私「洋ちゃん」は、
東区東桜学区内に55年間住んでいました。
学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。
幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。
懐かしみながら、
東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べています。
その3…旧、東区松山町の町名の由来(全域が消滅している町名)
↓ひがし見聞録より引用
・明治期に成立。
・江戸期には禅寺町と称され、曹洞宗の寺院が数多くあった。
・明治初期の一時期に小川町西ノ切とされ、同十一年(1878)東門前町・高岳町の一部
と合併し、松山町となった。
・その地名の由来は定かでないが、
合併の際「松は縁起がよい木とされる」ので町名にしたといわれている。
↓Wikipediaより転用
沿革(参考)
1878年(明治11年)東門前町・高岳町の各一部および小川町西ノ切により、名古屋区松山町
として成立。
1889年(明治22年)名古屋市成立に伴い、同市松山町となる。
1908年(明治41年)東区成立に伴い、同区松山町となる。
1976年(昭和51年)東区泉二丁目・泉三丁目および東桜二丁目にそれぞれ編入され消滅。
↓高岳郵便局はこの町内(松山町)に属していました➡現、泉二丁目
☟デジカメ
桜通泉二丁目交差点から南方向➡旧松山町方面
↓松山公園の場所
(資料より)
1610年に名古屋城築城とともに「清州越し」による移住が始まり、
この時、現在の
大須の辺りには約50の寺院が配置され…南寺町と呼ばれた。
城下の東には約40の寺院が配置され…東寺町と呼ばれた。
↓
東寺町はやがて、
その東半分に日蓮宗の集まり法華寺町、
西半分は少数の浄土宗のほか禅宗の寺院が多く集まり禅寺町
と分けて呼ばれるようになる…。
明治以後、
法華寺町は小川町、
禅寺町は松山町と名付けられる。
↓
昭和51年(1976年)新住居表示のため両町とも消滅。
↓法華寺町について
(付記)
にタイトル「「東区小川町の町名の由来 」」
東桜学区旧町名シリーズについて、
としてブログしました。
こちらも是非ご覧ください。