語は、この日食を示唆しているようだ。

 宇宙が織り成す大自然は常に一体であり、絶妙なバランスの上に成り立っている。この素晴らしき宇宙の姿がわたしたち人間の中にも宿っている事を決して忘れてはならない。

 日食メガネなる日食観測ツールが登場したのも今回が初めてではなかっただろうか。わたしが子どもの頃はプラスチックの下敷きを通して観測したものであるが、飛ぶように売れた今回のメガネ人気に便乗して粗悪品も流通していたようで、消費者庁から注意喚起が促されていたようだ。

 一か月も経たない内の6月6日には、『日面通過』と呼ばれる太陽と地球の間に金星が通過する現象が見られるようなので、メガネは捨てずにその日まで大事に保管しておくとよいだろう。


プールサイドの人魚姫-トラックバック

 アメブロのマイページがリニューアルされた事についてわざわざ記事を書く事もないと思ったのだが、今回だけは温和な性格のわたしも流石に黙っていられず、ペンを取った次第である。

 内容によってはわたし個人の愚痴とも取れるので、読者の皆さんには申し訳ないが暫くお付き合い願いたい。

 リニューアル自体はこれが初めてではなく、2004年9月にサービスを開始して以来、幾度となくリニューアルを繰り返して来ている。

 わたしがアメーバでブログを始めた頃は会員数40万人程度で、数あるブログサービス業界の中ではマイナーな部類に属していたと思う。但し、他の業界にはない独自のサービスであった、賞金付きランキングを売り物にしていた。

 総合ランキングで1位を獲得すれば現金100万円が貰えると言う事もあり、それを目指して熾烈なランキング争いが毎日のように展開されていた。

 当時は携帯等のモバイル機器がそれほど機能的にも進化していない事もあり、ブログそのものはPCのみでの対応となっていた。

 わたしの記憶している限りでは、確か画像の保存容量も僅か20メガバイトと小さく、画像や動画をふんだんに扱うブログには余り適さなかった。ブログを飾る上で重要なスキンも20種類程度しかなかったと記憶している。

 数あるブログサイトから何故、わたしが最終的にアメーバを選んだかと言うと、あるブログ専門雑誌に「物書きに適しているブログがアメーバ」と紹介されていた事、そしてブログを始める上で分厚い専門書を1冊読破し、ブログの持つ将来性と秘められた可能性などを総合的に判断し、アメーバに決めた訳であるが、決定的だったのはトラックバックの送信が1度に20件送れるという点だった。

 トラックバックは同じ内容の記事同士をリンクする機能の事だが、トラックバックを送ったり受けたりする事によってブログの裾野が大きく広がり、アメーバ同士もさることながら、アメーバ以外のブロガーさんたちとの交流も深まり、トラックバックが切っ掛けで仲良くなったブロガーさんも多くいる。

 ところが、今回のリニューアルでトラックバック機能が削除されているではないか…。マイページのリニューアル画面を初めて目にして戸惑い、混乱した方も多いと聞いている。それ自体は時間が解決してくれるのでさほど問題ではないのだが、事前に何の情報公開もなくある日唐突に切り替わってしまうというのは、余りにも利用者を無視したやり方であり、違和感を覚えるのも致し方ない事である。

 出来れば事前に青写真などの情報を公開して、「何月何日から切り替わります」くらいの会員に対する配慮があって然るべきである。

 わたしたちブロガーは無料でサーバーを使用させて貰っている立場なので、あまり文句を言える立場ではないのだが、会員あってのブログでもありサービス向上に心がけているのであれば、もう少し会員の置かれている立場も汲み取って貰いたいものである。

 リニューアル後の自分のブログを閲覧した時、つい先日まで送られて来たトラックバックが何処にも見当たらず過去の分も含め全て消えてしまっていたので、何かの間違いではないかと思い、ブログ記事の編集を試したところ、やはりトラックバックURLを張り付ける欄が見当たらない、それでもきっと方法が変わったのではと思い、早速Amebaカスタマーサービスにメールで問い合わせした所、以下のような回答が返って来た。

