私「洋ちゃん」は、
東区東桜学区内に55年間住んでいました。
学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。
幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。
懐かしみながら、
東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べています。
その13…旧、東区中市場町の町名の由来
👇(右)昭和25年発行・最新名古屋市全図」よりスキャン
↓ひがし見聞録より引用
↓東桜開校五十年記念誌より
もとは、大津町筋と武平町筋までを中市場町と呼んだが、久屋町筋東三間ほどから東は、それまで石町とされていた部分が明治4年になってこの町へ編入された。
この町は清須で中市場町と言っていたのを1609年(慶長14年)ここに移して旧名を唱えた。
↓Wikipediaより転用
中市場町(なかいちばちょう)は、名古屋市中区・東区の地名
👅町名の由来
清州越しの町であり、清須時代には北・中・南市場とあったうちの一角を占めた。
中市場はそのうち、川魚・塩・野菜類を商ったとされる。
👅沿革
1671年(明治4年)- 石町の一部を編入する。
1878年(明治11年) -名古屋区 成立に伴い、同区中市場町となる。
1889年(明治22年)- 名古屋市成立に伴い、同市中市場町となる。
1908年(明治41年) - 東区成立に伴い、同区中市場町となる。
1944年(昭和19年)- 栄区成立に伴い、同区中市場町となる。
1945年(昭和20年)- 栄区廃止に伴い、中区中市場町となる。
1946年(昭和21年)- 3丁目を東区が編入され、同区中市場町3丁目が成立する。
1966年(昭和41年)- 住居表示実施に伴い、中区丸の内三丁目に編入される。
この時点で中区中市場町全域が消滅。
1976年(昭和51年) - 東区中市場町3丁目の全域が泉一丁目に編入され廃止。
↓東区史よりスキャン
デジカメ
(特記)
「東桜学区内の旧町名の由来」について
タイトル
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