先日、
早朝散歩で
名古屋駅西口(駅裏)南にあります
牧野5社と呼ばれる神社のうちの1社、
「稲穂社(椿町)」
を訪ねてきました。
※中村区史跡散策路
…笈瀬川筋散策コースについて:稲穂社(椿町)は、このコース内にあります。
伊勢神宮の御神領地で、お伊勢川と名付けられた川がやがて笈瀬川となり、
河童(カッパ)伝説の椿神社から旧笈瀬川筋をたどり、牧野5社を巡る。
※河童(カッパ)伝説にいて
笈瀬通り「かっぱ伝説」」としてブログしました。
こちらをご覧ください。
稲穂社(椿町)の、
入口に鉄の門、
社殿も前にも頑丈そうな鉄の柵と門があり…驚きました‼
平成9年(1997年)には不審火で拝殿が焼失したと由緒書きに記載あり。
…現在は拝殿なしになっている。
↓場所
帰宅後、
稲穂社について調べました。
↓ネットより引用
所在地 | 名古屋市中村区椿町18-5 地図 |
創建年 | 不明(1789-1801年以前?) |
旧社格・等級等 | 無格社・十五等級 |
祭神 | 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) |
その他 | 例祭 10月16日 |
牧野5社と呼ばれる神社のうちの1社。
このあたり、
江戸時代は牧野村と呼ばれていた。
江戸時代後期の1832年、何もない土地をあらたに開墾すべく、牧野村の住人12戸が
この地に移住してきて集落を作った。
その後、牧野出郷と呼ばれることになる。
↓中村区史跡散策路より引用
天保2年(1831年)当時の牧野村住民の内より12戸がこの地に移住して新たに
一集落が造られました。
当社はこの里の守護神として祀られたものです。
↓由緒書きより
文政9年(1826年)に神社がこの地に鎮座し、
牧野出郷として12戸の民家が建ったのが天保2年(1831年)という。
「御祭神 宇迦之御魂神
(略)
由緒
文政丙戌九年三月当所に御鎮座あり。
当時この地は牧野出郷と呼ばれ天保二年十二戸の民家建設せられたると人家の始とす、
爾来当社はこの里の守護神として崇敬篤く昭和二十年三月不幸戦災罹り焼失せしが
昭和二十六年十月再建を見るに至れり、
昭和四十年名古屋駅西都市改造事業に伴い移築御造営同年十月工事完了、
社頭に三基御神霊鎮座奉る。
(追記)平成九年十月拝殿消失し現在に至る。
デジカメ
↓
↓境内
↓社殿は鉄柵で囲われているが、
稲荷社、稲穂社、秋葉社と祀られる。
(注)稲荷社と秋葉社は後から合祀されたものだと思われる??。
↓掲示板…上記の「由緒書き」貼付
(付記…1)
焼失前の稲穂社…中村区誌よりスキャン
(付記…2)
稲穂社は、
牧野5社と呼ばれる神社のうちの1社で、
江戸時代後期以降は知られた存在の神社と思われます。
5社は
・椿神明社、
・牧野神明社、
・厳島神社、
・須佐之男社
・稲穂社、
(付記…3)
椿町の地名物語より
(日めくりより)
今日(31日)の言葉…土用二の丑
『転んでもただでは起きぬ』
👅
転んでも、そこで何かを拾ってから起きる意から。
たとえ失敗しても、その失敗のなかから何かしら利益になるものを見つけ出すたとえ。
また、
欲が深く、どのような場合にも何かしら利益を得ようとする人のこと。
👅
たとえ何かに失敗しても、そのままでは終わらないことを意味。
(19,611歩)