Amebaカスタマーサービスです。
お問い合わせの件になりますが、マイページリニューアルに伴いトラックバック機能は終了致しました。
ご利用の皆様に、十分ご満足いただけるサービスの提供に努めて参りますので、今後ともAmebaをよろしくお願いいたします。

 余りにも素っ気ない如何にも事務的な回答。こちらが欲している「トラックバック終了の理由」に対し何も納得の出来る説明がなされていないのである。

 携帯やスマートフォン等のモバイルユーザーやトラックバックを利用した事のないユーザーから見れば、トラックバック機能がブログの常識であり、またその重要性が理解出来ないかも知れない。

 然し、トラックバックをたえず利用しているヘビーユーザーからみれば、記事を書く意欲を削ぎ落すような今回の処理は、会員数2000万人を超える日本一のブログサイトとなったアメブロがバブル時期に突入したのではないかとさえ思えて来るのである。

 モバイルユーザーの皆さんもぜひ今回のリニューアルを切っ掛けに、一度パソコンで自分のマイページを確認してみては如何だろうか。

 とにかく、これまで幾度となくトラックバックを頂いたブロガーの皆さんに対して、申し訳ないという気持ちで一杯である。

 そんなこちらの事情に何の配慮もなく無視する一方的なアメーバ運営局の方針にこの記事が一石を投じる役目を果たしてくれる事を切に願うものである。

追記:トラックバックの送信だけで良いと思っている方であれば、『ぶろっぐぴんぴん』というツールがありますので、それを自分のPCにインストールして使って見て下さい。

詳細はこちら→http://www.boraro.gozaru.jp/blog/blog_ping-pinpin.html


プールサイドの人魚姫-乳房


あなたはこの僕よりも

テーブルの上の小瓶を選びましたね

その白い錠剤たちは

苦しみや例えようのない悲しみから

あなたを解き放ち

永久の眠りへと誘った

産毛のように柔らかく

優しい春の陽だまりと

温もり湛えた乳房から

滴のように零れ落ちてしまった

この僕だけれど

そんな僕が歌う

母の日に捧げる子守唄が

あなたに届いているのでしょうか

産んでくれてありがとう

感謝を込めた僕からの

あなたへの贈り物

この子守唄に

どうぞ耳を傾けて



プールサイドの人魚姫-竜巻

 日本には春、夏、秋、冬と四季があり、一年を通して自然からの恩恵を十分過ぎるほど受けている。然しその一方では自然災害と言う、避けては通れない宿命を背負っているのも事実である。

 地震に始まり、大雨による水害、夏から秋にかけては台風、冬になれば豪雪による雪害と、一年中自然災害と向き合っていなければならない。

 ここ最近、頻繁に話題に上っているのが、『大気の不安定』。各放送局でも気象予報士が大活躍、彼らの解説に納得するより先にため息を漏らしてしまう人の方が多いのではないだろうか。

 6日の午後、早い時間に茨城県つくば市や栃木県真岡市などで発生した突風や竜巻の映像で、自然の猛威を見せ付けられたばかりである。

 つくば市では倒壊した建物の下敷きになり、男子中学生(14)が死亡。900棟を超える建物が損壊し、落雷の影響も含めると50人以上の怪我人を出すという甚大な被害を受けるに至った。

 竜巻と言えば本場アメリカのトルネードを思い浮かべるが、日本で発生する竜巻とは比べ物にならないほど強大なエネルギーを持った上昇気流であり、驚異的に発達した積乱雲が神の鉄槌を下すが如くに雷鳴を引き連れて地上のあらゆる物を嘗め尽くして行く様は、まさに創造主の雄叫びである。

 竜巻被害のあった日、わたしの住む板橋区でも空が俄かに暗くなると、冷気を帯びた風がザワザワと木々を揺らし始めた。

 雷鳴が遠くに聞こえていたかと思うや否や、激しい雨に混じって直径1㎝ほどの雹(ひょう)がバチバチと屋根を叩き始めた。

 まだ日中だと言うのに、部屋の灯りを点けなければならないほどに外は黒い雲で辺り一面覆われていた。ゲリラ豪雨は短時間で終息するものの、局地的に雨量が数十ミリに達する為、場所に寄っては道路の冠水、河川の氾濫などを招く恐れが多分にある。

