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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-造反

 自公民による密室の談合と批判の矢面に立っていた消費税増税法案は、賛成363と言う圧倒的な数字を持って可決され、参議院に送られた。

 今回の採決で最も注目を集めたのが、民主党内からの反対票、いわゆる『造反者』がどれだけ出るかだったが反対票96の内、民主党からは57人が反対に回った。

 これに棄権、欠席者19を含めれば造反者は76となり、離党を示唆している小沢一郎元代表が「よし」と力強く頷いたのもこの数字に満足した結果であるだろう。

 これにより民主党は事実上の分裂状態となり、法案そのものは可決されたが野田首相の心中は穏やかではなく、造反者に対し「厳正に対処する」と言う具体性の見えない曖昧な答弁が民主の将来が『風前の灯火』である事を如実に物語っている。

 小沢グループを擁護する積もりは毛頭ないが、果たしてこの反対票が『造反』と簡単に片づけられるものだろうか。

 社会保障分野の主要政策をマニフェストに掲げ、圧倒的な勝利を自民党から力づくで政権をもぎ取った2009年の衆議院選挙は国民の期待を一身に受けての勝利だった筈である。

 政権奪取から3年余りが過ぎ、蓋を開ければ次々とマニフェストは塗り替えられ、『国民との契約』は果たされず政策放棄と言う国民への裏切り行為ばかりが目立って行った。

 このような状況を踏まえれば、造反者は賛成票を投じた民主党の大多数の議員たちの方ではないだろうか。つまり国民への造反なのである。

 いつの世も常に煮え湯を飲まされるのは国民であり、将来に於いて消費税が20、30%になったとしても、政治家たちの財布が国民の税金によって潤っている以上、彼らにとっては痛くも痒くもない他人事なのである。

 迫りくる後期高齢化社会をスムーズに受けれるに当たり、将来的増税は止むを得ない事ではあるが、増税のみが一人歩きしいている現状では国民を納得させるだけの材料も見当たらず、社会保障の全体像すら描けない状況で増税分の使い道に対しても明確な答えは出ていない。

 法案に対し賛成票しか認めない、反対票は事実上禁止と言う政党の傲慢なやり方は、民主主義に反する行為であり、投票の自由と言う権利を奪い取る歴史に逆行した暴挙としか思えないのである。

 政権交代の大義を大きく捻じ曲げて増税に突き進む野田首相の責任は極めて大きく重い。民意を軽視する野田政権が今後どこまで政局に留まっていられるかは時間の問題であるだろうが、増税反対ばかりをお経のように唱えている議員たちに国民がなびくかどうかは大いに疑問ではある。


プールサイドの人魚姫-世界王座

 ボクシングファン待望の試合が先日、6月20日に大阪・ボディメーカーコロシアムで行われ、超満員の会場は2人の王者の激しい打ち合いに釘付けとなった。

 WBC世界ミニマム級王者の井岡一翔と、WBA同級王者の八重樫東との世界王者統一戦である。日本ボクシング史上初の日本人世界王者同士による団体王者統一戦という事もあり、試合開始前から好カードとして大きな注目を集めて来た。

 試合開始直後から、井岡の放ったストレート、フックが八重樫の顔面を捉え、試合終盤まで井岡のペースで進みはしたものの、八重樫もチャンプのプライドを守る為、必死に打ち返し最後まで2人の激闘が続いた。

 井岡の強烈なパンチを浴びた八重樫の顔面は見る見る内に腫れ上がり、膨れ上がった両瞼の奥で、井岡のパンチが見えていないようにも思われたが、その奥に光るボクサーの眼光は最後まで死んではいなかった。

 2回のドクターチェックをものともせず試合に臨む八重樫の闘争心は、井岡を委縮させるほどの脅威になっていたが、天才ボクサーの名を欲しいままにして来た井岡にも意地があった。

 左ジャブを容赦なく八重樫に浴びせポイントを重ねる井岡であったが、これぞWBAのパンチとも言える右ショートにたじろぎ腰が落ち掛けた。

 然し、『日本ボクシング界を背負う』使命感に燃えている若干23歳の若武者は負ける訳には行かなかった。

 井岡は試合5日前に38度の高熱を出したばかりで本調子とは言えなかったが、僅かなチャンスをものにする野生感と勝負運が八重樫より一歩リードしていたのかも知れない。

 12回をフルに戦い抜き、その統一王者の称号を手にしたのは、井岡一翔であった。3-0の判定勝ちではあったが、その試合内容は近年のボクシング史上類を見ないほどの好試合であった。

