かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

あなたが輝く≪表現≫をサポートします!・心身の解放(ゆるめること)・感情の解放
と切り換え・表情トレーニング・身体表現・声の表現・話しかた・聴きかた等々、27年
にわたるワークショップ体験をもとに、あなたオリジナルのセッションを提供します!

かめおかゆみこ  です。

 

1929年9月20日に生まれ、

2022年6月17日に天に還った父の思い出を、

つれづれに書き残そうと思います。

時系列・長短等、一切配慮せず、思い出す

ままに綴っていきます。

 

001 天に還る

002 友だち親子

003 新聞代読

004 娘と酒

005 甘党

006 65年

007 父の涙

008 万年係長

009 お礼状

010 おひとよし

011 正解は?

012 カムイワッカ

013 年賀状2013

014 年賀状2014

015 年賀状2015

016 年賀状2016

017 年賀状2017

018 年賀状2018

019 年賀状2019

020 年賀状2020

021 晩酌

022 添削

023 ソフトボール

024 婚約破棄

025 「上陸」

026 不器用

027 計算

028 お金を貸す

029 挨拶

030 昭和の男

031 無頓着

032 ワープロ

033 私の写真

034 尊重

035 クイズ番組

036 運転

037 飼い猫

038 全集

039 キャッチボール

040 仲がいい

041 夫婦喧嘩

042 旅行記

043 雑感

044 小鳥のエサ

045 予感?

046 梅をもぐ

047 梅を漬ける

048 夢

049 絵はがき

050 母の話

051 男の子

052 父のテレビ

053 痛みに鈍感

054 偶然の一致

055 水泳

056 外食

057 妄想作文1

058 妄想作文2

059 多才

060 弔辞

061 男泣き

062 はな・てんと

063 仕事

064 お金1

065 お金2

066 お金3

067 観劇

068 飄々

069 じゃがいも

070 片づけ

071 迷子

072 今の思い

073 ひげそり

074 お金4

075 雪かき

076 峠の雪

077 悪いこと

078 名言

079 応援

080 出版

081 怒る

082 代筆

083 キス

084 クマ

085 小窓

086 遡上

087 しっぽ

088 スキー

089 スケート

090 運転

091 あるがまま

092 一段落

093 母の話

094 日高昆布

095 夢2

096 夢3

097 歌わない

かめおかゆみこ  です。 
 
数日前に、母から電話がかかってきた。
 
この前、老人クラブで、近場だけれども、1泊2
日の温泉旅行に行ってきたのが、よほど楽しか
ったらしく、くりかえし、その話をしている。
 
で、電話の件。また、父の夢を見たのだという。
 
夢のなかで、母が家に帰ってくると、かけたはず
の鍵が開いている。あれっと思うと、家のなかか
ら、父の声がした。
 
「俺、おおきな鍵もってるから、帰ってきてるよ」
と。…夢は、そこで終わったという。
 
「おおきな鍵」とはどういう意味なのか。

わからないが、それを聴いたとき、なぜかほっと

して、ちょっと涙が出そうになった。

 

父が亡くなってから、母が父の夢を見るのは、こ

れが3回目。(この記事のタイトルは「夢4」だが、

1回目は生前の話だ)

 

母は茶目っ気のあるひとだから、後日、老人クラ

ブに行って、こんなことを言ったそうだ。

「お父さん、3回、帰ってきたよ」

 

「ええ~?!」とおどかれるので、「夢でね」と言う

と、「なーんだ」という話になって笑いが起きる。

 

父が亡くなったあと、父の知人が、2人、立て続

けに亡くなったのだという。

 

年齢が年齢だからしかたがないけれども。母も、

それはわかっているのだけれど、「さびしいねえ」

とつぶやいた。

 

それにしても、これまではお互い、用件がないと

電話などしなかったのに、夢を見ただけで電話を

くれるのだから、母は、思春期の少女のようだ。

 

 

 

目次★父の備忘録

かめおかゆみこ  です。

 

