ジェームス テイラー | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

追記しました。

           

           ハワード スターンショー  2015

 

  私のキャリアの成功はポール マッカートニーのおかげだ。私のマネージャーであるピーター アッシャーがアップル レコードを去ることを決めたとき、彼は私に一緒に行ってほしかったようだが、アップルのマネージャーであるアラン クラインはそれを許さなかった。クラインから、「もしアップルを離れたら契約違反で訴えることになり、今後何年も新曲をリリースできなくなるぞ。」と言われたんだ。


  私のために戦い、クラインにアップルとの契約を解除するように言ったのはポールだった。彼は法的措置の脅しなしに、私をアップルから解放するようにアレンにはっきりと言ってくれた。だから私はアップルを去り、ワーナー ブラザーズと新しい契約を結び、やり直すことができた。



  ポール マッカートニーがいなかったら、私のアルバム『Sweet Baby James』と『Mud Slide Slim And The Blue Horizon』は作られなかったかもしれない。つまり、1970年代初頭のシンガー ソングライターのムーブメントに乗り遅れたかもしれないんだ。

  

  ポールはアップルが問題を抱えていることに気づいていた。そして、私のキャリアにとってピーター アッシャーがいかに重要かを知っていたし、彼は私の才能を信じてくれていた。私はそれを決して忘れないだろう。


 

 

 

               ギターワールド 2021

 

 

◎あなたの演奏にはクラシックの感覚もありますが、クラシックギターを学んだことはないのですね?


        

 はい。ギターを本格的に勉強したことはありません。あなたが私から聞いた "クラシック "とは、実際には教会の音楽、すなわち英国国教会の賛美歌のことなんです。私は寄宿学校でその賛美歌に触れていました。うちは教会に行くような家庭ではなかったのですが、学校に行くとそういうものが大量に入ってきて、それらを転向させて演奏してみたわけです。

 

 それらの曲を演奏することでギターを学ぶことは、西洋音楽のルーツへの扉のようなものでした。それらの賛美歌は、本当に西洋音楽の101(入門編)のようなもので、素晴らしい基礎となっています。

 

 

 

◎あなたのファーストアルバムはアップルレコードから発売されました。若いシンガーソングライターがジョージとポールのオーディションを受けるというのは、どのような経験でしたか?


   私はビートルズの大ファンだったので、それはまさに別世界のようでした。なぜなら、私はビートルズの大ファンだったからです。彼らはまさに絶頂期でした。彼らはひたすら前進し、成長し続けていました。だから、1968年に彼らのレーベルと最初に契約してロンドンにいるという事は、まさにビッグウェーブを掴んだようなものだった。信じられないことです。



  私は、ニューヨークでダニー コーチマーと一緒にフライング マシーンというバンドをやっていましたが、それが壊滅的にクラッシュしたのでロンドンに行くことにしました。ギターと曲を持ってロンドンに行きましたが、クラブで仕事をしたり、ヨーロッパを旅行したりして、自分が見たいものを見ようとしただけで、何の計画性もありませんでした。そんなときに私の音楽を励ましてくれる友人たちに出会って電話帳で見つけた小さなデモスタジオに入ることが出来たんです。


  ダニーはピーター アッシャーを知っていて、ピーターはアップル社と契約する新しい仕事をしていたので、ピーターに私の楽曲に興味を持ってくれないかと尋ねました。そして、それはちょうど良いタイミングだったんです。

 

 

  ピーターと彼の妻は、私の音楽に何かを感じ取ってくれました。そして、ジョージとポールの前で演奏するために私をアップルに連れて行ってくれました。そして二人はピーターに(もしこの男のレコードを作りたいなら、レーベルと契約しなさい。)と言ったんです。とてもシンプルな感じでした。



◎彼らの前で演奏したとき、自分のパフォーマンスや曲作りにどれくらい自信がありましたか?


  良い質問ですね。誰もそんなことは聞かないですよ。私にはある種の能力と若さゆえの傲慢さがありました。それがなければ、誰も何もできないでしょうし、賭けに出ることもできません。あなたはリスクを分散させますよね。



 人間の成長時には不可能なことをやっても許される段階があるんです。それが軍隊がそういった若い年齢の人々に目を向ける理由なんです。35歳のときに頼まれたら『遠慮しておきます』と言うようなことを、若い時なら説得してやらせることができるんです。


  つまり(何となくいいかな )という気持ちもありました。自分のためにはなるし、私は音楽通でもあった。(僕の曲はどこかで使えるかもしれない。誰かに聴いてもらいたい)と思いました。その気持ちは人生のさまざまな場面で何度か経験しています。
 

 

 

◎ポールマッカートニーがあなたをロックの殿堂で紹介しました。あなたがポールマッカートニーを紹介するならどのように紹介しますか?