 2人のボクサーの実力が拮抗している場合、手数の多い方が試合を有利に進めるものであるが、有効打の数から言えば、彼らの差は五分五分だっただろうと思う。

 世界を背負っている2人の意地のぶつかり合いであったが、どちらが勝っても負けても2人とも日本を代表する世界チャンピオンである事は間違いない。

 低迷を続ける日本ボクシングの現状を省みれば、彼らの試合が今後の日本ボクシングに与えた影響は計り知れない。

 八重樫がこのまま引き下がるとも思えないし、おそらくリベンジマッチが近い将来実現するだろう。エリートボクサー井岡VS苦労人ボクサー八重樫の再戦が今から待ち遠しくて仕方がないと思っているのは、わたしだけではないかも知れない。


プールサイドの人魚姫-台風4号

 梅雨入り後まだ間もない6月だと言うのに、この夏の異変を象徴するかのような台風の上陸。台風4号(アジア名グチョル、Guchol )が本州を縦断し、6月としては記録的な風雨が列島各地で観測された。

 19日の夕方、強い勢力を保ったまま和歌山県南部に上陸後、東海、関東甲信、東北南部を時速70キロの猛スピードで駆け抜け20日午前、本州の東の海上で温帯低気圧に変わった。

 6月の台風としては平成16年に上陸した台風6号以来で8年振り、気象庁が昭和26年に統計を始めて以降、7番目に早い記録であった。

 台風の接近、上陸で停滞している梅雨前線が刺激され、神奈川県山北町の丹沢湖では、1時間に81ミリの猛烈な雨を観測し、時間雨量としては最も多い記録となった。

 台風の直撃を受けた静岡県浜松市などでは、1時間に120ミリという記録的な雨に見舞われ、雨と風の影響で停電などが発生し、一部の地域では避難勧告が出された。

 わたしの故郷である藤枝市の高根山でも、60ミリを超えるほどの激しい雨が降ったため、瀬戸川の近くにある母の実家が暴風雨のため飛ばされてしまったのではと心配になったほどである。

 これまでに届いている台風4号の被害状況は、静岡県沼津市で男性が1人死亡、全国で40人近い怪我人が出ている模様。

 首都圏でも19日夜から風雨が一段と強くなり、交通網に大きな影響が出た。わたしの住むアパートは前が公園になっており、風を避ける建物や樹木が何もない為、2階建ての木造アパートが強い風をまともに受け、音を立てるほど軋み微妙に揺れていた。

 朝、ベランダを見ると隣の部屋とを区別する敷居が完全に破壊されており、その残骸がわたしのベランダの方へがれきの如くに飛散していた。

 アパートの管理会社に連絡したところ、壊れ方の写真を撮影したいので残骸はそのままにして置いて欲しいとの事だったが、去年の台風の時も今回ほどではないが半壊している。

 部屋の窓ガラスが割れるといった直接的な被害がなかっただけラッキーだったというところか。さて、台風について少し勉強してみようと思うが、既に知っている方は軽く聞き流して下さい。

 先ず、番号の意味について…。毎年1月1日以降、最も早く発生した台風を第1号としている。因みに、台風が衰えて『熱帯低気圧』になった後、再び発達して台風になっても同じ番号が使われる。

 台風とは何か…?。熱帯低気圧の一種であるがその条件は、特定のエリア(東経180度、以西100度以東)で発生するもの。最大風速が秒速17.2メートル以上のもの。

 4号を追い掛けるように台風5号も日本列島を窺っているが、こちらは既に温帯低気圧に変わり、4号ほどの脅威にはならないと思うが、梅雨前線と相まって各地に大雨を齎す可能性が大きい。

