東桜学区旧町名…その5:旧、東区駿河町の町名の由来 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」は、

東区東桜学区内に55年間住んでいました。

学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。

幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。

懐かしみながら、

東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べています。

 

その5…旧、東区駿河町の町名の由来

全域が東桜一丁目・二丁目に編入され、消滅

↓ひがし見聞録より引用

江戸期以来の町名。

現在もテレビ塔辺りから、南東にまっすぐ八事方面へ向かう道筋がある。

これは慶長年間、徳川家康が駿河へ往来するために開いたもので「駿河道」または「駿河街道」とも呼んでいた。

※飯田街道お呼ぶようになったのは明治十一年以降。

その道筋がそのまま町名に由来したといわれる。

また一説には、この地が富士権現社に近いところから、富士山のある駿河の国にちなんでつけられたという。

 

東桜開校五十年記念誌より

駿河街道沿いの町であることに由来する。

飯田街道と呼ばれるようになったのは明治11年以降のようであり、それまでは赤池までを駿河街道といっていた。

赤池からは拳母街道と飯田街道(伊那街道)に分岐していた。

 

↓Wikipediaより転用

沿革

1878年(明治11年)- 名古屋区成立に伴い、同区駿河町となる。

1889年(明治22年) - 名古屋市成立に伴い、同市駿河町となる。

1908年(明治41年)- 東区成立に伴い、同区駿河町となる。

1944年(昭和19年) - 栄区成立に伴い、同区駿河町となる。

1945年(昭和20年) - 栄区廃止に伴い、中区駿河町となる。

1946年(昭和21年) - 東区に編入され、同区駿河町となる。

1976年(昭和51年)- 東桜一丁目および同二丁目に編入され、消滅。

 

↓東区史よりスキャン

☟デジカメ…旧、東区駿河町筋

↓私「洋ちゃん」所有の『尾張名陽図絵』よりスキャン

 

(特記)

「東桜学区内の旧町名の由来」について

東桜学区旧町名…その4:旧、東区東門前町の町名の由来

東桜学区旧町名…その3:旧、東区松山町の町名の由来

東桜学区旧町名…その2:旧、東区富士塚町の町名の由来

東桜学区旧町名…その1:東区上竪杉町・下竪杉町の町名の由来

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👅2023年12月10日に追加しました。