私「洋ちゃん」は、
東区東桜学区内に55年間住んでいました。
学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。
幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。
懐かしみながら、
東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べています。
その9…旧、東区武平町の町名の由来
↓ひがし見聞録よりスキャン
現在、わずかに武平町五丁目の一部が、錦通りオアシス21の南、名古屋栄ビルがあるところに存続する。
↓東区史よりスキャン
南武平町1・2丁目を当町に併せ、武平町4・5丁目とした。
↓Wikipediaより転用
武平町(ぶへいちょう)は、名古屋市東区にある地名。
武平町5丁目1番地の一区画が現存するのみである。
◎地名の由来
清州越しの際、
普請奉行松井武兵衛が当地に屋敷を持ったことから武兵衛町と称されたものである。
のち、武平町と改まったという。
沿革
明治4年 - 武平町筋の片端筋から伝馬町筋に武平町1~3丁目として成立。
1878年(明治11年) -名古屋区成立に伴い、同区武平町となる。
また、一部が杉ノ町となる。
1889年(明治22年) - 名古屋市成立に伴い、同市武平町となる。
1900年(明治33年)- 愛知県庁が愛知県師範学校の跡地に整備された新庁舎に南久屋町より
移転。
1908年(明治41年) - 東区成立に伴い、同区武平町となる。
1911年(明治44年) - 中区南武平町の一部を編入する。
ただし、『なごやの町名』では全部を編入したとする。
1912年(大正元年)- 東区武平町5-2において、愛知信託株式会社が設立される。
1927年(昭和2年) - 財団法人坂文種報徳会により、東区武平町2丁目において武平町療養所が
開設される。
1938年(昭和13年) - 愛知県庁は、南外堀町の新庁舎に移転する。
1944年(昭和19年)- 栄区成立に伴い、同区武平町となる。
1945年(昭和20年)- 栄区廃止に伴い、東区武平町となる[2]。
1976年(昭和51年)- 住居表示実施に伴い、一部が泉一丁目・東桜一丁目に編入される。
また、一部が新栄町・久屋町に編入される。
1980年(昭和55年) - 一部が泉一丁目に編入される。
↓親と教師でつづる東桜の歴史・東桜・開校五十年記念誌より
昔の武平町は一丁目~五丁目まであって、ほとんどが武家屋敷だった。
デジカメ
↓武平町にある「くすのき遊園」
↓くすのき遊園の園内にありました…由緒???
↓「くすのき遊園」から武平町を写す
上)桜通り方面 下)外堀通り方面
☟武平町五丁目辺り
↓右は愛知県芸術センター
↓星野勘左衛門宅跡
(特記)
(特記)
「東桜学区内の旧町名の由来」について
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(追記)
👅2024年5月28日に追加
↓
よりスキャン