 台風一過の各地では気温が急上昇し30度を超え真夏日に…。『熱中症』を訴え病院に運ばれた人も多くいるようだ。

 一難去ってまた一難…。水分補給はこまめに、まだ始まったばかりの夏に向けて気を引き締め、雨の季節を乗り切って行きたいものである。


プールサイドの人魚姫-漫画喫茶

 今回もまた菊地直子容疑者の時と同様に、一般人からの情報提供による逮捕だった。6月15日、午前9時を少し過ぎた頃だった。

 場所は大田区西蒲田、運河沿いに立ち並ぶ雑居ビルの一角にある『漫画喫茶』がその舞台。店から出た高橋容疑者を警官が追い掛け、職務質問をした。「高橋克也の捜査をしているので、協力してくれますか」、「はい、わたしが高橋克也です」。

 その逮捕劇は映画に出て来るような劇的なエンディングではなく、ある種の静けささえ漂わせた幕切れであった。

 何の抵抗を示す事もなく、その落ち着き払った表情からは一種の安堵感すらにじませていた。彼は逮捕される事を前もって覚悟していたのであろうか。

 潜伏先の川崎から東京方面へと場所を転々としながら、個室ビデオ店などで寝泊まりし、都会の雑踏に紛れ込み、自分を擬態化させる機会を窺っていたのかも知れない。

 17年間に及ぶ逃亡生活の中で、『高橋克也』を自分の中で黙殺し、他人になりすます。彼のリアルなかくれんぼは、時の流れの中で風化し続ける筈であった。

 彼自らが語っているように、「本当の自分が分からなくなってしまった」は、長い逃亡生活が彼に与えた自己否定の心理を垣間見せているとも受け取れる。

 慣れ親しんだ『櫻井信哉』の偽名の方が彼にとってはリアルそのものであったであろう。最近では『吉田新一』の偽名で変装用の眼鏡を購入したり、鶴見駅のコインロッカーから押収されたバッグの中からは『吉田利美』名義の預金通帳が発見されている。

 更に、松本智津夫死刑囚の写真数枚や、教団関連の書物、松本死刑囚の著書『イニシエーション』などが発見されおり、逃走から17年経った今でも教団を信仰していることがうかがえる。

 それを裏付けるように見つかった『説法を録音したテープ』の存在や、赤坂警察署の留置施設内で、『蓮華座(れんげざ)』を組んでいる事などからしても、高橋容疑者は依然としてオウム真理教の強い影響下にある事を物語っている。

 逃亡犯が全て逮捕され一旦は終了しているオウム裁判は、これを機会にまた新たな展開を見せる事になると思われるが、17年間も逃亡を許してしまった警視庁の在り方も今後問われる事になるであろう。

 更に言えば、地下鉄サリン事件は防げた可能性すらある。数多くの証拠を掴みながらも、極めて危険な団体にテロ行為を許してしまった時点で警察の負けであったと言えるだろう。

 それゆえに今回の逮捕劇ではこれまでの秘密主義を捨て、警察はなりふり構わず情報を表面化し、懸賞金を吊り上げてまで彼らの逮捕に全力を上げ、国民の興味と眼を味方につけて公開捜査に踏み切ったのである。

 それは過去の失敗を帳消しにする意図さえ見受けられた。「報道に追い込まれた」と高橋容疑者自身が語っているように、マスメディアも全力で彼の行方を追ったのである。

 逃げる背中に突き刺さる痛い程の視線を浴びながら、それを振り切るように土地勘のある場所から離れる事がなかった高橋容疑者、離れたくても離れられないほどに、彼の包囲網は狭まって行ったのである。

 時を同じくしてこの事件とは対照的だったのが、『東電OL殺人事件』で、無期懲役刑が確定し服役中であったネパール人の『ゴビンダ・ブラサド・マイナリ』元受刑者に対する再審が決定し、刑の執行が停止されその後、母国に帰国した件であるが、約15年に渡り拘置所に幽閉されながらも、無実を訴え続けた彼とその家族、そしてネパールで彼を出迎えた人々の嬉しそうな表情を見ていると、『冤罪』と言う犯罪にはつきものの『魔』を抱かずにはいられない。

 証拠を巡って裁判が二転三転するその背景に見え隠れする権力と言う暴力が存在するのも事実である。

 地下鉄サリン事件を風化させてしまった警察やマスコミも含め、わたしたちがいま出来る事はなんであろうか?