 

 まず、僕が彼を紹介するのに相応しくないと思います。まあ相応しい人は誰もいないと思いますが。だから難しいですね。僕が思っていることを短い言葉で言います。

 

 

 彼は僕のソングライトにおける師匠です。彼は誰よりも音楽を愛していて、今も愛し続けている人です。誰よりもソングライトに関して努力しています。そして、彼が成功した一番重要な理由は彼は誰よりも才能があったということですね。誰よりも才能がある人が音楽を愛している。それは幸せな事実でした。

 

 

 

 

             ビルボード 2015


◎あなたはポールマッカートニーとジョージハリソンのオーディションを受けた後、アップルレコードで最初のアルバムを作りましたよね。


 僕は(Something in the Way She Moves)を演奏した彼らのオーディションでは病的に神経質になってたよ。


 ポールは契約に署名させて雇ってくれるぐらい僕の事を気に入ってくれた。そしてジョージは自宅に帰ってそれを曲を書いてくれるぐらい僕の事を気に入ってくれた。(観客から笑いが起こる。)


 僕にとってはまだそのデビューアルバムは生焼けな感じがしていて、そのアルバムの楽曲を聴くのはちょっと辛いんだ。

 



◎あなたにとってのトップ5のフェイヴァリットソングはなんですか?


 レイチャールズの(Hit the Road Jack)、サムクックの(A Change Is Gonna Come)、アレサフランクリンの(Until You Come Back to Me)、ビートルズの(Penny Lane)、Crosby, Stills & Nashの(Suite Judy Blue Eyes)だね。だけどバッファロースプリングフィールドの(Bluebird)もいいなあ。。。。。僕にはもっと長いリストがあるよ。多分、ウェブサイトにそれを発表しないとならないかもね。
 

 

 

 


 あのオーディションは的確な時に的確な場所であったんだ。(Something In the Way She Moves)は僕がその時、持っていた一番いい曲だった。もし、そのオーディションが一週間前だったら、その曲は出来てなかったから僕はきっと眠れなかっただろう。


 僕は可能な限りビートルズからすべてを盗んだ。僕みたいにミュージシャンとして訓練されていない人間にとっては特にそういうことになるんだ。フォークミュージシャンだろうと、どういう風に呼ばれているミュージシャンだろうと。僕らみたいなミュージシャンはすべての楽曲をリサイクルしたんだ。それを自分の曲に取り入れて、自分の曲として収穫するんだ。あまりにもたくさんそんな風にするなら、その後、君は裁判で争わないとならなくなるだろう。だけど僕らは(そこまではならない線)を学んだ。


 僕が大西洋を渡ったのはとても大きな(ショービジネスの成功の典型)だった。僕の楽曲の(Carolina in My Mind)【ポールとジョージが参加】では神聖な多数の主人公が僕の周りに立っていた。僕はそんな風にビートルズの事を考えていた。 みんなが僕の楽曲の手助けをしてくれて実際に彼らは言ったんだ。(もちろん。僕らは君のアルバムを作るつもりだよ。)

 

 

 そしてその後、トライデントスタジオに行った。彼らはそこでホワイトアルバムをレコーディングしていた。そして僕は壁に張り付いたハエになり、そこで彼らのたくさんの楽曲を聴いた。それはただただ驚愕の出来事だった。


ビートルズカヴァー

 

 

 

 

共演

 

 


 


  僕はビートルズのホワイトアルバムのレコーディング中にジョンレノンと2、3回話をした。彼はとても忙しそうに彼の作品に専念していたことを憶えている。僕は(Revolution)の2つか3つのバージョンでの彼の仕事を見ていた。彼は本当に激しかった。彼は自身が書いたその作品についてとても情熱的に信じていた。その曲は彼の急進的な考えに関するもので、彼に対してそういった要求をしている人々への返事であったことは明らかだった。その頃、ビートルズへの賛辞によって彼らはそういった事を続けることがより難しくなっていたことを僕は理解していた。



 ジョンレノンが亡くなった日に僕は近くの建物に居て、銃弾の音を5回聞いた。僕は何時かそういった事が起こるのかもしれないとは思っていた。なぜなら、彼は他の有名人たちとは違い、住所が明らかだったからだ。他の有名人達はどこにいるのかわからないが、彼には近づこうと思えばいつでも近づく事が出来た。
 

 

 

 





