ジミーウェッブ | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。


Jimmy Webb

ジミーウェッブ   (作曲家)  

 

 

 

         ローリングストーン  2017

 

◎フランクシナトラはヒッピーを嫌っていましたが、あなたのことは明らかに気に入っていましたね。彼とは個人的に親交があったのでしょうか?

 


 彼との関係は良好だった。彼はソングライターがとても好きな人で、ソングライターをクレジットしないで曲を演奏をしたりすることはほとんどなかった。彼は時には2時間ほど椅子に座って何でも聴いてくれるような素晴らしい寛容さも持っていた。私をラスベガスに誘ってくれたり、私の小切手を受け取ってくれたりした。つまり、すべてにおいてだよ。例えばホテルもね。思い出深いのは、ある晩、父と私をジョッキークラブ(ラスベガスの三つ星ホテル)に連れて行ってくれたことだよ。それ以来、父は以前のようには歩けなくなってしまった。


◎ポールマッカートニーもあなたの作品の大ファンで、ビートルズが『ホワイトアルバム』を制作しているときにあなたはスタジオを訪れました。当時のビートルズは、バンド内に緊張感と辛辣さが漂っていました。あなたはそれを感じることが出来ましたか?

 


 そうだねー。 部屋の中には、 えーと、 キャラクターがテーブルの上に並べられていて、 ジョンが右側にいて、ヨーコとポールが左側にいて、リンダとジョージが真ん中に不安そうに立っているって感じだった。それはポールのアルバムで、彼の楽曲だったので、ジョンが聴きに来なかったことは、私にはかなりはっきり理解出来た。レノンはアコースティックギターを気取って演奏していた。部屋のレノン側の方にはろうそくがあった。それはまるで神社のようだった。ふざけているのはリンダとポールで、リンダは後ろからポールにしがみつき、ピアノの座椅子に彼と一緒に座っているような感じだった。ピアノ奏者から見れば、それは。。。ほとんどありえないことだ (笑) 。そして、リンゴスターの実体がない声が聞こえてきた。ドラムブースはコントロールルームの下にあったので、彼の姿は見えなかった。彼は (こんにちは)と言って、マイクをノックするんだ。そして、もう一度マイクをノックして言った。(これは動いてるのか?)



◎そのシーンで、マッカートニーはあなたのことを、アトランティックレコードの有名なエンジニアだったトムダウドと呼び続けていますね。前年にマッカートニーから電話があって、自分が関わっているプロジェクトのためにあなたに曲を書いてほしいと頼んでいたのだから、かなり変な話ですよね。彼は明らかにあなたのことを知っていました。一体何があったのでしょうか?



  ジョージマーティンとジョージハリソンが僕を知っていたことは確かだよ。ジョンもリンゴもブースには入ってこなかった。そこではきっとバンドの分裂が起こっていたので、微妙な瞬間だったし、正直なところ、彼らがセッション中に他人がいることをどれだけ嫌っていたのかを知らなかった。つまり、(君がまだ子供で、ファン雑誌を読んでいるときには、そのことについて何もわかっていなかった。彼らは本当に人々を嫌っていた。)ていうことなんだ。なぜ、僕が招待されたのかが、まずわからないんだけど、僕がそこにいるということは(ジミーウェッブ)が呼ばれているということなのは明らかだった。

 

 

 何年も後に他の人々と話したとき、みんなは「ああ、ビートルズならいつでもそうするだろう。」と言った。彼らは誰かを怒らせるのが好きだったから。できれば、自分が重要だと思っていた人をね。ビートルズがアメリカに来たとき、アメリカ人はそういった無表情なものに恋をしたんだ。。。。ほら、こういうことだ。 「君たちはそれを真剣に受け止めているけど、僕らはそうじゃない。」 そういうことだ。でも僕にはわからないよ。実際、彼らと僕の間に何があったのかはわからない。

 

 

 

◎あなたはジョンレノンとハリーニルソンが70年代初頭に行った悪名高い「失われた週末」の目撃者ですよね。あなたの本の中では、午前3時に呼び出されて、100ドル札とコカインを持ってくるシーンが出てきます。ビートルズを尊敬して育ったあなたが、ジョンレノンが人生で最悪の状態にあるのを目の当たりにして、どのような気持ちになりましたか?この本の中では、とても暗い一節ですよね。