 オウム真理教は名を変え、今でも活動中である。『アレフ』、そしてそこから枝分かれした『ひかりの輪』…。

 新たな信者が毎年増え続けているという現実、景気低迷と雇用不安、将来に希望を見出せない若者たちが心の拠り所を求めて彷徨い歩く病んだ社会に巣食う暗闇、事件・事故はその社会を映す鏡でもある。

 今回の逮捕では防犯カメラの映像が大いに役立っているが然し、防犯と言えば聞こえはよいが、要は監視カメラである。

 個人情報保護を強く訴えるその一方で、わたしたちのプライベートが監視カメラの存在によって筒抜けになっている事も忘れてはならないだろう。



プールサイドの人魚姫-通り魔

 大阪・心斎橋の繁華街が空を切り裂くような悲鳴と共に修羅場と化した。6月10日に起きた通り魔殺人事件は、余りにも身勝手な男の短絡的な犯行だった。

 白昼の惨劇を目の当たりにした市民によると、男が刃物を振りかざし、まるで獲物を探し歩く姿は異様なほど狂気に満ちていたと言う。

 犠牲者となり死亡したのは、音楽プロデューサーの南野信吾さん、もう一人は飲食店経営の女性・佐々木トシさんの2人であった。

 犯行に及んだ礒飛(いそひ)京三容疑者の供述によれば、『自殺しようと思ったが死にきれず、死刑を望んでやった』等と話していたが、捜査が進むにつれて自殺願望はなかったようである。

 礒飛容疑者は覚せい剤取り締まり法違反により新潟刑務所に服役、5月24日に刑期満了により出所したばかりであった。

 6月上旬に知人に電話で仕事の相談を持ち掛けているが、栃木県内の薬物依存者の自立支援施設に身を寄せ、そこで数日間、今後の身の振り方を模索していたものと思われる。

 礒飛容疑者が犯行に及んだ背景には、彼の幼少期から現在に至るまでの過去が少なからず影響しているのではないだろうか。

 2人の兄との間で何らかのトラブルがあり絶縁状態になっていた事や、36歳の若さでありながら、両親とも他界、出所後に身を寄せる場所が何処にも見当たらず、知人の言われるままに大阪に向かったものの、思うような結果が得られず自暴自棄に陥り、社会の流れに乗り遅れた滑車が噛み合わず、常軌を逸脱した行為へと突き進む…。

 この未熟とも言うべき自己形成は、彼の少年期まで遡る必要があるだろう。裕福な幼少期が父親の経営する材木店の倒産が切っ掛けになり、中学に進学した辺りから彼の生活は次第に荒れ始め、非行に走るようになり、不良グループの仲間入りもこの頃からだったと言われている。

 中学卒業後は地元の暴走族グループ、わたし自身もよく知っている(スペクター)に入り、『総長』にまで登り詰めている。

 暴走族のメンバーが全てそうであるとは言わないが、暴力団との繋がり深いのは今も昔も変わらない。彼もまた20歳を契機に暴力団に所属し、覚醒剤に手を染める事となっていった。

 裕福な子ども時代に『良い子』として育った人格ほど、耐性に乏しく急激な環境変化について行けず、哀れな末路を辿るケースが目立つ。

 刑務所で刑期を終えた元犯罪者の罪がそれで全て消える訳ではなく、前科者として社会から孤立し、行き場所を失った受刑者を受け入れる現代社会の在り方も問われる所ではあるが、このように無差別殺人が繰り返される中で、同じ惨劇が繰り返されない為にも、社会全体が支え合い前科者の社会復帰をフォローする体制作りが必要であると思えるのだが。


プールサイドの人魚姫-罪な女


甘い言葉の誘惑を

嘘と知りつつ

受け入れた

女だもの

いいじゃない

一度くらいは

夢見ても

指輪に誓った約束を

今更嘆いて

なんになる

一緒に逃げてと

つぶやいた

あたしの言葉に

頷くあんた

罪な女の独り言

付き合うあんたは

大バカ者さ



プールサイドの人魚姫-菊地

 平田信容疑者が自ら出頭し逮捕されてから半年余り、『走る爆弾娘』と呼ばれ、オウム真理教の女性信者の中では、最も行動的だった菊地直子容疑者が逮捕された。

 今回の逮捕も平田容疑者の時と同じで、警察が自力で逮捕に至った訳ではなく、一般人?からの情報提供によるものであったが、有力情報の提供者に支払う懸賞金が1000万円へと引き上げられた効果もあったのではないかとの憶測も流れている。