母が、一昨日~昨日と、老人クラブの企画で、

1泊2日の温泉旅行に行ってきたそうだ。

 

「歌って、踊って、楽しかったよ~。みんなに、歌

がうまいって言われてね。練習した成果があった

んだねえ」と言う。

 

母は、カラオケセットをもっていて、「上達しなくて

もいいの。声を出すのは健康にいいから」と言い

つつ、しばしば練習をしている。

 

昔、父に、歌が下手だと言われたのだという。そ

れを聴いて、「でも、お父さんだって、ひとのこと

言えるほど、うまくはなかったよ」と言うと、

「それ、お母さん、失敗したことあるの」と言う。

 

何の話かと思ったら、退職して退職者の会で旅

行に行ったときのこと。夜の宴会で、父がめずら

しく人前で歌ったのだという。

 

ところが、音程が、曲とずれて、上がったり下が

ったりしてしまう。まあ、よくありがちな話なのだ

が、見ていた母がいたずらを思いついた。

 

その様子が、手回しオルゴールのネジがゆるん

できた状態のように見えたらしい。

 

こっそり、父の後ろにまわると、ネジをまわすか

っこうをしてみせたのだ。まわりは大爆笑。仲間

うちの旅行だから、みんなも気楽なものだ。

 

が、これはキツい。私は父と性格が同じなのでわ

かるのだが、こういうとき、けっこうひそかに、メン

タルが傷つくのだ。笑い泣き

 

「お父さん、それから二度と人前で歌わなくなっ

たの」と言うから、思わず「そりゃあ、無理ないよ

ぉ!」なんて、返してしまった。

 

父が亡くなってから、母と電話をする回数がふ

え、こんなふうに父の思い出を聴くことがふえ

た。父は、苦笑いして聴いていることだろう。

 

アルバムから直接撮ったから、ぼけぼけ写真

だけど、2人とも楽しそうに笑っているなあ。

 

 

目次★父の備忘録

かめおかゆみこ  です。

 

3日ほど前、母から電話がかかってきた。
「また、お父さんの夢を見たよ。今度は、声も聴
けた」という。
 
「また」というのは、夢2(備忘録97)のことだ。
このときは、「何もしゃべってくれなかった」と、
がっかりしていたのだ。
 
今度の夢も他愛ない。場所はどこかわからない
が、父がかかわっていた会の、役員会がひらか
れていて、何人かのひとが集まっている。
 
(実際、我が家でも年数回ひらかれていた)
 
そのうち、父が、母に、「隣の部屋にいる、〇〇
さんに、書類をもらいにいってくれ」と言う。
 
隣の部屋にいくと、〇〇さんがいて、書類を受け
取り、部屋にもどろうと振り返ると、もう、父の姿
はなかったという。
 
それだけの夢だったけれど、「お父さんの声が聴
けた」と、母はよろこんでいた。
 
「また電話するね。お母さん、がんばるから」と
言って、電話は切れた。
 
 
9月28日~10月4日、友人たちと一緒に帰省して
いたのだが、母の新聞代読(備忘録 03)は、相変
わらずつづいていた。
 
というか、むしろ長くなっていた。(笑)

父も楽しんで聴いてくれていることだろう。

 

相変わらず、アルバムの写真を写したので、

映りが悪いけど…。旅行先での写真より。

 

 

目次★父の備忘録

かめおかゆみこ  です。

 

3か月書きつづけてきて、一段落したので、ぼち

ぼちつづっていくペースに変えたら、あっという間

に、間が空いてしまった。アセアセ

 

 

9月28日~10月4日、帰省を兼ねて、語り劇「

(zero)に立つ」の、中川イセさんお墓参りツアー

に行ってきた。

 

同行のメンバーたちが2日に帰ったあとは、3日・

4日と、母と2人の時間を過ごした。その4日の

朝のことだ。

 

母が起きしな、「お父さんの夢を見た」と言う。

(夢の話は、048で一度とりあげた)

 