 自然を起点として見た場合、日本列島そのものは非常に脆く危うい状況に常に晒されていると言える。

 地下には至る所に活断層が走り、そしてまた火山国でもある。そのような災害列島に原発を54基(世界第3位)も作ってしまったのは、おそらく日本人として最大の過ちだったのではないだろうか。

 北海道の泊原発が運転を停止し、これで日本の原発は全て停止した事になる。その影響で、盛んに問われている問題がこの夏の電力不足。

 原発に依存し続けて来たつけが今まさに巡って来たのである。竜巻は海岸沿いに多く発生すると言われている…そこはまさに原発の在る場所、竜巻が原発を襲う可能性はゼロではない…。


プールサイドの人魚姫-バス事故

 GWまっただ中で起こった高速バス衝突事故は、乗客7名が死亡、39人が重軽傷を負うという大惨事となった。

 ブレーキ痕がなかった事から、このツアーバスはかなりのスピードで道路左側の防音壁に激突したものと思われる。

 辛うじてその原型を留めているバスの車体は中央から切り裂くように防音壁に突き刺さり、まさに串刺し状態であった。

 事故の瞬間、おそらく車内は地獄絵図と化していた事は察しがつく。数ある高速道路の中でも関越自動車道は比較的走り易い道路であり、事故もそれほど多く発生していない。わたしもこれまで幾度となく東京新潟間を往復する際に利用しており、馴染みの深い道路である。

 この事故の直接的原因は運転手『河野化山(こうの・かざん)』容疑者の居眠り運転であるが、様々な不安材料が重なりそれが複雑に絡みあって起きた必然的な事故であったと言える。

 中国出身の河野容疑者はIC(インターチェンジ)の名前さえ知らないという。日常会話は出来ても、少し難しい日本語は全く理解出来ないらしい。

 様々な乗り物を利用するわたし達はそのドライバーに全幅の信頼を寄せている筈である。運転手と乗客は謂わばメスを握る執刀医と患者の関係である。

 一旦ハンドルを握った者はドライバーとしてプロに徹しなければならず、例えそれが初心者マークの車であっても運転には細心の注意を払い、車を走る凶器にさせない為にもあらゆる努力を注ぎ込まなければならない。

 1993年に来日した河野容疑者は、おそらく日本に憧れてある種の野望を抱いて故郷を後にしたのではないだろうか。1994年には日本国籍を取得、母国の中国を捨ててまで帰化に拘った背景には、日本人として新たな人生を再スタートしたいという帰化人の淡い願いが込められていたのだろう。

 大型二種の免許を取り、手に職をつけて日本人並みに稼ぎたいという願望もあったのかも知れない。然しながら、彼が来日した時期の日本はバブル崩壊で景気が一気に落ち込み、倒産やリストラの嵐が吹き荒れている真っ最中であった。

 日本人で高学歴の者であっても容易く仕事は見つからず、就職活動に汲々とする日々が続くのである。巷にはホームレスが溢れかえり、ニートという引き篭もる若者が増え始めていた。

 そのような荒んだ環境下にあっては、日本語もまともに使えない元中国人に希望の射すような仕事が見つかる筈もなかった。

 そんな彼の下に舞い込んで来た仕事が高速ツアーバスの運転手だった。彼に仕事を与えたのは貸し切りバス会社を運営する『陸援隊』であったが、『日雇い運転手』という名目で煩わしい契約書を交わさずに済むその場限りのレトルト運転手だったのである。

 もちろんこの日雇い運転の雇用はドライバーの安全管理が行き届かないとして、道路運送法の運輸規則で禁じられている。

 日本経済が冷え込む中で、「格安チケット売ります」という言葉を耳にするようになったのはいつの頃からだろう。

 薄利多売、所謂デフレの影響が景気動向の至る所に現れ、あらゆる商品に於いて価格競争が激化して行き、その結末に待ち受けていたのが『安全崩壊』なのである。

 人件費を出来るだけ抑える為に行われる人員削減などは労働者の過重労働、勤務時間超過へと繋がり、やがて様々な形で事故が多発する要因となって行った。

 今回の事故も競争激化の渦の中に巻き込まれ、安さを売り物にする旅行会社とそれに妥協せざるを得ない苦渋のバス業界が引き起こした『安全と価格』を天秤にかけた結果なのである。