 17年間の逃亡生活が如何に過酷なものであったかを写真が如実に物語っている。17年前の顔と逮捕された現在の顔とでは全くの別人としか思えないが、この情報を提供した人物はもしかすると、オウム真理教に熟知していたか、或いは元オウム信者の可能性も捨て切れない。

 犯罪の陰に女あり…と言われるように、彼女の場合は常に男の影が付き纏っていたようである。17年という長い年月を逃亡に費やすには、女一人ではそうそう耐え続けられるものではない。

 逃亡から逮捕時に至る間、各地を転々としながらも関東圏から出ていない事から、人との関わりに関心を示さない都会の環境が身を潜めるには都合が良かったのであろう。

 逮捕時に潜伏していた住居は相模原市にある古びた木造住宅で、建設会社の資材置き場を兼ねていた場所であったが、生活感を全く残こす事もなくそれは逃亡者の宿命とも言える、亡霊のような生活を送っていたものと思われるが、その一方では『櫻井千鶴子(さくらい・ちづこ)』の偽名で介護ヘルパー2級の資格を取り、週に数回ヘルパーの仕事をしていた事から、社会との接点を全く遮断した生活ではなかったようである。

 この偽名については、平田信容疑者を匿って逮捕された元信者の斎藤明美被告が使っていた『吉川祥子(よしかわ・しょうこ)』の時と同様に、麻原彰晃の本名『松本智津夫(まつもと・ちづお)』を連想させるとの向きがあり、「信仰心はない」と供述しているが、いまだにマインド・コントロールが抜け切っていないのではという疑問が生じて来るのも確かである。

 犯人蔵匿の容疑で逮捕された『高橋寛人』については、潜伏先の住居から菊地容疑者と2人で撮影したウェディングドレス姿の写真も発見されている事から、2人は事実婚であったことも判明しており、高橋容疑者の存在が菊地自身にとって大きな支えになっていたものと思われる。

 彼女が高橋寛人容疑者と知り合ったのは7年前の2005年であった。当時の菊地容疑者は川崎市幸区のマンションで高橋克也容疑者と住んでいたが、その一年後には東京都町田市のアパートで同棲生活を始めていた。

 そして、その時から菊地容疑者の愛と葛藤の日々が始まったのである。「結婚して欲しい…」その言葉に彼女は大きく動揺したに違いない。

 自分の身分と罪を全て打明せば、この人は結婚を諦めてくれるだろうと思っていた。然し、男の手から渡された物は幸福の輝きに満ちた結婚指輪だった。

 わたしのような犯罪者が結婚なんて…幸せになってはいけないしなれる訳もない事を彼女自身が一番分かっていたのである。

 男は彼女の罪も全て受け入れ愛そうとした…愛は許容であると言われる所以であるが、彼もまた罪人になる事を自ら選択したのである。

 約6年に及ぶ事実上の結婚生活は、菊地容疑者にひと時の幸福感を齎してくれたのだろうか?普通の女である事を捨てつつも、男に縋りついてしまう自分の性に苛まされながら、果てしなく続く逃亡生活にピリオドを打ちたいと心の何処かで願っていたに違いない。

 菊地容疑者の逮捕を知り、慌てて行方を晦ました高橋克也容疑者が逮捕されるのも時間の問題であるが、これでオウム関連の事件が終わった訳ではなく、今、まさにこれから地下鉄サリン事件の全容解明に向けて時代が動き出したと言えるのではないだろうか。



プールサイドの人魚姫-尾崎

 尾崎紀世彦(享年69歳)、『別れのその訳は話したくない』とそれだけ告げて逝ってしまった。先日、老衰のため100歳で亡くなった映画監督の新藤兼人さんについて記事を書こうと思っていた矢先、『歌手の尾崎紀世彦さんが、肝臓がんのため都内の病院で死去した』というニュースに驚きを隠せなかった。