「でも、なーんにも話してくれなかった。みんなで

パークゴルフに行ってるんだけど、ほかのみんな

と一緒に、どんどん先に行っちゃって…」

 

「夢に出てきてほしい、出てきてほしいと思ってた

けど、はっと目が覚めたら、ああ、夢だったんだ

と、よけいさびしくなって…」

 

入院して10日で逝ってしまったせいか、実感が

湧かず、いまでもひょっこり玄関を開けて、帰っ

てくるような気がするという。

 

母のなかでは、父はいまも現在進行形だ。

 

003 でふれた「新聞代読」は、いまもつづけてい

る。父の目が見えづらくなってから、ずっとやって

いるので、読みはかなり達者だ。

 

いまは、シーズンが終わりつつあり、読む記事が

なくなってきてしまった。きっと、11月に相撲がは

じまったら、それを読むのだろうな。

 

もう年内は帰れないと思うが、できるだけ帰省の

回数はふやしたいな…と、あらためて思った。

 

花の盛りは過ぎたが、まだまだ咲いていた。

父が、発足時にボランティアでかかわったと

いう、 062「はな・てんと」

 

 

目次★父の備忘録

かめおかゆみこ  です。

 

母が語る父の思い出(録音データより)

 

010 おひとよし でもちょっと書いたが、父は、旅

行に行くと、お土産を買うのが好きだった。

 

行く先々の土産物店で、ひとりのひとのために何

個も買う。相手をよろこばせたかったのだと思う。

 

北陸方面だったと思うが、旅行に行ってきたとき

のこと。土産物店で、父が、店員さんに頼んで、

段ボール箱を用意させている。

 
そして、箱のなかに、ぽんぽんと、何かを放りこ
んでいる。お土産が荷物になるので、配送する
つもりのようだ。
 
ところが、放りこんでいるものを見ると、昆布で
ある。しかも、なんと、日高昆布だ! 母は、思
わず、あわてて叫んだ。

 

「お父さん! それ、日高昆布! (旅行から)も

どったら、どこにでも売ってる!」

 

そのあと、父がどうしたかは、聴きそびれた。父

のことだから、強引にそのまま買ってしまった可

能性もある。

 

まちがいをみとめたくないというより、せっかく買

うと言ってしまったのに、やめては、店員さんに

申し訳ないという気持ちだ。

 

そして、「北陸産の日高昆布だ」とか言って、相手

を笑わせていたかもしれないな。爆  笑

画像はイメージ。こちらから拝借

 

 

目次★父の備忘録

かめおかゆみこ  です。    

 

6月は、父が亡くなり、葬儀が終わり、そのあとも

しばらく実家にいた。

 

母が半月くらいはいてほしいと言っていたから

だ。(仕事のこともあり、猫のこともあり、実際に

は10日で帰ってきたけれど)

 

そのかん、母は、ずっと父の話ばかりしていた。

 

本人は、意識していなかったかもしれないが、ほ

かの話をしていても、気がつくと、父の話題にも

どっていく。それは無理のないことだとは思う。

 

私はお葬式の3日後から、この備忘録を書きは

じめた。今日からちょうど3か月前の、6月22日

からだ。

 

で、母の話を聴いていると、当然ながら私の知ら
ない話も多々出てくる。ただ聴いているだけだと
忘れてしまうな…と思った。
 
とはいえ、そのころの母は、ちょっとこころここに
あらずのところがあったので、あまりあらためて
話してくれ、というのも言いづらい。
 
そこで、母の話が父の話題になると、さりげに携
帯電話(スマホではない)(笑)の録音機能を立ち
上げて、録音をした。
 
この備忘録のなかには、「母から聴いた話」とい
うのが、ときどき入っている。
 
すべてではないが、そのいくつかは、そうして録
音したものをもとにしている。

 

次に、四十九日で帰ったときには、ずいぶん落ち

着いていて、父の話題は出ていたけれども、葬

儀の直後ほど、頻繁ではなくなっていた。

 

