先日、東区泉一丁目19-28にあります、
泉冨士塚公園辺りを早朝散歩で赴く…。
帰宅後、
冨士塚町(現)泉一丁目の町名の由来を調べる。
※東区泉一丁目は昭和51年(1676)住居表示により成立。
泉は今後ますます人・富・幸が湧き出づるごとく発展するようにとの
意を込めて「泉」とした…ひがし見聞録より引用
↓赤丸が「泉冨士塚公園」
↓泉冨士塚公園…石碑には「富士」と彫り~誤り???
この公園は、旧町名、冨士塚町から名が付けられた公園です。
↓昭和51年住居表示前の地図
↓私所有の「大正13年発行・大名古屋市街全図」よりスキャン
↓私所有の「昭和12年発行・名古屋市街全図」よりスキャン
↓私所有の「昭和25年発行・最新名古屋市全図」よりスキャン
冨士塚町の町名の由来について
↓手持ち資料より
・同町3丁目の西側に冨士権現を祀った塚山があったところからこの町名が起こったといわれる。
・徳川時代には同町はすべて武家屋敷で、禄高300石ぐらいの尾張藩中堅層の屋敷が並び、
いずれも7~800坪を越す広大な家ばかりであったという。
↓ネットより
清州越しに伴う城下町造成に際して、当地に鎮座していた
冨士浅間社を巾下(現 西区)に遷した跡地に塚を造り、改めて冨士権現を祀ったことに由来する。
◎沿革
明治11年名古屋区冨士塚町となる。
明治22年名古屋市成立に伴い、同市冨士塚町となる。
明治41年東区成立に伴い、同区冨士塚町となる。
昭和51年一部が泉一丁目および東桜一丁目に編入される。
(特記)
冨士神社…東区東桜1-4−12(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№11)
としてブログしました。
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(19,864歩…雨天)