 国外では、ドナ・サマーやロビン・ギブと言った有名ミュージシャンンたちが、やはり癌のため他界したばかりである。

 今年の4月に『失踪騒動』で話題になっていた事から、まさか死に至るほど健康状態が悪化していたなどと想像もしていなかっただけに、この突然の訃報はまさに『寝耳に水』であった。

 日本の音楽シーンに於いて、歌の上手い男性歌手と言えば、松崎しげるや布施明などであるが、彼ほどの卓越した歌唱力を持つヴォーカリストはそういるものではない。

 父親がイギリス人の血を引いており、彼自身は純粋な日本人ではない部分が日本人離れしたスケールの大きさを醸し出しているのかも知れない。

 トレードマークの長いもみあげや彫りの深いマスクは、どこかフランス人俳優の持つ男の色気にも通じるほど異国情緒をたっぷりと漂わせていた。

 昭和生まれの人であれば、誰もが知っている彼の代表曲『また逢う日まで』は、1971年に100万枚を売り上げるなど、第13回レコード大賞・日本歌謡大賞を受賞し、尾崎紀世彦の地位を不動のものとした。

 歌の世界も含め芸能界で生き抜いて行くには人気・実力そして運も必要となって来るだろう。一見華やかに見えるその世界には、人の眼に晒したくない世界も必ず存在する。

 十分過ぎるほどの実力を持ちながら、荒んだ私生活が足枷となりその実力が発揮されない場合も多々ある。

 尾崎紀世彦もおそらくその類いに入るのではないだろうか。無類の酒好きで、アルコール依存に悩まされていたと聞いている。

 その酒がいつしか彼の身体を蝕んでいた。病魔は音も立てずに忍び寄り、やがて死の淵へと彼を追いやった。

 歌手が声も思うように出せず歌えなくなってしまったら、その時点でもう歌手ではない。それは彼にとって人生の終わりを意味するものであったのかも知れない。

 ふたりで閉める筈のドアをひとりで閉め、ふたりで消す筈の名前をひとりで消してしまった。人は皆ひとりで死んでいく『また逢う日まで』がこんなに孤独な歌だったんだと思い知らされたような気がしている(合掌)。


プールサイドの人魚姫-シリア

 混迷の度合いが深まる一方のシリア情勢は、アサド政権による武力弾圧がエスカレートし、シリア中部の町ホウラで起きた住民集団処刑事件が世界に大きな衝撃を与え波紋を拡げている。

 この大虐殺による死者は100人を超え、負傷者は300人に上っているが、死亡した内の半分は女性と子どもたちであった。

 国連による停戦監視団の行動はアサド大統領に筒抜けであり、彼らがホウラに到着した時は既に虐殺の後であり、彼らが眼にした光景は無残な死体の山ばかりであった。

 シリアに対する暴力中止を要求する声が世界的に高まってはいるものの、アサド自身の耳栓により聞く耳を持たず、一向に収まる気配は見えて来ない。

 シリアと親密な関係にあるロシアは対シリア圧力強化を渋る一方で、国際社会の足並みが揃っていない事もシリアに暗い影を落とす要因になっている。

 ホウラの虐殺について、シリア政府は関知せずという姿勢を貫く構えであり、一部のテロリスト過激派による行為であるなどと、シリア軍の正当化と言い逃れに終始している。

 エジプトの民主化とリビアのカダフィ大佐の悲惨な末路を目の当たりにしているアサド大統領であるだけに、彼らの二の舞を踏む訳には行かないアサド自身が最も恐れているのが、民衆と民主化であり、最大の敵ともなっている。

 シリアは1946年にフランスから独立。以後、年数回に及ぶ勢いで武力政変を続け、1948年には第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)勃発。それ以降、今日に至るまでイスラエルの宿敵となっている。

 1970年の軍事クーデターにより、初代アサド(ハーフィズ・アル=アサド)の独裁政権が誕生した。内紛が起こる度に虐殺を繰り返し、連立を組んでいた共産党を殲滅し、アラブテロリストの大半を掌握するに至った。

