世界広しと言えども『土下座』をするのは日本人くらいのものであるが、その土下座という行為そのものは日本の文化である。
長い日本の歴史の中で、古くは邪馬台国の時代から受け継がれて来た儀礼であったが、時代の流れと共にその意味合いが微妙に変化して行った。
陳謝や懇願の意を表す行為という意味に於いては特に変化はないものの、現在に至っては保身の為に行われる究極の危機回避術の体として用いられるようになったと捉える事も出来よう。
企業の不祥事は兎も角として、国の治安を預かる警察は国家権力の象徴とも言えるが、その警察組織が危機的状況に追い込まれている。
今年に入ってから立て続けに起こる警察官による不祥事、ニュースにもならないような話題性のないものから、マスコミがこぞって取り上げる問題まで大小様々であるが、わたしの知る限りでは1月から4月の間に起きた件数は約40件にも上っている。
女子高生のスカートを捲くり尻を触るなどの痴漢行為、誤認逮捕、証拠品紛失、虚偽報告、暴行、下着泥棒、アダルトサイトでの副業、買春容疑、警察手帳偽造、隠蔽工作、現金窃盗、被害届先送り、飲酒運転等など数え上げたら限がないのとその内容に呆れるばかりである。
そしてそれにとどめを刺すが如くに起きた京都府警亀岡署での情報漏洩問題。この事件はつい最近の事であるから皆さんの記憶にも新しい筈である。
京都府亀岡市で起きた無免許運転の少年がハンドルを握る軽自動車が暴走し、小学校の児童ら10人が死傷した痛ましい事故であった。
マスコミのカメラに自ら顔を晒し、「お腹の中の子どもは人じゃないんか…」と慟哭を必死で堪えながら語っていた父親の姿に思わず涙してしまった。
その一方で部下を引き連れ謝罪に訪れていた亀岡署長の口からは言い訳めいた言葉ばかりで、謝罪とは程遠いまさしくその場凌ぎの言い逃れとしか映らなかった。
被害者側の了解も得ずに、10人の住所や携帯電話の番号などを犯人(少年)の父親に教えてしまうという行為は決して許されるものではないのだが、その行為そのものに悪意はなかったと言う事だけは付け加えておくべきだろう。
昨今蔓延っている『個人情報保護』という壁が時と場合によっては大きな障害になっているのも事実であり、正しく扱われて然るべき情報がその方向性を見失い、必要以上に過敏に反応する現代社会の職図を垣間見ているようで、歯がゆい思いをする事もしばしばである。
日本の法律は被害者よりも加害者側の視点に重きを置くように作らているような気がしてならないと思うのはわたしだけではない筈である。
亀岡署の事件で被害者の父親が心の底から訴えているのは法律の改正であった。同じような思いをしている遺族はおそらく全国に大勢存在している事だろう。
法律は何の為にあり、そして誰の為のものなのかを今回の事件を通して今一度振り返ってみる必要がある。そしてまた、日本の警察は世界一優秀であったと過去形になってしまっている現状を打破する為に、警察組織の大改革が必要に迫られている事を関係者は殊更強く認識しなくてはならない。