それでも、「お母さん、がんばるから」を連発して

いたが(母はがんばるのが好きだ)、今回帰った

ときはどうなっているだろうか。

 

母だって、来年は90なのだから、いまは元気で

も、いつかその日はやってくる。やはり、来年か

らは年3回は帰省するようにしたいと思う。

 

父は、生きていたあいだは好き勝手やって、母

にはずいぶん世話になったのだから、身軽に

なったいまは、しっかり母を見守ってほしい。

 

と、父には注文をつけておこう。
 
今日は、父の直接的な話題ではないけれど、
「父に関して思うこと」もまた、備忘録のひとつと

いうことで、記録してみた。

 

アルバムの写真をそのまま撮影したので、

ピンボケたけど…。旅行中の写真。

 

 

目次★父の備忘録

かめおかゆみこ  です。   

 

昨日、091 あるがまま に、いまの思いを書いた

ら、なんとなく一段落ついた気がしている。まだ

細かい記憶はいくつもあるのだけれど…。

 

無理に書くものでもないから、ここからは、思い

出したつどでもいいのかなと思う。

 

(最初からそのつもりだったのだけど、毎日途切

れなく思い出していたので、書いていた)

 

それと、父が書いた原稿で、日の目を見ていな

いものがあるので、それも備忘録のなかに収録

したいとも思っている。

 

18歳で家を出て以来、20代のなかばに、2年半、

実家にもどっていた時期をのぞけば、ずっと、親

と離れて暮らしてきた。

 

まあ、ほとんどのひとは、結婚すれば別の家庭

をもつし、そうでなくても、独立したり離れて住ん

でいたりすると、そうそうは会わなくなる。

 

私もそうだったし、40代くらいまでは、帰省して

も、友人たちと会う時間のほうが大切で、せっせ

と出かけてしまっていた。

 

けれども、この10年くらいは、親と生きて会える

時間はどのくらい残されているだろうと、意識す

るようになり、それまで年に1回だった帰省を、2

回にふやした。

 

そして、とくに声がかからなければ、ほとんど出

かけなくなり、ただただ、家で、だらだらと過ごす

ようになった。(笑)

 

そのかん、父とは毎晩、飲んで話したり、母とも、

ずいぶん話をするようになった。(母の話を聴く

ようになった)

 

父の目がほぼ見えなくなった今年からは、帰省

を年3回にふやそうと思っていた。

 

今回のことで、結果的に3回帰ることになり、そし

て、今月末は、別の用事もあって帰省するから、

今年は4回帰省することになる。

 

そして、いま、毎朝、仏壇の父(+ご先祖さま)に

向かって、般若心経をとなえるようになり、毎晩、

お酒のおすそわけをする。

 

それが、私にとっては、父との対話になってい

る。もちろん、父からの返事はないけれども…。

 

相変わらず、かなしみが湧くたびに、次の瞬間に

は、満たされた気持ちに変わっていく。

 

「愛」という字を、「いとしい」「めでる」だけでなく、

「かなしい」とも読む日本語は、本当に奥が深い

なあと思う。

 

父が愛した渓流釣り。私は釣りは興味がなかった

ので、子どものころ一度行っただけだった…。

写真はイメージ。こちらから拝借

 

 

目次★父の備忘録

 

かめおかゆみこ  です。  

 

今日は、父の誕生日だ。

 

日刊メルマガ「今日のフォーカスチェンジ

6170号(2020年9月22日発行)

生きかたと向きあう姿勢」にも書いたが、

 

「人生で得てきたものを、年とともに

 失っていくことを、どう思うか」

 

2年経ったいまも、あのとき、この質問ができて、

本当によかったと思っている。なぜなら、これは、

信頼関係がなければ、訊けないことだからだ。

 

これまで書いてきたように、父は多才で、さまざ

まなことを楽しむ生きかたをしてきた。

 

しかし、86歳(くらいだったと思う)で、運転免許証

を返納し、大好きだった運転ができなくなった。

 