 独裁の基礎を築いた父から全権を受け継いだのが現大統領のハーフィズ・アル=アサドである。血は争えないとよく言われるが、父親の悪い部分を全て引き継いでしまった息子の運命は、これまで流れ続けて来た民衆の血によって葬り去られる時が来るのも、そう遠い話ではないような気がする。

 戦後60年以上が経過した日本は『平和ボケ』とよく言われるが、この平和が恒久的に続くと誰が保障出来ようか。

 中東の火種、イスラエルとイランの関係は『核』を巡って一触即発の危機にある。石油依存国の日本にとってシリアの内紛は対岸の火事ではない事を、国民も政治家も肝に銘じておかなければならないだろう。


プールサイドの人魚姫-生活保護

 一度生活保護に頼ってしまうと、容易にそこから抜け出せなくなってしまう。それが現代社会に於ける生活保護の現状であり、その意味から言って生活保護は覚せい剤や麻薬と大差ないのである。

 一部の週刊誌の記事がきっかけになり、人気お笑いコンビ(次長課長)の河本準一氏が先日、母親の生活保護受給について数十分に及ぶ謝罪会見を行った。

 苦渋に満ちた沈痛な表情を浮かべながら辿々しい口調で言葉を確かめるように、母親の受給に至る経緯などを説明。

 浮き沈みの激しい芸人は一般サラリーマンと違って、安定した収入は保障されない厳しい世界である。お笑い芸人ともなれば下積み時代が長く河本氏自身もその辺りについて弁明しているが、芸人として成功を収めた後も尚、母親の受給が続いていた事が不正受給にあたるのではないかという点が問題にになり、国会にもこの件が取り上げられるなど、現在の生活保護の在り方に大きく影響を及ぼすのは必至であろう。

 生活保護受給者が急増し、その費用が年間3兆円を超すと言う異常ぶりを招いた背景には、現代社会が抱える深い闇が存在している。

 華々しい経済成長に浮かれ、札束が舞い散る時代はバブル崩壊とともに弾け散り、相次ぐ企業の倒産や社員切り捨てのリストラ時代に突入し、巷には失業者や家を失い帰る場所のないホームレスで溢れかえり、企業の雇用形態も派遣、契約社員などへと大きく変化した。

 景気回復の兆しが一向に見えない中で企業の雇用率は低迷の一途を辿り、将来に希望を見出せない若者の引きこもりや自殺が急増。

 働く意欲を失った者たちが生活保護に群がり、そしてまたそれに拍車をかけたのが低賃金である。弱者救済と貧困層の為のセイフティーネットである筈の生活保護がいつしか、ある者にとって安住の地へと生まれ変わってしまい、更なる労働意欲を低下させる要因となっているのも事実である。

 わたしは子どもの頃に生活保護を受けていた時代がある。父親がアルコール依存で一定の職に就く事もなく、遊び人でやくざ者だった事から家庭環境は荒れ放題。

 唯一の収入は間借りしていたカメラ店からの家賃3千円のみ。昭和30年代の事だからそれでも3千円あれば親子二人なんとか生活は出来たが、その貴重な金を父は全て酒に変えてしまった。わたしの胃袋はいつも空っぽで、栄養失調寸前にまで至った事もあった。

 生活保護を親から申し出た訳ではなく、福祉事務所の役人が見るに見かねて声を掛けて来たのである。孤児院へ入れると言う話まであったが、それはわたし自身が断った。何故ならわたしは父と離れたくなかったからである。

 然しながらその生活保護費も父の酒代になってしまい、結局わたしの空腹を満たす糧にはならなかった。心臓病になってしまったのも父のせいであると言ってよいだろう。

 学校から『心臓弁膜症』との通知が来たにも関わらず、その通知を父はごみ箱に捨て去ったのである。漸く医者に掛かれたのは病気発症の2年後、小学6年の時で、鼻血が大量に出て止まらず救急車を呼んだのがきっかけであった。

 わたしは入院生活がすっかり気に入ってしまい、退院を拒んだものである。一日3回食事が出来、看護婦さんたちは皆とても優しく、わたしはそこで初めて女性の愛情というものを味わったのである。

 生活保護が本来の機能を取り戻すには社会全体の意識改革が必要となるであろう。『生活保護は蜜の味』となってしまわぬよう健全な社会生活が望まれる事だけは確かである。