 


  読んでいるみんなと同じように驚かされたよ。それが私の伝えたいことだと思う。誤解を恐れずに言えば、ジョンがあのように打ちのめされていたとき、私もそのことに完全に打ちのめされ、そのことについて多くの音楽を書いたり、本当にひどい感情を味わったりしたんだ。ある種の仕返しのように受け取られるかもしれないけど、その一方で彼は私には何もしてくれなかった。彼は基本的に無表情な人だったからね。僕は彼から何かを読み取ったことは一度もなかったよ。その時、彼に磁力計をかざしても何も示さなかっただろう。彼はとても穏やかだった。

 

   でも、親しい人にはもっとたくさんのことを話してたんじゃないかな。ハリーニルソンはとても親しかったけど、私は彼らがある種の窮地に陥ったときに、バッグマンとして呼ばれたようなものだった。それは、僕の愛に基づいて行われた行為だよ。献身的にやっていたんだ。つまり、お金をもらっているわけでもないのに、なぜ真夜中に麻薬の取引を私がしたのかということだ。私は大金を持っていた。そこには忠誠心があったんだ。掟があったんだ。(ビートルズに頼まれたらやる)という不文律があったんだ。冗談を言っているわけでは無いよ。

 

 

◎ハリーニルソンの崩壊を見るのはどんな感じでした?

 

 

  ある一部の人々はロータスのレーシングカーに座ってアクセルを大きく踏み込んだまま、運命を信じている人のような、見ていてすごいと思える様な放心状態にいたんだ。そして、そういった人たちのほとんどは今は死んでしまっている。そんな人々の姿勢は上手く説明できないよ。そういった人といると3~4日かけてどこかに出かけて、ある時ふと顔を上げて「そろそろ家に帰ろうかな。」って言う瞬間がある。僕のドラマーはそれを (救命ボート )と呼んでいたよ。


 僕は死にたくなんかなかったよ。何度か死にそうになったこともあった。壊れるまで機械を動かしたいという衝動に駆られたこともね。誰かを麻薬常習者と決めつけるのは簡単だ。ハリーの場合は見事なまでの輝きがあった。私は彼のように歌いたかったし、私は彼の声もレコードも大好きだった。私はハリーが気に入るようなものを作りたいとも思っていた。彼はある夜、私の台所のシンクの中に血を吐いてやってきたので、私は「面白くないな。何をしているんだい?」と言ったよ。ジョンレノンとハリーニルソンの組み合わせは、核兵器を使った自爆装置みたいなものなんだ。二人は圧倒されるぐらいのマイナスエネルギーを発見したんだよ。でもね。きっとそういった人たちにとって人生を長く生きるのは難しいことなんだよ。

 

 

 

 

         サンディエゴ ユニオントリビュート 2017

 

 音楽は、40年前と比べて、何か違う意味があるのでしょうか、あるいは違うのでしょうか?


 そうだね、私が人と違った視点で見ていないとおかしいよね。なぜなら、私は70歳という魔法のような年齢にいるから。それは特別な年齢だよ。70歳までに何を学んだのかといったら、それは物事が違った角度から見えるようになったっていうことだ。。


 僕にはいつも尊敬している人を常に尊敬し続けている傾向があるんだ。ビートルズの『Penny Lane』やバートバカラックとハルデヴィッドの『Anyone Who Had a Heart』のような曲を生み出す天才的な閃きを尊敬し続けている。また、それとともにクラシック音楽やマイルスデイビスのような偉大なジャズミュージシャンの即興演奏に浸っていると、自分の才能がそれほど寛大には授けられていなかったことを改めて実感するよ。

 

 

 

 

 

 私にとっては人生が私が曲を書く方法を教えてくれる。私は今、異なる視点を持つものを見ている。振り返ってみると、私はそれについて繊細になるつもりはないよ。私は70歳だけど、人生は70歳では異なって見える。だけど私はただ同じことを続けるだけだ。:私は書くだけだ。私は物語スタイルのソングライターで、ボブ ディランとビートルズの影響を受けた最も初期のソングライターだよ。そしてハンクウィリアムズのような人々の子孫のようなスタイルだよ。私はいつでも困難な状況にいる労働者階級の人々についての曲を書いてきたんだ。

