先日、早朝散歩を兼ね、
東区武平町にあります
尾張藩士で江戸時代前期の弓術家として知られる
星野勘左衛門宅跡を訪ねました。
↓場所
↓星野勘左衛門宅跡の碑…赤矢印
星野勘左衛門について
↓ネットより引用
1642-1696 江戸時代前期の弓術家。
寛永19年生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士。
長屋六左衛門に日置流(へきりゅう)竹林派の弓術をまなび,弓役となる。
寛文2年京都三十三間堂の通し矢で,6666本をとおして天下一となり,9年8000本をとおし矢数を更新した。
弓矢奉行,船奉行をつとめた。
元禄(げんろく)9年5月6日死去。55歳。名は茂則。号は浄林。
【格言】まだやれるが,後につづく者の気をくじかぬために,八千本でやめました。
↓ひがし見聞録より
尾張藩主二代光友のときの弓役で、
寛文二年(1662)京都蓮華王院(三十三間堂)での通し矢で日本一になった。
その褒賞として五百石を賜り弓頭となって弓道を指南した。
武平町で生まれ、ここに居住した武士である。
☟デジカメ
↓拡大
(特記)
松平仙千代、星野勘左衛門の墓石…平和公園の高岳院墓地にあります
千種区の平和公園内にある高岳院墓地にある、
◎星野勘左衛門の墓石…以前(2016年11月29日)に訪ねました。
にタイトル
「東区旧:武平町…(現在 東区泉及び東桜一丁目)の町名の由来」