私「洋ちゃん」は、
東区東桜学区内に55年間住んでいました。
学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。
幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。
懐かしみながら、
東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べています。
その16(最終)…旧、東区杉ノ町の町名の由来
👇(右)昭和25年発行
最新名古屋市全図」よりスキャン
昨日(17日)
早朝散歩で、
旧、杉ノ町辺りを散策してきましたが「杉ノ町」と書かれた標札等全く見当たらず。
私の幼少時代には市場があり「杉ノ町商店街」として賑っていましたがその面影は全くなし。
👇デジカメ
↓旧杉ノ町通り筋:西端(久屋)から東方面
↓旧杉ノ町通り筋:東端(高岳)から東方面
↓ひがし見聞録より引用
↓東区史よりスキャン
↓Wikipediaより転用
町名の由来
清州越し以前には当地に富士浅間社があり、その境内に杉の大木があったという。
この木にちなむ地名である。
この杉は、名古屋城築城に際して浅野幸長が伐るよう命じたが、斧が木に触れることができなかったため、富士浅間神社を名古屋城の西にある巾下の地に遷した上で、伐採されたという。
沿革
1878年(明治11年)12月 - 名古屋区高岳町・富士塚町・下竪杉町・武平町・久屋町のそれぞれ一部により、同区杉ノ町が成立する。
1889年(明治22年)10月- 名古屋市成立により、同市杉ノ町となる。
1908年(明治41年)4月 - 東区成立により、同区杉ノ町となる。
1944年(昭和19年)2月 - 栄区成立により、一部が同区杉ノ町となる。
1945年(昭和20年)11月- 栄区廃止により、栄区杉ノ町が中区に編入される。
1946年(昭和21年)4月 - 中区杉ノ町が東区に編入され、同区杉ノ町に合流する。
1976年(昭和51年)1月 - 東区泉一丁目・泉二丁目にそれぞれ編入され消滅。
(付記)
尾張名所図会附録1巻より
↓杉の町乃起源
↓東区史からスキャン…昭和48年発行
デジカメ…参照
🔶杉ノ町の西端、久屋通り沿いで写す
↓上記・赤矢印の民家
↓上記・青矢印の民家
(特記)
「東桜学区内の旧町名の由来」について
タイトル
(日めくりより)
今日(18日)の言葉
『よい仲には垣』
👅
親しい間柄でも遠慮がなくなると不仲のもとになるので、節度を守れという戒めの言葉。
親しい間柄でも、礼儀は守らなくてはいけない。
👅
いくら親しいといっても、礼儀を忘れると、かえって不和になることが多い、ということ。
(21,636歩)