GWまっただ中で起こった高速バス衝突事故は、乗客7名が死亡、39人が重軽傷を負うという大惨事となった。
ブレーキ痕がなかった事から、このツアーバスはかなりのスピードで道路左側の防音壁に激突したものと思われる。
辛うじてその原型を留めているバスの車体は中央から切り裂くように防音壁に突き刺さり、まさに串刺し状態であった。
事故の瞬間、おそらく車内は地獄絵図と化していた事は察しがつく。数ある高速道路の中でも関越自動車道は比較的走り易い道路であり、事故もそれほど多く発生していない。わたしもこれまで幾度となく東京新潟間を往復する際に利用しており、馴染みの深い道路である。
この事故の直接的原因は運転手『河野化山(こうの・かざん)』容疑者の居眠り運転であるが、様々な不安材料が重なりそれが複雑に絡みあって起きた必然的な事故であったと言える。
中国出身の河野容疑者はIC(インターチェンジ)の名前さえ知らないという。日常会話は出来ても、少し難しい日本語は全く理解出来ないらしい。
様々な乗り物を利用するわたし達はそのドライバーに全幅の信頼を寄せている筈である。運転手と乗客は謂わばメスを握る執刀医と患者の関係である。
一旦ハンドルを握った者はドライバーとしてプロに徹しなければならず、例えそれが初心者マークの車であっても運転には細心の注意を払い、車を走る凶器にさせない為にもあらゆる努力を注ぎ込まなければならない。
1993年に来日した河野容疑者は、おそらく日本に憧れてある種の野望を抱いて故郷を後にしたのではないだろうか。1994年には日本国籍を取得、母国の中国を捨ててまで帰化に拘った背景には、日本人として新たな人生を再スタートしたいという帰化人の淡い願いが込められていたのだろう。
大型二種の免許を取り、手に職をつけて日本人並みに稼ぎたいという願望もあったのかも知れない。然しながら、彼が来日した時期の日本はバブル崩壊で景気が一気に落ち込み、倒産やリストラの嵐が吹き荒れている真っ最中であった。
日本人で高学歴の者であっても容易く仕事は見つからず、就職活動に汲々とする日々が続くのである。巷にはホームレスが溢れかえり、ニートという引き篭もる若者が増え始めていた。
そのような荒んだ環境下にあっては、日本語もまともに使えない元中国人に希望の射すような仕事が見つかる筈もなかった。
そんな彼の下に舞い込んで来た仕事が高速ツアーバスの運転手だった。彼に仕事を与えたのは貸し切りバス会社を運営する『陸援隊』であったが、『日雇い運転手』という名目で煩わしい契約書を交わさずに済むその場限りのレトルト運転手だったのである。
もちろんこの日雇い運転の雇用はドライバーの安全管理が行き届かないとして、道路運送法の運輸規則で禁じられている。
日本経済が冷え込む中で、「格安チケット売ります」という言葉を耳にするようになったのはいつの頃からだろう。
薄利多売、所謂デフレの影響が景気動向の至る所に現れ、あらゆる商品に於いて価格競争が激化して行き、その結末に待ち受けていたのが『安全崩壊』なのである。
人件費を出来るだけ抑える為に行われる人員削減などは労働者の過重労働、勤務時間超過へと繋がり、やがて様々な形で事故が多発する要因となって行った。
今回の事故も競争激化の渦の中に巻き込まれ、安さを売り物にする旅行会社とそれに妥協せざるを得ない苦渋のバス業界が引き起こした『安全と価格』を天秤にかけた結果なのである。
二度とこのような事故を繰り返さない為にも、国は事業者に対する監査体制を強化し、安全運航の徹底を早急に図らなくてはならない。