              2009 ブルーレイルロード          

 僕はギタリストとして曲を書いたんだ。(There You Are)はピアノで書いたけど、基本的に僕は楽曲をギターで書いた。だけど(Mean Old Man)の様な曲ではいくらかの変化を与えた。それは一連の下降スケールの曲だよ。それはまるでスタンダード音楽のような感じだよね。


 僕は僕の(師匠)であり、僕がブレイクするきっかけを作ってくれた人から、その曲に対して素晴らしい褒め言葉をもらったんだ。その僕の(師匠)とはポールマッカートニーなんだよ。彼は多くの人々から持ち込まれたたくさんの音源の中から僕の音楽を見つけてくれたんだ。


 マッカートニーが僕の音楽を褒めてくれた理由は彼が(Mean Old Man)を聴いたからだった。ポールは僕を呼びだして、(これはコールポーターの音楽だね。)って聞いた。そしてこう続けた。(これはスタンダード音楽だね。ところでこれは誰が書いたの?)そして驚くことにそれは僕の曲だった。

 

 その曲はとても詩的でそういうスタイルを持っていたんだよ。そう。それはスタンダード音楽のスタイルなんだよ。マッカートニーももちろん同様な事をしたよね。(When I’m 64)  (Honey Pie)  (Maxwell’s Silver Hammer)。。。。


◎(Your Mother Should Know)もそうですよね?

 

 そのとおり。彼はミュージック ホールの体験から楽曲を書いている。君はそれを時代遅れだともいう事が出来るよね。そういったものはリズム&ブルースやエルビスやロックン ロールによって取って代わられてしまったものだ。


 だけど僕の個人的な感覚ではこういったブロードウェイ ミュージカルこそがアメリカのポピュラーソングの頂点であり、典型なんだ。そこには歌詞とコード変化とメロディーがある。そしてそれは洗練されているものであり、高い芸術性を持っているものなんだよ。





             2009 ブルーレイルロード

◎私はあなたの曲を演奏することでたくさんのコードを学びました。あなたは多くのロッカーやフォーク ミュージシャンが使うまっすぐなダイアトニック コードを使わないですよね。貴方は拡大するコード、オルタネイト ベースノートを使いますよね。


 僕はそういったコードを見つけるとすぐに自分で使うようにしていた。僕はポール マッカートニーと、かつて話をしたんだ。僕は彼が(Michelle)で使ったF13th コードみたいなものに驚いてたんだよ。そう。僕はマッカートニーのすべての音楽を愛していた。

 
 ポールは僕に言ったんだ。(それは僕とジョンだけが知っているジャズ コードだよ)って。彼らがリヴァプールのレコード店にかつて行った時に誰かが弾いてたんだって。それでその男がポールとジョンにその13thコードを見せたんだ。だからMichelleのma belleの2番目のコードはちょっとありそうもないコードなんだ。でもきっと君にはそのコードはわからないだろう。
 
 
 マッカートニーのコードは驚くほどシンプルなんだよ。君がそれらを分析しようとするとそう思うだろう。だけど、彼にはそれをもう一段階ほど上に跳ねさせる事が出来るんだ。それは本当に(キュビズム)の様に素晴らしいよ。もう一度、マッカートニーの楽曲を聴き直してみてよ。ただのシンプルなラインでもたくさんの意味を含んでいるんだ。彼の楽曲は本当に素晴らしいんだよ。

 

 

 

 

 

◎貴方はレノンとマッカートニーの楽曲の特性の違いに注目していましたか?


 そう。僕は巨大なビートルズファンなんだ。当たり前の様に人々はレノン=マッカートニー作品って一つにまとめるよね。だけど、僕はその違いにはとても敏感だったよ。なぜなら僕はビートルズの研究者なんだからね。


◎二人のうち、どちらに注目していましたか?


 ポール マッカートニーだね。ポールは自分のメロディーにコードを当てていた。彼のメロディーは本当に美しいんだよ。詞もまるで作為的ではなく、演奏しながら自分の中にある言葉を付けていた。僕は彼がそうしているのをホワイトアルバムのセッションで見た。僕はそういった瞬間がその時点から歴史的なものだって分かっていたよ。アートっていうのはああいうものだって思ったんだ。




              ローリングストーン


 僕はポール マッカートニーのある一部分から大きな影響を受けたんだよ。それは彼のほんの一部分でしかないけどね。彼は決してロック ミュージシャンだけの為のソングライターでは無かった。かつて彼ほどの幅広い音楽性を持っていたソングライターはいない。君が僕のことを特別な意味で(ソングライター)という意味で捉えるのと同じ意味で僕はポールマッカートニーの事を特別な意味で(ソングライター)として捉えているよ。


 僕に一番近いアーティストは決して他のフォーク ミュージシャンじゃないんだ。ビートルズ、あるいはポール マッカートニーだよ。もちろんボブ ディランとかポール サイモンも好きだけどね。




◎あなたの(Something In The Way She Moves)がジョージハリソンの(Something)の歌詞に使われましたね。それについて貴方はどう思いましたか?