 二度とこのような事故を繰り返さない為にも、国は事業者に対する監査体制を強化し、安全運航の徹底を早急に図らなくてはならない。


プールサイドの人魚姫-土下座

 世界広しと言えども『土下座』をするのは日本人くらいのものであるが、その土下座という行為そのものは日本の文化である。

 長い日本の歴史の中で、古くは邪馬台国の時代から受け継がれて来た儀礼であったが、時代の流れと共にその意味合いが微妙に変化して行った。

 陳謝や懇願の意を表す行為という意味に於いては特に変化はないものの、現在に至っては保身の為に行われる究極の危機回避術の体として用いられるようになったと捉える事も出来よう。

 企業の不祥事は兎も角として、国の治安を預かる警察は国家権力の象徴とも言えるが、その警察組織が危機的状況に追い込まれている。

 今年に入ってから立て続けに起こる警察官による不祥事、ニュースにもならないような話題性のないものから、マスコミがこぞって取り上げる問題まで大小様々であるが、わたしの知る限りでは1月から4月の間に起きた件数は約40件にも上っている。

 女子高生のスカートを捲くり尻を触るなどの痴漢行為、誤認逮捕、証拠品紛失、虚偽報告、暴行、下着泥棒、アダルトサイトでの副業、買春容疑、警察手帳偽造、隠蔽工作、現金窃盗、被害届先送り、飲酒運転等など数え上げたら限がないのとその内容に呆れるばかりである。

 そしてそれにとどめを刺すが如くに起きた京都府警亀岡署での情報漏洩問題。この事件はつい最近の事であるから皆さんの記憶にも新しい筈である。

 京都府亀岡市で起きた無免許運転の少年がハンドルを握る軽自動車が暴走し、小学校の児童ら10人が死傷した痛ましい事故であった。

 マスコミのカメラに自ら顔を晒し、「お腹の中の子どもは人じゃないんか…」と慟哭を必死で堪えながら語っていた父親の姿に思わず涙してしまった。

 その一方で部下を引き連れ謝罪に訪れていた亀岡署長の口からは言い訳めいた言葉ばかりで、謝罪とは程遠いまさしくその場凌ぎの言い逃れとしか映らなかった。

 被害者側の了解も得ずに、10人の住所や携帯電話の番号などを犯人(少年)の父親に教えてしまうという行為は決して許されるものではないのだが、その行為そのものに悪意はなかったと言う事だけは付け加えておくべきだろう。

 昨今蔓延っている『個人情報保護』という壁が時と場合によっては大きな障害になっているのも事実であり、正しく扱われて然るべき情報がその方向性を見失い、必要以上に過敏に反応する現代社会の職図を垣間見ているようで、歯がゆい思いをする事もしばしばである。

 日本の法律は被害者よりも加害者側の視点に重きを置くように作らているような気がしてならないと思うのはわたしだけではない筈である。

 亀岡署の事件で被害者の父親が心の底から訴えているのは法律の改正であった。同じような思いをしている遺族はおそらく全国に大勢存在している事だろう。

 法律は何の為にあり、そして誰の為のものなのかを今回の事件を通して今一度振り返ってみる必要がある。そしてまた、日本の警察は世界一優秀であったと過去形になってしまっている現状を打破する為に、警察組織の大改革が必要に迫られている事を関係者は殊更強く認識しなくてはならない。


プールサイドの人魚姫-無罪

 2011年1月に検察審査会により強制起訴され、約1年と4ヵ月続いた裁判に漸く終止符が打たれた。

 国を代表する一人の政治家に言い渡された判決は『無罪』。資金管理団体『陸山会』の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)で民主党元代表の小沢一郎氏と元秘書ら3人に向けられた疑惑は、小沢氏を除く陸山会事務担当の元秘書で衆院議員の石川知裕被告他2人の有罪のみで幕を下ろす結果となった。

