東桜学区旧町名…その2:旧、東区富士塚町の町名の由来 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」は、

東区東桜学区内に55年間住んでいました。

学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。

幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。

懐かしみながら、

東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べています。

 

その2…旧、東区富士塚町の町名の由来(全域が消滅している町名)

↓Wikipediaより引用

清州越しに伴う城下町造成に際して、当地に鎮座していた富士浅間社を巾下に遷した跡地に塚を造り、改めて富士権現を祀ったことに由来する。

 

↓東区史より引用

・同町3丁目の西側に冨士権現を祀った塚山があったところからこの町名が起こったと

 いわれる。

・徳川時代には同町はすべて武家屋敷で、禄高300石ぐらいの尾張藩中堅層の屋敷が

 並び、いずれも7~800坪を越す広大な家ばかりであったという。

北部は泉一丁目に、南部は東桜一丁目に組み入れられた。

 

↓ひがし見聞録よりスキャン

(付記)

富士神社について

※陰の部分…名古屋城築城の際、浅野幸長が社域に普請小屋を設けるため

 

デジカメ

(特記)

シリーズ、

 その1は、

東桜学区旧町名…その1:東区上竪杉町・下竪杉町の町名の由来

 

東区冨士塚町の町名の由来