 

 

  私のお気に入りの現代のソングライターはポールマッカートニーとビリージョエルで、シェリルクロウとマーク「ウォーキング・イン・メンフィス」コーエンが本当に大好きだよ。

 

 


 マッカートニーとはビートルズのホワイトアルバムのセッションで話をすることが出来た。その時に僕は彼を理解できたんだ。彼の音楽に対する姿勢と彼が作る楽曲にはつながりがあるんだってね。ミュージシャンシップがどれだけ大切なものなのかっていう事だよ。短い話だったけど僕には分かったんだよ。
 

 

 
                   サウンドオブザーバー 2013年


 当時、僕は確かにビートルズに追従していてこういう風に考えていた。(なんてことだろう。僕は今、自分のやっていることが、良くわかってないんだ。一体何が起きてるのかを誰かに教えて貰いたい(笑))そんな感じだったよ。だけど僕には後悔が全くないんだ。なぜなら、そうすることがものすごく刺激的だったから。今でもそうなんだよ。

 


◎私は今まであなたに会ったことはないんですが、貴方の歌をたくさん聴いているから、まるであなたに会った事があるかもしれないなんて思っているんです。


 多くはないけどそんな風に言われることがあるよ。その感覚は僕にも分るよ。たとえば、僕はポールマッカートニーをほとんど知らない。決して彼と夕食を食べるような間柄じゃない。僕がイギリスに行ったとしても、彼は決して僕を呼ばないだろう。

 

 

 

 だけどね。。。マジックの様に僕の帽子の中から、ポールマッカートニーの名前を取り出すと、僕にとって彼は長い人生の間中、ずっと音楽的な関係を保っている(誰か)の様な感じを受けているんだよ。彼のレコードを聴くといつでも僕と彼の間には音楽的な対話が始まり、その後、インスパイアされ、何かを創るというような。。。。だから僕はミュージシャンっていうものは完全に無意識のレヴェルでそういう風に人々の心の中に存在するものだと思ってるんだ。

 

ビートルズ ピアノカヴァー

 

 





◎貴方が最初に作曲を始めた時に貴方が真似をしたいと切望した特別なソングライターはいましたか?




 僕は他のソングライター達を愛していた。僕はハルデヴィッドとバートバカラックが合体したような人間になりたかった。そしてレノンとマッカートニーを愛していた。



 僕はいつも美しく組織化されて考えられていた楽曲を愛していた。私はほとんどオーバープロデュースといえるかもしれない様なバートバカラックやフィルスペクターや偉大なジョージマーティンが好きだった。そして、ジョージマーティンとはある時、一緒にアルバムを作る機会があった。

 


 僕は本当に楽曲から知性を見ることにも、楽曲のとても高いレベルの機能を理解する機会にもとても恵まれていた。僕は当時、良く(ワオ 何て凄いんだ。)って言っていたよ。それはライト兄弟が飛行機を発明するようなものだ。さもなくばビートルズのセッションに立ち会うようなものだろう。かつて、僕はビートルズのホワイトアルバムのセッションに一度立ち会うことが出来た。そして(ハニーパイ)のセッションを見た。それはアルバートアインシュタインが相対性理論を発見したような種類の出来事だった。



 


 

                   モジョ誌  ジミーウェブのフェイヴァリットシングル(ビートルズ関係のみ) 



(イエスタデイ)  サンバーナディーノでカーラジオを通して初めてこの曲を聴き、ただただ驚いた。マッカートニーの歌唱力やメロディーは言うまでもないけど、ザ ビートルズはこの編成でポップミュージックを変えてしまった。


(ペイパーバックライター)



(スルーザロングナイトウイズユー) ビリージョエル 


    この楽曲はビートルズに対する一種の敬意で、見事に成功した。どうやって(your pale tremblimg shoulders)というフレーズを思いついたのか、ビリーに聞いた事がある。彼は苦悩していた人物とのプライヴェートな関りを書いたと答えた。とにかく私はこういう言葉の組み合わせこそ、ソングライティングの芸術だと思う。ブリッジが最高のポールマッカートニー風の素晴らしい曲だ。