  それは僕がデモをレコード会社に送った2週間後のことだ(笑)。ジョージがそうするなんて一秒も思わなかった。僕は彼が故意にかっぱらったとは思ってないよ。なぜならすべての音楽は他の音楽に借り物をして作っているんだから。だからぼくはその事実を完全にスルーした。。


 ただ人々が僕の歌をジョージが使ったという推定をする時に僕はあちこちで眉を吊り上げなければならなかった。僕はその推定には座っていられないんだよ。なぜなら。。。実際に君はあの曲を知ってるよね。(歌う♪)(She’s in love with me and I feel fine…)。。つまり(I Feel Fine)、(Something In The Way She Moves)のエンディングは(I Feel Fine)。。(She’s around me now almost all the time and I feel fine)。。この歌もまたビートルズから取られたものなんだ。 つまり、僕はそういった例以上にビートルズ、或は様々な曲から盗んでるんだ。そして僕は僕自身の曲からも盗み、違った楽曲を作っているんだよ。



 
 素晴らしいブロードウェイのソングライターを除くと、僕はレノン=マッカートニーが好きだ。そしてジミーウェッブが好きだ。ポールサイモンとランディーニューマン、キャロルキング、ジョニミッチェルが好きだ。そういった人たちが僕の同世代の人たちだ。

 

 

 

 

 

 
 ボブディランはとても意外だった。ボブディランをギターや歌唱の観点から見ても何の重要性も見いだせないんだ。だけどディランはあまりにも意外な人だった。彼の音楽は世界中の人たちが耳を傾け、たくさんの僕らみたいな人間に扉を開いてくれたんだ。

 


 ボブディランとビートルズが僕の作詞においての最大の影響だよ。そして聴いていて音楽的に僕を一番ぞくぞくさせたのはレイチャールズだよ。そしてサムクックもまた素晴らしかったね。そしてマーヴィンゲイも。。。マーヴィンもまたソングライターだった。彼もまた楽曲があまりにも美しいんだ。そしてスティーヴィーワンダーももちろんそうだよ。

 

 

 

 





 自分の事を(フォーク ミュージシャン)と言う時には人々にはフォーク ミュージックについての決まり事があるように思える。だけど僕にとって(フォーク ミュージシャン)とは決して正式に学ぶことの出来ない音楽を基礎的に学ばせてくれた(誰か)の事を意味するのだと思っている。


 ガーシュインやコール ポーターの音楽は素晴らしいと思う。それは高い芸術性があっただろう。だけど僕はそれらが素晴らしいのは彼らの言葉よりも音楽なのだろうと分かっている。だから、(誰か)とは僕らの世代の人なんだ。つまり、ボブ ディラン、ポール サイモン、ザ ビートルズ。。。彼らは自身で曲を書き、ポピュラーソングに新しい親密性と深さと詩をもたらした。例えば僕の(ファイヤー アンド レイン)の様な楽曲はガーシュインが書くような曲では無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポールマッカートニーのインタビュー


 ジェイムステイラーと彼のマネージャーになったピーター アッシャーが僕の所に来て(このレーベルには居たくない。君たちの事は好きだけど、クラインと言う奴は気に食わないし、彼がやろうとしていることも気に食わないんだ。)って言われたんだ。


 (これで儲けさせてくれてありがとう。ピース。)と言って、アップルが洋服を放出した時みたいに、彼を放出すればいいんだろう?って僕は言った。でも、アラン クラインは反対したよ。(本気なのか?彼とは契約を交わしているんだから、その気になれば一生、彼を手放さないでいられるんだ。それをみすみす契約解除する手はない。お金を払わせろ。)ってクラインは言った。僕は(駄目、駄目。)って答えたよ。他のメンバーも(いや、彼の契約はこのまま解除してあげよう。)って言ってくれた。


 クラインはとても腹を立てていたけど、僕らのおかげでジェイムス テイラーはアップルと契約を解除することが出来た。ジェイムスは今でも僕の好きなアーティストだ。素晴らしいね。彼はあの後、素晴らしい作品を作ったし、僕らの友情が今も変わらないことを僕は嬉しく思う。僕にとってなにより一番大切な事ってそういう事なんだよ。

 

 

 だけど、クラインはそんな事には興味をしめさないんだ。彼はただ勝って、勝って、勝ち続けることにしか興味が無かったんだよ。