そのことについて、あるとき、母が感心したよう

に、私に言った。「一回も、愚痴をこぼしたことが

ないんだよね。あれだけ好きだったのに」

 

父は本当にそういうひとなのだ。がまんしてこら

えているのではない。飄々として、てばなしてい

るのだ。

 

91歳のときに質問したこたえが、まさにそうだ。

「そのときできることをやっていくだけだよ」と。

 

視力が落ち、できないことはますますふえた。囲

碁も将棋もできなくなった。あらゆるスポーツも

できなくなった。散歩さえひとりではできない。

 

それでも父は、それらを淡々と受け入れていた。

 

家のなかは、壁を伝い、自力で歩いた。

母も、「リハビリ」と言って、父ができることは、

できるだけ自力でやってもらっていた。

 

もともと、うたた寝が好きだったが、最後の1~

2年は、本当によくうたた寝をしていた。

 

父の腎臓機能は確実に低下していたから、父の

からだは、父のいのちを守るために、睡眠という

手段をとっているのだろうなと、私は感じていた。

 

できていたことができなくなる。そのことを、父

が、ネガティブにはとらえていなかった。それが、

私にとってどれだけはげましになったことか。

 

あるがままを引き受け、すべてを「是」として生き

る。私もまた、そのようにありたいと思う。

 

まだ運転ができていたころ。

能取岬にての、貴重な1枚。

私にとっては、一番のお気に入り。

 

 

目次★父の備忘録

かめおかゆみこ  です。 

 

私は、26歳で、一時的に実家にもどっていたころ

に、自動車免許をとった。北海道では、車なしに

生活することはむずかしいからだ。

 

運動神経は全然いいほうではないが、幸い、北

海道の田舎、とくに裏道となると、信号がない、

後続車がない、対向車もない、横断者もいない。

 

…という、ほとんど無法地帯である。アクセルさ

え踏めれば、なんとかなるものである。

(いや、ブレーキも必要です!)爆  笑

 

あるとき、父が飲み会に出かけ、「迎えにきてく

れ」と電話がきた。

 

徒歩10分くらいのところだったが、500m先のス

ーパーでも車で行く北海道感覚。なので、車で迎

えに行った。

 

ところが、初心者の私の運転にたいして、父は実

に口うるさい。ギアの入れかたから、アクセルの

踏み込みまで、いちいち注文をつける。

 

当時は、オートマではなく、マニュアル車がスタン

ダードだったから、なおさらだ。

 

ただでさえ、よゆうのない初心者。しかも、そのと

きの父はヨッパライである。

 

もう、アタマが爆発しそうになり、すんでのところ

で、走行中にバンザイをしそうになった。

 

 

ときは流れて、7~8年前。父がまだ運転免許証

を返納する前のことだ。私の友人3人が、私の

帰省にあわせて、道東旅行をすることになった。

 

最初の2日間は、地元の友人に頼んで案内して

もらったが、残りの2日間は、その友人は仕事で

案内ができないという。

 

私もすでにペーパードライバーになっており、運

転できるのは、1人しかいなかった。

 

その1人も、ときどきしか運転しないというので、

実にこころもとない。

 

そこで、1日目は、父が予定が空いていたので、

私たちの旅行に同行してくれることになった。

 

助手席にすわった父は、実にやさしく、運転をす

る友人に声をかける。

 

友人がいささかアヤしいハンドルさばきをしても、

「いい、いい、その調子」などと、フォローするで

はないか!

 

ン十年前の、あの、バンザイをしそうになった夜

の記憶がよみがえった。なんだ、この差は! ち

がいすぎるぞ!

 

まあ、おかげで、友人は翌日は、なんとかひとり

で運転ができ、「お父さんのおかげ」とよろこんで

いたから、まあ、いいか。

 

そんなできごとを久しぶりに思い出すと、自然に

笑みがこぼれてくるのだった。

 

写真はこちらから拝借

 

 

目次★父の備忘録