 わたしは、政治や法律といった類いの事柄に対し特に詳しい訳でもないし、それらについて知識を身に付けよう等と思ってはいないが、それでもやはり疑問が生じれば、それをブログにぶつけて『答え』を探そうとする。

 わたしの記事に対し、多くの方々から寄せられるコメントの中に自分が求めている『回答』を見つけたりすると「記事を書いてよかった」と納得させられるのである。

 その様にして、このブログとわたし自身も読者の方々の知恵を借りて成長して行くのだと思うようになった。

 小沢裁判の結果は無罪であるが、「当然の判決」「納得出来ない」と国民の声は真っ二つに分かれているようである。

 検察とマスコミの暴走だったと批判する声も聞こえて来るし、元秘書たちに問題を丸投げして逃げの一辺倒に終始する張本人の姿を糾弾する声もあり、一般人には通用しない政界の逃げ口上『記憶にない』『知らない』『関わっていない』の三点セットがこの裁判では認められてしまったという点から言えば、『被害者はわたしたち国民』なのではないかとさえ思えて来るのである。

 果たしてこの『無罪判決』の中に真実は在るのだろうか…と言う疑問が沸々と湧き上がって来るではないか。

 何れにしろ小沢元代表の党員資格停止処分は解除され、野田首相の言う『政治生命を懸けた』消費税増税法案の行方に大きな影響を齎す事は避けられないだろう。

 混乱の一途を辿る国会運営は益々混沌として来ており、与野党の区別さえ出来ない状態である。政界の首領復帰が今後の政界再編で、国民にとってプラスの方向に傾いてくれる事を願うばかりである。


プールサイドの人魚姫-ヒグマ

 脱走したヒグマ6頭に運悪く遭遇し、襲われて死亡した女性従業員2人の悲劇は、『秋田八幡平クマ牧場』の杜撰な飼育管理が背景にあったのではないかとの見方が強まっているようだ。

 ヒグマが逃走に使ったと思われる雪山の高さは約3.3メートルにも及び、クマが塀を乗り越えるには十分な役目を果たしていた。

 経営者の話によれば、「冬場は雪が高く積もる為、クマを運動場に出さない」と県の関係者に説明しており、クマが逃走する危険性を十分認識していた事からも判るように、今回の事故は『人災が招いた最悪の結果』だと言わざるを得ない。

 資金難に喘ぐクマ牧場は事実上経営破綻寸前であり、劣悪な飼育環境の中にいたクマたちの姿を見ると、被害者は射殺された6頭のヒグマではないだろうかという疑問さえ抱いてしまうのである。

 十分な食料も与えられず、餌欲しさの余り必死に物乞いするかのようなクマのポーズは、人間の目から見ればユーモアに溢れた愛嬌のある仕草と映っていただろう。

 動物をこよなく愛するわたしたちは、自然の中で生きる幾多の動物の姿を目にする事はない代わりに、動物園や水族館といった場所で、様々な動物の生態を観察し、楽しむ事が出来る。

 そこでは飼育員たちが24時間体制で動物たちの極め細かい健康管理や体調維持などに気を配り、ありったけの愛情を動物たちに注いでいる。だからこそ、その場所は『動物たちの園』なのである。

 逃げ出したヒグマは確かに危険な存在ではあるが、そのクマたちには何の罪もないではないか。射殺した猟友会の人たちは、殺して当然だと言わんばかりに何の躊躇いもなく猟銃の引き金を引くが、殺す以外にも選択肢はある筈で、麻酔銃を使うなりして生け捕りにし、その後は何処かの動物園にでも引き取って貰う事も出来たのではないだろうか。

 自然界に生きる動物は人間も含め、全てが地球と言う星の宝物である。人間が齎した環境破壊が進む中で、生き難くなっている動物たちの悲鳴にも似た鳴き声が、この星の至る所で聞こえて来る気がしてならないと思うのはわたしだけではないだろう…。